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2008年9月

出雲大社の八雲

出雲大社は、本格的社殿の多くがそうであるように、拝殿と本殿からなり、しかも本殿へは階(きざはし)を通る造りになっています。

出雲大社の不思議なことのひとつに、八雲と言いながらも、本殿天井に描かれている雲の数は7つしかない『八雲』の絵があります。

 あとひとつの雲は、あの大迫力の大注連縄だったりして。

注連縄は雲と雨と雷を表現しているという、説を唱える人もいますから。
注連縄八つ目の雲説なんてのも、面白いですね。

 雷は、「神成り」であるとも、「神鳴り」であるとも、されますね。

しかし、八つの雲、つまり「八雲」と言いながら、どうして八つ目が描かれていないかを問うばかりで、なぜ七つの雲だけが描かれたのかを問う声はあまり聞かないです。

 七で思い起こすのは、北斗七星ですね。

北半球の北斗七星や南半球の南斗六星は、神の両手と言う思想もあります。

 南半球の南斗六星に当たる数のものは、出雲大社に描いていないですよ。

上にあたる北にある北斗七星を陽と見れば、下にあたる南にある南斗六星は陰にあたるので、描かれていなくてもかまわないともいえますから。

 次に思い当たるのは、神代七代ですね。

七つの雲が、神代七代を表す可能性も見ていいですねえ。

イザナギとイザナミは、七代目ですね。
八代目は、イザナギとイザナミの後だから描かれていないのかも。

 謎の七枝刀もあげてもいいかも。

七枝刀は、『いけばなの起源―立花と七支刀』なんて本、書いた人もいますね。
内容紹介が、すごいですよ。

 現代いけばなの源流をたずね、民俗文化の「七」の伝承を追及する、大胆かつ豊かな推論を展開。
 歴史の中に埋没し散在する神話伝承を拾い集め、七枝の立花伝承へと導く。

七福神なども合わせると、七は神にかかわりが深い数と言えます。

もちろん、八は末広、七は福、と見ても面白いし、「八雲」と名づけて七で抑えることで未完成を表して“陽極まれば陰”で崩壊に向かう事を避ける呪術と見ても興味深いです。

 未完成説は、日光東照宮の逆さ柱に通じますね。

わざと七にしたのは、陰陽五行や七曜を表したいという見方も可能かも。

さらに、もっと問われていいのが、七つの雲しか描かずになぜ「八雲」かということです。

ここには驚くべき説があります。

「八雲」は「ヤー雲」である。

この「ヤー」は「ヤハウエのヤー」をさすと。

 数字が示す面白さはこれまでもいろいろとあったけどね。
 「八雲」の八が「ヤハウエのヤー」とはびっくり!

 ヤハウエの雲!
 なるほどねえ・・・ 。

雲自体が、旧約を見るとヤハウエの象徴として、しばしば登場しています。

 「ヤーの雲」は「ヤハウエの雲」ではないかと。

そういうことでしょうね。

神社と幕屋の構造も、拝殿と本殿からなることがそっくり、鳥居は元は二本柱であってヤキンとボアズにそっくり、献金の箱のあることがそっくり、祭司の服装がそっくり、神域が区切られることがそっくり。

 現地で聞いた諸説では、「ヤハウエの雲」のお話は語られてなかったですね。
 でも、なるほどと思いました。

意外と語られないのは、古い神社によくある階は幕屋にもあったということ。
焼き尽くす献げ物は、祭壇、つまり階の上でなされたのです。

 出雲大社の七つの雲が、なにをさすかということですが。

七と言えば、謎の七枝刀もあげられるけど、実はよく似たものが幕屋にあったのです。

燭台であるメノラーなのです。

 左右の枝を高さをそろえるか、違えるかで、見た目の印象が変わっただけと、いうことですか。

左右に三本づつ出てるのは、似てるでしょう。

もし、七つの雲がメノラー、八雲が「ヤハウエの雲」ではないかとみれば、出雲大社は日本の幕屋になってしまうのです。

 幕屋は確かに移動しますね。
 だから、いまだにあっちこっちと、落ち着き無く動きたがるのかな。

古代の出雲大社が高かったのも、雲を意識してたりして。

 古代の出雲大社って、今の倍以上でしたっけ?
 それだけの巨大な建造物を建てた技術もすごいですよね。

出雲大社の口伝によると、上古32丈、中古16丈、その後8丈といいます。
1丈は3.0303mです。
メートルでは、上古96.9696m、中古48.4848m、その後24.2424mというわけです。

なんと100m近い高さで、大昔の出雲大社はそびえたっていたというのです。

 出雲大社では、日本書紀の記述に本殿の高さが十六丈(48m)だったという記述があって、そのことを裏付ける御柱の遺跡が発掘されています。
 それより前は100m以上あったのではないかと言ってました。
 天に向かって高く高く出そうです

 八雲立つなんていうけど、これも意味があるのかな。

八雲立つなんていうけど、ヤーがヤハウエなら、八雲立つはヤハウエの臨在を言ってることになっちゃいます。

 でも、八雲立つといえば、古事記に記載されている、日本最古の有名な和歌がありますね。

これですね。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を 

この「妻籠み」の解釈が鍵ですね。

ここで言う「妻」は「配偶者」と見るか、「夫婦」と見るか、見解が分かれるけど籠ることは同じと見ています。

もし夫婦と見たら、陰陽和合を取り巻いて幾重にも垣根、つまり層ができたさまを想像できるです。

これで思い起こせるものは、インドにあります。

シュリーヤントラなのです。
シュリーヤントラの表現法には、平面と立体があります。
立体は、ヒンズーの寺院に似てるです。

ていうか、ヒンズーの寺院の形は立体化したシュリーヤントラといえるでしょう。

 比較的初期のカソリックの教会に十字架を象ったものが多いような、ものでしょうかね。

似た発想かも。

ヤントラとは、インド古来から伝わる宗教の聖典あるいは経典であるタントラに記された呪文であるマントラを、目に見える形に象徴化した物です。

思い切って単純化すると、タントラからマントラが出て、マントラを象徴化したものがヤントラなのです。

シュリーヤントラの真ん中の円が男性原理、それを囲む三角が女性原理、中心の男性原理と女性原理の和合から、周囲を取り巻くように三角で象徴される多くの女神たちが生まれ彼女たちの踊りが万物を生んだと言ってるのです。

上向と下向きの大小の三角は、幾重にも重なっています。

この三角の重なりを八重と見たらどうでしょ。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

この歌は、シュリーヤントラそっくりに思えてくるのです。

そして、タントラの思想もまた、陰陽道やカッバーラと同じように対立する原理から生まれる階層的世界観を持っているのです。

 出雲大社って、なぞが多いですよね。

日本の文化の多層性が、理解をややこしくしてるです。

ただ、陰陽がこれらをつなぐ鍵になってると言えるでしょうね。

 雲は鮮やかな色で塗り分けられていますので、色から何かわからないものかなとも思っています。

色は何色だったでしょう。

陰陽であれば、青、黄、赤、白、黒が基本ですけど、能舞台のように、緑、黄、赤、白、紫の場合もあるです。
ただ、七つの雲だと色数がちょっと微妙。

それとも、虹の七色 赤・橙・黄・緑・青・藍・紫だったですか。
もしそうなら、光と見て合わせれば白色光になって、陰陽五行の西を表す白。
顔料などの色としたら、合わせれば黒で、陰陽五行の北を表す黒となりますが。

 赤、黒、黄、青でしたかね、桜色か桃色、緑も見えるように思えます。
 色は、白い線で区切られています。

だとすると、陰陽の可能性はありますね。

 ちょっと、色数が多いけど?

でも、基本的な五色の変形にも見えましてね。
陰陽五行では、赤に南、黒に北を配します。

白は、西方の神社であることを表すのかも。

黒に北、青に東、赤に南、白に西、黄に中央、と言う配し方になります。

さらに、上を陽、下を陰とするのですが、上を北、下を南に配します。

 でも、陰陽対極図は、下に配される南に陽の極み、上に配される北に陰の極み、となってますよ。

陽極まれば陰、陰極まれば陽、となります。
それに、陰に陽を、陽に陰を、それぞれ対応させて対極とする慣わしが陰陽にはありますから。

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ボケとアホ。

ところで、ときどき思うのですよ。

 なんですか。

ボケを言うのと、アホを言うのと、どこちがうのでしょうね。

笑われるのがボケ、あきれられるのがアホ、でしょうかねぇ。

 どうなんでしょ。
 それぞれ、反対の場合がありそう。
 わたしにも、よくわからんです。

ええ、わたしも、よくは、わからないですけどね。
ボケは、「ツッコミ待ち」でしょうかね。
アホは、「自由な空間」でしょうかね。

 自由空間ほど、自由はないと思いますけどね。  
 ぼけるときも ふだんのときもアホで行きたいな。

ボケは、受けを狙ってやってませんか。
アホは、いわゆる天然、つまり素のまんまでしょうか。

 で、ねこは、アホ?

