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2008年3月

ケネウィック人縄文人アイヌ

以前、聾唖者の女優が中央アジアを訪れる場面が放送されたけど、遺伝子がそっくり人が先住民にいると言うので尋ねていったわけです。
ちょっと彼女の顔が気になって、名前と画像で検索かけてみたのです。

そしたら、2003年3月からフジ系列で放送されていた番組でした。

サイエンスミステリー「それは運命か奇跡か!? DNAが解き明かす人間の真実と愛」

DNA分析の結果、女優・忍足亜希子と同じタイプのミトコンドリアDNAを持つ人が、中央アジア・カザフスタンにいることが判明した。
その人の名前はエルミーラ。アクタストゥという村で暮らす、26歳の女性だ。
忍足はエルミーラさんに会うため、東京から遥か5500キロ離れたカザフスタン・アクタストゥ村へと向かった。
http://www.fujitv.co.jp/dna/chap3.html

広義のシルクロードは、ステップルート・オアシスルート・南海ルートに分けられます。
カザフスタンのある天山山脈の北のルートはステップルートに当たります。
ステップとは木のない大草原のことで、ステップルートとは大草原の道ということです。

ステップルートは、草さえあればどこでも通路なのです。
どこでも通路になるわけですから、中華帝国のような農耕民族の勢力は及びようもなく、歴史書等にはほとんど登場しないそうです。
もちろん、オアシスルートのように定まった経路はなく、現在のルートが整備されたのは18世紀の清の西進や、19世紀ロシアの東進があってからです。

ステップルートは、スキタイから匈奴、突厥、モンゴル等の遊牧民にとっては、北はシベリヤのタイガの南、南は天山北ルートからより北、北緯50度前後に広がるカザフ平原からモンゴル平原までの地域全体を指しているのです。

ところで、忍足亜希子は昭和45年(1970年)6月10日北海道千歳市生まれです。
忍足の顔立ちはどちらかと言えば彫りの深く端正な縄文系で、アイヌもまた縄文系であることを思えばアイヌに似た顔立ちといわれるケネウィック人のいたアメリカに繋がるわけです。

私は、これで思い違いをしていたようです。
しかし、こうなると忍足の顔がケネウィック人的ともいえるわけで、中央アジアにケネウィック人的な人々がいたという連想というか、妄想というかに、駆り立てられます。

ケネウィック人の発見は、1996年6月28日のことでした。
コロンビア川の河畔で大学の競漕を観戦していた若者が人骨を発見し、警察に通報しました。
検死の結果、先史時代の人骨とされ研究機関に送られたのですが、これが騒ぎの発端でした。
ネイティブ・アメリカンの文化を尊重し、開拓時代以前の人骨は彼らの流儀で埋葬しなければならないと定めた法律があったためです。

9300年前の人骨であり、なおかつ現在知られるネイティブ・アメリカンに属さないという説が発表されたのです。
それで、研究を中止し埋葬するよう地元の部族であるウマティラ族の代表によって訴訟が起こされました。
しかし、裁判所は原告の主張を退け、研究の続行を許可しました。

いろいろな経緯はありましたが、全身の骨が回収され、中でも頭蓋骨はほぼ完全であったそうです。

ケネウィック人がどの人種であるかは、現在も結論を得ていないといいますが、科学よりも政治に振り回されたからのように見えます。

白人の研究者は、「白人である」と主張しています。
日本の研究者はむしろ「縄文人或いはアイヌ民族に近い」と言う説を出しています。
「ケネウィック人もネイティブ・アメリカンと完全に同一だ」と言う説も、一部ながら存在します。

しかし、アイヌには面白いエピソードがあるのです。
アイヌが白人だという説が、ヨーロッパで関心を呼んだという時期があるのです。
ロシアにいた白人が、大陸から追い出されて北海道に逃げ込んだのがアイヌだという説までたてられたのです。
いまでは、アイヌの血液のたんぱく質の多変量解析の結果から、アイヌは明らかにモンゴロイドに含まれると判断されているのです。

つまり、ケネウィック人がどんなに白人的でも、アイヌが縄文人の子孫である以上、縄文人のご親戚である可能性はありえるといえるでしょう。
明治維新前後日本に来た欧州人の中からも、日本にはブリティッシュ的な顔立ちの人々がいると出版物を通じて欧州に伝えたひとがいるのですよ。

さらに、ここで注目したいのは、ミトコンドリアのDNAの比較から古代アメリカと日本の関係が、あらためて確認できてきたことです。
ミトコンドリアDNAのタイプのことを、ハプログループといいます。

人のミトコンドリアDNAのタイプであるハプログループには、80パターンがあります。
日本の主なミトコンドリアのDNAは、そのうちの16タイプ。
日本人のルーツ探しに大きくかかわるのは、この16のハプログループだそうです。

 主なということは、少数派も含めれば、もっとあるのでしょう。

16のDNAパターンは、以下の通り。

A、B4、B5、C、D4、D5、F、G、M7a、M7b、M7c、M8a、M10、N9a、N9b、Z

日本と古代アメリカでつながるのは、ハプログループのなかのAグループとDグループ。
古代アメリカでは、先にAグループが多かったのが、次第にDグループが増えたというのです。

もし、この古代アメリカで先に多かったAグループがケネウィック人であり、縄文人であり、今のアイヌとしたらどうなりましょう。

追記

近年の遺伝子研究では、アイヌと類似が指摘される沖縄の人々にDグループが多いと報告されています。

また、北海道縄文人集団にはN9b、D10、G1b、M7aの4種類のハプログループが観察されていると言うから、アイヌはDグループとみた方が自然なのかもしれません。

そうなると、年代的にはどうなるか、ちょっと気になる展開ですが。

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左馬

今回は、「左馬」(ひだりうま)を紹介しましょう。

「馬」の字が逆さに書かれている「左馬」は、天童で生まれた天童独自の将棋駒だそうです。

「左馬」は天童では、家の新築のときや商売を始めた方への贈り物として、福を招く商売繁盛の守り駒とされて重宝されているといいます。

天童の観光パンフレット「天童と将棋駒」によると、「左馬」はこう説明されています。

 左馬は「馬」の字が逆さに書いてあります。
 「うま」を逆から読むと「まう」と読めます。
 「まう」という音は、昔からめでたい席で踊られる「舞い」を思い起こさせるため、「左馬」は福を招く縁起のよい駒とされています。
 「馬」の字の下の部分が財布のきんちゃくの形に似ています。
 きんちゃくは口がよく締まって入れたお金が逃げていかないため、古来から富のシンボルとされています。
 馬は人がひいていくものですが、その馬が逆になっているため、普通とは逆に馬が人をひいてくる(=招き入れる)ということから商売繁盛に繋がるとされています。
 馬は左側から乗るもので、右側から乗ると落ちてしまいます。
 そのようなことから、左馬を持つ人は競馬に強いといわれています。

まあ、理屈と膏薬はどこにでもつく、その一例でしょう。

日本では、縦書きでは右から左に書くし、かつては、横書きも右から左でした。
この、右から左に書くというのは、ヘブル文字やアラブ文字でいまでもやっていることです。
このあたりも、日ユ同祖論が論拠にすることです。

ま、それはさておき、右から左は、進行方向になるから左馬は縁起がいいといったって、いいわけですよ。

それを、ごちゃごちゃ、理屈をつけるあたりが、胡散臭いです。

江戸時代は、しゃれ好きが多かったといえば、それまでですが。

馬は、もともと一文字「ま」の音でした。
最初に口を閉じて音を発するから「んま」、「ん」という文字がなかった昔は「うま」と表記したといいます。
だから、2音になったのです。
梅も同様で、「め」から「んめ」となって「うめ」になったのです。

江戸時代なら、「うま」も「うめ」も、きっちり2音で発音してたのでしょうか。

さあ、ちゃんと発音していたかどうか、疑問ですね。

五十音図は、意外なことに相当時代が下るまで、安定しなかったという指摘もあるのですよ。
幕末ころ、ようやく、今の姿に落ち着いたそうなのです。

つまり、当時の日本人がきっちり発音してたか怪しいって、ことです。

江戸弁も、「ひ」と「し」は混同しまくってました。

仙台駅の、このアナウンスも、かなり最近まで、有名だったようです。

 「しんでぃ~しんでぃ~おちるひとがしんでからおのりください」

もちろん、こういってるのです。

 「せんだい~せんだい~おりるひとがすんでからおのりください」

 「おちるひとがしんでからおのりください」

この言葉は、ほかの県でも聞いたことがあると、検索したら出ましたね、東北弁のくせでしょうか。

もし、発音が江戸時代になってさえ安定していなかったとしたら、ますます「舞う」は怪しいです。

逆さといえば、葬儀には逆さ事っていうのがありますね。
成仏を願う呪術として、逆さ事はおこなわれるわけです。

え?

