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2008年4月

猫神三神

古事記や日本書記には、食物をつかさどる女神である穀物神の受難とも言える神話があるのです。

その穀物神とは、日本書記の保食神(うけもちのかみ)と古事記の大気都比売(おおけつひめ)です。

ではなぜ、受難したのかです。
保食神は月夜見尊、大気都比売は素盞嗚尊に、食事を出したのです。

どうやって?
保食神は口から、大気都比売は口とお尻から、出したのです。

保食神は、月夜見尊に殺され体から、作物などいろいろでました。
大気都比売は、素盞嗚尊に殺され体から、作物などいろいろでました。

これは、死体化生神話といわれるタイプの伝承です。
食物をつかさどる女神が殺され、死体からさまざまな穀物などが生じる神話は、外国にもあるのです。

インドネシア北東部に位置するモルッカ諸島のセラム島に伝わるハイヌヴェレ神話や、アメリカ東岸を流れるミシシッピ河畔のナチェズ族に伝わる火と食物の神話などです。

日本古代の壊された土偶も、この種の神話が背景にあると見られているのです。
食物をつかさどる女神は、殺されることによって、穀物をつかさどる女神になるというわけなのでしょうか。

これは、種が土中に埋められることを種の埋葬、すなわち種の死にみたて、発芽を種の再生とみなしたことによって、生まれた神話なのでしょうか。

伊邪那岐は、天照大神に高天原を、月夜見尊に夜を、素盞嗚尊に海原を、治めるように命じているのです。

ところが、月夜見尊と、素盞嗚尊とは、死体化生神話を共有してるのです。
これは考えれば考えるほど、奇妙なことです。

月夜見尊は、月読みに通じる月神と見られるのです。
月神は、暦をつかさどる神であるとともに、農作業の時期を指図する神と見ることができるのです。
穀物神の神話とつながりを持つのは、当然といえるでしょうか。

問題は、素盞嗚尊です。
海原を治める神と、穀物神にどのような接点があるというのでしょうか。

月は農耕に関連つけられるだけではなく、満ち欠けは猫の目の変化にもなぞらえられるのです。

しかも、猫もまた農耕の守り手として大事にされた歴史があるのです。
農地の作物を守り、収穫後のたくわえを守るというわけです。

一方、船では積荷を守る役目として猫は乗り込んだのです。

そうなると、月夜見尊は猫であり、猫は素盞嗚尊なのでしょうか。

これが何で気になるかというと、太陽女神である天照は、本来は太陽男神の天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊であるわけです。

古代エジプト同様動物神を含む八百万の神々の頂点が、太陽の男神であるなら、古代エジプトの太陽神ラー同様猫神だとしたらどうなのでしょうか。

そう。
猫神三神となるのです。

なぜでしょうか。

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「同行二人」

「同行二人」は、“どうこうふたり”ではなく、“どうぎょうににん”または、“どうぎやうににん”と読みます。

私はなぜか、この四国巡礼のお遍路などがその被る笠に書きつける言葉が好きです。

といっても、私はべつに真言宗ではないのです。

この言葉、弘法大師と常にともにあるという意味はあります。

四国お遍路の旅にはいろいろ困難をともなうが、いつも弘法大師様が見守っていらっしゃる、つまり大師と自分の二人でたどるのであるから安心してお参りに専念しなさいということです。

杖を突きながら歩くのには、杖を大師の身代わりとして頼らせていただきなさい、大師様があなたを支えてくださいますという意味がこめられているそうです。

しかし、本当の「同行二人」はお遍路を終わったときから始まると私は感じているのです。

『あなたの心の中にはいつも弘法大師様がおられ、あなたを支えてくださる、それをこれからも忘れなさるな』

これこそ、お遍路を通じてこの道を歩む人々にしめしたいことではないかと。。。。

けれど、弘法大師は御仏の道の先達ではあっても御仏ではないです。

弘法大師は御仏の“よりしろ”として大師を受け入れる人々の心の支えとなられるお方ということだと、私は受け止めたいのです。

私は、この大師と御仏を「神」に置き換えて一般化してみたいのです。

『あなたの心の中にはいつも神様がおられ、あなたを支えてくださる、それをこれからも忘れなさるな』

実は、この意味で「同行二人」が私は好きなのです。

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みけねこ天皇

禰宜(ねぎ)の子孫を、禰子(ねこ)といいます。

神社にはさまざまに呼ばれる神主がいるが、すべて禰宜の中の役職職位です。
神社内での役職職位は、神社の規模と由緒によってさまざまです。
一般的に、宮司(ぐうじ)・権宮司(ごんぐうじ)・禰宜(ねぎ)・権禰宜(ごんねぎ)等があります。
この下に見習いである出仕がいる場合もあります。

宮司・権宮司・禰宜は1社1名が原則です。
また「権宮司」は一般神社より社格が上とされる別表神社のうち、特に統理の承認を受けた神社にのみ置くことができるものとされます。

初代天皇とされる神武天皇は、崩御後の送り名です。
生前の御名は神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)です。

神武天皇には、いくつかの別名があります。
磐余彦命(いわれひこのみこと)
若御毛沼命(わかみけぬのみこと)
豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)
狭野命(さのみこと)
始馭天下天皇(はつくにしらすすめらみこと)

おもしろいのは、御毛沼命(みけぬのみこと)と言う名前です。
日本書紀には兄弟の御毛沼命は三毛入野命とか、三毛野命とか記すのです。
神武天皇の御毛沼尊は三毛沼尊であってもいいわけです。

天皇も禰宜の家系で、歴代天皇は皆禰子です。
それで、音の同じ猫が天皇の隠語です。
神武天皇は三毛の猫、それも貴重な男の三毛猫と言うことになってしまうのです。

日本は、“ねこのくに”ってことでしょうか。

日本に昔から住んでる“ねこ”で、“いりおもてやまねこ”や“つしまやまねこ”は、知っていますか。

いりおもてやまねこ (西表山猫)は、西表だけに100頭程度が生息する貴重なヤマネコなのです。
西表は、沖縄県南西部に位置し、面積284平方kmの八重山諸島中最大の島です。
ベンガルヤマネコと比較的近縁と見られています。
体長60センチメートルほどで、イエネコよりやや大きいです。
耳先が丸く、鼻づらは大きく、体は焦げ茶色で、暗色のぼんやりした斑点が多数あります。
特別天然記念物です。

つしまやまねこ(対馬山猫)は、長崎県対馬だけに100頭未満しか生息していない野生ネコなのです。
対馬は、九州と朝鮮半島にはさまれた総面積708.61平方kmになる山がちの島々で、上島(かみしま)と下島(しもじま)と周囲の島々に分かれます。
ベンガルヤマネコの亜種とされます。
イエネコよりひとまわり大きく、小動物を捕食しています。
氷河期に朝鮮半島から渡来して対馬に隔離されたと考えられ生物地理学的に貴重な種です。
天然記念物で、国内希少野生動植物種の指定です。

では、“やまとねこ”は知っていますか。
これも、日本に古くからいる“ねこ”です。

じつは、“やまとねこ”は“倭根子”と書き、天皇の美称です。
ちなみに、“ねこ”だけでも天皇を敬っていう語です。
詔勅などで、「天皇」の上に付けて、大倭根子天皇(おおやまとねこのすめらみこと)などと用いられます。

天皇は明治憲法まで、国の最高位とされてきました。
そして、いまの憲法でも、天皇は国民統合の象徴と位置づけられています。

日本は、“ねこ”が偉い国なのでしょうか。

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神や仏について

神や仏について調べているというと、いろいろ聞かれます。
調べているといっても、民俗のほうなのですがねえ。
それでも、わかっている範囲では応えさせていただいてます。

 魂自体も、くっついたり別れたりするみたいですね。
 それに自分もたくさんいるって聞きました。
 だから、あんまり数には意味がないのでしょうかね。

御魂わけというのは、神の世界ではありますね。
そのあたりの情報が、元ねたと見られます。

 物質的な空間と魂の居る空間はまた意味が違うので、「満員」という概念すらないかも。
 肉体をもつ、つまり物質という形で存在する場合の方が特殊であると聞きました。
 守護神というより、守護霊みたいなのは自分より上の人がなるのかしら?
 と言っても神ほどでもなくて、天上でああしてほしいこうしてほしいと。

これは、かなり難しい問題なのです。
天使の世界というべきものはあって、位階があるのは確かなようですねえ。

この世界に指導に使わされるのは、天使の方だという声は聞きます。

 地上の人間に向上してもらうように願っているのだけど、それが伝わりにくくて大変そうです。
 手をこまねいているだけで。
 それも守護霊、指導霊の修業になっているようで。

神仏の世界には、霊体ではなく、新たな復活体となった肉体をまとって入っていくようです。

 その人も、ちゃんと地上に生きてた人だったということでしょうかねえ。

おそらく、守護霊、指導霊というのは、守護天使、指導天使となっているのが、かつて現世で人であったという情報が元になっていると思われます。
 
守護天使の話は、奥が深いのです。

詳しく話したら、これだけで、何回分にもなるでしょうね。

 そしてまたその上が居るのでしょうね?
 いろんな段階で修業があって。

霊はどうかというと、神仏の裁きの後、合格したものは神仏の待つ世界で復活して、修行をしていくようです。

 聖書の神はよく知らないです。
 ただ、「自分だけを信じよ!」って言うのはとても広い意味の神だと思うのですが。
 人間の基準で見るから、「キリスト教のみ」って捉えるけど。
 「信じよ!」って中には、日本の神だって入っていると思います。

神様とか霊とか、普段あんまり考えないのだけど、なんかの拍子にふとこんなこと感じるという人もいます。

 目に見えないものは、信じられないけど。
 でも、その見えない力っていうのが理屈ではなく、なにか感じてるってことありますよねえ。
 これって、なんでしょう?

