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ムハンマドは何教徒?

イスラエルとハマスの争いの舞台となったガザの写真など見ると、神様は能無しや!としか思えないという感想を持つ人は少なくありません。

日本の報道などでは、「ハマス」と呼ばれる事が多いです。
原語に近い発音はحماس(ハマース)で、アラビア語で「熱情」という意味です。

ハマース(حماس、Ḥamās)は、パレスチナのイスラーム主義団体です。
正式名称は、イスラーム抵抗運動(حركة المقاومة الاسلامية、Harakat al-Muqāwama al-Islāmīya)と言います。
各単語のアラビア文字の頭文字ح(Ḥ)、م(M)、ا(Ā)、س(S)を取ってحماس(ハマース)と通称されます。

ハマースは、パレスチナ解放運動の諸派のうち、いわゆるイスラーム原理主義の代表的な組織で、政党でもあります。
パレスチナの野党ですが、ガザでは実権を握っています。

ハマースはイスラエルや欧米側からは、自爆テロばかりやる過激な連中であるという印象が広まっています。

けれど、パレスチナ住民にとっては、機能不全に陥っている自治政府にかわって、機能しているのです。
貧困層のために病院、孤児院、学校などの経営を行うといった医療・教育等福祉をおこなっている、自助組織の意味合いが強いのは報道されている通りです。
そういったこともあって、ハマースは、2004年12月から行われたパレスチナ地方議会選挙においては過半数の議席を獲得しました。

ハマースは1987年12月14日、ムスリム同胞団とイスラム・ジハードのパレスチナ支部に基づき、アフマド・ヤースィーンによって創設されました。
文化・啓蒙組織として、イスラエルにより公式登録されています。

 ガザはいったん停戦したけど、どこまで続くか不安視されていますね。

神は、真に自らの道を歩む者は救いたもう、はずですよね。

悲しいかな武力解決をしようとした彼らは、神の言葉より、神の理解者とか解説者と名乗る者の言葉を選び、神の御力より手元の武器に頼る道を選んだのではないでしょうか。

 聖書でも戦いは記されていますし、コーランも戦いを呼びかける記述は多いですよ。

戦うときは、神に伺いを立ててないと、たいてい負けてますよ。

コーランでも、ムハンマドが神に命じられた場合のみ戦っていたはず。
 
 ムハンマドと言えども、信者が求めただけでは戦いを指示していなかったと。

ムハンマドが預言者であれば、なおさらでしょ。

 神を騙って戦うことがあれば、神はムハンマドを即座に罰したでしょうね。
 
 聖書にも、神の指示通りしなかった預言者や、預言者を降りようとした者は、生命の危機を避けられていないですね。

ええ、預言者として全うしていたなら避けられたはずの危機で、命を落としています。

神を求めて偶像を選んだ者に、神は告げられるのではないでしょうか。

主よ主よと、これ見よがしに私を呼ぶ者がいる。

私は言う、あなた方を知らぬ。

神の言葉より自分を上に置き、御力より武器に頼る、ここを離れ神に懺悔せぬ限り神は彼らを敵の手に渡し続け、滅びさせることも辞さぬでしょう。
 
 ガザが、そこに気づいて欲しいですね。

憎しみで、判断を鈍らせないことを願いたいです。
 
 では、イスラエルはなぜに安寧を得られないか、ですが。

同じ理由でしょうね。

神に伺いを立てず、民衆の声に振り回される為政者、神の御力より武器とアメリカに頼る国と国民、彼らもまた神を求めると言いつつ、偶像に縋る者でしょう。

ここを離れ、神の御前に心からの懺悔をせぬ限り、イスラエルに安寧はないでしょうね。

 ガザ・イスラエルについては、仰る通りかとも思えます。
 かといって、自分の責任がないとまでは言わないのですが・・・。

悲しい現実ですよね。

ところで、ムハンマドは何教徒だったと思いますか。

 イエスは、ユダヤ教の改革者として自らを位置づける、ユダヤ教徒ですよね。

 ムハンマドも、イエス同様、ユダヤ教徒であると。

半分は、当たってるでしょうね。

しかし、ユダヤ教徒はイエスを基本的に認めてません。

新約で、ユダヤ教徒が無視できないと見るのは、黙示録くらいではないかと言うひともいるくらいです。

イエスを認めたがらないユダヤ教に対し、ムハンマドは預言者としてのイエスを認めています。

 キリスト教徒までも含めて、啓典の民としていますね。

旧約と新約だけを指して、聖典という場合もありますよ。

 旧約と新約を聖典、コーランも含めると啓典、ですか。

コーランを聖典に対する啓典と、位置づけていたと見ることも出来ますね。

 そうですね。

コーランを聖典に対する啓典と位置づけていたとすると、面白いことになります。

聖典の解説書と、ムハンマドがコーランを見ていたことになるからです。

コーランを啓示の書、つまり聖典の解説書と見たなら、こうなるでしょう。

コーランの目的は、聖典によって神が教え示した人の力では知り得ない内容について、その真意を明らかに表し示す事であった。

 ええ!

 それって、ムハンマドはイエスを聖霊と共に使わされた特別な預言者と認めてるから…。

 ムハンマドの真意とは、キリスト教の改革!

意外かも知れませんが、そうなりますね。

もちろん、キリスト教にユダヤ教改革の原点に回帰を求めること、つまりユダヤ教の改革者でもあるわけですよ。

 実際、ユダヤ教とキリスト教の変質に怒るアッラーの言葉は、コーランにいくつもありますね。

一方で、ユダヤ教徒とキリスト教徒がコーランに従うものとの共存を受け入れれば、敵視しない柔軟さも示しています。

実際イスラム圏で、キリスト教徒とイスラム教徒が仲良く暮らした歴史は良く知られています。

今でも、その光景が見られる地域はテレビに登場したりしますよ。

 ムハンマドは、キリスト教徒だった…。

イスラム教徒は認めたくないでしょうが、実質はそうなりますね。
 
 十字軍への、悲しみと怒りの過去がありますものねえ。

 それ以外にも、対立と抗争の長い歴史…。

ムハンマドが活動を始めた時代、あったのは聖典だけです。

 コーランは、影も形もなかったのですね。
 ムハンマドの受けた預言から、コーランは始まった。

この事実は、ムスリムに受け止めて欲しいものですね。

そもそも、イスラエル建国の前までは、アラブ人もユダヤ人も仲良く、今パレスチナと呼ばれている地で暮らしていたのです。

元々の兄弟部族ですしねえ。

ムハンマドも、ユダヤのもとで学んでいた時期があったそうですよ。

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