毘沙門天 その三

もともと力を持つ神だけに、ご利益が多く、富や財宝、不老長寿、戦勝祈願、神通力、無病息災など人間にかかわるすべてに霊感があるとされるのです。
特に、白獅子に乗り、右手に宝棒、左手に家に福徳を持ち込むとされるマングースを抱えた毘沙門天が最も徳高い物とされています。

毘沙門天は、主に関西地方の寺院に多く祀られています。
特に大和国信貴山の毘沙門天は名高く、『太平記』巻三の一、主上(後醍醐天皇)御夢事附楠事の段に、「その母(楠正成の母)若かりし時、志貴(信貴)の毘沙門に百日詣で、夢想を感じて設けたる子と候とて、幼な名を多聞とは申候也とぞ」と記されてあるので、楠正成の幼名は多聞丸ということがわかるのです。
それと、毘沙門信仰の周辺には多聞の名前が多く見られるところから、多聞とは毘沙門のことという説も、以前からあります。

信貴山の奥之院は、本堂から約2Km北方にあり、ここの本尊は、聖徳太子作といわれ、太子が物部守屋戸討伐の時に、阪部大臣(さかべのおとど)に化現(けげん)されて、先陣・先鋒で群がる敵を薙倒したので、尊像は白く汗をかいたように見えるといわれ、一名を「汗かき毘沙門天」といわれています。

奥之院の本堂脇に雨が降るならば、土中から焼米が出てきて、その焼米はどんな病にも効く薬になるという信仰があるのです。
この焼米は、聖徳太子が毘沙門天から陣中米と授かったもので、無尽蔵に近いくらい土中にあると土地の人は言い伝えています。
戦国時代には、戦国時代には、松永弾正久秀の出城(永禄3年(1560)築城)があったところだから、その城中米が土中に埋まっていたのかもしれないのです。

信貴山縁起絵巻といえば、長者の倉ごと米を運んだ鉢の絵が有名ですね。
空飛ぶ鉢で托鉢する話の一つとして、語られています。
このような縁起が語られる裏に、この毘沙門天から授かったとされる陣中米伝承があるからかも。

江戸時代末期編纂の『新編相模国風土記稿』三浦郡毘沙門村の条(くだり)に、「江戸より十九里。毘沙門郷と唱ふ。村内に毘沙門堂あり、故に地名となる(中略)○毘沙門堂、当所の海中より出現の像を置く、長さ三尺許、今も波海中より正月3日鶏鳴に竜燈現ずと云、前立毘沙門吉祥天の像あり、慈雲寺持(臨済宗)」とあるのです。

寺伝によると、堂の下の通称、白浜海岸に流れ着いた像を、村民が拾い上げて洞窟内に祀っていたといいます。
その頃諸国巡錫中の菩薩が、その像を見て、「大変尊い毘沙門天像だから秘仏としたらよかろう」と語り、岩殿山と呼ぶ台地で自ら他の木に彫刻し、堂を建立して安置したのに始まると伝えられるのです。
その彫像を作成した時に出た木屑を埋めた場所を村民は木端塚と呼び、手を触れることを禁じたというのです。

『新編相模国風土記稿』所載の通り、前立2体を新たに作り、海中出現仏と行基彫像の古い2体を秘仏として33年目ごとに開扉されるというのです。
この毘沙門堂付近の山中に、社護尊天(社宮司)・第六天の2天の石祠が祀ってあり、底辺の景色のよいところで、現在は関東近辺の気軽な行楽地として賑わっているようです。

さて、毘沙門天が、七福神の1つに加えられた理由には、1つは、勇気を持って悪に立ち向かえば、財をもたらすという性格から出たものであろうという説もあります。
幸福の神である吉祥天を妻としたところから、毘沙門天も、福をもたらす神とした説もあるのです。
またその軍神的性格から、貧乏神を退散させてくれるという説まであるのです。

でも、吉祥天は黒暗天と姉妹であり、二人一緒で受け入れる相手でないと、福の神としての仕事をしないはずです。
この黒暗天には、貧乏神という説があるのをご存知ですか。

吉祥天はもともと、インドの美と豊穣と幸運を司る女神ラクシュミーでした。
なおラクシュミーは、アラクシュミーという不幸を司る女神を姉に持つともされます。
ここが黒暗天と姉妹とされるもとなのです。