左馬は縁起物、葬儀と関連つけるなんて、縁起でもないですか。

死は穢れで縁起でもないから、逆さ事で縁起よくするともいえるのですよ。

子午線で、北が子(ね)なら南は午(ご)です。
馬(うま)は、十二支では午(うま)と書きますが、十二支の循環では一番下に来るのです。

十二支は次のとおりです。
子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)

午(うま)は7番目ですが、一番目の子(ね)が時計の12時の位置にきますので、時計の6時の位置に来るわけです。

十二支の循環は、右回りです。
卯(う)から、辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)ときて酉(とり)までは、十二支を駆けてきた馬が逆さになりますね。
そこで、馬を上向きに描くと左向きになるともいえるのですよ。

さらに、陰陽では、上は陽で生に、下は陰で死に、配当されます。
下半分の陰、つまり、穢れた死の世界を早いとこ駆け抜けたいとの願いもあるのでしょう。

今よりもっとよくなりたい、今よりもっと上を目指したい、そう思うのは普通の感情ですよね。
あえて、下を駆け抜ける左馬で、縁起をよくしたいと願をかけるのでしょう。

ほら、左馬と逆さ事が結びついたでしょ。

さらにいえば、南の午(うま)は火にも配当されます。

馬に乗って、縁起の悪いことはみんな焼き払ってくれる清めの火をくぐり抜けたいという、思いもあるのかもしれませんね。

そうなると、罪をしょって地獄を目指す妖怪である火車(かしゃ)に代わりに乗ってほしいという、ちょっと虫のいい願掛けも入ってるかも。

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徳島になにが?

偶然見かけた興味深い情報です。

徳島新聞社や徳島放送によると、2005年11月15日と2007年01月10日、イスラエル大使が徳島を訪問していたといいます。
大使は空手の黒帯五段で、日本文化への造けいも深いです。
著書には、日本とユダヤの文明の類似性について論じた、2006年出版の「大使が書いた日本人とユダヤ人」があります。

目次を見るとこういう内容だそうです。
第1章 武士道精神とユダヤの人生哲学
第2章 自害、切腹の考え方には深い理由がある
第3章 神道とユダヤ教
第4章 男系男子を貫く皇室と祭司の家系
第5章 日本における古代イスラエルの伝承
第6章 民族を結ぶ三つの糸をたぐる
第7章 日本人とユダヤ人―その過去と現在の暮らしを見る

イスラエルのエリ・コーヘン駐日大使夫妻が訪問した先は美馬市です。
目的は、古代人がしるしたとされるペトログラフが見つかった遺跡などの視察です。
「ぺトログラフ」とは岩石に刻まれた古代の文様です。

美馬市で見つかったペトログラフが、古代シュメール文字に似ていることからイスラエル民族とのつながりがあったのではないかいうのがその理由です。
同市穴吹町口山にある指定文化財の石積型神殿「磐境(いわさか)神明神社」が、問題のぺトログラフの見つかった場所です。

磐境神明神社の遺跡は数千年前に建てられたといわれる積石の祭祀遺跡で、高さ1・2mほどの長方形の石垣で囲まれています。 
大使は、神社を管理している武田大三郎さんや神主の南郷源一さんらの話を聞きながら、遺跡や岩に刻まれた文様をじっくりと見てまわったそうです。

大使は社殿を囲む石積みを見た感想を、こう述べたといいます。
「ピラミッドなど、きれいに加工した石を積み上げるのが普通。自然の石を積み上げた祭壇は、ユダヤ教の神殿とこの神社以外で見られない」

なお、大使の訪問先には剣山もあります。
この山には一時、発掘隊が組織された時期もありました。

なぜ剣山かというと、知ってる人はなるほど!って思うかもしれないです。
剣山の頂上には宝蔵石、鶴石、亀石という3つの大巨岩があります。
ま、なぞの磐倉のある山なぞ、あっちこっちにあるという突っ込みも可でありますけど。

この剣山では毎年「神輿祭り」が行なわれるが、その日は「祇園(ぎおん)祭り」と同じ7月17日であります。
ところが7月17日は、『旧約聖書』でノアの大洪水が終わった日とされます。
ユダヤの「Zion(シオン)祭り」の日でもあります。
ユダヤの「シオン祭り」は、ノア一家が大洪水を無事乗り越えたことを祝う祭りです。
そこで、“ギオン”は“ジオン”の転聲だと指摘する研究家がいます。

日本の祇園祭りといえば真っ先に思い出すのが、数多くの「山車(だし)」です。
この山車を、“ノアの箱舟”を象徴しているのではないかと推測する研究家もいます。

実際、祇園祭りに登場する数多くの山車の中には、古代ヘブライで用いられた織様と同じ文様を付けたものが存在しています。
なんと、京都市下京区四条鳥丸西入の山鉾「函谷鉾」の前掛けは『旧約聖書』の創世記の一場面を描いた16世紀末のタペストリーなのです。
さらに、中京区室町通六角下ルの山鉾「鯉山」の見送りは、古代ヘブライのダビデ王を描いた有名な図です。
更に、この祇園祭りでは「モーセ山」という言葉が用いられ、祇園祭りと古代ヘブライとの関係に、ただならぬものがあることを感じさせます。

それに、四国徳島県の修験道の聖地にして霊山である剣山には、ソロモンの秘宝が隠されているという根強い噂があります。
エルサレムから忽然と消えた失われた聖櫃「アーク」の、あるかも知れないとの説が立てられた場所のひとつでもあります。

聖櫃「アーク」とはモーセが神から授かった「十戒石板」を保管するための箱で、全体に黄金が貼られています。
『旧約聖書』の「出エジプト記」には、そのアークの作り方が克明に記されていて、それをみると全体が金で飾られる日本の神輿にそっくりです。

アークの上部には2つの天使(ケルビム)の像が羽を広げて向かいあっているが、神輿の上には鳳凰(ほうおう)と言われる鳥が作られており、大きく羽を広げています。
鳳凰とは、鳳は雄、凰は雌を指し、羽ある生物の王であるとされように一羽に見えて実は二羽いるのと同じとされるのです。
また、アークの下部には2本の棒が貫通しており、移動するときにはレビ族が肩にかつぎ、鐘や太鼓をならして騒ぎ立てたことが聖書にしるされています。
ダビデの衣装は、あまりの激しさに大きくはだけたとあるところも、衣装が乱れるほど荒々しく担がれることの多い神輿を思わせます。
しかも、担ぐための2本の棒は絶対にアークから抜いてはならなかったように、神輿の棒も抜かれることはないです。
祭りが終わった後も、棒を差し込んだまま保管されています。
ま、最近は収納の関係ではずされちゃう場合もあるようですけど。。。
このように、日本の神輿と聖櫃「アーク」との類似性は偶然では済まされないものがあります。

日本と古代イスラエル、類似はまだまだいわれるけど、長くなるので今回はここまでです。

追記

「大使が書いた日本人とユダヤ人」は、「驚くほど似ている日本人とユダヤ人 」と改題され文庫本になってます。

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火車と猫又

火車(かしゃ)は、日本に伝わる妖怪です。
ちなみに、「家計が火の車」の「火の車」と言う言葉は、この妖怪が元でできたといわれています。

火車が地獄から現れるのは、罪人が死んだときです。
それで、火車の出現は、その者が罪人である証とされました。

中世日本の説話物語集『宇治拾遺物語』は、こう語ります。

 獄卒(地獄で亡者を責める悪鬼)が燃え盛る火の車を引き、罪人の亡骸、もしくは生きている罪人を奪い去る

人々は、火車の登場を、恐怖すると同時に恥ずべきことと考えていました。
火車が住むと伝えられる付近の寺では、葬式を2回に分けて行っていました。
最初の葬式には棺桶に石を詰めておき、火車に亡骸を奪われるのを防ぐこともあったといいます。

火車は、暗雲と大風雨と共に現れて、その者の葬式や墓場から亡骸を奪い去っていきます。

「火車」を辞書で引くとこのような意味が出てきます。

 仏教用語で、生前悪事を犯した亡者を乗せて地獄に運ぶという、火の燃えている車
 または、獄卒が呵責(かしゃく)に用いるという火の車

 火車婆(かしゃばば)の略
 火車婆とは、死後は火車に乗せられる悪心(あくしん)の強い老婆
 死体を食いに来るという、想像上の妖怪で、鬼婆(おにばば)とも火車(かしゃ)とも呼ばれる

