樽神輿
神社に似た神輿が担がれる中で、考えてみれば“何で?”って思うものがあるのです。
それは、みればみるほどユーモラスなのです。
大人が懸命に担げば担ぐほど、おかしみがでるものです。
それは、樽神輿です。
では、樽神輿はいつ頃からあったのかです。
昔は壷(つぼ)や甕(かめ)に蓄えていたから、重いわ壊れやすいわで担げるわけないです。
もし壷や甕が担がれていれば、壷神輿、甕神輿という言葉がどこかにあってもいいけど、ないことからいっても担がれたわけないです。
実は樽はいつ頃からあったというと、樽や桶は平安時代にはできていたようです。
でも、樽は今と似たものかどうかはわからんです。
酒樽と呼ばれるもののなかには、タガのなくって下げ手のある四角いものもあるのです。
桶と樽は、どこが違うか知ってますか。
桶は桶側、タガ、底板からなっており、細長い板を円筒形に並べあわせ、底をつけてタガで締めたものです。
蓋を使用する場合も多いけれど、桶には固定した蓋がないです。
樽は固定した鏡とよばれる蓋があり、これが最も桶と異なる点です。
ただ、振動の多い移動にむいた樽は、ぶつかり防止に薦(こも)をまいたものが江戸時代の檜垣回船や樽回船に積まれるまでなかったようです。
薦とは、マコモやわらで織った筵(むしろ)のことです。
江戸初期はただまいただけ、いまのようなしっかりまかれた薦被りは、江戸中期から後期にかけてでてきたようです。
つまり、樽神輿はどんなに古くっても江戸中期よりさかのぼることはないだろうってことです。
じゃ、樽神輿はなんなのでしょうね。
祭りに酒はつきもの、でも、だからといって重い壷や甕を担ぐのは大変です。
それに、わざわざ担がんでも神仏の御下がりをいたたけばいいだけの話です。
となると、酒が神輿に参加するのはなぜ?ってことからみた方がいいようです。
そういや、味噌や醤油の樽、担がないですね。
酒の部首は、つくりの酉(とり)なのです。
ん?じゃ~?さけって、“さんとり”ってことですか?
“さんとり”を“さんとりい”とみれば、“三鳥居”となりますね。
で、“サントリー”は、お酒の会社…。
社長が鳥井信治郎だったので“とりいさん”引っくり返して“さんとりー”としたという説も広まっているが、これは誤りだそうです。
1899年に鳥井商店の名で鳥井信治郎が創業、1921年に壽屋(寿屋)を設立。
サントリーの社名は、1963年から。
「サントリー」の名前は、1929年4月、初めて発売したウイスキーに創業者鳥井信治郎が名付けたことからだそうです。
当時発売していた赤玉ポートワインの「赤玉」を太陽に見立ててサン(SUN)とし、これに鳥井の姓をつけて「SUN」「鳥井」、「サントリー」とした、ということになっています。
いまじゃ、洋酒、ビール、清涼飲料水の総合企業ですよ。
あ、そうですか。
昔は神社の神様は三神一組が一般的だったようです。
で、神様一柱ごとに一鳥居として三鳥居になって、“三鳥(さんとり)”?
それとも、樽という丸い中に“三鳥(さんとり)”となれば、丸を太陽に見立てると、昔から太陽には三本足の鳥がいるという伝承があるので、“三鳥(さんとり)”は太陽の三本足の鳥なのでしょうか。
もしそうなら、樽神輿とは、神輿の中に太陽神がいることになりますねえ。
え?あの樽神輿が太陽神の巡行?まさか…。
三種の神器とされる鏡、剣、勾玉にも、何か通じるところがあるのでしょうか。
三本の矢、三鳥居…。
神や皇族文献に、三という数字がよく出てくることにいわれがあるのかな。
酒は神の水、それを守るのは太陽神。
樽神輿はやはり酒をお守りする太陽神の巡行。
当然、この三と酒の三はなんらかの関連はあるのかもです。
方位としての酉は西です。
陰陽の、陽のある意味の極みが東とすれば、西は陰の極みといえます。
陰陽で言う、もう一つの陽の極みは南、陰の極みは北ですけど。
陽の極みには“生”の東と陰の直前の南、陰の極みには“死”の西と陽の直前の北、があるのです。
つまり、これらは陰として三種の神器である鏡、剣、勾玉や、三本の矢、三鳥居、太陽神などとのつながりは、封印されてきたとも、言えるかも。
その意味では、陰陽の裏の名前が封印された智恵であるユダヤ神秘主義“かっばーら”とそっくりな“かんばら”というのは奇妙な気分なのです。
疑問に対する答えになってないとは、思うのですけれど。。。
確か、神輿は英語でね。
portable shrineと言ったような・・・。
携帯 神社・・・ 。
なんか的を獲てるような、そうじゃないような。
でも、そう訳した人の気持ちもわからなくもない。
でも、神様を動かそうとする日本人もすごいですよね。
私の地元では、進んでいく神輿の下を往復するとねえ。
いいことがあるとかで、皆やってたんですが。
変な風習ですよね。。
携帯神社。
そうなのです。
どうみても、あの形態は携帯神社なのですね。
携帯神社・・・なるほどねえ。
でも、いくら携帯でもバッグやポシェットには、入らんのですよ。
日本の神域には本来社殿はなく、神社は一説には秦氏が大陸のどっかからもちこんだ形式であるらしいのです。
神輿はほんらい御輿で、神域からの神の乗り物だった。
そうみれば、携帯神社でいいわけですね。
樽熟成・・・。
神様って、美味いもの聞こし召してらっしゃる。
神には、よきものを供えるのが慣わしですものね。
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