恐竜も鳥も哺乳類の仲間でも良いか? どこへ向かうか、恐竜研究。その4

前にもちょっと触れたけど、興味深い恐竜化石が、出土しています。
立体構造をきちんと保ったままの軟組織が、確認できるそうです。

 翼竜や魚竜、首長竜等は恐竜に含まれないとされますよね。
 
出土場所や、恐竜の名前まで、その記事にはないので、さらに情報を集める必要はありますけどね。

 軟組織って何。

硬質の骨や歯は、硬組織に分類されます。
軟組織とは、肉体の中の軟質な組織の事です。
皮膚や筋肉、腱、関節周囲の組織、線維組織、脂肪組織、各種臓器、血管、リンパ管、神経などの組織の総称です。

 ええ、まさか。
 そんなところまで、化石になるの。

 地層はそんな長い時間、安定しているとは思えないし。

つまり、意外と短い時間で化石になったとしか思えないですか。

石化した森林のなかには、イタリア中部、テルニ付近にあるドゥナロッバの化石森林って言うのがあります。

 石化したものもあるけど、内部がまだ木質が実際に残っているものもあるのでしょ。

 この恐竜化石も、ドゥナロッバの化石森林の樹木のように中がわかるのね。

皮膚の鱗模様がくっきり、クチバシのケラチンもしっかり、わかる状態というのです。
放射線を利用した透視写真では、腸や肝臓、胃、嗉嚢まで写っているのですって。

 その上、胃石のわかる化石も出た以上、恐竜と鳥はそっくりねえ。

米サイエンス誌に、2007年4月に恐竜のコラーゲンを調べた論文が発表されています。
米モンタナ州で発掘された約6800万年前のティラノサウルス・レックスの化石から、コラーゲンが検出されました。
このアミノ酸配列が、ニワトリのものとよく似ていることが分かったといいます。

 そこまで、似てるの。

最近の研究では、鳥とは遠縁と思われる小型の肉食恐竜の化石からも体毛が発見されています。

 そういえば、ティラノサウルスも子どもについては、体毛が確認されたのでしょ。

ティラノサウルスの小型な仲間であるディロングに、見つかったのです。
それで、ティラノサウルスにも子どもの頃ならあっただろうと見られるのです。

 推論なのね。

ええ、でもこれだけ、恐竜自体が鳥に近いというなら、ティラノサウルスの親子で体毛があっても良いかも。

 確かに…。

実際、鳥と恐竜どっちが先かという論争があります。

 でも、十分な飛行能力のあるコウモリは鳥と哺乳類の間で分類が長い事揺れていたでしょ。
 コウモリは授乳するから、哺乳類に分けられた。

 カモノハシも、体毛があって卵生でクチバシまであるから鳥か、授乳するから哺乳類か、論争があった。
 カモノハシは授乳するから、哺乳類に分けられた。

じゃ、ミルクを出す鳩、フラミンゴ、インコ、オウム、哺乳類で良いのでしょうかねえ。

 鳥…ですねえ。

じゃ、恐竜はどこに分けたら良いでしょ。

 哺乳類、鳥、恐竜、ひとまとめにした分類を作るとか。

それ、面白いですね。

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善悪を知る知恵の樹の実とは。

原罪は本当かなど、生命の樹の謎を解くために、いろいろ考えてきました。

 創世記の中に、永遠の生命が与えられる生命の樹と、善悪を知る知恵の樹とあるのはなぜでしょ。

善悪を知る知恵の樹を受け入れてこそ、永遠の生命が与えられる生命の樹を求める資格が得られるのではないでしょうかね。

善悪を知る知恵の樹を食べるとなぜ死ぬか、それは魂が弁証法的発展を遂げる為でしょうね。

 霊と言い換えても、良いのかしら。

良いでしょうね。
 
 否定の否定と言う弁証法の重要な原則を知らないと、この謎はまず解けないのかしら。

陰陽で言えば、生旺墓の一巡を経た新たな生を得る事が否定の否定なのですよね。

 創世記には、主がアダムとイブに警告した事が記されていますよね。
 知恵の樹の実は食べてはならない、食べると死ぬからである、と。

「シュールストレミング」は食べてはならない、あなたはものすごく臭い思いをするからであると、警告された。
それなのに、臭くないから食べてみろとそそのかされて食べてちゃって、やっぱりものすごく臭い思いをしたのと大差ないでしょうね。