飾りっけのない素直に聞きたくなる声であれば、神か仏の御声ではないのでしょうか。

神や仏は、無邪気な御方なのですよ。
それでいて、厳かな威厳と貫禄を備えておられて、不思議と安らぎを感じられるのですね。

そっとたたずみ、やさしく見守ってくださっていると、感じられるなら、その御方は、おそらく神か仏ではないのでしょうか。

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チーズ的食品

「がっこ」とは秋田の言葉で漬物、この漬物をいぶして作ったのが、「いぶりがっこ」です。
囲炉裏の焚き火で暖をとっていた頃、上の火柵に大根を並べておくと大根は煙に包まれ、いぶされて水分が蒸発したのです。
これだけでも十分燻製として保存食になります。
でも、秋田ではさらにこの自然燻煙大根を米糠と塩で漬け込んだのです。
これが、いぶりがっこの始まりです。
いぶした後発酵させる製造工程は、面白いことに鰹節に良く似ているのです。

ここで興味深いのは、いぶすのがハムやチーズと順番が逆なことです。
ハムやチーズは、仕上げにいぶすのです。
もちろん、ハムもチーズも必ずいぶす訳ではないですけれど。

生ハムやフレッシュチーズに近いのは、刺身かも知れないと最初は思いました。
でも、魚介類を生で食べる習慣のない欧米の食文化を考えると、刺身は欧米に受け入れられるのでしょうか。
寿司は、欧米でも案外人気があるようですけど。

寿司のルーツは、「なれ寿司」といわれるのです。
「なれ鮨(すし)」と書かれることも多いこの寿司は、紀元前より穀物の発酵を利用した米作民族特有の保存食品です。
「なれ鮨」のような食品は、ベトナムやミャンマー、中国から日本に渡ってきて、九州、中部、関東地区へと広がったと言われています。

なれ鮨と呼ばれるものは、全国各地で作られており、その材料や作り方も地域によって様々です。
主な材料は、魚、米、酢、塩です。
製法の一例を挙げてみます。

 魚のはらわたを取って3枚におろし、骨を除く。

 半日水につけて血抜きをする。

 途中一度水を変える。

 よく水を切ってから塩漬けする。

 魚の表面や内側に塩をまぶして重りを乗せ、2週間ほど塩漬けする。

 塩抜きをする。
 たっぷりの水に魚を漬けて、2~3回水を変えながら一日かけて塩を抜く。

 その間、ご飯を少し固めに炊き上げる。

 炊き上がったご飯に軽く酢を混ぜ、すし飯を作る。

 塩抜きした鯖の水分をよく切って、頭を左側に置く。すし飯を魚の形に固く細長く握って、魚の上に置く。

 すしはきれいに洗った広めの葉でしっかりと巻き、しゅろの葉などをさいてつくった紐でしばる。

 木箱のようなものに詰め、板のように平らなものでふたをする。上に重石をおく。

 翌日水が上がってくるが、5日~2週間(食べ頃はお好み)でなれてきて、なれ鮨の出来上がり。

 漬け込むほど乳酸発酵が進み、なれた味になる。

こう見てみると寿司も元は、漬物だったようです。
でも、漬物も鰹節も発酵ではチーズと同じですね。

寿司もチーズに遡るのでしょうか。

もし、寿司も漬物もチーズに遡るとすれば、このような食文化を日本に持ち込んだのはどのような人々だったのでしょう。

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オリーブ

聖書には新約、旧約あわせると、「オリーブオイル」は140カ所、「オリーブの樹」はほぼ100カ所で言及されているのですと。

ま、よくもまあ数えたものですね。

さらに、オリーブをイスラエルにたとえる個所が、聖書には何個所かあります。

オリーブは、有史以前からシリア・メソポタミア・イスラエルなどに自生していたと考えられます。
原産は中近東で、トルコ南部の地中海に面した地域で、トルコからアフリカ東北部の沿岸にかけて自生していました。
中近東に始まったユダヤ教とキリスト教の聖典である旧約聖書や新約聖書にオリーブが出てくるのは当然と言えば当然といえるわけですね。

でも、なんでまた、聖書はこんなにオリーブを登場させるのでしょうか。

ちなみに、エジプト人は、ピラミッドの石を運ぶ際、潤滑油としてオリーブオイルをもちいました。

オリーブオイルは、モクセイ科の常緑樹オリーブの実からとれる油なのです。
けど、じつはオリーブを意味するアラビア語が、オイルなのです。
実を絞るとすぐに油がとれるオリーブは、人類が最初に手に入れた油だったのです。

オリーブオイルは、種じゃなく実を絞るので、オイルといってもジュースに近いのです。
このオリーブはジュースである以上飲めるわけで、実際欧州の産地では飲まれているようです。

ギリシャの方とか行くと、オリーブオイルを入れる大きい容器があります。
そして、それについてる蛇口をひねって料理にドローってかけているそうです。
気前よく使われるのも、ジュースとして見られているからでしょう。

そしてぶどうと並んで、もっとも古くから栽培されている植物でもあります。
6000年前には、クレタ,キプロス,シリアなどでさかんに栽培されています。
フェニキア人によって、ギリシア,南フランス,イタリア,南スペインなどにも広く伝えられました。
話が聖書にはいくつもでてくるオリーブの学名は、Olea Europaeaです。
モクセイ科の常緑樹で、高さは3~10メートルになります。

四季を通じて緑を絶やすことのない、「オリーブグリ-ン」と呼ばれるオリーブの葉の色は「常若(とこわか)」を思わせます。
「銀葉」と呼ばれる秘密は、葉の裏面にあったのです。
オリーブ葉の表面はつややかな濃緑色で、裏面には白い細毛が密生して、まるで、正月の裏白です。

「太陽の樹」と呼ばれるオリーブ樹は、生命力が強く、樹齢が長いのが特徴です。
スペインなどでは、樹齢500年を超える古木が今なおたわわに実をつけている姿を見かけるそうです。
生命力のシンボルだけあって、千年以上生きつづけるものもあるオリーブの木は、4年から8年で実をつけ始めます。

古代オリンピックでは、選手は筋肉疲労を回復するためにオリーブオイルを塗ったとか。
クレオパトラが美しさを保つために、オリーブオイルを使っていたともされ、貯蔵や交易のためのオリーブ壷のアンフォラも遺跡から多数発掘されているのです。

脂肪が酸化した過酸化脂肪酸は体に悪いけれど、最近の研究では、オリーブ葉に含まれる成分に抗酸化作用が認められるという報告もされました。
オリーブオイルの主成分はオレイン酸で、その特徴は酸化しにくいことです。
リノール酸の12倍,リノレン酸の25倍酸化しにくいのです。
オリーブオイルにはさらに抗酸化成分であるビタミンK、A、E、ポリフェノール、D、カロチンが多く含まれるので、老化を遅らせる効果があります。

油は、酸化しにくいものがよいのは当然です。
さらに抗酸化成分は老化や病気のもとになる、悪名高き活性酸素の働きをおさえるのです。
また酸化に強い性質から美肌を作るとされ、古くはローマ時代から美容クリームとして使用されてきました。
オリーブ葉は美しいだけでなく、効用もあるのです。
太陽と長寿と薬効とくると、まるでイエスみたいです。

1世紀頃の、全ての富と権力が集中したローマ帝国では、オリーブオイルは「液体の黄金」と呼ばれ、取り引きの中心となっていたようです。
金は王の象徴だけど、不変の輝きを放つ光の神でもあるようです。

オリーブは、ローマ帝国の都市で、祭祀、灯火、食用、化粧品、また鎮痛作用のある軟膏として医薬品に,などにひろく使われるようになりました。
そして、貴族がオリーブ農園を各地に作るようになり、さらに広い地域で大量に生産されるようになりました。

大航海時代にはアメリカや南アメリカに、その後も全世界に広がり、現在、オリーブ樹は世界には約8億本です。
スペイン・イタリア・ギリシャなどの地中海沿岸地方だけでなく、世界各地で栽培されています。
もちろん地中海付近の国々が上位を占めます。
中国も意外と多く、約2,000万本だそうです。

日本にオリーブ樹の栽培が伝わったのは、幕末とか。
明治時代には、日本でも栽培されるようになりました。
今でも地中海地方に気候が似ている小豆島周辺で、オリーブオイルが作られています。
世界には、700種類以上のオリーブがあるとされます。
日本で栽培されるのは、主にミッション、マンザニロ、ネバディロ・ブランコ、ルッカ、です。
今では、気候が適した香川県小豆島と岡山県牛窓町が日本の二大産地として知られています。

5月半ば頃、オリーブのつぼみが少しずつ膨らみ、5月終わりから6月半ばにかけて、モクセイによく似た小さな白十字の花を咲かせます。
これまた、白き光のイエスみたいです。
9月から11月にかけてオリーブの実はエメラルドグリーンから黒紫色に色づいていくです。
たわわに実るその姿は、まさに「豊穣の樹」で、ここは、豊受大神のようです。

でも、オリーブ果実は渋みや苦みが強いので、小鳥や動物もついばむことがほとんどないです。
オリーブ果実が宝石のように輝いて見えるのも、渋抜きをして塩漬けや酢漬けに加工したり、油を搾ったりする技術があってこそです。
健康を重視する昨今では、地中海沿岸地域での心血管障害の発病率が低いことに注目しました。
その食生活の重要なポイントであるオリーブオイルの効用について研究がすすめられているのです。

現在平和のシンボルとして国連のマークにデザインされているオリーブは、ギリシャ神話や聖書には、オリーブ樹は平和や豊かさの象徴として多数登場します。
ノアの方舟に、鳩がオリーブの小枝をくわえて戻ってきたため、洪水がひいたことがわかった話が有名です。
ここにも、イエスがほのめかされているのでしょうか。

また、ポセイドンが戦争に役立つ馬を、アテナが暮らしに役立つオリーブを発明し、アテナが勝ってギリシャのアテネの所有権を得ました。
古代オリンピックでは、勝者に与えられたのは月桂樹ではなくオリーブの冠だったともいわれます。
さらに、樹の王を決める会議で、オリーブは「暮らしの中で役に立ちたい」と言い、王の座を辞退した話もあります。

確か新約聖書にも、油壺を持っていた女性がいたような気がします。

涙でイエスの足を洗い、髪の毛でそれを吹き、香油を塗って、足に接吻をした女性ですね。
おそらく彼女のそばには、油壺があったことでしょうね。
となると、油壺を持った女性として描かれても不思議ではないです。

この女性は罪深きものと記され、イエスによって7つの悪魔を追い出してもらったマグダラのマリアや、姦淫の罪を犯しイエスに救われた女と、しばしば同一視されるようですね。

この同一視のうらに、バッカスの酒宴もどきの大祭を主催する女神バステトのイメージがある可能性は否定できないかも。

バステトの大祭では、男性はもとより女性もかなり奔放で開放的に振舞ったようなのです。

聖書的倫理からみて、問題が多いと見られていたとしても、残念ながら不思議ではないと思えるのです。

ところで聖書に出てくる頭につけたりする油って、オリーブオイルなんですかね。

聖書に出てくる頭につける油は、当時彼らにとって名前を言うまでもなかったもの、というわけでしょうね。
オリーブを意味するアラビア語がオイルである以上、アラブと同祖のユダヤ=イスラエルの民にとっても同じ事は言えるかもしれません。

となると、聖書の油は特に断りがない限り、オリーブかも。

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これで議論がなりたつでしょうか

目くじらを立てるという言葉があります。

「目くじら」とは、「目の端」のことで、鼻から遠いことから「目尻」「目角(めかど)」とも言われ「めくじり」とも呼ばれます。
また、「怒った目つき」や、「鋭い目つき」をいうこともあります。