さあ、どうなんでしょ。
ボケもアホも、どっちもタイミングが合えば大爆笑ですね。

 のりが悪ければ、さぶいだけ。  
 笑いに、ルールは無いように思えますけど。

 よって、ボケとアホは、反対であるようでそうでないのでしょうかね。

計算で、アホが出来るともう、神の域でしょうね。
精進してくださいな。

 ん?
 では、天然ボケは「アホ」ってことで?

どうでしょ。
アホじゃないと、思いますけど。

 天然のアホと天然のボケは、違うものと考えた方がいい?

基本的に、違うでしょね。

 アホというのは?

周りに関係なく、自分のしたいことをしているってことでしょ。
行動や発言に、教養や知識が追いつかずにいる。
だから、周りからは理解されない行動になってしまうのでしょうね。

 で、ボケは?

アホのように振る舞っては、いますけどね。

周囲に、確実な笑いを生み出そうと模索している状態といえるでしょうね。
実際は、相当な知識と頭の回転力が無いと出来ないといえるでしょう。

 さて、問題の天然ボケです。

天然ボケは、ある意味二つの特性をあわせた天性のものでしょ。

 天然ボケって、本人の行動自体はアホの行動と同じってことですかね。

周りに関係なく、自分のしたいことをしている点でそうでしょうね。
行動や発言に、教養や知識が追いつかずにいるように見えますから。

でも、実際は、相当な知識と頭の回転力の持ち主が天然ボケ。
だから、周りからは理解されない行動になってしまうのでしょうね。

そこには、確実に狙っていたかのように笑いが生まれる。

 でも、決して本人は狙っていない。  
 勝手に、笑いが生まれる状況になっていく…。

我々では、一生かかってもわからない独自の世界が広ってるのでしょうね。

 これじゃ、どんな笑いの天才が良いボケだしても叶わんですよ。
 彼らには、笑いの神がぴったり付いているに等しいですから。

活躍している芸人さんを思い出してみてください。
面白いことに、天然ボケの人があまりいないですよ。
そう、思いませんか。

 そういえば、天然ボケタレントの本業は芸人ではないですね。

天然ボケは、確実に笑いは取れますよ。
でも、どうやれば笑いを取れるか知らない。

それに、臨機応変な応対などもわかってない。
サービス精神が旺盛で、みんなが喜ぶから口癖をわざと言う人もいますけど。

 でも、笑いをとろうとしているわけじゃない。

はい、喜んでもらうことと、笑いを取ろうとすることは、似ているけど本質は違います。
 
 喜んでもらうことと笑いを取ることの違いがわからないと、芸人という仕事は出来ないということね。

そうですね。

 ボケを狙いながら、狙えば狙うほど空回りしていくってありますね。
 それが笑われてしまったら?  
 それってアホっていえる?

単に、からかわれているだけでしょ。

この場合、ボケをした後何が起こるかって言うよりですねえ。
ボケたか?
アホしたか?
事実だけを考える方が、良いでしょう。

空回りを、逆に利用する事もありますよ。

 ボケの幅は、想像以上に果てしないですね。

わざとからかわれたり、突込みを誘ったり、それをさりげなくできるのも、芸のうちですからね。

 で、あなたは?
 ボケ?
 アホ?
 天然ボケ?
 
さあ、どうなんでしょ。

 あ!
 わざと空回り!?

あの~。
そこまで言いますか?!

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引っ掻く者

北海道で、“引掻く”が“かっちゃく”であることは知っていました。
そしたら、さらに長崎で“かっしゃぐ”であるとの情報を得ました。

ここではたと思ったのです。

“やく”“やぐ”とは、“かがやく”“はなやぐ”の“やく”“やぐ”ではないかと。
ならば、“かっち”“かっし”も“かが”“はな”と同様に、「あたかも何々のような」の「何々」に当たるのでしょうか。

“かっちゃく”や“かっしゃぐ”の意味を、「あたかも“かっち”あるいは“かっし”のような」とみても、良いのでしょうか。

 もしそうなら、“引掻く”とは「あたかも“かっち”あるいは“かっし”のような」ことをするとなりますね。

“かっち”あるいは“かっし”が、引掻く存在として知られているということでないでしょうか。

ならば、これは欧州の猫の読みからして猫であるかもしれないです。

 そういえばヨーロッパで猫は、cat、chat、Katze、gato、gatta…。

ここで面白いのは「とほ」に漢字を当てると「徒歩」となるけれど、漢字の読みとしては「かち」も出て来ることです。

大辞林では意味はこうなります。
かち 【〈徒歩〉/徒】

1)乗り物を使わず歩くこと。とほ。
「母御の―にて歩(あゆ)ませ給ふが御痛敷候/太平記 11」

(2)陸路を行くこと。

(3)武士の身分の一。江戸時代、幕府・諸藩とも御目見得以下、騎馬を許されぬ軽輩の武士。おかち。

(4)「徒侍(かちざむらい)」の略。

(5)「徒士組(かちぐみ)」の略。〔(3)~(5)は「徒士」とも書く〕

ところが「徒」(あだ)は、つまらないとか、無駄ということで、つまり「徒歩(かち)」とは「無駄な歩き」と言うことにもなってしまうのです。

 「かち」と言う読みの方が、「とほ」より古そうですね。

その可能性はあるでしょうね。
つまり歩くことが注目に値する存在が、もともとの「かち」の意味だったのではと思えてくるのです。

 足があれば歩いて当たり前、それが注目に値するのは、それ自体が注目に値する存在の歩きとなるでしょうね。

ならば、「かち」とはその存在そのものの名前となるのでないでしょうか。

 その可能性が高い存在とは?

この「かち」も、やっぱり猫でないでしょうか?

 となると、一緒にいた人は馬にでも乗っていた遊牧騎馬民族で、猫は遊牧地で気ままに歩いていたのでしょうか?

この遊牧騎馬民族は、欧州との関わりはあったのでしょうかねえ。

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紅葉狩り

紅葉狩り、皆さん行かれますか?

見事な紅葉は、まるで山火事みたいですね。

実際全山紅葉を、「山が燃える」って言いますよね。

野焼き、山焼きは野や山の緑の勢いを取り戻す為に、わざと火を放つのですよ。
灰が、良い肥料になるのです。

落ち葉も腐葉土として、土を肥やすのです。
蘇りを願う気持ちを込めた、風習だったのですね。

この、野焼き、山焼きはかつて全国的に、焼畑をしていた名残でもあります。
さて、紅葉の代表的な木といえば、楓でしょ。

楓は、もとは「かえる手」でありました。紅葉狩りは、「かえる狩」でもあったのです。
では、何のために「かえる狩」をするのでしょう。

“楓”は、“木”と“風”に分解出来ます。
陰陽五行では、“木”は“蛇”、“風”などの象徴です。
つまり、かえるは蛇に捧げられるために狩られるのです。
蛇は、脱皮をします。このとき、当然ながら栄養がいるということで、かえるを捧げるのです

さらに、落葉は木の脱皮に擬えられ、かえるは木のための栄養としても捧げられるのでしょう。
その時の紅葉の赤色は、山焼き、野焼きに見立てられ、木々は死を潜り抜けることになります。
そして、再び蘇るのです。

もう、お分かりですね。

死と蘇りの儀式が「紅葉狩り」なのです。

ここに立ち会う人々は、火による清めを体験したのと同じなのです。

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ニャッパゲ

民俗を調べてると、こんなのまで見つかります。

ニャッパゲ
~勝手に!熱血!もえろ!~
今日も秋田で勝手に熱血!

秋田発の、新たな“ゆるキャラ”として、ブレークが期待されてるそうです。

“なまはげ”と“ネコ”で、その名も“ニャッパゲ”!

 で、これでネタ切れ?

これだけじゃつまらんから、もうちょい付け足すです。

秋田の“超人気者”の“なまはげ”と、世界の“超人気者”の“ネコ”の合体という意表をついたキャラクターなのです。

 なまはげが、「泣くご(子)はいねえがあ~」と家に侵入し、泣き叫びながら逃げ惑う小わっぱを追い詰める様はなかなか痛快です。
 毎年やってるからトラウマにならないんでしょう。

なまはげは、秋田県の男鹿市と三種町、潟上市の一部の各家々で行われる伝統的な民俗行事ですよね。

いまでは大晦日に行われているけれど、本来は小正月の行事でした。

似たような行事は、広く東日本で行われてきました。
これらには、異形の神が脅して教訓を与える祭という、共通点があります。

 秋田県能代市のナゴメハギ
 山形県遊佐町のアマハゲ
 岩手県大船渡市三陸町吉浜のスネカ
 能登のアマメハギ

主に、沿岸部各地に存在しているのが印象的です。

異形の神が脅して教訓を与える祭は、西日本にもあります。

 鹿児島県薩摩川内市の甑島列島のトシドン
 トカラ列島の悪石島のボゼ神の祭

ここで思い起こすのは、東日本先住民のアイヌと、西日本先住民の琉球人は共通のルーツを持つと指摘されることです。

そして、日本先住民はアメリカの先住民ともミトコンドリアDNAでつながりの強さが証明されています。

てことは、ニャッパゲ類似キャラは、九州発もありえたってことです。

 でも、西日本のトシドンや、ボゼ神、知名度で負けてるし。。。

それが最大の、ハンディですねぇ。

 世界的には、ナマハゲの仲間はどこに?