 「シュールストレミング」は、世界一臭い缶詰でしょ。

イエスが十字架を必要とした訳も、ご存知でしょう。

 贖罪の子羊は、一面に過ぎないのかな。

生旺墓の一巡を経た新たな生を得る事は、否定の否定なのですよ。

 ヤハウエは受肉し、イエスとなられました。

その段階では、イエスはまだ人の子の段階だったのです。

 受肉って事は、肉体がない霊体であったって事でしょうか。

そう思って良いでしょうね。

 神の息で、アダムが人になったみたいな事かしら。
 ヤハウエが受肉して、イエスになるって。

新たなアダムが、受肉のイエスだったと見ても良いかも知れないです。

 イエスが十字架に架かる必要って、どういうところにあったのかな。
 一段高い霊的存在になる為に、イエスは復活体を得た。

そのために、贖罪の子羊を引き受けられたのでしょうね。

 主の道を歩むなら、誰にでも復活体が授けられると言う奥義もまた、開示されたとか。

そうでしょうね。

 復活体とは、自ら望んでなれる状態ではなく、神の与えてくださる状態ですか。

 どう生きたら、神に復活体を授けていただけるかを、知らないといけない。

 悟るしか、ないのでしょうかねえ。

 どう生きるべきか、どう考えるべきか…。

それを自らの力で悟れる能力が、善悪を知る知恵の樹によって授けられたのでしょうね。

 復活体の為の死を理解して受け入れられるように、善悪を知る知恵の樹の実は食べる必要があった。

弁証法の言う否定の否定は、形式論理の言う否定の否定とは似てるけど違います。

 裏の裏が表となるのは、否定の否定と同じじゃないの。

それは、形式論理で言う否定の否定です。

けっして間違えではないですが、弁証法論理では似た状態に戻るけど同じ状態に戻るのではないのですよ。

 手元の現金を仕入れに使って、仕入れたものを売れば儲かる場合もあるけど、売れなきゃ大損。

 つまり、そういうことですか。

 仕入れる前と、売った後では、手元の現金は増えるか減るかで、同じじゃないような事。

種を播いて、うまく咲けばたくさんの種がとれ、うまく咲かないとまったくとれないときもある、なんて例を挙げる場合もありますね。

 いろいろ、例を挙げられそうですね。

考えてみてくださいね。

裏の裏が表に戻る形式論理の言う否定の否定と違い、弁証法の言う否定の否定は、螺旋的発展と言われます。

 登山鉄道でよくある、スイッチバックを連想しても良い?

ジグザグな変化も、よくたとえに使われますよ。

聖書に出てくる生きながら昇天なさったとされる方々は、霊による清めである否定の否定によって実質的な復活体となられたのかも知れないですね。

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幼子のように神を思うとは。素直とは?その2

幼子と動物の判断に、共通するものってあると思いませんか。

 そうねえ。

それは、いま自分が生きるために選んで良いことといけないこと、それがいま自分が何をすべきかを選ぶ基準ということです。
幼子であればあるほど、しつけは、自分に得になる、自分にとって有利に働くようにもっていける、そういう行動パタうンを身につけさせる事になるでしょうね。
これは、すべての動物にいえることではないのでしょうか。

 それがはっきりとわかる、良い例がありますか。

そのひとつは、シャチのショーなのです。

動物園や水族館で、ショーを演じているシャチは小魚を主食とする文化の群れから来ているのです。
まちがっても、アシカや、オタリア、ペンギン、という顔ぶれを主食とする文化の群れからつれてきてはいけないのです。
それは、人間を味方にすると食いっぱぐれのない、安心できるところに住めるという文化を学びやすいのは、どっちかということです。

ほかの例としては、人の子でも、愛されて育ったか、愛を知らずに育ったか、ということがあるでしょう。
もちろん、一般的にいえば、愛を知って育った子の方が、新しい環境になじみやすいです。
ただ、愛を知らなかった子も、愛を知れば驚くほど変わる可能性はあり、幼子であればあるほど変わりやすいといえるでしょうね。

そこで、幼子も動物たちも、人の作った世界で生き残るすべを身に着けないとならないです。
人は何を考え、自分にどう振舞うことを求めているか、それをすばやく知り、すばやく応えること、これが賢く生き延びる道ということになるでしょうね。