ラクシュミーが、ヴィシュヌの妻になる際にこう請願しました。
「私があなたの妻になる条件として姉にも配偶者を付けるように」
そこでヴィシュヌはある聖仙(リシ)とアラクシュミーを結婚させ、晴れてヴィシュヌとラクシュミーは一緒になったという神話も一方で残っているのです。
黒暗天もともに引き受けるよう求める起源は、ここにあるのですね。

退散される貧乏神が黒暗天なら、なぜ吉祥天は貧乏神をかばわないのでしょう。
つまり、黒暗天の正体は貧乏神などではないといっているようなもの。
黒暗天は、みすぼらしく格好が悪いけど、貧乏ななりをしているけど、人の足を引っ張る貧乏神なんかじゃないということなのかもしれないですね。

ならば、毘沙門天が退散させる貧乏神とは何者なのでしょう。

ねたむもの、うらむもの、さまたげるもの、ではないでしょうか。

となると、毘沙門天が退散する貧乏神とは、転落してサタンとなったルシファーのような存在かもしれないですね。

最後に、毘沙門天の真言だが、「ナウマク サマンダボダナン ベイシラマンダヤ ソワカ」であり、「この真言を唱えれば、福徳・戦勝・神通力などの功徳がある。」という意味だそうです。

毘沙門天の信仰は日本3大霊場といわれる次の寺社があるのです。

1.信貴山朝護孫子寺(奈良県)
寅年、寅月、寅の日、寅の刻に毘沙門天が出現したことから寅の日が縁日になったという。

2.鞍馬寺(京都)
牛若丸の修行や鞍馬天狗、10月22日の火祭りなどが有名。

3.毘沙門堂(京都)
大宝3年(703年)に奈良に建てられた。
平安遷都のときに京都洛北に移され、最澄が自刻の毘沙門天を安置したといわれています。
江戸時代に安祥寺の旧跡に移って現在に至っています。

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毘沙門天 その二

毘沙門天には、『毘沙門天経』に、「毘沙門天王を願せば信、戒、聞、捨、受、捨、慧、貌、力、弁、色声香味触富貴自在の十種の福利を獲得し、仏法中に於て法眼を開き、聖果を証得すべし」とあるように、財宝福徳の仏神と子宝を授かるという信仰も強いのです。

さらに、『北方毘沙門天随軍護法真言』に、「仏は毘沙門に勅して、天兵を領して界を守り。国土を擁護すべしと告げられたり」とあるように、軍神(いくさがみ)としての信仰も厚いのです。

武将上杉謙信も毘沙門天を信仰し、戦旗に毘沙門天の「毘」の字を掲げ、戦の神を味方にしていた事はあまりにも有名です。

1.浄信(清らかな信仰)
2.戒(行いを慎むための戒め)
3.聞(教えを聴聞すること)
4.捨(悪い見解を捨てること)
5.受(善業の果報を受けること)
6.慧(悟りを得るのに不可欠な大切な知慧)
7.形貌(姿形)
8.力(10の知慧の力。勢力、威力)
9.辯(なしとげること)
10.色声香味触富貴自在(自由自在)

唐の玄奘が、天宝元年(742)(天宝9年または12年説もある)、西蕃(せいばん)の入冦(にゅうこう)の際に、時の名僧第一として誉れの高かった不空三蔵に命じて毘沙門天に祈らしめたところ、毘沙門第二子の独健が鎧、兜に身を固め矛を取って現れ、蕃敵を潰走せしめた・・・・・・と『宋高僧伝』に伝えているのです。

さらに日本でも、『日本書紀』第21には、聖徳太子が物部守屋(もののべもりや)を征討した時、四天王像を造って祈願して戦勝し、後に摂津国に四天王寺を造立した・・・・・・
ということが記されているように、戦勝護国の仏神としても大いに信奉されてきたのです。

平安時代、王城守護のために平安京羅城門上に、同京の北方鎮護のために鞍馬寺に、それぞれ毘沙門天が安置されました。

京都洛北の天狗と源義経で名高い鞍馬寺の兜跋(とばつ)毘沙門天像や高野山竜光院などの毘沙門天像は、古来から怨敵退散・国土鎮護の霊像と仰がれてきたのです。
鞍馬寺の兜跋毘沙門天像は、刀八とも書かれ、軍陣に望む姿である八本の手全部に刀を持つ姿です。
普通、毘沙門は二本の腕で作られることを思えば、鞍馬山の兜跋毘沙門天はなぜ、腕が八本なのでしょう。

