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犠牲祭

犠牲祭と訳されるイードゥル・アドハーは、イスラムの大事な行事の一つです。
ヒジュラ暦とも呼ばれるイスラーム暦は一年354日の太陰暦なので、毎年イードゥル・アドハーの日は11日ずつずれて、夏になったり冬になったりします。
その日は「イード・ムバーラク!」、つまり「お祭り・おめでとう!」と季節関係なく挨拶を交わします。
日本で言えば、「新年おめでとう!」って感じだそうです。
イードとはもともと「繰り返し」とか「再び起こる」という意味のアラブ語で、そこから年中行事としての祭日とかお祭りをさす言葉になったようです。

イスラームには、信者が行わなければならない5つの義務があります。
五行と呼ばれる5つの義務とは シャハーダ(礼拝)、サラート(礼拝)、ザカート(喜捨)、サウム(断食)、ハッジ(巡礼)です。
他の4つの義務とは違って『巡礼』は、条件がそろわないとなかなかできるものではないので、絶対に守らねばならないものではないです。

その条件とは、こういうものです。

 体が丈夫で、メッカまでの往復の旅費・巡礼にかかる費用があり、留守の家族が充分に生活できるという保証がある

巡礼の月である『ズー・ル・ヒッジャ月』の第7日、8日、9日、10日の4日間の決められた日に行う『大巡礼』を終えると、晴れて大巡礼『ハッジ』を終えた者になれます。
そして、巡礼の最後の日、すなわち巡礼月の第10日に行われる行事が犠牲祭であるイードゥル・アドハーなのです。

犠牲祭では、サダカと言って犠牲に捧げた肉の一部は貧しい人々に振る舞われ、親戚・友人達にも分け与えられます。
そしてサダカの残りを、家族で食べるのです。

犠牲祭のいわれはこうです。

その昔、イブラヒームは長い間子宝に恵まれなかったけれど、ある日やっと息子イスマイールを授かったです。
ところが息子がかわいい少年になった時、神に「私が命じる山で愛する独り子を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」と命じられるのです。

イブラヒームとその息子、イスマイールは苦悩しながらも、神に言われたとおりに従おうとします。

コーランはこう伝えます。

 「(この子が)かれと共に働く年頃になった時、かれは言った。
   『息子よ、わたしはあなたを犠牲に捧げる夢を見ました。
   さあ、あなたはどう考えるのですか。』

   かれは(答えて)言った。
   『父よ、あなたが命じられたようにして下さい。
   もしアッラーが御望みならば、わたしが耐え忍ぶことが御分かりでしょう。』

   そこでかれら両人は(命令に)服して、
   かれ(子供)が額を(地に付け)うつ伏せになった時、われは告げた。
   『イブラーヒームよ。あなたは確かにあの夢を実践した。
   本当にわれは、このように正しい行いをする者に報いる。
   これは明らかに試みであった。』

   われは大きな犠牲でかれを贖い、末永くかれのために(この祝福を)留めた」

  〔第三十七章(整列者章):第百二~第百八節〕

父が息子を今しも犠牲にしようとしたその時です。
イブラヒーム親子の揺るぎない信仰心を確認したアッラーから声がかかり、イスマイールは助命されます。
そのかわりに子羊が生贄にされたのです。

旧約にはこれとそっくりの話があるけれど、イブラヒームはアブラハム、イスマイールはイサクとなっています。

聖書には、そうありますよね。
イスマイールは、旧約でいうイシュマエルのことでしょうか。
もしそうなら、イシュマエルは、アブラハムがエジプト人の召使との間に授かった子供となっています。
アブラハムが試されるシーンを、コーランを起草するにあたり、イツハクをイシュマエルに置き換えているのでしょうか。
このあたり、興味深いですね。
改めてコーランを読み直しても、息子とだけあり、名前は記してないですからねえ。

