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2008年8月

ちょっと、息抜き。

今回は、私の別の面も出しちゃいましょう。
こんな感性が、私の考察の裏にあります。

 こそげ取り それでも残る 言葉達 彼ら束ねて 詩(うた)とはなさむ

短歌や俳句は、言ってみれば心のエッセンスと言って良いかも。
最も印象が強いものを詩にするのが究極の短詩形と言える、そういう詩が短歌や俳句だと思います。

だから、変に詳しく語ってわかってもらおうとする大人より、大胆にデフォルメできる子どもの方がかえって面白い歌が読めるっていう気がしてるです。

なまじっかいろいろ知っていると、逆に意味を取り損ねたりしちゃうです。
気楽に構え、すなおに詩(うた)を詠んでほしいです。

わたしも、仲間がわかってくれたのに選者が深読みして誤解しまくった、例を知ってるのです。
実は私自身の体験なのですけれど…。

短歌じゃなくってごめんです。
俳句(もどき?) なのですが。

 ズボンより ページ寝押しの 秋夜長

「ついつい読みながら眠くなって、ズボンよりも本のページを寝押ししてしまう、そんな秋の夜長であることよ。」

やったことないかです。
夜寝る前に布団の下にズボンを形を整えてしいて、自分の体重でズボンをプレスするのです。
寝ている間にズボンをプレスする、つまり、押すわけですね。これを称して“寝押し”と言います。

寝ながら押すものの定番と言えば、ズボンであるのに、わたしは読みかけの本のページの方を寝ながら押してしまった、そんな秋の夜長の過ごし方を、ついついしてしまう。

友人達は、これを読んで、あるある、よくするよね、って言ってくれたのです。
ところが選者は、ズボンをまるで、本のページのようにピン!っと寝押しするために丹念にしわを伸ばした、そんな秋の夜長であることよ、と解釈してきたのです。
ま、確かに、せっかく寝押しするのだから、アイロンでもかけたように綺麗に折り目をつけようと苦労していると、読めなくもないのです。

受け止め方、よみ方は人の数だけあるです。
自分がどのように感じたか、もっと、肩の力を抜いてうたうのがいいかも。

 思うまま 流れる心 よめばよし 誰がうたえる 思わぬことを

 あるあると 笑わば笑え ご同輩 ばれるだけだよ 同じ仲間と

 恋恋と 呼べど鯉さえ 縁遠し やけになるとも われは下戸なり

 型はめて なぜか出来ない 同じ詩(うた) 汝知るべし それがお主と

 短歌とは 自由俳句の 季語忘れ 字余りなりと 開き直らん

コメント言おうとしたら、いきなり駄句の羅列になってしまったです。

 なんか癒されるです~!
 私は短歌は苦手だけどね。
 昔、セーラー服を寝押しして…。
 寝相が悪すぎてスカートのヒダがえらいことになったという思い出があります。

でも、似たような経験って、男女問わずあるでしょうねえ。
もっとも、男はズボンですが。。。ね

 スカートで 寝相がばれた 校門も 今は通れる そ知らぬ顔で

今聞いた体験を勝手に詠ませてもらったです。

余計な説明を省いて要点をまとめ、起承転結をつけて詠めば、それらしいものはできるです。
あとは、自分好みのリズムになるよう、語順や言葉をを直してみてです。

 たいていは 読み込みすぎて 駄句になる 言葉を省け 下駄を預けて 

 うらやむな あなたしかない 感性を あると思えば 詠めるだれでも

大きな物語を無理に読もうとしないでも良いと思います。

無理に読もうとすれば、あらばかりが出るですよ。
で、こう言ってごまかすことになるのです。
「あら、見てたのね~!」

わたしも、あらが出ないうち、失礼です。
あらよっと。

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時空と生命?宇宙は生きている?!

日経サイエンス2008年10月号に、面白い記事を見つけたのです。

自己組織化する量子宇宙
J. アンビョルン(ニールス・ボーア研究所)/J. ユルキウェイッツ(ヤギェウォ大学)/R. ロル(ユトレヒト大学)

本文はもっと長いので、ダイジェストの載っている日経サイエンスのホームページをもとに、少々解説を交えながら再構成して紹介したいのです。

物質を形作る基本的な粒子を扱う量子論とアインシュタインの重力理論である一般相対性理論との“結婚”の結果生まれる「量子重力理論」は、未だ実現していないです。
多くの科学者が、理論や仮説を立ててはいますが。。。
相対性理論は、相対論と略されることも多いです。
ここでは混乱を避けるため、相対性理論で通します。

量子論と一般相対性理論の統一がなかなか進まない中で、4次元時空をつくり出すというか、4次元時空がひとりでに生まれる理論が登場しました。
それが、「因果的動的単体分割」です。
4次元時空とは、縦横高さの3次元と時間の1次元が一体となった世界のことです。

細かい話はさておき、この理論からどのような答えが出るか見ていきたいです。

 だって、詳しく聞いたって頭がこんがらがるだけでしょ。

雰囲気だけでも、感じ取ってくださいね。

時間や空間はどのように現れたのだろうか? 

このレシピは、ホーキング(Stephen Hawking)によって一躍有名になった「ユークリッド量子重力理論」をもとにしています。
この理論は、可能なあらゆる時空の形状を重みをつけて重ね合わせることで私たちの宇宙が現れるというものです。
さまざまな性質の時空を、ウエハースみたいに重ねたと思い浮かべてみてくださいね。

そのレシピは実に簡単。
少数の基本的な構成要素を用意する。
量子論の原理にしたがってそれらを集め、よくかき混ぜて落ち着くのを待つだけ。
これで量子時空ができあがる。
未知のものは何も導入する必要はない。

 量子論の原理
 電磁場:空間を調和波として伝搬する、振動する電気的・磁気的擾乱
 電場:荷電粒子に作用する場.
 磁場:運動する荷電粒子に作用する場
 波長:λ,波の山と山の距離.
 周波数: v 変位が元に戻る1秒あたりの回数
 波数:波長の逆数
 電磁スペクトル:周波数単位で表した電磁界の範囲

簡単な原理で、一見複雑なものが再現できるといえば、こんなのがあります。
少数の原理だけで動かした昆虫ロボットは、驚くほど現実の虫の群れと似た行動をするそうです。
同じようなことが、「因果的動的単体分割」という理論から作られるモデルで起きるというのです。

どのように4次元時空は形づくられ、私たちの世界の舞台となったのだろうか?

