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十字架とクリスマスとキリスト

映画『パッション』や、ちまたに出回っているクリスチャン関係の絵は、イエスが十字架をかついでいますよね。

 イエス様が十字架にかけられていなくて、杭のような柱に挙げた両手を重ねて打たれたのが、真相といっている会派もあるようですね。

でも、聖書にはキリストが十字架にかけられたと、はっきりと書きしるされています。
 
 映画で見た十字架は絶対重くて、健康な男性でも、ひとりでは運べそうにないなぁと思って見てました。
 あれ見て感じたのですが、イエスの担いだのは十字架ではないようですねぇ。

貼り付けにされたのは杭としても、両手を広げる横棒が打ち付けられたはずですね。

そして、罪状版をあわせて十字になっていたのではなかったのでしょうか。

イエスは横棒を背負わされて刑場に向かったので、重たい十字架を丸ごと背負った絵は間違い、だったのでないでしょうか。

 横木だけですか。
 それなら、なんとか運べそうねえ。

十字架を担ぐとしたら、誰かが片棒を担がないと無理でしょうね。

 あとね、イエスは12月に誕生していないって説も聞いたことあるよ。

そういえば、羊飼いが誕生を祝ったあと、夜中の見張りに戻ったとありますね。

 12月に羊飼い達が、さも野宿しているような様子が映画にもなっているけどねえ。
 あの地方の12月は、野宿できるような気温ではないんですって。

12月のころって、イエスが生まれた辺りは、緯度の割りに寒いそうです。
たしかに、野宿できるような、気温ではないよいですねえ。
特に夜は、冷えて野営どころではないそうです。

4世紀半ば、コンスタンティヌス帝統治下のローマで、キリストの誕生が12月25日に定められたとされます。

 キリストの誕生日は、諸説あるのですって。

新約聖書には、イエスの誕生日に関する記述はないからなのです。

10月1日か10月2日が、誕生の日と推測する説もあるです。
でも、冬の寒い時期には羊を小屋に入れて外に出さない事から、10月説はちょっときついです。

陽気からいっても、4月から9月ってのは、可能性高いです。
夜中の羊の見張りを行う、4月から9月までの間とする説もあるです。
実際、羊を野放しにするのは、4月から9月の間だそうです。

イギリスの天文学者D・ヒューズは1993年9月15日に、聖書中の天文現象の記述から、イエスの誕生日は紀元前7年9月15日とする説を、発表したです。
これも、ぎりぎり、候補に入るってことでしょうか。

 イエス様の誕生日は、4月だったって説もあるような。

春先の4月というのは、復活のイエスらしくって良いです。
少なくとも、12月の可能性は、どう考えても無いようですねえ。

 では、『クリスマス』って一体何なんでしょう?

12月25日って、古代から祝われている太陽神の誕生日だったのです。

イエスも「義の太陽」とされてるので、イエスがお生まれになったことを祝う日としてなら、太陽神の誕生日をあてるのは、まったく意味がないってわけでもないでしょうか。

 イエス生誕を、祝い、喜ぶ日としてなら、クリスマスも楽しんで良いってことですか。

まあ、そういうことです。

4世紀半ば、コンスタンティヌス帝統治下のローマでは、太陽神を崇拝する異教が大きな力を持ち、ほぼ冬至にあたる12月25日を太陽神を祭る祝祭日としていました。

古代ローマで崇拝されていた太陽神の一人、ペルシャ由来の神であるミトラ神は岩から誕生したとされます。
岩戸を出て復活したイエスと、イメージが重なるです。
ミトラ神の崇拝様式は、キリスト教のそれに似てるという声も多いです。
ミトラ神は、蛇を巻きつけた青年像で描かれる場合もあり、モーセの杖にまかれた青銅の蛇を連想させられるのです。

この、ミトラ神は匂いますね。

 お日様の匂いとかね。

それじゃ、布団でも干しますか。

また12月のクリスマスというのは別にキリストの誕生を祝うものではなく、政治的な思惑で決められたという事も言われています。

 キリストの誕生日が、なぜこの日になったの?

異教徒との対立や摩擦を生むことなくキリスト教が浸透するようにという、コンスタンティヌス帝と教会の思惑が絡み合い、この日が降誕祭に選ばれたそうですよ。

政治利用というのは、当たり障りの無い言葉ですね。

 まやかしってことですかぁ。
 
「布教」と称して、その実はその国を征服するための偵察なわけですね。

 12月に設定されたクリスマスも、そのような意図があったのかもしれませんね。

 英国にいたとき、徹底したevangerical、つまり福音派の人たちは クリスマスを俗習だといってましたね。

福音主義も、原理主義ほど石頭ではないとしても、原理主義の一形態といえる流れなので、非キリスト教的な要素になじめないのでしょうかね。

 だから、ツリーを飾ったりしないなんて極端な人もいました。
 
まあ、クリスマスの風習もまた、キリスト教以外から来てるものがほとんどですもん。

 別に、いいじゃない、なんて思うのは、やはり日本人だからなんでしょうね。

日本の神道は、儀式宗教ともいえる宗派なので、クリスマスの行事もあれこれの儀式の一つに溶け込んでしまったように見えますね。

 キリスト教の象徴とされるのが、十字架ですよね。

面白いことに、ヨーロッパの先住民であったケルトにも『ケルト十字』と呼ばれるものがあるです。
大きな特徴が「丸に十字」の形であること。

丸は古代宗教ではしばしば、太陽の象徴であったのです。
十字は四方、つまり世界を指したのだったのでしょうか。

となると、ケルト十字は世界の支配者である太陽を示したのでしょうか。

世界に君臨する太陽としてのイエスを、ケルト十字とかけたなんてこと、なかったのでしょうかあ。

また、ケルト十字は十字架のイエスの予形とも思えますね。

キリスト教は、ヨーロッパ征服に丁度よかったのかも?

ついでに、触れておくです。
丸が天、十字が地、そう見ると陰陽そっくり。
飛鳥昭雄と三神たけるは、陰陽こそカッバーラと指摘しています。
ケルトの影響が色濃く残るイギリスが、日本と妙に似た民俗なのは偶然だったのでしょうか。

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