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「君が代」は何を歌いたかったのか

「君が代」は、この歌詞で広く知られています。

 「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」

実は「君が代」には、「元歌」があります。
その「元歌」とは、これ。

 「我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」

『古今集』巻7に、「読み人しらず」として納められています。
その後、「我君」の箇所は「君が代」と変えられて、藤原公任撰の『和漢朗詠集』に採録されます。

二松学舎大学溝口貞彦教授は2004年3月、著書『和漢詩歌源流考 詩歌の起源をたずねて』で驚くべき説を提起しました。

「君が代」は、挽歌(ばんか)だというのです。

使ったのは、歌に使われている個々の語彙に含まれている意味を追求する方法です。

そして、「巌となりて」の「巌」は「墓石」という議論を展開するのです。

 君が代って、独特な歌だなあと思ってたけど、そういう歌だったんですか。
 サッカーの国際試合とかで、試合前に国歌を歌うけど。
 日本の国歌だけ、なぜか暗い感じがするもんね。

 君が代のときだけ、空気が変わるですもん。
 「今から試合やるぞやるぞ!!」って気分になりにくいです。

『万葉集』では、前期や中期には挽歌が大きな比重を占めているといいます。
万葉集では、相聞(そうもん)・雑歌(ぞうか)とともに三大部立ての一つです。

挽歌とは、もともとは中国で葬送の時、柩を挽く者が歌った歌のことです。
人の死を悲しみ悼む歌で、古今集以後の「哀傷」にあたります。

今では、人の死を悼む詩歌や、挽詩、哀悼(あいとう)歌をさして挽歌と言います。

ついでに、相聞と雑歌も説明しておきましょう。

相聞は今では、手紙などで互いに相手の様子を尋ねあうことの意味で使います。
でも、万葉集では「あいぎこえ」とも呼ばれ、恋慕や親愛の情を述べた歌のことです。

雑歌も、雑の歌とか雑の句と呼ばれ、今でも和歌・俳諧の題材による分類の一つとされます。
和歌では四季・恋以外のものとされ、四季・賀・離別・羇旅(きりよ)・物名・恋・哀傷などのどれにも属さないものです。
連歌や俳諧では、無季の発句および付句をさします。

賀歌(がか)が登場するのは、奈良時代中期以後の歌が収められている万葉末期です。
賀歌は、和歌集の部立ての一つです。
勅撰集では古今和歌集以下に見え、長寿を祝う算賀の歌が多いです。
算歌とは長寿の祝賀のことで、四〇歳から始めて10年ごとに行った、中国伝来の慣習です。
のちには還暦の六十一歳、喜寿の七十七歳、米寿の八十八歳なども祝うようになりました。

溝口教授は、二つの流れのあることに着目し、「君が代」はどちらの系列かを問うたのです。

 現世における長寿を願う「賀歌の系列」
 死後の来世における永生を祈る「挽歌の系列」

「賀歌の系列」と「挽歌の系列」を識別するポイントの一つは、一つ一つの語彙に込められた意味の解釈にあります。

 「さざれ石の巌となりて」

これは、何を意味するかと言うことです。

 国技館の中庭に、さざれ石だと言われているものがありますね。

あちこちに、これがさざれ石ですっていうのは、展示されているようですねえ。

無生物を生物になぞらえる文学的、比喩的、表現なので、特定で具体的なモデルは存在しない。
そう思ってしまえば、普通が議論が終わってしまいます。

溝口教授は、考察しました。

 岩が成長するという思想が、当時あったかどうか

出した答えがこれ。

 そんな思想はない、小さな石が集まって大きな岩となる、「塵も積もれば山となる」式の思考法ならある

それに、砂岩のような、さざれ石、つまり砂粒のような細かい石が集まって出来る岩がある以上、非科学的ではないのです。

 小石が集まると、巌になるんですね。

 目から鱗、ボロボロ落ちまくりです。

あの、巌というか、砂岩なんですが。

まず、「さざれ石」、あるいは「ささら石」とはなにかです。
ここで「ささ」は、「さざ波」や「さざれ波」に同じだといいます。
つまり、「細かいこと」を「ささいなこと」という、その「ささい」と同じと言うわけですね。