 車輪の形に燃える火

 中国語の汽車

おそらく、この意味の中でも仏教の用語に対して日本でなされた解釈が、このような妖怪をうんだのでしょうか。

火車は全国に出現すると言われ、棲息地は特定されていません。
正体は猫の妖怪とされることが多く、年老いた猫がこの妖怪に変化するとも言われます。

日本古来では猫は、魔性の持ち主とされました。
猫にまつわる伝承には、こんなものがあります。
「猫を死人に近づけてはならない」
「棺桶の上を猫が飛び越えると、棺桶の中の亡骸が起き上がる」

死者を蘇らせる力があるとされるあたり、聖書に出てくる預言者やイエスみたいなとこがありますね。
こんなところも、欧州文化で猫がイエスのメタファー、つまり隠喩とされちゃう原因でしょうか。

火車の伝承は、これらのような罪人を奪う火の車の伝承や、猫と死人に関する伝承が組み合わさった結果、生まれたものとされます。

火車の正体とされる猫の妖怪は、なぜか化け猫よりも、猫又ではないかという声が多いです。
猫又と化け猫、どっちも猫が妖怪化したので、猫又が化け猫になるとか、化け猫が猫又になるとか、いう説もあるように、混同されやすいのです。

なのに、わざわざ猫又にこだわるあたり謎が深いですね。

猫又(ねこまた)は、猫股(ねこまた)とも書きます。
日本の伝説の生物で、猫の目をもち、犬ほどの大きさとされる想像上の怪獣です。
年をとった飼い猫が変化した妖怪とされます。
一説には10歳以上、あるいは40歳以上、100歳以上ともいわれます。
もっとも、飼い猫の平均寿命が延びた今、猫又になれるのは40歳以上のでしょうか。

特徴はこうです。
人語を解し、人語を話す
尾が二股に分かれ、化けて人を害する

尾が二股に分かれるとされますが、先端がさすまた状になっている程度から、根元から2本生えているものまで様々に描かれています。

猫又の名前の由来は、二本に分かれた尻尾にありと思われるかもしれないです。
でも、別の説もあります。

猫がまたいで呪いをかけるから、猫またぎ、略して猫又。

何でまたぐと呪うことになるかというと、人に呪いをかけるとき、その人をまたいで呪いをかける方法があるからです。

猫たわけ、猫馬鹿になっちゃうのが、猫にまたがれたせいかどうかは、皆さんの判断にお任せします。

猫又は人を喰い殺して、その人に成り代わることもあるとされます。
このシチュエーションは、南総里見八犬伝でも登場します。

猫は女性の暗号にもなっており、女性優位のフェミニズム的な意味もあったようです。
案外、魔女と猫のペアもこの側面があるのでしょうか。
多くの文化で猫が女性的であるとする傾向はみられ、日本でも同様でありました。

日本では、猫と女としては、齢を重ねた猫が猫又となって不思議な力を持つとの言い伝えが残されており、女性に化けたりします。
この場合、年配女性も可能性として含むようです。
それに対して、確実に若い娘に化けるのが猫娘(ねこむすめ)。
猫娘の場合は女性の姿に化けたとき、目・耳・尻尾・その他、猫のパーツが全く見当たらないこともあります。

夢魔とも呼ばれる雌の猫又はときおり男の夢に現れ、精を奪ってゆくともされます。
ひょっとすると、男の精を奪う夢魔である雌の猫又は、女の暗号でしょうか。

猫又がさらに修学を積んで、無限に生きられるようなると「猫魈(ねこしょう)」と呼ばれます。
ちなみに、魈(しょう)とは「山に住むという一本足の怪物」のこと。

飛鳥昭雄は、傘お化けを生命の樹の妖怪化ではないかと指摘します。
この魈は、傘お化けをどこか連想させられます。
よけい訳わからんですか。

ま、よーするに、仙人のお化けみたいなもんってことでしょうか。
猫の仙人化したのが猫魈ってことなら、中国で言う猫の妖怪である仙狸(せんり)に似てきますね。

なお古代中国では、「狸」は山猫の意味です。
つまり「仙狸」とは、神通力を身につけた年経た山猫のことです。
美男美女に化けて、人間の精気を吸うとされます。

このへんも、猫又と化け猫がこんがらがっちゃう元かも。

精気とは、生命の源泉である元気のことで、心身の根気や精力のこと。
たましいや精神のことと、される場合もあります。
特に、精力の意味にとると、性的な能力ってことになったりします。
なるほど、美男美女を見てうっとりして腑抜けになったり、失神する人、いますものね。

黒猫の猫又は、猫又のなかでも一番強力とされます。
陰陽五行で言う青・黄・赤・白・黒の五色は、方位に配当されます。
青は東、黄は中央、赤は南、白は西、黒は北、とされます。
そのうち北は上、南は下、東は右、西は左、にそれぞれ配当されるので、上に配当される黒い猫が一番強力とされるのでしょうか。

猫をいじめるとたたられるので、注意されたし。
猫好きを自称する方々も、度を過ぎると猫に嫌がられるので、猫の機嫌をちゃんと確かめてくださいね。

老いた飼い猫が化けるという伝承は、江戸時代以降に多く見られます。
おもしろいことに、招き猫が登場するのも江戸時代です。

それより古く鎌倉時代にさかのぼると、猫又は山中の猛獣として恐れられています。
藤原定家による『明月記』には、こう記述があります。

 天福元年に南都(現・奈良県)で猫胯(猫又)が人を食い殺した

また同じく鎌倉時代の作とされる『徒然草』第89段にも、有名な話があります。

 「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる」と人の言ひけるに……

このように山中の山猫の伝承は各地にあります。
富山県の猫又山、福島県の猫魔ヶ岳などにも猫又の名が残されています。

これらは狂犬病の獣との説もあるけど、本格的に野性を残した猫であった可能性もありえます。
実際、野性を強く残した猫を見つけて飼育した人の体験談は、平岩米吉著『猫の歴史と奇話』などに記されています。
人を襲ったとまでいわないけど、気が荒くって気軽に手を出せないなど、なつきにくい上に、大きな犬にたいして平気でけんかを売るので相当難儀したようです。

なお、尻尾の二つある猫の写真がとられていることもあるけど、猫は皮膚が弱いので何らかの原因で垂れた皮膚がそのように見えるという説もあります。
翼のある猫が撮影されたなんてのも、おそらくこの類と思われています。

猫又の別名とみなされる火車に罪人を運ぶ役目があることは、人々の罪を背負うとされる聖書の山羊にどこか似ています。

そうなると、猫又の二本の尻尾の一つが贖罪の山羊にみなせ、もう一方は、供物の羊にみなせると思っても良いでしょうか。

猫又を恐れるべきは、罪に気づかずにいる、あるいは、罪を悔い改めずにいる、愚か者なのでしょうか。

だとすると、火車と猫又にはこんなメッセージが隠されているのでしょうか。

 悔い改めて福音を信ぜよ

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タコと日本

タコが踊っているように見える、タコ踊りは実は吸盤のメンテナンスであるなんて話をテレビで見たことがあります。
タコは案外頭がいい、というような紹介をする番組もあります。

でも、イカに比べてタコは、食文化がある地域が少ない気がします。

マダコは、本州から台湾・朝鮮半島の南部・オーストラリア・大西洋・西インド諸島・地中海・紅海など全世界の温帯の砂礫や岩礁海域に分布しています。

またヨーロッパの北海にもいるのです。
ところが、北海のタコ漁を聞いたことはありません。
ヨーロッパで、タコ料理を聞くこと自体、珍しいといっていいでしょう。

最近では、ヨーロッパでもタコを食べ始め、しかも、乱獲ぎみなので値段が上がってるなんて話もありますが。
健康志向で、海産物全体の消費が増えた、その一環でしょうね。

いっぽう、地中海の方では、古代ローマ時代からタコ壺でのタコ漁をしてるそうですね。
地中海が古くからのタコ壺量の地域でありながら、世界の消費量のおよそ3分の2を日本が消費しています。

日本人は、タコが大好きな民族というわけです。
タコが世界でどれだけ一年に消費されているかというと、16万トンです。
その3分の2といいますから、10万トン以上になります。

マダコは本州の東北地方以南に生息する重要な、漁業資源です。
その中でも瀬戸内海の明石海峡は、明石ダコをはじめいまも日本で最もマダコが取れるところでの産地として有名です。
おおよそ6割をしめる蛸壺漁を中心に,釣りや底曳網漁で漁獲されます。

でもどうも私が気になるのは、大阪の人々にはタコ好きが多く、一家庭で年間に購入するタコは、東京の2倍以上だということです。
一家に一台はたこ焼器を持っているのが大阪人とさえ、いわれるとか?!