私の不勉強かもしれないけど、アジアじゃあまり聞かないです。

アジアで「悪い子はいないか!」と出てくる正月の存在は、獅子舞かも。

 となると、やっぱ、ナマハゲ類似の行事はヨーロッパにあり、となっちゃうの。

どっちかというと、ヨーロッパの民俗を紹介する番組で見ました。

ちなみに、なまはげのモデルは、漂流してきたものの、見た目も言葉もあまりに違うため住民と交われず、人里離れた場所にひっそりと住み着いた外国人ではないかという説もあります。

 どこか、天狗と共通しますねえ。

ナマハゲのモデルは白人的な顔立ちだったのでは、といわれているから、こんなとこも天狗と似てるです。
 
 ニャッパゲ、可愛いけど、やっぱちょっと怖いかな。

 天狗となまはげ、確かに共通点が多いです。
 外国人説に1票です!

 そういえば、昔の判例、といっても明治なんですが。
 林の中で、暑い!と上半身裸になっていた白人を見た村人が驚いちゃったの。
 天狗があらわれた!
 
 暑い~と真っ赤になった白人は、 確かに天狗に似てるかも。

どうなりました。

 村人が猟銃で撃ち殺したと、ありました。
 
あ、だから判例…。

 秋田の象徴は、秋田犬なんですよね。
 何故ネコと結び付いたのかは、正直わからないですね。
 
 私が秋田県で仕事をしていたのは、もう7年も前のことです。
 こんなゆるキャラが登場するなんて。
 当時は考えられませんでした。

天狗もナマハゲも神仏に関わりが深く、ネコもまた神秘的存在とされてきました。

 ニャッパゲって、ただの個人の思いつきって思ってた。
 
基本的にはそうですね。
 
 でも、くっ付くべくしてついたキャラといえるかも。
 わたしも、神性で結び付いたと思いたいですね。

で、ニャッパゲは、どう思いますか。

 ニャッパゲ、かわいいですね。

受けそうですね。
ニャッパゲ。

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十字架とクリスマスとキリスト

映画『パッション』や、ちまたに出回っているクリスチャン関係の絵は、イエスが十字架をかついでいますよね。

 イエス様が十字架にかけられていなくて、杭のような柱に挙げた両手を重ねて打たれたのが、真相といっている会派もあるようですね。

でも、聖書にはキリストが十字架にかけられたと、はっきりと書きしるされています。
 
 映画で見た十字架は絶対重くて、健康な男性でも、ひとりでは運べそうにないなぁと思って見てました。
 あれ見て感じたのですが、イエスの担いだのは十字架ではないようですねぇ。

貼り付けにされたのは杭としても、両手を広げる横棒が打ち付けられたはずですね。

そして、罪状版をあわせて十字になっていたのではなかったのでしょうか。

イエスは横棒を背負わされて刑場に向かったので、重たい十字架を丸ごと背負った絵は間違い、だったのでないでしょうか。

 横木だけですか。
 それなら、なんとか運べそうねえ。

十字架を担ぐとしたら、誰かが片棒を担がないと無理でしょうね。

 あとね、イエスは12月に誕生していないって説も聞いたことあるよ。

そういえば、羊飼いが誕生を祝ったあと、夜中の見張りに戻ったとありますね。

 12月に羊飼い達が、さも野宿しているような様子が映画にもなっているけどねえ。
 あの地方の12月は、野宿できるような気温ではないんですって。

12月のころって、イエスが生まれた辺りは、緯度の割りに寒いそうです。
たしかに、野宿できるような、気温ではないよいですねえ。
特に夜は、冷えて野営どころではないそうです。

4世紀半ば、コンスタンティヌス帝統治下のローマで、キリストの誕生が12月25日に定められたとされます。

 キリストの誕生日は、諸説あるのですって。

新約聖書には、イエスの誕生日に関する記述はないからなのです。

10月1日か10月2日が、誕生の日と推測する説もあるです。
でも、冬の寒い時期には羊を小屋に入れて外に出さない事から、10月説はちょっときついです。

陽気からいっても、4月から9月ってのは、可能性高いです。
夜中の羊の見張りを行う、4月から9月までの間とする説もあるです。
実際、羊を野放しにするのは、4月から9月の間だそうです。

イギリスの天文学者D・ヒューズは1993年9月15日に、聖書中の天文現象の記述から、イエスの誕生日は紀元前7年9月15日とする説を、発表したです。
これも、ぎりぎり、候補に入るってことでしょうか。

 イエス様の誕生日は、4月だったって説もあるような。

春先の4月というのは、復活のイエスらしくって良いです。
少なくとも、12月の可能性は、どう考えても無いようですねえ。

 では、『クリスマス』って一体何なんでしょう?

12月25日って、古代から祝われている太陽神の誕生日だったのです。

イエスも「義の太陽」とされてるので、イエスがお生まれになったことを祝う日としてなら、太陽神の誕生日をあてるのは、まったく意味がないってわけでもないでしょうか。

 イエス生誕を、祝い、喜ぶ日としてなら、クリスマスも楽しんで良いってことですか。

まあ、そういうことです。

4世紀半ば、コンスタンティヌス帝統治下のローマでは、太陽神を崇拝する異教が大きな力を持ち、ほぼ冬至にあたる12月25日を太陽神を祭る祝祭日としていました。

古代ローマで崇拝されていた太陽神の一人、ペルシャ由来の神であるミトラ神は岩から誕生したとされます。
岩戸を出て復活したイエスと、イメージが重なるです。
ミトラ神の崇拝様式は、キリスト教のそれに似てるという声も多いです。
ミトラ神は、蛇を巻きつけた青年像で描かれる場合もあり、モーセの杖にまかれた青銅の蛇を連想させられるのです。

この、ミトラ神は匂いますね。

 お日様の匂いとかね。

それじゃ、布団でも干しますか。

また12月のクリスマスというのは別にキリストの誕生を祝うものではなく、政治的な思惑で決められたという事も言われています。

 キリストの誕生日が、なぜこの日になったの?

異教徒との対立や摩擦を生むことなくキリスト教が浸透するようにという、コンスタンティヌス帝と教会の思惑が絡み合い、この日が降誕祭に選ばれたそうですよ。

政治利用というのは、当たり障りの無い言葉ですね。

 まやかしってことですかぁ。
 
「布教」と称して、その実はその国を征服するための偵察なわけですね。

 12月に設定されたクリスマスも、そのような意図があったのかもしれませんね。

 英国にいたとき、徹底したevangerical、つまり福音派の人たちは クリスマスを俗習だといってましたね。

福音主義も、原理主義ほど石頭ではないとしても、原理主義の一形態といえる流れなので、非キリスト教的な要素になじめないのでしょうかね。

 だから、ツリーを飾ったりしないなんて極端な人もいました。
 
まあ、クリスマスの風習もまた、キリスト教以外から来てるものがほとんどですもん。

 別に、いいじゃない、なんて思うのは、やはり日本人だからなんでしょうね。

日本の神道は、儀式宗教ともいえる宗派なので、クリスマスの行事もあれこれの儀式の一つに溶け込んでしまったように見えますね。

 キリスト教の象徴とされるのが、十字架ですよね。

面白いことに、ヨーロッパの先住民であったケルトにも『ケルト十字』と呼ばれるものがあるです。
大きな特徴が「丸に十字」の形であること。

丸は古代宗教ではしばしば、太陽の象徴であったのです。
十字は四方、つまり世界を指したのだったのでしょうか。

となると、ケルト十字は世界の支配者である太陽を示したのでしょうか。

世界に君臨する太陽としてのイエスを、ケルト十字とかけたなんてこと、なかったのでしょうかあ。

また、ケルト十字は十字架のイエスの予形とも思えますね。

キリスト教は、ヨーロッパ征服に丁度よかったのかも?

ついでに、触れておくです。
丸が天、十字が地、そう見ると陰陽そっくり。
飛鳥昭雄と三神たけるは、陰陽こそカッバーラと指摘しています。
ケルトの影響が色濃く残るイギリスが、日本と妙に似た民俗なのは偶然だったのでしょうか。

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カオス

カオスは、古典ギリシア語ではΧάοςと表され、英語Chaosからの読み方で、ケイオスとも言うギリシア神話に登場する原初神です。
同じ古代ギリシャ語の、「亀裂、スリットまたはギャップ」を意味するχάσμαからきているそうです。

カオスの原義は、大きく開いた口、空っぽな空間の事だったらしいです。
ここは、老荘思想の言う根源の存在「玄(げん)」や「玄(げん)の玄(げん)」を連想させられるです。
「玄」や「玄の玄」もまた、限りない闇にして原初の空っぽな空間であったです。
カオスは、ギリシャ語で「混沌」や「無秩序」を表す言葉でもあるといいます。

カオスはしばしば、秩序の正反対で、通常の予測が不可能ということとされます。
それで、日常でも、混沌としている様子や雑然とした場所などについて、「カオス」と形容することがあります。
カオスは、文脈や展開的に支離滅裂になった場合にもしばしば使用されます。

神としてのカオスは、この世が始まったとき最初に無の空間に誕生したとされる混沌を神格化した存在です。

創世記にある「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり…」や、古事記の「浮べる脂の如くして、くらげなすただよへる時…」に通じるといえます。