毘沙門天の、四天王の中で単独に信仰されるようになるのは、この鞍馬寺の存在が大きいのです。
のちに源九郎判官義経を名乗る牛若丸は、鞍馬寺の山奥で天狗から、兵法を習い「虎の巻」を授かったという話を御存知な方も多いのではないでしょうか。
牛若丸は、様々な叡智と技術、それに格闘術を、天狗から伝授されたと伝えられているのです。
八は、「ヤ」とも読まれるけど、「ヤー」は「ヤハウエ」の略としてしばしば使われるのです。
天狗に古代イスラエル説まで出されるとなると、その鞍馬の毘沙門の八本の腕があるという姿形まで何か関連ありかと疑いたくなります。

京都の北を守る神として意識されて信仰が広がり、武運の神として武将たちが信仰したのです。
なぜ、北を守る神が特別なのでしょう。
それは、陰陽道で北が天に配当されるからかも、しれません。
天の守護神とされたなら、毘沙門天が四天王を代表して単独崇拝されるのも、うなずけそうです。

また「幸福の女神」吉祥天が毘沙門天の妻とされたことから、やはり毘沙門天も幸福を授ける神だという面が強くなりました。

毘沙門天の像の一般的特徴は、頭に鳥形の冠(三面だての宝冠で、その正面に翼を広げた鳥の姿を表す)、身に甲冑、左手に塔(もしくは腰に手を当てる)、右手に宝棒(もしくは戟)を持っているのが普通です。
左手の宝塔は八万四千の法蔵、十二部経の文義を具し、右手の宝棒は悪霊を退散させ財宝をさずけるというのです。
また甲冑を身につけているのは魔を寄せつけぬためともいわれるのです。
仏教徒や密教・華喬の間では金財運・人気運・商売運の徳を得るため仏教徒や密教・華喬の間では金財運・人気運・商売運の徳を得るために毘沙門天の曼荼羅を北側の壁に掛ける習慣 がありました。

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毘沙門天 その一

毘沙門天の起源はヒンズー教やバラモン教の中に見いだすことができ、極めて古いものです。
1000年間の苦しい修行を、積んだとされてるのです。

毘沙門天は、梵名のバイシュラマナ(Vaisravana)を訳したもので、仏の教えをよく聞くという意味で、多聞・普聞・遍聞などとも訳されるのです。
また中国で、吠室羅末拏(べいしらまぬ)・毘舎羅門などと音写され、それが変化し毘沙門となるのです。

今では、七福神の一神として有名です。
もともとはインドの神から、仏教の神に採り入れられた神です。
日本では吉祥天が毘沙門天の奥様ということになっているのです。

インド古代叙事詩「マハーバーラタ」では、宇宙の創造主プラチャーバティの孫とされるのです。
全世界の富と不老不死の命を与えられ、スリランカにあるランカーの宮殿に住み、空飛ぶ乗り物プシュパカを走らせる暗黒界の悪霊の長だったのです。

ヒンドゥー教では、ヒマラヤから産出された富を自在に扱う神となり、クーベラと呼ばれ、財宝福徳を司る神となるのです。
さらに、後には夜叉・羅刹を支配して国土を守護する武神とされたのです。
だから、正確に言えば、インドの神ではなく、スリランカつまりセイロン島の神ということなのです。

インドとスリランカは、宗教上仲が悪く、大概は、インドの善神はスリランカで悪神となり、スリランカの善神はインドで悪神ということです。
このクーベラは、どういう訳か、善神となるのです。
仏教の神となるに当たっては、その前に、同じくインドの鬼神ヤクシャの神格も付加されたという説もあります。

毘沙門天は、仏教では四天王、または十二天の最強の神となるのです。
その経緯はこうです。
毘沙門天は、大宇宙の創造主の孫で、全世界のすべての富と不死の命を授けられて、世界の王として君臨していたです。
それを強く嫉妬した異母弟のラクシャーサとも呼ばれる羅刹の王であるラーヴァナに追い出されるのです。

