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伊勢神宮の一日の祭

伊勢神宮の外宮の御祭神は、豊受大御神とおっしゃいます。
御鎮座は、雄略天皇二十二年と伝わっています。

それで外宮の正式名称は、豊受大神宮といいます。

外宮の由来書きにある説明によると、こうあります。

 豊受大身神はお米をはじめ衣食住の恵みを与えてくださる産業の守護神です
 
 今から千五百年前に丹波国から天照大御神のお食事をつかさどる御饌都神としてお迎え申し上げました
 
 御垣内の御饌殿では 毎日朝夕の二度 天照大御神に神饌をたてまつるお祭りが御遷座以来一日も絶えることなく行われています

由来書きは、興味深いことが記されています。
神々へのお食事を用意する行為自体が、お祭りとして、営まれてきたというのです。
神に食事をお供えする行為が祭りになることそれ自体は、民俗からいってもそれほど不思議ではありません。

興味深いのは、神の食事のための神を、わざわざ丹波国からお迎えしたことです。

そうまでして雨の日も風の日も、食事が祭りとして朝夕2度行われるのです。
この祭りが、「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」です。

神宮に奉仕してきた人から人へ、手から手へ、丁寧に守り伝えられてきた神宮の文化とも言えるのが、お祭りのしきたりや作法と、そこに込められた精神です。

このお祭りが、神宮では1年365日欠かすことなく続けられ、毎日の積み重ねが、1,500年以上にもなりました。

日別朝夕大御饌祭のこと、こんなふうにいう人いるのですよ。

 モーセの律法で、神に種入れぬパンを捧げる素祭に似てますね。

どこが、似てるっていうのでしょう。

一日のお祭りがどのように行われるのか、神主たちの一日を追って見ましょう。

奉仕する数名の神職は、前夜8時から参籠(さんろう)します。
参籠の目的は、身を清めるための御籠もりです。
白衣に着替えると、まず潔斎(けっさい)をします。
白衣の白自体が、すでに清さの象徴なのですが、さらに身を清めるために、体に湯をかぶるのです。
翌朝は5時に起床し、洗面の後、再び潔斎をします。

潔斎は、すでにそれだけでも、清めの行事であり、禊(みそぎ)と言えましょう。
白は、死に装束の色でもあり、儀式的な死の通過儀礼を意味するのでしょうか。
参籠は子宮、潔斎(けっさい)は羊水と、看做してもいいのかも。

潔斎をして参籠に入るは、羊水をくぐって胎内に入る。
潔斎をして潔斎を出るのは、羊水をくぐって胎内を出る。
つまり、生まれ変わりの儀式でしょう。

次に、神様の食事の支度です。
神様の台所にもあたる忌火屋殿(いみびやでん)で、約1時間半かけて神饌(しんせん)を調理します。
木と木を摩擦して、忌火(いみび)とよぶ清らかな火を起こすことから始まります。

木と木の摩擦とは、棒を板に立てること。
男根を女陰に立てることに、あたるでしょう。
忌火屋殿は火処(ほと)であり、女陰(ほと)に音が通じるのですよ。
命をはぐくむ、食を産み出す作業が調理ということでしょう。

水は、神宮の森の井戸の神からいただきます。
井戸の神は、上御井神社(かみみいじんじゃ)に祀られています。

井戸と釣瓶も、女陰と男根かも知れません。

お米は、神宮神田(しんでん)で収穫されたものです。

「米」は「八」「十字」「八」に分解でき、上下も男女に配当されますので、二つの「八」は男女の合掌かも。
「十字」は四方を指し、大地でしょう。
男女の和合は、古来、豊穣の象徴とされてきました。

御塩も、古代の製法そのままに二見(ふたみ)の御塩浜で奉製されたものを用います。

塩もまた、殺菌作用があるので清めでありましょう。
二見の浜で作られるのも、陰陽を連想できる地名だからかも。

季節の野菜や果物は、神宮 御園(みその)で作られます。

明治以降は鰹節や鯛、アワビ、昆布、清酒も毎日のお祭りの神饌に加えられました。
それぞれ、縁起物としてのいわれがあるのは、ご承知の通りです。

ひととおり神饌の準備がすむ午前7時になると、神主たちも朝食を済ませます。
朝食を済ませると、神主たちは平安時代さながらの白い装束と冠を着けます。

午前8時には、いよいよ祭典 奉仕。
冬季は午前9時だそうで、やっぱり夜明けが遅いからでしょうか。
神々の食堂、御饌殿(みけでん)へ、櫃(ひつ)におさめられた神饌を運びます。

ちょうどこのころに参宮すれば一般の人々も、神主たちが厳かに参道を通るのを見ることができるでしょう。

朝の神饌をお届けする奉仕が終わると、すぐに夕の神饌の準備をします。
その後、再び装束と冠を着け、午後4時には夕の祭典を奉仕します。
冬季は午後3時に繰り上がるのも、日没が早いからでしょう。
こうして一日のお祭りが無事に終わります。

イエスも、井戸の近くでお休みになられました。
また、水の奇跡もありましたね。

ヘブルの神事では、神道同様に清めに使いましたよね。
水だけじゃない、塩も、聖書と日本、清めで共通ですね。

聖書の神は、モーセのときも、イエスのときも、食にまつわる奇跡を起こしておられます。

ユダヤ人やキリスト教徒から、神道に注目する人がいるのも、仕方ないでしょうか。

で、どこが種入れぬパンを捧げる素祭に似てますか。

 食事の準備と男女の営み、通ずるものが多いですねえ。

どちらも、ほどほどに熱いか、ほどほどに冷たいか、ていうのがいいところですか。

 どっちも、熱くなりすぎたり、冷めきったりしちゃ、いけないでしょ。

おっしゃるとおりですねえ。

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コメント

素祭が日別朝夕大御饌祭とそっくりだとは言いませんが、共通する所は幾つかありますよ。
例えば、①神職を授かった者が行う。②穀類を用いた食物を捧げる。③一日二度、朝夕に行われる。といった点です。
だからちょっと似てるかなと思いました。

投稿: コテツ | 2008年6月18日 (水) 20時25分

なるほど、つっこみどころは結構ありってことですね。

投稿: cova | 2008年6月19日 (木) 05時29分

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