このタコを、古くから大阪の人々に届けているのが大阪湾です。
タコ壺漁は、弥生時代にはすでに大阪湾周辺で始まっていたと考えられています。
江戸から明治にかけては盛んに行われていたそうです。
けれど昭和に入ると、籠や網でタコをまとめて捕る効率的な漁が登場したために、タコ壺漁は衰退したらしいです。

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けがれって、何が枯れたの

「けがれ」は「汚れ」とも「穢れ」とも書かれます。
こういう意味です。

1 けがれること。特に精神的にみにくいこと。よくないこと。清潔さ、純粋さなどを失うこと。また、失われていること。「―を知らない子供たち」

2 不名誉であること。名誉をけがすこと。名折れ。「家名の―」

3 死・出産・月経などの際に生じるとされる不浄。罪・災いとともに、共同体に異常をもたらす危険な状態とみなされ、避け忌まれる。この間は、神前に出たり人に会ったりするのをつつしむ習慣もあった。

ところが、元の文字はそれぞれ、けっして悪い意味ではないです。
「禾」は稲、麦、粟など穀物を、「歳」は地球の一周する時間や一年をさすとともに穀物の実りの良し悪しを、表します。
「水」は文字通り「みず」を、「于」は場所や対象を、表します。
つまり、むしろ、農業にそった言葉でさえあります。

それがどうして悪い意味を持たされてしまったのでしょう。

ここには、陰陽思想が関係していると思われます。

陰陽では、陰極まりて陽、陽極まりて陰、と言う考えがあります。
それぞれ、失敗は成功の元、過ぎたるは及ばざるが如し、のような言葉と思ってもらってもいいです。

元が悪い意味でない文字が、悪い意味になってしまったのも「過ぎたるは及ばざるが如し」ということなのかもしれないですね。
どうやら、陽極まりて陰、なので裏の意味に転じてしまったらしいです。

「けがれ」は、本来何を指したのでしょうか。

私は「気枯れ」だったと見ます。

「気」は「元気」「勇気」「病気」などの「気」です。
その「気」が「枯れ」た状態が、「けがれ」ではないかです。
「枯れ」は死ぬことです。
「けがれ」とは、「気」が死ぬことです。

血とともに生命が失われることが「死」とすれば、「出産」「月経」も「血」が出るので「死」を連想できると感じたのかもです。

死後は、腐敗し醜くなっていくので、肉体の死を意味した「けがれ」は、やがて魂の死をも、たとえとして含むようになり、意味として取り込むようになりました。
そして、不名誉となり、精神的にみにくいこと、よくないこと、清潔さ、純粋さなどを失うこと、をもしめすようになったのだろうかです。

ここまで見て、思いました。

聖書には、神が息によって命を吹き込まれたと。

この神の息が体を離れたときが死。

神の息は、気に似ている。

気とは、神の息のことだろうか。

と、です。

そうそう・・・。
そもそも、気の思想自体、陰陽由来ですね・・・。

清めの塩は、殺菌からきたと思われます。
そういえば腐敗の原因は菌。
確かに、塩は効きます。

また、陰陽で、白は死を意味するとともに、光も意味します。
穢れ払いに、清めの塩で穢れそのものに死をもたらそうとしたのでしょう。

あと、出産とかを穢れということで、昔は個室に離したのも汚いというのではなく、衛生管理の問題というか、いろいろな感染からまもるという意味もあるとおもいますよ。
意外と合理的というか、神様とか信仰と生活がリンクしていたと思います。

陰陽のような、即物的弁証法の思想は、じつはタントラやカッバーラなど古代からいくつかあるのです。

これらは言い回しは違っても、理論の中心にすえている原理は、似通っているのです。

それはおもしろいことに、弁証法を唱えた近代の三人の哲学者、ヘーゲル、マルクス、エンゲルスの掲げた三つの原理の先駆けともいえるものなのです。

三つの原理とは、これ。

「量から質への転化、ないしその逆の転化」
「対立物の相互浸透(統一)」
「否定の否定」

神秘主義の衣をまとっているために、陰陽やタントラやカッバーラなど、これらの思想がいかに奥深い科学的な顔を持っているか、見落とされているのです。

現代科学を上回る数の知識や経験に基づいて、気の遠くなるような数の仮説と実証を繰り返してきた実績は、もっと省みられていいです。

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猫多羅天女

妙多羅天女(みょうたらてんにょ)といわれる像が、新潟県にある越後一ノ宮彌彦神社の北、真言宗紫雲山龍池寺宝光院(しんごんしゅうしうんざんりゅうちじほうこういん)の阿弥陀堂に安置されているというです。

この妙多羅天女の話は、佐渡の金北山・蒲原の古津・加賀の白山・越中の立山・信州の浅間山などを舞台に展開され、モデルは実在の人物とされます。
引用すると長いからあらすじだけ紹介するので、興味があったら検索して欲しいです。
妙多羅天女は、老婆、あるいは母とあるけど老女と見ていいです。
嫉妬に狂った老女が悪鬼となり、荒々しいおこないをしてあばれ回ったが評判高い高僧に諭され本来の善心に立ち 返り神仏の道を護る天女となります。
悪人を戒め善人を守り幼い子らを守り育てることを誓ったと言うです。

みて貰えばおわかりのように、どこか鬼子母神と似たところがあるのです。

この妙多羅天女には実は妙なことがあるのです。

別名を猫多羅天女(みょうたらてんにょ)と言うのです。

猫多羅天女の話は、「猫多羅天女の事」と言う題で鳥翠台北茎の『北国奇談巡杖記』(文化4年〈1807〉刊)巻三に収められています。
これは短いので引用させてもらいます。

「ある夏の夕方、佐渡国雑多(さわた)郡小沢の老婆がひとり涼んでいた。すると一匹の老猫があらわれ砂の上でころがってたわむれはじめた。老婆もつられて猫と遊ぶこと数日、そのうちに 体が軽くなり、やがて全身に毛が生えてついに飛行自在の妖術を得た。形相もすさまじく、見る人肝をつぶし驚くうち、猫となった老婆は雷鳴をとどろかせて対岸の越後国・弥彦山に飛び 移り、霊威をふるって大雨を数日降らせた。里人は困り、これを鎮めて猫多羅天女とあがめた。年に一度、猫多羅天女が佐渡にわたる日には、ひどい雷鳴があるという」。

妙多羅天女は、悪鬼に変じたというからおそらく鬼子母神のような風貌ではないでしょうか。
猫っぽくはないかも。
名前が変えられた事からも、そう思えます。
実際に見たわけではないので、どこまでも想像ですけど。

猫多羅天女のほうは、像があるかどうか残念ながらわからないですね。
もしあれば、話からはワイルドなヤマネコっぽい姿と想像されますけど。

妙多羅天女ではモデルとなった人物があげられてるのに、猫多羅天女の方は老婆がひとりとなんてあっさりしたもんですね。

ここで興味深いのは、どちらも老女の化けたものとされることです。
老女を、人生経験豊富な女、つまり、智恵や知識が豊富な女、と見たらどうでしょう。

智恵や知識が豊富な女が摩訶不思議な力を発揮するというのが、猫多羅天女または妙多羅天女の本筋と見ていいです。

わたしは、猫多羅天女のほうが古い伝承で、妙多羅天女は仏教によって鬼子母神伝承を元に作り変えられたとみます。

つまり猫多羅天女が仏教によって、悪鬼改心話にされたと思えるのです。

この構図、どっかで見たことあります。

そう。

魔女が、キリスト教に貶められたのと似てないでしょうか。
しかも、猫がいるとこまでそっくりです。

やはり、日本にも魔女がいたことになるってわけでしょうか。

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ユダヤは日本に来たか

日ユ同祖論に対して、時折こういう疑問をいう人がいるのです。

ユダヤ人ってのは西洋系の顔立ちをしてますよね。
それがなぜに、日本人とつながって来るのか。
中東から日本に渡ってくる間に、アジア人と混血して、西洋顔がアジア顔になったってことなんでしょうか。

それと、十氏族の帰還って、あれ、イスラエル建国時にみんな集まったんじゃなかったっけ・・・・
仮に、さらに多くの入植者が世界中から帰ってきたとしても、それがなんで地球的大事件なんでしょうか。

