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重陽と菊と月餅と…。 

旧暦の九月九日は、重陽の節句です。
陰陽では、奇数を陽に、偶数を陰に、配します。
九は一桁の陽の数では最大なので、九が重なる九月九日が重陽と呼ばれるようになりました。

旧暦の九月九日は、現代のカレンダーでいえば、十月二十五日頃になります。
旧暦では菊が咲く季節であることから、菊の節句、とも呼ばれます。

俳句で「今日の菊」といったら、重陽の節句の菊のことです。
旧暦の九月九日の菊をさし、以後のものは十日の菊とか、のこりの菊、残菊などと呼ばれてあまり好まれません。
つまり重陽の節句は、菊の盛時なのです。

重陽は菊が主役といってもいい節句なために、菊がまだ出回らない新暦の九月九日では廃れてしまいました。
それで、ご存じない方も多いでしょう。

一年を通して菊がある今、旧暦九月が菊の季節だったといっても、実感はわかないでしょうね。

平安前期の宇多天皇の御代、宮中の重陽の行事として取り入れられ、『紫式部日記』などに記述が見られます。
近世に入ると「白菊には黄色の綿を 黄色の菊には赤い綿を 赤い菊には白い綿を覆ふ」(『後水尾院当時年中行事』)とされ、幕末まで行われていました。

早朝に菊花にたまった朝露を飲むと、長寿によいとされます。
前夜花の上に綿をかぶせておいて露や香りを、採り込む着せ綿といいます。
宮中でこの日天皇が菊酒を臣下に賜ったという古事から、菊の節句といいます。

菊は、桜とならんで日本の名花の雄です。
観賞菊の交配が盛んで、二千種ともいわれ、キク科でないものまで入り込んでいます。
それだけ、日本人に愛されている花といえるでしょう。
天皇家の紋は花びらが十六弁、皇族のは十四弁です。
なお、天皇家の紋は、私的には十二弁菊花紋です。
和菓子屋が菊を意匠して菓子を作るときは、この数を遠慮して十五とかそれ以外の花びらにするのが通例になっています。
菊は国花であり、別名も多いです。

菊という名称は元来漢名で、和名ではサギナ(左岐奈)といっていましたが今では菊で通っています。
不老長寿の霊草として、チギリグサ、ヨワイグサ、モモヨグサなどとも呼ばれています。
ともかくも菊の節句。
古事に習って早咲きの菊の花を酒に浮かべて長寿を願い、ほどほどに飲む、というのも一興でしょう。

中国菓子「月餅」は本来この日のための食品です。
大皿に山盛りにした月餅を中心に、大家族主義の中国では各家族親族が寄り集まって長老を中心に大ホームパーティを開きます。
八月は北京市内8ヶ所ある菓子工場はどこもこの月餅生産の追い込みでたけなわになるとか。
菓子工場は北京に集まっていますが、その日一日の消費量は大変な数になるそうです。

しかも多民族多宗教国家、イスラム教徒には豚肉やラードを使わないタイプを別につくるなど種類も豊富です。
半年も一年も前から、この九月九日の重陽節でもちいる月餅の製造を始めるそうです。
水を一滴も使わない製法で、大陸の乾燥した空気の中でそのまま倉庫に放置していても日持ちがするのだそうです。
中国には実は、「菓子」と言う言葉や概念は無く、「果子(カーツー)」という似た言葉はありますが、これはおもに木の実や砂糖漬けにした果物類をさします。
食事以外に休憩や嗜好の目的で、あるいはお茶受けとして何かをつまみにするという習慣もないそうです。

中国ではお菓子を3時のおやつに食べるという習慣はないそうですね。
そのかわり、甜点心といって、甜点心は料理の中の1つなわけです。

 そういえば、シュウマイなども甘くない、つまり甜でない、点心ですね。

でもお茶請けや酒のつまみはちゃんとあって、それが、かぼちゃやひまわりの種、つまり果子あるいは木の実なわけです。

 それが菓子に転じたんじゃないでしょうかねぇ?

そうかも。

菓子は、名前からいっても、木の実や種が起源の可能性はあるです。

 中国語からみると、果物は「水果」ですね。
 水分の少ない木の実に対して水分が多いので、こう呼ぶのでしょうかねぇ。
 中国語では、菓も果も同じ字なんですね。

作られた菓子の登場で、本来の菓子は、水菓子と呼ばれるようになったです。
ところが、果物や果実という呼び方が一般化してきたので、水菓子は「水ようかん」「ところてん」「かんてん」「ゼリー」や「ババロア」など水分の多そうな菓子の名称になりつつあるようです。

 日本でも懐石料理なんかでは、果物を「水菓子」といいますねぇ。

日本では菓子と思われる月餅やアンまん肉まんなどは、朝の出かける前の朝食にしたり、飲茶の点心のような軽い食事であったり、料理コースの中の一品であったりするそうです。
贈り物にもあまりしないそうです。
酒のつまみの小料理なども特に無いようで、酒を飲むことも食事の一環なのでしょう。

ところで九月は、菊の月ですが、江戸ではいつの頃からか、大輪や変わり咲きを競い合う菊作りが盛んになりました。
ことに江戸中期頃からは、庶民の暮らしが安定しはじめ、余裕が出てきました。
生活に余裕が出てきたことで、菊つくりを競うことは、さらに盛んになりました。
百軒以上もの菊作りがその技を競い、菊花でさまざまな形を作る菊人形も生まれました。
菊人形をを見物に行くのも、庶民の大きな楽しみの一つとなります。
しかし菊人形は、奢侈禁令に反すると、天保以降はお上によって廃止されました。

