義経と奥州藤原氏とアイヌ
義経の取った戦法は奇襲が多く、奇襲はアイヌが得意だと言います。
それで、義経の奇襲とアイヌの関係があるかのように、見る人も出てきました。
接点として、奥州藤原氏をあげます。
奥州藤原氏はアイヌと、日常的に交易をしていたのは確かだと言います。
また、奥州藤原氏の出自についても、アイヌがかかわっていると言う説をあげる人もいます。
そして、義経が奥州藤原氏と懇意であることも、状況証拠とされています。
義経については、奥州つまり今の東北から蝦夷つまり今の北海道へと、逃避行をした伝承があります。
特に蝦夷地での義経が逃避行した足取りとされる地域は、アイヌの居住地に重なるらしいです。
義経はアイヌに農業を教えて神様扱いされていた、などと言う話まであります。
北海道は、今でも良質な砂金が採れると言います。
義経の奥州から蝦夷に抜けた目的は、蝦夷地の金を手に入れ、勢力を養い、アイヌを味方につけ、再起を図るためではなかったかと言う説まであります。
義経ゆかりの家紋である笹リンドウが、極東ロシアの地に残っているなどという、おまけまでついています。
義経北海道逃亡説は聞いていましたが…。
アイヌとの結びつきは知りませんでした!
なるほど、確かに北海道へ逃げたことからも、アイヌと結びつきが出てきますね・・・。
アイヌと義経と奥州藤原、三題話としては面白いです。
でも、義経とアイヌを奇襲戦法で直接結びつけるのは、少々無理がありますねえ。
そうですね。
義経は、鞍馬山で天狗から兵法を教わったことになっています。
義経を兵法でアイヌと結び付けようとする人は、天狗がアイヌであったとでも言いたいのでしょうか。
天狗に古代イスラエル人説を唱える人もいるくらいだから、アイヌ説があっても良いのでしょうか。
ここに面白い情報があります。
スコットランド人ノーマン・マクラウドは、アイヌの生活用品は古代イスラエルに似てるといいます。
けれど、これらの話を結ぶと驚きの説が展開されることになります。
アイヌは、古代イスラエル人だったという説です。
だって、アイヌは、縄文人につながる人々なはずですよ。
つまり、縄文人は古代イスラエルだったという風に議論がつながってしまいますね。
あなた、これをどう見ますか。
ショック過ぎでしょうか
ええ。
びっくりですが。
でも、義経はモンゴルに渡ってチンギス・ハーンになったというとんでもない伝説に比べれば、蝦夷へ逃亡したというのは十分可能性がありますよね!
そうなると、義経の子孫が気になりますね。
どこかに、いるのでしょうか。
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コメント
地理的に考えて奥州とアイヌの交流は自然にありえる事だと思います。源氏とも繋がりがあるとしたら面白いですね。
投稿: コテツ | 2008年6月14日 (土) 11時18分
源氏は関東が拠点、何か見えてくるかも…?
投稿: cova | 2008年6月14日 (土) 11時29分
アイヌは縄文文化の末裔ではなく、北方民族的な擦文文化の一派なのですが。
投稿: | 2008年6月22日 (日) 20時03分
アイヌが、縄文の末裔の少なくとも一部である可能性は指摘されています。
一例を挙げましょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アイヌ
彼らの祖先は日本人の主体となっているいわゆる和人と同じように縄文人の一部を形成し、おおまかには続縄文文化、擦文時代を経てアイヌ文化の形成に至ったことが明らかになっている。
投稿: cova | 2008年6月23日 (月) 15時04分
なお、近年の遺伝子研究では大和、アイヌ、沖縄人など日本人の遺伝子はほぼ同じで、北アジアを起源に持つことが明らかにされていますが、アイヌの起源についてはまだ謎も多いようです。
それと、某巨大掲示板のような匿名での発言は遠慮していただきます。
今回は、まじめな内容でしたので削除しませんけど。
投稿: cova | 2008年6月23日 (月) 15時21分