別に、目に鯨がいるわけじゃないのです。
目の形を鯨にたとえた、といっていいのでしょうね。

で、目くじらを立てるとはこういう意味です。

 目をつり上げる。

で、何をするかというここうなります。

 目をつりあげて人のあらさがしをする。
 ささいなことを取り立ててとがめる。
 他人の欠点を取り立てて非難する。
 目角を立てる。
 
つまり、目くじらを立てる人は、小さなことにこだわって、全体が見えない人ってことです。

皮肉なことに、目角にはこんな意味もあります。

 鋭く物を見る目。
 眼力。
 眼識。

「眼力」や「眼識」は、こういう意味で使われます。

 目で物を見る力。
 視力。
 がんりょく。

はっきり見える目で、ものを見てるってことです。
で、何がわかるのかです。

 物事や事物の理非・善悪・真偽・成否などを見抜く能力。
 がんりょく。
 識見。
 めきき。

つまり、「眼力」や「眼識」があるということは、物事の善悪や真偽を見極める知識や、それを生かした見解を述べる能力があるということです。

そして、「目くじらを立てる」ということは、せっかくの能力を無駄遣いしてるってことです。

日本の捕鯨に抗議している欧米の環境保護団体、見識があるのか、ただの目くじらか、どっちなのでしょう。

ただ、いえることは長年捕鯨をしてきた国家と国民が、鯨を絶滅の危機に追いやったのではないということです。

鯨を絶滅の危機に追いやったのは、欧米の鯨油目当ての乱獲であったということです。

そして、多くの欧米の人々はその自らの乱獲の過去から、ほかの捕鯨国も乱獲していると決め付けていることです。
欧州の反捕鯨の議論の問題点は、自分たちの価値観や判断を絶対視して、全世界に押し付けていることです。
自分たちは常に正しく、そのための行為はすべて合理化されるのでしょうか。

いい加減にして欲しいでしょう。

そのうえ捕鯨問題は、政治化してしまって、鯨の保護という肝心の論点からずれてきてしまっていますよね。
おそらく、欧州の中で異論を唱えようとする人は、魔女狩り状態にあうでしょうね。

ここを、欧米の世論が改めてくれない限り、捕鯨に関する冷静な議論は永遠に無理でしょう。

イエスは、罰すると称して石つぶてを一人の女に投げようとしている人々を見て、こういいました。

「あなたがたの内の中で罪の無い者から彼女に石を投げなさい」

まず、冷静になって、自分たちが何をしているか考えたいものです。

過激に走りやすい欧米の環境や自然、動物の保護に連帯する場合、冷静な議論ができる相手かどうか、注意する必要はあるでしょう。
たとえば、毛皮を着るくらいなら裸を選ぶと、実際に裸で歩くデモンストレーションなど、多くのアジア人は恥ずかしくて参加をためらうでしょうね。
毛皮のためだけに、動物を殺す行為に反対する人々であっても、デモンストレーションの手段として裸で歩く案を出す人自体いないでしょう。
いくら横断幕で隠しているといっても、アジアには恥の文化が今でも強いですから。

日本の運動の側も、自分たちの運動は冷静な議論ができているか反省する必要もあると感じます。

環境問題は、感情や感性の問題として出発することが多いでしょう。
冷静な判断ができているかどうかは、すべての国の運動にいえる課題でしょう。

わたしは、反欧州、反米も、嫌欧州、嫌米も掲げるつもりはないのです。

民俗や伝統工芸など、欧米から教えてもらったおかげで守れたものがいっぱいあることは、大いに感謝します。

環境運動などで、教わったことは今でもたくさんあり、尊敬もしています。

けど日本から見て、呑めるものは呑める、呑めないものは呑めない、それははっきり言うべしでしょう。

日本は大人の対応を取って、単なる目くじらに終わらない、そういう国であって欲しいです。

また、私自身もこの議論が、単なる目くじらでないことを願いたいです。

わたしは、鯨の保護の必要は認めます。

でも、そのためのデータ集めも必要なのです。

その中には、胃の内容物調査も含まれます。

鯨の糞を、だれが調べられるのでしょう。

調査捕鯨は、保護に必要なデータを集めるために必要という、皮肉な現実があるのです。

その調査費用を、誰が出しますか。

少なくとも、その一部は市場で調達しているのが実態です。

売るなというのなら、その費用誰が出します。

その肉、どう処理するのですか。

かつての鯨油獲得時代に戻って、欧米がしたように海洋投棄でもしたら、とでもいうのでしょうか。

冷静に議論して欲しいのです。

そして、捕鯨国側もきちんと調査捕鯨の必要な理由を、理路整然と述べて説得して欲しいです。

捕鯨に反対だろうと賛成だろうと、自国の食文化のみを正当化して、他国に押し付けることだけは、したくないですね。

イエスはこういわれました。

「汝の敵を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」

冷静になりましょうよ。

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この歌についての情報募集中です

おもしろい古い童歌を、一つ紹介したいと思います。
ただし、どれだけ古いかわからないのですが。

出雲童歌「ネコにゃんにゃん」

出雲にゃんにゃんのん 出雲にゃんにゃんのん
出雲にネコがいーたそうな にゃんにゃんのん・・・
神様がかわいくて ネコ ネコ ネコと呼ぶ、
にゃんにゃんのん・・・ ・・・

ネコは喜んで神様にいい よい踊りを見せよと踊る
にゃんにゃんのん、にゃんにゃんのん
神様手たたいて ほめてほーめて おだてておだてて
にゃんにゃんのん にゃんにゃんのん神様一緒に踊り出す
にゃん ・・・ にゃんにゃんのん・・・

ここは良いとこ出雲の神社の前で、
そのひろっぱにネコじゃじゃ ネコたんとたんと集まって
神様と踊る にゃんにゃんのん にゃーん
にゃんにゃんのん にゃん ・・・にゃんにゃんのん

みんなおいでよ おいでよ集まってネコじゃネコじゃと踊る
踊る 踊るほどよけれ。踊るほど いいじょ いいじょ・・・
なんでも下手でも なんでも下手ら一緒に ネコと一緒に
じゃじゃ じゃじゃ じゃじゃ 踊れば
神様みんなよってきたって踊り出す
にゃんにゃんのん にゃんにゃん にゃんにゃんのん ・・・
にゃん にゃん にゃん にゃん にゃん にゃん

二番、三番と続くらしいのです。
けど、どのような歌詞なのかは不明とのことです。
目下情報募集中なのですが。

あと、この歌に関する情報も、あわせて募集中です。
どんな、ちいさなことでもかまいません。

追記

この出雲は島根ではなく、京都の丹波ではないかとの情報があります。

確かに、この地には出雲大神宮が存在します。

出雲大神宮御祭神
http://www.izumo-d.org/history/gosaijin.htm

出雲大神宮は京都府亀岡市の北東部に位置し、大国主命(オオクニヌシノミコト)と后神である三穂津姫命(ミホツヒメノミコト)を奉斎し(明治の制による)、特にこの二柱を合わせて出雲大神、出雲大神宮(日本書紀)、出雲神社などと称へ奉ります。

古事記や日本書紀に見られるように、大国主命は因幡の素兎で知られる慈愛に満ちた神様で、当宮末社に祀られる少那毘古名命(スクナヒコナノミコト)と共に国土経営に尽力なされました。
その後、皇孫に国譲りの後、幽世(カクリヨ)を統治すべく、現在の島根県にある出雲大社に鎮座される事となります。

『丹波国風土記』によれば、「奈良朝のはじめ元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す。すなわち今の出雲大社これなり。」と記します。
よって当宮に古来より元出雲の信仰があります。

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犠牲祭

犠牲祭と訳されるイードゥル・アドハーは、イスラムの大事な行事の一つです。
ヒジュラ暦とも呼ばれるイスラーム暦は一年354日の太陰暦なので、毎年イードゥル・アドハーの日は11日ずつずれて、夏になったり冬になったりします。
その日は「イード・ムバーラク!」、つまり「お祭り・おめでとう!」と季節関係なく挨拶を交わします。
日本で言えば、「新年おめでとう!」って感じだそうです。
イードとはもともと「繰り返し」とか「再び起こる」という意味のアラブ語で、そこから年中行事としての祭日とかお祭りをさす言葉になったようです。

イスラームには、信者が行わなければならない5つの義務があります。
五行と呼ばれる5つの義務とは シャハーダ(礼拝)、サラート(礼拝)、ザカート(喜捨)、サウム(断食)、ハッジ(巡礼)です。
他の4つの義務とは違って『巡礼』は、条件がそろわないとなかなかできるものではないので、絶対に守らねばならないものではないです。

その条件とは、こういうものです。

 体が丈夫で、メッカまでの往復の旅費・巡礼にかかる費用があり、留守の家族が充分に生活できるという保証がある

巡礼の月である『ズー・ル・ヒッジャ月』の第7日、8日、9日、10日の4日間の決められた日に行う『大巡礼』を終えると、晴れて大巡礼『ハッジ』を終えた者になれます。
そして、巡礼の最後の日、すなわち巡礼月の第10日に行われる行事が犠牲祭であるイードゥル・アドハーなのです。

犠牲祭では、サダカと言って犠牲に捧げた肉の一部は貧しい人々に振る舞われ、親戚・友人達にも分け与えられます。
そしてサダカの残りを、家族で食べるのです。

犠牲祭のいわれはこうです。

その昔、イブラヒームは長い間子宝に恵まれなかったけれど、ある日やっと息子イスマイールを授かったです。
ところが息子がかわいい少年になった時、神に「私が命じる山で愛する独り子を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」と命じられるのです。

イブラヒームとその息子、イスマイールは苦悩しながらも、神に言われたとおりに従おうとします。

コーランはこう伝えます。

 「(この子が)かれと共に働く年頃になった時、かれは言った。
   『息子よ、わたしはあなたを犠牲に捧げる夢を見ました。
   さあ、あなたはどう考えるのですか。』

   かれは(答えて)言った。
   『父よ、あなたが命じられたようにして下さい。
   もしアッラーが御望みならば、わたしが耐え忍ぶことが御分かりでしょう。』

   そこでかれら両人は(命令に)服して、
   かれ(子供)が額を(地に付け)うつ伏せになった時、われは告げた。
   『イブラーヒームよ。あなたは確かにあの夢を実践した。
   本当にわれは、このように正しい行いをする者に報いる。
   これは明らかに試みであった。』

   われは大きな犠牲でかれを贖い、末永くかれのために(この祝福を)留めた」

  〔第三十七章(整列者章):第百二~第百八節〕

父が息子を今しも犠牲にしようとしたその時です。
イブラヒーム親子の揺るぎない信仰心を確認したアッラーから声がかかり、イスマイールは助命されます。
そのかわりに子羊が生贄にされたのです。