そういえば、老荘思想は道教や道家の基礎とされ、道家思想に通じるものは聖書や古事記・日本書紀にも見えると指摘する易経研究家もいます。
道家と聖書のつながりは、老荘思想とカオスの類似と、古代イスラエルのいたエジプトとギリシャの関係を思えば、似たようになることはありえるといえます。
謎が多いのは日本とギリシャだけれど、老荘思想の日本への伝播と、神話や裁縫の裁ちばさみ、ギリシャ的な足指などを思えば、妙にうなずけるです。

カオスは、一人で、大地であるガイア、奈落であるタルタロス、愛とも別説有とも言われるエロース、暗黒のエレボス、夜をつかさどるニュクスといった神々を生んだ神です。
カオスのこういうところは、原義の大きく開いた口や空っぽな空間が実は子宮の象徴であって、さまざまな神を生んだイザナミや、地母神に通じているのではという感じもあります。

なお、大地のガイアと奈落のタルタロスには、混沌のカオスと同時に生まれたという説もあります。
こんなところは、アマテラスとスサノオとツクヨミが一緒に生まれたとする古事記を連想させられるです。

ギリシャ神話も、日本神話も、けっこう性的にあっけらかんなところが多いです。
老荘思想も性的にあっけらかんであって、陰陽を女と男になぞらえる道家思想に通じるです。
ギリシャ神話、日本神話、老荘思想、聖書は陰陽でつながってるのかです。

 うんうん!
 陰陽は森羅万象すべての基本だよね!

科学理論で言うカオスは、ほんのわずかな初期条件の違いが予想もつかないほど大きく違った結果を生む現象の意味で使われるです。
個々の現象は決定論的に予測できるが、総体としては非連続でバラバラな挙動を示し予測不可能なことです。

決定論は必然論とも言い、自然や歴史の諸現象の現象や事件などが現れ起こるのは、神・自然・因果性・社会関係など外的な原因によって究極的に規定されているとする考えです。

総体は、物事を全体としてみた場合に使われる言い回しです。

空気の分子も、一個二個なら動きが予測できても、三個以上となると確率で扱うほかに手が無いようなものです。
でも、分子の総体である空気という気体としてなら意外と簡単な式で扱えてしまいます。
気象が科学できるのも、ここに理由があります。

もっと複雑に見える経済行為も、大勢の営みと見るとき、これまたすっきりとした法則が見えてきちゃうのです。
それで、さまざまな経済理論が作られることになります。

自然から社会にいたるまで、小さな世界から宇宙にいたるまで、あらゆる場面にカオスがあるのです。
そして、カオスとは混沌や無秩序であって、混乱とは本質的に違うのです。
混沌や無秩序は、正しい順序や調和がちょっと見るとあるように思えない状態ではあるけれど、それなりにまとまりを持っていることです。
まとまりさえ失った混乱と、ごっちゃにしてはいけないのです。

 混雑とパニックを取り違えては、いけないようなものですね。

そうですね。
このように不規則で非常に複雑に見える現象が、簡単な方程式で書き表せるとするのが「カオス理論」です。
カオス理論は物理や工学の分野だけではなく、生命科学や社会、経済の問題へも適用されています。

 そういえば、「カオス理論に基づいた」のを売りにした電動猫ジャラシがあるね。
 猫ジャラシがどう動くか予想もできないので、猫が喜ぶらしい。
 だけど、猫ジャラシは猫とのコミュニケーションがはかれる道具なのね。
 やっぱり、自分の手で振りたい。

 ところで、カオス理論って、どんなこと?

コンピュータの発達により、混沌、無秩序を意味するカオスは、「決定論的システムが作り出す予想不能のふるまい」として扱われるようになったです。

つまりこういうことです。

 ほんのわずかな初期条件の違いが予想もつかないほど大きく違った結果を生む現象
 個々の現象は決定論的に予測できても、総体としては非連続でバラバラな挙動を示し予測不可能なこと

カオス理論の応用としては、気象学者エドワード・ローレンツのローレンツアトラクタが有名です。
カオスを使った気象に関するローレンツ流取り扱い法とでも、思えば良いでしょう。

この不規則で非常に複雑に見える現象が、簡単な方程式で書き表せることもある、とするのが「カオス理論」であります。
常にそうできる、とまではずうずうしく主張しないところが奥ゆかしいです。
カオス理論は、全ての学問体系に影響を及ぼしています。
数学、物理学だけでなく、化学、医学などの生命科学、経済学や社会学など、その応用や適応の範囲は広いのです。
大気、プレートテクトニクスなど自然界において観察できるシステムや、経済、人口増加などの社会的なシステムにはカオス的振る舞いを示すものが多いです。

また、カオスには以下の特徴が現れるです。

 自己相似
 単純な数式から、ランダムに見える複雑な振る舞いが発生する
 短期的、それもごく短い期間であれば予測可能
 バタフライ効果とよばれる初期値のごくわずかなずれが、将来の結果に甚大な差を生み出す
 過去の観測データから将来の長期予測が困難となる

バタフライ効果とは、蝶々の羽ばたきのような些細なできごとが地球の裏側で暴風になるというたとえ。
それくらい、大きな差が出てしまうというジョークが効果の名前になったのです。

カオスの特徴のひとつに上げられる、自己相似ということがカオスをもうひとつの現象と結びつけるです。
その現象とは、フラクタルです。

フラクタルは全体と部分が相似になる、自己相似を特徴とする点でカオスに通じるのです。
フラクタルはしばしば、樹にたとえられるです。
全体の形と、個別の枝の形の相似というわけです。

それで、カオスとフラクタルは、一つの現象を表す二つの理論という声もあるのです。

カオスやフラクタルのような現象を、複雑系といいます。
現代科学は、このような複雑系の科学も最先端のひとつなのです。

カオスには、その必要十分条件が与えられていないのです。
必要充分条件とは、最低限これだけの条件を満たす必要があり、しかもその条件を満たせば十分ということ。
カオスには、そういえるような条件は指摘できないのです。

それで、カオスの判定は複数の定義の共通を持って、カオス性があるという判定以外に方法が無いです。
このため、カオスの判定とは必要条件という性質を持つです。

いろいろな必要条件があげられているけど、それでもノイズとカオスの区別が困難など、数々の課題が残っているといいます。

長いけど、これでもカオス説明の入門編。

 カオスの入門編、面白いねえ。

ありがとうございます。

 でも、頭の中がカオスに・・・・。

わたしゃ、理解するより、感じでやってるってとこあります。

考え出したら、わたしも、頭がカオスになっちゃうから。

 カオスに限らず、複雑系はけっこうややこしいですね。

あまり踏み込むと、小難しい名前のオンパレードになっちゃいそうなので。

それで、考え方の説明に絞り込みました。

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ネシアとシアと日本と-「シア」「シャ」のある地域 その2

太平洋の赤道沿いに、日本からアメリカに向けて「ネシア」がつく島々がつらなります。

どっちからどう渡ったのか、「ネシア」の島々を渡り廊下のようにして、縄文土器が日本とアメリカから出土します。

 それなら聞いたことがある。
 メキシコなど中南米と日本は、古代からDNAでつながってるとか。

これはここ数年注目されていることなので、そういうこと聞いたことのある人は何人もいるかも。

なら、これはどうでしょう。

アジアを西に向かうと、「シア」とか「シャ」のつく国々が見つかるのです。

東から、「ロシア」、「ペルシャ」、「ギリシャ」です。

 ドイツにも、かつて「プロシア」なんてあったけど?

ここでは、ちょっと目をつぶってください。
プロイセンとか、言い方があるので、ちょっと引っかかりますのでね。

「ギリシャ」は、日本との比較がよくされる国です。
神話が似ている。
和裁のハサミはギリシャタイプ。
指先の一直線にそろう足はギリシャタイプ。(ここを訂正します。追記参照)

 そういえば、外反母趾は日本女性の多くが悩まされましたねえ。

先のとがったローマタイプの靴を、自分の足の形も考えずに履いたことが原因と聞いたことがあります。

「ペルシャ」も、古代日本との関係が深い国です。
現在のイランとその周辺国がそれにあたります。
シルクロードコレクションのなかで、目だって多いのがペルシャ。
日本の猫の三割の祖先の出身地。
おそらく、平家の祖先の出身地。

「ロシア」は、意外でしょ。
一部の日本人は、バイカル湖畔が出身地。

 バイカルっていえば、ロシアの有名な湖ですね。

 バイカル湖付近って、スラブ系の方々なんでしょうかね。
 ちょっと気になります。

 ていうのも、わたし、過去にロシア人の血が混じってるっぽいって、お互いに関係の無い二人の方から言われたことがあったのですが、イギリス人ともフランス人とも言われたこと無いんですよね。