まず、そもそもユダヤが何者かについてです。

ユダヤ人は、古代イスラエルの十二支族中の南朝ユダの二支族のことでなかったのでしょうか。

古代イスラエルは、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫のはずですね。

ついでにいえば、アブラハムからはイシュマエルも出てるのです。

イシュマエルの子孫はアラブになったのではなかったでしょうか。

アラブはどんな顔だったのでしょうか。

ユダヤと言われる中には、アシュケナージと言われる人たちと、スファラディと言われる人たちがいるのです。

たしかにアシュケナージは白人っぽいです。

スファラディは、そうじゃないと思うのですけど。
どっちかといえば、アジアの顔ですね。

今のユダヤと呼ばれる人には、アシュケナージのイメージが強いのでユダヤ=白人的と誤解する人が多いです。

こういう思い込みをする方は、ユダヤすなわち白人の先入観をまず捨てて欲しいです。

ちなみに、このアシュケナージとよばれる白人ユダヤ人とは、ユダヤ教に改宗した白人なだけで、聖書にあるイスラエルやユダの民族とは全く違う人々との説もあるのです。

白人系アシュケナージには、国を挙げて改宗したハザールの末裔説があるのです。
しかもこの説は、当のアシュケナージに属する人物が自らのルーツを求めてだしたのです。

ナチによる大虐殺をうけたヨーロッパのユダヤの多くは、アシュケナージの可能性は高いです。

改宗後のハザールが滅びた後、欧州、特に東欧各国や露西亜に散っている可能性は充分にあります。
彼らがアシュケナージになったと言う説があるのはすでに触れたとおりです。

一方、古代イスラエルの南北分裂後、北朝10支族はやがて行方不明、南朝二支族は亡国してからも地中海沿岸地方各地にイスラエル再建まで散っていたようです。
南朝の末裔を中心とした古代イスラエルの子孫は、スファラディと呼ばれます。
ヨーロッパでもスペインやポルトガルなど南欧に主にいた模様です。

ただ、南朝二支族の一部は日本にむかったと主張する論者も一部にいるのです。

あ、それと、十支族の帰還と言う疑問についてです。

イスラエル再建と称して集まった中には、アシュケナージとスファラディとがいます。

集まった中に北朝十支族の子孫も、若干混じっている可能性は否定しないです。

北朝十支族の子孫の大半は依然行方不明というので、「失われた十支族」は大きな謎になっているのです。

じゃあ、その十支族はどこへ?

諸説入り乱れているのです。

日本に来ちゃったというのも、その一つ。

古代イスラエルと一言に言っても、結構いろいろな人が参加して建国されています。

聖書を軽く読んだだけでも、おわかりいただけるはずです。

ま、日本は島国で混血民族ですからね。

日本で混じったか、大陸で混じったか、しててもちっともおかしくないです。

行方不明といわれる十支族の末裔は、アジアに散って、子孫の一部は日本に来ていても不思議ではないのです。

日本も、白人っぽい人、黒人っぽい人、黄色人っぽい人、入り乱れているのです。

仮に、ユダヤ人は白人っぽいから日本に来てないという説を立てたとしても、白人っぽい人がそうだという反論で玉砕してしまうのです。

日本に来たユダヤ人が絹をローマに持っていってたとの説を 唱えてる人もいますね。

それが機織(はたおり)で、秦氏ってことでしょうか。

大事件なのは、2000年余りの時を隔てて失われた国家が再建されたからです。

その再建の過程が元でこじれにこじれて、周辺のアラブと解決の出口がなかなか見つからない衝突が続いてるのです。

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弥生人とマンクスの来た道は?

神武(jinmu)天皇が日本建国したのは、古事記や日本書記が主張するところによると、今から二千年以上前、つまり弥生時代です。
そこで、神武(jinmu)は架空ではないかといわれてきました。

ところが、弥生人が日本に着てからたどった道筋は、神武(jinmu)東征を連想させます。
神武(jinmu)即位が弥生時代というのは、縄文も弥生も見直しが必要になってきた今、馬鹿話とばかりもいえない気がするのです。

記紀に神武への国譲りが記されているニギハヤヒは、太陽神の天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(アマテルクニテルヒコ アメノホアカリ クシタマ ニギハヤヒノミコト)と同じ神とされます。

天孫の時代が定説通り古墳時代なら、ニギハヤヒの時代は弥生に当たるというのでしょうか。
神武(jinmu)は弥生人の初代国王であり、架空とされる天皇たちも弥生王朝歴代の王で、ニギハヤヒは弥生王朝の太陽神だったかも知れないです。

イギリス沖のマン島出身の有名な尻尾がないことで知られる猫マンクスは、長崎の猫と尻尾の特徴が良く似ているといいます。

長崎の猫たちの尻尾は、長さが普通に近い子もいるけど、その多くが異常に短いのです。
野良たちの尻尾はほとんど10cm未満や、殆どないに等しい場合もあるのです。

マンクスは後肢が長く、ウサギのようにはねるので「ラビットキャット」の愛称もあります。
尻尾がないと言われるけど、完全に尻尾のないものから短いながらほぼ正常な尻尾のあるものまで、4つのタイプに分けられます。

マンクスの伝説には、ノアの方舟伝説に乗るとき尻尾が扉に挟まれたというのを始め、いろいろあるけれども、起源そのものは未だに明らかではないです。
ところが、その言い伝えの中には日本起源説があるのです。

それは二千年以上前にオリエントからの貿易船に乗ってマン島にやってきたという伝説です。
フェニキア人がマンクスを買い入れてきた先には二つのパターンがあり、一つがインド、もう一つが日本なのです。

江南地方で、日本の弥生時代に相当期する中国の春秋戦国時代から前漢時代の地層を調べたら、弥生人に良く似た古い人骨が出たのは事実なのです。
弥生人は、中国南部の江南地方から米作文化を持ってきたと思われています。

日本とアジアの古代で気になるのは、インドシナたとえばベトナムにエジプトで太陽神の乗ったとされる船の絵があることです。
これに似た絵は、日本にも残っているのですよ。
ニギハヤヒは天磐船つまり“アマノイワフネ”と言う船で来たというのですから、エジプトの神の船と似た船であったのかどうか。。。

そうなると、一人のスメル渡来説論者、岩田明氏の主張が思い浮かびます。
岩田氏はスメルの民が古代、船で海路をたどって日本に来たと見ていて、その渡来の途中に、彼が注目するインドがあります。
このスメルの船と古代エジプトの太陽神の船は、どういう関係だったのでしょうか。

大陸にいた頃の弥生人たちは、フェニキア人と接していたのかも知れないです。

フェニキア人がマンクスを買い入れてきた先はマン島の言い伝えによれば二つのパターンで、一つがインド、もう一つが日本なので、インドでフェニキア人と猫の取引をした可能性を疑っても良いのかも。

岩田氏が言う海路で来た民こそ、弥生だったのでしょうか。
もしそうなら、陸路よりはるかに早く日本に到着できるです。
何代もの弥生王朝を考えるなら、こちらの方が現実的のかも。

少なくても瀬戸内水軍に繋がる人々であったと、見るのも面白いですね。

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“悪魔(akuma)”は“サタン”か

いま、わたしには少々困ったことがあります。

海外の方々も、訪問してくださるのは大変うれしいのです。

しかし、翻訳すると伝わりにくいのが、原語のもつ意味合いです。
なかには、適切な訳語がないこともあります。
人や物事や場所の名前など、固有の文化に関わる言葉は、翻訳不能です。

特に、翻訳されると区別がつかなくなる場合、大変苦労します。

わたしの話には、“悪魔(akuma)”がしばしば登場します。

ところが、機械によって文字通り機械的に翻訳されると“悪魔(akuma)”は“サタン”になってしまうのです。

“サタン”は、“神の敵対者”であり“神の妨害者”とされてきました。

わたしも、“サタン”については、“神の敵対者”であり“神の妨害者”として扱ってきましたし、これからも扱うつもりです。

しかし、日本語に翻訳すると“悪魔(akuma)”としか言い表しようのない存在がさまざまな国や地域の民俗のなかにあります。
この“悪魔(akuma)”は、くどいようですが“サタン”と翻訳されては非常に迷惑なのです。

本来地域の神々であった彼らは、西洋キリスト教徒によって、“サタン”と同列に扱われてしまいました。
聖書の神を広げる意味では、キリスト教布教以前の神々を退ける必要は確かにあったでしょう。
その意味では、“サタン”と同列に置くことが最も簡単な手段でありました。

