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2009年2月

ムーサとイスラム法と?

イスラム法のもとでは、レイプの被害者である女性が投獄されるケースは決して少なくないと、しばしば報じられます。

誤って赤ん坊を死なせてしまったメイドに、死刑が宣告されるかもしれないという話も伝わったこともあるです。

コーランは、そんなことを命じている書でしょうかねえ。

 どうして、そう疑うのですか。

 だって、イスラム法に則った裁きでしょ。

なぜなら、聖書はそんな命令を出していないように見えるからです。
特に、イエスの啓典とされるいわゆる新約は、そんな命令があると思い込んでいる人をむしろ退けているのです。

 ムスリムが従うのは、コーランでは。

そのコーランは、ユダヤ教徒やキリスト教徒に聖典をないがしろにしていると、何度も怒っているのです。

 聖典が何を命じているか明らかにして、教えを徹底させようとしたのが、コーランであると。

コーラン自体が、ヤダヤ教徒やキリスト教徒を導きなおすために、ムハンマドを通じて送られた啓典と自ら位置づける言葉を繰り返しているのです。

 コーランばかり読んで聖典を読まないムスリムは、ムスリムと言えない。

当たり前です。

ムハンマドがアッラーに預言を命じられたとき、ムハンマドたちの前にコーランがあったでしょうか。

 アッラーは、ムスリムとなろうとするものにも、聖典に従うよう求められると。

聖典をないがしろにするものは、ユダヤ教徒だろうがキリスト教徒だろうがイスラム教徒だろうが、啓典の神に逆らう者でしょうね。

 ムスリムであれば、アッラーに逆らうことに等しいと、言う訳でしょうか。

特に、ムーサの啓典である、いわゆる旧約をないがしろにする者は、啓典の民を名乗る資格を神に問われるのではないでしょうか

 ムーサとは、モーセのことですね。

ええ。

ムーサの啓典である旧約なくして、コーランは成り立たないのですよ。

コーランを読まないで、それを知らないのは仕方ないでしょう。

コーランを読んでいながら、それに気が付かない者は、アッラーの言葉を読まずにいる者でしょう。
 
故意に殺したら、罪を問われる。

事故で死んでしまったなら、罪に問われない。

これが、ムーサの啓典である、いわゆる旧約の定めることです。

 自分の思い込みを、コーランとすり替えているから、判断の過ちを犯す。

 イエスに叱られた、パリサイ人と同質であり同列であると。

パリサイ派、ファリサイ人、ファリサイ派とも、呼ばれます。

現代のユダヤ教の諸派は、ほとんどがパリサイ派に由来していると言うのです。

パリサイ派はユダヤ教の主要な四派の一つで、他の三つはサドカイ派、エッセネ派、熱心党です。

パリサイ派はラビを中心としたユダヤ教を、形作った人々です。
ユダヤ教にとって、歴史的に非常な重要なグループであったと言えます。

イエスは、解釈者としてのパリサイ派の言葉には耳を傾けたのです。

問題にしたのは、パリサイ派の行動が自らの解釈と異なることだったのですよ。

パリサイ派は、紀元前536年から紀元70年にかけて古代イスラエルの第二神殿時代後期に存在した、ユダヤ教内グループだったのです。
ユダヤ戦争によるエルサレム神殿の崩壊後、ユダヤ教の主流派となって行ったのです。

 パリサイ人と比べたら、パリサイ人が気の毒であると。

パリサイ人は少なくとも、旧約は読んでるからです。

 それは、そうですねえ。

イエスの逸話でよく知られている話しの一つに、これがあります。

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

イエスの庇った女が、どのような罪を問われたか、ご存知なムスリムはだれだけいるのでしょうか。
 
 娼婦として、罪を問われたのでしょ。

 この時イエスに救われた女性こそ、マグダラのマリアとして知られる人。

マグダラのマリアかどうかは別として、娼婦として罰せられようとしていた女性ですよ。

ムスリムは、イエスも預言者として受け入れた以上、これを知らなかったら変でしょ。

 ましてや、彼女たちは、レイプの被害者…。

 イスラム法と言っている物が、本当に聖典に照らして作成されたか疑問だと。

コーランだけでなく、聖典も調べた上で作ったと言うなら、どこを読めば良いか教えてもらいたいですねえ。

イスラム法にないのに、そんな今回取り上げたような事態があったと言うのなら、それはそれでまた問題ですしね。

いくつかの記事に、あれっと思ったので取り上げてみました。

 イスラム教は時にあまりに女性に厳しすぎて、尊重出来ない決まりがあるなあと思っていました。
 成る程と思いました。

 正確に成り立ちや位置付けを把握しないと、間違ってしまいますね。
  
 間違って来たのが、今までの歴史でもあるのでしょうか・・・。

トーラーすなわち旧約より、タルムードばかり読むヤダヤ教徒。
トーラーすなわち旧約より、新約ばかり読むキリスト教徒。
聖典つまり聖書より、コーランとイスラム法ばかり気にするムスリム。
問題は、ここにあるような気がしますけど。

どう、思われますか。

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義経とキリスト教?

鞍馬寺の兜跋毘沙門天像は、刀八とも書かれ、軍陣に望む姿である八本の手全部に刀を持つ姿です。

牛若丸は、様々な叡智と技術、それに格闘術を、天狗から伝授されたと伝えられているのです。
八は、「ヤ」とも読まれるけど、「ヤー」は「ヤハウエ」の略としてしばしば使われるのです。

 毘沙門天の、四天王の中で単独に信仰されるようになるのは、この鞍馬寺の存在が大きいのでしたね。

のちに源九郎判官義経を名乗る牛若丸は、鞍馬寺の山奥で天狗から、兵法を習い「虎の巻」を授かったと言う話を御存知な方も多いですろね。

天狗の「虎の巻」は、ユダヤ教会で使用される「トーラーの巻」の「トーラー」に「虎」の字を当てたものと言う説もあるのです。

 「虎の巻」は、今日でも、奥義書やあんちょこの意味で使われているのよね。

天狗に、古代イスラエル説まで出されるようになってきたのです。
その鞍馬の毘沙門の八本の腕がある姿形まで、何か関連ありかと疑いたくなるのです。

毘沙門天の信仰は、日本3大霊場といわれる次の寺社があるのです。

1.信貴山朝護孫子寺(奈良県)
寅年、寅月、寅の日、寅の刻に毘沙門天が出現したことから寅の日が縁日になったと言います。

2.鞍馬寺(京都)
牛若丸の修行や鞍馬天狗、10月22日の火祭りなどが有名。

3.毘沙門堂(京都)
大宝3年(703年)に奈良に建てられた。
平安遷都のときに京都洛北に移され、最澄が自刻の毘沙門天を安置したといわれているです。
江戸時代に安祥寺の旧跡に移って現在に至っているのです。

