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「同行二人」

「同行二人」は、“どうこうふたり”ではなく、“どうぎょうににん”または、“どうぎやうににん”と読みます。

私はなぜか、この四国巡礼のお遍路などがその被る笠に書きつける言葉が好きです。

といっても、私はべつに真言宗ではないのです。

この言葉、弘法大師と常にともにあるという意味はあります。

四国お遍路の旅にはいろいろ困難をともなうが、いつも弘法大師様が見守っていらっしゃる、つまり大師と自分の二人でたどるのであるから安心してお参りに専念しなさいということです。

杖を突きながら歩くのには、杖を大師の身代わりとして頼らせていただきなさい、大師様があなたを支えてくださいますという意味がこめられているそうです。

しかし、本当の「同行二人」はお遍路を終わったときから始まると私は感じているのです。

『あなたの心の中にはいつも弘法大師様がおられ、あなたを支えてくださる、それをこれからも忘れなさるな』

これこそ、お遍路を通じてこの道を歩む人々にしめしたいことではないかと。。。。

けれど、弘法大師は御仏の道の先達ではあっても御仏ではないです。

弘法大師は御仏の“よりしろ”として大師を受け入れる人々の心の支えとなられるお方ということだと、私は受け止めたいのです。

私は、この大師と御仏を「神」に置き換えて一般化してみたいのです。

『あなたの心の中にはいつも神様がおられ、あなたを支えてくださる、それをこれからも忘れなさるな』

実は、この意味で「同行二人」が私は好きなのです。

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コメント

>弘法大師は御仏の“よりしろ”として大師を受け入れる人々の心の支えとなられるお方

預言者みたいですね。

投稿: コテツ | 2008年4月28日 (月) 12時23分

預言者のようですか。

弘法大師は御仏の“よりしろ”として大師を受け入れる人々の心の支えとなられるお方、これは私の受け止め方です。

直接、説明にあるわけではありません。
「同行二人」の一言をかみ締めているうちに、心に浮かんできたのです。

あなたは、「同行二人」をどうお感じになりますか。

投稿: cova | 2008年4月28日 (月) 17時48分

ああ、そういう事か。ちょっと勘違いしてましたね。
同行二人は、covaさんが感じておられるような意味だと思いますよ。四国巡礼をされる方達にとって、弘法大師は尊敬の対象であって、礼拝するのは仏だと思います。

私にとっての同行二人とは、キリストの道を生涯歩み続ける事です。キリストの御名を受けた者として、主のみもとへ繋がる道を真っ直ぐ歩んで行きたい気持ちです。

投稿: コテツ | 2008年4月28日 (月) 18時17分

>私にとっての同行二人とは、キリストの道を生涯歩み続ける事です。

神に支えていただける幸せを、かみ締め、わすれないように、日々を暮らして生きたいですね。

投稿: cova | 2008年4月29日 (火) 08時36分

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