旧約にはこれとそっくりの話があるけれど、イブラヒームはアブラハム、イスマイールはイサクとなっています。

聖書には、そうありますよね。
イスマイールは、旧約でいうイシュマエルのことでしょうか。
もしそうなら、イシュマエルは、アブラハムがエジプト人の召使との間に授かった子供となっています。
アブラハムが試されるシーンを、コーランを起草するにあたり、イツハクをイシュマエルに置き換えているのでしょうか。
このあたり、興味深いですね。
改めてコーランを読み直しても、息子とだけあり、名前は記してないですからねえ。

息子をイスマイールと見ているのは、イスラム教徒側の解釈の問題とも思えます。。。

イシュマエルのときにも、この種の出来事はあったのでしょうか。

もしそうなら、聖書編纂の過程で、記録がはずされたことになるのです。
聖書には、偽典、外典と呼ばれるものは数多くあります。
未発見の記録の中にあるのでしょうか。
憶測の範囲を出ないですから、これ以上深入りしません。

この手の話に、とても「違和感」を感じるっていう人もいます。
その違和感は、神が「試す」のに用いるのに、その人自身の命でなく その人の大事な人、この場合は息子の命であること、にあるわけです。
「神様ってずるいっ!嫌な手を使うっ!」って思ってしまうのは そう感じる人ががあまりに無知でモノをしらないせいなのでしょうか。

祈りや感謝ばかりが信仰かというと、そうとばかりともいえない、それが信仰の奥深さなのです。

「神よ!あんまりです!」っていいたくなるのをぐっとこらえる、これもまた信仰なのです。

つまり犠牲祭とは、われらアッラーにひざまづくものは、イブラーヒム父子のように自分の欲望を犠牲にしてアッラーの教えや道に従う、自分の命さえもアッラーに捧げる用意がある、という信仰の深さを表す行事なのです。

そういえば、ユダヤ教、キリスト教、このアブラハムのエピソードにちなんだ行事聞いたことないですねえ。

“これは神の私への試しである、きっとそうに違いない”

“神はきっと、何か深いお考えがあってのこと、この子は神が必要として呼ばれた子なのだ”

そう、本気で思えなければこれはできないことです。

イスラム教、ユダヤ教、その後の原始キリスト教。

根はおんなじなんでしょうね、三つの宗教は。
で、キリスト教は何故ユダヤ教から分派したのか?

キリスト教からの言い分では、解釈に過ぎないタルムードのほうが本来の経典であるべき聖書より幅を利かせるようになったユダヤ教を元に戻そうとしたのがイエスなのですね。

しかし、イエスがやろうとしたのはユダヤ教の原点回帰、新宗教を起こす気はさらさらなかったのです。

イエスの直弟子たちによるエルサレム教団も、ユダヤ教原点回帰派であっても、キリスト教ではないですねえ。

イエスの教えからユダヤ教的要素が除かれたのは、異教徒からイエスに帰依した人々のために組織されたアンティオキア教団からです。

その後AD132年に「第二次ユダヤ戦争」がおきたとき、エルサレム教団は忽然と姿を消すのです。

カソリックもプロティスタントも、エルサレム教団は消えていない、自分たちが引き継いだというものもいるけど、ユダヤ教的要素は東方に布教された諸宗派にかろうじて引き継がれていても、西方に広まった諸宗派はひとかけらも受け継いでいないですねえ。

本来ユダヤ教イエス派ともいうべき流れが、どこからキリスト教と呼ばれるようになったかは、私も気になっていることです。
イエスの死後も、エルサレム教団は忠実なユダヤ教徒として、神殿で奉仕していますから。
少なくとも、エルサレムから姿を消すまでは。

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批判とは。

国際捕鯨委員会(こくさいほげいいいんかい、International Whaling Commission: IWC)は、事務局をイギリスのケンブリッジにおく、国際捕鯨取締条約に基づいて設立された国際機関です。

科学・技術・保存・財政運営の4つの小委員会を持っていますが、技術委員会は現在開かれていないそうです。

目的は、クジラ資源の保存および利用に関しての規則を採択したり、クジラの研究・調査の調整・主催を行うこと。
年に1度年次会合を開催するほか、適宜各種小委員会・作業部会・特別会合等の会合を開きます。

国際捕鯨委員会は、鯨資源の保存・利用に関してさまざまな取り決めを行っています。

その内容は、条約の規定によると次のとおり。

(a) 保護される種類及び保護されない種類
(b) 解禁期及び禁猟期
(c) 解禁水域及び禁止水域(サンクチュアリの指定を含む)
(d) 体長制限
(e) 捕鯨の時期、方法、捕獲量
(f) 使用する捕獲用具・措置
(g) 測定方法
(h) 捕獲報告・統計等の記録
(i) 監督の方法に関して、付表 (Schedule) の修正を行なうことができる(国際捕鯨取締条約第5条1項)
 付表の修正には、本会議で投票する加盟国代表の4分の3の多数を必要とする(第3条2項)。
 付表修正は、 次の用件を要する。
 (a) この条約の目的を遂行するため、あるいは鯨資源の保存・開発・最適利用を図るために必要なものであること
 (b) 科学的知見に基づくこと
 (c) 国別配分割当や船団別・捕鯨基地別配分を規定しないものであること
 (d) 鯨の生産物の消費者・捕鯨産業の利益を考慮したものであること(第5条2項)。
 付表は条約の不可分の一部であり、本条約において「条約」という場合は、この付表を含む(第1条1項)。

委員会は、鯨または捕鯨及び国際捕鯨取締条約の目的に関する事項について、締約政府に随時勧告ができる(第6条)。
勧告については、投票する加盟国代表の単純多数決で行われる(第3条)。

手続規則の採択など付表の修正以外の決定は全て単純多数決で行なわれる(同条)。

国際捕鯨取締条約の規定にかかわらず、締約国政府は、科学研究のため鯨を捕殺することを許可する特別許可証を発給することができる(第8条)。

条約非締約国は、条約寄託国であるアメリカ合衆国に対して通告することによって条約への加入を行うことができる(第10条2項)。
また締約国は、脱退を希望する年の1月1日よりも前に条約寄託国であるアメリカ合衆国に対して通告を行えば、6月30日に脱退することができる(第11条)。

設立当初から1970年代半ばまでは、加盟国はおよそ十数カ国で推移していましたが、主要加盟国は、ノルウェー、英国、日本、ソ連、オランダなど南極海捕鯨操業国、デンマーク、オーストラリア、米国、カナダなど沿岸捕鯨操業国でした。

つまり、もともと国際捕鯨委員会とは、実質は捕鯨国組合であったといえます。

それは当然でしょう。

巨体でしかも、世界的に移動する鯨は、一カ国内の漁業組合に収まらないのですから、国際組織化するしかなかったといえるのです。
逆を言えば、本来の国際捕鯨委員会は捕鯨国以外は加盟できなくても、文句の言いようがない組織であったともいえましょう。

しかし、国際捕鯨委員会は国際的な世論の圧力に屈し、非捕鯨国の参加を受け入れてしまいました。

だからといって、捕鯨国組合としての、国際捕鯨委員会の性格が変わったわけではないのです。

第8条の、国際捕鯨取締条約の規定にかかわらず、締約国政府は、科学研究のため鯨を捕殺することを許可する特別許可証を発給することができるという取り決めに基づき、調査捕鯨はして良いのですよ。

シーシェパードの言い分は、国際捕鯨委員会の取り決めに関して言えば、まったく根拠がないといえましょう。
彼らはいったい誰に認められた権限に基づいて、調査捕鯨に対して暴力的な妨害行為を行っているのでしょう。

誰かご存知な方、教えてください。

もし、自分勝手に彼らのような行為をする権利が万人にあるとしたら、どうなりましょう。

世界は私的制裁し放題の、無法地帯と化しましょう。

私の主張、間違っていますか。

こういうと、感情的な意見が出るでしょう。

あなたは、捕鯨に賛成か反対か。

議論のすり替えですよ。

私は、シーシェパードのやり方が迷惑だと言いたいのです。

環境保護運動が、彼らのような人々の集団とみなされたら、孤立するだけでしょう。

環境保護団体の人たちは、話しても無駄な人の集団だと。

違いますか。

聖書にはこうあるはず。

「人を裁くな。裁かれないためである。」

環境保護団体の人々にお尋ねします。

あなたは、シーシェパードと同類ですか。

同類でないなら、すぐさま一線を画してください。
境界線を引いて、相互の区別をはっきりさせてください。

私のお願いは迷惑ですか。

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酒の道?

酒類には発酵させた後、Wine(ワイン)や日本酒のように濾したり絞ったりするものと、Whisky(ウィスキー)やBrandy(ブランデー)とか焼酎のように蒸留するものと、があります。

私は本来、濾過も蒸留も製法の差ではなく、飲み方の差であったのではなかったかと見ています。
酒は儀式などで飲むたびに作られるものから、携帯したり交換したりもするものへと変化する中で、製法の違いになったのではないでしょうか。

濾したり絞ったりするにはフィルターになるものが必要でそのようなものが豊富にあればいいです。
でも、それが貴重品であればどうでしょうか。
ストローのようなもので飲むか、蒸留するしかないのです。
現に古代エジプトではビールをストローで飲んでたのです。
しかしストローさえ貴重である場合、蒸留しか手がないわけです。
生活すればごみが出るのです。家畜がいれば糞が出るのです。
これを燃やした熱で蒸発させ水で冷やせば、蒸留は出来るのです。

つまり、濾過や搾り取りも、蒸留も、本質的な相違ではないわけです。
大事なことは、なぜに酒を造るでしょうね。

酒の原材料は、餅性食品の材料であるか、餅性食品の特徴を持っているか、している食品であるわけです。
そして、餅性食品の食感は、肉の食感に対応しているように見えます。
ならば、そこから作られる酒はやはり、血の食感になのでしょうか。
一方では濁り酒もあり、これなどは乳酒そのまま飲むのに近い感覚といえますね。
乳酒にも蒸留して飲むタイプもあります。

魚の食べ方にも生ハムに近い刺身や、レアステーキに近いたたきなど漁猟民や農耕民より牧畜民に近いものが見えるとするなら、日本の酒もまた、牧畜民のものに起源が近いでしょうか。
縄文から弥生、古墳時代へと文化の連続性が言われ続け、文化の担い手の主役となる民族が交代したことが明らかになると、その矛盾が謎とされてきたのです。

そうなると、日本は牧畜民集合の国ということになるでしょうか。

蒸留酒は、一般にアルコール度数が高いのが特徴です。
醸造酒を蒸留する、蒸留酒の技術は、メソポタミアで生まれました。

西に渡ると、Gin(ジン)やWhiskyやBrandyのようなお酒が出来てきます。
東では、Vodka(ウォッカ)とか白酒(パイチュウ)などになります。
日本に来ると、さまざまな焼酎を生みます。
焼酎の仲間である沖縄の泡盛は、戦前まで奄美でも作られていたといいます。
奄美も、かつては沖縄の前身であった琉球の一部でしたから当然といえば当然ですが。

世界各国に伝わって、その地域に応じた様々な蒸留酒になっていったのです。

日本の焼酎でおもなものといったら、芋焼酎でしょう。

メキシコを代表する酒、Tequila(テキーラ)は、驚くほど芋焼酎とよく似てます。
枡酒と盛り塩みたいに、塩とレモンの味で飲むと、また格別とか。

Tequilaの材料は、メキシコの言葉で、パイナップルを意味するピニャと呼ばれます。
ピニャは、竜舌蘭の丸い茎です。
葉っぱで包んで蒸し焼きにすると、ピニャの食感は焼き芋そっくり。
このあたり、芋焼酎と焼き芋に似て見えます。

そういえばサツマイモ、紀元前3000年頃には熱帯アメリカでかなり広く食べられていて、南太平洋の島々には紀元前1000年頃に伝わったことも知られているのですよ。
でも、アメリカの焼き芋とか芋濁酒って聞いたことあるでしょうね?