ここで気になるのは、奈良県の信貴山朝護孫子寺です。
毘沙門天が出現したのは、寅年、寅月、寅の日、寅の刻であったことから寅の日が縁日になったと言うのです。

毘沙門自体に、寅とのかかわりが深いことを暗示しているようです。

毘沙門天の像の一般的特徴は、頭に鳥形の冠(三面だての宝冠で、その正面に翼を広げた鳥の姿を表す)、身に甲冑、左手に塔(もしくは腰に手を当てる)、右手に宝棒(もしくは戟)を持っているのが普通です。
左手の宝塔は八万四千の法蔵、十二部経の文義を具し、右手の宝棒は悪霊を退散させ財宝をさずけると言うのです。

こう見ると、奇妙に思えるのです。

 「虎」「寅」「鳥」
 音が、似てますねえ。

十二部経の文義を具し、三面だての鳥形の宝冠。

トラとトリ、トーラーを意識している可能性は十分ありえます。

十二は十二支族、三面は三神、頭上の鳥は聖霊…。

 まるでイエス…。

幸福の神である吉祥天を妻とした毘沙門天も、福をもたらす神とした説もあるのです。
軍神的性格から、貧乏神を退散させてくれると言う説まであるのです。

吉祥天はもともと、インドの美と豊穣と幸運を司る女神ラクシュミーだったのです。
なおラクシュミーは、アラクシュミーと言う不幸を司る女神を姉に持つともされます。
ここが、黒暗天と姉妹とされるもとなのです。

ラクシュミーが、ヴィシュヌの妻になる際にこう請願しました。
「私があなたの妻になる条件として姉にも配偶者を付けるように」
そこでヴィシュヌはある聖仙(リシ)とアラクシュミーを結婚させ、晴れてヴィシュヌとラクシュミーは一緒になったと言う神話も一方で残っているのです。
黒暗天もともに引き受けるよう求める起源は、ここにあるようですね。

 黒暗天には、貧乏神と言う説があるのでしたね。

しかし、吉祥天は姉妹である黒暗天と、二人一緒で受け入れる相手でないと、福の神としての仕事をしないはずです。

退散される貧乏神が黒暗天なら、なぜ吉祥天は貧乏神をかばわないのでしょうか。
つまり、黒暗天の正体は貧乏神などではないといっているようなもの。
黒暗天は、みすぼらしく格好が悪いけど、貧乏ななりをしているけど、人の足を引っ張る貧乏神なんかじゃないと言うことなのでしょうか。

 毘沙門天が退散させる貧乏神とは、こうなるのでしょ。

 ねたむもの、うらむもの、さまたげるもの…。

ええ。
毘沙門天が退散する貧乏神とは、転落してサタンとなったルシファーのような存在かもしれないですね。

 イエスは、悪魔に試されたときこう言っているのですよね。

 「サタンよ立ち去れ」

毘沙門天は、インド古代叙事詩「マハーバーラタ」では、宇宙の創造主プラチャーバティの孫とされます。

 ここだけ見ると、確かにイエスを連想したのは間違えないと見えますねえ。

ところが一方で、全世界の富と不老不死の命を与えられ、スリランカにあるランカーの宮殿に住み、空飛ぶ乗り物プシュパカを走らせる暗黒界の悪霊の長だったのです。

ヒンドゥー教では、ヒマラヤから産出された富を自在に扱う神となり、クーベラと呼ばれ、財宝福徳を司る神となるのです。
さらに、後には夜叉・羅刹を支配して国土を守護する武神とされたのです。
だから、正確に言えば、インドの神ではなく、スリランカつまりセイロン島の神ということなのです。

 見方を変えると、スサノヲも連想できますね。

ここに、興味深い話があるのです。

スサノヲは「スサ」ノ「ヲ」であり「スサ」ノ「男」であると、この神を祭る神社は証言するのです。

「スサ」ノ「男」は、「イッサ」という男と言い換えられるかも知れないです。

 「イエス」のアラム語である「イッサ」は、日本で別の神名に変化してると言いたいのでしょ。

さらに、あらぶる神であったころのスサノヲを、旧約のヤハウエに見立てたらどうなるでしょうか。

軍陣に望む姿である八本の手全部に刀を持つ姿である、鞍馬寺の兜跋毘沙門天像は、刀八とも書かれます。

 「八」は「ヤ」であり「ヤー」であれば、「ヤハウエ」。
 「刀八」の「刀」は、「トウ」であり「トーラー」であったなら。

そう、トーラーの神であるヤハウエから、源九郎判官義経を名乗る牛若丸は「トーラー」を授かったとなるのです。

 もし、毘沙門天がイエスに対応するとしたら、源九郎判官義経はキリスト教徒…。

 まさか…。

でも、そう言う論理になってしまいました。

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アッラーは、聖書で言うと?

コーランの神と言うと、どなたと思いますか。

 「アッラー」ですか。

ええ、「アッラー」です。

ところが、「主」と言う表現が「アッラー」についての文脈にあるのです。

旧約、新約、共に、「主」と言えば「御父」ではないのでしょうか。

 そう言えば、イエスもヤハウエも「主は言われる」と仰っていますね。
 
 イエスもヤハウエも、御自身の言葉に敬意の表現はないですね。

やはり同じ「主」とされる、アッラーはエロヒムではないのでしょうか。

“(א     ל   ה   ( י     מ”=“唯一絶対神(複数)”
“アレフ ラメッド ヘー (ユッド メム)”