著者たちは量子論と一般相対性理論の統一の失敗の原因を探すうちに、重要なポイントにたどり着いた。
それは、「宇宙には因果律が備わっている」というもの。
因果律とは原因と結果が決まった順序で起こるという原理で,一般相相対性理論に不可欠なもの。
因果的構造を組み入れて改めてシミュレーションしたところ、果たして4次元時空ができあがった。
この時空は大きなスケールでみると、見事に一般相対性理論の重力方程式の解の1つ「ド・ジッター宇宙」だった。
しかも、シミュレーションの詳細を少々変えても結果がほとんど変わらず、普遍性を備えている。

ド・ジッター宇宙(De Sitter universe)のド・ジッターとは、ライデン天文台の台長をつとめたオランダの天文学者ウィレム・ド・ジッターのことです。
ド・ジッターが解いた、アルベルト・アインシュタインの一般相対性理論の重力場方程式の解です。
アインシュタインの一般相対性理論の重力場方程式の、3つの解のうちの1つです。
ド・ジッターの名をとってド・ジッター宇宙と呼ばれるようになったです。

ド・ジッター宇宙の示す宇宙とは、密度と圧力がともにゼロで、宇宙項が正の値をとる宇宙です。
宇宙項には、宇宙定数と呼ばれる定数が入っています。
宇宙項は、万有引力に対抗する斥力である「万有斥力」を表します。
最初の式では、万有引力で宇宙がつぶれるので、宇宙項を加えて作り変えたです。
宇宙項が正の値ということは、ド・ジッターの解ではアインシュタインが考えたとおりの斥力があるということです。

つまり、宇宙は万有引力と万有斥力が支えているかもしれないというのです。
まるで、電気のプラスとマイナス、磁気のS極とN極のように、重力に引力と斥力があるといっているようなものなのです。

この模型では、宇宙は空間的に平坦であり、普通の物質を無視し、そして宇宙の力学は宇宙定数により支配されています。
この宇宙定数は、ダークエネルギーに相当すると考えられています。

ダークエネルギーとは、実質的に「反発する重力」としての効果を及ぼしている仮想的なエネルギーのことです。
宇宙全体に広がって、引力に対して反対方向に働く力とされます。
引力の方向を正の圧力とすれば、斥力の方向は負の圧力と呼ばれます。

その時空は、非常に小さなスケールではどのようにみえるのだろうか?

では、量子論が重要になる小さなスケールはどうなっているだろうか?
なんと、時空を“顕微鏡”で拡大していくと、次元が連続的に変化するのだという。
このことは、時空が時空の“原子”のような基本単位が集まってできたものではなく、無限に同じ構造を繰り返す“退屈のきわみ”でできていることを示唆しているかもしれない。

これは数学のフラクタル理論によって作られる、全体と部分が相似形になるモデルが適応できるかもしれないということです。
樹木は全体の形と、個別の枝の形が相似形になるような姿が、フラクタルのモデルの例えとしてよく使われます。
つまり、時空は入れ子構造のように、似通った姿が繰り返し現れるかもしれないというのです。

ちなみに、わたしもアインシュタインの時空歪みによる重力モデルは必然的に斥力が出現すると、かなり以前から思っていたのです。

おそらく今回の記事に出たモデルは、万有引力と万有斥力が等しい大きさであると、今後展開せざるを得ないなのかも。

 この理論、宇宙は生命体のようなものといってるように感じられます。

宇宙って言うか、時空そのものに生命に似た性質があるように見えるのは面白いですね。

 この理論は、生命の階層性についての解釈に大きな影響を与える可能性があるでしょうねえ。

ええ、まさに宇宙に無限階層を認めるモデルといえるかもです。
唯物弁証法や、数学のフラクタル理論、カッバーラの生命の樹の指摘する、階層的世界観に通じるモデルに思えます。
ちなみに、カッバーラの生命の樹は、上にも下にも、無限につながると見られているのです。

 基礎的なことですが、一般相対性理論には微分積分が使われています。
 微分積分って大前提があるんですよね。
 それは空間は、いくら微細に分割しても性質を変えないという大前提がある訳ですよ。

数学には、飛躍を扱うカタストロフィー理論というのがあるのです。 
一般相対性理論と量子論の統一問題は、一般相対性理論にカタストロフィー理論を導入する問題と見てもいいのかもしれないです。
 
 量子力学では、空間は微細になると性質がかわるというわけですよね。
 この2つの理論の融合という概念自身が、破綻しているのでしょうかねえ。

一般相対性理論と量子論の2つの理論の融合という概念自身は、破綻はしていないと思います。
この一般相対性理論と量子論によって生まれる理論は、科学に新しい展開をもたらす弁証法的な飛躍となるのかも。

 虫ロボットの例とか出ると、少し分かったような~。。。
 物質の外部に、操作するものがあるのですか?

虫ロボットの動きは、簡単な原理のプログラミングで制御されているそうです。
それでいて、まるで生きている虫たちのような行動をするといいます。

今回紹介した理論も、簡単な原理から現実の時空-私たちの住んでいる空間と思ってもらっても良い-が再現できるというところが、虫ロボットの動きの再現と似てるのです。

 私たちの命って、時空のようなミクロの世界に由来してるのでしょうか。

どうなのでしょ。
まるで、生き物のようなところがミクロの世界にあるから、それがたくさん集まって複雑に組み合わさってくると、私たちのような生命ができるのかって思ったら、奇妙な気分になりますねぇ。

この、「因果的動的単体分割」という理論に注目したのは、世界はエネルギーから生まれ、エネルギーとともに展開し、エネルギーに帰っていくという、解釈ができそうだからなのです。

言い換えれば、世界は光から生まれ、光とともに展開し、光に帰っていくという、解釈ができそうだからなのです。

 光あれ、すると光があった。

この場面から始まる創世記を、思い出しちゃったのです。

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謎のメディア人について、何かご存知でしょうか。

「丸い頭、縦に細長い瞳、胴は一般に細長く、尻尾を巻きつけて休む事が多い。時として舌を出しっぱなしにしている。」
これを聞いて、あなたはどの生き物を連想するでしょうか。

 ひょっとして、静かに出没する。
 あの、生き物、ですかぁ。

実は私、猫を思い浮かべながらお話したのです。
でも、たいていの人は、目の前に蛇が浮かんだかもしれないです。

 そういえば、ネコは威嚇する時に蛇のまねをして「シャーッ!」と声を立てますよね。

 それから、江戸時代に長い尻尾のネコが嫌われたのは、猫また伝説にあるけど、蛇のようにくねくねと動く細く長い尻尾が気味悪かったのではないかなぁ。

猫と蛇、哺乳類と爬虫類の違いがあるのに、イメージを語ると不思議な重なりがあります。

丸くなって休む姿は、どちらも「とぐろを巻く」と言われるのです。
また、香箱猫、とくに直尾猫の香箱は、とぐろを巻いて頭をもたげているように看做せなくもないです。
実際、尾の長い子はあきれるくらい長いです。
どうかすると体長の半分以上はあるかと、思えるほどです。
この長い尻尾であれば、体の前に来そうな気がしないですか。

尾の長い直尾猫は、世界的な広がりを持っています。
勿論エジプトも、例外ではないのです。

直尾猫に対して、曲尾猫はほとんど、東アジアに集中しているようです。
尻尾の短い曲尾猫を見慣れている人は、あまりぴんとこないかもしれないですけど。
それに、笑えるほどのデブ猫は、猫の歴史から見たらつい最近登場したに過ぎないです。

しかし、猫は蛇に印象が還元されきってしまうわけではないです。
猫は、体が柔らかいのと、顔つきや体つきが人っぽい分、いるねえこういう人と言う写真が撮れやすいようです。
そこで、猫を題材にした面白写真や漫画は飼育数で勝っている犬以上に作られる事になります。

ということは、笑われてるのは、猫のほうではなくって、猫にパロデイにされた人のほうってことでしょうか。

まあ、それはさておき、猫は蛇と人の中間にくる生物として、古代人には意識されていたのではないかと、仮説の一つも立てたくなるのです。

 白蛇と白猫が神聖化されるのもなんか共通点があるような?