けれども、追われる途中で、宝の山であリ世界の中心であるとてつもない大きな山、須弥山(しゅみせん)を見つけたのです。

そして山の中腹の北側7300キロメートルのところに、七重の荘厳と七宝で飾られた絢爛豪華な大きな城を、3つ建てたのです。

財力によって大軍をそろえ、須弥山中腹の北側に住し、夜叉を率いて、憤怒の姿で岩座に立ち、須弥山第4層の水精宮に住む、北方を守護する神となるのです。
像によっては、岩座の代りに、足元に悪業煩悩の鬼を押さえつけていることもあります。

また十二天の一神ともなりました。
財宝富貴を掌り、仏法護持の善神としてです。

四天王は次のとおり。

持国天 - 東勝身洲を守護する。乾闥婆、毘舎遮を眷属とする。
増長天 - 南瞻部洲を守護する。鳩槃茶、薜茘多を眷属とする。
広目天 - 西牛貨洲を守護する。龍神、毘舎闍を眷属とする。
多聞天 - 北倶廬洲を守護する。音訳が毘沙門天。原語の意訳が多聞天、夜叉、羅刹を眷属とする。

十二天の十二尊は次のとおり。

方位の八尊
伊舎那天(東北) (Isana)
帝釈天(東) (Indra)
火天(東南) (Agni)
焔魔天(南) (Yama)
羅刹天(西南) (Raksasa、あるいは、Nirrti)
水天(西) (Varuna)
風天(西北) (Vayu)
毘沙門天(北) (Vaisravana)

天地の二尊
梵天(天) (Brahman)
地天(地) (Prithivi)

日月の二尊
日天(Surya、あるいは、Aditya)
月天(Candra)

『法華義疏』第12に、「毘沙門は、是れ北方の天王なり。此に多聞と云ふ。恒に仏の道場を護り、常に説法を聞くが故に多聞と云ふ」とあります。
その姿は冷静沈着を示し、悪を挫く勇気、清く正しく強く生きることをさとしてもいるというのです。

また率いている夜叉には、八大薬叉大将、二十八使者という眷属と説明のものもあります。

願うところに随ってその名前を呼ぶと所願ことごとく成就する、と言われているのです。

毘沙門天の二十八使者とは、つぎのとおりです。

読誦、論義、聴明多智、伏蔵、説法、龍宮、隠形、禁呪、奇方、博識、勝方、興生利、田望利、高官、右司命、左司令、北斗、五官、太山、金剛、神通、坐禅、多魅、神山、香王、自在、大力、持斉門

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蜜月

honeymoon(ハネムーン)って、英語の辞書で見ると新婚旅行って出ます。

陰陽では、太陽は陽で男に、月は陰で女に、配当されます。

じゃ、蜂蜜のような甘ったれたとろけ女がhoneymoonなのでしょうか。

ま、新婚旅行の新婦をみると、もっともらしいかもって思えます。

honey moonの語源には、古代ゲルマン人の習慣からきているという説があります。
新婚後1ヶ月間、花婿にハチミツ酒を飲ませ精力をつけさせるといいます。

ふむふむ。

精力有り余りの新郎に、新婦はとろけまくるっことでしょうか。

でも、結婚で連れ合いをbetterhalf(ベターハーフ)といいます。

なに?

べたべた、いちゃいちゃな夫婦かって。

何歳になっても、betterhalfです。

淡い関係でも、べったべたな関係でも、そんなの関係ない!

betterhalf、直訳すれば「良き半分」です。

ふんふん。

夫婦ってのは、二人そろって一人前っことでしょうか。

ちょい、ちゃう!

honeymoon、直訳すると「蜜月」です。

蜜がついた月です。

わけわからんっことでしょうか。

この蜜、私が想像するに、「蜜蝋(みつろう)」です。

蜜蝋とは、蜂蝋とも黄蝋ともいわれる、蜜蜂の巣の主成分をなす蝋です。
働きバチの腹部の腺から、分泌されます。
主成分は、パルミチン酸ミリシルなどのエステルなのです。
巣を加熱圧搾したり、湯で煮溶かしたりして採取します。
精製したものは白色です。
化粧品や、つや出し剤などの原料とします。

ちなみにエステルとは、酸とアルコールからできる化合物、この結合のとき水が抜けます。
芳香があり,食品の香料に利用されるのです。
有機酸のエチルエステルは、酒類の重要な芳香成分であるものが多いです。

蜜蜂を、beadswax(ビーズワックス)と訳します。
文字通り、waxとして使用です。
体や環境に優しい、天然素材として注目されます。

でも、これは序の口です。

実は、蜜蝋には接着剤としての使用法もあります。

ただし、蜜蝋には、年月と共に接着力が弱まると言う弱点があります。
それは、油分が抜けるからです。

月に蜜蝋を何で?

