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2008年10月

かっちゃく、かっちゃぐとヨーロッパが見える?

以前、こんなネタをやったことがあります。

北海道で“引掻く”が“かっちゃく”であることは知ってました。
そしたら、さらに長崎で“かっしゃぐ”であるとの情報を得たのです。

ここではたと思ったのです。
“やく”“やぐ”とは、“かがやく”“はなやぐ”の“やく”“やぐ”ではないかと。
ならば、“かっち”“かっし”も“かが”“はな”と同様に、「あたかも何々のような」の「何々」に当たるのでしょうね。

つまり「あたかも“かっち”あるいは“かっし”のような」ということでしょう。
そして、「あたかも“かっち”あるいは“かっし”のような」ことをするのが“引掻く”であるのは、“かっち”あるいは“かっし”が引掻く存在として知られているということでないでしょうか。

そういえばヨーロッパで猫は、cat、chat、Katze、gato、gatta。

 “かがやく”“はなやぐ”の“やく”“やぐ”も、なんだか匂うかも。

そうですね。

情熱的はromantic、悲観的はpessimistic、楽観的はoptimistic。

 あ、“tic”と、“やく”や“やぐ”は、使用法も音も、微妙に似てるような?

ならば、これは欧州の猫の読みからして猫であるかもしれないです。

 引っ掻く存在が猫!
 面白いよね。
 この話、すごく気に入ったよ。

 ウチの母は東北ですが、かっちゃくです。
 わたくしもそれが普通だと思った。
 母の言葉しか知らないので。

 猫は、かっちゃくんですよ。
 痒いところも、かっちゃくです。

 あ、うちの猫はいい子なので、あまりかっちゃかないですよ。

かっちゃく、東日本のかなり広い範囲で言っているようですね。

たしか、ヨーロッパの先住民にケルトがいたです。

 イギリスも結構、ケルトっていませんでしたっけ。

ケルト民族は言語的に、ゴイデル語系とブリトニック語系という2つのグループに分けられるらしいです。
 
 ゴイデル語系は、アイルランドとスコットランドのゲール語、マン島のマンクス語。
 ブリトニック語系は、ウェールズのウェールズ語、コーンウォールのコーンウォール語、ブルターニュのブルトン語。

そのうち、現在まで日常言語として残っているのは、ゲール語とウェールズ語だそうです。

 ブルターニュのほかは、ほとんどイギリスですね!

 ケルト文化、奥深くて面白いです。
 今の「イギリス」に住んでいる住民とは、違うんですよね・・・。
 ウェールズでは、今もウェールズ語の授業があるそうです。

アイルランドの第一言語は英語ではなくアイルランド語、これはケルト民族が使っていたゲール語です。

ウェールズ地方は山が多い地方です。
この地形のお陰で、ケルト民族はこの地に生き延びて、独自の文化を育んできたです。

 アイヌのご親戚は、アメリカのケネウィックに見つかったけど、はじめはイギリス系白人と思われていたですよね。

幕末から明治のはじめのころ日本に来たヨーロッパ人のなかには、日本にはイギリス的な顔がいると書き残した人もいるです。

 イギリスと日本、変なとこ似てるような?

比べると面白いかも。

 オペラの「ノルマ」も、確かケルト民族とローマ帝国の間の男女の話でしたっけ・・・・・?
 違ったかな?

オペラ「ノルマ」は確かに、ケルト民族とローマ帝国の間の男女の話です。

テノールが元気よく歌うポリオーネは、ローマ帝国のガリア地方総督。

原作ではソプラノだけど、今では多少落ち着いた感じのメゾソプラノが歌うことが多いアダルジーザ、ケルトの戦いの神イルミンスルの神殿に仕える若き巫女。

題名の「ノルマ」も、女性の名前。

ソプラノが愛らしく歌うノルマは、巫女の長で、バスで重々しく歌われるドルイド教徒の長オロヴェーゾの娘。

ポリオーネは最初、ノルマを愛していたけど、落ち着いた感じのアダルジーザに心奪われたと告白するところから劇は始まる。

そういう物語だったですよね。

 マリア・カラスが歌ったノルマが、私の愛聴版です。
 ケルトの神秘的な文化、凄く好きです。

 ケルト=アイルランドだと思っていたのですが、そうではないようですね。
 ケルト音楽のCDを一枚持っているのですが、すごく懐かしい感じになるんです。
 民族音楽の響きがあるからだと感じています。

ケルトは、どうにも気になる民族ですね。

追記

細かい点で多少気になる部分はありますが、日本語と英語の単語比較が面白いです。

英語と日本語の謎 ろばみみみ

http://tsu.cocolog-izu.com/a/2006/02/post_6e4a.html

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日ユ同祖論をふりかえると。

イスラエル北王国がアッシリアに滅ぼされ、祖国を追われた同国民がいずこかへと消え失せたのが西暦紀元前721年です。
そこから、世界史屈指の謎とされる「失われたイスラエル10支族」探しが始まります。
今日10支族の末裔がいた可能性がみられる地には、インドカシミール地方・アフガン・中国などが上げられるです。
これらを地図の上におとすと、彼ら10支族の行程としてシルクロードが浮かび上がるのです。

 当然その先に日本があるわけで、こういう疑問が浮かび上がりますよね。
 「彼らは日本についちゃったのか!」

そこで浮かび上がるのが、「日ユ同祖論」です。
「日ユ同祖論」は主に日本人とユダヤ人によって提唱され「日猶同祖論」とも書かれるけど、日本人とユダヤ人は、共通の先祖を持つ兄弟民族であるという説です。
アカデミズムからも伝統的宗教組織からも、証拠の少なさを理由に、認められていない説でもあります。

日ユ同祖論は、主に三つの立場があるのです。
古代イスラエルの「失われた十支族」が日本に来たという説です。
古代イスラエルの「失われた十支族」のみならず十二支族全てが日本に来たという説です。
古代日本人がユダヤ人の先祖であるという説です。

 ま、わたしゃさすがに日本人がユダヤの祖先というのはないと思うけど。

それは、同感です。

議論の歴史を振り返ってみますね。

日本宣教の過程でフランシスコ・ザビエルは、当時の日本社会に一種独特なキリスト教的な雰囲気を感じ、昔、日本にキリスト教が伝わったと思ったそうです。
でもザビエルは、自らの直感を裏付ける証拠を色々探したけれども見つけられなかったというのです。
ザビエルは、聖書と全く無関係なはずの日本人とキリスト教の共通性にふれた最初の人物だけど、日ユ同祖論を唱えた訳では無いです。

1690年に来日したドイツ人エンゲルベルト・ケンペルは著書「日本誌」で、日本神話の高天原はバビロニアにあったと主張したといいます。
日本スメル起源説も含め一連の日本中東起源説は、ここに始まるといっていいでしょう。

1823年に来日したドイツ人シーボルトは著書「日本」で、日本人の起源の候補の一つとして中央アジアを考えられるとしたです。
彼が日本人とイスラエルの失われた部族との関わりや、ケンペルのバビロニア説を意識していたかどうかは、不明です。

実質的な日ユ同祖論の歴史は、スコットランド人ノーマン・マクラウドの著作 「日本古代史の縮図」によって始まったと言えるです。
なお、彼は数多くの図譜も公表しているけれどその多くは今でも興味深いものです。
明治期に貿易商として来日した彼は、日本と古代ユダヤとの相似性に気付き、調査を進め、世界で最初に日ユ同祖論を提唱し体系化したです。

マクラウドは韓ユ同祖論も唱えていたので、なんでも失われた十部族と結びつける、いい加減な人物であったという意見もあるがそれは言いがかりです。
彼の主張は、十部族の内の主要な部族は朝鮮半島を経由して日本へ行ったが、ダン族など残りの部族はそのまま半島に留まったというものだからです。

ザビエル、ケンペル、シーボルト、マクラウド以外の日本を訪れた欧州人にも、他の地域の民族に感じた以上の高い精神性を当時の日本に指摘する声は多く、彼らの主張はその起源を探ろうとする試みであったとみることも、可能かもしれないです。

聖書の預言を十部族に適用すると、こうなるという声があるのですよ。

エレミヤ書 16:13には「わたしは、お前たちをこの地から、お前たちも先祖も知らなかった地へ追放する。」とあり、地中海世界やアラブ、中央アジア、インドなどは十部族の定住先の候補から自動的に除外されるです。
イザヤ書11.12では、十部族を「イスラエルの追いやられた者たち」と呼んでいるが、この「追いやられた者」とは、「割礼なき者」を意味する言葉でもあり、割礼の習慣を持つ民族は、十部族の候補から自動的に除外されるです。

神武(jinmu)天皇、つまりカムヤマトイワレヒコの誕生日は庚午年1月1日と推定され、西暦紀元前711年2月13日にあたるです。
『日本書紀』の日本神話の神武(jinmu)東征によれば、イワレヒコは西国の日向から東方へ遠征したです。
そして数多の苦闘の末に大和・橿原の地に到達、即位し初代天皇の神武(jinmu)天皇となったとされるです。
それは、辛酉年春正月庚辰朔で、西暦紀元前660年2月11日と推定されているです。

この神話は、日本人の始祖は日本列島よりも遥か西の地から出た民族であり、何らかの事情からその地を離れ安住の地を目指して東方へ移動したことをさすのだと主張する者もいるです。

神武(jinmu)天皇の誕生年は紀元前711年、一方イスラエル10支族が失踪したのは紀元前721年、その差僅か10年です。
これらの事から神武(jinmu)天皇=失われたイスラエル10支族を意味し、東征神話=イスラエルから日本へ達した彼らの旅路を示すものではないかというものです。

 これは面白い。
 当時の事情を考慮した上で、丁度10年での移動が自然かどうか検証する価値ありですね。

 古代イスラエル系中東人としてなら、ある程度きている可能性を否定するのは難しいけれど。

それに、10年は生まれた年との差なので即位との差60年を見れば、もっと余裕があるようです。

さらには応神(oujin)天皇まで架空だという説もあり、そうなるともっと時間的に余裕ができるわけで、さらに可能性がでちゃうのです。

 確かに、可能性の幅が広い、ということは、悪いことではないのです。
 でも、あまり広いと、検証に膨大な時間がかかりそう。
 そのうえ、まかり間違うとトンデモ扱いされかねないから、痛し痒しですね。 
 その点を上手くクリアできたら、良いのですが。

いっぽうで、古代イスラエルからの影響を考えたほうが理解しやすいことも日本側にあるわけです。
そうでなければ、これだけしぶとく同祖論が残るわけがないのも事実です。

 ほんと、面白いですね!
 確かに、応神(oujin)天皇についても、架空説がありますからね。
 こういう切り口で、真面目に研究した人いるのかしら。
 やっぱり、想像力、創造力が豊かでないと、
 こういう発想できないからな。

日ユ同祖論ってかなり面白い話題がいっぱいなので、とんでもにならないよう気を使いながらできるだけ取り上げていくつもりです。

 日ユ同祖論は、あなたの話ではじめて知りました。
 もともとの教養がないから、難しく感じて分からないところも多々あるけどね。
 すっごく面白い説ですのね!

ま、証拠としてあげられてるものをみてるだけでも、へー!から、なんで?まで、いろいろありますね。

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オオタタネコは猫神官?

日本史の謎、邪馬台国。

所在地候補は、近畿と九州にほぼ絞られた感じは強いです。

四国の徳島に邪馬台国の祭祀場があったという説もでて、ますます九州説は分が悪いです。

とはいっても、珍説・奇説も負けてはいないです。

魏志倭人伝をまともに読むと、邪馬台国は沖縄周辺の海上になってしまうからです。

沖縄説は、まだかわいいです。

ジャワにあった、フィリッピンにあった、などはまだ御愛嬌です。

珍説・奇説は日本周辺は何でもあり、の状態です。

もっと笑っちゃうのが、古代エジプト説です。

どこをどう見たら、エジプトまで行っちゃうわけでしょう。

魏志倭人伝から見れば、笑い話の邪馬台国古代エジプト説です。

でも、日本古代を見ると、笑ってばかりもいられないです。

どう見たってありえない邪馬台国はさておき、古代日本はエジプトが透けて見えます。

太陽神を中心とした、動物神を含む八百万の神です。
しかも、女性神とされる天照大神は、本来、男性神の天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊です。

ファラオは地上における太陽神、天皇は天照大神の子孫であり神とされたので、やはり地上における太陽神と見ても良いです。

太陽の船は、日本でも絵は少なくても見つかります。
ピラミッドは、各国にあります。
日本にも、ピラミッドと見られる山はいくつかあります。

ところが、ギゼーのピラミッドと構造と思想を共有するトンカラリンのような遺跡が日本にあるのです。

吉村作治は九州の謎の遺跡、「トンカラリン」には、ピラミッドと共通点が多いと指摘します。

 入り口の大きさ
 通路内部の斜面の角度
 通路に大回廊のような部分があるがその高さ
 角に切込みを入れた石組み

トンカラリンは途中から通路が曲がり外に向かうので、吉村作治はピラミッドのような生まれなおしの思想があったと解釈します。

ちなみに、トンカラリンとは、熊本県和水町にある全長464.6mの隧道型遺構です。
隧道とは、トンネル状の構造物のこと。
位置は、国指定史跡の江田船山古墳がある、清原(せいばる)台地のあたりです。

日本とエジプト、似た思想が見えるのは、面白いですね。

生活の基礎である、食の好みの共有です。

ファッションについても、女性はさておき、男性については庶民段階ではあっても腰に巻いた衣装で上半身を露わにして品位が問われないです。

武将や武士でも、鍛錬の場であれば片肌だけでなく諸肌脱ぎを平然としています。

男性の衣装で、肩までは出しても、胸まで露わなのは、少なくても高度な文化や文明を築いた国や地域では、日本や古代エジプトくらいに思えます。
女性の服飾についての比較も、もっと資料があればしてみたいです。

ネコという名前のファラオがいて、日本の天皇がオオヤマトネコ、ペルシャ語やアラブ語にネコがあるのは偶然でしょうか。

エジプトでは、今も昔も、猫をオッタと呼びます。
もっとも、古代にはマウという呼び方もあり、いつからオッタになったのかが気になります。

日本には、オオタタネコという人物がいたです。
大田氏の流れとされるというから、オオタノネコと見てもいいのでしょうか。
もし良ければ、オッタノネコと解釈しても良いのでしょうか。

オオタタネコは、三輪神社の祭司だったはずですね。
オッタノネコであれば、猫の祭司とみなせるのでしょうか。

猫の祭司とすれば、この猫は当然、神であるはずです。
最高神が太陽神であれば、太陽神は猫神だったのでしょうか。
猫神が太陽神であるなら、古代エジプトにこれまたそっくりとなります。

まさか、古代エジプトに日本人がいて、猫を見てはオッタ、オッタと言って喜んでいたのでしょうか?