 蛇と猫と人の関係を考えると、あちこち思考が飛んでしまうけど。

猫はなぞが深いので、想像は広がりやすいですねえ。

蛇を神、あるいは、神の使いとすると、猫は仲立ちをする存在、つまり神官に印象をつなげても良いのかもしれないです。
実際、古代アメリカではヤマネコを意識したと思えるメイクをした祭司の像が見つかっているのです。

神官の有資格者の中でも、特に儀式を行う資格を有するものが、ネギ、マギと呼ばれたと見ても、よさそうに見えると言うと、言いすぎでしょうか。

マギとは、拝火教祭司とか、マジシャンの語源として聞いたことはあっても、何者かとなるとあまり知られていないようです。
もともと、アヴェスター語形マグ(magu、あるいは、maγu)に由来します。
イラン高原北西部の地方にあったメディア王国で、宗教儀礼をつかさどっていたペルシア系祭司階級の名称なのです。
ちなみに、イエス誕生の話しで登場する東方の博士はマギであるとみなされています。

メディア王国は首都をエクバタナにおき、紀元前715年頃 から紀元前550年頃にかけ、現在のイラン北西部を中心に広がっていたメディア人の王国です。
紀元前612年頃アッシリアを滅ぼした後、しばらくの間強大な勢力を誇ったです。
アッシリアの崩壊後、影響力を拡大したエジプト、リディア、カルデアともよばれた新バビロニアとともに当時の大国となったです。
前550年ごろ、アケメネス朝のキュロス2世によって滅ぼされました。

メディア人が、いつ頃イラン高原に定着したのかは明らかではないです。
彼らは、正確な姿をつかむことが難しいのです。
なぜかというと、後世ペルシア人との同化が進み混同されて記録され、メディア人に関する情報は非常に限られている上に、自ら残した文献が見つからないからなのです。
インド・ヨーロッパ語族に属する、北西イラン語系の言語を話した人々であったらしいですけど。
紀元前1000年以前にはメディア人が他のオリエントの集団と接触を持っていたであろうと、ギリシア語へ入ったメディア語人名の研究などから推定されているそうです。

ペルシャ人との同化、ギリシャとのかかわり、オリエントとの接触、妙に日本とイメージがかぶるメディア人って、なにかぷんぷんにおうのです。

日本には、多くのペルシャの人や文物の伝来、ギリシャと神話や身体特徴の共通性、ユダヤやスメルの渡来説、なんかがあるからです。。。

え?

拝火教だけに、焦げ臭い?

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安倍清明にまつわる動物たち

安倍清明というと、狐がよく登場します。

狐とくれば、誰もが想像するのは稲荷です。
実際、清明にまつわる稲荷社は、清明稲荷などがあります。
さらには、安倍清明の父保名(やすな)を祀っている泰名(やすな)稲荷神社もあります。

しかし、狐には「きつね」のほかに「けつね」という呼び方もあります。
「けつ」は狐の意味の古語で、今でも狐を「けつね」と呼ぶ地方はあります。
一番よく聞く説に、稲荷の神と同体と考えられる御饌津(みけつ)神が誤って三狐神と書かれ、そこから狐が登場したというのがあります。

そして、わたしの記憶に間違えがなければ「けつね」とスサノオに奇妙なつながりがあったです。

スサノオ命にかかわる社としては、熊野神社、八坂神社、氷川神社、津島神社があります。
そのうち、熊野神社の祭神は、熊野速玉男神(くまのはやたまおのがみ)や、家津御子神(けつみこのがみ)がいます。
家津御子神の「家津」は、おそらく当て字です。
つまり「けつ」御子神であり、「きつね」御子神となります。

御饌津(みけつ)神が誤って三狐神と書かれ、というのも多分後の解釈です。
この「饌津」も当て字の可能性は、ぷんぷんにおうです。
御「けつ」神もまた、間違えなどではなく、御「きつね」神であるかもしれないです。

となると、三狐神の「三」も、意味深にみえてくるです。
スサノオは、アマテラス、ツクヨミとともに、イザナギ命からうまれた三神なのです。
そうなると、この「三」は、イザナギから生まれた三神を意識しているのでしょうか。

さらに、アマテラスの子孫を名乗る天皇は「ヤマトネコ」と呼ばれるです。

そして、稲荷は奇妙なまでに招き猫の発祥のなぞにからんでくるのは偶然でしょうか。
実際、狐には招き猫とそっくりに作られたものがかなりあるといいます。

稲荷の総本社とされる伏見稲荷には、秦氏の氏神の顔があります。
秦氏は養蚕を伝えたが、養蚕の天敵は鼠です。
養蚕の守護神としての猫、という具合につながるです。

安倍清明をたどったら、なぜか猫についちゃったです。

 茨城県で安倍清明の邸があったといわれる場所は、 いまは猫島という地名となっているそうですね。
 吉備真備がらみの伝説が面白いです。
 ってワタシは猫が出てくりゃ何でもいいのかも。

そして、エジプトには、ラー、セクメト、バステトの猫神三神がいるのです。
まさか、三「狐」神は、三「猫」神に通じるのでしょうかね。

 これは関係があると思います。
 やはり三人神がならぶ時は絶対三神を表していると思います。
 ブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァとか、阿弥陀三尊とかいったふうにね。

秦氏の果たしている役割は、大きいってことででしょうか。

 狐は、容姿も猫に似てると思います。

確かに、赤猫の後姿、狐っぽいですね。

 狐は化けると9尾だけどね。
 猫はネコマタになると尻尾は2つに分かれるよね。
 狐の方が尻尾は、多いですねぇ。

戦国時代から秦・漢期にかけて中国では、「狸」とは里に出没する獣全般を指す言葉であったです。

里に来ていさえすれば「狸」とよんでいたので、その意味で「狸」とは、ネコもタヌキもキツネも含んだ言葉だったのです。

だから、キツネといってもネコも入っていた可能性はありますね。

陰陽で民俗を解釈している吉野裕子氏は、キツネが神と結びついたのは体色のせいではないかと見ているのです。

つまり、キツネは黄色とみなされ、五行の「木火土金水」を色にそれぞれ配当すると「青赤黄白黒」となって、中心にくる「黄」にあたるから、天界で世界の中心におられる神に対応して神の使いとなった、と考察しているのです。

もっとも、、「狸」については古代中国ではネコ科の動物で、とりわけ山猫や野性化した家ネコなどを総称したものという声もあるけどです。

だから、陰陽思想とともに、キツネとネコの混同も伝わっていたのかも。

 「けつね」って、実際には言われてたんです。
 関西人がわざと言う「けつね」とは、ちょっと意味が違うんでしょうけど。
 やっぱり、狐と猫は縁続き。
 お稲荷さんの両脇に座っている狐の手はねえ。
 まるで招き猫のそれみたく手を上げてます。

 う~~~んお稲荷さん行ってみたくなった。

連想は、面白いのです。

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五十音図

五十音図は、意外なことに相当時代が下るまで、安定しなかったという指摘もあるのですよ。
幕末ころ、ようやく、今の姿に落ち着いたそうなのです。

幕末のころといえば、招き猫が登場するのもそのころでした。

招き猫が忽然と現れた時代と、猫じゃ猫じゃの唄がはやった時代と、樽神輿の登場の時代、ほぼ重なるように思えるのも、奇妙なのです。

それはさておき、五十音図でふと思ったのですよ。

「あ」ではじまり、「ん」で終わる…
てことは…
陰陽ってことでしょうか。
つまり、「あ」が「陽」、「ん」が「陰」。

 「あ」と「ん」。
 単純ですが始まりと終わりを
 ものすごく端的に象徴してるような気がします。

 横でネコが…。
 見事な「あ」と「ん」。。。

 すみません、タダのアクビでした。

五の段は、五行に対応でしょうか。
「あいうえお」をそれぞれ「木火土水金」に、何らかの順で配当しているように思えます。

あるいは、五の段で五行があらわす五芒星、「ん」を合わせて陰陽を表す六芒星なのでしょうか。
六芒星とすれば、「あ・う・お」と「い・え・ん」なのでしょうか。

十の行は、十干に対応でしょうか。
十干(じっかん)は、天干(てんかん)とも言います。
甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10の要素の順列のこと。
木(もく、き)・火(か、ひ)・土(と、つち)・金(こん、か)・水(すい、みず)に、陰陽を兄(え)と弟(と)に割り当てています。
木の兄(きのえ)・木の弟(きのと)・火の兄(ひのえ)・火の弟(ひのと)・土の兄(つちのえ・)土の弟(つちのと)・金の兄(かのえ)・金の弟(かのと)・水の兄(みずのえ)・水の弟(みずのと)