けれども、異教の神々についての民俗を調べる上で、この“サタン”と同列扱いされたことは非常に邪魔なのです。

これら、異教の神々の多くは異形であったり、人身御供を求めたり、しているので醜悪にみられてもしかない部分は、正直言ってあります。
でも、だからといって“サタン”と翻訳されたら困るのです。

それなら、ほかの言い方はどうでしょう。
デビルや、デーモン、エビルなどです。

結果から言えば、わたしの議論では採用できません。
西洋文化の中で、あまりにも“サタン”と結び付けて語られてきたからです。
西洋といっても、それぞれの地域では、“サタン”と区別されて使われているのでしょうけれど。

“悪魔(akuma)”もまた、“サタン”の翻訳語として使われてきたのは事実です。
しかし、もともと異教の神々であった存在の訳語としても使われてきました。

いまでは日本では、“サタン”は翻訳なしで通用することばとなったのです。
少なくても日本では、“悪魔(akuma)”は“サタン”をさす言葉ではなくなりつつあるといって、いいかもしれません。

もともと、“悪魔(akuma)”とは“サタン”と別の存在でした。

“サタン”に当たる適当な言葉がないので、仕方なく、“悪魔(akuma)”が翻訳で当てられたに過ぎないのです。
わたしは、“サタン”と混同される以前の、本来の意味で“悪魔(akuma)”を使いたいのです。

今回は、主に外国の方に向けて話させていただきました。

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悪魔(akuma)をみなおす

これからわたしの述べる話は、西洋的な解釈になじんだキリスト教徒からは、強烈な反発を招くと思うけど。
でも、比較民俗や比較宗教、さらに陰陽の視点からは、彼らにとって意外な事が見えてきたのですよ。

悪魔(akuma)については、世界的に日本の鬼のように恐れられる一方で、親しまれてもいるように思えます。

それは、悪魔(akuma)が本来それぞれの地域で神として扱われてきた存在だからです。

私がかつて持っていた悪魔(akuma)の邪悪なイメージとしては、たとえばこんな風だったのです。
みなさんはいかがでしょうか。

 グロテスク。
 ゲテモノを食べる。
 人身御供を要求する。

悪魔(akuma)のイメージを一つずつ、見なおしていきましょう。

 グロテスク。

自然界のさまざまな現象を崇拝した古代の人々は、あらゆる動植物を神としていた。
彼らの思い描いた神は、性質を反映した結果、異様な姿である場合が多い。

 ゲテモノを食べる。

ようは、自分たちの食文化にないものは全部、ゲテモノ。
イモリやサソリの丸焼きは、食べない文化から見たらゲテモノ。

 人身御供を要求する。

切実な要求を聞いてもらうため相手の機嫌をとろうと、大事なもの、大切なものを差し上げようとするのは自然な行為。
人にとってもっとも大事で大切なのは人の命だから、人身御供を神に捧げようとした文化は世界各地に見られる。

私が持っていたような勘違いは、たぶん、キリスト教伝来前の土地の神々が悪魔に落とされた結果、出来ちゃったものです。

でも、もっと大きな勘違いは教会側にあったのです。

その勘違いとは、悪魔(akuma)の正体。

悪魔(akuma)は、神の対立的な存在として、単純に割り切られてしまいました。

人の犯す罪の原因は悪魔(akuma)にありと、思い込まれてしまいました。

サタンこそ、アダムとイブをおとしいれたのです。

やがて、サタンは地獄の裁きを受けるでしょう。

一方で、悪魔(akuma)は地獄にいます。

地獄つながりというだけで、サタンと悪魔(akuma)は同じと見られちゃったのです。

だから、サタンや悪魔(akuma)の邪悪な姿が、いろいろと想像されることになったのです。

でも、サタンは堕天使で本当はそんなに醜くないです。

じゃ、悪魔(akuma)とされた神々は醜いのでしょうか。

異様で、不気味です。

でも、醜いわけじゃないのです。

だって、本来は神です。

さらにいえば、悪魔(akuma)にされた神々は、たたり神とされた場合が多いです。

機嫌さえよければ、陽気だし、邪魔しないし、手伝ってさえくれちゃいます。

けど、怒るとかなりやばいです。
っていうか、恐ろしいです。

となると、恐ろしく、醜くゆがんだ顔は、怒りのためでしょうか。

切なく、悲しい、怒りの顔です。

悪魔(akuma)が怖いのは、実は気がつかないうちに怒らせちゃってるからでしょうか。

素直に、諭してください、気づかせてください、そう神に祈ったほうが良いのでしょうか。

サタンと混同された悪魔(akuma)のイメージでは、本来の姿を見失うと思うのですよ。

むしろ、悪魔(akuma)は神の一員として、神と密接に行動するようにさえ感じらます。

悪い子はいないか!

そういってにらみを聞かせるナマハゲこそ、悪魔(akuma)本来の役割に近いのではないのでしょう。

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平家と猫

日本の猫は三割がペルシャから来た猫の子孫、この謎の背景に迫ってみたいです。

ペルシャから日本に来るとき、当たり前だけど船に乗ってくることもあります。
船一隻につき、乗り込んだ猫はせいぜい一匹か二匹です。
さらには、日本から海を渡るときも猫は乗ったと思われます。
つまり、日本の猫の三割を占めるまで増えるには相当何回も、そして何隻も往復しないといけないです。

古代日本でそんなに船を出したのは、いったい誰かです。

平家が、貿易で栄えた貴族であることはよく知られています。
平家は、厳島神社に見られるように、瀬戸内海を支配する国際的な集団であったのです。
一般に平清盛等平家の祖とされるのは、桓武天皇の子孫といわれる889年の高望王といわれています。

桓武平氏は、825年以降に桓武天皇の孫たちのうち身分の低い者が、「平朝臣」を賜姓されて臣籍に下ることによって成立した氏族です。
始祖とする桓武天皇の皇子によって数流に分かれます。
繁栄したのは葛原親王の流れで、さらに高棟王流と高望王流の二流に分かれます。

氏族の名は、一般に関連が強い事柄にちなんでつくことが多いようです。
では、平氏の「平」は何にちなんだというのかです。

日本書紀などと並び公文書館に保管されている『日本三代実録』には、889年より27年前の記述として、「862年雄風王の息子、定相王など十五人が平の姓を賜る」とあるそうです。

それについて、奈良県興福寺の『大乗院寺社雑事記』の一節として、こんな情報がテレビで流れてきました。
「外来人が営む倉が京都三条坊門にある。彼等は外国との貿易などをしているが、そのことごとくは平の姓を名乗っている。」

となると、「平朝臣」を賜姓された天皇の子孫は、貿易を盛んに行っていた平姓を名乗る外国人たちを配下におさめる任務をおっていたのかです。

謎が多い平家、女性たちは公達を美しさから花にたとえて噂したといいます。

この平家にペルシャ人説を唱える人物がいます。
ノンフィクション作家の久慈力氏です。
となると、日本に膨大なペルシャ出身の猫を送り込んだのは平家だったのでしょうか。

久慈氏の上げる共通点は次のとおりです。

平家が信仰した弁財天は水の女神として、インドではサラスバディー、さらに、ペルシアではアナーヒタの名で信仰されていた。

「平家琵琶」はペルシア発祥といわれ、ペルシア時代の銀の器に描かれている。

源平のころから婦人が用いだした「頭冠り」は、イラン女性の「チャドル」とそっくりである。

平家の公達が手にしている刀は、反り具合や先が幅広のところなどペルシアで使われていた「シャムシール」という刀とよく似ている。
久慈氏は証言するです。
「名乗りを上げて一騎打ちというスタイルは、実はアラビア式なんです。」
戦いの前、名乗りを上げての一騎打ちも、ペルシア周辺で行われていたトーナメント勝ち抜き戦闘方式。

この戦いの形式が似ているというアラビアの民、祖先をたどるとイスラエルの祖でもあるアブラハムに行き着きます。
そして、北朝イスラエル十支族が散らされた先の一つにペルシャがあるのです。

そこで、「平」の読みを考えてみたいです。

音としては、「へい」です。
面白いことに、ヨッド・ヘー・ヴァヴ・ヘー 「יהוה」とは、「私はある」をさすヘブル語の頭文字を並べたといわれているのです。
「へー」や「ヨッド」だけで、ヤハウェの略称となります。
この「へー」に音が似てるのです。

訓としては、「たいら」です。
旧約聖書の最初の5つの書である、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」は、「モーセ五書」あるいは、「תורה(トーラー)」とも呼ばれます。
この「トーラー」が転化した可能性が考えられます。