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イエスはマジシャン?

Technobahnの 2008年10月2日付けに、こんな記事発見しました。

 キリストの実在を示す直接的史料、アレキサンドリアでキリストの名前が刻まれた世界最古の壷が発見

奇跡を起こしたり、神の子と呼ばれたり、そんなこんなで実在を疑う人も居るイエスなのです。

そこで、論争に決着付けるべく証拠探しする人たちもいるのです。

 へえ、物好きがいますね。
 
 あ、こんな話し面白がってる私らも、そうかな?

でも、この人たちのおかげで、今回のネタがある…じゃなくって、貴重な情報も得られるわけです。
 
この壷の発見に成功したのは、水中考古学の分野では世界的権威となる、フランス人考古学者のフランク・ゴディオ(Franck Goddio)氏を中心とする発掘調査グループだそうですね。

 フランク・ゴディオって、欧州海底考古学研究所の代表ですって。

見つけちゃったのか、見つかっちゃったのか、それはさておき。

 おかないでよ。

発見場所は、アレキサンドリアの海中遺跡。

発掘調査グループがこの壷を発見したのは、海底遺跡での発掘の過程でのことだそうです。

この壷を調べたところ、わかったのはこれ。
 
 紀元前2世紀から紀元1世紀のものであること。
 
 壷の表面には古代ギリシャ語で、「DIA CHRSTOU O GOISTAIS(魔術師たるキリストによるもの」という意味)」という文字が刻み込まれていること。

“GOISTAIS”とは、古代ギリシャ語で“magician”のことです。

 イエス生誕が、紀元1世紀じゃないの?

イエスの生まれたのが紀元一年とされた年よりも前であったと、後の研究でわかったからですよ。

 じゃ、いつよ。

紀元前4年頃から紀元後28年頃とか、 紀元前7-2 年頃から紀元後26-36 年頃とか、いろいろ言われてるようですね。

 どっちにしても壷の年代は、この間なので問題ないわけね。

発掘調査グループでは、この壷についてこう言ってるのですと。
 
 キリストについて直接言及した史料としては、世界最古のもの。
 
 キリストが実在した人物であることが、証明された。

 キリストの同時代には、キリストは「魔術師(magician)」的存在として見なされていた貴重な史料。

新約聖書「マタイによる福音書」には、「東方のマギ」と呼ばれる賢者達が壷を使って儀式を行ったという記述が残されています。
マギ(magi)はマゴス(magus)の複数形で、英語のmagicの語源です。

発掘調査グループでは、今回発見された壷に刻まれた「GOISTAIS(magician)」という表現もこのマタイ伝にあるマギの由来する可能性を指摘しています。

フランク・ゴディオ氏を中心とする発掘調査グループは、こう見ています。

当時のマギは、壷にキリストの名前を刻み込むことで彼らの神秘的能力を正当化していたのではないか、と。

 問題は、このマギの正体は何者かってことだけど。

残念ながら、彼らの関心は、ここにはないから書いてないですね。

マギとは、拝火教祭司とか、マジシャンの語源として聞いたことはあっても、何者かとなるとあまり知られていないようです。

もともと、アヴェスター語形マグ(magu、あるいは、maγu)に由来しています。
イラン高原北西部の地方にあったメディア王国で、宗教儀礼をつかさどっていたペルシア系祭司階級の名称なのです。
ちなみに、イエス誕生の話しで登場する東方の博士はマギであるとみなされているのは、よく知られています。

 え?
 イエスって、ユダヤ人なはず。

 なんで、ペルシャの神官がここにでるの?

古代イスラエルと古代ペルシャ、謎は多いので私も気になってるですよ。
ま、それはさておき。

 また、おくの?

キリスト教文明を知る上で、キリストと同時代のキリストに関わる史料の発見に成功したことは、近代考古学史上、稀に見る成果となりそうと期待されています。

 うわあ、すごい発見ですね!
 マジシャンですか・・・・ 。
 確かに、数々の奇跡を起こしたといわれているからねえ。
 マジシャンなのかな。

ただ、当のマジシャンの中には、こういう声もあるようです。

 とてもかなわない、軽々しくマジシャンだったなんていわないで。

催眠術師も、大勢一斉に奇跡を見せたイエスのまねは、集団催眠では無理といってましたね。

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蹴鞠

日本にも昔、日本サッカーの原点とも言える、蹴鞠と呼ばれるスポーツがあったのです。

蹴鞠の装束は昔から決まっています。
黒の烏帽子に、色とりどりの袖の広い水干、葛袴、牛の皮の沓。
古来、こんな優美な装束の鞠人が、鹿皮でできた鞠を「アリ」「ヤア」「オウ」の掛け声とともにけりあげてきたのです。

蹴鞠に使われる鞠は、通常の球技用のボールのように空気がぱんぱんに入ったものではなく、案外ぺこぺこしたもの。
思い切り蹴っていても、普通のボールのように弾力よく飛んでいったりはしないようになっているのです。

蹴鞠は、1,400年前大和朝廷時代に、中国から日本に伝えられたといわれています。
雌の鹿皮でできた鞠を、色とりどりの王朝由来の鞠装束(まりしょうぞく)に身を包んだ、鞠人(まりびと)がおこなう優雅な行事です。
勝敗を争うのではなく、ボールリフティングなのです。
因みに、鞠は馬の皮で縫い合わせるのだそうです。

中大兄皇子(のちの天智天皇)と藤原鎌足が法興寺で蹴鞠をし、この時の蹴鞠が大化の改新のきっかけになったといわれています。

平安時代に盛んになり、鎌倉時代には武士階級にもひろまるようになったです。
室町時代を経て江戸時代に入ると、町人の間でも行われていたです。

 蹴鞠って、平安時代くらいまでのものと思っていました。
 江戸時代まで遊ばれていたんですね・・・・・

奉納としては、今でもありますけど。

家元制度を取り、諸事作法を細かく唱え、優劣を競うものではないけれど、ボールリフティングなので回数や記録は残っているそうです。

掛け声「アリ」「ヤア」「オウ」は、三神をあらわしたです。

人数は広さに合わせて、六人か八人、偶数でないとだめとのことです。
上半身を揺らしたり使ったりするのは、だめです。
使っても、せいぜい臍の下までです。
移動は必ず摺足で、蹴るのは右脚です。

 蹴鞠のやり方も知らなかったの。
 結構、いろいろ規則があるんですね。

 面白いですね。

六は六芒星、八はテファレトなのかです?
鞠(まり)を、リンガム鞠人(まりびと)をヨーニ、とみる、タントラかも。
偶数と左足は陰、鞠と右足は陽なのかも。
だとすると、陰陽太極の太陽神信仰が背景にあることになるのかもです。

「アリ」=「エロヒム」、「ヤア」=「イエス」、「オウ」=「ルーハ」と、対応しているのでしょうか。

蹴鞠は、単なる遊びではなく、結界を作る儀式なのかも知れないです。

では、どのような神の結界なのかです。

蹴鞠の人数は、六人か八人、偶数でないとだめというです。
六は六芒星、八は八芒星なのかです。
ちなみに、イスラムの文様には、八角形、八芒星がきわめて多いそうです。

偶数は、陰を表わすので、鞠人は男女を問わず、女性原理を表現する存在となるのかもです。

鞠を、リンガム、鞠人をヨーニ、とみる、タントラなのかです。
 
 それなら、このヨーニが指し示す女性とは誰。

移動は必ず摺足で、蹴るのは右脚です。
偶数と左足は陰、鞠と右足は陽かも知れないです。
だとすると、陰陽太極の太陽神信仰が背景にあるのかもです。
つまり、儀式で祀られる中心に来る神は、イエスというわけです。

そこで蹴鞠の神社とされる白峰神社で、祭神の神名が精大明神とあるのが、この謎を解く鍵になるのかもです。
 
 そうそう、白峯神宮は、蹴鞠の神様が祀られていることで有名ですね。
 場所は、京都市上京区今出川堀川東入ル。

 でも、御祭神は崇徳天皇、淳和天皇でしょ。

第75代天皇の崇徳天皇は、平安時代、元永二年(1119年)に御降誕されました。
鳥羽天皇・侍賢門院璋子の、第一皇子(顕仁親王)として。

「保元物語」「太平記」「雨月物語」などに名を残されるほか、「詞花和歌集」や西行法師とのかかわりなど、そのご事績は多彩です。
和歌・管弦の道に秀れ、王朝文化の発展に大きく寄与された。
百人一首の「瀬を早み岩にせかるる滝川の別れても末に逢はむとぞ思う」は、あまりにも有名。

保元の乱により讃岐国に御配流となり、長寛二年(1164年)に現地にて崩御されました。

第47代の天皇の淳仁天皇は、天平五年(733年)に降誕されたです。
「日本書紀」を編まれた舎人親王(天武帝皇子)・当麻山背の皇子大炊王として生を受けられたのです。

「万葉集」には、お歌が収録されています。
藤原仲麻呂を重用して管制改革・租税軽減・窮民救済などの仁政を残されました。

ところが、弓削道鏡の専横・仲麻呂の乱を契機に、淡路島に御配流となり天平神護元年(765年)に崩御されたのです。

 そうでしょ。
 それで精大明神って?

地主社して祭られている中に、精大明神があるのです。

白峰神社の地主社

 精大明神(球技・芸能上達)
 柊大明神(厄除延命長寿)
 今宮大神(無病息災)
 白峯天神(学業成就)
 糸元大明神(織物繁栄)
 伴緒社(武道・弓道上達)
 潜龍社(染・醸造守護)(水守護)

神社の名前となった、白峰天神もあるです。

 でも、京都の白峰神社って、明治天皇の時代でしょ。

幕末動乱のころ、孝明天皇は幕府に命じて「崇徳天皇」のご神威を仰がれようとされたです。
崇徳天皇は日本の大怨霊といわれるです。
その威光は、菅原道真や平将門も遠く及ばなかったというです。

しかし、孝明天皇は間もなく崩御。
父帝のあとを継がれた明治天皇は、維新の礎を固めるために父帝のご意志を尊ばれたのです。

 で、社殿を造営したのね。

四国坂出の御陵より、「崇徳天皇」のご神霊をお迎えしました。

続いて淡路島の御陵より「淳仁天皇」のご神霊をお迎えしました。

そこで、戊辰の役に備えて、明治帝は讃岐の白峰神宮に朝廷に仇をなさないように祈念したのです。
結果討幕が成ったために、それに感謝して勧請したのがこの神社の由来といいます。

御所に近いこの地は代々、鞠と和歌の宗家である公家飛鳥井氏の邸地だったそうです。
「精大明神」が祀られており、小賀玉の木のもとには、飛鳥井の井から清水が湧き、百万都市京都のオアシスともなっているというです。
小賀玉の木は、招霊(おぎたま)の意味を持つそうです。
春に芳香の花が咲き、夏は涼しい緑陰をつくる、この京都最大の神霊常緑樹である小賀玉の木は、樹齢数百年になると言います。

精大明神は、リンガムからヨーニに放たれる精を指すのかも。

 え、それってタントラ?

インドのタミル語と日本語を比べる言語学者も、いるくらいです。

ここで、鞠の形に注目したいです。
この鞠は卵に似た形を、しています。
神のリンガムから放たれた精を受け止める卵に見たてていいなら、ずばり受胎を意味することになるのかも。
精がヤハウエとみると、受精卵はイエスなのかも。
ヨーニを表わす鞠人が、マリアになるのでしょうか。

必ず偶数つまり、陰=女性原理に対応するからです。

さて、月のウサギが餅をつく話は、聖なる処女マリアがイエスを身ごもる話と見たら面白い展開になるです。

鞠=イエス=餅となるのです。
蹴鞠とは、月のウサギの餅つきでもあったのでしょうか。

鞠人が臼、右足が杵、鞠が餅にあたると思えます。
鞠人は、上半身を揺らしたり使ったりできなくて、使っても、せいぜい臍の下までです。
上半身を動かせないわけは、ここにあるのかです。

イエスの御名は、最高の魔除けの呪文と言っていいかも。
しかし、今はお隠れになられて、いわば陰の存在です。
陰のイエスは月の神とみていいとしたら、月は餅つきの「つき」なのかです。
餅つき自体が、イエスを指すのかです。

 蹴鞠とは、月の ウサギの餅つきであり、イエスの御名を唱える行為なのかな。

並大抵ではない、崇徳天皇と淳仁天皇の怨霊を封じこめるには、イエスにおすがりするしかなかったのでしょうかね。

あ、それと、鞠人の服装で思ったのです。
袖が、めっちゃ長いんですよ…。
 
 これ、ウサギの耳のつもりって?