Tequilaの歴史は意外と新しく、メソポタミア生まれの蒸留技術がスペインによってもたらされた結果生まれた酒。

蒸留酒の材料として、スペイン人は竜舌蘭の茎から取れるピニャに、日本人はサツマイモに、目をつけたってわけ。

蒸留される前の段階で、Tequilaは飲まれていたのです。
濁酒っぽいけど、味はBier(ビール)っぽいとの事。

竜舌欄によっては、プルカといって葉と茎の間で発酵した液を飲めるものも。
これまた、Bierっぽい味だとか。
微量元素が豊富で、度数が低いものは子供や妊婦も飲んでいたそうです。

ここで、ふと思ったのはBier発祥の地はエジプト。

そして、中南米の古代文明にもピラミッドがあります。
このピラミッドは、エジプトと関係ないでしょうか。
エジプトではピラミッドは初期が階段ピラミッドであったといわれるけど、中南米のピラミッドは大半が階段ピラミッド。

二人の古代研究者、エジプト研究の吉村作治と中南米研究の増田 義郎は、共著「 インカとエジプト」でこう分析しています。
全土を統一する王朝のあったインカとエジプト、全土を統一する王朝のなかったマヤとメソポタミアは、なぜか文化のいろんな面も似ていると。

ここで注目したいのは、ミトコンドリアのDNAの比較から古代アメリカと日本の関係が、あらためて確認できてきたことです。
ミトコンドリアDNAのタイプのことを、ハプログループといいます。

人のミトコンドリアDNAのタイプであるハプログループには、80パターンがあります。
日本の主なミトコンドリアのDNAは、そのうちの16タイプ。
日本人のルーツ探しに大きくかかわるのは、この16のハプログループってこと。

主なということは、少数派も含めれば、もっとあるってことかも知れないけど。

16のDNAパターンは、以下の通り。

A、B4、B5、C、D4、D5、F、G、M7a、M7b、M7c、M8a、M10、N9a、N9b、Z

日本と古代アメリカでつながるのは、ハプログループのなかのAグループとDグループ。
古代アメリカでは、先にAグループが多かったのが、次第にDグループが増えたというのです。

ちなみにインカは、Dグループといいます。
ついでにいうとDグループは、Fグループとともに東南アジアとのつながりも大きいのです。

日本の神道は、太陽神を中心とする動物神を含む多神教で、しかも、三神一組で奉られることが、エジプトと奇妙に似ています。

エジプトと日本を西回りで結ぶと、その間にはアメリカ大陸があります。
カナダの先住民から伝わったというメープルシロップ煮は、甘煮や甘露煮を連想します。
縄文土器のそっくりさんも、アメリカから出土しています。

まさか、日本の焼酎は、特に芋焼酎は、古代中南米とメソポタミアの文化が日本で出会った産物?

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中東から日本へ

面白いことがあります。

西洋にむかってはレスリングが広まっているのに対し、東洋に向かっては相撲の道があるように見えるのです。
そして、われわれの国日本にも相撲が来ています。

日本では相撲は国技とされ、もともとは神前の奉納行事として行われてきたのです。

ところが、現在の日本で行なわれている相撲とは様子が違うとはいっても、『旧約聖書』には、イスラエル12支族の父ヤコブが天使と相撲をとる光景が描かれているのです。
ヤコブはこの天使との相撲に勝ったことで、「イスラエル(神の戦士)」という名前を授けられたのです。
つまり、相撲はイスラエル建国に深くかかわっているのです。

では、奉納される神の側はどうでしょう。

イスラエルの神は三神で一神、一神で三神という面白い構造になっています。

日本の神も、原初三伸、造化三神という三神構造なのは一緒です。
そして複数の神道研究家により明らかにされているのが、日本の神道は本来、三神で一神、一神で三神の唯一神信仰であったのです。

「みそぎ」の習慣が日本もユダヤもあって、水や塩で身を清めることまで同じです。
日本人は、神社を詣でる前には必ず入り口で手を洗います。
ユダヤ人も食事の前、トイレのあと、教会堂の入り口で手を洗うなどの習慣があります。
ユダヤ人以外の西欧人は、バスタブの中で体を洗います。
笑っちゃうことに、ユダヤ人は日本人と同じように、まず体を洗ってから風呂に入ることまで似ちゃっています。

成長に関する習慣にも、そっくりなことがあります。
日本人は昔、「元服式」といって13歳の男子に成人を迎える儀式を行なっていたのです。
ユダヤ人は現在でも13歳の男子に、成人を迎える儀式「バル・ミツバ」を行なうことで有名です。
生後30日目に赤ん坊を神社に初詣でさせるのは、日本とユダヤにしか見られないものです。

古代ユダヤ人は金髪や黒人ではなく、黒髪で黒目の浅黒い肌つまり褐色をした人種で、背が低かったのです。
体格は、日本人とそっくりであったそうです。
更に、日本人とオリジナル・ユダヤ人である東洋系ユダヤ人の男性Y染色体の大きさが同じであることが、パリ大学の教授によって発見されたといいます。
これは、他には見られない現象だといいます。

ここで、変なことがあります。

スコットランド人ノーマン・マクラウドは、アイヌの生活用品は古代イスラエルに似てるというのです。
アイヌのご親戚はアメリカのケネウィックで、イギリス人のそっくりさんとして見つかってるのです。
カナリヤで有名なカナリヤ諸島には、かつて白い人が来たという言い伝えがあり、白い人のミイラが見つかっています。
なのに、東日本の先住民の子孫であるアイヌと、西日本の先住民の子孫である琉球の人々は、共通の文化圏から来たと見られてるのです。
いま、沖縄で米軍基地の下になっている土地も掘ってみれば興味深い遺物がでるかもしれないですね。

アメリカからは縄文土器にあまりに似た土器が出土し、考古学者たちをドキ!っとさせているのです。
そのなかには最近注目を浴びている、ボリビアの古代モホス文明遺跡も入っています。

ボリビアでは、アンデスの東側斜面にあたるユンガス地方でイランやインドの女性を表現したと見える銅製の頭部がでています。
チチカカ湖畔からは、古代シュメール文字の一種かもしれない文字が刻まれた石製の大皿が見つかってるのです。

日本と中東の道は、アジアばかりではないってことのようです。
このアイヌの白人っぽさは、何を物語るのかは大きな疑問です。

アカデミズムの保守性も大きいかもしれないですね。

文化勲章受章者にまでなった、江上波夫東大名誉教授の「騎馬民族征服王朝説」でさえ、いまだに頑迷に拒み続けられて論争がある今の日本です。

江上教授は「秦氏=ユダヤ人景教徒」説を唱えたことで知られる、中国景教(キリスト教ネストリウス派)研究家の佐伯好郎博士の苦労を知ってるから、騎馬民族で止めといたなんていってる人もあります。

なお、サイエンスエンターティナー飛鳥昭雄は、佐伯博士は最晩年になって原始キリスト教徒説に軌道修正していたと主張、その遺志を受け継ぐと称して研究しています。

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ねこの医者?

あるサイトで偶然、熊本の一地方の方言として「藪医者」をなぜか「ねこ医者」と呼ぶと言うのを見ました。

「ねこ医者」は、新潟のBBSでも見かけたけど、かなりマイナーな言葉なようです。

「藪医者」を、辞書を引いたらこうありました。

 診断・治療の下手な医者。藪薬師(やぶくすし)。やぶ。「野巫(やぶ)医」、すなわちまじないを用いる医者の意から出たという。

この“野巫(やぶ)”とか“薬師(くすし)”から見ると、巫女や僧侶などの、宗教者による診断・治療が行われていたと言うことです。

ならば「ねこ医者」とは禰宜の子孫を指す禰子の医者「禰子医者」で、“まじないを用いる医者”だったのでしょうか。
今は名前も残っていない都の「禰子医」「禰子薬師」もいたのでしょうか。
彼らは古代からの医学に通じ名医だったかも知れません。

禰子医者がいたことは、興味深いことです。
今ではお祭りや祈祷だけになってしまった神職も、かつては医術を通じて人々を救っていたのですね。

田舎の巫医(ふい)をさす言葉に、「野巫(やぶ)」があります。

巫(ふ)は神に仕えることを務めとする人をいい、神(かむ)和(な)ぎ、の意味で、古くは「かみなき」とも「こうなぎ」とも呼ばれました。
神をまつり、神楽(かぐら)を奏し、また「神降ろし」をする、祝(はふり)とともに禰宜(ねぎ)より下級の神職です。
祝(はふり)とは「はふりこ」とも「はふりべ」ともいい、神主・禰宜(ねぎ)に従って祭祀(さいし)をつかさどる神職で、また、広く神職の総称でもあるです。
「野巫(やぶ)」とは、地方で医師の勤めも果たしながら神に仕えた、下級の神職ということになります。

この「野巫(やぶ)」が、草、特に竹の生い茂る土地を好んで住処としていたなら?