五十音図は、十行だけれど、「あ行」と「わ行」をそれぞれ陽と陰に見立てて合わせて考えれば、九行ですね。
九といえば、陰陽には「九字きり」という呪文があります。
九字きりとは、横縦交合に「リン・ビョウ・トウ・シャ・カイ・ジン・レツ・ザイ・ゼン」と唱えながら片手で空をきっていくのです。
神の御力を頼む所作です。

結婚でかわす三三九度も、おそらく九字きりを意識し、結婚の祝福を神に求める呪術ですね。
たぶん、結婚は陽の男と陰の女の合一で「無」を表すので、陽の数字である奇数で「有」を配するという気配りでしょうか。

十行にも、「十字きり」という呪文が対応する可能性はあります。
十字きりとは、文字通り「十字」をきる動作をするのです。
わたしには、相撲の手刀が十字きりの変形と感じられるです。
また、門松の節が「3+4+3=10」なのも、神の見守りを願っているのでしょうか。

さらに「あ・か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ」の十行では陰の数になってしまうので、「ん」をたして十一行で陽の数にするという配慮も想像できるです。

神仏にかかわることで十一面観世音のように陽の数にこだわるとき、神仏の御力の顕現を願っているのでしょうか。

ただ、門松については、飛鳥昭雄と三神たけるの二人は三つの柱と十の節に注目してカッバーラの奥義である「アダムカドモン」であるとの説を展開しています。
ヘブル語でアダムとは始めの人、ならカドモンは何でしょうか。。。。
「カド」が「値する」で「モン」は旧約に出てくる「マナ」の転化、「マナに値する」でしょうか。
だれか、くわしいかた解読してみてくださいね。

そういえば、賞状用紙の周囲とか縁枠に施されている図柄は、次の3要素で構成されています。

(1)中央上部の雲状の図柄である「雲龍」
(2)その雲龍の左右に配図された一対の「鳳凰」
(3)下部から左右上部へと鳳凰に向かって伸びる「桐」

で、中に文章が入ります。

①表彰名(表題)
②受賞者名
③主文・副文
④表彰年月日

つまり、門松の「3+4+3」と同じ構図ですね。
これも、呪術の十字きりを意識してるのでしょうか。

もっとも、飛鳥=三神コンビの手にかかると「アダムカドモン」にされちゃうでしょうか。

文章は句読点を入れない、という約束事は十個の節であるセフィロトをつなぐパスを連想するなんて言っちゃうでしょうか

 ふと、思ったのですが
 「いろはにほへと」文字になると、また5・7・5調ですねえ。
 陰陽の順番が変わってきたりしますが…
 あんまり関係なかったでしょうか。

5・7・5調じゃなくって、7・5調ですねえ。

 あ、そうですねえ。

五十音図完成まで、いろは歌が日本語の“ABC”にあたる存在だったようですね。
奇数、つまり陽の数だけで作られていますね。
偶数、つまり陰の数が外されるのも、陰陽と関わりがありそうで、考えてみても面白いかも。

いろはの四十八といえば、、阿弥陀仏が法蔵菩薩として修行していたとき、それに先立って立てた願のことを四十八願 (しじゅうはちがん)というのですと。
浄土教の根本聖典とされる康僧鎧訳の 無量寿経 では、四十八願だそうです。

相撲は俗に 四十八手というけど、実際は三百余あるのですと。
四十八手の名称は室町の頃からあって、「多数の技」というほどの意味だそうです。

四十八は、十二支族、十二支、十二星座など、なぜか古代からこだわられる数である十二の倍数なので何か意味があるとみられていたのでしょうか。

筮竹は、真勢流本筮易では四十八本を用いるほかは、どの易も四十九本の筮竹を用います。
この四十九とは、いろは四十八に「ん」を足した数でしょうか。
もちろん、易経の裏には陰陽がありますよ。

 陰陽と数字の関係は面白いねえ。

 大もとは陽の方向にすぎない陰陽を万物に当てはめちゃうなんて。
 それで、全てを説明してしまう事がそもそもすごい。

陰陽と数字のかかわりは結構深いようです。

陰陽道のような、相対する要素によって世界が作られ動かされると考える思想を弁証法といいます。

「あ」と「ん」。
阿吽として、仁王像や狛犬にも登場する陰陽の象徴のひとつです。

始めにして終わりといえば、イエスも自分についてそんなこと言ってるです。

 この数のことって私も一つ気にしているのが百八の数字です。
 除夜の鐘の音・・そしてキリスト教のロザリオの珠の数がなんと百八なのです・・。
 いわれなどしりませんかーっっ。

この108という数と数珠にかぎらず、仏教とキリスト教のなぞは奥が深いようです。

キリスト教と仏教、イエスと仏教、語りだすと一冊になるようで、実際『イエスは仏教徒だった?―大いなる仮説とその検証』なんて本まででますね。

まだ、読んでないけど。

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再び「君が代」を問う

君が代には、本歌と見られる歌と、元歌と見られる歌と、二つの歌があります。
並べて比べてみたいです。

 「妹が名は、千代に流れむ姫嶋の、子松が末に苔むすまでに」
 「我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
 「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」

元歌と歌詞が違う場所が、どうしても気になったので再度取り上げました。

二松学舎大学の溝口貞彦教授は、一般に賀歌と見られている「君が代」は挽歌だという驚くべき説を、歌に使われている個々の語彙に含まれている意味を追求して導くです。

それは、本歌と見られる歌の分類が挽歌であることも、大きな原因です。

古歌が好んで使った手法が、本歌取りです。
本歌取りとは、それに先行する歌を本歌とし、その一部の語句をとり入れて作るやり方です。
その本歌が賀歌ならば、本歌取りによって作られる歌も賀歌です。
反対に、本歌が挽歌ならば、本歌取りによって作られる歌も挽歌です。

 現世における長寿を願う「賀歌の系列」
 死後の来世における永生を祈る「挽歌の系列」

君が代は、本歌が挽歌だから元歌も挽歌、それは歌を見比べても納得しないわけには行かないです。

 「妹が名は」と「我が君は」は、故人となった個人だから、挽歌と見ても違和感はないけどねえ。

 それに比べて、「君が代」はどう見たって個人ではないでしょ。

なんの断りもなく、「君」とくれば古代では「大君」のことです。
「大君」には、親王や諸王など天皇の子孫の敬称の意味もあるけれど、真っ先に来るのは天皇を敬っていう語としての使い方です。

 「君が代」は、「大君の治めておられるこの世界」というわけね。

横浜市立大学名誉教授の矢吹晋は、「君が代」に対して私の抱いてきた感性的な違和感を見事に裏付けてくれたように思うといってこう主張しました。

 『万葉集』以来の豊かな古典を誇る日本民族にとって、挽歌「君が代」を慶祝の式典で歌うのは、ふさわしくない。
 ひとたび『万葉集』の本歌に触れて、それが挽歌である事実を知った者には、もはや慶祝の場で違和感なしには歌えないはずだ。
 そのような違和感こそが日本民族本来のやまと心なのだ。