かつて遊郭に行く客の中に、わざと上着を頭から羽織っていた人がいたそうです。
これを称して兔(うさぎ)と言ったとか…。
横から見るとなるほど兔!って感じだったそうです。

 長いけど、面白いです。
 なるほど~なんて思うところはたくさんあるのですけど
 
 これまでの事もそうだったようにね。
 いろんなことが、陰陽で説明がつくところがすごいと思うのです。
 
 陰陽の考えって基本中の基本なわけだから、当たり前と言われればそれまでだけどね。
 それですべての説明が付けられるって、やっぱり凄いです。

 鞠が馬と鹿の皮でできているって、面白いです。
 蹴鞠のルールも初めて知ったです。
   
 いつもおもしろいところの接点がありますね。

今回も、面白かったですか。

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鳥が飛ぶ正倉院

常陸国風土記の行方郡の条に、建間借命が国巣を討伐するとき、天之鳥琴・天之鳥笛を鳴らしてとあるそうです。
これだけでなく、この時代やたらと鳥が目に付くのです。

 え、そうなの?

正倉院御物には、どういうわけか鳥に関する装飾や絵が多いのですよ。
ちょっと気がついただけでも、挙げておくです。

大きな木の下に唐風の女の人が立っている図柄で、その女の人の衣や髪の毛、それに背景の木や岩には、鳥の羽毛がはりつけてあった事が分かっている、「屏風一つ 鳥の毛の女の絵のやつ」とある屏風のひとつである「鳥毛立女屏風」。

ペルシャ風の鳥形をした液体を入れる器である、漆胡瓶。

鳥が描かれる豪華華麗な錦の壁紙である、「唐花雙鳥文長斑錦」「花鳥梅花文錦」「縹地唐草花鳥文」。

胴には、貝殻やべっ甲の螺鈿細工で、駱駝、樹、鳥の絵がえがかれている、「螺鈿紫檀五絃琵琶」。

鏡の裏面には、貝殻の光る部分をみがいて薄くした螺鈿や樹脂が固まってできた琥珀で飾られ、花や鳥がデザインされている「平螺鈿背八角鏡」。

碁盤の側面には、ラクダ・草花・鳥などの木や象牙の小さな部品をよせて作った絵であるモザイクがあり、碁石の一つ一つに花をくわえた鳥がかかれている「木画紫檀棊局」。

薄い木の板に漆をぬり、その上に銀を切ってはりこむ「平脱」という技法で、唐草と鳥の模様がえがかれている「銀平脱合子」。

鳥を模った兜の形をした舞楽の際に被る装束である、「鳥兜」。

上半身が美しい女性で、下半身が鳥の姿をしているという想像上の生き物で、極楽浄土で妙なる声でなくといわれている伽陵頻伽。

 二つや三つじゃ、ないのですね。
 正倉院の鳥。

でも、古代日本の鳥は、これだけじゃないのです。

 どれだけ?

古代東アジアにおける首都内の官道名で、条坊制の都市において宮城や官衙の正面から南方にむかう道のことを、朱雀大路というです。
朱雀大路という名称は、南方の守護神である朱雀にちなむです。

 北の玄武、東の青龍、南の朱雀、西の白虎、でしょ。

この朱雀もまた、鳥なのは、ご存知でしょ。

 ええ。

藤原京に始まり、平城京、平安京へと受け継がれていったのです。

 宮城や官衙を都の北に置き、正面から南方にむかう道に朱雀と名づけたことの意味って、なに。

東西は方位なのはもちろん、南北も方位です。
 
南北には方位のほかに、南に下と地が、北には上と天が、配されるのです。

 都の北に置かれた宮城や官衙を天に、宮城や官衙に直接治められる都を地に、見立てたってことですか。

おそらく、そうです。

神の子孫である天皇に治められる都の、ほぼ真ん中を貫く朱雀大路。

これは、宮城を神殿に、都を鳥居に、それぞれ見立てているという想像をしてみても、面白いかも。

 天皇が居られる京(みやこ)そのものが、神社ってことかな。

京(みやこ)自体が神社であるとともに、天と地を結ぶ朱雀とみなしていたりして。

 朱雀大路って名前、気になっていたのですよ。
 どうしてこういう名前がつけられたのかと、不思議に思っていました。
 鳥との係わり合いですか・・・・・ 。

 鳳凰は鳳と凰とでつがいの中国伝説の鳥です。
 鳳凰は朱雀とも言われていますよね?

 鳳凰と言えば、フェニックスを思い出すのよね。
 フェニックスはエジプトがルーツでしょうか?
 東西の伝説の鳥です。
 関係があるのでしょうか?ないのでしょうか?

フェニックスは、エジプトがルーツか、ですか。

ええ、フェニックスは、エジプト神話の霊鳥ベンヌであるとされます。
数百年に一度、自ら香木を積み重ねて火をつけた中に飛び込んで焼死すると言われてます。
しかし、その灰の中から、再び幼鳥となって現れるというです。
ただ、この伝説はギリシア・ローマの著述家によってしか伝えられていないそうです。

古代のフェニキアの護国の鳥「フェニキアクス」が、フェニックスの元と言う説もあります。

東西の伝説の鳥。
関係があるのか、ないのか、ですか。

インドとペルシャは、民族的につながりがあって、神話や神々も共有しています。
東方の鳳凰が、西方のフェニックスと、まったく無関係と考える方が不自然かも。

鳳凰はその形態から、インド神話の神で、マレー半島、インドネシアの聖鳥ガルダ(迦楼羅)との類似が指摘されています。
ペルシャのカーラ、イラクのガルラ、などは正体とされる姿が違っても、名前が似ているのは気になるです。

けど、ガルダに人に似た胴の姿があり、ペルシャにも羽のある人の姿をした妖精のペリがいるのです。
ペリはペルシアの妖精で、ガルダのように男もいるが、多くは鳩のような白い翼をもつ美しい天女たちが現われるのです。
人間同様に子を生み育てるが、寿命が長くいつまでも若々しいとされます。
女も居るけど男も居るとされ、どこか雌雄があるとされる鳳凰を連想させられるです。

あ、そうそう。

ガルダには、鳥だけでなく、人に似た姿で描かれる場合もあるようです。

日本銀行から2004年から発行されている新一万円札の裏面を飾っている、鳳凰堂のモデルは鳳凰なのは知ってるでしょ。

日本では、宇治平等院鳳凰堂や京都鹿苑寺金閣の屋上にあるものが有名です。
古代から中世には、鳳凰の意匠が装飾に使用されることがよくあったです。

鳳凰は、羽ある生物の王であるとされ、鳳は雄、凰は雌を指すのです。

たしかに、鳳凰は、朱雀とも言われています。

鳳凰は、古くは風を司るとされたのです。
後には五行説の流行により、四神のひとつ朱雀と同一視されます。
例えば漢代の緯書には、鳳凰を火精としているものがあるというです。

鳳凰と言えば、フェニックスを思い出すのは当然でしょね。

鳳凰を、火精としているものがあるものです。
ただ、鳳凰は長い首、尾羽など孔雀に近い見た目をしており、そのルーツはインドにあるとされます。
それ以上に、鳳凰は雌雄の別があり卵も産むのに対してフェニックスは単性(雄)生殖をするとされているところに大きな違いがあります。

フェニックスは、永遠の時を生きるという伝説上の鳥ですね。
不死鳥、もしくは見た目または伝承から火の鳥とも言われてます。
世界各地の伝承では、その涙は、癒しを齎し、血を口にすると不老不死の命を授かると言われてますね。

フェニックスは各国語でこう呼ばれたです。
古典ギリシア語ではφοῖνιξ、ギリシア語ではphoenixと書いて古くは ポイニクス、近現代ではフィニクスと読まれ、英語ではphoenix(フィーニクス)ですね。

 人は鳥に憧れ、鳥を神聖化したのでしょうか。

人は鳥に憧れ、鳥を神聖化したのかについてですね。

ありえるかも。
鳥人伝承は、世界的な広がりがあるようなのです。

 やっぱり、空を翔る鳥ってねえ。
 人間にとって、特別な存在だったのかなあ。

特別だったのでしょうね。

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夢に一歩、踏み出すとき-自分を励ましたい人へ-

こういうときだからこそ、展望が要るでしょう。

展望を指し示せる人物が要るでしょう。

思い切った展望を打ち出して、方向を示すのは自分であると、大胆に売り込むチャンス、と思いますよ。

冷静になって、自分を売り込むにはどうしたらいいか、探った方が良いでしょう。

ここで、短気と自棄をおこしたら、自分をもっと追い込むことになるでしょう。

つらいのは貧しいことより、孤立すること、展望のないこと、と言われるでしょう。

孤立してないなら、次は、展望と可能性を広く探ることではないでしょうか。

でもしか独立と思うより、夢に向かって一歩を踏み出すと大見得を切っちゃう方が良いのでは。

開き直る手もあるでしょう。

でもしか独立じゃない、目的を持った独立へと、発想を切り替えて準備を平行していったほうが良いのでは。

今は、就職が安定と安心に結びつく時期ではないだけに、例え就職できても目的への足がかりにするくらいの気持ちで居た方が良いのでは。

気が乗る、乗らない、それで健康まで左右されちゃうようでは、なれない仕事で無理して心身傷だらけは避けた方が良いのでは。

当面は家賃払えて食べられればいい、いやな仕事で心身ボロボロよりまし、そう思えてきたなら、独立の方向で検討した方が良いのでは。

それより、目的実現に向けてアホになりきれるかどうか、の方が問題でしょう。

クールな頭とホットな心で、目的に向かって周りを巻き込めるくらいアホになれた方が、気が楽かも。

何を選ぶにしても、どうやれば生かせるか、見るってことでしょうね。

低賃金短時間のパートでも、家賃払って食べていけて時間はたっぷりと思えば、その時間をどう使うかを考えることになるのでしょう。

高賃金長時間の正社員なら、ボロボロにされないうちに抜け出そうと思えば、その賃金どう使って目的達成に生かすか考えることになるのでしょう。

見方次第ってことでしょうね。

どっちみち、夢に向かって行動する気なら、調子のいいときは誰でもやりたがる、前途多難でみんなが二の足を踏むときこそチャンスという見方もあるかも。

困難な時期を乗り越えられた実績は、強みになるのでしょう?

良いときは、どうなるかわからないリスクにたじろぐ、悪いときは、これ以上落ち込みたくないと保身に走る、そうやって夢は夢に終わっていくのが、大半の場合でしょう。

でも、今は何か失うものありますか?

命くらいでしょう?

どうせ見えない先ならば、夢を追いかけた方が、生きてて楽しいかも。

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日本の猫と欧州

2008年2月2日、時事通信社の記事に興味深いデータがありました。
御存じな方もおられるでしょうね。

それがこれです。

 日本猫は欧州に近い?=世界1万1000匹のDNA解析-米大学チーム

 尾が短い日本猫や毛が長いペルシャ猫は、遺伝的にはアジアや中東の猫より、欧州の猫に近い可能性が高いことが分かった。

米カリフォルニア大デービス校の研究チームが2日までに世界各地の約1万1000匹のイエネコのDNAを解析し、科学誌ゲノミクスに発表した。

 これまでの研究で、イエネコの祖先は中東に生息するリビアヤマネコと考えられている。

今回の解析の結果、約8000年前に中東で農耕・牧畜が拡大するとともに、ネズミを捕まえるヤマネコが家畜化されてイエネコになったとの説が確認された。

 さらに、その後、人類の移動につれて世界各地に拡散したイエネコは、遺伝的には欧州、地中海周辺、東アフリカ、アジアの4グループに分類できることが判明。

米国の品種と考えられているアメリカンショートヘアやメーンクーンは欧州グループに含まれ、17世紀以降に欧州から移民が持ち込んだ猫が遺伝的にまだ独立していないことも分かった。

米カリフォルニア大デービス校の研究チームが、科学誌ゲノミクスに発表したことを報じた記事なのです。

2日までに世界各地の約1万1000匹のイエネコのDNAを解析した成果だというから、文字通り速報といえました。

 UKに住んでいたときね。
 野良猫も含めて、よくみかけた猫たち、可愛かった…。
 確かに、日本の猫に近い感じでしたね。
 なるほど、そういう研究があるんですね。

欧州の猫たちが、映像や写真に登場すると、確かに日本の街角で顔を出しても気がつかない顔や柄って思いますよね。

日本の犬たちの大半は、アジアから来たと見られているのでしょうかね。
秋田犬が、欧州の犬に近い血液型パターンを持つことは指摘されますけど。
でも、ほかの地域の犬については、何の指摘も聞いたことはないですねえ。

私はこれを知ってから、猫についても誰か調査して欲しいとずっと思っていました。

尾が短い日本猫や毛が長いペルシャ猫は、遺伝的にはアジアや中東の猫より、欧州の猫に近い可能性が高いことが分かったと言います。

つまり、尾の短い猫の仲間を日本につれてきたのは、欧州に近い地域からきた人々なようです。
問題は、どこで尾が短くなったかです。

日本の文化、特に西日本を見ていくと、案外と地中海沿岸地域と似通っていることに気がつきます。

お好み焼きとピザ、タコ焼きとタコ食、阿波踊りとフラメンコ、西日本と南欧は奇妙に対応します。

それに対し東日本と中欧は遺跡、特にストーンサークル、食は煮物を好むとこが対応しそうです。

 今更ながらに知って、興味深いですね。

イエネコの祖先は中東に生息するリビアヤマネコと、これまでの研究は考えてきたです。
今回の解析の結果、リビア猫祖先説が確認されたです。
約8000年前に中東で農耕・牧畜が拡大するとともに、ネズミを捕まえるヤマネコが家畜化されてイエネコになったのではとみられます。

