引っ掻く者
北海道で、“引掻く”が“かっちゃく”であることは知っていました。
そしたら、さらに長崎で“かっしゃぐ”であるとの情報を得ました。
ここではたと思ったのです。
“やく”“やぐ”とは、“かがやく”“はなやぐ”の“やく”“やぐ”ではないかと。
ならば、“かっち”“かっし”も“かが”“はな”と同様に、「あたかも何々のような」の「何々」に当たるのでしょうか。
“かっちゃく”や“かっしゃぐ”の意味を、「あたかも“かっち”あるいは“かっし”のような」とみても、良いのでしょうか。
もしそうなら、“引掻く”とは「あたかも“かっち”あるいは“かっし”のような」ことをするとなりますね。
“かっち”あるいは“かっし”が、引掻く存在として知られているということでないでしょうか。
ならば、これは欧州の猫の読みからして猫であるかもしれないです。
そういえばヨーロッパで猫は、cat、chat、Katze、gato、gatta…。
ここで面白いのは「とほ」に漢字を当てると「徒歩」となるけれど、漢字の読みとしては「かち」も出て来ることです。
大辞林では意味はこうなります。
かち 【〈徒歩〉/徒】
1)乗り物を使わず歩くこと。とほ。
「母御の―にて歩(あゆ)ませ給ふが御痛敷候/太平記 11」
(2)陸路を行くこと。
(3)武士の身分の一。江戸時代、幕府・諸藩とも御目見得以下、騎馬を許されぬ軽輩の武士。おかち。
(4)「徒侍(かちざむらい)」の略。
(5)「徒士組(かちぐみ)」の略。〔(3)~(5)は「徒士」とも書く〕
ところが「徒」(あだ)は、つまらないとか、無駄ということで、つまり「徒歩(かち)」とは「無駄な歩き」と言うことにもなってしまうのです。
「かち」と言う読みの方が、「とほ」より古そうですね。
その可能性はあるでしょうね。
つまり歩くことが注目に値する存在が、もともとの「かち」の意味だったのではと思えてくるのです。
足があれば歩いて当たり前、それが注目に値するのは、それ自体が注目に値する存在の歩きとなるでしょうね。
ならば、「かち」とはその存在そのものの名前となるのでないでしょうか。
その可能性が高い存在とは?
この「かち」も、やっぱり猫でないでしょうか?
となると、一緒にいた人は馬にでも乗っていた遊牧騎馬民族で、猫は遊牧地で気ままに歩いていたのでしょうか?
この遊牧騎馬民族は、欧州との関わりはあったのでしょうかねえ。
| 固定リンク
「民俗」カテゴリの記事
- 聖書の警告を馬鹿にすると馬鹿を見るというのは心配のしすぎだろうか。(2025.01.08)
- 鯛を食することとイエスの象徴を口にする聖餐式が通じるのか。(2025.01.02)
- 塩麴を味わいながらふと思う。(2024.12.28)
- 神は科学や技術に形を変えて今も生きているのではないか。(2024.12.24)
- 明治になって南朝を正統としたとされるが三種の神器の所在だけが理由なのか。(2024.12.19)
「言葉」カテゴリの記事
- 誰一人取り残さない世界、環境問題に全ての人が協力して行動できる世界、それが今求められている。(2025.01.20)
- あなたは聖書の終末預言をご存じだろうか。(2025.01.18)
- 私たちの世界でいつの間にか科学や技術やそれによる産物が事実上の神や偶像になっていないだろうか。(2025.01.17)
- 本当に抑止力行使って役に立つのか?(2025.01.16)
- 今こそ国際的な市民レベルの連帯で法と正義によって問題解決の流れを作る大運動を。(2025.01.13)
「猫」カテゴリの記事
- 日本は古代中東の遺伝子の引っ越し先か?(2025.01.20)
- やはり猫はイエスのメタファーだった。(2024.11.08)
- 猫で繋がる古代エジプトと古代イスラエルと日本。(2024.11.05)
- 猫は侮れません。(2022.09.19)
- 声を大にして言いたい!塩とミネラルをもっと見直した方が良い!(2021.02.09)
コメント