「野巫(やぶ)」のいる、草や竹の生い茂る場所もまた、いつしか「藪(やぶ)」と呼ばれるようになったのでしょう。

藪を辞書で引くと、こうあります。

【藪】 (三省堂「大辞林 第二版」より)

(1)草木が群がり茂っている所。特に竹の群がり生えている所。
(2)「藪医者」の略。
(3)「藪入(やぶい)り」の略。
(4)「藪蕎麦(やぶそば)」の略。

季語で新年をさす「藪入(やぶい)り」は、深い土地へ帰る意味で、「宿入り」とか、「宿下がり」とかいう言い方もあります。
正月および盆の一六日に、奉公人が暇をもらって親元または請(うけ)人の家へ帰ること、また、その日です。

藪蕎麦は、甘皮のついたままひいた蕎麦粉で作った緑色の蕎麦、また、その製法の蕎麦を供する店の屋号です。

藪は、草と數(数の正字)からなるので、「草木が群がり茂っている所。特に竹の群がり生えている所。」の意味そのものをあわせた文字となります。

「特に竹の群がり生えている所」です。
つまり竹藪が、「藪」の本来の意味です。

もちろん、草や竹には“やぶ”に通じる意味と読みはないです。

それに、數にも、“やぶ”に通じる意味と読みはないです。

ところが、數の字を成り立ちから見ると怪しくなってきます。

數は、女の高く結い上げた髪をさす「婁(ろう)」と、軽くたたくことをさす「攴(とまた)」をあわせた文字です。
「婁(ろう)」はまた、二十八宿の一で、西方の星宿の婁(ろう)宿、つまり牡羊座の三星から成る「たたらぼし」をもさすけれど、數という文字の成り立ちでは女の髪にちなんだ元の意味が関係しているです。

數という文字は、長い髪の女と、軽くたたくという行為から、できています。
これをどう理解するかです。
多くの解釈者は、女がたたかれているとみます。
たたかれた女の、長い髪を振り乱す姿です。

しかし、もし、女がたたいているとしたら?

え?いい女のやさしくやってくれる肩たたきなら、やってもらいたい?

わたしは、指揮者が指揮棒を振る行為を「たたく」ということに注目したいです。

つまり、女が指揮者のように空をたたく行為を「數」とみるです。

空をたたく女の長い髪を振り乱す姿、それが「數」だとです。

空をたたくように手を振る、長い髪を振り乱す女です。

何かに取り付かれたようにです。

取り付くのが神としたら?

そう、女は巫女となります。

田舎の巫医(ふい)をさす言葉に、「野巫(やぶ)」があります。

草深い地方に住み、神に仕え、医業を営む人々、特に女とくれば、ヨーロッパの魔女や魔術師と、そっくりになります。

ヨーロッパの魔女や魔術師は、もともとは、土地の古くからの神に仕え祭祀を司る、医業にもたずさわる人々であったからです。

「野巫(やぶ)」は、日本の魔女集団といって良いでしょうか。
彼ら「野巫(やぶ)」もまた、禰宜の子孫なので、禰子であるはず。

「野巫(やぶ)医」は、「禰子(ねこ)医」ということ、ただし、下級の。

それで、たいしたことない巫医(ふい)を、「野巫(やぶ)医」とよび、「藪(やぶ)医」と呼ばれてしまうようになったのかもしれません。

そして、藪医の別名を禰子医、つまり、ねこ医という地域もあるというわけ。

最近見た番組で驚きました。
中国雲南にいる少数民族の住居、弥生の高床や、伊勢神宮に似たつくりです。

その少数民族の厄除けのおどり、驚くのは、女たちが長い髪を振って両手で空をたたくようなしぐさ。
この踊りのしぐさは、数から連想した動きそっくり。

彼らのほかにも、松を常緑なことから、特別視する文化を持った少数民族もいます。

そして、雲南から江南のあたりは、日本稲作文化のルーツと見られているのです。

さらに、長江文明の文物に、太陽の樹である芙蓉をかたどったものに、十の枝と十の鳥がつくられています。

これ、鳥居とは何か関連あるのでしょうか。

長江文明を築いた填王朝の遺跡からは、日本同様、漢から送られた蛇をかたどった持ち手のついた金印もでています。

長江文明と日本は、河拇渡遺跡でつながっていることもわかってきました。

藪医者のルーツは、西にさかのぼるのでしょうか。

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鬼 その1。

鬼は、鬼門(牛・虎)の方角からやってくる。
だから、トラ柄のパンツをはいてるって聞いたことがありませんか。

陰陽から言うと、青=東=日の出=生、白=西=日の入り=死、となるとされます。

そうなると、間に挟まれた南に配当される赤は、本文では“種まき”としたけれど、実際は“実り”となるのかも。

食物のサイクルで言うと、青=東=出芽、赤=南=実り、白=西=種まき、黒=北=水遣り、とでもなるのかも知れませんね。
そのうち、東の青と南の赤が陽、西の白と北の黒が陰、に配当されます。

鬼には、いろいろな要素が混入しているのです。

そこで、主な要素だけでも、分けて考えるべきなのでしょうか。

象徴としての鬼。

実在としての鬼。

実在としての鬼には、異国人というか異邦人もいるのかもしれませんね。
実際、辞書にもいろいろな立場の人たちに鬼の烙印が押されたとあります。

象徴としての鬼には、陰陽は大きく絡むようです。
陰陽五行では、青は東、赤は南、白は西、黒は北に配当されます。
そして、黄は中央に配当されます。

さらに、北と南はそれぞれ上と下、つまり天と地にも配当されます。
ついでにいうと、五行には木火土金水も当てられます。
あわせると、青は東と木、赤は南と火、白は西と金、黒は北と水、黄は中央と土に配当されます。
もっというと、東は日の出と生、西は日没と死ともされます。

となると、青鬼は出芽、赤鬼は種まき、になるのかもしれませんね。
そして鬼は“陰(いん)”がなまって“おん”さらに“おに”へとなったとみられます。

鬼に青鬼と赤鬼がいるのは、なんででしょう。

色としては青鬼と赤鬼だけとなると、対応する陰は、陰の転化した“おん→おに”で、鬼になるから、陰に対して陽が配されるからなのかも。

種がまかれることが種の死になぞらえられ、雨などの水に育まれ、発芽で太陽の下に出てくる、つまり生を得ることになるわけですね。
この、まかれた種が過ごす場所は土なので、表面的サイクルは出土の生の青から種まきと滅びの赤、そして再生を待ちながら水に育まれる土である黄を経て再び青となるってわけです。
鬼の持つ金棒は、死を象徴する方位である西をほのめかしているようです。

でも、ちょっと気になるのは角なのです。
鬼はしばしば虎皮をまとって現れます。
鬼の角は牛の角とされ、衣の虎とあわせ“牛虎”つまり“丑寅”の方位に置かれて鬼門とされます。
けれど陰陽から見る丑寅は死と生の境目なのです。

鬼の衣の虎皮で思うのです。
鬼の角って、ひょっとして作物を農地で守ってる猫の耳が化けたりしてないでしょうか。
少なくともアジアのイエネコの古いタイプはトラ猫と見られているらしいのです。
もしかすると猫、特にトラ猫は死者の魂を裁き、滅びと再生を守りつかさどる鬼神ともされたのでしょうか。

それとも?
ミケランジェロ作モーセ像にある角と同様、光なのでしょうか。
猫は太陽や月のように、光をつかさどる神とのかかわりもあるからです。
天の光もまた、地上の命を守り育むのです。

虎はまた「山月記」にみるように 欲・業の象徴でもありますね。
ちっちゃいから脅威とはならぬが 時折、猫をみてて油断ならぬ思いを抱かされるのはそのせいか。

猫だって、猛獣の仲間ですよ。

すくなくとも、ネズミにとっては。

エジプトでは猫は神聖化されてたし、ヨーロッパでは魔女扱いされたし・・猫の神秘的、かつ穀物を荒らすねずみを退治する有効的な特性はいろいろな伝説を呼ぶのかも
猫は想像力をそそるのです。

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シルクロードと陰陽の道

『失われたイスラエル10支族 知られざるユダヤの特務機関「アミシャーブ」の調査報告』
ラビ・エリヤフ アビハイル著、鵬 一輝訳、久保 有政解説

『日本書紀と日本語のユダヤ起源』
ヨセフ アイデルバーグ著、久保 有政訳

別にレビューやる気じゃないです。

ヘブル語と日本語がいかに似てるかを、いくつもの例を挙げて紹介しています。
アビハイル氏のほうは単語、アイデルバーグ氏のほうはいいまわし、よくもこれだけと思うくらい集めています。
興味あったら見てくださいね。

問題は、アイデルバーグ氏の方なのです。
3000語以上、5000語は見つけた似た言葉の中から本書には500語を収録したといいます。

すごいでしょう。

どこが問題かです。

アイデルバーグ氏は、主に現代日本語を比較の対象としているのです。

ま、それは大目に見ます。
現代日本語での比較というところが、惜しいですけどね。

漢語から日本語に入ってきた言葉を比較してしまっているのが、大半を占めているのです。

テーマがテーマだけに、また、ほかのことがしっかりと比較されているだけに、致命的ともいえます。

にもかかわらず、なんでやねん!ってつっこみたいくらい似てるのです。

漢語の誕生した土地、それは中国なはず。
それが、いかに日本流に読んだ場合だからといっても、生まれはどうにもできないのです。

中国語とヘブル語の類似語に関する研究も、必要になってくるかもしれないのです。
もし本当にそれだけ共通点があるならば、です。

ここに面白い本があります。

『聖書と易学 キリスト教二千年の封印を解く』
水上 薫著

『失われたカッバーラ「陰陽道」の謎』
飛鳥 昭雄・三神 たける著

そして、陰陽道で日本の民俗を読み解く、吉野裕子氏による一連の書。
もちろん、古事記や日本書記も、陰陽で解読できるといいます。

易経の根幹は陰陽五行説、つまり陰陽道です。
カッバーラはユダヤ神秘主義のこと、聖書の根幹を成す思想とされます。
一方陰陽道は、神道の根幹といってもいい思想です。

つまり、アイデルバーグ氏の研究は、はからずも、ヘブル、中国、日本を貫く一本の道があることを指摘しちゃったといえるのです。
アイデルバーグ氏は、10支族に関する調査のために日本に滞在し、京都の護王神社の神職見習として働き神道や日本文化を学んだ経験をもちます。
ここまでやって、日ユの比較をしようとこころみた研究者は貴重な存在でした。
道半ばで事故死したことが惜しまれます。

ヘブル、中国、日本を貫く一本の道、それは陰陽道という、驚きの展開。
この道の出発点をどこと見るか、それが問題なのです。

なお、久保氏はアイデルバーグ氏の比較リストがどこにあるか、探しているといいます。

ぜひ見つかったら、出版してほしいですね。
久保氏も、そのつもりというから、楽しみにしています。
しかし、見事に、ヘブル、中国、日本と続きますね。
この道がさらに伸びたりして・・・。

確かに、どこが出発点なのか謎は深まるばかりですね。

言語は続くよどこまでも…でしょうか。

一神教といっても、神と悪魔(akuma)の二元論には違いないけど。。。

二元論は、単純な神と悪魔(akuma)じゃないってことが、欧州文化圏には今ひとつ、わかってないようです。

たとえば、吉祥天は姉妹神である黒暗天と行動をともにするとされる、この意味は欧州文化じゃ、わからんでしょうね。

陰陽の道、意外なとこまで行ってそうですねえ。

そういう意味で大道廃れて仁義あり、と言うような反語はわからないでしょうかね。
西欧文化では。

二元論の本質とは、合わせ鏡で物事を見ることではないでしょうか。

ヘーゲル流の「正・反・合」、マルクス=エンゲルス流の「対立物の統一と闘争」、陰陽道の「陰陽合一」、これが本当の意味で欧州に理解されたのか、わたしは疑問に思うのです。

