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原罪を問い直す 原罪とは何か。その2

原罪の話は、聖書知らないと難しすぎたでしょうか。

 ちょっと難しいけど・・・・ 。

あ、やっぱりそうですか。

「知識」を得るのと同時に、「死も知らなければならない」ということでセットになっていたのですね。

このことについても、こんな感想をもらいました。

 この言葉の意味、ものすごく深いので、いろんな想い、考え、想像が浮かんできました。ふうむ~

エデンの園で、何歳になっても寿命で死ぬということは、なかったのでしょうね。

でも、不注意に木に登れば、落ちたら死ぬ可能性はあったことでしょう。

ただ、そんな時も神が注意を促されるので、危険は避けられるのでしょうね。

神が、二人に死を体験させるため、危険に気づかないようにさせるなど、立場上できないことを思えば、二人の判断ミスということにするしか、手はなかったとも言えるかもしれません。

こんなコメントもきました。 
 
 わたくしには聖書自体がグローバル化とセットになっているとしか思えません。
 原罪が日本人にピンと来ないのは日本人が神さまや自然と一体化している民族だからだそうで。

「フランダースの犬」のネタを扱ったとき、欧州のキリストに対する解釈に疑問を出させてもらったのですが。

ここにも、欧州の聖書理解そのものが問われている気がしますね。

 一神教になったら自然の神と分断されてそして悪魔が入り込む隙が出来た…
 「知識」というのは、自然を征服しようというものではないでしょうか?

聖書自体は、自然を人の管理にゆだねていても、征服しろとは言ってないのですよ。

自然を、共に生きる相手としてではなく、やらなきゃやられる敵として、捻じ伏せるべき相手として、捉えているのは欧州の自然観であって、聖書の自然観ではないのですよ。

自然と人について聖書が説くのは、創造の最後に登場させた人に神の似姿と自然を管理する権限を与えていることで、人に好きなように勝手に扱っていいとは、委ねてなどいないのですよ。

自然にも、人にも、神はただ一人、旧約ではヤハウエ、新約ではイエス、そう呼ばれる「わたしはある」と名乗るお方なのですよ。

そうそう、言い忘れたけど、知識の樹になる実によって得られるのは、神に近づくために身につける必要のある知恵と知識なのです。

神の御心に従って、世界に臨むための心構えなのです。

聖書自体が、グローバル化とセットになっているとしか思えないとの感想にも、一言、つけくわえたいです。

それは、残念な誤解なのです。

聖書は、自らの絶対性を主張し、絶対神への服従を求めますが、それはグローバル化とは異質なのです。

 「死」という概念が、「時間」という概念を気付かせ、時間が「量」という概念を生み出した・・・気がしました。
 量(数)を認識して、はじめて「管理」もできる。。
 近代の考え方の基礎、つまりキリスト教圏の考え方の基礎が、ここには隠されてる気がしました。

 もう「自然を管理」がわたくしには理解できませんわ。
 「自らの絶対性を主張し」・・・いったいどこの誰に主張する必要があるのか?

管理とは、辞書にはこうあるのです。

管轄・運営し、また処理や保守をすること。
取り仕切ったり、よい状態を維持したりすること。
私法上は、財産などについて、その性質を変更しない範囲で保存・利用・改良を目的とする行為。
または、他人の事務について、その内容を現実化するための行為。

具体的には、次のようなことのようです。

1 ある規準などから外れないよう、全体を統制すること。「品質を―する」「健康―」「―教育」

2 事が円滑に運ぶよう、事務を処理し、設備などを保存維持していくこと。「―の行き届いたマンション」「生産―」

3 法律上、財産や施設などの現状を維持し、また、その目的にそった範囲内で利用・改良などをはかること。

神から自然の管理を命じられるとは、神のお創りになった自然を、神の意思に沿うような形で利用させていただくことと思われるです。

自然破壊、環境破壊、そんな結果に結びつく行為など論外ということではないのしょうか。

自然界のすべてと共生共存しながら、持続可能、再生可能な使用や利用をさせていただくということではないのかです。

自然に君臨しようと傲慢にならず、自然からの恵みを分けてもらう気持ちでいるべきではないのかです。

また、欧州文化批判になってしまったです。

「自らの絶対性を主張し」とは、聖書の神がモーセを通じてイスラエルと交わした『十戒』の最初にこうあるのです。

私のほかに神としてはならない

ところが古代イスラエルは何度か、異教の神に走ったことがあるのです。
そのたびに、神は怒り、イスラエルを懲らしめたのです。

それでも、イスラエルは分裂後、北朝10支族は異教の神に走って神を怒らせ続け、征服された挙句のはて、行方不明になったです。
いわゆる「失われた10支族」ですね。

残った南朝二支族も、保ち続けた信仰が揺らいだとき、征服されて、しまいには亡国の民となるのです。
第二次大戦後、再建してもなかなか和平がこないのです。
同じ神の民であるはずのイスラムと、ぎくしゃくしちゃっているからかもしれません。

原罪って、ほんとうはなにのことでしょうか。

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コメント

自然の管理は人に与えられた大切な責任です。やりたい放題に扱っていいわけないですね。最近の環境問題の深刻さには心が痛みます。全部人間の都合でこうなっちゃったんだから。

投稿: コテツ | 2008年6月 3日 (火) 18時55分

ほんと、これこそ、悔い改めの必要性があるでしょうね。

投稿: cova | 2008年6月 4日 (水) 05時35分

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