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門松

門松は新しい年を迎えた寿ぎの徴で、四季の節目を色どる行事の象徴です。
門松を門の両脇に立てる時期は、十二月二十六日から二十八日の間です。

門松を立てるのを避ける日は、二十九日や三十一日です。
二十九日は、『九松』(苦待つ)と言って縁起の悪い日を避けるのです。
三十一日は、葬儀の準備と同じになる『一夜飾り』です。

二十八日がだめなら、三十日に立てると良いです。

門松をおろすのは、基本的には松の内一月七日を過ぎてからとされます。
三が日の一月三日過ぎでも、良いようです。
大抵は、正月六日の夕方に取り払うことが多いです。
そのため、六日までを大正月または松の内と呼ぶようになりました。
門松は、遅くとも十五日には取り去りました。

七には、陰陽五行の陰陽の二と五行の五をたした七や、神代七代は、当然考えられます。
ただ、北斗七星の七、生命の樹の説もある七枝刀の七、七曜の七、天地創造の七も連想できるとの突っ込みもありかです。

一般に一月七日は七日正月(七草の節句)、十五日は小正月(二番正月)、二十日は二十日正月と呼ばれ、それぞれに祝う風習が残ってるのです。

門松を立てておく期間を、「松の内」と言います。
松は千年の齢を保つという伝説にちなんで、新年に長寿を願って飾ったそうです。
千年というと、鶴の千年や、聖書にでてくる神の千年王国もあるぞ、なんてちゃちゃも入ったりするのでしょうか。

門松は、一種の雛と言えます。
門松を左右一対の立てるのは、オス松とメス松があるからです。
正面から見て左側にオス松を、右側には細くて葉の短いメス松を立てるのが正式です。
左に陰、右に陽を配する、陰陽と逆さにみえるってかです。
内側からみれば、オス松は右の、メス松は左の、配置になります。
それに陰には陽を、陽には陰を、配するのも陰陽合一という陰陽道の規則なのです。

古くは、木の梢などに神が宿ると考えられていました。
門松はその依代として、そこに年神を迎えて祭るためのものでした。
依代とは、神霊が出現するときの媒体となるものなのです。

正月の年神祭りは、非常に重大な儀式です。
年神は、農耕の神様でもあり、年神様を迎えもてなすことで、一年の豊作を祈願するのがお正月の意味合いです。
しっかりと年神をお迎えしないと、その年は不幸になると信じられ依代としての門松は欠かせないものでした。
門松などのような特定の枝葉や、花・樹木・岩石、あるいは形代・よりましなど種類が多いのです。

門松の飾り方の種類は、数十種もあるそうです。

本飾りは孟宗竹を斜めに切って松の木を添え、注連をかけた豪華な飾り方です。

一般の家庭では、松の小枝を門口の両側につけ、輪飾りをかけた簡単なものが使われています。

門松や注連飾りなど、正月の飾りつけを行う風習は全国各地に残されています。

歴史を辿っていくと唐の時代の中国で、長寿を象徴する松を家の門に飾ったのが始まりとされています。

平安時代末期から、門松は正月になくてはならない風俗として普及していました。
室町時代には更に万年の長寿を意味する竹も添えられました。
鎌倉時代から、竹をいっしょに飾るようになったと言います。

その後「門松」の名の通り松だけを門に付けるものが出てきました。
竹を組み合わせる方法が出てきたのは、江戸時代頃とされます。
この風習は民間から広まったものなため古来京都の上流社会では行わず、今でも皇居には門松は立てないと言います。
伊勢市や富山県など、地域的に門松を立てない地区もあります。

新年を祝って立てられる門松は、松飾り・飾り竹・立松などとも呼ばれ松と竹で作ります。
門松には松とは限らず、榊・栗・楢・椿などの木も使われることがあります。
常緑樹であれば、何でもよかったようですねえ。
これ、常若思想の表現といえます。

緑といえば、クリスマス飾りでイエスの体の象徴とされます。
あ、そういえば、赤い飾りのつく門松を見ることがあるけど、あれって地域によっては古くからあるのでしょうかねえ。
もしそうなら、緑と赤、まるでイエスの肉と血、となるのですよ。