これらはすべて、「相反する事物から万物はなる」、「なにごとも相反する側面を同時に考えないと本質はつかめない」、これを言ってるように見えるのです。

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女媧(じょか)と伏羲(ふくぎ)

人面蛇身で描かれることの多い、女媧(じょか)と伏羲(ふくぎ)。

よく見る絵では、女媧(じょか)がコンパス、伏羲(ふくぎ)が曲尺を持っています。

この女媧(じょか)と伏羲(ふくぎ)は、天地創造話にも、からんでいるのですね。

しかも、聖書を思わせる土からの人の創造であったり、女媧(じょか)と伏羲(ふくぎ)が夫婦になったり、洪水話まであります。

さらにいえば蛇身は象徴であり、蛇は神の声をあらわすと見れば、女媧(じょか)と伏羲(ふくぎ)は預言者。

どう見ても、イブとアダムが下敷きになって見えますね。

女媧(じょか)と伏羲(ふくぎ)は、中国少数民族の苗族(みゃおぞく)が信奉した神と推測されています。
そして、苗族は湖北から湖南にかけて分布したと見られる三苗の末の一族を考えられています。

つまり、立人像や神樹の出土した三星堆遺跡とのかかわりがありえる人々です。

立人像の足元に角のある逆さな顔、これは、死を象徴する鬼が逆さで死の樹を表し、上の立人像は生命の樹、手にしていたと想像されている象牙は生命の樹に巻きつく蛇でありセフィロトをつなぐパスに思えます。

神樹の鳥は天使、つぼみはセフィロト、くねる樹の姿がパスかもしれないですね。

つぼみは、神の子とされるイエスもあらわすのでしょうか。

これは、イブとアダムが元としか思えないですね。

アダムとエバはエデンの園を追放された後、祭壇を築いて神に燔祭を捧げ、礼拝しました。

コンパスと曲尺とはその祭壇を作る道具であり、女媧(じょか)がコンパス、伏羲(ふくぎ)が曲尺を持っています。

これ、大ボケでしょうか。

女媧(じょか)と伏羲(ふくぎ)は、ノアの洪水などと、関連ありと疑う人はいます。

あるどころじゃないでしょう。

三苗の苗は「みゃお」。
「みゃお」は、多くの国で猫のなき声をあらわすのですよ。

そして、猫とイエスを結ぶ、猫又の別名である火車、猫神であるバステトとセクメトやラー。
ラーは、冠詞の“アル”と結びついて、“アル・ラー”となって、“アッラー”となったと見えるのです。
しかも、バステトとセクメトはラーの片目から生まれた女神とされているのです。

三苗は、少なくてもヘブルにつらなる可能性があるかもしれない人々でありましょう。

「苗族」は自らを「モン族」と名乗るけれど、「猫族」とも漢字表記され、「メオ族」「ミャオ族」と呼ばれているのは周知のとおりです。

この民族は日本人とよく似た風俗習慣を持つところから、南下した漢民族の収奪と侵攻を受けて滅ぼされた三苗の、一部が苗族となり、一部は台湾、西日本へ 逃げてそれぞれのルーツになったという説まであるのです。

日本神話のイザナミとイザナギ、ナミやナギは東南アジアで神の蛇とされたナーガが語源ではないかという説もあったりします。
これって、イザナミとイザナギは、女媧(じょか)と伏羲(ふくぎ)の子孫ということでしょうか。
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ネコの意味

アラブは、イスラエルの祖先であるアブラハムに妻の女中エジプト人のハガルとの子として生まれた長男のイシュマエルから出ています。
ちなみにイシュマエルも12人の息子の父であり、メソポタミアの法に従い、イシュマエルはサラの子となりました。

イシュマエルの父、アブラハムの孫に当たるヤコブからイスラエルが出ます。
イスラエルは南北に分裂、北朝のイスラエルの一部はペルシャに行きます。
そして、多くのペルシャ人は日本に来ています。

おもしろいことに、アラブ語やペルシャ語に、neko(ネコ)とか、neku(ネキー)という語があって、この二つの語はペルシャ語では、こういう意味らしいです。

敬虔(父母や長上に対する)、敬服、恭敬の態度。
貧しい者に対する惜しまざる施し。慈悲心に富む事。
誠実・正直。他人に対して悪評を下さない事。
善。善行、恩恵。
美しさ、優雅さ。

アラブ語のほうの意味は、手元の資料がないから、ちょっとわからないですが。
ヘブル語にも、似た言葉があるかもしれないと辞典を探して見ました。

すると、それらしいのがありました。
「ヌン(נ)ツァ(צ)ヘー(ה)」
たぶん、「ネキー」見たいな読みじゃないでしょうか。
若干ん~名から突っ込まれるかも。
「ネティー」に近いのでは、とか。
その中間くらいと思いたいですけど。

意味にはこう出ました。

勝つ、勝利する。(音楽で)指揮する。
永遠、不滅なものにする、永久に記念する。
輝き、光輝、栄光。
永遠、永久、不滅。

ついでにいうと、neko(ネコ)や、neku(ネキー)について検索をかけたら、ヒッタイト語でもneko(ネコ)、neku(ネキー)という語があったと思われる情報にふれたことがあります。

ヒッタイト語などで似た音の言葉、ご存知の方おられましたら情報くださいませんか。

神道の神官を禰宜といい、禰宜の子孫を禰子というのは、ペルシャ語のneko(ネコ)や、neku(ネキー)が関係しているのでしょうか。
すくなくても、ペルシャの民族宗教である拝火教で神官をマギという語源である可能性は、音や意味から疑ってもいいようには思えます。
拝火教は、日本で宗教に影響を与えていたという意見を言う人たちも多いのです。

なのに、今までここに誰も注目しなかったのは、まさかこんなことかあるとは思っても見なかったからなのです。

なに?
やっぱネコは、猫かぶって、とぼけていたのかって。

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仏と塵

「塵を払って仏を見る、如何。仏もまた塵」

私は特に何教徒でもなけりゃ、まして坊さんではないです。

だから、どこまでも私の感想をのべるだけです。

仏は、見るものでしょうか。

仏は、拝むものでしょうか。

仏は、感じるものでしょうか。

そのいずれでもあり、そのいずれでもないでしょうね。

仏像は見えているし、さまざまなイメージやメッセージをこめられているから、その意味では感じるものでしょう。

どこにむかって礼拝すれば良いか迷うものには、目印になるという意味では、拝むものでしょう。

ところが、この一言は、仏もまた塵である、ちっぽけなもんだといってるのです。

とまどうでしょうか。

仏の姿を見たいといって、塵を払っていくと、仏もまた、塵にまぎれてどっかとんでってしまうというのです。

でも、あなたは、神仏の本当の姿を知っているのでしょうか。

知りもしないで、これは違う、あれも違う、そういっていいのでしょうか。

「塵を払えば、仏像の姿くらいはみえる」

本当にそうでしょうか。

野ざらしの地蔵、表面はぼろぼろ、塵を払ったら、表面だってはがれちゃうし、形もはっきりしないでしょうか。

つまり、塵を払って仏をみられると思うのは、思い違い、思い上がり、そういっているのでしょうか。

さらにいえば、こういってるのでしょうか。

「塵のようにつまらんものと思っているものの中に、あなたを教え導こうとする神仏の御声がいっぱいこもっていると悟りなさい。」

なんだか、「始まりでもあり終わりでもある」という神の言葉に通じるものがありますね。

考えてみると「ほとけ」は漢字では、「にんべんにござる」で「仏」とも、「にんべんにあらず」で「佛」とも、記します。

つまり、「にんべんにござる」だと「わたしはある」、「にんべんにあらず」だと「ひとにあらず=神である」、といっているようにも受け取れるわけです。

その意味では、「始まりでもあり終わりでもある」という神の言葉に通じるものを感じ取ったとしても、むしろ自然なのでしょうか。

神仏にお参りしている僕がいる。
それで、いいじゃありませんか。

「なにごとか、おわしますかは、しらねども、かたじけなさに、なみだこぼれる」

これで、十分という考えも、確かにあります。

「塵を払う」という行為そのものが「表面に気をとられている」ということで、それを戒めているのでしょうか。

「仏もまた塵」

私は後半に重点を置いて、突っ込みを入れてみたかったのです。

確かに前半にも、考えてみるべき事はあるのでしょうか。

この言葉全体が、深い謎を問いかけていますねえ。

「本質を見ろ」
「本質に気づけ」
「些細なことにふりまわされるな」
「どんなものにも仏性がある」

そういう解釈も、ありえるとは思えますねえ。

まだまだ、いろいろ考えられる奥の深い言葉ですね。
禅問答には、この手のものは多いようです。

仏像にあるいは仏様に向かっている時の気持ち、そのことしか 考えたことがありませんでしたか。

「塵を払って仏を見る、如何。仏もまた塵」

この問いかけに、こんなメッセージもこめられているのでしょうか。

「礼拝すべきは、仏であって作り物に過ぎない仏像ではない、仏像に込められた心こそ、見るべき。」

そして、仏像にこめられた心とは、うやまいであり、仏の想い、祈りである、のでしょうか。

それは、墓参りが、墓をみることではなく、墓を通じて祖先を思い祖先に出会うことと、通じるところはあるのでしょうか。

仏像や仏画は、仏を視覚的に説明する目的で作られているのです。

その意味では、さまざまの古代神像と同じように、神や仏を視覚的に説明するもの、一種のイラストレーションといえるものですね。

その点多くの教会で祀られている、十字架やイエス像、さらにはマリア像が肖像に限りなく近いのとは、似て非なるものと、私は思っていますね。

イエスや、マリアの、どのような方かを指し示すということでは、説明的な部分もあるのかもしれませんが。

「塵も積もれば山となる」
これが、全部神仏の声だったら、うるさくないか、ですって?

山にならないうちに、片付けたらいいでしょ?