“エロヒム”は、綴りを見ると、“アッラァヘッム”を、強めの口調で一気に言ってるように見えるのです。

 比較的丸唇で発声すると「エロヒム」、比較的平唇で発声すると「アッラー」、同じ神ね。

 でも、ヤハウェあるいはエホバ、アラー、イエス・キリストは同じ神であるという、見方もあるけど。

イエスが絶対三神を代表して私たちに臨んでおられるので、誤解を恐れずに言えば、アラーとイエス・キリストは同じ神と言う見方をしても良いでしょうね。

 コーランの神は、アッラーしか知られてませんものねえ。

 聖書だと、エロヒムとヤハウエが知られてますけど。
 新約も含めれば、イエスも…。
 
そう見れば、旧約、新約、コーラン、ともに主の御声を御子が地上に伝える構図となるでしょうね。

 でも、コーランにはこのような言い回しもありますよ。
 「わしにはこどもはおらん」

でも、“わし”と名乗られるお方が御子自身としたら、どうでしょうか。
 
 あ、「わし」とあって、「アッラー」ではないですねえ。

しかも、「わし」を名乗られるお方は、ムハンマドや人々に気さくに語りかけていらっしゃるのです。

 威厳はあるけど、それでいて洒落っ気や茶目っ気も感じますね。

「アッラー」の言葉は、言伝の形になっているのです。
そして、「わし」を名乗られるお方は「アッラー」に敬意を払っていらっしゃるのです。

 「アッラー」の言葉も、威厳はあるけど、それでいて洒落っ気や茶目っ気も感じますよ。
 言葉自体の雰囲気が似ているから、混同してしまうけど…。

 確かに、「主は言われる」と「アッラーは言われる」ですから、似てますね。

ところで、“アレフ ラメッド ヘー (ユッド メム)”で連想される文字が、コーランにあります。

 アレフ、ラーム、ミーム、と読む、コーラン学者の用語では「省略文字」と呼ばれている謎の三文字ですね。
 このような文字の使い方は、アラビア語の中では前例がない。

 エロヒムの綴りである5文字が、変化した可能性は強い類似から否定できません。

 でも、三神を指す似た言い回しが日本にありますよ。

 蹴鞠の掛け声、「アー、リャ、オー」ですよ。

ええ。

「アー、リャ、オー」と似てるのは、気になるのです。

「アレフ、ラーム、ミーム(で表される三神がおいでになる)」

そう言いたいのかも。

コーラン知らんと言いようがない、これ困るわって言われそうですね。

 降参です。

 コーランは、知らないからなあ・・・。
 これからは、必須の知識ですね。

じゃ、ムスリムはコーランを知ってるかと言えば、残念ながら自分でまともに読まずに聖職者を名乗るものに従っているだけのものが多いのでしょうね。

そして、キリスト教徒も、ユダヤ教徒も、事情は残念ながら大差ないのでしょうね。

読んでいれば良い方、多くは分厚さにめげて読まず開かず、解説だけに頼るものが大半なはずです。

そういう私も、仏典はさすがに数にめげて解説で間に合わせてる方が多いですけど。
 
 キリスト教の三位一体すら、よくわからないのに。
 これはまた難しい・・・。

三位一体は、クリスチャンでさえ、理解出来ないで難解ゆえに有難がっているのが実態なはずです。

 理解できてこそ、神の有難さを本当に実感できるはずですのに。

絶対三神の御父と御子と聖霊は、それぞれ別神格であるばかりか、別存在であって、唯一神会を結成してunit名として「唯一神」を名乗っておられると見る方が、自然に見えますねえ。

民俗学や伝承研究を通じて私の知り合った人は、ほとんどがイエスをヤハウエと同一視できない三位一体を馬鹿にしてましたね。

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これも、かんなび?

日本でも、これがピラミッドだと騒ぐ人が出るまでピラミッド伝説がなかった山なんて、いっぱいありますよね。

 そして、神奈備の山とされてきたところも多いですよ。

 読みは、「かんなび」とも「かむなび」ともされる御神体として崇められたのです。

 三角の山は、神、あるいは神の使いや化身とされる蛇を象徴するのではと言う説もありますね。

ええ。

 「かんなび」とも「かむなび」とも言うのは、「かみのへび」が元でしょうかね。

それも、ありえますね。

 「かみのへび」は「かむぃぬへび」と発音されたと見れば、「かんなび」や「かむなび」と転化した可能性は高いですね。

沖縄の発音から見れば、十分考えられますね。

ただし、アイヌ語や日本語の古語で「蛇」は「かか」でした。

「かみのへび」は「かむぃぬかか」であったかも、知れません。

 でも、「かか」は「へび」に転化してますし、丸唇音とすれば「ぬ」と「か」から「な」になる事は十分ありえるでしょ。
 
そうですね。

そう見ると、中国でも、ピラミッド状の山が神聖視されてきたのは興味深いですね。

 それって、チベットのピラミッド発見と言う記事にあった話ですか。
 衝撃的な話題が、短期間に世界を巡ったのを覚えていますよ。

当時の記事そのものを確認できる本やサイトは、今少ないと思います。
それで、中国で当時報道された内容で、振り返ってみたいです。

長いけど、ちょっと我慢してくださいね。

問題の場所であるカイラス山は、おおよそチベット南西部、中国・ネパール・インドの3つの国境が交わる所の近くです。
カイラス山は現地名ではカンリンボチェ山、6714メートルの山です。

ヒマラヤ山脈、もっと詳しく言うとガンジセ山脈と呼ばれる所です。

 口火を切ったのが、ロシアの科学者でしたね。

この記事で言う昨年は、1999年の事です。

このピラミッド郡は、1999年の8月から10月の間に、ロシアの科学者によって発見されたとされています。
その報告が、2000年6月9日のロシア雑誌で発表されたとのことです。

2000年6月15日付の《天津日報》は、こう伝えました。

《天津日報》専門付録――百科の窓――第14版

ロシアの科学者がチベットに世界最大のピラミッド(金字塔)群を発見と主張
李倫摘

原編者によれば――1999年8月、ロシアの科学者の一隊がチベットを訪れ、伝奇的「上帝の城」を探索した。
今回の実地調査では、世界最大のピラミッド群を発見した。
実地調査隊隊長のムアルダシャフ(穆爾達舍夫)は本紙記者の取材インタビューを受け、今回の実地調査の成果を語った。

我々はチベットに世界上最大のピラミッド群があることを確信している。
ここでの厳格な数学規律は、まさにチベットのこの塔群とエジプトのピラミッド、メキシコのピラミッド、そしてイースター島(復活節島)、ソールズベリ(索爾茲伯里)の先史巨石との連係を思わせる。

我々は100以上のピラミッドと各種遺跡を発見した。
それらは海抜6714メートルの岡仁波斉(カン・リンポチェ)峰(カイラス山)の周囲に分布している。
ピラミッドの形状はそれぞれ異なっており、規模の大きさは人を驚嘆せしめてやまない。
おおざっぱな統計では、それらの高さは約100メートルから1800メートル(180メートルの誤り?)とまちまちだが、エジプト最大のクフ王(奇阿普斯)のピラミッドでも146メートルである。
ピラミッド群全体が非常に古く、そのために損傷が非常にはなはだしい。
しかし、仔細な観察によってピラミッドの輪郭をはっきりさせることができ、それらが石で組み立てられており、凹面や平面になっているのがはっきりと見て取れる。
我々はさらに、巨大な石の人体彫塑を発見した。
このため、完全な根拠をもって、チベットには主にピラミッドを中心とする古い建築群が存在している、といえる。