わが国では、『日本書紀』に天武天皇十四年九月九日に宴が催されたことを記述しています。
また、平安時代初期には、嵯峨天皇が神泉苑で詩を作る宴を催した記録があります。

平安時代の史書『類聚国史(るいじゅうこくし)』には、淳和天皇天長八年紫宸殿(ししんでん)に文人を召して詩を賦し、重陽の宴を行ったことが記されています。
御帳の左右に茱萸の袋を掛け、御前に菊をさした花瓶を置き、詩を作り、終わってから氷魚(ひお=鮎の稚魚)を食べ、菊の花を浮かべた菊酒を飲みました。
そして、時代が下がりますと、前夜に真綿を菊の花に被せて夜露に湿らし、九日の朝にそれで肌をぬぐうと長寿を保つという、着綿(きせわた)の習慣も加わりました。
これは花の香りを綿に移し取り、この香りをもてはやしたもの。
『枕草子』にも「九月九日は、暁方より雨少し降りて、菊の露もこちたく、覆いたる綿なども、いたく濡れ、うつしの香ももてはやされたる」とあります。

江戸時代になると、重陽の節句として菊合(きくあわせ)が大名の間で盛んに行われました。
実物の菊を比べ合わせる行事であり、菊の品評会であります。
これ以降菊の栽培も盛んになり、菊の名所ができ、また菊人形なども作られたものです。
現在では、時期的には月遅れで菊花展が開かれています。

古くから中国の影響を受けてきた我が国は庶民でも、もちろん重陽を祝っていました。
江戸の庶民達の間では、重陽をはじめとした五節句には、親戚や手習い、遊芸の師匠のもとへ進物を携えて挨拶に回るのが習わしになっていました。
こよみに五節句(節供)があります。

 一月七日 (人日じんじつ) 七草の節句 無病息災を願う
 三月三日 (上巳じょうし) ももの節句 女児の成長を願う
 五月五日 (端午たんご) 菖蒲の節句 男児の成長を願う
 七月七日 (七夕しちせき) 星祭り 技巧の向上を願う
 九月九日 (重陽ちょうよう) 菊の節句 不老長寿を願う

商店はたいてい営業しているのでお店をしている者は別ですが、職人達は節句休みといって仕事を休むことが多かったようです。
今日、戦後に制定された「九月十五日敬老の日」にはこの意味合いが生かされ、現在に続いています。

民間では「お九日」と呼ばれていましたが、これが後に音便変化して「おくんち」と呼ばれるようになります。
現在「おくんち」は新暦になったことにより必ずしも陰暦九月九日には行われず、その地区により十~十一月の適当な時期に行われていますが、収穫を祝う秋祭りとして実施されています。

和歌山県などでは、陰暦九月九日を栗の収穫期にあたるので栗節句といい、栗の実を贈り、栗ご飯を神棚に供えて祝う習慣があります。

九州地方でも、九日(おくんち)といって重陽の日を尊んでいたといいます。
長崎のオクンチの本来的には重陽の節句のことで、収穫祭の日取りとしてもっとも早いもののひとつです。
また地方によっては三九日(みくんち)といって、九月九日、十九日、二十九日の三回の祭日を行うところが多いのです。

そして、今日一般では、菊酒を飲む習慣はありませんが、京都の上賀茂神社では重陽神事の烏相撲の終了後、参列者に直会(なおらい)として菊酒が授受されます。
これは宮中で行われていた年中行事に倣って神事化されたものです。

風流な行事の名残りとして、菊の花びらを浮かべて菊酒をいただくというのも残しておきたいものですね。

 皇室といえば、菊花紋と思うのが一般的ですね。

でも、桐紋、とくに五七桐紋も、皇室の紋章ですよ。

政府の会見には、会見台についている紋ですね。

ちなみに、皇室の菊花紋、十六弁は対外用、十二弁は対内用、だそうです。

十二が十二支族と同数なので、古代イスラエルと関連付ける議論もあるけど、十六が方位くらいしか思いつかないなど、説明不足な感もあるです。

それより、中東の菊花紋によく似ているけど中の円が大きなものがあることから、菊花紋の正体は太陽だという説のほうが、興味深いです。

 今では重陽の節句を祝わなくなりましたけど
 どうしてかな。
 敬老の日とは全然趣旨が違うのにね。

重陽の節句は菊が主役な祭りなだけに、新暦になってから栽培技術の開発されるまで九月九日ころの店頭になかったことは、打撃だったかも。

夜菊の花の上に綿を置いて、夜露にぬれてうつった菊の香りを楽しむ風習があったって聞いたことがあります。
優雅ですよね。

 菊酒っていうのも風雅ですね。

中国では重陽の節句はかなり盛んですね。
月餅は賄賂の対象になるほど、高価なもの、手に入りにくいものもあるそうです。
または何の変哲もない月餅の餡の中に金品を忍ばせておくとかもあるそうですよ。
月餅を食べるのは、家族みんなが円満に、という意味がこめてあるです。
大きな丸い月餅をケーキのように切り分けて食べるのが普通で
日本で売っている小さなものはいろんなものが小型化している最近になって
出回るようになったものです。

菊は一年中ある花になってしまったけど、こういう風雅な風習は残っていてほしいです。

 去年たまたま、菊の品評会を見たんですけど、
 菊にもいろいろあるのですね。
 でも、品評会に出すように育てるのは大変そうです。

そういいますね。

 あたしの中では、菊の花ってねえ。
 今まではお墓参りとか葬式ってイメージだったなぁ。
 こうして知ってみると、見方が変わっておもしろいですね。

おもしろかったですか。

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