原罪は本当にあるか
「フランダースの犬」のネタを扱ったときにも、欧州のキリストに対する解釈に疑問を出させてもらったのですが。
原罪の解釈にも、欧州の聖書理解そのものが問われている気がします。
いわゆる正統派の言う、『善悪を知る樹』ともいわれる『知識の樹』による「原罪」はありえないと思うのです。
もし、食べて悪いのならどうしてその場で、神は罰せられなかったのでしょうか。
仮に「原罪」があるとしたら、食べたことでなく黙っていたことなのでないでしょうか。
しかし、もし正直に食べたことを白状して神はどうなさったのでしょうか。
謝ればすむという風に考えたなら、自らの判断を神の判断の上に置いたことになるのでしょうね。
滅びを覚悟したなら、神は命は許すのでないでしょうか。
けれど禁を犯した以上追放は避けられないかも知れないですね。
謝ったから命だけは救ってくださったと見れば、神に感謝するのでしょうね。
謝ったのに追放されたと逆恨みしたら、神は即、滅ぼすしかないことになるでしょうか。
けれど、二人は神を恐れるがゆえに神の目を避けました。
すべてをお見通しなのを知りながら。。。いや、知っていたからこそ、避けたのでしょうねえ。
神はそんな二人をいとおしく思われたから、追放で済ませたのでしょうか。
失楽園で、こんなこと疑問におもわなかったでしょうか。
イブは蛇から、神の命令に反する言葉を、聞いたはずではないの。
イブはサタンの言葉に、一度は疑問を持たなかったのか。
なぜに、イブもアダムも、「蛇」の言葉をうたがわなかったのでしょうか。
「蛇」は、神の声の象徴ではないのでしょうか。
さらに、当時のルシフィルは神に次ぐ地位である熾天使ではないのでしょうか。
「蛇」つまり「神の声」は、常に神のまことの声を伝えていたのではないでしょうか。
エデンの園は、すべてが神の御心をあらわした存在と声にあふれていたことでしょう。
アダムもイブも疑いを持って接する必要のあるものは、なかったではないのでしょうか。
だから、アダムもイブも、熾天使であるルシフィルの言葉を疑わなかった。
疑う必要はなかった。
神は、いつかは善悪を知る木の実を二人に与える必要を感じておられたのではないでしょうか。
エデンの園に二人がいる限り、善悪を知る樹の実を食べる必要は皆無ではないのでしょうか。
この解釈は、いかが感じられるでしょうか。
なぜに、イブもアダムも、「蛇」の言葉をうたがわなかったのでしょうか。
「蛇」もまた、神の創造物であったのです。
長いものであるところから言葉に配当される蛇は、神の象徴ともサタンの象徴ともされてきたのです。
アダムとエバを誘惑した蛇は、サタンであるというのは一般的な解釈でしょうね。
ある伝承には、サタンはまず最初にアダムを誘惑したとあるそうです。
しかし、アダムは惑わされなかったというのです。
その次にエバが誘惑されたが、エバは惑わされてしまったそうです。
サタンは、真実の中に偽りを混入した言葉を用いたのです。
その偽りとは禁断の実を食べても「決して死ぬことはない」という言葉です。(創世記3章4節)
これはサタンが現代に至るまで度々用いている極めて巧妙で人が騙されやすい手段です。
これに対してアダムもそうだけれどイブもまた、良い物しか存在しない環境の中で純粋無垢な状態で生活しており、誰かに騙されるという経験が全くなかったのです。
その事も一因となったと思うのです。
しかしイブが食べてしまったので、結局はアダムも善悪を知る木の実を食べたのではないでしょうか。
その後アダムも善悪を知る木の実を食べたのは、堕落してエデンの園を追放されてしまうイブと共にいて「生めよ、増えよ」の戒めを守るために、あえてそうする事を選択したのでしょうか。
たしかに、聖書を陰陽の理論で見てもアダムは神から息、すなわち言葉を授かった預言者とみえるのです。
息のような長いものに配当されるものは、言葉に配当されるからでしょうね。
預言者たるアダムが、ルシフィルのたくらみを見抜けないはずはないです。
また、イブもまたアダムの指導下にあるとはいえ、預言者であったでしょうか。
神の意向は、善悪を知る樹の実を食べることにあると、二人が悟ったという解釈は聖書からも読み取ることは確かに可能ですね。
これに気がつくまで、「知識」を得ることが、「死」をも巻き込むと言う意味がはっきりつかめていなかったのです。
「生命の樹」に、その意味は掛かるものだと思っていたのです。
目的が「神々のようになる」と言うことと感じたとき、その謎も解けたように感じたのです。
神は、善悪のすべてを知るものであるばかりではなく、既に生と死を体験した者であったのでしょうか。
「知識」を得るのと同時に、「死も知らなければならない」ということでセットになっていたのですね。
「死を知る知識」をも知らなければ、ダメであったと。
アダムとイブも知識の実を食べなければ、食べないでそのままであったと言うことも可能だったでしょうか。
どうでしょう。
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