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神宮と遷宮

正式名称を「神宮」とだけ呼ぶ、神社本庁の本宗(ほんそう)とされる存在、それが俗称「伊勢神宮」です。

 

別格とされる“お伊勢さん”、当然格付けはないです。

 

 伊勢神宮の参道の石灯籠には、ユダヤの紋章が刻まれているそうです。

 

いわゆるダビデの星といわれる、六芒星ですね。
でも、上向を陽下向きを陰と見る陰陽の印とみても、いいですよね。

 

神宮が管理する宮社が125です。
俗に神宮125社と呼ばれます。
125社の頂点は豊受大神宮(とようけだいじんぐう)と呼ばれる外宮と皇大神宮(こうたいじんぐう)と呼ばれる内宮の両正宮です。
内宮の祭神の正体は、皇祖とあがめられる天照大御神です。
この二つのお宮の下に、14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社があります。
伊勢市だけでなく、度会郡大紀町・玉城町・度会町、志摩市磯部町、松阪市、鳥羽市、多気郡多気町の4市2郡に分布します。

 

 それだけ、大事な神社ですよね、伊勢神宮。

 

 元伊勢て、京都の丹後界隈にあったって知ってる?

その話は知ってますよ。

 

籠神社は京都府宮津市字大垣、皇大神社は同府福知山市大江町内宮、竹野神社は同府京丹後市丹後町宮に、あったって話ですね

 

通称「斎宮」と言われる竹野神社は、丹後国竹野郡の延喜式内大社ですね。
祭神は、天照皇大神です。
摂社斎宮神社には竹野媛命、建豐波豆羅和氣命、日子坐王が祭られています。

 

ちなみに丹後町は、京都府北部丹後地方に存在した町だったです。
2004年(平成16年)4月1日に市町村合併により、京丹後市の一行政区画になっています。

 

ところがかつて、実はとんでもないところに造営されていたのです。

 

現在の五十鈴川に、五十鈴宮と言う名で鎮座していたのです。
 
 それがどうしました。

 

いまよりもっと、低い土地に立っていたのです。
場所が場所だけに、水害にたたられまくったのです。
それで後に、水害の心配がない今の場所に移転することになるわけなのですけど。

 

そもそも、現在の位置に最初っからあったわけではないのです。
日本書紀の記述によれば、第十代崇神天皇の時代までは、大和の宮中で天照大御神は祀られていたのです。
水害の危険がある場所、なんでそこにこれだけ大事な祭神を移すかです。
 
 それも、移転に移転を重ねた末の最終地。

 

やたら引っ越した伊勢神宮、その引越しが始まったわけはこうだと伝わります。
疫病が国内に蔓延し、農夫や流離つまり定住しないで仕事をしていた人々の反乱などが起こったというのです。
皇祖とあがめられる神が何で、宮中で祀られて怒るのかはさておき。。。。
それで、崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が御霊代に託されて、最初の斎宮と伝えられる大和の笠縫邑に遷御することになるです。
これが、今日の檜原神社の社地と謂われる場所で、これが度重なる引越しの始まりです。

 

引越しの途中で一時的に鎮座した場所は、元伊勢と呼ばれます。
大和国、伊賀国、淡海国、美濃国、尾張国、伊勢国の順に移動し、伊勢国内を移動します。
移動中に一時的に鎮座された場所、その数25箇所とも29箇所とも謂われます。

 

その最後にたどり着いた場所が、よりによって水害の避けられないはずの五十鈴川の中といってもいいくらい低い土地なのです。

 

わたしは、これしか理由は思いつかないです。

 

「川を蛇に見立てた。」

 

蛇は、脱皮を繰り返すことから、滅びと再生を繰り返す神とされるのです。
水害を受けることを承知の上の、五十鈴川の中島という立地。

 

これは、太陽神とされる天照大御神に日没と日の出という、滅びと復活があるといってるのと、大して違いないです。

 

これは、古代エジプトの、滅びと再生を繰り返す太陽神と、そっくりです。
実は、女神とされる天照大御神はもともと、男性神の天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊であるそうなのです。
しかも、古代エジプトでは太陽神は夜な夜な大蛇に飲まれ、朝になると復活してくるという展開の神話もあります。

 

また、川と女神といえば、ホルス神の母であり、オシリス神の妻であるイシス女神に捧げられた神殿が、まさにナイル川の川中島に造営されているのです。
その、イシス神殿は、アスワンダムの建設の際、フィラエ島にあったイシス神殿は湖底に沈むため、1972年から1980年にかけて隣のアギルキア島に移築されたのです。
このオシリス神もまた、滅びと復活にかかわる神です。

 

何度となく繰り返された引越し、いまなお二十年ごとに行われる建て替え。
まさに、天照大御神は滅びと復活の太陽神なのです。

 

エジプトの太陽神ラーは猫神、日本の神職が禰子ってのも、なんだか、そう思ってみると面白いです。

 

おっとっと、川と女神といえば、弁財天もそうだったです。。。

 

弁財天といえば、平氏?

 

どう展開しようか、迷ったので、触れなかったのです。

 またまた、不思議発見です。

 

 うむむ・・・勉強になりました。
 伊勢神宮、なかなか奥が深い・・・・ 。
 斎宮の由来もこういうことだったのか・・・・・ 。

 

 度重なる引越しと二十年毎の建て替えが、復活と再生の象徴だったとは。
 お伊勢さん、じっくり行ってみたいです。

 

いいですねえ。

 

 お伊勢さんのおかげ横丁では、来る福に語呂合わせした9月29日に招き猫祭りがありますよ。

 

比較的最近始まったイベントですけど、楽しいでしょ。

 子供の頃、よく親に伊勢神宮に連れて行かれたっけ。
 油揚げがフシギだったなぁ。

 

お伊勢さまと油揚げって、なんでかなってね。

 

そういえば、お伊勢さまで、妙におもしろかったのは、裏にずらずら並んだ小さな祠のひとつに「けつね」の文字を見たことだったですね。

 

「けつね」っていえば、「きつね」とおなじこと、「きつね」といえば「お稲荷さん」、「お稲荷さん」といえば「油揚げ」、それで油揚げがあったのかです。

 

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