しかし、ちょっと待ってほしいです。

死が滅びではなく、死後の世界での永遠の生への旅立ちと言う思想が、古代日本にあったとしたらどうなのかです。
これは、死後の来世における永生を祈る「挽歌の系列」として溝口教授も指摘していることです。

無念の死を遂げた者の魂を『怨霊』として恐れ、崇拝された者の魂を『守り神』として崇めるのは、死が滅びと見ると矛盾するのではないかです。
死後に永遠の生があると、見てこそ成り立つ想いではないのかです。

 死は、永遠の滅びに対する嘆きの対象ではく、永遠の生に対する祝いの対象となるでしょ。

だから、賀歌として受け取る解釈が成立していったのではないかです。

 「大君の治めておられるこの世界」に対する挽歌を歌った目的は 何なの。

左翼が祝杯を挙げ、右翼が激怒する、そんな歌がこの時代に許されたと見るなら国文学者としていかがなものかです。

 「大君は神にしませば赤駒の腹這う田居を京師(みやこ)となしつ」

ここに、解釈の鍵があると思えるです。

神である大君はお隠れの後も、「千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」われわれを守っていただきたいし、守っていただけるはずです。
苔は、「再生、転生の象徴」であります。
古いものを貴んだ古代においては、「苔」は好感をもって見られ、「苔むす」ことは尊いこととされました。

死後の再生、転生を経て、しかるのち初めて「千代に八千代に」という「永生」がえられるです。

大君が、現実には果たせなかった長寿と永生の姿を見ようとしている人々は、大君が名実ともに神となられたことをむしろ歓迎したと見たら間違いかです。

 歴代の大君は、太陽神である天照大神の子孫として崇敬の対象だったのでは。
 大君は祖先神である天照大神の傍らで地上を見守ってくださるとみれば、「君が代」は賀歌となるってみたらどうよ。

つまり天皇の崩御は生の終わりではなく、お隠れであり、神の世界で生きておられ死後の来世における永生を得られるための通過点に過ぎないってことかです。  
現世における長寿を願う「賀歌の系列」 になるかって疑問も、そもそも大君である天皇は神として崇敬され不死の存在とされたから崩御、お隠れと言われたとしたらどうです。

そう、死後の来世における永生を祈る「挽歌」と現世における長寿を願う「賀歌」という区別は、天皇には無縁ってこと。
むしろ、大君が岩戸隠れの後再び出てこられた天照大神同様、お墓にお隠れの後、神の世界で再生されることを願い祝ったのが「君が代」の正体だったのでしょうか。

古代の天皇墓が形はいろいろあっても、ほとんどは横長であったのはなぜかです。
岩戸になぞらえたと見るほうが、自然ではないかです。

 君が代が挽歌だったとは・・・・・
 しかし、ここでも死と蘇りがテーマになるんですね。
 古事記の世界か。

日本文化の深層の真相に素直に心いたせば、見えてくるはずの風景でしょうね。

 深く意味を掘り下げていかないと、わからないという点では…ぅうん。
 やはり、日本の国歌ですかねえ。
 UKの国歌なんて、読んで字のごとくだもの。

なぜに、崩御、なぜに、お隠れ。

一般人にも、臨終といい、お亡くなりといっても、無事成仏してほしいと願いを込めることとあわせ考えれば、こんな感想はいえるでしょうかねえ。

 こういう葬式の晩歌を祝いの席で、日本民族の伝統だといいなして、無理やり歌わせるのは、無知もいいところ。
 滑稽きわまる。
 これも日本の健康なナショナリズムとは見なし難い。

言ってる本人の無知を、わたしゃ疑いたくなるです。

 秘める東洋と、現す西洋、陽の東と、陰の西。

 陰陽で見ると、東洋と西洋の奇妙な対比は興味深いです。

死生観に関する姿勢がどうかで、君が代「挽歌説」で止まるか「賀歌説」に進めるか、それが分かれるかもです。

 教授といわれる人々でも、古代を見るのに近・現代的死生観で無意識に考えてるのがわかるのは少々寒いです。

死生観は普遍的なようでいて、案外、地域や時代で多様性があるので興味深い課題ですね。

追記

これはこの話の続編なので、合わせてみていただければ幸いです。

「君が代」は何を歌いたかったのか

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近接場光ってどんな光?

エネルギーを持つが、その物体を離れてほかの場所へ伝わることはできないという奇妙な光があります。
さらに、眼では直接見ることができないという不思議な光です。

この変な光の名前は、「近接場光(きんせつばこう)」です。
私たちが知っている通常の光とは概念が異なるとして、いま注目されています。

この近接場光、私たちの身の回りでも、ごく当たり前にあるというのです。

近接場光とは、物体の表面にまとわりつくように存在する光だからなのです。
ナノスケールといわれる、ものすごい小さな点の上であればどこにでもあると言います。
あなたの目の前にある机の表面にも、あるそうです。
ナノスケールとは、ナノといわれる単位の大きさと言う意味です。

ナノ(nano, 記号:n)は、SIと略される国際単位系 における接頭辞の一つなのです。
SIとは、フランス語のLe Système International d'Unitésの略です。
英語の、The International System of Unitsにあたるです。
メートルなどの万国共通な単位が、フランスで生まれたのでフランス語の略が採用されているのです。

ナノは、基礎となる単位の10-9倍の量であることを示します。
10-9倍は、10のマイナス9乗倍と読み、0.000 000 001倍、十億分の一という小ささなのです。
それで、1nm(ナノメートル)は 0.000 000 001メートル、つまり十億分の一メートルという、ものすごい小ささです。

光の波は「光波」と言われ、この光波の波長より狭いところでは、光さえも身動きが取れなくなるのです。
光の波長の単位はナノメートルなので、大きさがナノメートル単位の場所では窮屈というわけですね。

光ファイバーを使った、光の花束みたいな飾り、見たことないでしょうかね?
光ファイバーの直径が波長より小さくなると、どうなると思いますか?
波長分の長さを、進行方向に確保することができないのです。
波のかたちをとることができなくなるので、光と言えども身動きができなくなって、進むことができなくなるのです。

太い光ファイバーを次第に細くしていき、光の波長以下まで細くすると光は透過できない、例えて言えば、その先は光といえど進入禁止というわけです。

光の波は、髪の毛よりも細い光ファイバーでも、その中を自由に伝わっていくことができるです。
それは、光ファイバーの直径が光の波長よりも大きいからです。
では、光ファイバー内を伝わる光を考えてみるのです。

光ファイバーは、石英でできた高屈折率の直径10~50nmのコアを、低屈折率の直径125nmクラッド層で包んだ、2重構造の光伝送用の直径約0.1mmの線材といわれる位細いガラス棒なのです。
コアの部分で光が屈折しながら進みやすいように、反射板にあたる役目をするクラッド層で包むわけです。

中学理科のレベルでは、全反射では入射点と反射点は、「同じ」とされています。
それで一般には何ら問題はないけど、本当は、入射点と反射点は光の波長ほどずれているのです。

全反射のとき、入射した光は、少しだけ外にはみ出し、外側を波長の長さほど回り道してから反射点に達するのです。
そして、あたかも1点で反射しているかのように反射光が出てくるです。
光が完全に反射、つまり「全反射」する場合でも、入射点と反射点が完全に一致していないので、はみ出す光が発生するのです。
低い屈折率で、光がはみ出すとき外に漏れ出す分を最小限に収めて効率よくファイバーに光を通す役目をするのがクラッド層の役目です。