「幼子のように神の国を受け入れる者でなければ、けっしてそこに入ることは出来ない」
イエスは、こういっておられます。

これ、つまりはこう言い換えてもよいのではないでしょうか。
神を味方にすると食いっぱぐれのない、安心できるところに住めるという、そう判断すると得になると悟ったほうがいいということです。
神は何を考え、自分にどう振舞うことを求めているか、それをすばやく知り、すばやく応えること、これが賢く生き延びる道ということになるということでもあるでしょうね。

そうなるとです。

幼子はもちろん、ネコやイヌなんかは、神の国に無条件に入れるってことでしょうか。

人も、良い意味で、ネコ目線、イヌ目線になったほうが神のおめがねにかなうってことでしょうか。

どうでしょう。

そういえば、イエスは「よき羊飼い」とよばれていますよね。

 一応、愛されて育ってよかった。

 その論理で行くと、水子も、神の国に無条件に入れそうですね。
 わたしの兄弟姉妹となるはずだった、流産した子達が、この世とあの世の間で迷わずにいて、神の国に召されているのなら、本当に喜ばしいです。

そうなるかも知れませんね。

 良い話を聞かせてくれて、ありがとうございます。
 その子らの状態が心にずっと引っかかっていたのですが、心が安寧になりました。
 本当にありがとう。

 今度、墓参りするときに、そのことを心しながら、頭を垂れてきます。

気持ち、落ち着きましたか。

 大人になるにつれて、色う欲も出てくるし、 面子も守りたくなるし、義理もあるしで、 そのとおりに生きていくのは難しいですからね。

人はなまじ知恵や知識をたくわえてしまうので、それに頼ろうとして、かえってドジを踏んじゃうのかも。

 今日のお話、すうっと、心に響きます。
 子供の頃から私は、どうやって暮らせば、どういう方法を選べば、自分が生き易いか、協調をたもてるか。
 そんなことを考えていたような気がします。

 おかしな子供でしたねえ。

そんなことないでしょ。

 これは母からではなく、亡くなったおばあちゃんからの教えというか…。
 童話や寓話を寝物語に聞き、たとえ話をよくしてくれていたの。
 そのせいなのかなって思えて、仕方ないのですが。

