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オシラサマ

オシラサマは、おしらさま、おしら様、お白様、オシラ様、とも表記される、日本の東北地方で信仰されている家の神です。
一般には蚕の神、農業の神、馬の神とされます。

オシラサマは、おもに旧家に祭られている屋内の神です。
ご神体は、約30cmほどの大きさです。
頭を布で包んだ包頭型と頭を布から出した貫頭型とがあり、貫頭型の頭部には男神と女神あるいは馬と娘などの彫刻が施されたり描かれたりしています。

芯木となっている棒の材質の多くは、桑の木です。
なかには、杉や竹のものもあります。

 学生時代に、遠野でオシラサマを見せてもらったことがあるけど。
 木の棒に着物を着せただけのような、素朴なものだったなあ。

呼び名は、祭っている家によってさまざまです。
オシラサマ、オコナイサマ、オクナイサマ、オシラボトケ、カノキジゾウなどと呼ばれています。

一般的には、養蚕神して祭られているようです。
家によっては目の神様とか家神様として拝んでおり、守り神とかお知らせする神、たたりのある神ともいわれています。

四つ足などを食すると、直ちに罰せられると伝えられます。
いまだに、それを堅く守っている家もあります。

「オシラサマ」という呼び名は、明治27年(1894)遠野の人・伊能嘉矩が初めて人類学会で「オシラ神に就きて」を発表してから、広く知られるようになったのです。

宝暦12年(1762)に著された「遠野古事記」には、「しあらというものを小箱からとりだし祈祷云々」と記録されています。
オシラサマに年号が記されているもののうち、遠野で最も古いものは、小友町の及川義志氏所有の文禄3年(1594)のものです。

 むがすあったずもな
 おどうど娘ど馬っこどしてながよぐいだずもな
 娘っこはそれは まんずめげがったずもな
 馬っこも白くて良く動いだずもな
 娘ど馬っこはとっても仲いがったど

 晩げになるど いっつも娘っこは馬っこと一緒に寝でらったど
 とうとう娘っこと馬っこは夫婦になたんだど 
 おどうは怒って馬っこを古くて太い桑の木につるして殺したんだど
 夜になって娘は馬のことを探したんだど 

 おどうにきいだっけ『桑の木につるした』って言ったんだど行ってみだっけ馬っこ死んでらたど 
 娘っこは泣いで泣いで離れねがったど 
 おどうはまだおごって馬っこの首を切ったずもな

 したっけば馬っこと一緒に娘っこも空さ上がってたずもな 
 おどうは泣いだど
 ある夜娘っこが夢枕に出だずもな
 『春になったら飼葉桶のなかに馬の顔をした虫がいるからその虫に桑の葉っぱを食べさせて大きくして繭を作らせなさい その繭で糸を作って下さい』

 おどうは云われる通り飼葉桶を見ると馬の顔をした虫がいだたど
 この虫を大切に育てて糸を作り幸せにくらしたんだど 
 おどうは娘と馬の代わりに人形を作り祭ったんだど 
 これがおしらさまのはじまりなんだどさ
 どんどはれ

『遠野物語』には、こう収録されます。

 昔ある処(ところ)に貧しき百姓あり。妻はなくて美しく娘あり。
 また一匹の馬を養ふ。
 娘此馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝(い)ね、終(つひ)に馬と夫婦に成れり。
 或夜父は此事を知りて、其次の日に娘には知らせず、馬を連れだして桑の木につり下げて殺したり。
 その夜娘は馬の居らぬより父に尋ねて此事を知り、驚き悲しみて桑の木の下に行き死したる馬の首に縋(すがり)りて泣きゐたりしを、父はこれを悪(にく)みて斧を以て後より馬の首を切り落とせしに、忽(たちまち)ち娘は其首に乗りたるまま天に昇り去れり。
 オシラサマといふは此時より成りたる神なり。

こういう話です。

 オシラサマ伝説のある遠野の伝統家屋は、南部曲がり屋といってね。
 母屋と馬小屋がL字型につながっているの。
 これは馬は単なる家畜ではなく家族同様なほど大事に扱っている証拠と、聞いた覚えがあります。
 娘と馬が夫婦になるという話も、こういった風土なら自然と出てきますね。

 ほかにも、バリエーションがあるのかなあ。

例えば、馬は逆剥きにされて殺され、娘はその馬の皮に包まって昇天するとするものなど。
どことなく、スサノオが逆剥けの馬を機織に投げこんだら驚いた機織の女が陰所を飛び樋で、突いて死んだ話を連想するパターンもあります。

岩手では、桑の木の船に老人が乗ってくるという、まったく別の物語になっているです。

 刎ねられた馬の首に、しがみついた娘が昇天する…。

私はここに、タントラのある女神の話をどことなくダブらせてしまうです。
この女神は、自分に付き従う二人の娘を養う為、なんと自分の首を撥ねほとばしる血を、この娘達に与える女神なのです。
馬と女神が違うし、娘も一人ではなく二人ですが…。

