日ユ同祖論をふりかえると。
イスラエル北王国がアッシリアに滅ぼされ、祖国を追われた同国民がいずこかへと消え失せたのが西暦紀元前721年です。
そこから、世界史屈指の謎とされる「失われたイスラエル10支族」探しが始まります。
今日10支族の末裔がいた可能性がみられる地には、インドカシミール地方・アフガン・中国などが上げられるです。
これらを地図の上におとすと、彼ら10支族の行程としてシルクロードが浮かび上がるのです。
当然その先に日本があるわけで、こういう疑問が浮かび上がりますよね。
「彼らは日本についちゃったのか!」
そこで浮かび上がるのが、「日ユ同祖論」です。
「日ユ同祖論」は主に日本人とユダヤ人によって提唱され「日猶同祖論」とも書かれるけど、日本人とユダヤ人は、共通の先祖を持つ兄弟民族であるという説です。
アカデミズムからも伝統的宗教組織からも、証拠の少なさを理由に、認められていない説でもあります。
日ユ同祖論は、主に三つの立場があるのです。
古代イスラエルの「失われた十支族」が日本に来たという説です。
古代イスラエルの「失われた十支族」のみならず十二支族全てが日本に来たという説です。
古代日本人がユダヤ人の先祖であるという説です。
ま、わたしゃさすがに日本人がユダヤの祖先というのはないと思うけど。
それは、同感です。
議論の歴史を振り返ってみますね。
日本宣教の過程でフランシスコ・ザビエルは、当時の日本社会に一種独特なキリスト教的な雰囲気を感じ、昔、日本にキリスト教が伝わったと思ったそうです。
でもザビエルは、自らの直感を裏付ける証拠を色々探したけれども見つけられなかったというのです。
ザビエルは、聖書と全く無関係なはずの日本人とキリスト教の共通性にふれた最初の人物だけど、日ユ同祖論を唱えた訳では無いです。
1690年に来日したドイツ人エンゲルベルト・ケンペルは著書「日本誌」で、日本神話の高天原はバビロニアにあったと主張したといいます。
日本スメル起源説も含め一連の日本中東起源説は、ここに始まるといっていいでしょう。
1823年に来日したドイツ人シーボルトは著書「日本」で、日本人の起源の候補の一つとして中央アジアを考えられるとしたです。
彼が日本人とイスラエルの失われた部族との関わりや、ケンペルのバビロニア説を意識していたかどうかは、不明です。
実質的な日ユ同祖論の歴史は、スコットランド人ノーマン・マクラウドの著作 「日本古代史の縮図」によって始まったと言えるです。
なお、彼は数多くの図譜も公表しているけれどその多くは今でも興味深いものです。
明治期に貿易商として来日した彼は、日本と古代ユダヤとの相似性に気付き、調査を進め、世界で最初に日ユ同祖論を提唱し体系化したです。
マクラウドは韓ユ同祖論も唱えていたので、なんでも失われた十部族と結びつける、いい加減な人物であったという意見もあるがそれは言いがかりです。
彼の主張は、十部族の内の主要な部族は朝鮮半島を経由して日本へ行ったが、ダン族など残りの部族はそのまま半島に留まったというものだからです。
ザビエル、ケンペル、シーボルト、マクラウド以外の日本を訪れた欧州人にも、他の地域の民族に感じた以上の高い精神性を当時の日本に指摘する声は多く、彼らの主張はその起源を探ろうとする試みであったとみることも、可能かもしれないです。
聖書の預言を十部族に適用すると、こうなるという声があるのですよ。
エレミヤ書 16:13には「わたしは、お前たちをこの地から、お前たちも先祖も知らなかった地へ追放する。」とあり、地中海世界やアラブ、中央アジア、インドなどは十部族の定住先の候補から自動的に除外されるです。
イザヤ書11.12では、十部族を「イスラエルの追いやられた者たち」と呼んでいるが、この「追いやられた者」とは、「割礼なき者」を意味する言葉でもあり、割礼の習慣を持つ民族は、十部族の候補から自動的に除外されるです。
神武(jinmu)天皇、つまりカムヤマトイワレヒコの誕生日は庚午年1月1日と推定され、西暦紀元前711年2月13日にあたるです。