光ファイバーの先端からは、光がしずくのようになって少しはみ出ているのです。
この外へと、はみ出した光が「近接場光」です。
光は、このように、はみ出す性質をもっているのです。

近接場光は、ナノスケールの構造がある場所に、レーザーを当てるなどして発生させることができるのです。
光の大きさもナノスケールであるため、ナノテクノロジーの分野を中心に応用しようと研究が急速に進んでいます。

ナノテクと略されるナノテクノロジー (nanotechnology) は、物質を十億分の一メートル、つまりナノメートルというの領域で、自在に制御する技術のこと。
「ナノテクノロジー」という用語は、1974年に元東京理科大学教授の谷口紀男が提唱した用語だそうです。
物質を原子レベルの大きさで制御しデバイスとして使うという考えは、リチャード・P・ファインマンが1959年におこなった講演にすでにみられているといいます。 

デバイスは、回路、特に電子回路やシステムの構成単位です。
トランジスタ・IC・LSI などはデバイスの代表例で、その機能を果たす手段により電子デバイス・半導体デバイスなどとよびます。

現在注目されているナノテクノロジー分野では、ナノメートルかそれ以下の世界を観察する必要があるのです。
ところが、光は波なので波長があり「回折限界」があるのです。
「回折」とは、光の波が一見到達不可能であるように思われる物体の後ろのような領域まで回り込んで伝わってゆく現象を指します。
回折限界とは、回折現象のため光の波長以下の物質を扱えないことです。
光を使う一般の顕微鏡で観察することができない限界が、皮肉にも光の波長で決まってしまうのです。

この顕微鏡で見える限界を、分解能と言います。
接近した二点を、どの程度まで間隔を小さくしても二点として見分けることが出来るかが、分解能の高さを示すことにつながると言うわけです。
可視光線を使う光学顕微鏡では、可視光線の波長によって理論的に100ナノメートル程度に制限されており、ウイルスのような100ナノメートルより小さな対象を観察することはできないです。

ウィルスの大きさは小さいものでは数十nmから、大きいものでは数百nmのものまで存在しているのです。
すべてが一般の光学顕微鏡で見えないと言うわけじゃないけど、はっきり見えないですね。

分析や検査や試験に用いるサンプルを、試料と言います。
試料を、どのくらいまで細かいところまで、どのくらいまで小さなものまで、調べられるかは分解能で決まってしまうのです。

一般のレンズの限界を超える技術として、利用されてきたのが電子顕微鏡です。
電子顕微鏡とは、電子を光の代わりに使う分解能の高い顕微鏡です。
理論的には、分解能は0.3ナノメートル程度にもなる、小数点の後ろに9個の零が並ぶ、つまり百億分の一メートルと言う小ささです。
現在、高分解能の電子顕微鏡を用いれば、原子レベルの大きさのものを観察や観測をすることが可能なところまできています。
電子顕微鏡は、物理学、化学、工学、生物学、診断を含む医学などの各分野で広く利用されています。
ただ、電子をつかうために真空が必要で、無生物や生物の死んだ姿しか観察できないとか、電子を当てると壊れてしまう脆いものは観察が難しいなどの弱点もあります。

そこで「近接場光」が使われている顕微鏡は、ナノテクノロジーで活躍することになるです。

電子顕微鏡でしか見られなかったような極微小な物体を、質を変えることなく動きや性質までとらえたいという願いに応えた顕微鏡。
それが近接場光を用いる、「近接場光学顕微鏡」なのです。

近接場光顕微鏡は、基本的に光を使うので、動きがあるものや、壊れやすいものも、調べられると言うわけです。
分解能は、電子顕微鏡に負けるです。
それでも、真空にしないでいいので、生物から取り出した試料の観察や観測が出来るのと、調べる対象が壊れる心配がないのは、大きな利点です。

これまでの光学顕微鏡では見れなかった光の波長以下の小さなものでも、近接場光を利用すると、見ることができるようになるのです。

近接場光顕微鏡は、近接場光を物体に当て散乱する様子を横から観察するのです。
ナノテクノロジー研究用の顕微鏡には、さまざまなタイプが開発されています。
さまざまなタイプの中でも、近接場光顕微鏡は光を利用した顕微鏡なので、試料の情報を豊富に得られる点で優れています。

この特殊な光は顕微鏡以外にも応用されつつあり、研究が進んでいます。

光のエネルギーを利用して加工する「リソグラフィー」の分野でも、近接場光を駆使して数十ナノメートルの極細の線を刻むことが可能になりつつあるのです。
リソグラフィ(lithography)は、一般には印刷技術の石版印刷をさしています。
リトグラフィとも呼ばれ、以前は石灰岩などの巨大な石に描いていたため石版画あるいは石版印刷術とも呼ばれるが、近年は扱いやすいアルミ板を使うことが多いそうです。

ここでいうリソグラフィとは、フォトリソグラフィ(Photolithography)の略称です。
フォトリソグラフィは、感光性の物質を塗布した物質の表面を、パターン状に露光する像様露光などともいわれるパターン露光で、露光された部分と露光されていない部分からなるパターンを生成する技術です。
主に、半導体素子、プリント基板、印刷版、液晶ディスプレイパネル、プラズマディスプレイパネルなどの製造に用いられるです。

近接場光のおかげで、高い密度の回路が作れるというわけです。
これまで以上に小型で高性能な、電子基盤が可能になり多機能化や高性能化がより進むのです。
半導体製造技術では、微細な加工ができるようになり、極小の高性能デバイスが出現する可能性があるのです。

この近接場光で細かい加工が可能になる技術は、他への応用研究も進んでいます。

たとえば、CDやDVDなどの光記録媒体に応用して微細な読み書きができるようになれば、記憶容量が飛躍的に向上するかもしれないのです。
ハードディスクに利用できれば、テラバイトなど、コンピューターの飛躍的性能向上が展望できるです。
一般的にテラ(tera, 記号:T)と言う接頭辞は10の12乗倍をさし、一兆倍をさします。
でも、コンピューターの分野では、二進法の関係でテラバイトは1,099,511,627,776バイト、おおよそ1兆990億バイトであり、1024ギガバイトを意味するからややこしいです。
すでに、近接場光を使用するDVDは作られていて、ブルーレイディスクを上回る記憶容量はあらたな用途が期待されるです。

高性能レンズの表面の微細な凹凸を近接場光で磨く技術も、研究開発されつつあるのです。
これは、大雑把に言うと、ガスを満たした中にレンズなど表面を磨きたいものをいれ、光を当てるだけという、信じられないほど簡単な仕組みです。
装置に満たしたガスと、加工したい表面を近接場光が結びつけることで、可能となる研磨法です。
ナノスケールの出っ張りがあると、出っ張りの先端に近接場光が現れガスが結びついて、どんどん研磨されるです。
ナノスケールの出っ張りが消えると、近接場光は出なくなってしまうのでガスは取り付く島がなくなるので、研磨が終わると言うわけです。

不思議な光、近接場光。

光の可能性は、まだまだ、深く、広いのです。

聖書には、こうありますねえ。

 光あれ、すると光があった

この光の中に、近接場光も入ってたでしょうかね。

え?

天地が現れる前だから、このときあるわけない?

ごもっとも…ですねえ。

神は細部に宿りたもうって、言う言葉ありますね。
ここに居られますかねえ。

知らない?