 で、ひょっとして、祖先はそっちのほうなのかなぁ、と。

それは、考えてみてもいいかも。

 ほんとだぁ~。。。!
 「シア」が付く国名って、多いんですね

 「シア」とか「シャ」のつく地名って、日本に縁がありますねえ。

これって、ひょっとして日本語の「シマ」の語源ではないでしょうかね。

それで、この本を思い出したです。
川崎真治著
「世界最古の文字と日本の神々―全アジア共通の数詞トーテムによる解明 」

本書の中に、「シマ」の語源はスメルだという説が展開されているのです。

ウ・ニル(シュメール語)人口築造・丘状の神殿台閣
ダガル(シュメール語)大きく膨張した。方言ダマル。ダバル

つまり、出っ張った状態が、「ダガル」あるいは「ダマル」や「ダバル」というのです。

川崎氏は、議論をここからさらに展開します。

ウ・ニル・ダバル(インダス語)島
  ニル・デムマ(ドラヴィダ語)島
     デムマ(ドラヴィダ語)島。丘状の土地も含む  
     ル・マ(沖縄の波照間)島
     ロ・マ(沖縄の加計呂間)島
     ラ・マ(沖縄の慶良間)島
     シ・マ(倭人語・日本語)島

私は、発音が平唇音的か丸唇音的かの差が、これらの違いを生んだと見ます。

そういえば、中南米で発見されたモホスの遺跡を特徴つける無数ともいえる丘状の土地は「ロマ」と呼ばれているのです。
「ロマ」は何語なのか、由来は何か、わからないけれど、モホスをはじめとした遺跡のなかにはスメルの影響が見られるというのです。

沖縄の加計呂間に、そっくりな言葉「ロマ」があります。

モホスをはじめ、古代アメリカが古代日本とスメルの文化の出会った場所であることは遺跡や遺物から疑いようがないそうです。

「シア」「シャ」「シマ」は、スメルから西と東をわたって日本に来て「島」という漢字と合体したのでしょうか。

「ネシア」からは「ネーション」が、「シア」「シャ」からは「ユートピア」などの「ピア」が、展開したと想像するのも面白いです。

そういえば、古代スメルのジグラットも、モホスのロマも、洪水対策として作られたのでは、なかったでしょう。

 お風呂に入る習慣も、日本とギリシャが突出しているって聞いたことありますね。
 意外と、血が濃かったりして。

ありえますね。

 ますますつながってきますねえ。
 色んな方面から考察して行くと、だんだん確信がもてるような。

 う~む、ユーラシア大陸の広がりだけでなく、太平洋を渡って中南米へ・・・・ 。
 考えようによっては、 ねえ。
 今より、ずっと人の移動、文化の交流が多かったのかもしれない。

 自分の顔、鏡でじっくり見てみようかなぁ。

日本人の顔写真を分類すれば、かなり広範囲な地域をカバーできるかも。。。

 モノにせよ何にせよ…。
 「名前=言葉」のチカラってすごいですよね。
 時に、その「モノ」を象徴し…。
 時に、その「名前」故に誤解さ …。
 時に、その実体無くして「コトバ」のみが残る…。

 夢枕獏の安倍清明の小説の中だったと思いますが、「名前とは”呪”である」というフレーズを、ふと、思い出しました。

プロシャは、現地ではプロイセンと呼ばれます。

プロイセンという名前は、プルーセン人またはプルッツェン人として知られるヴァイクセル河口付近に居住した先住民に由来します。
ロシアあるいはルーシの近くをプロシアと呼んだことから来ているとも、言われているからプロイセンはプロシアの転化かも。
プルーセン、古プロイセン人あるいはバルト・プロイセン人は、バルト海の南東岸の、およそビスワ川とクロニアン湖周辺に居住していた、中世バルト族から成る民族グループだったです。

なお、プロイセン人と呼ばれた人々は13世紀はドイツ化、14世紀からはポーランド化され、かつての文化はもう持ってないようです。

プロシャを含むドイツも日本とは近現代史では、関係が深いけれど、プロシャはわからないことが多いのです。

それで、今回は残念ながら省いたです。

 自分のご先祖は、いったいどこから始まってるんだろう。
 もしかして、どこかのお国の人なのでしょうって…
 そんなことを考えると、とても神秘的ですが。

東南アジアにはマレーシアがあります。

いままで「シア」「シャ」のつく国々が注目されなかったのは、日本との関連がはっきり見えない国がいくつも入ってるのと、これらの国があまりにも違うので名前が似ているとさえ思われなかったからと、考えられるのです。

追記

最近の研究では、外反母趾になりやすい足の傾向は、エジプトタイプだとされるようになってきました。

足指は、三つのタイプに分類されるといいます。

エジプト型と、ギリシャタイプと、スクエアタイプの三つです。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。

日本人の6割から7割が、このエジプト型タイプと言われています。

親指が長い他に、足幅が広めな形です。

親指が側面から圧迫されやすいため、外反母趾になりやすいタイプの足の形です。

ギリシャ型は、親指より第2指が長い足の形です。

日本では、エジプト型に次いで多いです。

足先の細い靴を履いても、爪先に負担をかけることが少なく、外反母趾になりにくいタイプの足の形です。

ただし、指が曲がりやすく、ハンマートゥになりやすい足でもあります。

ハンマートゥとは足の指が曲がったまま、戻らなくなっている状態です。

スクエア型は、5本の指の長さに差がない足の形です。

日本人では珍しい足です。

幅の狭い靴を履くことで、指にタコやウオノメができやすいタイプの足の形です。

ただ、ギリシャ神話の神々は、エジプトとのかかわりが指摘されており、この二つの文明を荷った民の間の関係はどうであったか興味深いものがあります。

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7本の管をもつ燭台

七福神など、七は、神にかかわりが深い数と言えるでしょうねえ。

 まず七で思い起こすのは、北斗七星ですね。

北半球の北斗七星や南半球の南斗六星は、神の両手と言う思想もありますね。
上にあたる北にある北斗七星を陽と見れば、下にあたる南にある南斗六星は陰にあたります。
たとえ、一方しか描かれていなくても、考えに入れてかまわないともいえるでしょうね。

 北斗七星だけでも、南斗六星をあわせて考えて、さしつかえない?

ええ、陰陽と見ていいと思える場合は、北斗七星と南斗六星を合わせて見たほうがいいでしょう。

次に思い当たるのは、神代七代です。

 それと、謎の七枝刀もあげてもいいかも。

いいですねえ。
面白いです。 

 今、『真実を告げる書』というトンデモ本読んでいるのですが。
 この手の本って、俗にそう呼ばれる…でしょ?

そういわれること、多いですねえ。

 読まれましたか?

似たような本は、かなり前ですが見たことはあります。

 異星人が聖書を持って来るようにと著者に言って、聖書の記述について説明するのです。
 そこに七が出てましたよ~!
   
 抜粋してみますね。

 創造者たちの基地は7つありました。
 「これら7つのものはあまねく全地を行き来するヤーウェの目である」
 ゼカリヤ書第4章第十節
 「7本の管をもつ燭台」ゼカリヤ第4章第2節参照
 というのは今ではその意味が分からなくなっているのですが
 もともと創造者たちの司令部にある7つの表示灯をもつ中央電信装置のことで
 他の基地や地球を周回する惑星間航行用宇宙船と連絡が取れるようになっていました。

神と天使が、異星人かどうかはともかく、聖書には光に包まれて登場する天使の姿も描かれています。

SF作家であれば、こんな風に描くかも。

 神や天使は、プラズマバリヤーに身を包んで亜空間瞬間ワープで現れた。

つまり、神や天使を、宇宙船どころかその上を行く超科学の持ち主であるか、想像を絶する超能力者集団として描くなら、もっともらしいと思いますけど。
この本はその点、中途半端でちんけな妄想小説にしか、思えないです。

 ご指摘の通り・・・ 。
 なんか聖書の内容より格が落ちる気がするんですよね・・・ 。
 キリストは、その異星人そのものよりもっと上から遣わされたように感じます。

問題の本に描かれている異星人程度では、せいぜい信徒レベルに描くのがリアルというのが、聖書と比べての感想です。

 異星人はどうも・・・ひっかかりますね。
 どの話でも思ったほどそんなレベル高くないですね。
 大概。
 科学的には高いらしいですが・・・。

それに七は神の数、神の象徴なので、ヤーウェの目とされる「これら7つのもの」は神自身の目であると思えます。

7本の管をもつ燭台が意味するものは、カッバーラの奥義であるメノラー以外ありえないです。

実は、メノラー=アダムカドモン=生命の樹なのです。

 アダムカドモンって、十個の節と三本柱の門松みたいなのでしょう。
 あれって、生命の樹とも言うのですか。

はい、同じものです。
生命の樹=ヤハウエ=イエスの意味で使用されることが多いです。

7本の管をもつ燭台が意味するものは、御父もしくは神の一人子であるイエスと思われるのです。

 キリストが出て来る前の、聖書のすったもんだはその異星人でもOKなんですが。

聖書に比べて違和感がどうしてもある場合、その部分は信頼しないほうが良いと感じますね。

 でもあながち丸っぽ嘘とは思ってないんですがね。
 個人的には。
 とにかく微妙に納得できない部分も含んでいますね。

ていうか、部分的に真理を織り込みながら全体として嘘っぽい場合、警戒したほうが良いです。

真理で信頼させて、嘘を言葉巧みに信じ込ませようとたくらんでいる場合がありえます。

わたしも、ただの不思議好きに過ぎないので、間違いを犯していないとはいえないけれど。

だから、こんな見方も面白い、位に思って楽しんでくださいね。

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五山の送り火

お盆には、地元の山で「大文字」が焼かれるという方も各地におられるでしょう。

でも、一般に「大文字焼き」といえば、やっぱり五山の送り火がおこなわれる京都です。

 お精霊(しょらい)さんと呼ばれるご先祖の魂を、お送りする行事ですよね。

「東大文字」「妙法」「舟形」「西大文字」「鳥居」の順で、東から西へと点火されます。
そのうち、「舟形」と「西大文字」は一緒に点火されると良います。

一つ一つの言葉に意味があるので仏教研究家もそれなりの解釈は、やっていると思います。

 はじめの四つまでは、まずまず理解可能でしょうねえ。

たいてい、つまづくのが鳥居でしょ。

 神仏混交の信仰とはいえ、鳥居はやはり神道でしょう。

私は向きに注目したいですね。

神道にかかわりの深い陰陽五行では、五行の木火土金水でも、十二支の子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥でも、時計回りなのです。