ちなみに、本来この5つの書の「トーラー」とは「指針、方針」といった程度の意味合いで、日本語の訳語は原義に対応していないそうです。

となると、です。

平家の正体は、イスラエル十支族だったのでしょうか。

226年に建国され文明の十字路といわれる現在のイラン付近に大いに栄えたササン朝ペルシアは、651年イスラム帝国によって滅ぼされています。
敗れたペルシア人の一部が日本にまでたどり着き、平の姓を名乗ったというのかです。

それとももっと前に、ペルシャが送った入植者の子孫なのでしょうか。

いつごろ日本に来たのか、それも謎です。

まだ、まだ、謎はあるです。

都落ちしたときの平家は、約7000人といわれます。
その後、一ノ谷、屋島と二度の負け戦にもかかわらず、壇ノ浦での兵数は約15000人と二倍近くにふくらんでいます。
そのうち合戦で生き残った平家の残党は約10000人です。
全国に落ち延びたであろう落人は、約3000人といわれています。

残りの7000人の行方がまた、謎なのです。

ここに奇妙な事があります。

「たびら」「たひら」「といだ」「とわだ」「とだ」など、由来不明な姓を名乗る人々がいます。
容貌から西アジアを連想してしまうので、わたしゃ、「たいら」「とーらー」が転化した可能性もありと考えています。
彼らは、日本のペルシャ系猫達の祖先にかかわった人たちの子孫の一部なのでしょうか。

やっぱ、猫はミステリアスなのです。

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黒暗天を知ってますか。

美人の代名詞としても知られる福の神の吉祥天(きっしょうてん)、その割には宝船で見かけることは少ないです。

その理由のひとつとして、よくあげられるのが黒暗天(こくあんてん)と姉妹であり、二人そろって受け入れてくれないと福の神の仕事を引き受けないとされることです。

じゃ、黒暗天とはいったい何者?

福の神の逆の性質といわれるけど、正体不明の神です。

貧乏神という説もあるけど、もしそうなら、仏教説話からでた民話や伝承によくある、仏がみすぼらしい身なりで誰が慈悲深いか覆面調査するという話と、よく似たパターンとなります。
ちなみに、覆面調査の仏は、金持ちにコケにされ、貧乏人に優しくされるという展開が多いです。

おもしろいのは、聖書にも同じようなたとえがあることです。
金持ちにコケにされた貧乏人は天国に行き、貧乏人をコケにした金持ちは地獄に落ちます。

そうなると、黒暗天は罪びとをあぶりだし、罰を加える役回りを演じていることになります。
まるで、「悪い子はいねえか」といいながら家々をまわるナマハゲさながらです。
さまざまな国に、同じような役回りとされる存在がいるらしいです。
そして、その役を演じる存在はたいてい、日本では“悪魔(akuma)”と訳されます。

神が天界の主催者とすれば、悪魔(akuma)は地獄の主催者。

ここで言う悪魔(akuma)は、堕天使が正体であるとされるサタンを含みません。

サタンは、神を妨げるもの、神に逆らうもの。

悪魔(akuma)は、神と共通の価値観で人々に接する存在でありましょう。

神が人々を救うことを目的とすれば悪魔(akuma)は人々を裁くことを目的とする。

サタンは、人々をたぶらかし堕落させることを目的とする。

つまり、神と悪魔(akuma)は、サタンとは正反対の立場に立つ存在と見ていいのではないでしょうか。

神は人々をサタンのそそのかしから救い、悪魔(akuma)は人々をサタンにたぶらかされれば懲らしめ、サタンは人々を神や悪魔(akuma)にそむかせようと企む。

 天界をあがめるものは、地獄の裁きを恐れよ

それが、吉祥天の恵みがほしければ黒暗天を受け入れよというとこではないでしょうか。

吉祥天を始めとすれば、黒暗天は終わり、吉祥天をアルファとすれば、黒暗天はオメガ。

まるで、イエスのようです。

イエスは、自らをこういいます。

 アルファでありオメガである

吉祥天を天界の主催者とすれば、黒暗天は地獄の主催者、つまり神と悪魔(akuma)のペア。

まるで、猫又のようです。

二つの尻尾は、それぞれ神と悪魔(akuma)の尻尾とされるからです。

そういえば、ヨーロッパじゃ、猫はイエスの隠喩、メタファーとされます。
隠喩とは、「肌の白さは雪のようだ」のような「…のようだ」「…のごとし」などの言い方をしないで、「雪の肌」などのようにそのものの特徴を直接他のもので表現する方法です。

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酒と餅

遊牧民の食習慣にルーツを遡ると思われる、肉に似た食感と、血の味のような喉ごしを味わう一連の食品があります。
彼らは羊など家畜の血は、栄養補給に良いと飲みます 。

二人の天皇、醍醐と後醍醐にある醍醐は『涅槃経』からとられたのでしょうか。
「牛より乳を出し、乳より 酪を出し、酪より 生酥を出し、生酥より 熟酥を出し、熟酥より 醍醐 を出す、醍醐最上にして…仏の如く。」で、醍醐が最高です。

『酪』『生酥』『熟酥』『醍醐』は、諸説あります。
私は、お酒の製造過程で出来る産物ととらえ、『酪』はヨーグルト(乳酸発酵乳)、『酥』はチーズ、『醍醐』は乳酒とみます。
チーズはクリーミーなものもありますけど、たいていは粘り気のある、噛み千切ると言う方が相応しい食感が共通した餅性食品です。
もっとも餅っぽいチーズは、モッツアレラなのです。

米、麦、さつまいも、とうもろこし、蕎麦、稗、粟、などからも餅性食品が作れます。
芋って言うと意外かもしれませんが、芋餅のように芋を使って作られる餅もあります。
けど、酒の原料でもあります。
そういえば、蒸留酒にされる場合が多い気がします。

蒸留酒は醸造酒を蒸留して作られ、一般にアルコール度数が高いのが特徴です。
蒸留酒は、メソポタミア生まれの技術です。
それが日本にわたると、さまざまな焼酎を生みました。
世界各国に伝わって、その地域に応じた様々な蒸留酒を生みました。

中でも有名なのは芋焼酎でしょうが、じつはメキシコにもよく似たものがあるといったら驚くでしょうか。

メキシコを代表する酒、テキーラです。
塩とレモンの味で飲むと、また格別とか。

テキーラの材料は、メキシコの言葉で、パイナップルを意味するピニャと呼ばれる物です。
ピニャは竜舌蘭の丸い茎のことですが、葉っぱで包んで蒸し焼きにすると焼き芋そっくりの食感になるそうです。
このあたり、芋焼酎と焼き芋に似て見えますね。

実は、テキーラの意外と歴史は新しく、メソポタミア生まれの蒸留技術がスペインによってもたらされた結果生まれた酒。

蒸留酒の材料として、スペイン人は竜舌蘭の茎から取れるピニャに、日本人はさつまいもに、目をつけたってわけ。

つまりテキーラって、本来は蒸留される前の段階で、飲まれる物でした。
濁酒っぽいけど、味はビールっぽいとの事。

竜舌欄によっては、プルカといって葉と茎の間で発酵した液を飲めるものも。
微量元素が豊富で、度数が低いものは子供や妊婦も飲んでいたそうです。
これまた、ビールっぽい味だとか。

稗や粟でも、餅は作れます。
種菌を入れずに、そのまま練っただけのパンがマツオで、麦から出来ています。
マツオも餅と似ているです。マツオに似た食品に、ナンや薄焼きパンのチャパティがあります。
パンでも、餅餅感を強調したものがあります。ピザ生地も、餅に似ているので、餅ピザが作れます。
とうもろこしでも、アメリカ先住民の主食トルティーヤと言うパンが出来れるのです。

パンにも、食感がしっかりしたものと、さっくりしたものがあります。
おそらくそれぞれ、牛や豚や羊、魚や鳥の肉の歯ざわりをまねしているのなのでしょうか。

麺類の食感も、案外と餅に似ているです。蕎麦や饂飩は、腰がないと美味しくないのです。
パスタはアルデンテが良しとされ、わざわざ芯を残すのです。
残ったパスタからも、よく捏ねてピザそっくりのものが作れます。
麦の性質が、ピザ用とパスタ用は似ているのです。

面白いのが、ワインのような果実種です。
果肉からお酒を作るので、まさに肉からしたたる血という感じなのでしょうか。
これらの食感のルーツは、やはり肉なのでしょうか。

