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堕落とは?

一旦堕落して神の元に帰ってきたら
堕落しないで神の元に居るよりなお嬉しい?

この問いは、アダムとイブにとっての堕落の意味をどう捉えるか、とともに、私たちにとっての堕落の意味をどう捉えるかということでもあるのです。

堕落を経験したかどうかより、神に敬虔であるかどうかの方が、より重要ではないのかです。

そして、神をよく理解して深く帰依する事が大事なのであって、堕落を経験したかどうかは、問題ではない気はしますね。

ただ、人である以上、堕落の誘惑に心を惑わされた経験がまったくない方が、むしろ少数派なのはないでしょうか。

自分は絶対堕落しないと驕り高ぶる者より、自分は堕落するかもしれないと自戒する謙虚な者の方が、神には喜ばれる者かもしれないですね。

親鸞聖人は、こういわれました。

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」

ここで言う悪人とは、自らの堕落を自覚し後悔する者であって、自らの堕落に開き直り罪を重ねる者ではないです。
そしてここで言う善人とは、自らを罪人と思っていない者です。

自覚なき悪人の可能性がある善人より、自らの罪を自覚している悪人の方が、往生の資格があるといっているのです。

イエスもまた、世情の中で卑しまれた人々の中に身を置き布教された点で、『旃陀羅(せんだら)の子』を名乗った日蓮に準えられますね。

旃陀羅とは、インドで、最下級とされた階級のことです。
屠畜(とちく)つまり家畜を食肉用や皮用に処理することや、狩猟などを生業とした人たちです。

 堕落っていうのは悲しみを知る経験だと思うのです。
 経験は重要だと思いますね。

 おそらく悲しみを知った人は傲慢にはなれないと思う。
 開き直れる人は多分本当の悲しみを知らない。
 まだまだ堕落し足りない。
 どのレベルで神のもとに戻れるかは人それぞれですが。
 最終的には神の元に戻れる。

卑しまれた人々は悲しみを知っている。
その中でも真に理解した人しか神の元に戻れない。
悲しみに酔って自己卑下している間はいつまでもそこに留まるのでしょう。

 涙とともにパンを食べた人間でなければ、人生の味はわからない。

あるいはこれ。

 何事のおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる

この言葉に、今までの議論はぎゅ!っと籠められるのではないでしょうかねえ。

この涙は、苦しみ、悲しみ、怒り、喜び、感謝、感激、などなど、いろいろあるでしょうね。

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コメント

過ちを犯さない人はいないので、どんな人でも大なり小なり堕落を経験します。大事なのはそこから悔い改めようとするかどうかだと思います。

投稿: コテツ | 2008年6月 7日 (土) 19時24分

度し難いと、見捨てられる側にはなりたくないですね。

投稿: cova | 2008年6月 7日 (土) 21時06分

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