さらに、判明したことがあるです。
人類の移動につれて世界各地に拡散したイエネコは、遺伝的には4グループに分類できるです。
欧州、地中海周辺、東アフリカ、アジアへと散った猫のうち、日本の尾の曲がった猫は意外にも欧州のグループに入っちゃうと言います。

マンクスと日本のつながりを主張する言い伝えとの、かかわりも改めて気になるです。

米国の品種と考えられているアメリカンショートヘアやメーンクーンは欧州グループに含まれ、17世紀以降に欧州から移民が持ち込んだ猫が遺伝的にまだ独立していないことも分かったです。 

ワシントン州のケネウィックで見つかっている、イギリスとアイヌに二股をかけた古代人骨を思うと、もっと古い時代に猫が足跡をアメリカにつけていないかどうか今後の研究に注目したいです。

 いや、実に面白いです。
 品種ごとに細かく調査して行くと、もっともっと面白い事がわかるかもね。

 田舎に越して、はや1か月ですが
 ウチの周りには、ほんとに様々なネコ達がおります。

 三毛。
 トラ。
 トラなんだけど長毛系のライオンみたいなの。
 グレーの長毛系、でも顔が和猫。
 黒。
 キジ。

 まだまだ、居そうです。
 それぞれに、「和猫」ひとくぐりに出来ないよね。
 雰囲気、体型、尻尾、顔。
 田舎だからといって、和猫ばかりじゃないってところに、猫のルーツの複雑さを感じている今日この頃です。

 今度、尻尾にももっと注目してみなくては。

 でもアジアの猫を知らないし。。。
 猫は人とは違うルートでも日本に来たってことでしょうか? 
 面白いですね。

そう言われれば、アジアの猫、メディアにあまりでないからよく見たことないです。

ただ、南アジアのどこの国だったか、わが国の昔の猫はこうだった、なんて画面に出てきた猫は日本とは明らかに違ってたです。

 アジアの猫、ウチでは「細猫」と呼ばれるフォルム。
 タイ王室の猫伝説に、王女が指輪をひっかけておくためにね。
 猫の尻尾が曲がったとかねじれたとか、そんなのありましたよね。
 
 品切れで残念ですが、この写真集面白そう。

 新美 敬子著「猫のアジア」河出書房新社

重版未定ってのは、惜しいですね。

尾曲がり猫、意図的に掛け合わされないと定着しない気がします。
猫又にならないよう尻尾を切った、なんてまことしやかな説が流されるけど、何世代にもわたって尻尾を切り続けたネズミの実験でとっくの昔に科学的に葬られた議論です。

 三毛猫って、どこからきたのかなあ。

三毛猫も、謎が多い存在ですね。
調査が進展して欲しいですね。

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藪医者と方士?

女の高く結い上げた髪をさす「婁(ろう)」は、また二十八宿の一で、西方の星宿の婁(ろう)宿でもあります。
西は陰陽で言えば、陰と女に配当されます。

婁に、軽くたたくことをさす「攴(とまた)」を合わせると數という文字になります。
數は、数の正字です。

 空をたたく女の長い髪を振り乱す姿、それが「數」だとしたらどうなの。

何かに取り付かれたように、空をたたくように手を振る、長い髪を振り乱す女が數の元々の意味だとしたら。
取り付くのが神としたら、女は巫女となります。

ここに草冠をつけると、藪となります。

そして、草藪や竹藪の中で呪術を用いながら、医者として働いていた人々が野巫医者であったとみられるです。
藪にいたことから、藪医者とも呼ばれたようです。

 「まじない」も「のろい」も、漢字にすると「呪い」になってしまうのでややこしい。
 だから、あなたは呪術って言ってるわけね。

ええ、文字にするとごっちゃになりますもの。

「まじない」は、辞書に「神仏や霊力をもつものに祈って、災いを逃れようとしたり、また他人に災いを及ぼすようにしたりすること。また、その術。呪術。」とあります。

「のろい」は、辞書に「のろうこと。呪詛(じゆそ)。」とあります。

最近見た番組で驚いたです。
中国雲南にいる少数民族の住居、弥生の高床や、伊勢神宮に似たつくりです。

その少数民族の厄除けのおどり、驚くのは、女たちが長い髪を振って両手で空をたたくようなしぐさ。
この踊りのしぐさは、数から連想した動きそっくり。

彼らのほかにも、松を常緑なことから、特別視する文化を持った少数民族もいます。

 雲南から江南のあたりは、日本稲作文化のルーツと見られているのですよね。

さらに、長江文明の文物に、太陽の樹である芙蓉をかたどったものに、十の枝と十の鳥がつくられています。

 鳥居とは、何か関連あるのでしょうかね。

どうでしょね。

長江文明を築いた填王朝の遺跡からは、日本同様、漢から送られた蛇をかたどった持ち手のついた金印もでています。

長江文明と日本は、河拇渡遺跡でつながっていることもわかっていましたよね。

 藪医者のルーツは、西にさかのぼるのかなぁ。

探ってみても、おもしろいでしょうね。

星宿としての婁宿は、牡羊座西部 の三星からなる動土・造作・縁談・契約・造園・衣類仕立てに吉とされます。
つまり土木や契約や機仕事に縁のある「たたらぼし」、ここもまた、巫女を重ね合わせると無関係とも見えなくなります。

「踏鞴(たたら)」とは、足踏み式の鞴(ふいご)のことです。

 「たたらほし」とは、「ふいごほし」ってこと、なのでしょうかねぇ。

そして、歴史上で最も踏鞴が活躍した舞台となったのは、効率よく風を送ることが求められた製鉄。
「たたらほし」は、「せいてつほし」でもあるのでしょうか。

 製鉄は、冶金技術の一つね。

冶金とは、鉱石から金属を精錬および製錬によって抽出すること、そして抽出した金属を加工に関する技術のことです。
そして、鉱石から金属を抽出したり、抽出した金属の精錬したり、合金を製造したりする方法や、金属の物理的・化学的性質を研究する学問を冶金学と言うです。

 冶金は古代から、神秘主義と結びついていたでしょ。

典型的な例が、錬金術なのですよね。

錬金術(Alchemy)とは、狭い意味では、化学的手段を利用して卑金属から貴金属である金や銀、特に金を精錬しようとする試みのことです。

 錬金術で言う卑金属は、金、銀以外の金属全般を指していたでしょ。

広い意味では、卑金属以外の様々な物質をも金に象徴される完全な存在に練成するだけじゃなく、人間の肉体や魂をも、より完全な存在に錬成する試みを指すのです。

 狭い意味での錬金術師が日本に存在したかどうかは、謎かな。

広い意味での錬金術師なら、話は別でしょうけど。

「錬金術」という言葉は厳密には、中国固有の宗教、「道教」あるいは「仙道」思想の一部、金丹を探る術を言うです。

長生術や錬金術を試みた一群の技術者たちが中国の秦漢の時代に、存在していたのですよ。
これを、「方士」と言うのです。

 日本に来たとされる方士が、いますよね。

秦の始皇帝に不老不死の秘薬をもたらすといいながら、二度と大陸に戻らなかった徐福です。

 徐福が、「巫女」と「たたらほし」を繋ぎ、藪医者のルーツを西に遡る鍵を握る人物なのかなぁ。

疑問は深まるですね。

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星座

街中だと、あまり見えないですけど、ちょっと地方に行くとよくわかるものってあります。

 ありますね。

星なんか、そうですね。
 
 星降る夜って、実感できますね。

球に見立てられた天を、天球と言います。
天球に散らばる恒星の見かけの配置を、昔からさまざまな地域や文化や時代で、その特徴から連想したさまざまな事物の名前で呼んできました。
これが、星座です。

 天文学は興味が尽きないですね・・・ 。
 本当は人を相手にするのではなく、星を相手にする天文学をやりたかったわ。
 高松塚古墳にも、描かれていましたよね。

いろいろなグループ化の方法や星座名が、用いられたのでしたね。

 そうそう、いろんなの、あるある。

古代中国では星同士を結んだ形を星官と呼び、主要な星官にもとづいて分けられた星空の区画は星宿と呼んでますね。

黄道12星座は、古代バビロニア王国が栄えた頃(紀元前20~10世紀頃) から既に創られていたそうです。
黄道とは、太陽の通り道のことです。

黄道と天の赤道とが交差する点を、春分点と呼びます。
この春分点からぐるり1周する黄道を12分割し、それぞれに宮を設けて、 暦をつくっていました。
これが黄道12宮です。
星占いが おひつじ座 から始まるのは、 紀元前1000年の星図のように、 昔の春分点が おひつじ座 付近にあり、ここから左回りに刻んでいったからです。

黄道12星座は、古代バビロニア王国が栄えた紀元前20世紀から10世紀頃に、さかのぼれるようです。
太陽の通り道の黄道と天の赤道とが交差する点を春分点と呼び、暦はこの春分点から1周する黄道を12分割し、それぞれに宮を設けて作られていました。

 一種の循環と言って良いでしょ。

ま、本質は確かに循環といって良いでしょうね。
それぞれの宮に見える星座を、黄道12星座と呼んでいるのです。

12星座をあげておきましょう。

1.おひつじ座 2.おうし座 3.ふたご座 4.かに座 5.しし座 6.おとめ座 7.てんびん座 8.さそり座 9.いて座 10.やぎ座11.みずがめ座 12.うお座

昔の春分点が「おひつじ座」付近にあったので、星占いは「おひつじ座」から始まり、ここから左回りに刻んでいったのです。
地球の歳差運動により、交点がずれていくので春分点は動くのです。
現在の春分点は、「うお座」にあるのです。

西洋占星術の原型は B.C.2600 年頃の西アジアにまで遡るといわれます。
基礎を固めたのは B.C.130 年頃のギリシャの天文学者で、歳差運動の発見者としても知られるヒッパルコスと考えられているのです。
歳差運動とは、約26000年周期で地球の自転軸が傾いたコマ状に回転する運動のことです。

例えばヒッパルコスの時代には、北極星は小熊座のβ星で、元旦の太陽は山羊座にあったです。
ところが現在の北極星は小熊座のα星であるポラリスとなり、元旦の太陽は黄道を約 30°ずれ、射手座にあるのです。
これも歳差運動によって引き起こされていることです。

紀元前2世紀、一般的には天動説を確立したクラウディウス・プトレマイオスの名で知られるトレミーが、48星座を定めたです。
この時、「へびつかい座」が、星座として登場しているのです。
ちなみにトレミーは英語名です。

1.アルゴ 2.アンドロメダ 3.いて 4.いるか 5.うお 6.うさぎ 7.うしかい 8.うみへび 9.エリダヌス 10.おうし
11.おおいぬ 12.おおかみ 13.おおぐま 14.おとめ 15.おひつじ 16.オリオン 17.カシオペア 18.かに 19.からす 20.かんむり
21.ぎょしゃ 22.くじら 23.ケフェウス 24.ケンタウルス 25.こいぬ 26.こうま 27.こぐま 28.コップ 29.こと 30.さいだん
31.さそり 32.さんかく 33.しし 34.てんびん 35.はくちょう 36.ふたご 37.ペガスス 38.へび 39.へびつかい 40.ヘルクレス
41.ペルセウス 42.みずがめ 43.みなみのうお 44.みなみのかんむり 45.や 46.やぎ 47.りゅう 48.わし

17世紀、バイエルによる南天12星座や、ラカイユによる道具シリーズ星座など、 次々に新星座ブームが沸き起こるのです。
やがて、1930年に、現在の88星座と正式な星座境界線が制定されることになるのです。

アルゴ座は、あまりに大きいという理由で、りゅうこつ座、とも座、ほ座、らしんばん座の4星座に分割されたです。
分割された星座の名前からわかるように、アルゴ座は船をかたどった星座だったのです。

星座を地球の外から見ていくと、太陽は中央に輝く星、地球はすぐ手前の青い星とその軌道となるのです。
横に広がる大きな円弧が、太陽の見かけの軌道である黄道です。
地球は、軌道面に対して地軸が傾いています。
それで、やや斜めに通って見える円弧が天の赤道、縦に斜めに通る直線が子午線となるのです。

黄道12星座は、太陽の向こう側の星座を見ているのです。
実際に夜空に見えるのは、それぞれの星座に割り振られた日付の正反対の季節になるのです。

実際には、「へびつかい座」も太陽の通り道にあたっているのです。
足元が少しばかり黄道にかかっているその配置は、黄道星座と呼べるか微妙なところです。
それで、伝統的な黄道の星座からは外されていたのかも知れないです。
でも、一応かかってはいるので、今では含めて黄道13星座という人もいるのです。
この「へびつかい」は、何を意味するのでしょうね。

 あまり、気にしたこと無かったですね。
 「へびつかい座」が、黄道に入るって思ってなかったからかな。

黄道13星座は、比較的最近の話みたいですからね。
いつごろからかは、私も知りませんけど。

蛇にまつわる神としては、アスクレピオスがいるのです。
ギリシア神話に登場する名医です。
ラテン語では、アイスクラピウスまたはアイスクラーピウス(Aesculapius)と言います。
死者すら蘇らせるほどの優れた医術の技を持ち、後に神の座についたとされることから、医神として現在も医学の象徴的存在となっているのです。
アスクレピオスの杖には一匹の蛇がからまり、 健康・ 不老・ 長寿・不死などを象徴しているとされます。

ほかにも、ミトラス神などがあげられるのです。

意外なところでは、モーセが掲げた杖に掛けられた青銅の蛇がイエスの予形とされているのです。
ちなみに「予形」とは、「前もって表わす」という意味です。

現在の88星座は次の通りです。
北斗七星など、おおぐま座の一部でくまのしっぽにあたる目立った7個の星がひしゃく状をなすことから名づけられた非公式な名前は、ここには含まれていないです。

