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春餅

「春餅」というのは正月に食べるものだけど 巻いて細長くしたのを食べるのです。
これは蛇に見立ててる。

日本の鏡餅にも、ずばり蛇に見立てたものがあるし、鏡餅自体にも蛇のトグロ説を唱える人がいますよ。

また、中国では端午節には「五毒餅」を食べる地域もあるそうな。
これは、餅をヘビ、ガマガエル、サソリ、ムカデ、トカゲの形に作って食べるのです。
春餅も五毒餅も、悪いものを食べてしまって健康を願うという意味なのです。

まさに、陰極まりて陽という、陰陽そのものといえます。
五毒の五も、五行との対応が想像できます。

これは中国人独特の感覚なのでしょうか?

感覚、感性という点ではそうですね。

面白いでしょ?

お国柄が、うかがえて興味深いです。

日本の鏡餅を白蛇に見立てるのは、白蛇は神聖なもの、神の使いという意味があるのでしょうか。

陰陽では白には、死と光の意味があります。
聖書には、自ら光を放ち、死に意味を与えられた、ただ一人の人、イエスがおられます。
さらに、出エジプトでモーセが掲げた癒しの青銅の蛇は、十字架のイエスの予形と聖書解釈ではみなされるのです。
つまり、白蛇はあらゆる意味でイエスとイメージが重なる存在ってことですね。

中国の春餅の蛇は、毒のあるものという考えのようだから。
似て非なるもののように思えるのだけど・・・。
でも、神と魔の境は混沌としている部分があって…。
共に妖しいものと捉えれば同じなのかしら?

それが、陰陽の複雑で奥深いところです。
聖なる蛇=陽
毒蛇=陰

陽極まりて陰であって、陰極まりて陽であるということです。
薬も使い方で毒となり、毒も使い方で薬となる、ようなもんです。
なにごとも、程度が問題、節度が大切、ってことでしょうか。

毒蛇であっても薬になるのは、マムシ酒でわかるでしょ。
また、毒をもって毒を制すともいいます。

でも、神と魔の境は混沌としている部分があって…。
共に妖しいものと捉えれば同じなのかしら?

陰陽からいえば、神と魔とは、寄り合わせた糸のように分かちがたいものなのです。
わたしが、悪魔も本来神であり、その本来の悪魔にサタンは含まれないと主張するのもここに理由の一つがあるのです。

神を妨げ、神に逆らうサタンを退ける法はただひとつ。
ひたすら神に祈り、救いと導きを求め続けること、これしかないと私は思っているのです。

 神を真に受け入れるなら、悪魔の存在をも受け入れなければならない。

聖書もコーランも、そう主張する点で吉祥天と黒暗天にそっくりなのは面白いです。

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