『日本書紀』の日本神話の神武(jinmu)東征によれば、イワレヒコは西国の日向から東方へ遠征したです。
そして数多の苦闘の末に大和・橿原の地に到達、即位し初代天皇の神武(jinmu)天皇となったとされるです。
それは、辛酉年春正月庚辰朔で、西暦紀元前660年2月11日と推定されているです。
この神話は、日本人の始祖は日本列島よりも遥か西の地から出た民族であり、何らかの事情からその地を離れ安住の地を目指して東方へ移動したことをさすのだと主張する者もいるです。
神武(jinmu)天皇の誕生年は紀元前711年、一方イスラエル10支族が失踪したのは紀元前721年、その差僅か10年です。
これらの事から神武(jinmu)天皇=失われたイスラエル10支族を意味し、東征神話=イスラエルから日本へ達した彼らの旅路を示すものではないかというものです。
これは面白い。
当時の事情を考慮した上で、丁度10年での移動が自然かどうか検証する価値ありですね。
古代イスラエル系中東人としてなら、ある程度きている可能性を否定するのは難しいけれど。
それに、10年は生まれた年との差なので即位との差60年を見れば、もっと余裕があるようです。
さらには応神(oujin)天皇まで架空だという説もあり、そうなるともっと時間的に余裕ができるわけで、さらに可能性がでちゃうのです。
確かに、可能性の幅が広い、ということは、悪いことではないのです。
でも、あまり広いと、検証に膨大な時間がかかりそう。
そのうえ、まかり間違うとトンデモ扱いされかねないから、痛し痒しですね。
その点を上手くクリアできたら、良いのですが。
いっぽうで、古代イスラエルからの影響を考えたほうが理解しやすいことも日本側にあるわけです。
そうでなければ、これだけしぶとく同祖論が残るわけがないのも事実です。
ほんと、面白いですね!
確かに、応神(oujin)天皇についても、架空説がありますからね。
こういう切り口で、真面目に研究した人いるのかしら。
やっぱり、想像力、創造力が豊かでないと、
こういう発想できないからな。
日ユ同祖論ってかなり面白い話題がいっぱいなので、とんでもにならないよう気を使いながらできるだけ取り上げていくつもりです。
日ユ同祖論は、あなたの話ではじめて知りました。
もともとの教養がないから、難しく感じて分からないところも多々あるけどね。
すっごく面白い説ですのね!
ま、証拠としてあげられてるものをみてるだけでも、へー!から、なんで?まで、いろいろありますね。
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コメント
角筆研究の小林芳規・広島大学名誉教授をご存知でしょうか。
日本のカタカナの起源は、角筆研究によると、朝鮮半島からだそうです。
カタカナはヘブライ文字に似ているという説があります。
ヘブライ文字の初心者は文字の音を示す字を上・中・下に書くことがあり、角筆の字も漢訳仏典の漢字の音を示すために「筆の角(かど)または底」で右側に字の痕跡を残すようです。
とすると、角筆は朝鮮半島でヘブライ文字で書かれたものかもしれません。
ちなみに、以下のサイトもあるようですが、イマイチ不明です。
http://www.saturn.dti.ne.jp/~ttshk/framepage5.htm
また、米山益弘「初期ヘブライ文字」はPDFで立ち読みができます。
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/4-8355-0556-5.jsp
投稿: ドラドラ | 2009年7月 6日 (月) 21時02分
カタカナの起源はヘブル文字、この説知ってますよ。
古代日本人になった人々の中には、朝鮮半島経由をした集団もあったでしょうね。
その集団の中に、世界に散ったユダヤ人は混じっていてもおかしくないでしょう。
投稿: cova | 2009年7月 7日 (火) 14時52分