星座名      略号  英名など
アンドロメダ座 And Andromeda
いっかくじゅう座 Mon Monoceros
いて座   Sgr Sagittarius
いるか座 Del Delphinus
インディアン座 Ind Indus
うお座   Psc Pisces
うさぎ座  Lep Lepus
うしかい座 Boo Boötes
うみへび座 Hya Hydra
エリダヌス座 Eri Eridanus
おうし座      Tau Taurus
おおいぬ座 CMa Canis Major
おおかみ座 Lup Lupus
おおぐま座 UMa Ursa Major
おとめ座  Vir Virgo
おひつじ座 Ari Aries
オリオン座 Ori Orion
がか座  Pic Pictor(元々は Equuleus Pictoris)
カシオペヤ座 Cas Cassiopeia
かじき座      Dor Dorado
かに座   Cnc Cancer
かみのけ座 Com Coma Berenices(古来は aterism(星群)であった)
カメレオン座 Cha Chamaeleon
からす座 Crv Corvus
かんむり座 CrB Corona Borealis
きょしちょう座 Tuc Tucana
ぎょしゃ座 Aur Auriga
きりん座  Cam Camelopardalis
くじゃく座 Pav Pavo
くじら座  Cet Cetus
ケフェウス座 Cep Cepheus
ケンタウルス座 Cen Centaurus
けんびきょう座 Mic Microscopium
こいぬ座 CMi Canis Minor
こうま座  Equ Equuleus
こぎつね座 Vul Vulpecula(元々は Vulpecula Cum Ansere)
こぐま座  UMi Ursa Minor
こじし座  LMi Leo Minor
コップ座  Crt Crater
こと座   Lyr Lyra
コンパス座 Cir Circinus
さいだん座 Ara Ara
さそり座  Sco Scorpius(別名 Scorpio)
さんかく座 Tri Triangulum
しし座   Leo Leo
じょうぎ座 Nor Norma
たて座   Sct Scutum
ちょうこくぐ座 Cae Caelum
ちょうこくしつ座 Scl Sculptor
つる座   Gru Grus
テーブルさん座 Men Mensa(元々は Mons Mensae)
てんびん座 Lib Libra
とかげ座 Lac Lacerta
とけい座  Hor Horologium
とびうお座 Vol Volans(元々は Piscis Volans)
とも座   Pup Puppis
はえ座   Mus Musca
はくちょう座 Cyg Cygnus
はちぶんぎ座 Oct Octans
はと座   Col Columba
ふうちょう座 Aps Apus
ふたご座 Gem Gemini
ペガスス座 Peg Pegasus
へび座   Ser Serpens
へびつかい座 Oph Ophiuchus
ヘルクレス座 Her Hercules
ペルセウス座 Per Perseus
ほ座    Vel Vela
ぼうえんきょう座 Tel Telescopium
ほうおう座 Phe Phoenix
ポンプ座      Ant Antlia
みずがめ座 Aqr Aquarius
みずへび座 Hyi Hydrus
みなみじゅうじ座 Cru Crux
みなみのうお座 PsA Piscis Austrinus
みなみのかんむり座 CrA Corona Australis
みなみのさんかく座 TrA Triangulum Australe
や座    Sge Sagitta
やぎ座   Cap Capricornus(別名 Capricorn)
やまねこ座 Lyn Lynx
らしんばん座 Pyx Pyxis
りゅう座   Dra Draco
りゅうこつ座 Car Carina
りょうけん座 CVn Canes Venatici
レチクル座 Ret Reticulum
ろ座    For Fornax
ろくぶんぎ座 Sex Sextans
わし座   Aql Aquila

88星座をあげたので、長ったらしくなっちゃいました。

 空を見上げて、星と星をつないでその形を何かになぞらえて名づける。
 少し違うけど、雪形ってあるでしょう?
 山の残雪を何かの形になぞらえて、田植えの時期を決めるというやつ。
 
 それで、思うのです
 人間って、大自然を前にしたとき、それがあまりにも大きければ大きいほど、自分の身近な物知っているものになぞらえてそれを利用したり、身近なものにしたりする知恵があるんだなぁと。

ほんとにねえ。
自然の作り出す光景って、時間を気にしないで、眺めていたいって気になりますよね。

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神宮と諏訪大社とイエス?

「ヘブライ語辞典」を、なにげなく見ています。

 ヘブル語聖書を読んでるとか。

とても、そこまでは、いける水準でないです。
何時になったら行きつくことやら…。

なにせ、語学には苦労してきた割りに報われてないもので。

ヘブル語で、“エロヒム”って言ってると思ったら、綴りを見ると“アッラァヘッム”を、強めの口調で一気に言ってるみたいな気がしてきたのです。

なお、ヘブル文字は右から左に表記する規則なので、カナ表記した読みとは配列が反対になるです。

単数だと“アッラァヘ”ですが、聞こえ難い“ヘ”を抜けば、“アッラ”です。
“(א     ל   ה   ( י     מ”=“唯一絶対神(複数)”
“アレフ ラメッド ヘー (ユッド メム)”
 最短       長

さらに、こんなのもあるです。
ユッド メムをつけると複数になるのです。
この場合単数で発音すると、“アーラー アック ヴォン”になるのですね。

 あれ、“アーラー アクバル”とよく似てきますね。

そうですね。
“א     ל   ( י     מ)   ע    ל   י     ו    נ ”=“いと高き 神”
“アレフ ラメッド (ユッド メム) アイン ラメッド ユッド ヴェヴ ヌン”
 長                 最短             ォ

 そう言えば、ユダヤはイスラエルの流れ、アラブはイシュマエルの流れ、共にアブラハムの子孫ですよね。

一世紀の中東共通語でありイエスと使徒の言語のアラム語で「神」は アラハー (アラッハー)と 発音するそうです。
アラプベット(アラム語のアレフベート)でスペルは アラップ+ラマッド+へーになりへブル語と共通するのです。

 もしそうなら、エルサレムにはヤハウェあるいはエホバ、アラー、イエス・キリストの同じ神である三本柱が突っ立っている都ということが非常に分りやすくなってくるねえ。

それと、イエスの時代、旧約のヘブル語からみると地方語にあたるアラム語が使われているのです。
イエスは、アラム語でイッサとも言われるのです。
ISSA のAがEに転化しイッセISSEになり、これがISE(伊勢)になったのではないのでしょうか。

 イエスはヘブル語では、“イエシュア”だと読んだ覚えがあります。

発音を明瞭化すれば、“伊勢志摩”と聞こえてもおかしくないですね。

 あいまい化しても、じゃないの。

その方向も、ありでしょうか。

日ユ同祖論がある日本の、皇祖神が祭られる土地の伊勢という名前にそういう連想ができるのは面白いです。
でも、イエスといえばユダヤ、つまり主に二支族からなる南朝ユダ王国の人だったはず。
 
 日本に来ているという説は、もっぱら北朝イスラエルの十支族よねえ。

そこでひっかかるのは、諏訪です。

諏訪大社と、旧約聖書に妙に多くの共通点が見つかるという指摘があるのです。

ところが、聖書研究家の久保有政は不思議なことを主張するのです。

聖書と諏訪の接点は、諏訪湖の「御神渡り」であると。
水面を渡る神であるイエスと、「御神渡り」が結びつき諏訪に大社が営まれるようになったのではと。

 またしても、イエスの登場。

しかし、北朝十支族も南朝二支族もユダヤ教であって、キリスト教ではないはず。

北朝は正確にはユダヤ王国じゃないので、北朝の宗派を厳密にはユダヤ教とはいえないけど。
古代イスラエルは全体を指して、通称をユダヤで呼ばれてるので、仮にユダヤ教と呼んじゃったのです。

ザビエルは日本にキリスト教を思わせられる精神風土を見て、自分たちより前に来たキリスト教団があったと推理しています。

 へぇ!これは面白いですね!

 最初は突飛と思えた日ユ同祖論も、符合することがこうも多く出てくる。
 なかなか、興味深いです。

 ザビエル以前に来た彼らは、景教なのでしょうか。

それとも、もっと早期の原始キリスト教団なのでしょうか。

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危機というけど、ほんとの危機は?

今日は思いっきり辛口で言うですよ。

 なんか、語気強いですね。

経済が、危機だ危機だというです。

 言ってますね。

誰が危機か、です。

 誰かって、ねえ。

生産者が危機、生産者が危機だから、金融が危機。

金融が危機、金融が危機だから、生産者が危機。

生産者と金融が危機、生産者と金融が危機だから、消費者が危機。

消費者が危機、消費者が危機だから、生産者と金融が危機。

見ていただきたいです。

危機の発端は、生産者と金融です。

「消費者が危機」は、「生産者と金融が危機」を増幅させているです。

言い換えれば「消費者が危機」になるのは、「生産者と金融が危機」だからではない。

言い換えれば「消費者が危機」になるのは、「生産者と金融が危機」にするから。

どうしてかです。

 どうしてか…。

生産は、何のためにある行為でしょう。

生産は、消費のための行為ですよ。

 確かにね。

言い換えれば「消費者が元気」になれば、「生産者と金融が元気」になる。

言い換えれば「消費者が元気」を失えば、「生産者と金融が元気」を失う。

もし、「消費者が元気」を失なって、「生産者と金融が元気」を失はないとしたら。

それは「生産者と金融が元気」なのは、「消費者が元気」を失なっているから。

つまり、消費者が生産者と金融に収奪されているから。

違うでしょうか。

ここを改める意思と能力のない、政治と科学は無能と言うことです。

ここを改める意思と能力のない、政治と科学は無用と言うことです。

違うでしょうか。

どう思いますか。

 本質って、単純なところにあるのね。
 あたしのねこあたまでも、そう思っていたのにね。
 実は、誰も言ってくれないんだもん。

ちょっと、言い過ぎたでしょうか。

 いや、まさにそうですよ。

あえて極論にしたのは、こうではないか、ああではないか、そういう風に考えて欲しかったからなのです。

単純化しすぎて、突っ込みどころ満載かも。

 突っ込みどころ満載だから、言わないのかなぁ?
 でも本質はそうでしょう。

個々の人を見れば、どの立場にも、いろいろな人は居るでしょう。

でも、立場が要求する思考と行動は、個人の想いがどうあれ、貫かれることを求めると言えるかも。

規制緩和論の顛末は、まさに、これをはっきり示した気がするのです。

 消費者庁を設置すると、いっていますがねぇ。

消費者庁の設置自体は、消費者に対する行政側の窓口が一本化される点で評価していいでしょう。

 政府や政治家、果たして、どれほどのことをするつもりなのか。

消費者の声を行政に反映させるための窓口として、どれだけのことができるかが問われますね。

 原因を作ってきた彼らに、できるのか・・・・・・。

より、権限を強めて消費者省にまでするつもりがあるかどうか、注目したいですね。

それと同時に、「消費者が元気」になるためには、労働行政や、厚生行政などとも、連携が求められると思うのです。

偽装や不当労働などの告発者の保護や、生活の安心も、問題解決に深い関わりがあると見えるからです。

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胡桃で知られる笠間稲荷

稲荷大神は、日本人に最も身近な神さまで「お稲荷さん」と親しまれ、殖産興業、開運招福、火防(ひぶせ)の守護神として、広大無辺のご神徳を慕って多くの人々に崇敬されています。

日本三大稲荷とは、『大日本史』等の歴史書や稲荷信仰事典によれば、総本社の伏見稲荷大社のほか祐徳稲荷神社、豊川稲荷ですね。

ただし、総本山である伏見を除けば、どこを入れるかは諸説あるようです。

稲荷は語源については俗に、稲の生い茂るように「稲生り」とも、稲光と豊作を結び付けて「稲鳴り」とも、いわれるように農耕と関連付けて語られるです。
稲荷の語源には、ほかにも、「イネカリ(稲刈)」の「刈」が「荷」に誤られた、「イナニ(稲荷)」が「イナリ」に転訛した、などがあります。
そして、三大稲荷は申し合わせたように、豊かな水の傍にあります。

今回はそのひとつ、笠間稲荷を取り上げたいです。
笠間神社には、東北自動車道で行ったのです。
当日は、運良く富士山が見えたのです。
やっぱり大きいですね、富士山!