多分、上弦と下弦の半月をあわせると満月になることと関係ありそうです。

英語で半月はhalfmoon(ハーフムーン)です。

でも、上弦や下弦に当たる訳もあります。
First Quarter Moon(ファースト クォーター ムーン)とLast Quarter Moon(ラスト クォーター ムーン)が、ほぼ同じ意味です。

Quarterって、四分の一ちゃうのって、突っ込んでも無駄です。
慣用だから、あきらめるしかないです。

たぶん、新月、上弦、満月、下弦、の四つの段階だから、Quarterなのでしょう。

つまり、First Quarter MoonとLast Quarter Moonを、蜜蝋でくっ付けた状態がhoneymoonです。

“First”が陽に配当され男にあたり、“Last”が陰に配当され女にあたり、って見たらどうでしょう。
そして、First Quarter MoonとLast Quarter Moonが、betterhalfの正体かも。

ん?

倦怠期は、蜜蝋の油が抜けたから仕方ないっことでしょうか。

蜜蝋の接着力は、暖めれば何回かはそれなりに復活するそうですよ。
初めのころには、かなわないかもしれないけど。

こんな伝承もあります。
 
 人はかつて両性具有であったが、神が分けてしまわれた。

 それで人はみな、かつての片割れを求める。

この、伝承でかつての両性具有であったとされた姿の正体が、月であったのかも。

あの陰陽マークとのつながり意外とあるのかもなんて、連想しますか。
ヨーロッパ古代思想や宗教と陰陽は、つながっているかも。

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猫の修行

猫は時々ふらっといなくなります。
そんな時は「修行してきたのかなあ?猫神社でも行ったの?」って話になります。

そういえば阿蘇の根子岳という猫の修行する山があるって話、ありますよね。
現在は「根子岳」と書くけど、江戸時代までは「猫岳」と書いたそうです。
阿蘇山の中央の後カルデラ火山群は、高岳、猫岳、中岳、杵島岳、烏帽子岳、草千里、米塚などたくさんあります。
現在活発に噴煙をあげているのは中岳の火口で、他の火山は活動していないのです。
このうちの高岳と猫岳は、特に標高の高い火山です。
その形状は全く異なり、根子岳はぎざぎざの山頂、高岳は美しい円錐形の山です。
高岳の方が標高1592m、猫岳は1408mです。
山の姿が鋸の歯のように、一種異様な山頂を見せているので知られています。
また、新月の夜は阿蘇中の猫がそこに集まるという言い伝えもあります。

ほかにも、ここには猫の王がここに住んでいるといい、一年に一度、毎年節分の頃あるいは大晦日になると、国中の猫続々とこの山に集まってくるという愉快な話もあります。
集まった猫たちはここで人間の姿になって暮らし、迷いこんできた人間を猫の姿にして召使にするとか。
あるいは、道に迷った旅人が猫の住家にひきこまれてあやうく喰い殺されようとしたなど、人にとっては無気味な話がいくつもあります。
だから飼っていた猫がいなくなったら、猫岳に登った、ってことになるらしいです。

福島県にある猫魔ケ岳(ねこまがだけ)も、猫が修行するといわれる場所です。
歳をとった猫が、この山に登り石に変わるという言い伝えです。
でも、川と山の違いはあっても、河童とどこか似てると思うのはわたしだけでしょうか?

宮城県には、猫以外飼ってはいけない、通称猫島と呼ばれる田代島があります。
漁港なので餌も豊富な、そこいらじゅう野良猫だらけで犬のいない、猫神社のある猫天国です
「ひょっこりひょうたん島」物語のモデルとも言われるほど、そっくりの形をしているのです。

旧北上川の河口から南東約17Kmの海上に位置している石巻市に属する離島です。
海岸段丘が発達した温暖性気候で、タブの木が生息する北限地域です。
アオスジアゲハの群生地としても有名だそうです。
現在の人口は約100人でお年よりだけが住んでいる比較的小さな島です。

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