それが、反時計回りとなると、陽に対する陰が意識されているのでしょう。

 つまり、現われに対する隠れ、誕生に対する死、ということですか。

送り火ということは、ご先祖の魂がこの世からあの世にお帰りなので、「死」の方向に対応するように見えます。

「大の字」が「人」をさすというのは一致した意見です。

そこで、こう解釈しても良いのでしょう。

「この世」「成仏」「三途の川渡り」「あの世」

なお、「東大文字」は「この世」、「妙法」は「成仏」、「舟形」と「西大文字」はひとつに数えて「三途の川渡り」、「鳥居」は「あの世」と見たです。

これは、生きている自分たちにも言い聞かせているのかも。

「成仏があるべき死出の道」

ここで、ふと思うのが似た言葉があるってこと。

「悔い改めて福音を信ぜよ」

京都五山の送り火で気になるのは、かつては、鳴滝の「一」や市原の「い」など、送り火を行う山は十山あったとされることです。

十といえば、陰陽で言えば十干にあたるです。
ほかの文字は、なにだったのでしょうか。

それと、「大文字」が一文字の場合が何を意味するでしょうか。
山を天とみなし、天に間違えなくお戻りいただく道しるべということでしょうか。

 文字の意味の気をとられていて、向き(時計回り・反時計回り)のことは考えもしなかったです。
 これはすごく面白いですね。
 向きを意識すれば他にも、説明が付くものがあるのかも知れませんね。

 大阪にいながら、大文字の送り火を一度も見ていない私です。
 松明を焚いて点火する様子を、画像でしかしらないですが。
 やっぱり感動的!

 これらの言葉は、とてもありがたく心に響きます。
 五つの言葉が一つになることで、来世と現世の世界全体を表している気がします。
 来世(あの世)も現世(この世)も同じ道の先と先にあると…。
 私はいつの頃からか、思うようになりました。

ま、陰陽五行を知らなくても、日の出から日没を、太陽の誕生と死になぞらえた古代の感性に気がつけば、向きに意味ありと思う研究者がいても良いはずですよね。

ただ、やはり、鳥居がつまづきになります。

「鳥居」は「通りい」に通じると感じられれば、あと一歩なのですけど。

鳥居は、通って神の国へ行きます。
死後、神の国へ行くと、なぜ思いつかなかったのでしょうか。

 陰陽五行の木火土金水と、空海が説いた六大の中の木火土金水は同じものですかね。

 神仏習合をやった人達は、神と仏が絶対神である事を知っていたのかもしれません。
 日本中にその影響が残っていると思います。
 名前は神社に見えても、寺だったとかそんな感じです。
 豊川稲荷は確かそうじゃないかと思います。
 
 この間、NHKで、中継してました。
 そして、感動しました。

陰陽の五行「木」「火」「土」「金」「水」と、空海が説いた六大は似ているようで微妙に違いますよ。

弘法大師・空海の教え - 高野山真言宗 那須波切不動尊 金乗院
http://www8.plala.or.jp/konjouin/oshie.html

ここに、このようにありました。

 弘法大師は、「六大」すなわち「地大」「水大」「火大」「風大」「空大」「識大」という、六つの根源的なものが宇宙の万物を構成しており、仏も人間も本質的な差はないと説いています。
 また私たちが眼にしている現実の世界は、法身である大日如来の現れであるから、現実はそのまま絶対であるとも説いています。
 つまり、仏も人間も根源的なものは同じであり分かちがたいものであるから、大日如来の慈悲を固く信じ、悟りを求める心をもって仏と一体化できるよう努力をすれば、迷いから脱して真理を知ることができると教えています。

でも、神が自らに似せて人を作ったという聖書に通じる思想が見えるのは、やはり大乗仏教がキリスト教に触発されて生まれたからでしょうか。

 この世の摂理、成り立ちを知る人たちは言葉や表現の違いこそあれ、 本質は同じことを説き、自分の信じる教えに固執してしまう人は、視野が狭くなってしまい、無意味や論争や戦乱を生み出してしまうでしょうね。

 ところで、大文字焼きは、これまで延焼したことないのかなあ?

延焼の話は、聞いたことないですよ。
よっぽど、気をつけているのでしょ。

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平均気温と発音法と歴史に相関関係は見えるか?

平均気温による発声法の起こる可能性を考慮し、言葉の年輪分析法とでも言いうる研究法をさぐってみました。

まず、地球規模でのモデルを以下のように作ってみたのです。

○緯度や高度が高く比較的平均気温が低いところは、余計な体温を失わないため、唇を平たく開ける。
 この平唇音には“イ”の口の形と“エ”の口の形がある。

○緯度や高度が低く比較的平均気温が高いところは、余計な体温を吐き出すため、唇を丸く開ける。
 この丸唇音には“ウ”の口の形と“オ”の口の形がある。

○比較的低温下の発声の平唇音である“イ”の口の形と“エ”の口の形と、比較的高温下の発声の丸唇音である“ウ”の口の形と“オ”の口の形の間にも平均気温の差の関係がある。

○“イ”の口の形と“ウ”の口の形は比較的低温、“エ”の口の形と“オ”の口の形は比較的高温に、それぞれ対応する。
 ここにはほんのわずかな距離や緯度、高度の隔たりしかない。

さらに、具体的分析には地理や地形など地域特性も配慮しなければならないではないかです。
たとえば、このようなものです。

○沿岸か内陸か、と言った水辺からの距離。

○平野か山間部か、と言った地形。

○森林か草原か、緑地か荒野か、と言った植物の生態。

○そばを流れるのは寒流か暖流か、気温に主に影響しているのは極地か赤道か、と言った気候。

もちろん、人の要素がもっとも重要ではないかです。
つまり、どのような平均気温を過去に体験してきたかです。
これは、移動によるものと、気候変動によるものがあるのです。

過去についての情報と照らして、彼らの言語がどのような気候変動の影響を受けたか調べると興味深いことがわかってくるでしょうね。
これによって、南下や北上、気候変動などをどのように体験したか定性分析が可能になると私は期待しているのです。

 壮大な研究ですねぇ!!
 (真面目な話、お仕事でですか?ライフワークですか?)

たんなる興味です。

 単なる興味こそ大いなる研究ですよね。
 単なる猫こそ大いなる癒しですよね。

私一人の手には、このすべてはもちろん手に余るのです。
もっと多くの人が参加してくれるとうれしいのですけど…。

 地理や地形による気温分析、発声法。
 平唇音、丸唇音。
 これって方言にも何か関係したりなんかしそうですねぇ!

 ウチの実家は北関東で空っ風が強いため、かなり地声が大きく語気が荒いという、傾向アリ。

 やっぱ、寒いとこは口開けたくないのでしょ!
 わたくしは、京都弁が山越えただけで関東弁になるのが不思議です。
 日本の縮図みたいに。
 そんな説もありました。

こういう細かいこと見ていくと、地域の隠れた歴史も見えてくるかも。

 私の知ってる北京語と広東語の違いを体験談としてお話します。
 北京語では、r化韻といって舌を巻いて語尾を「~アル」という言い方を好みます。
 それと、巻舌音(そり舌音)といって舌を口の中で丸めて発音する子音が3種類あります。
 r化韻も巻舌音も、印象としてはくぐもった音です。
 また、r化韻を多用するとコロコロ流れる印象があります。

 一方、長江以南の人にはその2種類の発音が出来ません。

 また、方言広東語の発音は促音便が非常に多いです。
 ハッ、カッ、ロッのように。この発音は北京語には全くありません。

 言葉としてでなく音として北京語と広東度を聞き比べると
 北京語は途切れることなくすべるように話している印象に対し、
 広東語はぎこちなく飛び跳ねているように聞こえます。

 気候との関係は北と南という大雑把なことしか言えませんが
 長江を境にして出来ない発音があるというのは面白いと思います。
 また、歴史や民族のことも関係してくるでしょうから、私のような凡人にはとてもわかりません。

面白い体験談してもらえてうれしいです。

 聞いた話だけど、東北のほうの人は、寒い空気が体内に入らないように口をとざした話し方になったんだと。
 それで、いわゆる「フランス語」のような、口を閉ざし気味にして麺をすするような発音(方言?)になったんだと、なったんだそうです。

それも、興味深いですねえ。

高緯度の平たい鼻の穴、低緯度の丸い鼻の穴と、東北弁や沖縄弁、英語やフランス語を重ね合わせたら、相関関係がありそうに思えてきますね。

 昔職場にいた岩手の方の話が、どう聞いてもフランス語(?)のようでした。
 フランス語と岩手弁の関係やいかに!?

