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胡桃で知られる笠間稲荷

稲荷大神は、日本人に最も身近な神さまで「お稲荷さん」と親しまれ、殖産興業、開運招福、火防(ひぶせ)の守護神として、広大無辺のご神徳を慕って多くの人々に崇敬されています。

日本三大稲荷とは、『大日本史』等の歴史書や稲荷信仰事典によれば、総本社の伏見稲荷大社のほか祐徳稲荷神社、豊川稲荷ですね。

ただし、総本山である伏見を除けば、どこを入れるかは諸説あるようです。

稲荷は語源については俗に、稲の生い茂るように「稲生り」とも、稲光と豊作を結び付けて「稲鳴り」とも、いわれるように農耕と関連付けて語られるです。
稲荷の語源には、ほかにも、「イネカリ(稲刈)」の「刈」が「荷」に誤られた、「イナニ(稲荷)」が「イナリ」に転訛した、などがあります。
そして、三大稲荷は申し合わせたように、豊かな水の傍にあります。

今回はそのひとつ、笠間稲荷を取り上げたいです。
笠間神社には、東北自動車道で行ったのです。
当日は、運良く富士山が見えたのです。
やっぱり大きいですね、富士山!

日本三大稲荷のひとつである笠間稲荷神社のご祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、正一位という最高の位をもつ神様です。

三大稲荷には諸説あるけど、そのひとつに数えられるということは、それなりの由緒が認められているといえます。

宇迦之御魂神は倉稲魂神とも書き、須佐之男神(すさのおのかみ)と神大市比売神(かむおおいちひめのかみ)との間に生まれた神さまです。

五穀の起源の神さまとして、「古事記」の大気津比売神(おおげつひめのかみ)や「日本書紀」の保食神(うけもちのかみ)と同神です。
豊受大神と同様、「稲に宿る神秘的な精霊」を表し、五穀をはじめ一切の食物を司る神さま、生命の根源を司る「いのち」の根の神さまともされます。
宇迦之御魂神は、御自身が食物を司る神さまなので、一族に流通や稲に関わる神を持つ、人間の生活にとって根源的な役割を司る神さまです。
宇迦之御魂神の兄神の大年神は、「大年(おおとし)」すなわち「大稲(おおとし)」の神さまで、私たちがお正月に「歳神さまを迎える」という時の「歳神さま」に当たります。
暦と農業の神としては、月読神と同様です。

笠間稲荷神社は、社伝によれば第36代孝徳天皇の御代、白雉2年(651年)の創建とされる歴史のある神社です。
「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)と呼ばれたのは、昔から胡桃の密林であったところに稲荷大神をお祀りしていたからです。
胡桃の木のあったところに建てられたとされ「胡桃下稲荷」とも言われるので、門前に胡桃稲荷の、お店があったです。
白い狐が目印です。
胡桃稲荷って、 稲荷寿司の中に胡桃が入ってるのです。
ちょっと甘めだけど、美味しかったです。

江戸時代には特に、歴代笠間藩主の崇敬が篤かったといいます。

松平(戸田)康長は、慶長17年(1612年)に笠間藩主として入封した笠間時代はもちろん、後に信州松本藩に転封になってからも深い崇敬を寄せ、松本城内に笠間稲荷大神(かさまいなりのおおかみ)のご分霊を勧請しました。

井上正賢は、城主であったときの寛保3年(1743年)には、夢に笠間稲荷大神が現れ、いっそう深く霊験を感じて笠間稲荷神社を歴代藩主の祈願所と定め、社地社殿の拡張に努めたのです。

牧野家は、延亨4年(1747年)に入封した牧野貞道以後、累代にわたって篤く崇敬し、大神のご神威の宣揚に力を尽くしたです。

また江戸時代の藩主の一族に、笠間稲荷神社への信仰が篤かったそうです。

笠間稲荷が「お稲荷さんの門三郎」と評判になったのは、門三郎という人がいて、利根川流域を中心に多数の人々に功徳を施したことからだそうです。
いつしか神社も、「紋三郎稲荷」とも呼ばれるようになったのです。
今日では関東はもとより、全国から年間350万余の人々が参拝に訪れます。

