危機というけど、ほんとの危機は?
今日は思いっきり辛口で言うですよ。
なんか、語気強いですね。
経済が、危機だ危機だというです。
言ってますね。
誰が危機か、です。
誰かって、ねえ。
生産者が危機、生産者が危機だから、金融が危機。
金融が危機、金融が危機だから、生産者が危機。
生産者と金融が危機、生産者と金融が危機だから、消費者が危機。
消費者が危機、消費者が危機だから、生産者と金融が危機。
見ていただきたいです。
危機の発端は、生産者と金融です。
「消費者が危機」は、「生産者と金融が危機」を増幅させているです。
言い換えれば「消費者が危機」になるのは、「生産者と金融が危機」だからではない。
言い換えれば「消費者が危機」になるのは、「生産者と金融が危機」にするから。
どうしてかです。
どうしてか…。
生産は、何のためにある行為でしょう。
生産は、消費のための行為ですよ。
確かにね。
言い換えれば「消費者が元気」になれば、「生産者と金融が元気」になる。
言い換えれば「消費者が元気」を失えば、「生産者と金融が元気」を失う。
もし、「消費者が元気」を失なって、「生産者と金融が元気」を失はないとしたら。
それは「生産者と金融が元気」なのは、「消費者が元気」を失なっているから。
つまり、消費者が生産者と金融に収奪されているから。
違うでしょうか。
ここを改める意思と能力のない、政治と科学は無能と言うことです。
ここを改める意思と能力のない、政治と科学は無用と言うことです。
違うでしょうか。
どう思いますか。
本質って、単純なところにあるのね。
あたしのねこあたまでも、そう思っていたのにね。
実は、誰も言ってくれないんだもん。
ちょっと、言い過ぎたでしょうか。
いや、まさにそうですよ。
あえて極論にしたのは、こうではないか、ああではないか、そういう風に考えて欲しかったからなのです。
単純化しすぎて、突っ込みどころ満載かも。
突っ込みどころ満載だから、言わないのかなぁ?
でも本質はそうでしょう。
個々の人を見れば、どの立場にも、いろいろな人は居るでしょう。
でも、立場が要求する思考と行動は、個人の想いがどうあれ、貫かれることを求めると言えるかも。
規制緩和論の顛末は、まさに、これをはっきり示した気がするのです。
消費者庁を設置すると、いっていますがねぇ。
消費者庁の設置自体は、消費者に対する行政側の窓口が一本化される点で評価していいでしょう。
政府や政治家、果たして、どれほどのことをするつもりなのか。
消費者の声を行政に反映させるための窓口として、どれだけのことができるかが問われますね。
原因を作ってきた彼らに、できるのか・・・・・・。
より、権限を強めて消費者省にまでするつもりがあるかどうか、注目したいですね。
それと同時に、「消費者が元気」になるためには、労働行政や、厚生行政などとも、連携が求められると思うのです。
偽装や不当労働などの告発者の保護や、生活の安心も、問題解決に深い関わりがあると見えるからです。
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