息子をイスマイールと見ているのは、イスラム教徒側の解釈の問題とも思えます。。。

イシュマエルのときにも、この種の出来事はあったのでしょうか。

もしそうなら、聖書編纂の過程で、記録がはずされたことになるのです。
聖書には、偽典、外典と呼ばれるものは数多くあります。
未発見の記録の中にあるのでしょうか。
憶測の範囲を出ないですから、これ以上深入りしません。

この手の話に、とても「違和感」を感じるっていう人もいます。
その違和感は、神が「試す」のに用いるのに、その人自身の命でなく その人の大事な人、この場合は息子の命であること、にあるわけです。
「神様ってずるいっ!嫌な手を使うっ!」って思ってしまうのは そう感じる人ががあまりに無知でモノをしらないせいなのでしょうか。

祈りや感謝ばかりが信仰かというと、そうとばかりともいえない、それが信仰の奥深さなのです。

「神よ!あんまりです!」っていいたくなるのをぐっとこらえる、これもまた信仰なのです。

つまり犠牲祭とは、われらアッラーにひざまづくものは、イブラーヒム父子のように自分の欲望を犠牲にしてアッラーの教えや道に従う、自分の命さえもアッラーに捧げる用意がある、という信仰の深さを表す行事なのです。

そういえば、ユダヤ教、キリスト教、このアブラハムのエピソードにちなんだ行事聞いたことないですねえ。

“これは神の私への試しである、きっとそうに違いない”

“神はきっと、何か深いお考えがあってのこと、この子は神が必要として呼ばれた子なのだ”

そう、本気で思えなければこれはできないことです。

イスラム教、ユダヤ教、その後の原始キリスト教。

根はおんなじなんでしょうね、三つの宗教は。
で、キリスト教は何故ユダヤ教から分派したのか?

キリスト教からの言い分では、解釈に過ぎないタルムードのほうが本来の経典であるべき聖書より幅を利かせるようになったユダヤ教を元に戻そうとしたのがイエスなのですね。

しかし、イエスがやろうとしたのはユダヤ教の原点回帰、新宗教を起こす気はさらさらなかったのです。

イエスの直弟子たちによるエルサレム教団も、ユダヤ教原点回帰派であっても、キリスト教ではないですねえ。

イエスの教えからユダヤ教的要素が除かれたのは、異教徒からイエスに帰依した人々のために組織されたアンティオキア教団からです。

その後AD132年に「第二次ユダヤ戦争」がおきたとき、エルサレム教団は忽然と姿を消すのです。

カソリックもプロティスタントも、エルサレム教団は消えていない、自分たちが引き継いだというものもいるけど、ユダヤ教的要素は東方に布教された諸宗派にかろうじて引き継がれていても、西方に広まった諸宗派はひとかけらも受け継いでいないですねえ。

本来ユダヤ教イエス派ともいうべき流れが、どこからキリスト教と呼ばれるようになったかは、私も気になっていることです。
イエスの死後も、エルサレム教団は忠実なユダヤ教徒として、神殿で奉仕していますから。
少なくとも、エルサレムから姿を消すまでは。

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コメント

>カソリックもプロティスタントも、エルサレム教団は消えていない、自分たちが引き継いだというものもいるけど

実際にはパウロが異邦人に伝道する事で生まれたアンティオキア教団の流れを汲むんじゃないかと思います。クリスチャンという言葉が最初に使われたのもアンティオキアですし。
それが後に大背教によって、堕落・変質してしまった結果、カソリックが生まれたんじゃないでしょうか。

投稿: コテツ | 2008年4月17日 (木) 08時22分

>実際にはパウロが異邦人に伝道する事で生まれたアンティオキア教団の流れを汲むんじゃないかと思います。

カソリックもプロティスタントも、そうでしょうねえ。
わたしも、その可能性は強い気がします。

>クリスチャンという言葉が最初に使われたのもアンティオキアですし。

そうですねえ。
エルサレム教団は、自らをユダヤ教正統派と位置づけていたはず。

投稿: cova | 2008年4月17日 (木) 15時15分

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