これで議論がなりたつでしょうか
目くじらを立てるという言葉があります。
「目くじら」とは、「目の端」のことで、鼻から遠いことから「目尻」「目角(めかど)」とも言われ「めくじり」とも呼ばれます。
また、「怒った目つき」や、「鋭い目つき」をいうこともあります。
別に、目に鯨がいるわけじゃないのです。
目の形を鯨にたとえた、といっていいのでしょうね。
で、目くじらを立てるとはこういう意味です。
目をつり上げる。
で、何をするかというここうなります。
目をつりあげて人のあらさがしをする。
ささいなことを取り立ててとがめる。
他人の欠点を取り立てて非難する。
目角を立てる。
つまり、目くじらを立てる人は、小さなことにこだわって、全体が見えない人ってことです。
皮肉なことに、目角にはこんな意味もあります。
鋭く物を見る目。
眼力。
眼識。
「眼力」や「眼識」は、こういう意味で使われます。
目で物を見る力。
視力。
がんりょく。
はっきり見える目で、ものを見てるってことです。
で、何がわかるのかです。
物事や事物の理非・善悪・真偽・成否などを見抜く能力。
がんりょく。
識見。
めきき。
つまり、「眼力」や「眼識」があるということは、物事の善悪や真偽を見極める知識や、それを生かした見解を述べる能力があるということです。
そして、「目くじらを立てる」ということは、せっかくの能力を無駄遣いしてるってことです。
日本の捕鯨に抗議している欧米の環境保護団体、見識があるのか、ただの目くじらか、どっちなのでしょう。
ただ、いえることは長年捕鯨をしてきた国家と国民が、鯨を絶滅の危機に追いやったのではないということです。
鯨を絶滅の危機に追いやったのは、欧米の鯨油目当ての乱獲であったということです。
そして、多くの欧米の人々はその自らの乱獲の過去から、ほかの捕鯨国も乱獲していると決め付けていることです。
欧州の反捕鯨の議論の問題点は、自分たちの価値観や判断を絶対視して、全世界に押し付けていることです。
自分たちは常に正しく、そのための行為はすべて合理化されるのでしょうか。
いい加減にして欲しいでしょう。
そのうえ捕鯨問題は、政治化してしまって、鯨の保護という肝心の論点からずれてきてしまっていますよね。
おそらく、欧州の中で異論を唱えようとする人は、魔女狩り状態にあうでしょうね。
ここを、欧米の世論が改めてくれない限り、捕鯨に関する冷静な議論は永遠に無理でしょう。
イエスは、罰すると称して石つぶてを一人の女に投げようとしている人々を見て、こういいました。
「あなたがたの内の中で罪の無い者から彼女に石を投げなさい」
まず、冷静になって、自分たちが何をしているか考えたいものです。
過激に走りやすい欧米の環境や自然、動物の保護に連帯する場合、冷静な議論ができる相手かどうか、注意する必要はあるでしょう。
たとえば、毛皮を着るくらいなら裸を選ぶと、実際に裸で歩くデモンストレーションなど、多くのアジア人は恥ずかしくて参加をためらうでしょうね。
毛皮のためだけに、動物を殺す行為に反対する人々であっても、デモンストレーションの手段として裸で歩く案を出す人自体いないでしょう。
いくら横断幕で隠しているといっても、アジアには恥の文化が今でも強いですから。
日本の運動の側も、自分たちの運動は冷静な議論ができているか反省する必要もあると感じます。
環境問題は、感情や感性の問題として出発することが多いでしょう。
冷静な判断ができているかどうかは、すべての国の運動にいえる課題でしょう。
わたしは、反欧州、反米も、嫌欧州、嫌米も掲げるつもりはないのです。
民俗や伝統工芸など、欧米から教えてもらったおかげで守れたものがいっぱいあることは、大いに感謝します。
環境運動などで、教わったことは今でもたくさんあり、尊敬もしています。
けど日本から見て、呑めるものは呑める、呑めないものは呑めない、それははっきり言うべしでしょう。
日本は大人の対応を取って、単なる目くじらに終わらない、そういう国であって欲しいです。
また、私自身もこの議論が、単なる目くじらでないことを願いたいです。
わたしは、鯨の保護の必要は認めます。
でも、そのためのデータ集めも必要なのです。
その中には、胃の内容物調査も含まれます。
鯨の糞を、だれが調べられるのでしょう。
調査捕鯨は、保護に必要なデータを集めるために必要という、皮肉な現実があるのです。
その調査費用を、誰が出しますか。
少なくとも、その一部は市場で調達しているのが実態です。
売るなというのなら、その費用誰が出します。
その肉、どう処理するのですか。
かつての鯨油獲得時代に戻って、欧米がしたように海洋投棄でもしたら、とでもいうのでしょうか。
冷静に議論して欲しいのです。
そして、捕鯨国側もきちんと調査捕鯨の必要な理由を、理路整然と述べて説得して欲しいです。
捕鯨に反対だろうと賛成だろうと、自国の食文化のみを正当化して、他国に押し付けることだけは、したくないですね。
イエスはこういわれました。
「汝の敵を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」
冷静になりましょうよ。
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