チベットの山をピラミッドとしているのではないか、という人もいるかもしれない。
実在性については、これはまさに我々が心配したことで、所有している写真、図、録画映像をすべて研究するにあたって、この考えは我々から離れることがなかった。
間違いを犯さないように、我々は山の輪郭をとる方法を採用した。
こうして、我々はコンピューターにピラミッドと山の図(見取り図)をインプットし、それからその主要な輪郭を取り出すことで、どれが山でどれがピラミッドかという区別をできるようにした。

ピラミッドについては、我々は習慣的にエジプトのクフ王のピラミッドの外形を連想する。
実際のピラミッドは形状も異なっており、メキシコのピラミッド、それほど有名でないエジプトのサッカラ(左塞)ピラミッドとはいずれも階段式である。
チベットで我々が主に見たのは、この階段式ピラミッドで、周囲の自然山峰はすべてこの種の構造を有していなかった。
このため、まさに山をピラミッドと見間違えることはないのである。

現地調査において多くの図版を作成したが、これは我々にとって非常に助けとなった。
ピラミッドの各種詳細、写真、録画映像を容易に反映することができるようにするには、非常に難しい点があった。
さらに仔細にそれぞれのピラミッドを観察して、完全に整った構図を完成するのに、我々は何度も何度もはい上がっては下りなければならず、さらに近隣の地を観察した。
あるピラミッドは保存がよく、あるものは破損が極めて激しかったので、一枚作成するのが大変であった。
我々はその逐一の区分を必要としていたのであり、このような研究によって容易に多くのことを知ることができた。(李倫摘・編)

このロシアの言い分に対する中国の反論が、2000年7月4日付《中国青年報》に掲載されたのです。

チベットにピラミッド群はあるか?
本紙記者 董月玲

■ロシア科学者は語る:チベットに世界最大のピラミッド群を発見

6月9日の「参考消息」(※新華社)は一つの重大ニュースを報じた。
「チベットに世界最大のピラミッド群が発見された」。
そのニュースソースは、ロシアの週刊誌「論拠と事実」の第18号の一つのニュース「チベットの神秘のピラミッド」である。

この文章によれば、昨年8月から10月、ロシアの科学者の一隊がチベットを訪れ、世界最大のピラミッド群を発見したというのである。
現地調査隊長ムアルダシャフはこう語っている。

「我々は全部で100以上のピラミッドと各種遺跡を発見した。
それらは海抜6714メートルのカン・リンポチェ峰の周囲に分布している。ピラミッドの形状はそれぞれ異なっており、規模の大きさは人をして驚嘆させずにやまない。
おおざっぱな統計では、それらの高さは100メートルから1800メートル(※?)とまちまちだが、エジプト最大のクフ王のピラミッドでも146メートルである。
ピラミッド群全体が非常に古く、そのために損傷が非常にはなはだしい。
しかし、仔細な観察によってピラミッドの輪郭をはっきりさせることができる。
それらが石で組み立てられており、凹面や平面になっているのがはっきりと見て取れる。
我々はさらに、巨大な石の人体彫塑を発見した。
このため、完全な根拠をもって、チベットには主にピラミッドを中心とする古い建築群が存在している、といえる」

さらに、記事はこう述べている。
チベットの山をピラミッドと見間違えている可能性については、ピラミッドと山の図版をコンピューターに入力し、その後、主要な輪郭を取り出すことによって、どれが山であり、どれがピラミッドかを区別できる。
その他、彼らが発見したピラミッドは階段式であって、周囲の山峰にはこの種の構造は見られないため、山をピラミッドと見間違えるはずはない。

ロシアの科学者がチベットで発見したのが本当に世界最大のピラミッド群であったとすれば、これは大変なことだ。
チベットの歴史を改める必要があるだけでなく、アジアの歴史をも改めなければならないだろう。
しかし、どのような人が、海抜6000メートル以上もの鉱山に登り、1800メートルもの高さのピラミッドを建造するような力量を持っているというのだろうか?
このように大規模な歴史遺跡を、どうして中国の科学者や、先祖代々高原上で生活してきたチベット人民が発見できなかったのだろうか?

■中国専門家は驚愕し、その理由を述べた

この疑問を抱いて我々は、これまで何度もチベットを訪問してカン・リンポチェ峰を実地調査した中国科学院の地理学者・楊逸畴を訪問した。

彼は、ここ数日自宅の電話が絶えることなく、この件について尋ねられたのだという。
この件について初めて聞いたとき、彼が最初に感じたのは驚愕だった!

岡底斯(ガンディス)山は喜馬拉雅(ヒマラヤ)山脈に平行する重要な山脈で、その主峰が普蘭(ブラン)県内のカン・リンポチェ峰である。
この山はチベット人の心の中では“神山”であり、山の下の[王馬]旁雍錯(マパム・ユムツォ/マナサロワール湖)は“聖湖”と呼ばれ、毎年、朝神転山の人が絶えない。
山の周囲にはラマ塔、マニ堆、石刻経文などの文化的景観がある。
カン・リンポチェ峰はチベットの最高峰ではないが、極めて有名である。
もしほんとうに大規模なピラミッドが存在するなら、現在まで発見されなかったはずはない。

■ハイテク重ね技術が事実の真相を誤らせた

楊教授は1974年、雅魯藏布(ヤルンツァンポ)河源流を実地調査したとき、この峰にも足を運んだ。
実地調査の結果、カン・リンポチェ峰は軟硬それぞれの性質をもつ礫岩の組成となっており、異なる岩性の地層が一層一層平らに積み重なっている。
カン・リンポチェ峰は強烈に上昇する単独峰であり、氷雪・暴雨などの寒冷風化侵食と洗い流しのもと、山地は一系列の階段状ピラミッド形、錘状形、四角錐山形、テーブル状形などの地形を作り出す。
これらは、彼らの出版した専門書「チベットの氷河地形」の中ですべて論述されている結論である。

ロシアの科学者がピラミッドと山の図像をコンピューターに入力し、画像を重ねて輪郭を取り出した点について、楊教授はこう説明する。
「図版上では雪に覆われた山というのが真実なのに、問題は、山地の輪郭に想像上のピラミッドの恣意的な輪郭を重ねて根拠にするところにあります。
ハイテク重ね技術を用いて描いたものは、あまりに牽強付会であり、事実真相を混乱させてしまいます。
ここには主観・憶測の部分が多すぎる。
仔細に発見したものを見ればわかるが、いわゆるピラミッド建築の正面門あるいは窓というのは、実は水平地層がくぼんで剥落したために作られた黒い影像である。

