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毘沙門天 その二

毘沙門天には、『毘沙門天経』に、「毘沙門天王を願せば信、戒、聞、捨、受、捨、慧、貌、力、弁、色声香味触富貴自在の十種の福利を獲得し、仏法中に於て法眼を開き、聖果を証得すべし」とあるように、財宝福徳の仏神と子宝を授かるという信仰も強いのです。

さらに、『北方毘沙門天随軍護法真言』に、「仏は毘沙門に勅して、天兵を領して界を守り。国土を擁護すべしと告げられたり」とあるように、軍神(いくさがみ)としての信仰も厚いのです。

武将上杉謙信も毘沙門天を信仰し、戦旗に毘沙門天の「毘」の字を掲げ、戦の神を味方にしていた事はあまりにも有名です。

1.浄信(清らかな信仰)
2.戒(行いを慎むための戒め)
3.聞(教えを聴聞すること)
4.捨(悪い見解を捨てること)
5.受(善業の果報を受けること)
6.慧(悟りを得るのに不可欠な大切な知慧)
7.形貌(姿形)
8.力(10の知慧の力。勢力、威力)
9.辯(なしとげること)
10.色声香味触富貴自在(自由自在)

唐の玄奘が、天宝元年(742)(天宝9年または12年説もある)、西蕃(せいばん)の入冦(にゅうこう)の際に、時の名僧第一として誉れの高かった不空三蔵に命じて毘沙門天に祈らしめたところ、毘沙門第二子の独健が鎧、兜に身を固め矛を取って現れ、蕃敵を潰走せしめた・・・・・・と『宋高僧伝』に伝えているのです。

さらに日本でも、『日本書紀』第21には、聖徳太子が物部守屋(もののべもりや)を征討した時、四天王像を造って祈願して戦勝し、後に摂津国に四天王寺を造立した・・・・・・
ということが記されているように、戦勝護国の仏神としても大いに信奉されてきたのです。

平安時代、王城守護のために平安京羅城門上に、同京の北方鎮護のために鞍馬寺に、それぞれ毘沙門天が安置されました。

京都洛北の天狗と源義経で名高い鞍馬寺の兜跋(とばつ)毘沙門天像や高野山竜光院などの毘沙門天像は、古来から怨敵退散・国土鎮護の霊像と仰がれてきたのです。
鞍馬寺の兜跋毘沙門天像は、刀八とも書かれ、軍陣に望む姿である八本の手全部に刀を持つ姿です。
普通、毘沙門は二本の腕で作られることを思えば、鞍馬山の兜跋毘沙門天はなぜ、腕が八本なのでしょう。

毘沙門天の、四天王の中で単独に信仰されるようになるのは、この鞍馬寺の存在が大きいのです。
のちに源九郎判官義経を名乗る牛若丸は、鞍馬寺の山奥で天狗から、兵法を習い「虎の巻」を授かったという話を御存知な方も多いのではないでしょうか。
牛若丸は、様々な叡智と技術、それに格闘術を、天狗から伝授されたと伝えられているのです。
八は、「ヤ」とも読まれるけど、「ヤー」は「ヤハウエ」の略としてしばしば使われるのです。
天狗に古代イスラエル説まで出されるとなると、その鞍馬の毘沙門の八本の腕があるという姿形まで何か関連ありかと疑いたくなります。

京都の北を守る神として意識されて信仰が広がり、武運の神として武将たちが信仰したのです。
なぜ、北を守る神が特別なのでしょう。
それは、陰陽道で北が天に配当されるからかも、しれません。
天の守護神とされたなら、毘沙門天が四天王を代表して単独崇拝されるのも、うなずけそうです。

また「幸福の女神」吉祥天が毘沙門天の妻とされたことから、やはり毘沙門天も幸福を授ける神だという面が強くなりました。

毘沙門天の像の一般的特徴は、頭に鳥形の冠(三面だての宝冠で、その正面に翼を広げた鳥の姿を表す)、身に甲冑、左手に塔(もしくは腰に手を当てる)、右手に宝棒(もしくは戟)を持っているのが普通です。
左手の宝塔は八万四千の法蔵、十二部経の文義を具し、右手の宝棒は悪霊を退散させ財宝をさずけるというのです。
また甲冑を身につけているのは魔を寄せつけぬためともいわれるのです。
仏教徒や密教・華喬の間では金財運・人気運・商売運の徳を得るため仏教徒や密教・華喬の間では金財運・人気運・商売運の徳を得るために毘沙門天の曼荼羅を北側の壁に掛ける習慣 がありました。

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コメント

>毘沙門の八本の腕がある

八又の大蛇と一緒ですね。八=ヤハウェの象徴なんでしょう。

投稿: コテツ | 2008年5月14日 (水) 15時42分

やっぱり、そうみますか。

符丁が合いすぎですもの。

投稿: cova | 2008年5月14日 (水) 17時05分

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