 その話を聞いている側には、必ず猫がくっついていました。

従うほうがいい相手をちゃんと見定め、その相手にいかに上手にそうか、自分の弱さを知るものは、生まれながらにわかってるっていうことでしょうかね。

さすが、猫…。

 大人の観点で物を考える方が、間違っていたりしますよね。
 大方のこと。
 子供の観点の方が、どれだけ正しいか知れません。

たしかに、大人って事実のほうより都合を優先しちゃいますね。

 先日京都で涅槃図を見てきましたが…。
 入滅するお釈迦様の一番近くの周りにいる神様やお弟子さん達は、それぞれ嘆き悲しんで身をよじらせているんです。

 その下にいる動物たちもお釈迦様の方を向いてその死を嘆いているのですが…。
 一番下の方にいる犬や猫、鹿やイタチは静かに目を閉じているのです。

 最後の経は、法華経といわれているけどねえ。
 実は入滅寸前に、お釈迦様は本当に最後のお経を唱えているそうです。

 目の前の死を嘆き悲しむのでなく、その教えを静かに聞こうとしているのは、一番遠くにいる動物たちのように見えました。

 心を無にして入ってくるものを自然に全部受け止められるのは、そうした者たちなんでしょうね。
 
 時に、ネコ目線になることって…。
 いいことだと思います。

受け止め方はそれぞれですね。

素直に現実を受け止められる、そういう心になれることは大切です。

でも、自分の心もまた現実です。

いかり、とまどい、かなしみ、そんなときは乱れた心も無理せずに受け入れ、心の静まるのを待つしかないです。

今を前向きに見る心になれること、難しいけど一歩一歩、たとえ少しずつでもそうなりたいものです。

困ったとき、苦しいとき、祈って心を落ち着かせたほうが良いでしょうね。
困ったときの神頼み、たとえ困ったときだけであっても、祈るのは良いことと思いますよ。

落ち着けたら、感謝の祈りをささげる、これしかできないちっぽけな自分を意地を張らずに受け入れる、これさえ忘れなければ良いのではないのでしょうか。

それしかやりようも、いいようも、今の私にはないです。
 
 深い話題ですねえ。

 人間は、大人になっていくにつれて、本当は必要ないものや不要なものを手放せなくなる性質があるらしいですよ。

 ワナに掴まったオランウうタン状態ですねえ。
 霊長類より、猫の方が神の国に入りやすいのでしょう。

 私は毎日16匹の猫たちに、鍛えられてるらしいです。

そういえば、エジプトや日本で動物神信仰ありますねえ。

 犬や猫は善悪の判断ができないので、無条件で天の国に入れそうな気がします。

 人間はたいへんですよね。
 天の一番高い所に行く可能性もあるし、地獄の底に行く可能性もあります。
 私も地獄行きにならないように、がんばりたいと思います。

 神様は、私達人間を愛してあわれんでくださいます。
 悪魔は、人間にちょこっと餌を与えておいて必ず裏切ります。
 ここらへんを悟って、日う生きていかねばなりません。

ついていると思えるときほど、謙虚さと感謝の気持ちを忘れたくないですね。

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河童巻き。

海苔巻きのお寿司に、胡瓜(きゅうり)を巻いて「河童巻き」となずけられたものがあります。
河童が胡瓜を好き、と言う俗説に基づきます。

 何で河童は胡瓜が好きなの?

意外と思われるかもしれないけど、胡瓜は牛乳より柔らかいのです。
これは、体積中の水分量を比べるとそうなっちゃうのです。

 つまり、胡瓜はまるごと食べられる水筒ってわけですね。

でも、どうも理由はそれだけではない、っていうより別にありそうです。

俗に木瓜(ぼけ)の花や、胡瓜の切り口の図案化といわれる紋とされている、木瓜(もっこう)から来ているとわたしは見ます。
この木瓜紋と言う呼び名は、日唐貿易の際、唐から輸入された御簾(みす)や御帳(みちょう)の周囲にめぐらした絹布の帽額(もこう)に付けられていた文様であったところから出たのです。
帽額は、帷(かたびら)のように表面に襞をとりながら掛ける、御簾の上部、上長押(うえなげし)などで横に長く引きまわされている一幅の布で、額(ひたい)の部分に当たる横幕のことです。

帽額に付けられたところから、帽額くわ紋(もこうかもん)で略してモコウと呼ばれていて、 この横幕に付けられていた文様が「窼(カ)紋」です。
「窼(カ)紋」とは、本来は「窼(カ)」と呼ばれる鳥の巣を象ったものといわれます。
「窼(カ)」とは地上に巣を作る鳥の巣で、樹上に作られたものを巣と書き表しました。
奈良朝期モダンな文様として衣服や輿車に用いられているのが、絵巻物などに見うけられます。

河童の正体の一つは、厄除けの人形(ひとがた)である案山子のような姿をした天児(あまがつ)が、両腕のつながった木の人形と言う言い伝えから想像できます。
河童は、おそらく沙良双樹(さらそうじゅ、または、しゃらそうじゅ)のような霊的な樹を加工して作られた天児が宗教的ルーツです。
それに、木瓜自体も「きうり」とも読めます。

木工=もっこう=木瓜=きうり=胡瓜

そう、河童は胡瓜が好きなのは、河童が木工の人形だと言っているのです。
それも、樹から出来ているばかりか、生きている人形が、河童だというのです。
これは余談ですけど、生きている、つまり生命を持っている樹とくれば、生命の樹と言い換えても良いかも知れないです。

 生命の樹といえば、カッバーラ。
 河童の語源だったりして。

飛鳥昭雄や三神たけるは、カッバーラが河童の語源といってますね。
 
河童の正体に厄除けの人形(ひとがた)である天児を想定した理由の一つが実は、「胡瓜封じ」や「胡瓜祭」です。
「胡瓜封じ」は、弘法大師が唐から伝えられた秘法で、免疫を胡瓜に封じて、不動尊に祈願すると疫病除けになると、大師が説いた事が始まりとされているのです。

弘法大師は一切衆生の病苦、悪業の根を断ち切って、病苦を和らげ、業病、難病からのがれ、丈夫で長生きし、安楽に往生できるようにとその願を込め不動尊を祀りはじめました。
そして、胡瓜封じの秘法を残したのです。
これは、薬では治せない病気を治してしまうとされているのです。