■ピラミッドは特定の歴史文化意義を有している

この「チベットの神秘のピラミッド」報道に対して、楊逸畴の結論はこうである。
「ピラミッドは特定の歴史文化意義を有しているものであり、四角錐形の古建築物は文化的なものです。ロシアの科学者がチベットで発見したのはピラミッドではなく、ピラミッドの形をした地形であって、これは純粋に自然の産物です」

彼は最後に笑って言った。
「もし不満に思う人がいるなら、一番いいのは、カン・リンポチェ峰に行って、典型的な“ピラミッド”を発掘して、考古学的証明をなすことです。もし本当にピラミッドならば、必ずや世界の歴史文化を驚愕させるだけのものが集まるでしょう。そうでなければ、山は山だ!」

この中国側の反論で、一気に騒ぎが萎んでしまった感じはありますね。

 ええ、衝撃から、落胆に急降下でした。

 なかなか、分りにくいものなのですねえ。
 
この辺は、高所の山岳地帯で、もしピラミッドとしたらどう作ったかが問題でしょうね。

 年代も、いつ頃なら、ありえるかが気になりますよね。

ピラミッドは疑えても、巨大な石像はどうでしょ。

 いくら、彫刻っぽい自然石があるといってもねえ。
 巨大な石像が、どんなに損傷がひどくても、わざとらしい形だな…ぐらい思わなかったんでしょうかねえ…。

 よほど、壊れ方が大きいのでしょうか?

だとすると、ロシアの調査隊は、よくわかったですねえ。

それと、巨大な石像は、最低でもいくつ見つかったのでしょうね。

 謎だ…。

この100以上は、ピラミッドと巨大な石像の合計ですかねえ。

 巨大な石像だけで、100以上とすると、今までわからなかった方が、よけい不思議ですねえ。

まあ、中国は奇岩が多いので、ここもその類と思われやすいかも。

 それと、もし人工としたらの話だけど。
 どの民族、どの人種に巨大な石像の特徴は、似ているんでしょうね…。

 マヤ?…インカ?…オルメカ?

さあ、見てないからなんとも言いようがないです。

確か、あの地帯は、ユーラシア大陸と、インド亜大陸の、衝突で出来た地形ですね。

 大陸大衝突で、一気に持ち上げられた。
 そのあと、侵食で遺跡の立ってる場所だけが残って、山になった。
 構造物をしっかりした地盤に作るならば、これは、理論的には可能です。

それなら、標高6714メートル地点に分布する、1800メートル級のピラミッドの存在もありかも、知れないですねえ。

現行の解釈では、長期にわたる隆起や侵食を想定していますからね。
こんな場所にユーラシア大陸と、インド亜大陸の、衝突以前の遺跡はありえないとなるでしょうけど。

 でも、あんまり長期でヒマラヤのような険しい地形になりますかね。

もっと、丸い穏やかな地形になるはずではと、言いたいのですね。

 インカのマチュピチュより、コンディションは相当悪いでしょうね。

中国側の言い分から見れば、奇岩地帯程度の状態ではないかと想像出来ますね。

 それでも、こんな奇岩地帯なら写真や映像が見たいですねえ。

チベット人にとって、山は“神山”で山の下にある湖は“聖湖”と言いますからね。
興味本位の撮影は控えて欲しいと言われれば、引き下がるしかないのかも。

でも、写真で良いから、見たいですねえ。

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英語VS日本語

英語を習う日本人が、もっとも苦労するのは発音の違い、そう思いますか。

 確かに、そう。
 「L」と「R」の使い分け、「TH」の発声に、悪戦苦闘している姿はよく見かけますね。

でも実は、もっと苦労するのは、シラブルの違いなのです。

シラブルとは音節と訳され、一まとまりの音として感じ取られ、発音される単位のことです。

クリスマス、この言葉を日本人は一音一拍で受け取り、「ク・リ・ス・マ・ス」と五拍に数えるです。

クリスマス、この言葉を欧米人は複数の音でひとつのシラブルと受け取り、「クリス・マス」と二拍に数えるです。

 シラブルって、意識しないと難しいですよね。
 っていうか、「シラブル」という言葉自体知りませんでした。

このシラブルの感じ方の違いで、日本語になじんだものは英語に苦労するし、英語になじんだものは日本語に苦労してますよね。

ところで、この英語のシラブルを見て、あれって思わないでしょうか。

英語の発音練習を始めて、たいていの人は日本語より平唇と感じて、口を横に横にと強く開こうとするようです。

けれど、平唇のままだと、一音一拍の日本語的シラブルのほうがいいやすいのです。

英語は平唇音のかたまりの言語、この勘違いを直さない限り、英語的シラブルは身につかないのです。

イギリス人、そう一口に言っても、成り立ちは簡単ではないのです。

紀元前9世紀ころから紀元前5世紀ころにかけて、インド・ヨーロッパ語族ケルト語派の民族であるケルト人が、中央アジアの草原から戦車、馬車など、馬と車輪付きの乗り物を持ってヨーロッパに渡来しブリテン島にもわたってきます。
これによってブリテン島各地にケルト系の部族国家が成立し、グレートブリテン島における鉄器時代が始まったのです。

紀元前55年、グレートブリテン島にローマのユリウス・カエサルが侵入し、西暦43年ローマ皇帝クラウディウスがブリテン島の大部分を征服しました。
ローマ帝国時代のブリタニアは、ローマ人が支配層としてケルト系住民の上に君臨したのです。
ただし、ローマの支配はブリテン島北部のスコットランドとアイルランド島には浸透せず、ケルト系住民の部族社会が続いたのです。
5世紀になって西ローマ帝国がゲルマン系諸集団の侵入で混乱すると、ローマ人はブリタニアを放棄し、ローマの軍団が去ったブリタニアはゲルマン人の侵入にさらされることになります。

ゲルマン人は、現在のドイツ北部・デンマーク・スカンジナビア南部地帯に居住していたインド・ヨーロッパ系を祖先としインド・ヨーロッパ語族 - ゲルマン語派に属する言語を話す集団のことです。

ブリタニアに侵入したゲルマン人のアングロ・サクソン諸部族が、グレート・ブリテン島南部を征服しイングランドの歴史につながっていくです。
一方、ウェールズにはゲルマンは浸透せず、ローマから取り残されたケルト系の住民が中世的世界に入ったのです。
スコットランドとアイルランドもゲルマンに征服されることなく、ケルト系部族国家が継続しました。
それぞれの地域は、この頃から次第に独自の歴史性をもって分離していく事になります。

歴史を見ると、英語の基礎になる言葉は、温暖な気候に多い丸唇的なものであった可能性があります。
その後、ブリテン島の地理から来る気候や、ゲルマン人の言葉の影響などを受けて、平唇化していったと見られるのです。

