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アロハで繋がる、ハワイとシリア?

「仏教の中のユダヤ文化―聖書から見た釈迦の教えと聖徳太子伝説」

この本の末尾に、大秦景教流行中国碑の訳が掲載されています。

なかなか面白く読んだのです。

この中に、あれ!?と思う部分があったのです。

「阿羅訶」…?

「アロハ」と読むのです。

 全く違う言語なのに妙な共通点があることってね、他にもありますよね。
 なんだか不思議、なんだか楽しい。。。 。

シリア語で“神”だそうです。

だれ?

アロ~♪ハ~♪オエ~♪

歌ってませんか?
じつは、わたしも歌っちゃったのです。

でも、ハワイ語でちゃんと言うとこうなるそうです。
ローマ字風に読んで良いとの事です。

Aloha au ia `oe  アロハ アウ イアー オエ  愛してる、あなたを。

でも、ハワイって言えば先住民はポリネシア系ですよ。

 なんで?

ポリネシア人やミクロネシア人は、ちょっと見は黒人っぽいけど、実はモンゴロイドに分類されます。

ちょっと見が黒人っぽいのに、実はモンゴロイドと見られているのは謎だらけの古代アメリカ人、オルメカ人もそうなのです。

報道によると、サイエンス2006年9月15日号に、紀元前900年ごろと推定される未知の文字がメキシコ南部ベラクルス州で多数見つかり、中米最古のオルメカ人のものと見られると出たのです。
もし、本当にオルメカ人の文字なら、彼らの起源についての研究に大きな手がかりが出たといえるです。

 でも、黒人といえば分布の中心はアフリカですね。

ポリネシア人、ミクロネシア人、オルメカ人、いずれもモンゴロイドと黒人の中間とすれば、起源をアフリカに求めても自然ですね。

おもしろいことに、ハワイ語で太陽は「ラ」というらしいです。

 古代エジプト人は、地上の太陽神を「ラー」と呼んだでしょ?
 もとは、一つの神だったのかな?

可能性は、疑ってもいいかも。

 面白いですね。
 つながれば、線路は続くよどこまでも、見たいな感じ。

 へイエルダールのコンチキ号実験航海もあるしな。

ちなみに、もっとも有名なハワイ語のひとつ、Aloha-アロハは「愛」のほかに、「こんにちは」、「さようなら」を意味するです。
Aloha は、 alo と ha 二つの言葉から構成されているのです。
alo には「前面」、「顔」という意味があり、 ha は「呼吸する」、「生命の息吹」というような意味になるのですと。
この二つをあわせたAloha は、元来「相手の顔の横で呼吸する」という動作を表すけれど、愛を意味するのも面白いです。
 
 「こんにちは」とやってきて、「愛」して、「さようなら」と去っていく…なんてまるでドラマのようです。

 「相手の顔の横で呼吸する」
 なんだか、濃い愛情を思い浮かべますね。

言葉の意味が、面白いですよね。

 「こんにちは」「さようなら」と「愛」の3つを表す、というのは。
 つまり、挨拶とか愛は、人のふれあいの根本なのかな。

 人とのふれあいの根本は、顔をつき合わせて生きるということなの?
 原住民の言葉は直裁で、だからこそ意味深く思える。

 もしかすると地球上の全人類は、愛つながりで種族は同じかも。
 なんて思ってしまいますね。

Aloha が、元来「相手の顔の横で呼吸する」という動作を表すわけですからね。
「相手に声をかける」という動作を表すと、見てもいいのかも。
それで、挨拶の言葉となるわけです。

 欧米では例えば、「グッドモーニング」「グーテンモルゲン」など「あなたに良き朝がありますように」と声をかけますね。

これらの挨拶は、相手に神の愛や、神の慈悲があるようにと祈った言葉が縮まったものですよね。

Alohaに「愛」の意味があるならば、「あなたに祝福がありますように」と言い換えても良いはずです。
日本語にこういう慣用句がないから、「こんにちわ」「さようなら」「愛」と訳すことになるです。

つまり、Alohaにもっとも短くもっとも適切な訳を当てるなら、「神のご加護を」ではないかとわたしは思っちゃうのですけれど?

 愛を伝えに来て、そして去っていった、もっとも有名なお方は、イエスですよね。

そうですね。

 言葉も共通してるのですね。

深いところで、繋がっていそうですね。

余談ですけど、ハワイ語の“アロハ”は、“アロ・ハ”です。

“アッラー”は、もともと“アル・ラー”なのです。
もし、神を意味するシリア語の“アロハ”も、“アロ・ハ”と切ってよければどうかです。

かりにシリア語の“アロハ”が“アッラー”の転化であったなら、ハワイ語の“アロハ”も“アッラー”の転化であってもおかしくないのです。

そして、“アル・ラー”の“ラー”は、古代エジプトの地上における太陽神のことなのです。
ハワイ語の太陽を表す“ラ”は、もともとは“ラー”であってもおかしくない訳です。

この推理が成り立つならば、ですけど?

 面白い推理ですね。
 世界がつながるな…。

 でも、そうなると日本って特殊だね。
 「神のご加護」という概念がないから。
 
 挨拶も愛を表す言葉もそれぞれ状況で必要となるわけ?
 「こんにちは」「さようなら」は、後に続く語を考えるとねえ。
 
 とても具体的、実用的だしね。
 愛という言葉も近代になって出来た新しい言葉だったような。

神仏のご加護、神仏のお蔭、と言う考え自体は日本など東洋にもあるです。

ただ、欧米人のように相手の人に対して神仏の守りを願う言葉を言う慣習が東洋では一般的ではない、と言うことなのです。

基本的には、ご加護、お陰、これらは神仏に向かって語りかけるべきことであって、人に対して語りかけるべきものではない、これが東洋風なのです。

これが極端なのがインドだそうです。

挨拶もぬきに、いきなり用件に入るのがインド風、「偉いのは神であってわれわれではない、なんで人に対し敬意をはらわなならん」と言うのが理屈だそうです。

 そっか、なんて面白いんだろ!

 長い年月、さまざまな地域に生きた人たちが感じてきた神の存在。
 あらわし方、感じ方はそれぞれだけど。
 それぞれが 、「神の存在」を信じてるんだなぁ。

真正面から神を信ずるもの、さまざまの理由や口実を掲げ神を利用するもの、いずれにしても神の存在を前提に動いてきたと言えるのでないでしょうかね。

もちろん一方で、いろいろな装いを凝らした無神論的思想の流れもあったようです。
現在のように、露骨でないだけですよね。

なんかいろいろいろ、連想しちゃうけど長くなりそうなのでこの辺にしとくです。

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