胡瓜封じを行うには、まずお寺で胡瓜をいただいて、お加持が済んだら胡瓜をいただきます。
いただけるのは、一人一本なようですね。
胡瓜に護符を埋め、加持をしてもらった胡瓜を家に持ち帰り、自分の悪いところを三日間その胡瓜でご真言を唱えながら撫でます。
そして、4日目の朝に疫を移しとった胡瓜を、川に流すか、人の踏まない清浄な土に埋めるかして悪いものを祓うのです。

ま、それはともかく天児などが河童の両腕が繋がっていると言われるモデルの可能性は高いと思えるのです。
天児を連想したわけは、実はもう一つあるのです。
河童のモデルになった生き物がカエルに似た両生類とすれば、水に全身をつけて禊をしたり、相撲をとったりしてるように見えるのです。

相撲も、本来は神前に奉納された行事です。
つまり河童自体が意外と宗教的性格を帯びた、妖怪だと言うことです。

皿についても、思い当たることがあります。
ちょっと話は前後するけど、仏教の象徴の中に、紗羅双樹があります
紗羅双樹は、「二本で一本・一本で二本」の樹で、天児の腕そっくりです。
この紗羅が、皿の元かも知れないです。
その上、水に関係ある聖なる獣とされる生き物にスッポンがいます。
このスッポンから甲羅を、それからしばしば描かれる嘴も、受け継いだのかも。
これは、どこまでも私の意見ですけど…。
でも、カエルに似た生き物から、皿のある姿に、そして甲羅のある現在の河童へとイメージが展開したのは確かなようです。

カエルの親のような生き物が、河童の生物学的正体とすれば、一方では河童にも、社会的な正体もあると思うのです。
すなわち、社会の片隅に生きる人々もまた、河童の姿に投影されていると見えます。
これはまだまだ、歴史の霞に覆われています。

 面白いですね。

面白がってくれて、ありがとう。

 河童て、天狗の変り種と思ってました。

河童と天狗の関連は、疑ってます。
情報を探してるのですけどねえ。

 河童と天狗の関連も、期待してます。

 カエルも河童も胡瓜も、緑ですねぇ・・・。
 天狗は・・・ありゃ…?

河童の起源にまつわる話のなかに、天狗との接点はあるのかも。

 河童巻き一つでも、こんな歴史的背景があるなんて… 。

 ちなみにあたしは河童巻きはマヨネーズとポン酢を混ぜたものにつけて食べるのがお好みです。
 それが、美味しいのなんのって、美味しいの!

ま、これが正解かどうかはともかく、いろんな情報から連想は膨らんだのはたしかですね。

 仮説って、こうやってたてていくんですね。
 すごいです!! 

 その柔軟な考えは、やっぱり引き出しをたくさんもっていなければ出来ない技ですよね。

 特に胡瓜封じのお話は、とても興味深いです。

 胡瓜って殺菌作用があるんでしたっけ? 
 女性の場合って私だけ?
 美白効果もあったりするので、お顔にペタペタ貼ってパックなんてしたりしますよね。
 
 魔よけと殺菌作用と、結びついてしまった私です。

 やだ、恥ずかしい…。

ヒマラヤ山麓周辺原産といわれる胡瓜は、 ビタミンBとCが豊富で、カリウム、カルシウムなども含みますよ。
成分の約95%が水分で、体の熱をとったり、利尿作用もあります。

効能としては、浄血作用、利尿、むくみ、消炎などです。
日焼け後の炎症の場合、輪切りにしたものを湿布すると効果的ですね。

この浄血や利尿作用は、体内の浄化につながるので、魔除けを連想されることはありえるかも。

美容効果としては、胡瓜の養分には肌の健康を保つ効力があるとして知られます。
その含水性、収斂性、栄養分には驚くべき美肌効果が認められ、しかも、冷却性もあるので、特に日焼け後のお肌のほてりや乾燥したお肌に効果的だそうですよ。

その他にも胡瓜には、保湿作用や美白効果があります。
お肌に水分を与え、皮膚の表面の熱を吸収してくれるので、日焼け後の肌やニキビの鎮静に特に効果的だそうです。

 胡瓜を買いこんで、体内浄化で魔よけをしようかしら。
 横道にそれてしまって、ごめんなさい。

鮮度には、注意してくださいね。

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恐竜はミルクを出すか。 どこへ向かうか、恐竜研究。その3