また、ブリテン島各地の歴史によって地域差ができたりしながら、現在の英語になっていきます。
興味深いけど、今回の話からそれるので省かせてもらいます。

つまり、英語は本来、丸唇的発声法の言葉であったのが、平唇音化したといっても良いのかも。

 その解釈、興味深いですよね。
 今まで、円唇・平唇を意識してなかったので。

 「英語は、丸唇を基本に発音練習をする」 ってことですね。

 今度意識してみます。

やっぱ、シラブルとアクセント、発音、みんな苦しんでるのですねえ。

 そうそう、英語はシラブルとアクセントで決まり。
 これが苦手なのよね、日本人は・・・・・。

 スコッツの発音、苦手なんだわ、すごく。

この発想の転換が、多くの英語学習者を悩ませてきたシラブルの違いからくる発音のトラブルを、解決する手がかりになるのではないでしょうか。

 シラブルでトラブルって、ほんと、そう。
 学生時代は,あんなに英語を頑張っていたのに…。
 ちっとも、うまくなりませんでした。

話は脱線しますけど。
ものすごく丸唇的発音の沖縄の言葉も、英語ほどではないけれど、いくつかの音をひとつのまとまりとして発音したほうが、それらしく聞こえるように思えます。
発音をはっきりさせる必要から発音が平唇化してるために、沖縄の言葉が一音一拍の日本語の特徴を強く持ちながらも、英語と似たことになってみえるのは面白いことです。

 なるほど!
 私が、英語がとっても苦手な理由がわかりました!
 英語の先生がそんな話をしてくれたら、意識して発音しましたよ。
 英語が得意になったかも、知れなかったなあ。

すくなくても、シラブルの違いから発音についていけず、などと言う困難は減る、可能性はあると見ます。

スピードについていけると、発音も自然と改善される、かも。

 こちらも脱線しますが、シラブルって悩みますよね。
 外国語曲歌うときとか。
 子音が三つ以上連続するとき、どこできるか、とか。

 辞書に載っていない言語だと、なおさら…。

 このシラブル、どうやって調ぶるべきか、って。

モロヘイヤは、エジプト、中東、アフリカが原産だそうです。
ところが、アラブのひとは判別できる母音がすくないので、子音さえあっていればいいとばかりに発音が大雑把なのだそうで。
日本人はどの発音が本当か戸惑う状態でも、当人たちは同じ発音と言い張るそうですから。

 英語は、一音のスピードが早いのなんのって。
 ついていけませんです!

英語を話す人々にとって、あたかも一つのシラブルが一つの音のように、発音されちゃうから。

シラブルが、日本語を話すものにとっては分解可能に思えても、英語を話すものにとっては分解不能に思えちゃうのは、そのためかも。

だから実質は、一シラブル=一音=一拍とみないと、速さについていけないってことかも。

 猫、語学、武道など、物事は国を超えて全て繋ってますね!

 世界のどの部分を調べても…。
 最後は神様や主までたどり着くから、不思議です。

まぁ、そもそも天地創造すらそうなので当たり前ですね。

 英語は苦手だけど、ちょっと興味が持てました。
 英会話に行ってみようかな?

角度を変えてみると、意外なこと見えてきますね。

私も語学の苦労なしだったら、こんなこと逆に気づかなかったかも。

 平唇を意識してきて、オオゴケしてる日本の英語、発想の転換がいる。

 おお!コレを参考に良い発音できるようになりたいです。
 てゆうか、英語聞き取りもニガテ…。

お気に入りの英語の曲のCD、下手でも、発音変でも、途中の歌詞を飛ばしても、とにかく、追っかけて歌ってみたらどうですか。

ついていけるころには、発音よくなってるかも。

 英語の歌は空耳で歌うね!

なまじっか、歌詞カードみるより、聞こえたとおりのほうが、通じる発音には、かえってなるかも。

あとは、なれです。

歌についていければ、なれるのも早いのではないでしょうか。

それに、空耳、おもしろい歌詞になるから。

あまり平唇過ぎると、Lの舌はともかく、Rの舌は事実上できないですよね。

ある程度、丸唇のほうが、Rの舌が簡単にできて、発音しやすいと思いますよ。

 その点から言っても、唇の形って、発音する上で、案外馬鹿にできない。

 Rの発音が超苦手の私…。
 先日も、先生から猛特訓されたばかりでした…。
 ああ、もっと早くこの話聴いていたら、丸唇を実践して先生に誉められる発音が出来たかもしれないのに。

 なるほどねぇ。
 勉強になりますよ。
 これでLとRの発音もバッチリだ!!と言いたいなぁ。。
 
 ドイツ語はとてもリズムに乗りやすいなと、歌を歌っていて感じたことがあります。
 ドイツ語の先生が、とてもリズミカルにお話する先生だったということもあるのですが。
 けれど、英語の歌はなかなかリズムに乗れずとても難しいと感じます。

シラブルって、日本語にはあまりないですからねえ。

ドイツ語の歌でならリズムに乗りやすいのに、英語の歌になるとリズムに乗りにくいのは、ドイツ語もあまりシラブルが強くないからかも。

日本語は丸唇の傾向が強く、ドイツ語は平唇の傾向が強い、それぞれ、発音に反対の要素が少ないのでシラブルが目立たない可能性はあるかも。

シラブルは意識しなくっても、唇の形さえ決まれば、素直に出てくると思いますよ。

実際イギリス人やアメリカ人は、シラブルを無意識に出してますよね。

面白い記事を見つけました。

英会話独学術:フォニックス〜英語は発音より読み方を正しく!: 2. 日本語の発音 vs. 英語の発音のアーカイブ
http://blog.eigotown.com/Akitsugu_Nogita/2_vs_/

私の記事を疑う方、試してみてください。

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旧約の編纂はどんな時代だったのか?