日本三大稲荷のひとつである笠間稲荷神社のご祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、正一位という最高の位をもつ神様です。

三大稲荷には諸説あるけど、そのひとつに数えられるということは、それなりの由緒が認められているといえます。

宇迦之御魂神は倉稲魂神とも書き、須佐之男神(すさのおのかみ)と神大市比売神(かむおおいちひめのかみ)との間に生まれた神さまです。

五穀の起源の神さまとして、「古事記」の大気津比売神(おおげつひめのかみ)や「日本書紀」の保食神(うけもちのかみ)と同神です。
豊受大神と同様、「稲に宿る神秘的な精霊」を表し、五穀をはじめ一切の食物を司る神さま、生命の根源を司る「いのち」の根の神さまともされます。
宇迦之御魂神は、御自身が食物を司る神さまなので、一族に流通や稲に関わる神を持つ、人間の生活にとって根源的な役割を司る神さまです。
宇迦之御魂神の兄神の大年神は、「大年(おおとし)」すなわち「大稲(おおとし)」の神さまで、私たちがお正月に「歳神さまを迎える」という時の「歳神さま」に当たります。
暦と農業の神としては、月読神と同様です。

笠間稲荷神社は、社伝によれば第36代孝徳天皇の御代、白雉2年(651年)の創建とされる歴史のある神社です。
「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)と呼ばれたのは、昔から胡桃の密林であったところに稲荷大神をお祀りしていたからです。
胡桃の木のあったところに建てられたとされ「胡桃下稲荷」とも言われるので、門前に胡桃稲荷の、お店があったです。
白い狐が目印です。
胡桃稲荷って、 稲荷寿司の中に胡桃が入ってるのです。
ちょっと甘めだけど、美味しかったです。

江戸時代には特に、歴代笠間藩主の崇敬が篤かったといいます。

松平(戸田)康長は、慶長17年(1612年)に笠間藩主として入封した笠間時代はもちろん、後に信州松本藩に転封になってからも深い崇敬を寄せ、松本城内に笠間稲荷大神(かさまいなりのおおかみ)のご分霊を勧請しました。

井上正賢は、城主であったときの寛保3年(1743年)には、夢に笠間稲荷大神が現れ、いっそう深く霊験を感じて笠間稲荷神社を歴代藩主の祈願所と定め、社地社殿の拡張に努めたのです。

牧野家は、延亨4年(1747年)に入封した牧野貞道以後、累代にわたって篤く崇敬し、大神のご神威の宣揚に力を尽くしたです。

また江戸時代の藩主の一族に、笠間稲荷神社への信仰が篤かったそうです。

笠間稲荷が「お稲荷さんの門三郎」と評判になったのは、門三郎という人がいて、利根川流域を中心に多数の人々に功徳を施したことからだそうです。
いつしか神社も、「紋三郎稲荷」とも呼ばれるようになったのです。
今日では関東はもとより、全国から年間350万余の人々が参拝に訪れます。

稲荷大神のご神名である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の、「ウカ」とは「貴い食物」を意味します。
「ウカ」も蛇をあらわし、食物の「ウカ」と合体して宇賀神とされたという説もあります。
もしそうなら、宇迦之御魂神は穀物の守護神の蛇としても祭られているのかも。

宇迦之御魂神は、須佐之男神と神大市比売神との間に生まれた神さまです。

父の須佐之男神は、天照大神の弟神として有名です。
母の神大市比売神は、ご神名の「市」に示されるように「市場」や「流通」の神さまです。

食物の神、農業の神として崇敬された宇迦之御魂神は、民間の工業や商業が盛んになると広大無辺な御神徳を慕われて、殖産興業の神としての信仰が広がっていくです。
近世になると農家だけでなく、商家、町家、大名にいたるまで稲荷大神への崇敬が広がり、ご分霊を屋敷神や家庭神、地域神としてお祀りする人々が増えてきたのです。

山門には豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)・奇岩間戸命(くしいわまどのみこと)の二神像が、また、門の裏手には、一対の神馬の像が安置されています。
第四代藩主の永井直勝公は古河藩へ移動後もご分霊をお祀りし、その領民たちが奉納した神馬像が現在の楼門にある神馬像だと言われています。

笠間稲荷には観光ツアーで行ったら、事故情報が入ったという事でルート変更になり、到着が遅くなりゆっくり参詣出来なかったです。
私自身もメモを忘れると言うドジをしたので、本殿裏の社に奉られている神々を記録出来なかったのが心残りです。
笠間稲荷には、大国主命のほか、白山神社の神々や、菅原道真公も奉られていたとまでは覚えているけど。

山門には豊岩間戸命・奇岩間戸命の二神像があったばかりか、山門の内側には石で作った鏡の模型が比較的最近の奉納とはいえ、ありました。
なんとも、岩戸開きを連想させられる配置です。

“胡桃”は、“包み”に通じ神の御子をほのめかしている様に思えます。
ただ、五穀の起源の神さまとして、「古事記」の大気津比売神(おおげつひめのかみ)や「日本書紀」の保食神(うけもちのかみ)と同神ですね。
無理に対応を見ると、イエスの母マリアにいっちゃいそうですけど。
それに、胡桃の殻は「韓」や「唐」に通じているのかも?
韓櫃や、唐櫃、辛櫃なんてのが、あるそうですよ。
韓櫃や、唐櫃、辛櫃とは、脚のない和櫃(やまとびつ)に対し,四本または六本の脚のついた唐風の櫃のこと。

 まさか、「聖櫃」?

その連想も、面白いですね。

さらに、神馬は養蚕との関わり、つまり関東も秦氏の一大勢力圏だったので、背後の秦氏=賀茂氏を指しているのでしょうか。

 「お稲荷さん」と親しみを込めて呼ぶ割にはね。
 あんまり詣でた覚えがありませんねぇ…。
 神社、稲荷神社の違いもそういえばあんまり意識したことが 無かったです。
 「おいなりさん」はいつも美味しく頂いているのにね。

そうそう、稲荷社は数多い神社のひとつ、違いはその程度です。

 笠間へは、一度行ったことがあるけどね。
 その時の目的は、笠間日動美術館と笠間焼の窯元でした。
 とてもいいところだったけど、笠間稲荷が日本三大稲荷と知っていたら、行ったのになぁ~失敗しました。

 ところで、胡桃入りとは。。。
 ちょっと個性的なおいなりさんですね。
 今度ぜひ行って、胡桃稲荷も食べたいです。

胡桃稲荷、もし、機会があったら試してみてくださいね。

「胡桃」を、「包み」と解釈すると、おもしろいことに、「猫三昧」 という兵庫県の一部で、嬰児または胞衣(えな)を埋める共同墓地が連想できますよね。

胡桃の殻を、韓櫃や、唐櫃、辛櫃と見ると、箱から生まれた話を持つ民族の祖がいるとされるアジアの国々に、思いが行ってしまうです。

胡桃の原産地域は、ヒマラヤ山脈と南西中国、バルカン諸国などにまたがっているようで、最大の森はキルギスタンにあると見られています。

胡桃は原種は、コモンクルミ、ペルシャグルミまたはセイヨウグルミと言われる種に、さかのぼれるらしいです。

またしても、日本とペルシャは不思議な縁で繋がったです。

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サルディーニャ島って、こんな島。

地中海で最も美しい海と讃えられ、各国のセレブレティが集まるサルディーニャ島をとりあげてみましょうか。

 サルディーニャは、色々特徴の多いトコらしいですね!
 残念ながら行ったことは、ないのですが… 。

ヨーロッパの人たちの憧れの高級リゾートの島ですよね。
ダイアナ妃が、亡くなる直前までいた場所としても知られているのですよね。

サルディーニャは、イタリア半島、スペイン、チュニジアの間、フランス領コルシカ島の南に位置するイタリア領の島です。

ローマから飛行機で約1時間、地中海のほぼ中央ですね。

 シチリア島に次ぎ、地中海で2番目に大きな島でしたよね。

はい、南東にあるシチリア島より、ちょっと小さいです。
東側にティレニア海、その対岸にイタリア半島、北側にはボニファシオ海峡を挟んでコルシカ島を望みます。
西側は、サルディーニャ海と呼ばれているのですよ。

 ビーチが美しいほか、何か見所はありますか。

様々な興味深い観光資源に、恵まれているのですよ。
この島には、リゾート地コスタ・ズメラルダやジェンナルジェントゥ山地など、多くの観光地があるです。
歴史的な観光地としても、先史時代の石造建築であるヌラーゲ遺跡を代表するバルーミニのス・ヌラージ、フェニキア・ローマ時代の都市遺跡であるオリスターノ近郊のターロス、カリアリ南郊プーラにあるノーラなどがあるです。

イタリア半島を足だとすると、その足跡にあたるような島の形から、古代ギリシャ人はサンダリオン(Sandalyon)と呼んでいたです。
鰯の英語名サーディンは、この島から来ているのですよ。

サルディーニャは、サルディーニャ語ではSardigna, Sardinna, Sardinnia 、イタリア語ではSardegna、カタルーです語ではSardenyaと綴るです。
日本語ではイタリア語からのサルディーニャの他、ラテン語や英語のSardiniaに由来するサルディニア、サルジニア、サルヂニア、サルデニアなどの表記があるです。

古代にこの島はフェニキア人によりイクヌーザと呼ばれ、ラテン式の綴りでIchnusa、もとはHyknusaと表記されていたです。
現在は州都カリャリで製造される、サルディーニャで一番ポピュラーなビールにイクヌーザの名を残しているのですよ。
また、周辺の島を含めて、イタリア共和国のサルディーニャ特別自治州(Regione Sardegna)を構成するです。

 イタリア自治州サルディーニャ島とは、どんな島なのですか。

面積24,090 平方kmで、四国ほどの大きさです。
人口165万人、州都はカリャリ、あるいはカリアリとも呼ばれるです。
サルディーニャの住民は、ヴェネツィアを州都とするイタリア北東部のヴェネト州の住民とともに、固有の民族集団を意味する"popolo"としてイタリア議会から認定されているのですよ。

ついでに、地中海最大の島であるシチリア島は、面積は25,420平方kmで、島名は英語由来の名称でシシリー(Sicily)、シシリアとも呼ばれるです。
シチリア島は、その周辺の島を合わせて、イタリア共和国のシチリア特別自治州(Regione Sicilia)を構成しているのですよ。

サルディーニャ州は、8つの県からなってるです。
カリャリ県、サッサリ県、ヌーオロ県、オリスターノ県に加え、分割により2005年にオルビア=テンピオ県、オリアストラ県、カルボーニア=イグレージアス県、メディオ・カンピダーノ県が加わったです。

 気候や風土は?

サルディーニャは地中海性気候に属し、春と秋は暖かく日中は暑いけれど夜は涼しく過ごしやすい、真夏はとても暑い、冬は穏やかです。
近年、旱魃が続いているのですよ。

サルディーニャには、大陸部のどこにでもいるクサリヘビやマーモットなど、多くの種がいないそうです。
一方、チチュウカイモンクアザラシやイノシシをはじめ、多くの希少種の動植物が生息しているのですよ。

それでも、一般の訪問者として見ている分には、イタリア本土との違いは、あまり感じられないそうです。

 確かに、動物好きでもなけりゃ、気にしませんねえ。

違いをしいて言えば、標識にイタリア語とサルディーニャの伝統的な言葉、サルド語の表記があることくらいとか。

 そんな程度ですか。

サルド語とも呼ばれるサルディーニャ語は、ラテン語を起源とするロマンス語に属する言語で、フェニキア語、エトルリア語の影響を受けているとも考えられているのですよ。
サルディーニャ島では、島民たちを一つの民族または国だと考え、政治的な意味からサルディーニャ語を主要言語だと主張しているグループも存在しているそうです。
 
 でも、サルディーニャ島に独立運動は聞きませんねえ。

サルディーニャ島にも、島独特の、のんびりした雰囲気というのはあるそうです。
ほとんどの島民はのんびりしてて、独立なんて考えてないのかも。

 魚が沢山獲れるのに、結構肉食が好まれると聞いてますよ。

料理も、イタリアで食べるものとほぼ同じだそうですね。
違いと言えば、山の方は肉や乳製品、海沿いはシーフードが多いというくらいなのかも。

山の方へ行くと、ヨーロッパの素朴な田舎の風景が広がっているのですよ。
牧畜を営み生活している人が、ほとんどですから。
サルディーニャ島には多くの羊が、放牧されているのですよ。

海沿いでは、とくにエメラルド海岸は見る価値ありなのかも。
海岸線からエメラルドグリーンの美しい海が望めるので、高級別荘地になっているのですよ。
海を見下ろす丘には、各国の大富豪の別荘が並ぶです。
歴史のある別荘地なので、建物はこの島伝統の石造りで統一されているのですよ。
それで、のどかな海の街に、見えるのですって。

 大富豪ともなると、太っ腹だからでしょうかね。

高級リゾートだということがわかるのは、マリーナに停泊しているたくさんのクルーザーを見るときなのかも。
豪華クルーザー、それもとても個人所有と思えないクルーザーがいっぱいあるですから。

 今も島に残る民族衣装とは?

島と言っても、四国ほどの大きさがあるです。
その四国ほどの広さの島に、村ごとに多くの民族衣装があるです。
地域ごとの文化があるのは当然です。
島なのに300以上の民族衣装があるというから驚きですよね。
海沿いの村は、他国との交易があるから、外国からの輸入品である糸やビーズなどを使ったものがあるです。
他国の侵攻を受けた地方では、征服国の文化がデザインに反映されているものもあるです。
山間部では、羊が多く飼育されているだけあって羊毛を素材としている衣装が多いなど、衣装のデザインや素材は、その村の歴史を表現していると見られているのですよ。

村ごとに民族衣装ができたのは、サルディーニャはとても山が険しく、村と村が離れて点在していたので、各村が自分たちのオリジナリティーを表現するためと言われているのですよ。
でもそれは通説であって、なぜそのようにたくさんの民族衣装ができ、今まで残ってきたかということは、まだ詳しくわかっていないようです。

特に婚礼衣裳は、その村の特色がよく出ているのですよ。
昔は衣装を見れば、あのお嫁さんはどこから来たということがわかったそうです。
今は、どうなのでしょうね。

 歴史的な見所は?

美しい海岸線から島の奥へ入っていくと、そこには謎に満ちた、古代文明の島が姿を現すです。
サルディーニャ島が古代から栄え、長い歴史があるということを証明しているのが、島に残る数多くの遺跡です。

6000年前から栄えていたという文明の証と、今も受け継がれている伝統が、サルディーニャ島にはあったのです。
地中海の覇者ローマ帝国の誇る強大な軍事力ですら、島の海岸線の一部を征服するだけに留まった島だったのです。

 サルディーニャ島には、どんな文明が栄えていたのなのですか?