鳥のいくつかの種では哺乳動物のように、こどもは特別な分泌物を親から与えられて育つのです。

 特別な分泌物って、ミルクのことでしょ。
 でも鳥のこどもは、哺乳動物とは異なって、母親だけではなく父親からも、もらうのでしょう。

 鳩がひな鳥に餌をやるハト乳なんかは、代表的な例ですよね。

ハト乳のように鳥が出すミルクは、「Crop milk」とよばれるのです。

 鳩以外にも、フラミンゴ、インコ、オウムも出しますよね。

 Cropは、嗉嚢(そのう)のことでしょ。
 Crop milkって、嗉嚢ミルクってことね。

 嗉嚢は、胃の一部ですよね。

嗉嚢は、食道の一部が変化したと解釈されるのですね。
鳥の胃は、嗉嚢と腺胃と筋胃の3部位に分かれていて、食べたものは嗉嚢に貯蔵されるのです。

鳥の消化器系について、おさらいしておきますね。

口は、唾液は分泌しますが、歯がないです。
消化能力にはあまり影響を与えず、水分添加が主な働きと言われるのです。

 じゃあ、雛に与える前に口の中でも多少食べやすくなるのね。

口から胃までをつなぐのは、食道です。

 これは、私たちと同じね。

途中に、嗉嚢が、ありますけど。
嗉嚢は、「餌袋」とも呼ばれる食道が袋状になった部分です。
単なる餌の滞留袋であって、消化吸収にかかわる作用はしないとされるけど、穀類をふやかす作用をしているとも言われるのです。
湿気と温度が微生物の繁殖を誘発しやすく、炎症を起こしやすい器官です。

 ここから、鳩などの嗉嚢ミルクが出るのね。

嗉嚢は、鳥類のうちでも特に、穀物や生肉を多食する種類に見られるそうですよ。

 果肉を好む鳥には、嗉嚢は余り発達してないのね。

そうなのかも。

鳥の胃は、腺胃と筋胃にわかれ、前胃と後胃とも呼ばれるのです。
腺胃は、酸とペプシンからなる胃液を分泌して、餌と混合して後胃に送ます。
吐き戻しする餌は、腺胃で作られ、吐き戻されるのです。

 吐き戻しの餌は、前胃から酸とペプシンと一緒に雛に与えられてるのね。

後胃は、「筋胃」「砂嚢」「砂肝」などとも呼ばれるのです。

 砂肝って、胃の一部だったの。

筋胃の名の通り強い筋肉で囲まれ、ここで化学的な消化が行われるのです。
ここにはケラチン質の堅い部分があって、粒餌をすりつぶすのです。

 粒餌って、穀物の実や、そのひき割りを原料とした鳥の餌ね。

堅い穀物餌は、筋胃には貯えられているグリット(grid)を利用して粉砕します。

 グリッドとは、鉱物質のものですよね。

 胃石のことでしょ。

 銃から出た鉛球を呑んで、鉛中毒になる鳥がいるって聞いた。

 道端で何もないところついばんでるのって、石呑んでるのね。

特に小鳥は硬いものを磨りつぶすことができるように、グリッドを停滞させて強力な筋胃を持っています。
 
 それで軟らかいものばかり食べると、胃の機能が障害をおこすのか。

筋胃は、穀食鳥では非常に強力だけど、果食鳥ではあまり発達していないのです。

 それって、嗉嚢ミルクの代表がハトミルクと思われてきたことと関連ありそうね。

 胃石のある恐竜化石も出たでしょ。
 ミルク出してたのかなあ。

出してたかも。

 こどもの未熟な胃には、吐き戻しても堅い食事は無理でしょ。

小腸には、膵臓が生産した膵液と肝臓が生産した胆汁が分泌されるのです。

膵液と胆汁を利用して、小腸で化学的消化と吸収が行われるのです。
インコ類では、胆嚢がない種類もあります。
膵臓は、ループ状の十二指腸に挟まれた形になってるのです。
肝臓は2葉あり、ヒト同様最大の臓器です。
 