オシラサマの祭日を、「命日(めいにち)」と言います。

 馬と一緒に娘も昇天、だからかな。

そうかも。
 
”東北のオシラ祀り”では、次のようなあらすじの祭文がイタコたちのによって読まれるそうです。

 長者夫婦は、観音様に祈願して、美しい娘を授かった。
 ところが、長者の飼っていた馬が娘に情を寄せたので、怒って長者は馬を殺して皮を剥いでしまった。
 すると、はがれた馬の皮は娘に抱きついて飛びさってしまった。
 代りにそこへ馬頭観音が現れた。そして桑の木には白い虫が現れ、蚕になった。

オシラサマの祭日である命日は、旧暦1月・3月・9月の16日に行われるです。

命日には、神棚などからおしら様を出して神饌を供え、新しい衣を重ね着させます。
これを「オセンダク」といいます。
 
 お洗濯?

たぶん、そうかも。
 
盲目の巫女であるイタコがオシラサマに向かって神寄せの経文を唱え、オシラサマを手に持って祭文を唱えながら踊らせるです。
この行事を、「オシラアソバセ」「オシラ遊び」というそうです。

 オシラサマを踊らせるから、祭ることを遊ばせるというのかなあ。

踊るというあたりが、どことなくタントラっぽいですねえ。

 女神、あるいは娘を表す像を踊らすから?
 馬や、男神となんだけどねえ。

細かい差は、あるけど。

さらに、桑は生命の樹を思い起こします。
 
 それと、機織と繰ればやはり秦氏ね。

おしらさまは、かなりローカルな神様のようなのです。

娘を伴って昇天した馬の首から連想して、馬頭観音と養蚕の関係を探ってみたです。
すると、養蚕の行われている所では、かなりの確率で馬頭観音が祀られているのです。
ただ、養蚕の神としてかならずしも祀られているわけではなかったです。

とはいえ、いくつかの地域では養蚕の神とされています。
かと思うと、馬鳴(めみょう)菩薩なる神が養蚕の神として登場しています。

 なんで、養蚕と馬?

どうも、蚕の顔を馬面に見立てているらしいのですけどね。

西上ハルオ著「マンダラ博物館」に、中国の記録として挿神記・太古蚕馬記・神女記・山海経からとしてこんな記事があるという情報を得ました。

 昔、父が旅に出たので、一人娘が留守をしていた。
 娘は寂しさのあまり、『もしお父さんを連れ戻してくれたなら、お前のお嫁さんになってあげる』と、馬に話しかけた。
 それを聞いた馬は、駆け続けに駆けて父のところへ行った。
 父は馬を見て驚き、家に変事があったと思ってその馬に乗り、急いで家に帰った。

 こうして娘の希望はかなえられたが、娘は馬に嫁がなかった。
 馬は娘を見るたびにとても興奮した。
 それを見て父は不審に思い、娘に問いつめた。
 そして、事情を知った父は、やはり娘を馬の嫁にするのに忍びず、その馬を弓矢で射殺し、皮をはいで庭に干した。
 娘はその皮を足にからませながら、『畜生の分際でわたしをお嫁に欲しがるなんて』と言ってあざ笑った。
 そのとたん、馬の皮はガバッと起き上がって娘を包みこみ、そのまま舞い上がって桑の木に止まった。
 皮に包みこまれた娘は、間もなく虫になってしまった。
 その虫は、桑の葉を食べ、銀色の糸を吐き出すようになった。
 そこで人々は、彼女を馬頭娘(ばとうじょう)と呼び、養蚕の神として祀った。

仏教が伝えられると、この養蚕神の由来と習合して馬鳴菩薩が誕生したようですね。

 本当に、娘の性格が全然違いますねえ・・・・。
 それにしても、娘と馬がって。
 なるほど、そういう風土からでてくる発想ですか。
 ぎょっとしちゃいますが。

国民性の違いでしょうかねえ。

 中国にも日本にも同じような言い伝えがあるなんて、不思議ですね・・・。

養蚕とともに、文化も入ってきたってことですかね。

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コメント

はじめまして。
ふと、馬はワニではなかったのかと思いました。

投稿: まるこ | 2011年9月29日 (木) 06時06分

馬とワニ、ですか。

面白い情報ですね。

投稿: cova | 2011年9月29日 (木) 12時49分

>情報

理由はないんです。顔が長いから、ふとそう見えました。

投稿: まるこ | 2011年9月29日 (木) 16時09分

いえいえ、私も、ナンジャコリャから調べ始めるのが大半です。

蚕と馬も、長い顔繋がりで面白い展開がありますよ。

馬頭観音や馬鳴菩薩が養蚕の神になるのも、長い顔繋がりというダジャレからです。

ワニにも、和邇や王仁なんて当てて歴史上の人がいたりします。

彼らは渡来系なので、馬と関係が全くないとは言い切れません。

投稿: cova | 2011年9月29日 (木) 17時07分

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