ユダヤ教において、聖書とは、紀元前4世紀までに書かれたヘブライ語およびアラム語の文書群です。
 
 キリスト教でいう旧約聖書と、思って良いですか。

内容は同じです。

創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記を、モーセ五書と言い律法と呼ばれることも多いです。
律法と呼ばれる文書を核に、神からの啓示を記した預言書および歴史書、諸書と呼ばれる詩や知恵文学を加えたものをさします。

 コーランで啓典に含まれるのは、神からの啓示を記した預言書があるからかな。

聖典、つまり旧約も新約も、基本として神からの啓示と看做しているからかも。

正典とされる書物の範囲は、固定されていなかったのです。
慣例で、これらを含むと言うのは、一応あったようです。

現在正典とされるものの範囲は、1世紀末のヤムニア会議で確定されたと言われてきました。
ヤムニア会議のヤムニアは、ヤブネのギリシャ語名で現在のイスラエル南西部ですね。

ヤブネにユダヤ教の研究学校を設けたのは、エルサレムの陥落から逃れたユダヤ教の指導者たちです。
もちろん、ローマ帝国当局の許可を得ていました。

 ヤムニア会議とは、いわゆる現代的な意味での会議ではなかったそうですね。
 聖書の正典を選択していったプロセスを、指していると言いますよ。

 ヤムニア会議は、ローマ帝国統治下、それも第一次ユダヤ戦争後に行われたので、聖書は当然時代の制約を受けることになるでしょうね。

 ユダヤ教の伝統と先祖からの文化的遺産を絶やすまいと、聖典を整理しようとしたユダヤ教の指導者たちの一連の取り組みだったのでしょ。

 ユダヤ教学校によった学者たちが長い時間をかけて議論し、旧約の範囲が定まったわけですよね。

ヤムニア会議の時代、すでにキリスト教はユダヤ教の一分派という枠を超えて、地中海世界へ飛躍しようとしてました。

ヤムニア会議で編纂されたと言う説について、『原典聖書研究』というブログで訊いてみました。
現職の聖職者の方がなさっている、聖書を原典に当たって調べようというブログです。

すると、こういうコメントがきました。

「旧約の編纂が第一次ユダヤ戦争となんらかの関係があるとは思えません。
はっきりと分かる事は旧約聖書が紀元前3世紀の後半あたりにエジプトのアレキサンドリヤでヘブル語からギリシャ語に訳出されているというのは動かし難いと思います。

そのなかに箴言も含まれますのでおそらく組織的なバビロン捕囚からの帰還が完了する紀元前430年には70人訳とほぼ完璧に一致する旧約聖書ヘブル語原典が存在したと言う以外に合理的な説明は存在しません。
その事は1947年の死海写本(紀元前の写本)の発見でも旧約聖書の完成が紀元前430年以前という証拠が出てしまいました。
その点も考慮出来ていない「ヤムニヤ会議で旧約聖書が決定された」と言う想像上の架空の学説は過去の遺物です。
箴言の時代背景はバビロン圧政下のヘブル人の誰かが記した言葉として解釈を進めるのが基本かと存じます。」

訊いてみるものですねえ。

 想像上の架空の…って、強烈な否定ですねえ。

死海写本の発見で旧約聖書の正立年代が決まったというのは、初耳でしたね。

 ええ、さすが聖職者のコメント、勉強になりますね。

 神殿の建て方を記した出エジプト記なんかも、必要になるわけね。
 捕囚から帰還して神殿まで建てたし、当然神殿では儀式をするでしょ。

 バビロン捕囚から帰還した時代には聖文が集められて、新たな編纂がされていたってことは…。
 バビロンにいたユダヤ人たちの多くは、ヘブル語を話せなくなっていたでしょうから…。
 ヘブル語だけではなくアラム語でも、書かれた可能性はありますよね。

紀元前430年には、バビロン捕囚からの帰還が完了しているでしょ。
その頃には、70人訳とほぼ完璧に一致する旧約聖書ヘブル語原典が存在したと見られるわけですから。

 聖書に記されているのは、実は権力者や支配者には大変不都合な事であったわけでしょうか。

当然、バビロンの権力を刺激しないような注意は払ったでしょうね。

 メッセージを隠さないと、聖書は支配者に焼き捨てられる可能性があったと…。

そうでしょうね。
権力者に認められなければ、おおっぴらに編纂出来なかったわけですから。

イエスの十字架には、罪状書きが添えられていたのです。
罪状書きに記されていたのが、これです。

“INRI ”
INRI とは、“IESVS NAZARENVS REX IVDÆORVM”の略です。
もちろん古典ラテン語です。
“イエス ナザレの人 ユダヤの王”
訳せばそうなるです。

イエス自身は、イスラエルの家に使わされたと仰っています。

 つまり、ユダヤどころか全イスラエルの王…。

ただし、神の民を導く“良き羊飼い”としての王でしょうね。

そして、イエスは旧約のヤハウエですよ。

聖書全体を見ても、過去になされた翻訳で、似たような事情はあったようです。

 欽定訳聖書とか…。

そうです。

旧約聖書が受けた歴史的制約を物語る、面白い記事が『原典聖書研究』にありました。

箴言30章1節をヘブル語原典から、翻訳や意訳をした文章が載っていました。

箴言とは、こういう意味です。

戒めの言葉。
教訓の意味をもつ短い言葉。
格言、つまり短い言葉で、人生の真理や処世術などを述べ、教えや戒めとした言葉。

箴言30章1節は、こんな訳になるそうです。

 アグウルの言葉、ヤケの子 それはマサの 戦士が口に出して言う イテイエルに イテイエルに ウカル。 

なお、「戦士」とありますが、原典では「強き男」となっているそうです。

系図など人名の羅列箇所は聖書にしばしば見られ、一般の翻訳ではそのまま日本語の発音に音写されています。

けれど、それらの名前はみな、ヘブル語としての意味を持って付けられていたのです。

 なんらかのメッセージが、名前に託されていると。 

象徴は、万華鏡のようにいろいろと見えるように仕掛けてあるのではないでしょうか。

 神からのメッセージを読者から隠さなければならなかったので、系図に託したと。

ここが、非常に大切な点でしょうね。

例のブログでは、意訳すると、こうなると言うのです。

 年貢を保つ為の息子の言葉を集めた。 戦士が布告した。私と共に神 私と共に神 そして食物。

ここで言う年貢は、誰に納めるかですよね。

ユダヤ教には“10分の 1税”などがあるし、コーランには善行を天に蓄えよと薦める箇所があるのです。

 箴言30章の年貢は、異邦人が搾取する重税では。
 “10分の 1税”は当時の常識では、破格の軽税だったのではないかなあ。

 イスラエル以外の国では、税金は5分の 1が普通でした。  

 バビロン圧政下のヘブル人の誰かが記したと、見られるわけでしょう。
 成立過程から見て、ここで言う年貢は、バビロンに納めるものだったのでは。

仰る可能性も、当然あるとは思いますよ。

 年貢が、良き事に使われていたら良いけどね。
 どんな風に使われたのか、きちんと公開してくれないと。

年貢、今で言えば税金、まともに使って欲しいですよね。

それはそうと、聖書にとっての王は聖書の神なのです。

 世俗の権力の目を欺きつつ、神の声を伝えているのだから…。

そうみれば、年貢の受けては当然、聖書の神であり、主なる神により王として使わされた御方であるイエスと、なるかも。

だとすれば、受け取る王は、主なる神により王として使わされた御方であるイエスではないでしょうか。

 神の道=義に生きることが、“年貢”かも知れないですね。

息子と仰っているのは、御父ではないでしょうか。

 御父、御子、聖霊の御子が、ここで言う“息子”ではないかと。

私と共に神 私と共に神 そして食物。
これが、戦士の布告でないでしょうか。

だとすれば、こうなるでないでしょうか。
“神と共に進め!神と共に進め!主の御言葉にのみ従え!”