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ペルシャと猫

私の記憶に間違えがなければ、日本の猫の三割にペルシャの猫の血が入っているという情報に接したことがあります。

明治32年、ペストが神戸で発生したとき、北里柴三郎は「伝染病予防法」に基づき、患者の隔離や全住民の検診を実施する陣頭指揮を執りました。

北里は猫のいる町や家ではペストの発生が低いことや、ネズミがペストの運び屋をしていることの気がつきました。
それで、ネズミによる感染拡大を防ぐため猫を一家に一匹飼う事を推奨しました。

このとき外国から、大勢の猫が日本にやってきました。
日本の猫の三割をしめるペルシャの血は、このときからだろうかという疑問を述べたものだったと覚えていました。

その後この日本の猫の祖先に関する情報の真偽を確かめようとしたけれど、裏が取れないでいました。

ただ、古代日本にペルシャ人が来ていたこと、そしてシルクロードの文物を豊富におさめている正倉院御物のなかでペルシャがやけに目立つことは、心の片隅に引っかかっていました。

ところが、船に関する情報から意外なことを知りました。

それは、ネズミ対策が向上するまでのかなりの間、猫がいないと荷物を積んでも出港できないという決まりがあったというのです。

この状態はかなり古代にまで、さかのぼれるらしいこともわかりました。

そしてまた、旅が長期なものであるために帰り道に耐えられない年齢に達してしまった猫たちは、目的地で放されていたようなのです。

さらに、中国でも日本でも、猫が貴重な存在であり、牛や馬より高値で取引されていたという話もあるのです。

となるとですね。

明治の、猫を一家に一匹飼えと奨励されたことが日本の猫にペルシャの猫の血が濃くなったことの理由とは、必ずしもいえないとなります。

日本の明治時代だったころ当時のイランで、日本の猫特需に応えきれるほどブリーデイングが盛んであったとは、とても考えられないからです。

おそらく、ヨーロッパあたりがこのときの需要に応えたと見ますね。

となると、明治以前の日本はむしろ、ペルシャ起源の猫は三割より多かったかも知れないとみてもおかしくはないとなります。

これらから連想される事態はこうです。

「日本海を渡る船に乗り込んだ猫は、はるばるアジアの西の端に近いペルシャからやってきて、日本で残りの猫生をすごした。」

ここで、ちょっと待った!という声もあるかもしれません。

「猫で“ペルシャ”といえば、豪華な印象のある長毛種ではないか、日本の猫とはあまりにも違う!」

ペルシャ猫のルーツはなぞに包まれているけれど、イラン高原の寒冷な気候が生んだ種ではないかという説もあります。

でも、イランで描かれる一般民衆の生活に近い猫は、案外と日本の猫に見た目は似ているのですよ。

彼らの祖先たちから、日本にむけて、ペルシャやシルクロードの文物を護衛すべく二度と故郷の地を踏むことのない長旅に出たものたちがいたのかもしれないです。

もっとも、日本に来た彼らのこどもたちから、ペルシャに向けて送り出された東アジアの文物を護衛すべく旅立ったものもいたかも。

中国や南アジアから日本に来た猫たちが、せいぜい数回から一回ぐらいだったかもしれないのに対し、ペルシャの猫たちは相当何回も日本に派遣されたことでしょうね。

そして、正倉院に見られるような膨大なペルシャの文物などのシルクロードコレクションと、日本の猫の三割に達する子孫が残ったのかもしれません。

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ケルトと魔女

ケルトの思想をちょっとでもかじった人は、日本の匂いを嗅ぎつけるようです。
この匂いこそ、陰陽道ではないかと私は感じているのです。
そこで、陰陽道で民俗を分析する吉野裕子氏の研究を参考にして、ちょっと視点を変えて考えて見たのです。
魔女はケルトに遡れるようです。

魔女といえば、三角の帽子にマント、持ち物は鍋と箒、つき従うのは猫が相場です。
メデューサなど一部の魔女のルーツを蛇巫女と見る人はいるのです。
でも、なぜに鍋か、なぜに箒か、三角の帽子にマントのいでたちかを考える人は減るようです。
ちなみに、本来のメデューサは、豊穣の美しき女神として崇拝されていたようです。

三角は、蛇の象徴であると吉野氏は指摘しています。
この説に従うと、三角の帽子とマントも全体で、やはり蛇と見るべきで、帽子だけでも、蛇です。
呪術的に、丸いものは蛇の目、長いものは蛇に配当するのは、陰陽道ではよくやることです。
鍋は蛇の目、箒は蛇の体ではないかと私は見ているのです。

もしそうならば、魔女は蛇を着て、蛇を持つ、蛇ずくめの姿で現れているとなるのです。
これは、魔女が蛇巫(へびふ)、つまり蛇神の巫女であるといっているのと同じことです。

猫が、異教の神に結び付けられるのは確かです。
とはいっても魔女の傍にいる理由はそれだけではないかも知れないのです。
蛇巫は、蛇神の子を宿し、そして生む事が出来るとされました。
彼らはしばしば、神の子としての蛇を実際に傍においていたようです。

魔女は、全て象徴で固められていて、直接に蛇神の巫女の扮装はしていないです。
だとすれば、猫も何かの象徴でなければならないと思うです。
おそらく、魔女に付き従う猫は、蛇神と蛇巫である魔女の間にもうけられた子どもなのでしょうか。
猫のイメージって、案外蛇に似ている部分ってあるからです。

丸い頭、縦長の瞳、細長い体、時折出しっぱなしになる舌、丸くなって休む、シャーと言って威嚇する。
このところだけ見たら蛇?って思うでしょうね。
けれど、三角の耳とピンと張ったひげと来れば猫。

猫はまた、幼子もしくは子どもと蛇との合体した存在として捉えてもいいです。
全体の体型は幼子もしくは子ども、縦長の瞳と丸い顔と細長い胴は蛇によく似ているのです。

蛇は陰陽道で、何に配当されるかと言うと、風であり息です。
風や息は「声」でもあります。
魔女はおそらく、「預言者」であり、魔女の伴う猫は、体をまとった神の声なのでしょうかね。

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小河墓と陰陽?

かつてシルクロードの要衝「楼蘭」。
このオアシスの王国は今、廃墟となってタクラマカンの砂に埋もれているのです。
百年前の探検家ヘディンによる発見された古代の人々は、その太古の眠りから覚め「王国」の謎を語り始めようとしているのです。

四千年の昔というから、スメルの滅んだ時期とほぼ同じころですね。
ユーラシアを西から東に、一万㎞を超える遙かな旅をした人たちがいたです。
彼らこそタクラマカン砂漠の最初の住人で、楼蘭人の祖先かも知れないとみられているのです。

小河墓一体はかつて、豊かな水をたたえた川が流れていました。
今世紀に入って画期的な発掘が新たに進んでいる小河墓は、三千八百年前まで遡るという楼蘭故城の西170㎞なのです。
小さな砂の丘に林立する胡楊の柱、かつて探検家ヘディンが、死神たちの宮殿」と恐れた謎の遺跡だったです。

砂の中から、次々と船を伏した形が掘り出されたのです。
あらわれた船形は木棺で、あの「楼蘭の美女」と同じおよそ四千年前に生きた人々が数百体も眠っていたのです。

集団墓地には眠っていたのは、彫りの深い白人に似た容貌なミイラたち。高貴な面立ちの老婦人、まるで生きているかのような若い美女。
心臓の上には木彫りの不気味な「面」、枕元には小麦を入れた草編みのバスケットが置かれていました。

赤く塗られた棒状の男性を象徴する墓標に女性が、黒く塗られた扇状の女性を象徴する墓標に男性が、葬られているのです。
これは陽の男性原理には陰の女性原理、陰の女性原理には陽の男性原理が配されると言う、陰陽に極めて近い思想が示しています。

死者に、白い防腐剤が塗られていたです。
白は清らかさを現すとともに、死者の地である西方をさす色とされるのです。
これも、西に白と死を配する陰陽思想をおもわせます。

麦を持った女性の墓も見つかり、牛の神を崇拝したであろう遺物を伴った老婦人も見つかっています。
小河墓は神や葬儀にまつわる儀式のみが行われた、川の西方の地だったのでしょうか。
周辺地形はどうだっのでしょ。

学者は、白人の風貌から墓地の埋葬者をゲルマン大移動に関したとみています。
けれど小河墓と同じくらい古いとみられている楼蘭の墓は舟形であっても、小河墓のような白塗りのミイラかどうか、判然としないのです。

シルクロード時代、かの地は白人もいたかも知れないです。
けど当時の楼蘭や小河墓は時期から言って、私としてはスメルとの関わりを思わずにはいられないです。

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