実は私もわかりません。

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ペルシャ人は何しに来たのか

日本古代には、けっこうあるのです。

「これなんでかな」

ペルシャ人は来ていたというけれど、何が目的だったのでしょうか。

 実際、正倉院御物には多いですね。

ペルシアの方々の遺物は、大和朝廷を調べたらいっぱい出てきそうです。

 ウチの実家で飼ってるほうの猫は、ペルシャだよ。

結構猫は、ペルシャから来てるようですね。

まだまだ、国づくりはこれからって時にペルシャから助けに来てくれたのはありがたいのは確かなんだけれど。

でも、それだけだったのでしょうか。

日本にとっては、助けてくれてけっこうなんだけど、ペルシャにとって、何か得するわけなのでしょうか。

アジアの西の端から、アジアの東の端へ、けして楽な旅ではなかったはずです。

アレキサンダー大王のような領土拡大の遠征じゃないとは言っても、すんなり通れる場所ばかりとはとてもとても、思えないです。

つまり、かなりの人数でなければ邪魔しようという相手に対抗なんかできゃしないってわけです。

こんな危険を冒して、国づくりまだまだこれからの東の果ての島国に、なんでまた大勢してやってくる必要があるわけでしょう。

となると、ペルシャが危険を冒してまで日本に来る理由はただひとつです。

「東の交易拠点がほしい」

海を渡るのは大変だけど、それは相手も同じです。

守りにくい陸の拠点より、海という天然の掘割がある島のほうが守りやすいです。

しかも、遠い土地の産物であれば交易の利益だって大きいです。

でも、でも、でも・・・。

古代で外国に交易拠点をつくるっていえば、たいていの場合入植するのではないのでしょうか。

いくら富がほしくっても、いくら冒険がしたくっても、祖国に帰れる保障があってこそ出かけたいと思うのではないでしょうか。

ほぼ、片道切符がきまっている日本行きです。

どんなに儲かるっていわれても、どんなに帝国の命令でも、はいわかりましたって、あなた、すぐにいえる?

命令する側だって、すなおに、はいわかりましたって、言うこと聞く者にいう方が格好がつくのでは?

当時のペルシャに、そんな都合のいい人たちはいたのでしょうか。

アミシャブの報告書ってのに、北朝十支族が散らされた先にペルシャがあったです。

詳しい調査に入ってないようなので、文献からの推測なんだろうけど。

もしペルシャに十支族の人たちがいれば、けんか別れした南朝二支族のいる故郷の土地より日本行きを選んでくれるかも。

けれど、そんな彼らだって、積極的になれる理由がなけりゃ素直に言うこと聞くでしょうか。

ところが、日本には古代イスラエルの文化を持っている先住民がすんでいるそうだとの話が、ペルシャに届いていたか、どうでしょうか。

そんな話があれば、十支族にとって、異文化にかこまれて暮らすペルシャより、似た文化の隣人のいるらしい日本に行きたいのは人情ではないのでしょうか。

 ペルシャとイスラエルは近いですから、同じような文化のある日本に来たのかもしれません。
 確かペルシャは、イスラエル人に対していい待遇をしてたような覚えがあります。

で、日本にペルシャ人が遠路はるばるやってきた、のだったりして。

 点と点をむすぶと、面白い連想ができますね。

もちろん、これは、たんなる私の想像なんだけど。

 またまた面白い想像ですね。
 でも、人を突き動かすものって、命令より、利益より人情かもしれませんね。
 たとえ道のりが困難でも希望のないところに留まるより新天地を求めたいのが人情なのでしょうか。

確かに日本は四方が海に囲まれていたので、天然の要害になってますね。
モンゴル軍も少し暴れまわりましたが、夜襲を恐れて船の中で休んでいるうちに海のもくずと消えました。

 日本は、外国がほしがりますね。
 昔アメリカは日本を中継地にしてましたし、今は反共の防衛拠点にしてます。
 
古くは、元寇とかありましたね。

 日本人がイスラエル人の末裔である事が分ったときには、世界の人々はどう思うのか気になります。
 「やっぱり日本人は特別な民族だったのかー」ってな感じになるんでしょうかね。

これからのDNA鑑定や、発掘などの報告が楽しみですね。

ペルシャが日本へ向かった時、陸から海に出れば海賊に襲撃されることは考えなかったのでしょうでしょうか。
それほど陸と海との行程にはかなりの違いがあったと思うのですけど。

 実際発掘すると、大抵土器と建物跡ばかりです。
 発掘に復元が追いつかず、土器のかけらが山のようにあります。
 それから解析が始まるのですが、学者さんは自分の都合のいいことしか見ないのか見えてないのか…。

もし、十支族であったなら彼らの旅路には、すでに十支族の末裔はいたかもしれないです。

ペルシャは十支族どうしの助け合いを期待して、日本行を命じたとも考えたけど、長くなるから省きました。

 わたくしも、その現世利益的でない考えは一体何が目的?と考えます。

ほんと、ペルシャは日本でなにをしたかったのでしょうか。

交易とは思ってみたけれど、どれだけ利益があったのでしょうか。

イスラエルとペルシャの関係も、謎は深いですね。

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諏訪大社

諏訪氏は代々、諏訪大社の大祝を務めてきた一族です。
その血筋は神氏といい、出雲神話の神、建御中主尊(タテノミナカタヌシ)に始まるといいます。
異説には桓武天皇を祖とするとも、清和源氏の源満快を祖とするとも称します。

軍神であることから、神官であると同時に武士としても活躍し、古くから武人の尊崇を受けていたが、信濃国一宮として朝廷からも重んじられたのです。

天文10年、西暦でいえば1541年、21歳の武田晴信は、宿老であり有力国人領主である板垣信方や甘利虎泰、飯富虎昌たちに押されて、父武田信虎を駿河国へ追放し、武田家第19代家督を相続します。

よく知られる信玄とは法名で、諱は晴信、通称は太郎です。

信濃国諏訪上原城主の諏訪頼重や、信濃林城主で信濃国守護職の小笠原長時は、晴信が信虎を追放した直後を狙って甲斐国に侵攻するが、撃退されます。
そして天文11年、西暦の1542年の6月、諏訪領内は晴信から逆に侵攻されます。
諏訪氏は運悪く諏訪頼重・高遠頼継による諏訪宗家を巡る争いの真っ最中です。
晴信はこれに介入し、高遠頼継と手を結んで諏訪頼重を滅ぼし、諏訪を平定しました。
続いて同年10月、諏訪領の分割問題から高遠頼継と対立し、高遠軍を小淵沢で破ったのです。

諏訪頼重が武田信玄の攻撃に敗れて降伏し、自害することで大名としての諏訪氏は滅亡しました。
ここをみて、諏訪氏が滅んだと勘違いしてはいけないです。
以後は傍系の一族が武田氏に仕えたのです。

頼重の従兄弟に当たる諏訪頼忠は、武田氏滅亡と本能寺の変での織田信長の死を経た1582年、徳川家康に仕えて所領を安堵され、諏訪氏を再興しています。
頼忠の息子諏訪頼水が慶長5年、西暦1600年の関ヶ原の戦いでの功によって高島藩に封じられたのです。
江戸時代には大名家と大祝家とに分かれ隆盛し、大名家は明治維新後、子爵に叙されました。
なお、諏訪大祝職は頼水の弟頼広が継いで、子孫相継いで明治に至ります。

その諏訪大社に、御柱祭があります。

諏訪大社の御柱祭は、7年に一度行われます。
16本のモミの木を切り出して、下社といわれる春宮、秋宮と上社といわれる前宮、本宮という4つの神社ごとにそれぞれ4本、計夫々の拝殿の四方に立てる祭りであります。

