五十音図
五十音図は、意外なことに相当時代が下るまで、安定しなかったという指摘もあるのですよ。
幕末ころ、ようやく、今の姿に落ち着いたそうなのです。
幕末のころといえば、招き猫が登場するのもそのころでした。
招き猫が忽然と現れた時代と、猫じゃ猫じゃの唄がはやった時代と、樽神輿の登場の時代、ほぼ重なるように思えるのも、奇妙なのです。
それはさておき、五十音図でふと思ったのですよ。
「あ」ではじまり、「ん」で終わる…
てことは…
陰陽ってことでしょうか。
つまり、「あ」が「陽」、「ん」が「陰」。
「あ」と「ん」。
単純ですが始まりと終わりを
ものすごく端的に象徴してるような気がします。
横でネコが…。
見事な「あ」と「ん」。。。
すみません、タダのアクビでした。
五の段は、五行に対応でしょうか。
「あいうえお」をそれぞれ「木火土水金」に、何らかの順で配当しているように思えます。
あるいは、五の段で五行があらわす五芒星、「ん」を合わせて陰陽を表す六芒星なのでしょうか。
六芒星とすれば、「あ・う・お」と「い・え・ん」なのでしょうか。
十の行は、十干に対応でしょうか。
十干(じっかん)は、天干(てんかん)とも言います。
甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10の要素の順列のこと。
木(もく、き)・火(か、ひ)・土(と、つち)・金(こん、か)・水(すい、みず)に、陰陽を兄(え)と弟(と)に割り当てています。
木の兄(きのえ)・木の弟(きのと)・火の兄(ひのえ)・火の弟(ひのと)・土の兄(つちのえ・)土の弟(つちのと)・金の兄(かのえ)・金の弟(かのと)・水の兄(みずのえ)・水の弟(みずのと)
五十音図は、十行だけれど、「あ行」と「わ行」をそれぞれ陽と陰に見立てて合わせて考えれば、九行ですね。
九といえば、陰陽には「九字きり」という呪文があります。
九字きりとは、横縦交合に「リン・ビョウ・トウ・シャ・カイ・ジン・レツ・ザイ・ゼン」と唱えながら片手で空をきっていくのです。
神の御力を頼む所作です。
結婚でかわす三三九度も、おそらく九字きりを意識し、結婚の祝福を神に求める呪術ですね。
たぶん、結婚は陽の男と陰の女の合一で「無」を表すので、陽の数字である奇数で「有」を配するという気配りでしょうか。
十行にも、「十字きり」という呪文が対応する可能性はあります。
十字きりとは、文字通り「十字」をきる動作をするのです。
わたしには、相撲の手刀が十字きりの変形と感じられるです。
また、門松の節が「3+4+3=10」なのも、神の見守りを願っているのでしょうか。
さらに「あ・か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ」の十行では陰の数になってしまうので、「ん」をたして十一行で陽の数にするという配慮も想像できるです。
神仏にかかわることで十一面観世音のように陽の数にこだわるとき、神仏の御力の顕現を願っているのでしょうか。
ただ、門松については、飛鳥昭雄と三神たけるの二人は三つの柱と十の節に注目してカッバーラの奥義である「アダムカドモン」であるとの説を展開しています。
ヘブル語でアダムとは始めの人、ならカドモンは何でしょうか。。。。
「カド」が「値する」で「モン」は旧約に出てくる「マナ」の転化、「マナに値する」でしょうか。
だれか、くわしいかた解読してみてくださいね。
そういえば、賞状用紙の周囲とか縁枠に施されている図柄は、次の3要素で構成されています。
(1)中央上部の雲状の図柄である「雲龍」
(2)その雲龍の左右に配図された一対の「鳳凰」
(3)下部から左右上部へと鳳凰に向かって伸びる「桐」
で、中に文章が入ります。
①表彰名(表題)
②受賞者名
③主文・副文
④表彰年月日
つまり、門松の「3+4+3」と同じ構図ですね。
これも、呪術の十字きりを意識してるのでしょうか。
もっとも、飛鳥=三神コンビの手にかかると「アダムカドモン」にされちゃうでしょうか。
文章は句読点を入れない、という約束事は十個の節であるセフィロトをつなぐパスを連想するなんて言っちゃうでしょうか
ふと、思ったのですが
「いろはにほへと」文字になると、また5・7・5調ですねえ。
陰陽の順番が変わってきたりしますが…
あんまり関係なかったでしょうか。
5・7・5調じゃなくって、7・5調ですねえ。
あ、そうですねえ。
五十音図完成まで、いろは歌が日本語の“ABC”にあたる存在だったようですね。
奇数、つまり陽の数だけで作られていますね。
偶数、つまり陰の数が外されるのも、陰陽と関わりがありそうで、考えてみても面白いかも。
いろはの四十八といえば、、阿弥陀仏が法蔵菩薩として修行していたとき、それに先立って立てた願のことを四十八願 (しじゅうはちがん)というのですと。
浄土教の根本聖典とされる康僧鎧訳の 無量寿経 では、四十八願だそうです。
相撲は俗に 四十八手というけど、実際は三百余あるのですと。
四十八手の名称は室町の頃からあって、「多数の技」というほどの意味だそうです。
四十八は、十二支族、十二支、十二星座など、なぜか古代からこだわられる数である十二の倍数なので何か意味があるとみられていたのでしょうか。
筮竹は、真勢流本筮易では四十八本を用いるほかは、どの易も四十九本の筮竹を用います。
この四十九とは、いろは四十八に「ん」を足した数でしょうか。
もちろん、易経の裏には陰陽がありますよ。
陰陽と数字の関係は面白いねえ。
大もとは陽の方向にすぎない陰陽を万物に当てはめちゃうなんて。
それで、全てを説明してしまう事がそもそもすごい。
陰陽と数字のかかわりは結構深いようです。
陰陽道のような、相対する要素によって世界が作られ動かされると考える思想を弁証法といいます。
「あ」と「ん」。
阿吽として、仁王像や狛犬にも登場する陰陽の象徴のひとつです。
始めにして終わりといえば、イエスも自分についてそんなこと言ってるです。
この数のことって私も一つ気にしているのが百八の数字です。
除夜の鐘の音・・そしてキリスト教のロザリオの珠の数がなんと百八なのです・・。
いわれなどしりませんかーっっ。
この108という数と数珠にかぎらず、仏教とキリスト教のなぞは奥が深いようです。
キリスト教と仏教、イエスと仏教、語りだすと一冊になるようで、実際『イエスは仏教徒だった?―大いなる仮説とその検証』なんて本まででますね。
まだ、読んでないけど。
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コメント
実は、「釈迦はキリスト教徒だった!」の方が真相だと思います。
投稿: コテツ | 2008年8月18日 (月) 08時54分
釈迦もイエスも、ヘブル教徒だったりして…。
投稿: cova | 2008年8月19日 (火) 15時46分