稲荷大神のご神名である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の、「ウカ」とは「貴い食物」を意味します。
「ウカ」も蛇をあらわし、食物の「ウカ」と合体して宇賀神とされたという説もあります。
もしそうなら、宇迦之御魂神は穀物の守護神の蛇としても祭られているのかも。

宇迦之御魂神は、須佐之男神と神大市比売神との間に生まれた神さまです。

父の須佐之男神は、天照大神の弟神として有名です。
母の神大市比売神は、ご神名の「市」に示されるように「市場」や「流通」の神さまです。

食物の神、農業の神として崇敬された宇迦之御魂神は、民間の工業や商業が盛んになると広大無辺な御神徳を慕われて、殖産興業の神としての信仰が広がっていくです。
近世になると農家だけでなく、商家、町家、大名にいたるまで稲荷大神への崇敬が広がり、ご分霊を屋敷神や家庭神、地域神としてお祀りする人々が増えてきたのです。

山門には豊岩間戸命(とよいわまどのみこと)・奇岩間戸命(くしいわまどのみこと)の二神像が、また、門の裏手には、一対の神馬の像が安置されています。
第四代藩主の永井直勝公は古河藩へ移動後もご分霊をお祀りし、その領民たちが奉納した神馬像が現在の楼門にある神馬像だと言われています。

笠間稲荷には観光ツアーで行ったら、事故情報が入ったという事でルート変更になり、到着が遅くなりゆっくり参詣出来なかったです。
私自身もメモを忘れると言うドジをしたので、本殿裏の社に奉られている神々を記録出来なかったのが心残りです。
笠間稲荷には、大国主命のほか、白山神社の神々や、菅原道真公も奉られていたとまでは覚えているけど。

山門には豊岩間戸命・奇岩間戸命の二神像があったばかりか、山門の内側には石で作った鏡の模型が比較的最近の奉納とはいえ、ありました。
なんとも、岩戸開きを連想させられる配置です。

“胡桃”は、“包み”に通じ神の御子をほのめかしている様に思えます。
ただ、五穀の起源の神さまとして、「古事記」の大気津比売神(おおげつひめのかみ)や「日本書紀」の保食神(うけもちのかみ)と同神ですね。
無理に対応を見ると、イエスの母マリアにいっちゃいそうですけど。
それに、胡桃の殻は「韓」や「唐」に通じているのかも?
韓櫃や、唐櫃、辛櫃なんてのが、あるそうですよ。
韓櫃や、唐櫃、辛櫃とは、脚のない和櫃(やまとびつ)に対し,四本または六本の脚のついた唐風の櫃のこと。

 まさか、「聖櫃」?

その連想も、面白いですね。

さらに、神馬は養蚕との関わり、つまり関東も秦氏の一大勢力圏だったので、背後の秦氏=賀茂氏を指しているのでしょうか。

 「お稲荷さん」と親しみを込めて呼ぶ割にはね。
 あんまり詣でた覚えがありませんねぇ…。
 神社、稲荷神社の違いもそういえばあんまり意識したことが 無かったです。
 「おいなりさん」はいつも美味しく頂いているのにね。

そうそう、稲荷社は数多い神社のひとつ、違いはその程度です。

 笠間へは、一度行ったことがあるけどね。
 その時の目的は、笠間日動美術館と笠間焼の窯元でした。
 とてもいいところだったけど、笠間稲荷が日本三大稲荷と知っていたら、行ったのになぁ~失敗しました。

 ところで、胡桃入りとは。。。
 ちょっと個性的なおいなりさんですね。
 今度ぜひ行って、胡桃稲荷も食べたいです。

胡桃稲荷、もし、機会があったら試してみてくださいね。

「胡桃」を、「包み」と解釈すると、おもしろいことに、「猫三昧」 という兵庫県の一部で、嬰児または胞衣(えな)を埋める共同墓地が連想できますよね。

胡桃の殻を、韓櫃や、唐櫃、辛櫃と見ると、箱から生まれた話を持つ民族の祖がいるとされるアジアの国々に、思いが行ってしまうです。

胡桃の原産地域は、ヒマラヤ山脈と南西中国、バルカン諸国などにまたがっているようで、最大の森はキルギスタンにあると見られています。

胡桃は原種は、コモンクルミ、ペルシャグルミまたはセイヨウグルミと言われる種に、さかのぼれるらしいです。

またしても、日本とペルシャは不思議な縁で繋がったです。

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