ん~。

そうですねえ。。。。

すくなくとも、塵が俟っている光景は、いかにその管理者がずぼらか雄弁に物語ってますねえ。

でも、この塵の一つ一つが、教えの神仏の御声としたら、無造作に、はらっていいものでしょうか。

え。

はらっていい

そのこころは。

「神仏に、はらいはつきもの」

お後がよろしいようで。

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三星堆と門松

中国神話には、饕餮(とうてつ、Tao-tie、拼音:tāotiè)という架空の生物があります。
殷代から周代にかけて青銅器や玉器の修飾に部分的に用いられ、饕餮文(とうてつもん)といわれます。

饕餮は、人の顔、人の爪、曲がった角、虎の牙、体は牛か羊、などとされています。
饕餮の「饕」は食物を貪る、「餮」は財産を貪るの意です。
何でも食べる猛獣、というイメージから転じて、魔を喰らう、という考えが生まれました。
後代には、魔除けの意味を持つようになりました。

饕餮は、一説によると、蚩尤(しゆう Chihyu)の頭だとされます。
蚩尤は、中国神話に登場する天界の帝王である黄帝と大戦争をした神です。
砂や石や鉄を喰らい、超能力を持ち、性格は勇敢で忍耐強く、黄帝の座を奪うという野望を持っていました。
戦争にあっては、神農氏の時、乱を起こし、兄弟の他に無数の魑魅魍魎を味方にし、風、雨、煙、霧などを巻き起こして黄帝と琢鹿の野に戦いました。
濃霧を起こして敵を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示し、遂にこれを捕え殺したといわれます。
蚩尤は、獣身で銅の頭に鉄の額を持ち、また四目六臂で人の身体に牛の頭と蹄を持つとか、頭に角があるなどといわれます。
同じ姿をした兄弟が、80人くらいいたといいます。

おもしろいことに、聖書の黙示録によく似た印象を受ける存在が出てきます。
メルカバーです。

 この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが、前にも後ろにも一面に目があった。
 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。
 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。(「ヨハネの黙示録」第4章6~8節)

メルカバーは、同じく聖書のエゼキエル書にも登場します。

 わたしが見ていると、北の方から激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくるではないか。
 その中、つまりその火の中には、琥珀金の輝きのようなものがあった。またその中には、四つの生き物の姿があった。 その有様はこうであった。彼らは人間のようなものであった。
 それぞれが四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。
 脚はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏に似ており、磨いた青銅が輝くように光を放っていた。

 また、翼の下には四つの方向に人間の手があった。
 四つともそれぞれ顔と翼を持っていた。翼は互いに触れ合っていた。
 それらは移動するとき向きを変えず、それぞれ顔の向いている方向に進んだ。
 その顔は人間の顔のようであり、四つとも右に獅子の顔、左に牛の顔、そして四つとも後ろには鷲の顔を持っていた。
 顔はそのようになっていた。

 翼は上に向かって広げられ、二つは互いに触れ合い、他の二つは体を覆っていた。
 それらはそれぞれの顔の向いている方向に進み、霊の行かせる所へ進んで、移動するときに向きを変えることはなかった。
 生き物の姿、彼らの有様は燃える炭火の輝くようであり、松明の輝くように生き物の間を行き巡っていた。
 火は光り輝き、火から稲妻が出ていた。そして生き物もまた、稲妻の光るように出たり戻ったりしていた。(「エゼキエル書」第1章4~14節)

奇妙なことに、別の箇所では牛の顔の代わりにケルビムの顔となっています。

 ケルビムにはそれぞれ四つの顔があり、第一の顔はケルビムの顔、第二の顔は人間の顔、第三の顔は獅子の顔、そして第四の顔は鷲の顔であった。(「エゼキエル書」第10章14節)

饕餮のモデルは、メルカバーでしょうか。
でてくる動物は、細かい点で違いますが大雑把な印象が似ているのは気になります。

成都市と30キロ離れた広漢市に発掘された三星堆遺跡から、祭司の像とされる立人像や、神樹がみつかっています。

立人像の足元に角のある逆さな顔、これ見て四天王や十二神将に踏みつけられた天邪鬼を連想したのは変でしょうか。

死を象徴する鬼が逆さで死の樹を表し、上の立人像は生命の樹、手にしていたと想像されている象牙は生命の樹に巻きつく蛇でありセフィロトをつなぐパスに思えます。

神樹は、鳥がとまるつぼみがついた枝が、十本出ています。

神樹の鳥は天使、つぼみはセフィロト、くねる樹の姿がパスかもしれないですね。

つぼみは、永遠の神の幼子、神の子とされるイエスもあらわすのでしょうか。

これ、生命の樹じゃないでしょうか 。

生命の樹というのは、聖書でエデンの園の中心に生えるとされます。
善悪を知る樹とともに、神がアダムとイブに果実を食べることを禁じた数少ない樹です。
生命の樹と、善悪を知る樹は、ともに神の境地に導く果実をつける樹です。

世界の中心に生えるとされる世界樹、宇宙の中心に生えるとされる宇宙樹、などは生命の樹と同じ仲間とされます。
生命の樹は、世界各地でさまざまな名前で呼ばれています。

生命の樹のさまざまな形については、飛鳥昭雄と三神たけるの『失われたカッバーラ「陰陽道」の謎』に紹介されているので詳しくは触れません。

なにがそうさせるのでしょうか。

しかし、樹というのは、色々とかかわっているんですねえ。

生命の樹の基本的な形は、三本の柱にセフィロトと呼ばれる十個の節がついた形です。
三本の竹に十個の節がついた門松を、連想していただいてもいいかもしれません。
細かいところはちょっと違いますが、ほぼ似たような、あんな感じで描かれることが多いです。
そのセフィロトと呼ばれる十個をつなぐ、パスと呼ばれる小路が描かれる場合もあります。

門松は別名を松飾といいますが、もともとは松の枝飾りでした。
いまでも、松の枝だけの松飾をしているお宅があります。
その枝っぷりを見て、何か連想しませんか。
人っぽいと思ったことありませんか。

生命の樹はアダムカドモンとも呼ばれます。
はじめの人であるアダムの後姿とされます。
枝だけの松飾が、どこか人っぽいのは、はたして偶然でしょうか。

わたしが立人像にも生命の樹を連想したのは、そのためです。
生命の樹は、天の主催者である神の境地に導く樹です。

いっぽう、裁きの鬼、裁きの悪魔が主催する地獄に罪人を送るのが死の樹です。
裁くためには、何が善で何が悪かを見極める智恵と知識が必要なので、善悪を知る樹ともよばれます。

三星堆遺跡とその周辺の遺跡からは、日本とかかわりがみえる遺物が見えるとされるので、門松や松飾を連想できる出土品があるのは面白いですね。
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五色の文化

いつだったか、荒又宏の登場したテレビ番組の中で印象に強く残ってることがあります。
イギリスの文化には底流にケルト文化があり、そのケルト文化には奇妙なほど日本人にとって親しみの持てるものが多いと、指摘していました。

そのほかにも、妖怪の日本と妖精のイギリス、緑茶の日本と紅茶のイギリス、ストーンサークルの共有、アメリカで見つかったイギリス人そっくりの古人骨の正体はモンゴロイドであるアイヌ、日本にいるあまりにブリテッシュな顔の人々などなど、イギリスと日本には奇妙な共有点が多いです。

その極め付けが、ユダヤ渡来説の共有です。
さらに、マダコの分布はイギリス沖から地中海、カリブ海から赤道沿いの島々を経て日本へつながるルートがあるように見えるのも面白いです。

となると、気になることがあります。
五色の文化をアジアと日本ばかりでなく、アメリカ先住民も持っているように思えるので、ひょっとしてイギリスにもまだ注目されていないだけでないかと想像されるのです。

というのも、五色の文化の奥には陰陽道に似た思想が見え隠れするのです。
陰陽道というと、たいていの人は安部晴明の時代に日本でも盛んだったのは知ってるでしょう。
実は今も、易学として多くの人になじまれているのです。

でも、案外知られていないのが陰陽道の裏の名前です。
いろいろ当て字はあるけれど、“かんばら”というのです。
一方ユダヤ神秘主義といわれる“かばら”の正式な発音は“かっばーら”なのです。
“かんばら”と“かっばーら”、日ユ同祖論から眺めるとあまりに似てて変な気分です。

それというのも、あまりに共有点の見つかる猫と一緒にいるイギリスなどの魔女がどうも蛇巫女らしいのです。
同じように蛇巫女であるらしい日本の巫女も、本来は禰宜の家系をさす禰子(ねこ)が務める役であるからです。
“かんばら”と“かっばーら”、そして陰陽道に似た思想の広がりと重ねると、ヘブライは意外なほど世界に影響をあたえてるのかもしれないのです。

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ヤマタノオロチ

どう考えても、ヤマタノオロチの“ヤマタ”って、八つに分かれたと言う意味しょうね。

分かれるとこが八つだから、本当は胴体から伸びてるのは九つだ、なんて解釈は歴史上ほとんど現れたことはないのではないでしょうか。

最近では、マタは分かれるところをさすはずで、分かれるとこが八つだから、本当は胴体から伸びてるのは九つだ、という主張をする人もいるようですがね。
九尾の狐などがいるから、それと関連を見たいのかもしれません。

だけど、二股をかけるといえば、間の離れた別々のところに左右それぞれ足をかけることを言うのじゃありませんか。
人の体で3本目の足って、見たことありますか。
電球が2個つけられる二股ソケットというのもありますが、2個のソケットが1つの本体についているのです。

そうなるとです、一つの胴から八つの分岐がある生物がいるかといえば、いるのです。

タコ!

え?スサノオのタコ退治!?

わたしゃ、おそらく天孫一族が西日本のタコ好きな人々を配下に収め、島根界隈の製鉄を手に入れたことを、ヤマタノオロチ退治といってたのではと見ます。

おもしろいことに、このオロチ退治伝承のある島根を含む西日本には道通様信仰という蛇神崇拝があるのです。

道通様とは、首の回りに黄白色の輪のある“トウビョウ”と呼ばれる小さなヘビなのです。

人に憑いたり、祟ったりするものとして恐れられ、これを鎮めるため祀られます。
この道通信仰は、中国・四国の瀬戸内海地方にみられる蛇神信仰で、西日本全体に崇拝者がいます。

中国・四国地方の瀬戸内海を中心に社が広がる道通様は、ほとんどが岡山の横島の道通島からの分社だそうです。

岡山の道通神社の建立は、永禄年間、西暦で言うと1560年頃のことだそうです。
この時期、笠岡城主であった毛利元就の家臣陶晴賢が、現在富岡地区に属する笠岡道通谷に建てたと伝えられるそうです。

道通神社は、表向きは猿田彦命と応神天皇を祀ることからみて起源そのものはかなり古いようです。
なお、現在の横島にある社は、笠岡道通谷にあったものが戦国時代に荒廃したため当時から信仰のあったこの地に移されたものです。

わたしがこの道通神社を疑うのは、祭神とされる猿田彦命は天孫光臨の際、ヤチマタ(道がいくつにも分岐した交差点)に立って道を照らして道案内をした神といわれるからです。
今日では、交通安全・開運授福・船玉の神として崇拝されるとのことです。 

蛇神を祀り、ヤチマタとくれば、ヤマタノオロチまで後もう一歩です。

でも、このトウビョウって、なにを意味するのでしょうか。
闘猫(トウビョウ)ってことでしょうか。
古代エジプトじゃあるまいし。
古代エジプトには、蛇と戦う猫の絵も結構あるのですよ。
日本じゃ、見たことないですね。

それと、神武でなくって応神?
なんで?

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