小河墓と陰陽?
かつてシルクロードの要衝「楼蘭」。
このオアシスの王国は今、廃墟となってタクラマカンの砂に埋もれているのです。
百年前の探検家ヘディンによる発見された古代の人々は、その太古の眠りから覚め「王国」の謎を語り始めようとしているのです。
四千年の昔というから、スメルの滅んだ時期とほぼ同じころですね。
ユーラシアを西から東に、一万㎞を超える遙かな旅をした人たちがいたです。
彼らこそタクラマカン砂漠の最初の住人で、楼蘭人の祖先かも知れないとみられているのです。
小河墓一体はかつて、豊かな水をたたえた川が流れていました。
今世紀に入って画期的な発掘が新たに進んでいる小河墓は、三千八百年前まで遡るという楼蘭故城の西170㎞なのです。
小さな砂の丘に林立する胡楊の柱、かつて探検家ヘディンが、死神たちの宮殿」と恐れた謎の遺跡だったです。
砂の中から、次々と船を伏した形が掘り出されたのです。
あらわれた船形は木棺で、あの「楼蘭の美女」と同じおよそ四千年前に生きた人々が数百体も眠っていたのです。
集団墓地には眠っていたのは、彫りの深い白人に似た容貌なミイラたち。高貴な面立ちの老婦人、まるで生きているかのような若い美女。
心臓の上には木彫りの不気味な「面」、枕元には小麦を入れた草編みのバスケットが置かれていました。
赤く塗られた棒状の男性を象徴する墓標に女性が、黒く塗られた扇状の女性を象徴する墓標に男性が、葬られているのです。
これは陽の男性原理には陰の女性原理、陰の女性原理には陽の男性原理が配されると言う、陰陽に極めて近い思想が示しています。
死者に、白い防腐剤が塗られていたです。
白は清らかさを現すとともに、死者の地である西方をさす色とされるのです。
これも、西に白と死を配する陰陽思想をおもわせます。
麦を持った女性の墓も見つかり、牛の神を崇拝したであろう遺物を伴った老婦人も見つかっています。
小河墓は神や葬儀にまつわる儀式のみが行われた、川の西方の地だったのでしょうか。
周辺地形はどうだっのでしょ。
学者は、白人の風貌から墓地の埋葬者をゲルマン大移動に関したとみています。
けれど小河墓と同じくらい古いとみられている楼蘭の墓は舟形であっても、小河墓のような白塗りのミイラかどうか、判然としないのです。
シルクロード時代、かの地は白人もいたかも知れないです。
けど当時の楼蘭や小河墓は時期から言って、私としてはスメルとの関わりを思わずにはいられないです。
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コメント
初めまして。
小河墓・白人ミイラの記事を検索してて
偶然こちらのブログに行き当たりました。
その他の記事もいくつか読ませていただきましたがどの記事もたいへん楽しい。
こんな面白いブログはそうそうめぐり合えるものではありません。一発でファンになりました。
続きを読むのはまた明日。
ひとまずお礼を兼ねて書き込みさせていただきました。
投稿: なお | 2008年6月 3日 (火) 02時34分
喜んでいただけましたか。
投稿: cova | 2008年6月 3日 (火) 14時47分