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出雲大社はどっちむき?

これ聞いたことありますか。

「雲太、和二、京三」

雲太は出雲国城築明神神殿、和二は大和国東大寺大仏殿、京三は大極殿です。

 1位は出雲大社。
 2位は東大寺。
 3位は京都御所、大極殿。

何の順位かというと、高さなのです。

出雲大社の口伝によると、上古32丈、中古16丈、その後8丈といいます。
1丈は3.0303mです。
メートルでは、上古96.9696m、中古48.4848m、その後24.2424mというわけです。

なんと100m近い高さで、大昔の出雲大社はそびえたっていたというのでしょうか。

みんな、高さにばかり気をとられています。

権威を見せる目的は、当然あったでしょうね。

でも、それだけでこんな高さが必要だったのでしょうか。

今の出雲大社は、南向きに建っています。

それでいて御神座のある御内殿は、西向きなのです。

どうして、こんな構造でしょうか。

あまり話題にならないけど、とんでもない高さのとき、どの向きだったでしょうか。

もし、今と同じ向きとしたら、どうでしょう。

朝と晩、見ものだったのでないでしょうか。

まるで、登り竜のようだったでしょうね。

見てみたいです。

CGでもいいから・・・。
向きに注目して、出雲大社をみていたら、変な考えがむくむくと浮かんできました。

出雲大社は、社殿は南向き、それでいて御神座のある御内殿は、西向きなのです。

つまり、東西南北にこだわった神を祀る社なのです。

東西南北にこだわったといえば、ギゼーの三大ピラミッドがあります。
たしか、入口は南にあったはずです。

最も重要と思われる、いわゆる「王の間」は斜面を上ったところにあります。

出雲大社も、階段を上った社殿に御神座のある御内殿が、設けられています。

三大ピラミッドは、白い化粧版に覆われた階段ピラミッドと見ることも可能です。
この、白い化粧版は太陽の光を現すのではないかと、見られています。
ピラミッド自体も、太陽の光の中で威容を誇っています。

出雲大社の社殿もまた、太陽の光の中で威容を誇っています。
しかも、古代はもっと大きかったのです。
出雲大社の口伝によると、上古32丈、中古16丈、その後8丈といいます。
1丈は3.0303mです。
メートルでは、上古96.9696m、中古48.4848m、その後24.2424mというわけです。

ピラミッドは、地上の太陽神である王の魂が昼の間滞在する場であるという説があります。

出雲大社の御神座のある御内殿の西向きなのは、社殿の構造上仕方ないという声はあります。
三本の柱を、三列に配置しているのです。

三内丸山などの大型掘立柱建物、かなり高いと言っても、100mや50mを建てるとなれば多少無理があるのは確かなのです。
出雲大社は、社殿の柱の配置が、100m近かったときも、一番低くなった今も、実はまったく同じなのです。
基本的構造を変えないで、高さだけ変えてきたといえるのです。
こまかくいえば、柱の太さや位置がいくらかは違うけど。

けれど、御内殿が入り口と同じ向きになるような造りをなぜ採用しなかったか、無視した議論なのです。
三内丸山などの大型掘立柱建物のようなやり方でも、十分高くなるでしょうね。

わざわざ御内殿が入り口と同じ向きになるのが難しい柱の配置を、もっと高くできるだけの理由で採用するでしょうか。

仮に、太陽神の魂が東から西に移動するのに対応していたらどうでしょうか。
そう。
出雲大社とギゼーの三大ピラミッドは、なにからなにまでそっくりになっちゃうのです。

社殿を九本柱にしたのは、なにか、思想上のわけがあるとわたしは見ます。
もし、この時代の出雲に陰陽思想があったとすれば、魔除けの九字きりが考えられます。
でも、階段まで一本線と見て十本目の柱に含めれば、門松にそっくりです。

飛鳥昭雄と三神たけるは、門松をアダムカドモンだと主張します。
さらに、ギゼーの三大ピラミッドもアダムカドモンだと主張します。
アダムカドモンは、ユダヤ神秘主義の象徴です。

そのうち、飛鳥と三神の二人は、出雲大社もアダムカドモンだと主張するのでしょうか。

あと、古代出雲大社は階段を舞台に、朝と晩、神殿で神の声、神の使いである蛇が、あるい下り、あるいは上る、光の演出があったのかもと想像するのです。

特に春分と秋分、見ものだったかも。

民俗学者の吉野裕子はその著書『蛇−日本の蛇信仰』で、縄文土器の蛇は、縄文人の蛇によせる情熱の噴出であると指摘しています。

また吉野裕子は、出雲大社は海を西に見るところに建てられ、鹿島神宮は海を東に見るところに建てられたともいっています。

出雲大社と鹿島神宮の二つをあわせて、太陽信仰のひとつの神界が構成されている可能性はありえますね。

そう思ってみると、鹿島神宮の向きは面白いです。
本殿と奥宮は社殿は北向きでも神座は東向き、境内社の大国社や稲荷社とか要石も東向き、ほかの境内社は南向き、境外の伊勢社は西向き。
まさに、ピラミッド神社といえますね。

真昼の太陽と、鹿島神宮と、出雲大社と、三大ピラミッドのように並ぶことでも、想像して配置したのでしょうか。

そうそう、もしも、出雲大社に十干をみてよければ、古代出雲大社は日時計であり暦でもあったのかも。

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コメント

古代イスラエルから来た日本人の祖先は、昔エジプトにいましたから、ピラミッド文明があっても不思議ではないでしょうね。

投稿: コテツ | 2008年5月18日 (日) 21時12分

あらためて、類似には驚きますね。

投稿: cova | 2008年5月19日 (月) 05時33分

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