岩手弁とフランス語の言葉の響きに類似があるとすれば、過去に経験した温度変化に原因を求めてもいいと思うです。

フランス人の祖先は、今よりもっと平均気温が高いところにいたので、平均気温の低下に付け焼刃的対応をしたとみえるです。
つまりフランス人は、もともとの丸唇音的発声法を平唇音化したために、発音の最後で唇が多少丸くなると見られるです。

ドイツ人は、発音の始めと終わりで唇の形にそれほど変化がないところを見ると、おそらくもともとの地域と平均気温の差があまりなかったのかも知れないです。

となると、東北地方の人々も平均気温の低下を比較的近い過去に体験している可能性が考えられるです。

 「倍音」はどういった考察になるんでしょう?

「倍音」は、音色にどちらかと言えば関係があるです。
どちらかと言うと、材質や全体の形に影響を受けてそれらしい音色を演出する要因になっているです。

木管楽器と金管楽器の音色の差のような、柔らかい音色と硬い音色は、倍音の成分の違いがだしているです。
声質が、女性的なやわらかさがあるか男性的な硬さがあるかも、おそらく倍音の仕業ですね。

フランス語の柔らかさ、ドイツ語の硬さ、これも倍音の悪戯かも。

 巻き舌とかは気温に関係あるんでしょうか?

 北京語のr化韻や巻舌音は舌を丸めて唇は開かないですよね。
 広東語で多い促音便は唇は開くですよね。
 北京語は滑るそうな音といったけど、つまりあまり口が動いていないですよね。
 反対に広東語は途切れるような音だから口が動くですよね。
 この違いは、やっぱり気温と関係あるのかですよね~?

巻き舌も、フランス語とイタリア語を見れば、イタリア語の方が多少は丸唇音化してるのが感じられるはずです。

地中海にどっぷりつかったイタリアは、南海岸くらいしか接していないフランスより当然暖かな分唇が丸く開き舌に震える空間が出来てるです。
フランスもメキシコ湾流の恩恵をドイツより受けてる分、暖かいけど。

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アメリカで繋がるアフリカと日本?

学研の雑誌「MU」の2008年9月号に、こんな記事が出ています。

最高神官ドン・アレハンドロが警告!!太陽周期の終わりと地球激変の真相とは!?
徹底検証 2012年「マヤ予言」

 「MU」の編集部も、記事の作者も、2012年で突如終わるマヤの暦に焦点を当てていますね。

でも、私の注目点はちょっと違います。

 記事の内容に、気を惹かれないわけじゃないでしょ。

ええ、まあ。

マヤ人の最高神官であるドン・アレハンドロは、2008年の時点で80歳の高齢です。
 
 おそらく、最初で最後の日本訪問になるでしょ。

なぜに、最初で最後になるであろう訪日を、マヤ人の最高神官であるドン・アレハンドロは決意したのでしょ。
「マヤの予言」とされる通説に対して、緊急に発言をする必要があると感じたからというけど。

 その緊急発言の場に、招きに応じたとはいえ日本を選んだのはどうしてでしょ。

日本とマヤの間には、なにかがありますね。

近年の研究で、インカやマヤと日本との間はミトコンドリアDNAでつながっていると言う成果があります。

 これを指摘して話を終わっちゃうつもりは、ないですよね。

マヤの暦は、歴史を循環すると見ている点で、東洋の歴史観と似ているといいます。

 DNAと文化でつながる、マヤと日本。

マヤと直接ではないけど、そっくりな縄文土器があったり、アイヌのご親戚の遺骨が北米のケネウィックで見つかるなど、古代アメリカと古代日本の縁は深いです。
そして、アイヌと琉球人は共通の祖先を持つと見られています。
日本とアメリカ大陸をつなぐ南太平洋の島々も、日本とアメリカをつなぐ回廊として注目されるようになって来たです。

マヤ文明はさらに、オルメカ文化に遡れると言います。

 オルメカ文化を印象深いものにしているのは、巨大な人頭彫刻ですね。

モデルとなった人たちには、彫刻の顔立ちにアフリカ黒人の特徴が見えるところから、一時は、アフリカ黒人であろうという説も出たのです。
けれど、後頭部がアフリカ黒人より切り立っているので、今ではモンゴロイド説のほうが強いそうですよ。

となると、アフリカ発アメリカ経由アジア行きの人々がいたことになるかもしれないです。
オルメカの人頭彫刻のモデルとなったであろう人たちの子孫は、南太平洋の島々に今も住んでいます。

 人頭彫刻を間近に見た人は、似た顔の人を日本人の中によく見かけるという感想を持つといいますよ。

そういえば、アフリカの掲示板で「古代、アフリカから日本に渡った人々がいる」というネタで盛り上がっている人々がいるという情報に接したことがあります。
これは絶対アフリカ的だと思っていた名前で検索したら、日本のサイトが意外なほど、かかってしまったのがきっかけといいます。

 彼らは今、どうしているでしょうか。

まだ、議論を続けているでしょうかね。

日本で最も古い石器時代に営まれた小屋は、大阪の近くで掘り出されたといいます。
考古学で調べたら、今からおよそ22,000年前とでたそうです。

この大阪の石器時代の小屋が、アフリカのサン人の住居に似ていると言う人もあります。
サン人は、南部アフリカのカラハリ砂漠に住む狩猟採集民族です。
カラハリ砂漠は、南部アフリカにおいて50万平方kmに渡って広がる砂漠で、ボツワナの国土の70%を占めるほか、ナミビア、南アフリカ共和国にかかるです。
現在はカラハリ砂漠にしかいないのは、白人の進出やバントゥー系の人々の侵略により激減したからですと。
かつては、南部アフリカから東アフリカにかけて広く分布していたそうです。
インド洋に面している東アフリカは、アフリカの東部地域、おおむね大地溝帯から東側の地域を指すです。
砂漠に住む狩猟採集民族は大変少なく、現在ではこのサン人ぐらいしかいないといいます。

一応紹介すると、バントゥー系の人々とは、バントゥー語群またはバントゥー諸語を話す人々のことです。
バントゥー諸語はアフリカの広い範囲で話されている、互いに共通性のある一群の言語で、系統的にはニジェール・コンゴ語族のベヌエ・コンゴ語群に含められるそうです。

東アフリカには、地理としてはエジプトやエチオピアも含まれるですよ。
日本とエジプトは、味の好みや、宗教の構造がよく似てるです。
マヤとエジプトは、文化が似ているという研究者もいます。

もっといえば、ピザとお好み焼き、パスタとうどん、世界有数のタコ食文化、妙に地中海と西日本は似てるです。

オルメカの人頭彫刻に、似た顔の人を日本人の中によく見かけるということと合わせると、東アフリカと、アメリカと、日本は何者かがつないでるのかも。

 そう考えると、なんだかとてもワクワクするね。
 文明の栄えたマヤやインカと独自の文化を持つ日本。

そうですね。

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重陽と菊と月餅と…。 

旧暦の九月九日は、重陽の節句です。
陰陽では、奇数を陽に、偶数を陰に、配します。
九は一桁の陽の数では最大なので、九が重なる九月九日が重陽と呼ばれるようになりました。

旧暦の九月九日は、現代のカレンダーでいえば、十月二十五日頃になります。
旧暦では菊が咲く季節であることから、菊の節句、とも呼ばれます。

俳句で「今日の菊」といったら、重陽の節句の菊のことです。
旧暦の九月九日の菊をさし、以後のものは十日の菊とか、のこりの菊、残菊などと呼ばれてあまり好まれません。
つまり重陽の節句は、菊の盛時なのです。

重陽は菊が主役といってもいい節句なために、菊がまだ出回らない新暦の九月九日では廃れてしまいました。
それで、ご存じない方も多いでしょう。

一年を通して菊がある今、旧暦九月が菊の季節だったといっても、実感はわかないでしょうね。

平安前期の宇多天皇の御代、宮中の重陽の行事として取り入れられ、『紫式部日記』などに記述が見られます。
近世に入ると「白菊には黄色の綿を 黄色の菊には赤い綿を 赤い菊には白い綿を覆ふ」(『後水尾院当時年中行事』)とされ、幕末まで行われていました。

早朝に菊花にたまった朝露を飲むと、長寿によいとされます。
前夜花の上に綿をかぶせておいて露や香りを、採り込む着せ綿といいます。
宮中でこの日天皇が菊酒を臣下に賜ったという古事から、菊の節句といいます。

菊は、桜とならんで日本の名花の雄です。
観賞菊の交配が盛んで、二千種ともいわれ、キク科でないものまで入り込んでいます。
それだけ、日本人に愛されている花といえるでしょう。
天皇家の紋は花びらが十六弁、皇族のは十四弁です。
なお、天皇家の紋は、私的には十二弁菊花紋です。
和菓子屋が菊を意匠して菓子を作るときは、この数を遠慮して十五とかそれ以外の花びらにするのが通例になっています。
菊は国花であり、別名も多いです。