詳細は今も調査中ということですが、とても興味深い島です。
古いものは、ストーンサークルのような巨石建造物や、階段ピラミッドまであるです。
階段ピラミッドは、メソポタミアのジグラッドと関連があると見られているのです。

サルディーニャ独特の、ヌラーゲと言う石積みでできた円形の砦があるです。
知ってる人が聞いたら馬鹿言うな突っ込むかも知れないけれど、沖縄の古代の城であるグスクを連想しましたね。

島に7000以上のヌラーゲが、残っているのですよ。
それらはすべて複製ではなく、修復をしながら古代から現在に至っているものです。
3500年前に造られたヌラーゲでも、ドームが当時のまま残っているのですよ。
複数のドームが集まって、ヌラーゲの一つの集落を作っていたのです。

 今まで残っていることが、スゴイよね。
 
そのヌラーゲが、美しいのです。
荒削りといった感じの石を、ひとつひとつ積み上げた天井は、ドームになっているのです。
荒削りな石を積み上げてドームを作るのは、かなりの技術と緻密な設計が必要です。
石組みと言えば、中南米のマヤやインカも、きれいな曲面を作るなど高度な技術ですよね。

メソポタミアとインカ、エジプトとマヤ、文化的に似ていると言う人もいるのですよ。
そして、インカやマヤの栄えた古代中南米と日本の縄文は、ミトコンドリアDNAの調査によって、つながっていることがわかってきているのですよ。
日本の城の石垣の技術は、どこまで遡れるのなのかも。

サルディーニャ人の起源に関する理論のほとんどは、遺伝学的な研究と民族の移動状況を重要視しているのですよ。
遺伝学的な研究によると、サルディーニャ人は、周辺地域の人々や若い民族とは異なり、前インド=ヨーロッパ人だとしてるそうで。
そういえば、サルディーニャ語もインド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属するそうですよ。
ただし、サルディーニャ語はイタリア語の属する東ロマンス語より、フランス語の属する西ロマンス語に近いと言う説も根強いとか。

インドは、ペルシャとの関連があり、ペルシャは日本に不思議なつながりが見えるです。
なにか、サルディーニャ島って、におうです。

え?鰯のこげた匂い?
そういえば、英語の鰯の語源になっちゃう位だから、鰯が好きな人たちなのかも。

メソポタミア、エジプト、ローマ帝国などの文明が、地中海の沿岸には栄えていたです。
サルディーニャの古代文明がとても興味深いのは、島の位置にも関係しているのですね。

島に残る遺跡の中に、興味深いものが見つかっているのですよ。
それは、子宮を意味するとされる三角に開けられた穴の中に下りていく階段の下にある池です。
池の天井はドーム状になって頂点に穴があり、そこから差し込む光で月の満ち欠けを観察した施設と見られているのです。

それを知って、はっとしましたね。
沖縄県の与那国海底史跡に、謎の三角穴があるです。
似た用途で使われたのかも。
謎の三角穴は、農事祭祀に使われた可能性はもちろんあるです。
けれど、生まれ直しの儀式に使われた疑いもかけて良いのではとも思えるのです。

そしてサルディーニャ島には、ストーンサークルがあるです。
ストーンサークルと言えばイギリスが有名だけど、東日本にもあるです。

 言葉は、サルディーニャ語なのですかあ。
 イタリア領なら、イタリア語って思ってた。

サルディーニャで一般に話されている言語は、イタリア語とサルディーニャ語です。
もちろん、公用語としてはイタリア語が使われているのですよ。

サルディーニャ語は、今でも農村部では日常語として話されているのですと。
でも、州都カリャリの若者たちの中には、サルディーニャ語をまったく知らない人もいるのですよねえ。
日本でも、若者には土地の言葉を知らない人はいるのですよね。
どこも似たようなものなのかも。

サルディーニャ島北部のガッルーラ、サッサリ地域では、コルシカ語の方言が話されているのですよ。
ジェノヴァ地域からの移民が暮らすサンピエトロ島では、イタリア半島のリグリア方言が使われているのですよ。
アルゲーロ近辺では、アラゴン王国の支配を経験した歴史的背景から、中世期の要素を受け継ぐカタルーです語の方言が話されているのですよ。
アルゲーロって、アラゴンにちなむ地名でしょうかねぇ。

 旅した気分になりますねぇ。

 イタリアの島々には、猫が多いと聞くけどね。
 サルディーニャ島にもいるのかなぁ?

あのあたり、猫は多いでしょうね。

 そうそう、猫も沢山いるし。
 ワインも美味しかったんじゃないかな?

美味しいようですね。

 いってみたいなサルディーニャ島!

好評で、扱ってよかったです。
サルディーニャ島の歴史も興味深いけど、長くなっちゃうので今回はここまでにしておきましょうか。

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星をさがせ!

東京工業大学グローバルエッジ研究院佐藤文衛特任助教授をチーム代表とする観測チームは、天体観測を続けています。
参加しているのは、東京工業大学のほか、神戸大学、東海大学、国立天文台、徳島県立あすたむらんど、です。
観測チームのターゲットは、直径が太陽の十倍もある「巨星」の、惑星探しです。

宇宙には、重い星や軽い星、若い星や年老いた星など、太陽とは違うタイプの恒星もたくさんあります。
さまざまな種類の恒星に、どんな惑星があるかを知ることは、惑星ができる条件や進化を調べる上で重要です。

 一応船の世界でも「天文航法」という、星を相手にする航法があるので・・・。
 ちょっとお星様には興味あります。
 残念なのは、航海に必要な星のことしか勉強しないってことかな。

で、航海に必要な星しか知らないで、後悔してるとか。

2008年にチームが発表した成果を、それぞれのHPや報道を参考に、紹介してみたいです。

 巨星って、恒星が年取った星が大きくなった。。。。

ええ、そうです。

 星の中年ぶとりか。。。。

恒星は、中心で水素を燃焼している「主系列星」から、水素を燃焼し尽くし外層が膨張した「巨星」へと進化するとみられています。
太陽は、「主系列星」の段階にあるとされます。

 太陽の周りには、地球と、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星の8個の惑星が回っているよね。

冥王星が、外されたからですね。 
 
 惑星は今までに、どれだけ見つかっていますか。

2008年現在、太陽以外の恒星を回る惑星、つまり、太陽系外惑星は、300個以上見つかっています。

1995年以来、次々見つかった太陽系外惑星は、天文学者を驚かせたのです。
専門家は「系外惑星」と略すことが多いので、ここでも「系外惑星」と呼ばせてもらいます。

 あなた専門家?

いえいえ、ただの物好き。

見つかった系外惑星は、非常に多様性に富んでいました。
公転の中心となる恒星の至近距離をわずか4日で回る巨大ガス惑星「ホット・ジュピター」、彗星のような細長い楕円軌道を描く巨大惑星「エキセントリック・プラネット」などです。
「ホット・ジュピター」は、恒星との距離があまりに近いので熱いであろうと「ホット」の名前がついました。
「エキセントリック・プラネット」は、灼熱期と極寒期をめまぐるしく繰り返すと思われています。

ホット・ジュピター (Hot Jupiter) は、太陽系外の恒星をめぐる 系外惑星のうち、中心の恒星から地球~太陽間の距離である1天文単位の十分の一以下という至近距離にある軌道上を、高速、つまり数日と非常に短い周期で公転する木星級のサイズの巨大ガス惑星を指すのです。
恒星に極めて近く、強烈な恒星光を浴びるため表面温度は高温になっていると予想されているのです。

エキセントリック・プラネット(Eccentric planet)とは、系外惑星において発見された、0.2以上と離心率の非常に大きなタイプの惑星の俗称です。
離心率とは、楕円の二つの中心がどれだけ離れているかということです。
離心率が0に近いほど真円に近い、つまり離心率が0ならコンパスで描ける真円、0でないとは二つの中心で描く楕円ということ。

太陽系とは似ても似つかぬ惑星系の姿が、含まれていたのです。

 どんな恒星の周りにも、惑星は存在するのでしょうか?

これまでに知られている系外惑星の大部分は、太陽型星、あるいは太陽型恒星といわれる、質量や大きさ、年齢が太陽と同じくらいの恒星の周りで見つかっています。

観測チーム代表の、佐藤文衛特任助教授は言います。

「重い恒星で惑星を探すのは難しく、ほとんど観測が進んでいない」

系外惑星を探す方法としては、惑星の重力によるわずかなふらつきを検出する方法が主流です。
現在主に系外惑星探しに使われている手法は「ドップラー法」と呼ばれるもので、惑星の引力によって引き起こされる恒星のわずかな速度のふらつきを検出する手法です。
「ドップラー法」とは、「ドップラー効果」によって、光など電波の波長がどう変化するかを調べるのです。

 人もふらつき具合で、酔っ払った度合いがばれるみたいなことね。

しかし、ふらつきを検出するのは、重い恒星の場合難しいといいます。
表面が活発に活動している、つまり、活動度が高いからです。
活動度が高いと、恒星自身の大きさが変化していたり、表面が波打ったりしているのです。

 酒強いと、酔ってもあまりふらつきにくいみたいな。。。。
 顔にも出にくいしねえ。

似てるような似てないような。。。。

 宇宙には、太陽とは異なるタイプの恒星もたくさんありますか。

太陽より重い星や軽い星、若い星や年老いた星などです。

 このような恒星の周りにも、惑星は存在するのでしょうか?
 存在しているなら、どんな姿をしているのでしょうか?

東工大を中心とする研究グループは、着目したのです。
太陽より重い恒星が進化した「巨星」と呼ばれる段階の恒星なら、比較的活動度が低く、惑星探しが可能だと。

 どういうこと?

巨星の段階は、恒星が“老年期”になり、水素が燃え尽きて外層が膨張してきたとはいっても、表面の活動が比較的穏やかで、ふらつきを検出しやすいのですよ。

 ドップラー法が、使いやすいのね。

太陽の1.5倍から5倍の重さの恒星が進化した巨星を、対象に観測してきたといいます。

 それが、2008年の発表。

はい。

2001年から、国立天文台岡山天体物理観測所の口径188cmある反射望遠鏡で観測を開始したのです。
わずかなふらつきを検出できる国内唯一の観測装置が、岡山天体物理観測所にあるからです。
それが、高分散分光器HIDESです。

人の目に見えるのは、波長が380nmから770nm程度の光。
nm(ナノメートル)とは、長さを表す単位の一つ、1メートルの10億分の1を表す単位のこと。

光の波長は連続しているので、適当な装置を使えばたくさんの成分に分離できます。
光の成分を分離し、測定する装置が分光器です。

より、細かな成分に分離し測定できる装置を、高分散分光器と言うのです。

高分散分光による観測では、人の感覚で感じ取れるよりも細かく調べます。
測定結果は視覚的な色の違いではなく、ある波長成分の強度がどれだけかと言う数値の量で表すのです。

このような光の強度の分布を、スペクトルと呼んでいます。

岡山で調べたのは、この高分散分光器HIDESの性能がとてもいいから。

 プリズムなんか、比べ物にならない。。。。わけねえ。。。。

観測チームは、反射望遠鏡と高分散分光器HIDESを用いて系外惑星探しを行ってきたのです。
その中でこれまでに3つの系外惑星を発見し、太陽の2~3倍の質量をもつ重い恒星にも惑星が存在することを世界に先駆けて明らかにしてきたのです。
 
約300個の巨星を1年に数回のペースで、観測を継続しています。
これまでに、太陽の2~3倍の巨星10個で周期的なふらつきを検出。
これらの巨星の周りを、惑星が公転周期140~990日で回っていることを発表したのです。

 きりん座にある巨星に日本初の系外惑星を発見(2003年発表)
 散開星団における世界初の系外惑星発見(2007年発表)
 かみのけ座にある巨星に褐色矮星を発見(2008年発表)

そして2008年、新たに7つの惑星を発見することに成功したのです。
この多数の発見によって巨星の周りの惑星系の特徴が明らかになり、それは太陽型星の周りの惑星系とは少し異なることが分かったです。

世界中の惑星探索グループによっても、調査は行われてきました。
巨星の周りの惑星は、これまでに約20個発見されています。
佐藤文衛特任助教授のグループは、その約半数の10個を発見しています。
 
 それは、すごいですね。

巨星の周りの惑星が多数発見されたことによって、今まで知られてこなかった姿が明らかになってきたのです。

佐藤文衛特任助教授は、言います。
「重い恒星の回りは、温度が高くて個体が蒸発しやすいため、惑星ができにくいと思っていた。こんなにたくさん見つかるとは予想外だった」

 高温で意外だったと言えば、太陽系でも水星に水どころか氷があったでしょう。

恒星の温度は、見直しが必要かも。

 それって、光ってる原因自体の見直しに通じたりして。

太陽にも、ニュートリノの数に謎があるとされてきたのですよね。
 
 核融合にしては、数が合わない。。。。

ええ、合わないそうです。

惑星をめぐる一連の観測で、わかってきたのはこういうこと。

太陽型の恒星では、恒星から0,02天文単位という至近距離を回る惑星から、数天文単位の遠い軌道を回る惑星まで、満遍なく惑星が見つかっています。
そのうちほぼ半数が、0,7天文単位より内側の軌道を 回っています。

0,7天文単位は、太陽から金星までの距離とほぼ同じです。

 1天文単位は、太陽から地球まで、ですよね。
 太陽型恒星の惑星は、そのうちほぼ半数が、地球より内側の軌道を 回っているってことかな。

一方、巨星を回る惑星の対照的な特徴が明らかになったのですよ。
これまでに発見された約20個の惑星はすべて、中心の巨星から、太陽~地球間の距離を1天文単位として、0,7天文単位より離れた軌道を回っていたのです。

巨星で、内側の軌道に惑星が見つからない理由として観測チームは二つの可能性を提示しています。
➀重い恒星の近くでは、そもそも惑星ができにくい
➁惑星はもともと存在していたが、恒星が巨星に膨張する過程で飲み込まれてしまった