また、「ささ」とは、微風が野原を通りすぎるときの、サーサーという音の擬音語と解します。
この葉をゆるがす音から、「笹」というようになりました。
古代人は微風の通過とともに、神の通りすぎるのを感じされました。

神の連想から、「さざれ石」も「巌」も、ともに霊石とみなされ、神性を帯びます。
これは、死んだ親あるいは祖先の「化身」とみなされます。
人が一人死ねば、霊石が一つふえることになります。

「さざれ石の巌となりて」とは、個々の霊石としての「さざれ石」が集積され、巌という「霊石の集合体」を形成することを意味しています。
「巌」は『万葉集』では、「墓地」あるいは「墓所」を指します。

巌の語は、死者を墳に葬ったのち、その入口を大きな岩でふさいだことにもとづきます。
岩戸ともいいます。

ちなみに、天照大神は岩戸隠れをします。
この解釈からすると、天照大神のお隠れとは、天照大神のご逝去を意味することになります。
実際、日本書記の岩戸隠れには、天照大神御自身のご逝去であると理解できる記述があると指摘されているのです。

その「巌に苔生す」とは、なにかです。
苔は、「再生、転生の象徴」です。
古いものを貴んだ古代においては、「苔」は好感をもって見られ、「苔むす」ことは尊いこととされました。

死後の再生、転生を経て、しかるのち初めて「千代に八千代に」という「永生」がえられます。
「君が代」=挽歌説は、まず語彙の側面から論証されます。

『万葉集』には、長寿や永生を祈る歌が少なくないです。
天智天皇の皇后であった、倭姫の次の歌が比較的初期のものに数えられます。

 「天の原ふりさけみれば、大君の御寿は長く天足らしたり」

この歌の意味はこうです。

 大空を遠く振り仰ぐと、天皇の御寿命は悠久に、大空一杯に満ちている

「君が代」に似た内容であり、大部分の生徒は長寿を祝う賀歌と理解したと、ある高校の国語教師の証言にあるそうです。

ところが『万葉集』で、この倭姫の歌が分類されているのは、巻2の「挽歌」なのです。
「天皇聖躬不予之時、太后奉御歌」、つまり天智天皇が危篤のとき、皇后か作られたとする題詞がついています。
不予とは、臨終という表現をはばかって用いる危篤と同じ意味の言葉です。

古歌が好んで使った手法が、本歌取りです。
本歌取りとは、それに先行する歌を本歌とし、その一部の語句をとり入れて作るやり方です。
その本歌が賀歌ならば、本歌取りによって作られる歌も賀歌です。
反対に、本歌が挽歌ならば、本歌取りによって作られる歌も挽歌です。

そこで、溝口教授は、「君が代」を本歌取りの観点から調べされました。

「君が代」の本歌は、どんな歌かです。
「君が代」が本歌として想定していたのは、『万葉集』巻2の挽歌の一つです。

 「妹が名は、千代に流れむ姫嶋の、子松が末に苔むすまでに」

この歌には、こう注釈がされています。
「河辺宮人が、姫嶋の松原で、乙女の屍を見て悲嘆し作れる歌」

後半の「子松が末に苔むすまでに」は、君が代の「苔のむすまで」に似ています。

本歌の作者は「小松が成長して大木となり、さらに老樹となって、そこに苔むすまでの時の流れ」のうちに、現実には果たせなかった乙女の長寿・永生の姿を見ようとしています。

以上の考察を経て、溝口教授はこう結論づけます。
「君が代」の歌詞の意味は、「千代に八千代に」という永世の願いを、死後の「常世」に託したものであると。
それは「死者の霊に対する鎮魂の歌にほかならない」と。

溝口教授は、紀貫之が個々の秀歌を「さざれ石」にたとえ、それらを数多く集めた『古今和歌集』こそが「巌」だと説いている事実に着目します。

貫之が「我君は」の歌を「賀歌」の部に含めたことは、「この歌の基本的性格を見誤ったもの」であるとします。
貫之はこの歌を「賀歌」ではなく、「挽歌ないしは哀傷歌」のうちに含めるべきであったとみなします。
そこで溝口教授は、「この歌を自分の都合のよいようにつまみ食いした」という批判を免れえないと指摘します。