松迎えは、門松にする松を山へ切りに行く行事です。
来年の年男が来年の恵方、つまり、来年めでたいとされる方角にあたる方位の山から切って来ます。

たとえば、多摩地方では、山から松や青竹を切ってきます。
家の錠口(じょうぐち)、つまり家の入口の両側に杭を打ち、松と竹を縄で結びつけます。
根元には松の元、太いところで割り薪を作り、三本を三方向からたてかけます。
この薪は鬼うち蒔と言われています。

門松は三ヶ日が過ぎると取り除き、杭の穴に、松の真をさして、鬼うち蒔で三桁の枠に囲んでおきました。
鬼うち薪は、一月十四日の若餅つきに燃蒔(もしまき)で使う習わしです。
門松は、塞の神の材料に子供達が道祖神の所に集めました。

室町中期の僧、一休(1394~1481)のこの歌はあまりに有名です。
「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」
この歌の門松も、常緑樹を使う古来の流儀かもしれないですね。

常緑樹を用いるあたり、クリスマスの緑、すなわち“イエス”と共通するところもあります。
門松にはメス松とオス松とがあり、陰陽太極で月と太陽に対応しているようにおもえます。
おもしろいことに、イエスは“義の太陽”の異名がありますね。
なら、旧約の姿を見せないヤハウエは陰で月にあたるとなるのか?なんてです。

門松は、正月明けにほかの正月飾りと共に燃やされます。
火と水の違いこそあれ、身代わりの雛としての存在でもあったのかもしれないですね。

穢れを人々に代わって背負うとすれば、その姿もまた、イエスを連想させられますね。

飛鳥昭雄と三神たけるは、三つの柱と十の節に注目してカッバーラの奥義である「アダムカドモン」であるとの説を展開していますね。
ヘブル語でアダムとは始めの人、ならカドモンは何でしょうか。
「カド」が「値する」で「モン」は旧約に出てくる「マナ」の転化、「マナに値する」でしょうかね。

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コメント

とても良く研究して、素晴らしい!
ですが、ここまで調べていながら、私「島田風」の先祖が判っていません。
古事記を読んで下さい。
人名の所に(私の)先祖→イザナミ→神八井耳→が書いてあります。
では、この次は誰か?
静岡県の島田市にあります。
大井川を挟んで、左側(金谷)が私の先祖です。金谷とは、金の五行の事です。
五行表を確認して下さい。
金谷は→中国の洛陽にあります。
洛陽は→周王朝(武王、これが私の先祖)→大井川→島田。←右側の島田が私の家です。
漢字は、私の家が開発した文字です。
日本の文化が(ハンコ)の文化なのは、漢字には、私の家の事が(ハンコ)で押してあるからです。
例えば、醤油→酉と言う漢字が入っています。この酉は、五行の(干支)で、金の五行です。
島田が、大井川→で、継承しているのが、この(金)の谷と(水)の五行です。
酢。酒→酉のハンコです。
私は、群馬県多野郡万場町の出身です。
この上野村に(御巣鷹山)があります。
ここから→羽の付く人名。
爪→稲の右側の上は→爪です。→浮などの字を持っている人達。
左側→(金谷)は、古い。老いた。
左側。よって→古川。老川。左さん、など。
右側→(私、島田風)は、新しい。若い。右側。よって→新井。新田。若田。若山。右田さん、など。が派生しています!
世界中の地名や、人名は、私の先祖が命名しています。
よって→モンブラン→門豊蘭。
モンサント→門山戸。
ダニーさん→田 丹さん。
アンさん→安さん。
安も山も、私の家の屋号です。
万は、群馬県の万場町の万です。
サウジアラビアの皇太子→サルマンさん→申万さんです。
冗談ではありません。
名前が先のヨーロッパや、アフリカは皆さん私の先祖が命名しています。
当てはめて見て下さい。
日本の天皇一族が(偽者天皇)で、嘘つきだから、世界中の初めが見えないのです。
大井川の左側(陰)右側→島田、は、エジプト学の先生も(ホルスの目)すなわち、太陽(陽)→門松は、このように、飾ってあります。
大井川と、私の家を調べれば、世界中の歴史が太陽光になって、明らかになります。
よろしくお願いします。
島田風。

投稿: 島田風 | 2016年12月29日 (木) 19時42分

すごい情報をありがとうございます。

漢字を作ったのは日本人である、少なくとも、日本人の祖先であると言う説は、何度か読んだ覚えがありますけど、まさか、その子孫を名乗る方から書き込みが来るとは、思ってもみなかった展開です。

投稿: cova | 2017年1月 5日 (木) 16時07分

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