菊という名称は元来漢名で、和名ではサギナ(左岐奈)といっていましたが今では菊で通っています。
不老長寿の霊草として、チギリグサ、ヨワイグサ、モモヨグサなどとも呼ばれています。
ともかくも菊の節句。
古事に習って早咲きの菊の花を酒に浮かべて長寿を願い、ほどほどに飲む、というのも一興でしょう。

中国菓子「月餅」は本来この日のための食品です。
大皿に山盛りにした月餅を中心に、大家族主義の中国では各家族親族が寄り集まって長老を中心に大ホームパーティを開きます。
八月は北京市内8ヶ所ある菓子工場はどこもこの月餅生産の追い込みでたけなわになるとか。
菓子工場は北京に集まっていますが、その日一日の消費量は大変な数になるそうです。

しかも多民族多宗教国家、イスラム教徒には豚肉やラードを使わないタイプを別につくるなど種類も豊富です。
半年も一年も前から、この九月九日の重陽節でもちいる月餅の製造を始めるそうです。
水を一滴も使わない製法で、大陸の乾燥した空気の中でそのまま倉庫に放置していても日持ちがするのだそうです。
中国には実は、「菓子」と言う言葉や概念は無く、「果子(カーツー)」という似た言葉はありますが、これはおもに木の実や砂糖漬けにした果物類をさします。
食事以外に休憩や嗜好の目的で、あるいはお茶受けとして何かをつまみにするという習慣もないそうです。

中国ではお菓子を3時のおやつに食べるという習慣はないそうですね。
そのかわり、甜点心といって、甜点心は料理の中の1つなわけです。

 そういえば、シュウマイなども甘くない、つまり甜でない、点心ですね。

でもお茶請けや酒のつまみはちゃんとあって、それが、かぼちゃやひまわりの種、つまり果子あるいは木の実なわけです。

 それが菓子に転じたんじゃないでしょうかねぇ?

そうかも。

菓子は、名前からいっても、木の実や種が起源の可能性はあるです。

 中国語からみると、果物は「水果」ですね。
 水分の少ない木の実に対して水分が多いので、こう呼ぶのでしょうかねぇ。
 中国語では、菓も果も同じ字なんですね。

作られた菓子の登場で、本来の菓子は、水菓子と呼ばれるようになったです。
ところが、果物や果実という呼び方が一般化してきたので、水菓子は「水ようかん」「ところてん」「かんてん」「ゼリー」や「ババロア」など水分の多そうな菓子の名称になりつつあるようです。

 日本でも懐石料理なんかでは、果物を「水菓子」といいますねぇ。

日本では菓子と思われる月餅やアンまん肉まんなどは、朝の出かける前の朝食にしたり、飲茶の点心のような軽い食事であったり、料理コースの中の一品であったりするそうです。
贈り物にもあまりしないそうです。
酒のつまみの小料理なども特に無いようで、酒を飲むことも食事の一環なのでしょう。

ところで九月は、菊の月ですが、江戸ではいつの頃からか、大輪や変わり咲きを競い合う菊作りが盛んになりました。
ことに江戸中期頃からは、庶民の暮らしが安定しはじめ、余裕が出てきました。
生活に余裕が出てきたことで、菊つくりを競うことは、さらに盛んになりました。
百軒以上もの菊作りがその技を競い、菊花でさまざまな形を作る菊人形も生まれました。
菊人形をを見物に行くのも、庶民の大きな楽しみの一つとなります。
しかし菊人形は、奢侈禁令に反すると、天保以降はお上によって廃止されました。

わが国では、『日本書紀』に天武天皇十四年九月九日に宴が催されたことを記述しています。
また、平安時代初期には、嵯峨天皇が神泉苑で詩を作る宴を催した記録があります。

平安時代の史書『類聚国史(るいじゅうこくし)』には、淳和天皇天長八年紫宸殿(ししんでん)に文人を召して詩を賦し、重陽の宴を行ったことが記されています。
御帳の左右に茱萸の袋を掛け、御前に菊をさした花瓶を置き、詩を作り、終わってから氷魚(ひお=鮎の稚魚)を食べ、菊の花を浮かべた菊酒を飲みました。
そして、時代が下がりますと、前夜に真綿を菊の花に被せて夜露に湿らし、九日の朝にそれで肌をぬぐうと長寿を保つという、着綿(きせわた)の習慣も加わりました。
これは花の香りを綿に移し取り、この香りをもてはやしたもの。
『枕草子』にも「九月九日は、暁方より雨少し降りて、菊の露もこちたく、覆いたる綿なども、いたく濡れ、うつしの香ももてはやされたる」とあります。

江戸時代になると、重陽の節句として菊合(きくあわせ)が大名の間で盛んに行われました。
実物の菊を比べ合わせる行事であり、菊の品評会であります。
これ以降菊の栽培も盛んになり、菊の名所ができ、また菊人形なども作られたものです。
現在では、時期的には月遅れで菊花展が開かれています。

古くから中国の影響を受けてきた我が国は庶民でも、もちろん重陽を祝っていました。
江戸の庶民達の間では、重陽をはじめとした五節句には、親戚や手習い、遊芸の師匠のもとへ進物を携えて挨拶に回るのが習わしになっていました。
こよみに五節句(節供)があります。

 一月七日 (人日じんじつ) 七草の節句 無病息災を願う
 三月三日 (上巳じょうし) ももの節句 女児の成長を願う
 五月五日 (端午たんご) 菖蒲の節句 男児の成長を願う
 七月七日 (七夕しちせき) 星祭り 技巧の向上を願う
 九月九日 (重陽ちょうよう) 菊の節句 不老長寿を願う

商店はたいてい営業しているのでお店をしている者は別ですが、職人達は節句休みといって仕事を休むことが多かったようです。
今日、戦後に制定された「九月十五日敬老の日」にはこの意味合いが生かされ、現在に続いています。

民間では「お九日」と呼ばれていましたが、これが後に音便変化して「おくんち」と呼ばれるようになります。
現在「おくんち」は新暦になったことにより必ずしも陰暦九月九日には行われず、その地区により十~十一月の適当な時期に行われていますが、収穫を祝う秋祭りとして実施されています。

和歌山県などでは、陰暦九月九日を栗の収穫期にあたるので栗節句といい、栗の実を贈り、栗ご飯を神棚に供えて祝う習慣があります。

九州地方でも、九日(おくんち)といって重陽の日を尊んでいたといいます。
長崎のオクンチの本来的には重陽の節句のことで、収穫祭の日取りとしてもっとも早いもののひとつです。
また地方によっては三九日(みくんち)といって、九月九日、十九日、二十九日の三回の祭日を行うところが多いのです。

そして、今日一般では、菊酒を飲む習慣はありませんが、京都の上賀茂神社では重陽神事の烏相撲の終了後、参列者に直会(なおらい)として菊酒が授受されます。
これは宮中で行われていた年中行事に倣って神事化されたものです。

風流な行事の名残りとして、菊の花びらを浮かべて菊酒をいただくというのも残しておきたいものですね。

 皇室といえば、菊花紋と思うのが一般的ですね。

でも、桐紋、とくに五七桐紋も、皇室の紋章ですよ。

政府の会見には、会見台についている紋ですね。

ちなみに、皇室の菊花紋、十六弁は対外用、十二弁は対内用、だそうです。

十二が十二支族と同数なので、古代イスラエルと関連付ける議論もあるけど、十六が方位くらいしか思いつかないなど、説明不足な感もあるです。

それより、中東の菊花紋によく似ているけど中の円が大きなものがあることから、菊花紋の正体は太陽だという説のほうが、興味深いです。

 今では重陽の節句を祝わなくなりましたけど
 どうしてかな。
 敬老の日とは全然趣旨が違うのにね。

重陽の節句は菊が主役な祭りなだけに、新暦になってから栽培技術の開発されるまで九月九日ころの店頭になかったことは、打撃だったかも。

夜菊の花の上に綿を置いて、夜露にぬれてうつった菊の香りを楽しむ風習があったって聞いたことがあります。
優雅ですよね。

 菊酒っていうのも風雅ですね。

中国では重陽の節句はかなり盛んですね。
月餅は賄賂の対象になるほど、高価なもの、手に入りにくいものもあるそうです。
または何の変哲もない月餅の餡の中に金品を忍ばせておくとかもあるそうですよ。
月餅を食べるのは、家族みんなが円満に、という意味がこめてあるです。
大きな丸い月餅をケーキのように切り分けて食べるのが普通で
日本で売っている小さなものはいろんなものが小型化している最近になって
出回るようになったものです。

菊は一年中ある花になってしまったけど、こういう風雅な風習は残っていてほしいです。

 去年たまたま、菊の品評会を見たんですけど、
 菊にもいろいろあるのですね。
 でも、品評会に出すように育てるのは大変そうです。

そういいますね。

 あたしの中では、菊の花ってねえ。
 今まではお墓参りとか葬式ってイメージだったなぁ。
 こうして知ってみると、見方が変わっておもしろいですね。

おもしろかったですか。

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