柱の大きさは直径3尺4寸で長さ五丈五尺、メートルに直すと直径1M位で長さ16M位というから運ぶさまは迫力があります。
立てるだけの柱を運ぶ距離は、遠いところでは神社から20Km離れた山奥からというからなんともご苦労様な祭りであります。

まず、間隔の7年が突っ込みところです。
7といえば、聖書では天地創造の日数にあたるです。
 
 柱の直径3尺4寸も足せば7なので、何か関係はあるのでしょうか。

柱の長さ五丈五尺も足せば10、そういえばモーセには十戒がありますねえ。

16は、エルサレムの門のうちヘロデ門には16花弁菊花紋があります。
ちなみにエルサレムの門は新門、ヤッフォ門、シオン門、糞門、モロッコ門、黄金門、ライオン門、ヘロデ門、シケム門の9つです。
そのうち新門は後から作られたので新門という安直なネーミング、もともとは8つだったです。

4つの神社ごとにそれぞれ4本というのは、残念ながらまだちょっとわからないです。

さらに神を柱であらわすのは、日本とイスラエルくらいのものです。
古代イスラエルには、「アシラ」という女神が信仰されていました。
このアシラ神は、枝を切り落とした木の柱がシンボルとして信仰されていました。
 
諏訪大社の御柱祭りで、「柱」は「アシラ」の転化との説もあるのです。

「アシラ」が「ハシラ」に転化したという説は、アシラ女神が神の姿も音も御柱の柱と似ているのでもっともらしいです。
でも、どういう規則があって転化したかを説明しないと説得力に欠けてしまうのも確かなのです。

2007年、穴水という地域で能登半島地震による災害があったです。
私の家族は大変失礼なことに、「あなみず」が「はなみず」に聞こえてしょうがないなんていってたのです。
そりゃ、「あ」の音はあいまいに発生すると「は」に聞こえやすいですよ。
ただ、ハ行の音で子音の“H”が消えちゃうことが起こりがちな言語があるのです。
フランス語やイタリア語など、ラテン系の言語なのです。

なぜ、ラテン系の言語だとハ行でH音が消えやすいかというと、巻き舌音のせいなのです。
そのため、ラテン系に人にかかると「ハヤシさん」は「アヤシさん」に、「ヒタチ」は「イタチ」になっちゃうのです。
逆に言えば、巻き舌音の「アシラ」は、発音の仕方によっては「ハシラ」に変化しちゃうってことですね。

巻き舌音といえば、江戸っ子は「ひ」と「し」の区別が苦手なのです。
さらにいえば、ひどい巻き舌のために「べらんめえ調」というあまりきれいな言葉とはいえない方言になっちゃうのです。

ここで面白いのは巻き舌音が強いイタリアでも、発音が汚いと評判なのがローマだそうです。
ローマっ子の吹き替えは、ひょっとすると江戸っ子のべらんめえ調が似合うのかもです。
ローマっ子と江戸っ子は、うなぎの焼き方まで好みが似てるそうです。
どっちも腹開きのうなぎを、こってりしたたれで付け焼きするのが好きなのですと。

あ、そうそう、今はなきシャンソン歌手淡谷のり子がある番組でこういってたそうです。
「東北の言葉はフランス語に発音が似ている」

おっと!脱線しちゃったです。
巻き舌音の「アシラ」は、発音の仕方によっては「ハシラ」に変化しやすいのですよ。

となるとです。
「アーク」も怪しいです。
巻き舌音をくぐると化けるです。
「ハーク」
「ク」も無事ではいられない可能性大です。
「クァ」とか、「コ」に化けやすいのです。
で、こうなる場合も想定されるです。
「ハーコ」
音が詰まる。
「ハコ」

ん?
やっぱ、アークは日本に来てるってか?

ま、これはさておき、諏訪大社の前宮にはもっと突っ込みどころ満載な祭りがあります。

上社の前宮の十間廊では、毎年4月15日に例大祭として御頭祭(おんとうさい)という神事が行われているです。

十間廊は、東が入り口で西の奥に神輿を置きます。
十間廊は向きや長さと幅が、アークが収められた幕屋と同じだそうです。

神輿には、始めてみたユダヤ人からアークがあると勘違いされることがよくあるそうです。

五穀豊穣を祈願しお供え物には、かつて鹿の生首などが供えられた事から御頭祭と呼ばれます。
三月酉の日に行なわれていたので酉(とり)の祭りとも言われます。
本宮から神輿行列を作り前宮に向かい境内の十間廊で祭事が行われます。

江戸時代までは儀式に鹿75頭と、ウサギ、猪など、狩りの獲物が使われたです。
かつて、75頭の鹿を獲ると、耳裂鹿が必ず一頭いて、諏訪の七不思議の一つだったそうです。
耳裂鹿は神の矛にかかった鹿とみなされたのです。

現在では、鹿の剥製を使って神事が行われています。

御頭祭では、「御贄柱(おにえばしら)」と呼ばれる柱に御神(おこう)と呼ばれる子供が縛り付けられ、その子供に向かって神官が小刀を振り上げると、そこへ馬に乗った使者が現れて止められ、少年は解放されます。

これ、どっかで聞いたような話です。

アブラハムは、75歳のときに、神ヤハウェに「あなたを大いなる国民にする」と祝福され、100歳になったときに嫡子のイサクが生まれたです。
ところがアブラハムは神に息子のイサクを神へ生贄として捧げるよう命じられ、祭壇で息子を縄で縛ってナイフで殺そうとしたところで、天使が現れて息子は助けられるという物語です。

大きな違いは、その後の神にささげる生贄が諏訪が鹿、イスラエルが羊ってことです。
日本では、羊が難しいってことがあったのでしょうか。

イサクが助けられたのが、今のエルサレムにあるモリヤの山だったです。

諏訪大社の御神体山が、その名もずばり「守屋山」です。
さらに、守屋といえば、諏訪大社上社の代々の「神長官」という筆頭神官の家が、守矢氏です。
ついでにいうと守矢氏の祖神は、建御名方神が諏訪に入る前に諏訪の地に祀られていた漏矢神(もれやのかみ)です。

その守矢家の家紋が、丸に十文字です。
丸に十文字はシュメールの古代文字で、羊を意味するものだという説もあるらしいです。
そういえば、古代イスラエルの生贄は、羊と牛が主なものだったのです。

十字架といえば、あの秦氏の系統の家系には、十字架が隠されたような図案の家紋が多く見られます。
ちなみに秦氏にはキリスト教徒説があるので、ザビエルが探した日本にキリスト教の精神を伝えたのは彼らという可能性はありえます。

さらに、御頭祭が行われる4月15日は、イスラエルでは過越の祭の頃にあたるです。

日本の神社が幕屋に似てるとの説もあります。
日本の鳥居はもともと、二本の柱に注連縄を張っていました。
古代イスラエルの幕屋にも、入り口に二本の柱があります。

日本の神社は、拝殿と本殿からなるです。
古代イスラエルの幕屋は、聖所と至聖所とからなるです。
しかも、どちらも偶像崇拝を否定し、神の象徴はあっても神像はないです。
それに、建物の周辺は聖別されて囲われます。

もっとおもしろいのは、どちらにも賽銭箱があることです。

注連縄については、縄は雲、下げられる場合が多い紙四手は雷で、幕屋にも神は雲として臨在したことが聖書にあるのにあたるのではといいます。

諏訪大社の御柱祭は、奇祭でそれだけでも興味深いのに。
こんな相似点が出てくるとは、ますます興味深いですね。

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