 十二指腸、鳥にもあるのねえ。
 肝臓が二葉になってるあたりも、ヒトと同じ。

 そういえば、骨も鳥類と哺乳類と恐竜は構造が似てるのでしょ。

鳥の大腸は非常に短いけど、排泄物を貯えて重量が増加することを避けるためです。
消化吸収を終えた残留物は、ただちに糞として排泄されるのです。

 上を見て鳥がいたら、注意しないと糞が来るのはそのため…。

嗉嚢ミルクは、鳥の嗉嚢の粘膜上皮細胞が膨張して破裂し、栄養分を作りこれを逆流させているのです。

 雛を養育している鳥は、嗉嚢ミルクを出しますよね。

 哺乳類の母乳が、血液から作られるのと違うのね。

哺乳類は、母乳を飲ますことで子を育てるところからついた名前ですね。
猫や犬やヒトのような有胎盤類と、カモノハシやハリモグラの単孔類と、カンガルーやコアラのような有袋類とで、構成されるのです。

種全てが哺乳行動をおこなうのは、哺乳類だけです。
 
 鳥のミルクって、全部の鳥で出るわけじゃないのね。

母乳は、乳腺から分泌され子に与えられるのです。
乳腺は、汗のでる汗腺が発達したものです。

汗の成分は主に水分と脂肪などの油成分で構成されるが、母乳はさらに蛋白質を含んでるのです。
蛋白質は、肝臓で作られたものです。

 肝臓の構造とかDNAは、男女間で違いはないのでしょ。

ホルモンの働きの違いにより、女性のみ母乳を生成することが出来ます。

ハトミルクに代表される嗉嚢ミルクは、非常に栄養価が高いです。

ある研究によると、ハトミルクに代表される嗉嚢ミルクを含んでいる飼料を与えられた雛は、嗉嚢ミルク無しの雛より16パーセント重かったという実験結果だったそうですよ。

嗉嚢ミルクは、牛または人間のミルクより、多くの蛋白質と脂肪を含みます。

嗉嚢ミルクは、孵化のあと2週間以上、両方の親が雛に与えます。

 雛は数日間、嗉嚢ミルクだけで育つのね。

 鳩や、フラミンゴ、インコ、オウム…。

ええ、鳩や、フラミンゴ、インコ、オウムなどの雛は、昆虫をもらわないようです。

代わりに鳩乳に代表される嗉嚢ミルクで、成長に必要な蛋白質を得るのです。

 ペンギンの子育てで、良く見るペンギンミルクって違うの。

ペンギンミルクは、胃の内壁が剥がれて、 胃液と胃粘膜が混ざった物です。
白いので、ミルクといわれます。
オスは生まれてすぐ餌をねだるヒナに、数ヶ月前に食べて溜めておいた胃の残留物を与えます。

ペンギンミルクは、胃の蓄えがなくなった後に出るもので、ハトなどのミルクとは違うのです。

 そうなの。

 でも、骨の微細構造が鳥と哺乳類と恐竜が似ているでしょ。

 子育てでも、恐竜と鳥が似ていて、胃石まで共通なんて。

マイアサウラ (Maiasaura)ですね。

 マイアサウラという学名は、「良い母親トカゲ」という意味でしょ。

体長は8から9mの、白亜紀後期の北米に生息していた鳥脚類の恐竜ですね。
恐竜の中では初めて、子育てを本格的に行なっていたという証拠があったのですよね。

 マイアサウラって、羽毛で知られるデイノニクス(Deinonychus)とともに恐竜恒温動物説を支持するものとなった。
 デイノニクスは“怖ろしい鉤爪”の意味でしょ。

 やっぱり恐竜も、ミルクだすのいるよね。

化石には、なかなか残らないけど、もしわかったら面白いですね。

 マイアサウラは、自分で卵を温めたと思われていなかったでしょ。

「良い母親トカゲ」の名前のように、体毛は無いと見られてきたからです。

体毛のある恐竜がどんどん見つかる以上、抱卵するマイアサウラは近いうちに常識になると思いますよ。

追記

面白い情報がありました。

きちんと立体構造を保ったままの軟組織が確認できる、恐竜化石が出土しているそうです。

皮膚の鱗模様がくっきり、クチバシのケラチンもしっかり、わかる状態といいます。
放射線を利用した透視写真では、腸や肝臓、胃、嗉嚢まで写っているのですって。

出土場所や、恐竜の名前まで、その記事にはないので、さらに情報を集める必要はありますけど。

恐竜はミルクを出していた、そう言い切れるところまで、また少し近づきました。

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