今後、検証を進めたいとしています。

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聖徳太子を取り巻く鳥

2001年と、ずいぶんだけど、聖徳太子関連の文物を集めた展示をみました。
 
 たしかに、前ですね。

ええ、でも面白かったので、そのうち話題にしたかったのですけどね。。。
 
 どんなことに、興味引かれたの。

さすが、聖徳太子ですねえ…。
いやはや…。
またぞろ、仏画・仏像に奥深さを見た気がしたのです。
仏陀が四人の僧に囲まれるばかりか、その上に生命の樹の形を意識したとしか言いようの無い並び方で僧侶たちが描かれたものがありました。
中には、仏陀の、四人どころか六人に囲まれたものもありました。
四人ならメルカバー、六人と言えば六芒星としか言いようがないです。
六芒星とすれば、下向きの女性原理と上向きの男性原理の“和”であり、その中に立ち得るのは陰陽太極を連想させられる御父の御子であるかも。

 なぜ、御父に陰陽太極を連想させられたの。

御父は、単数の神を表すエルじゃなく、複数の神々を表すエロヒムと呼ばれるからです。

 エロヒムとエロス、なんとなく、音が似てる。

陽の御父と陰の御母で、エロスとか。
なんとなく、思っちゃったのです。

でも、仏像でふっと思ったことがあるのです。
襞とか飾りに関してです。

仏教衣装で、肩から下げるタイプのものがあるです。

 それだけなら、古代ギリシャ・ローマだってって。
 
わざわざ、留め金を使って下げているのですよね。
その位置は、ほぼ心臓の前です。
そこから腰にかけて、襞が広がっているのです。
十二支でいうと寅にあたる、旧暦なら一月に対応する、方向に見えます。

その目で見ると、半伽思惟像は右手を頬まで上げ、左手は左膝に乗せた右足の足首を押さえているから右手から左手にかけて、右回りの流れが感じ取れそうなのです。
この右向きの流れは、十二支、暦、五行循環に共通しているのです。

聖徳太子展で、いろいろ陰陽道を連想するものを見たけど、ほかに目に付いたものがあるのです。
鳥なのです。
正確には、鳥を模した造詣なのです。
仏像がかぶっている冠の多くが鳥の形を模して、作られているのです。

さらに、ちょっと思いがけないものを見ました。
四天王なのです。
それぞれのシンボルを持って、ただ立っているだけでこれといったポーズをとっていないのです。
かといって冠も特に鳥に似た形も、していないように感じられました。
なにげなく、衣、それも袖の裾をさりげなく眺めてあっけにとられたのです。
四天王の体全体が、鳥の形をあらわしていたのです!

 ああ、鞍作鳥、鳥仏師といわれてましたよね。
 懐かしい、日本史を思い出しました。

 そういえば、正倉院御物の装飾も、やたらと鳥が目立つという声を聞いたことがある。

 神社に鳥居、神輿に鳳凰、奉納舞にも鳥の飾りが目立つような…。

日本にもある、古代エジプトの太陽の船に似た絵にも鳥が乗ってますよね。

鳥に注目すると、面白いです。

 鳥仏師と呼ばれた鞍作鳥(くらづくりのとり)って、たしかこの時代の人…ですねえ。
 
ええ、なるほど、“鳥”仏師と言われるわけだと、妙に納得しました。

あ、それから、聖徳太子ご幼少の像も、たくさん出ていたのです。
ちょっと面白いものが、ありました。
中には、着せ替え人形になったのもあったのです。
写真だけだったけれども、その着せ替え人形に衣を着せた後、頭から上着を被せてあるのです。
これは後ろや横から眺めると、兎の形になるのです。
この兎は、もちろん、月の兎かも。

 聖徳太子は、ご幼少のころの像が多いですね。

不思議でしょ。

 そうそう、聖徳太子って、確かにご幼少のころを表す像が多いですね。

 広隆寺見に行った時も聖徳太子の幼少の絵がたくさんありました。

幼時像って言えば、釈尊の「天上天下唯我独尊」の像も、幼児像ですよね。

 話し変わるけど、「日の出処の天子」読んでて<厩戸の王子>って知りました。
 厩戸で生まれてるんですね、聖徳太子。

 厩戸、つまり馬が飼われているとこって言えば、イエスもそう。

イエスは母子像という形で、幼児像が多いです。

日本には、泣き相撲や、稚児舞のような、童子祭祀は多いです。

仏やイエスの童子像や、童子祭祀とのなんらかのかかわりは、疑って良いかも。

 聖徳太子は、面白話がいっぱいね。

ね、面白いでしょ。

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神宮と遷宮

正式名称を「神宮」とだけ呼ぶ、神社本庁の本宗(ほんそう)とされる存在、それが俗称「伊勢神宮」です。

別格とされる“お伊勢さん”、当然格付けはないです。

 伊勢神宮の参道の石灯籠には、ユダヤの紋章が刻まれているそうです。

いわゆるダビデの星といわれる、六芒星ですね。
でも、上向を陽下向きを陰と見る陰陽の印とみても、いいですよね。

神宮が管理する宮社が125です。
俗に神宮125社と呼ばれます。
125社の頂点は豊受大神宮(とようけだいじんぐう)と呼ばれる外宮と皇大神宮(こうたいじんぐう)と呼ばれる内宮の両正宮です。
内宮の祭神の正体は、皇祖とあがめられる天照大御神です。
この二つのお宮の下に、14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社があります。
伊勢市だけでなく、度会郡大紀町・玉城町・度会町、志摩市磯部町、松阪市、鳥羽市、多気郡多気町の4市2郡に分布します。

 それだけ、大事な神社ですよね、伊勢神宮。

 元伊勢て、京都の丹後界隈にあったって知ってる?

その話は知ってますよ。

籠神社は京都府宮津市字大垣、皇大神社は同府福知山市大江町内宮、竹野神社は同府京丹後市丹後町宮に、あったって話ですね

通称「斎宮」と言われる竹野神社は、丹後国竹野郡の延喜式内大社ですね。
祭神は、天照皇大神です。
摂社斎宮神社には竹野媛命、建豐波豆羅和氣命、日子坐王が祭られているです。

ちなみに丹後町は、京都府北部丹後地方に存在した町だったです。
2004年(平成16年)4月1日に市町村合併により、京丹後市の一行政区画になってるです。

ところがかつて、実はとんでもないところに造営されていたです。

現在の五十鈴川に、五十鈴宮と言う名で鎮座していたのです。
 
 それがどうしました。

いまよりもっと、低い土地に立っていたのです。
場所が場所だけに、水害にたたられまくったのです。
それで後に、水害の心配がない今の場所に移転することになるわけなのですけど。

そもそも、現在の位置に最初っからあったわけではないのです。
日本書紀の記述によれば、第十代崇神天皇の時代までは、大和の宮中で天照大御神は祀られていたです。
水害の危険がある場所、なんでそこにこれだけ大事な祭神を移すかです。
 
 それも、移転に移転を重ねた末の最終地。

やたら引っ越した伊勢神宮、その引越しが始まったわけはこうだと伝わります。
疫病が国内に蔓延し、農夫や流離つまり定住しないで仕事をしていた人々の反乱などが起こったというのです。
皇祖とあがめられる神が何で、宮中で祀られて怒るのかはさておき。。。。
それで、崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が御霊代に託されて、最初の斎宮と伝えられる大和の笠縫邑に遷御することになるです。
これが、今日の檜原神社の社地と謂われる場所で、これが度重なる引越しの始まりです。

引越しの途中で一時的に鎮座した場所は、元伊勢と呼ばれます。
大和国、伊賀国、淡海国、美濃国、尾張国、伊勢国の順に移動し、伊勢国内を移動します。
移動中に一時的に鎮座された場所、その数25箇所とも29箇所とも謂われます。

その最後にたどり着いた場所が、よりによって水害の避けられないはずの五十鈴川の中といってもいいくらい低い土地なのです。

わたしは、これしか理由は思いつかないです。

「川を蛇に見立てた。」

蛇は、脱皮を繰り返すことから、滅びと再生を繰り返す神とされるのです。
水害を受けることを承知の上の、五十鈴川の中島という立地。

これは、太陽神とされる天照大御神に日没と日の出という、滅びと復活があるといってるのと、大して違いないです。

これは、古代エジプトの、滅びと再生を繰り返す太陽神と、そっくりです。
実は、女神とされる天照大御神はもともと、男性神の天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊であるそうなのです。
しかも、古代エジプトでは太陽神は夜な夜な大蛇に飲まれ、朝になると復活してくるという展開の神話もあります。

また、川と女神といえば、ホルス神の母であり、オシリス神の妻であるイシス女神に捧げられた神殿が、まさにナイル川の川中島に造営されているのです。
その、イシス神殿は、アスワンダムの建設の際、フィラエ島にあったイシス神殿は湖底に沈むため、1972年から1980年にかけて隣のアギルキア島に移築されたのです。
このオシリス神もまた、滅びと復活にかかわる神です。

何度となく繰り返された引越し、いまなお二十年ごとに行われる建て替え。
まさに、天照大御神は滅びと復活の太陽神なのです。

エジプトの太陽神ラーは猫神、日本の神職が禰子ってのも、なんだか、そう思ってみると面白いです。

おっとっと、川と女神といえば、弁財天もそうだったです。。。

弁財天といえば、平氏?

どう展開しようか、迷ったので、触れなかったです。

 またまた、不思議発見です。

 うむむ・・・勉強になりました。
 伊勢神宮、なかなか奥が深い・・・・ 。
 斎宮の由来もこういうことだったのか・・・・・ 。

 度重なる引越しと二十年毎の建て替えが、復活と再生の象徴だったとは。
 お伊勢さん、じっくり行ってみたいです。

いいですねえ。

 お伊勢さんのおかげ横丁では、来る福に語呂合わせした9月29日に招き猫祭りがありますよ。

比較的最近始まったイベントですけど、楽しいでしょ。

 子供の頃、よく親に伊勢神宮に連れて行かれたっけ。
 油揚げがフシギだったなぁ。

お伊勢さまと油揚げって、なんでかなってね。

そういえば、お伊勢さまで、妙におもしろかったのは、裏にずらずら並んだ小さな祠のひとつに「けつね」の文字を見たことだったですね。

「けつね」っていえば、「きつね」とおなじこと、「きつね」といえば「お稲荷さん」、「お稲荷さん」といえば「油揚げ」、それで油揚げがあったのかです。

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フラクタルとカオス

フラクタルとカオス、結構関係は深いですよ。

 わかりやすく、説明してくださいよ。

ま、やってみますけど。

 フラクタルやカオスの話し、おもしろかったけど難しくってねえ。

そうでしたか…。

宇宙から地球に帰ってきたと、思ってくださいね。

 はい。

目の前に、青い星、地球が見えます。

陸地を見てくださいね。

 海岸線って、ほんと、ギザギザしてますね。

もっと近づいて来ましたね。

 あれ、近づくと海岸線のギザギザした線は見えにくい…。

さらに近づきました。

 また、ギザギザした海岸線がわかります。

はい、地球ですよ。
私たちは海岸に来ました。

 砂浜ねえ。

波打ち際を見てくださいね。

 宇宙から見えた海岸線ほどじゃないけれど、ギザギザしてる…。

こういう風に、大きな構造と小さな構造との間に相似形が見える関係をフラクタルと言うの。

 で、カオスは?

寄せては返す波を見てくださいね。

 毎回、似てるようで違うね。

この波打ち際の波も、カオスといって良いでしょうね。
陸の方を、見てくださいね。

 木や、草が茂ってますね。

森、ですよね。
一本の木に、注目してくださいね。

 幹から出た枝と、枝の分かれていく姿と、似てますねえ。
 これも、フラクタルでしょう。

そう、フラクタルなのです。

 いい風が吹いてますね。

木が、少し揺れてますね。
どんな風に、揺れてますか。
 
 幹はあまり揺れてないけど、小さな枝ほど揺れてます。

葉も、揺らいでますね。
揺れ方は、毎回同じですか。

 違いますね。
 波のときと同じことが、起きてます。
 
 これもカオス?

はい。

フラクタルは階層性の形に注目しているのにたいして、カオスは階層性の動きに注目しているといって良いでしょうね。

 でも、フラクタルでもカオスでも、違うようで微妙に似ているとも、似てるようで微妙に違うとも、言えますね。

一種のゆらぎといっても良いかも。

 f分の1ゆらぎ?

そうかもしれないですね。

 なんだか、コンパスを持つ女媧(じょか)、曲尺を持つ伏羲(ふくぎ)みたい。

女媧(じょか)がカオスで、伏羲(ふくぎ)がフラクタルとか。

そういえば、女媧(じょか)と伏羲(ふくぎ)には、ほかに子どもが描かれることもあるのですよ。

 子どもが、f分の1ゆらぎと見たりして。

それも、面白いですね。

 フラクタルとカオスって、まるで陰陽ねえ。

ほんと、そうですねえ。

今度は、どうですか。

 なるほど、わかりやすい説明です。
 なんとなく、わかった気分になれて嬉しい。
 フラクタルって、いまひとつ解らなかったんですよね。

前の話は細かい説明がかえって、全体の雰囲気をつかむ妨げになっちゃっていたようですね。

 おもしろいけど、どうにも難しかったのね。
 
それで、今回は、フラクタルやカオスの雰囲気を掴んでもらうことと、フラクタルとカオスの関係を直感的に感じてもらうことに、重点を置いたのです。

 それで、すっきりした説明になったの。

それと、形に対して、対立関係がはっきりしてるから、動きといったけど。

 はい、わかりやすかったです。

動きとは変化と見ても良いし、変化とは多様性と言い換えても良いでしょうね。

 そうですねえ。

聖書には、「われわれに似せて人を作ろう」とありますよね。

 ありますね。

絶対三神に似せただけでも、ゆらぎがあるから人の顔や姿に多様性があるとも言って良いかも。

 なるほど。
 ゆらぎと多様性も、そういう風に関係付けられるわけですね。

ちなみに、丸顔が定番なはずの猫に、比較的面長な猫がいて、馬面みたいと思われちゃったそうですよ。

猫の顔のゆらぎも、結構幅が広いですねえ。

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