溝口教授の所説は、三つの点に要約できます。

 「君が代」に盛られた思想内容の分析
 用いられた語彙の分析
 「君が代」の本歌の性質を分析することを通じて、「君が代」が挽歌であると論証する

さらに、これを賀歌とする誤解は、貫之の「つまみ食い」に始まることを証明した形と判断しました。

 だけど、溝口教授は非難されたりしていないの。
 単純な右翼が一部だけ聞いて怒りそうな説です。
 なんてたって、君が代はタブーですよね。

まあ、扱いが難しい主題では、ありますねえ。

ま、それはそれとして、溝口教授の説を見て、疑問が残るのでないかです。
どうして、「君が代」が賀歌と解釈されたのかと。

私は、天照大神の岩戸隠れが鍵と見ます。

天照大神の滅びと復活こそ、岩戸隠れの本来の意味ではなかったのかです。

人が現世で復活することは、現実にはありえないですけど。

古代エジプトには、死者は死後の世界で復活し永遠の生を得るという思想があります。

死が滅びではなく、死後の世界での永遠の生への旅立ちと言う思想が、古代日本にあったとしたらどうです。

無念の死を遂げた者の魂を『怨霊』として恐れ、崇拝された者の魂を『守り神』として崇めるのは、死が滅びと見ると矛盾するのではないかです。
死後に永遠の生があると、見てこそ成り立つ想いではないのかです。

そう。

死は、永遠の滅びに対する嘆きの対象ではく、永遠の生に対する祝いの対象となるのです。

だから、賀歌として受け取る解釈が成立していったのではないのかです。

君が代の、元歌と本歌を並べて見ましょう。

 「我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
 「妹が名は、千代に流れむ姫嶋の、子松が末に苔むすまでに」

苔は、「再生、転生の象徴」です。
古いものを貴んだ古代においては、「苔」は好感をもって見られ、「苔むす」ことは尊いこととされました。

死後の再生、転生を経て、しかるのち初めて「千代に八千代に」という「永生」がえられます。

溝口教授はこの共通点に注目し、どちらの歌も現実には果たせなかった長寿・永生の姿を見ようとしていると、指摘したのです。

なのに、賀歌とされた理由まで踏み込んでくれなかったのは残念です。

 現実には果たせなかった長寿・永生の姿を見ようとしている

それは願いであるとともに、祝いでもあったのですね。
だから、挽歌として歌われたにもかかわらず、賀歌として受け取られていったのかも。

長ったらしい上に、ややこしいですか。

 びっくりした!
 とっても面白いです。

 深いですねえ。

ありがとうございます。

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コメント

『和漢詩歌源流考』の「驚くべき説」のご要約も驚くべき充実している。一文無しで日本から遠いマイアミですから、当の本の閲覧はそう簡単ではないから、助かりました。只今、古狂歌十冊の集を執筆中。中には賀歌と寄あれこれの祝歌の本を組んでいるところで、或る歌で巨悪を吉たる印に化する和歌と狂歌を紹介するReversals章に、別章なる成長+苔のむすまでにふれた万葉二の歌との関係が、個々の吉化歌と類似すると書いたら、その思いつきの前例の有無をGoogle捜査せんとすれば、ここに着ました。他の人が先に気付いたと読めばがっかりするのが普通が、こんなに深く取り上げたら、拍手に脱帽するしかない!大なる猫好きだたら、音色の心理にも敏感であろうが、国歌の曲は、どちらの意味に相応しかと思いますか。無意識に万葉集の本歌の方には、とこの猫とよく会話する外人は思いますが。(*拙著The Cat Who Thought Too MuchはGoogle Booksで100%可視。)敬愚

投稿: 敬愚 | 2015年3月27日 (金) 07時52分

喜んでいただき、ありがとうございます。

君が代としての日本の永続の祈願と奉祝の想いを込めて、詞が選ばれあの厳かな曲はつけられたのでしょうね。

投稿: cova | 2015年3月29日 (日) 16時44分

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