戦士は天使、食物は自らをパンとwineにたとえたイエスと見えませんか。

イエスは、“義に生きるものは幸いである”と仰っているのです。

それで、年貢=神の道=義=善行と解釈して見たいのです。

 イエスは、ユダヤ教徒は認めていないのでは。

イエスは認めていなくても、イエスの預言とされる人物なら旧約にありますよ。

 「神様への奉仕も頑張らずに、程々にしておきなさいよ」
 そう受け取るのが、正しい解釈かと…。

 神様は元々、人間の奉仕や献金は要らないのじゃないかな。
 キリストの贖いによる救いの基本は、善行も人間が行う義も不要ではないかと。

善行も人間が行う義も不要、人間の奉仕や献金は要らない、確かに神は全てを知り全てをお持ちだから、それはその通りと思えます。

しかし、こうあるのはなぜでしょう。

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」

こうも、ありませんでしたか。

主よ主よと、これ見よがしに私を呼ぶものがいる。
私は言う。
あなた方を知らぬ。

私は、後半を彼の解読からこう見ました。

“神と共に進め!神と共に進め!主の御言葉にのみ従え!”

となれば、前半は“神の道のための御子の言葉を集めた”半ばは、“天使(あるいは預言者)は汝らに告げる”かも。

そして、全部繋げると…こうでしょうか。

“神の道のための御子の言葉を集めた(書を汝らに与えたではないか)。天使(あるいは預言者)は汝らに告げる。神と共に進め!神と共に進め!主の御言葉にのみ従え!”

こんな風にとっても、違和感がないのは確かでしょ。

「食物」と訳された「ウカル」には、年貢の食物を表す意味があります。
ちなみに、「ウカル」は基本の意味は、食べると言う動詞だけど、食べる為の労働=農夫等も表します。

この箴言の場合、バビロン捕囚下に於ける「租税」が「ウカル」の表向きの意味かも。

 それはそうでしょうね。

 ローマと見ても、バビロンと見ても、下手に刺激したらまずいのは同じでしょ。

食料には、「へレム」と言う言葉もあります。
主に、パンを指すそうです。

「へレム」には、戦いの意味もあります。
帝国への従順を疑われる戦いの意味もある「レヘム」は、戦士を連想する強き男の言葉に使ったらまずいでしょう。

表面は帝国への貢を、裏面では神への帰順を、呼びかける二面作戦をとったと見て良いでしょう。

 ここで言う「年貢」は、バビロンへの年貢が表の意味なら、神への忠誠が裏の意味と思えると。
 
アブラハムは、神への従順の証として求められるままにイサクを差し出しました。
神は結果として羊で善しと、してくださいましたが。

それで、帝国への従順の呼びかけを装いつつ、神の元への結束を呼びかけたと見ました。

あってるかどうかは、別として。

今回の話は、たんなる想像ですけど。

 でも、対応するヘブル語探しって、大変そう…。

一つの名前に一日かかることもあるって言うから、頭が下がる努力ですねえ。

そのおかげで、今回の議論も出来るわけですし…。

(追記)

今回の話は、『原典聖書研究』の「年貢を集める言葉」という記事に関して交わした問答を元に再構成しました。

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テロリズムってなに?

テロリズム(Terrorism)は、テロルあるいはテラー(Terror)とも呼ばれるのです。

テロリズムの定義は、100を超えると言うのです。

 国連じゃ、テロリズムの定義すらできないですからね。
 政治的にもめてしまって・・・・・。

テロリズムは、一言で定義するのは難しいとされますね。

通常、同意される一般的な特徴とは、テロリズムが暴力と暴力の脅威を含むということです。

テロリズムは、恐怖の組織的使用ということです。

目的達成のために行われた一連の言動が、全体として相手に恐怖を与える結果をもたらせば、実質的にテロリズムと言って差し支えないという事ではないのでしょうか。
たとえ、攻撃された対象が脅しに屈しないとしても、生命を落とさなかったとしても、生命の危機を感じ恐怖すれば、それはテロリズムに含まれるではないのでしょうか。

 ここで言う組織的とは、実行者が必ずしも複数の人数であることを意味しないのでしょ。

たとえ実行者が一人であっても、未遂に終わっても、全体として生命の危機を感じさせる行為であれば、組織的ということですね。

恐怖の原因は、武器や凶器になりえる物が使用されたかどうかによらないのです。
拳であろうと、足や頭であろうと、主張や要求を押し付ける目的で、明らかに生命の危機や恐怖を感じさせる使用法をすれば、テロルということです。

一般的な定義は、恐怖をつくることを目的として、故意に非戦闘員の安全を脅かすことを目標とするか、故意に非戦闘員の安全を無視する行為ということなのです。

この種の説明は、たいていの国の辞書に出てくるようです。

自国の主張を他国に飲ませる目的で、武力に訴えたり威嚇したりする行為はどうなのでしょうか。

なんらかの実力行使が可能な集団を、威嚇のために派遣する行為はどうなのでしょう。
たとえば、シーシェパードの、捕鯨に抗議すると称して行っていることは、テロリズムの一般的な定義に照らして、どうなのかです。
危険物を投げて、怪我人も出ているのです。
死者こそ、出てはいないけれど。

 誰も死んでいないから、テロリズムではないとは言い切れないわけでしょう。

ええ。

恐怖によって相手を支配しようとする行為が、テロリズムであることは共通の認識ですからね。

 テロリズム、最も簡単にいえば恐怖主義ですね。

 相手を恐怖に陥れて、自分の主張を通そうとすれば、広い意味でテロリズムと言えると私は思います。
 
 それが世界的に多勢で、多勢がために一般に正義と思われていても、です。

あなたの身の回りに、テロリズムの定義に触れそうな行為はないではないでしょうか。

テロリストのレッテルを貼られそうな行為は、していないかどうか考え直してみたいものです。

ただ、犯罪抑止などの手段として威嚇行為を用いることは自衛手段と弁明されるので、線引きはそれほど簡単ではないけれど…。

ちょっと重い話しでしょうか。

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禰子だって闘う?

日本全国には、約八万の神社があるといわれているのです。
「宮司」は役職をあらわし、一神社に一人だけです。
神社の多くが職員は一般に「神主さん」と呼ばれることの多い宮司一人のみ、という神社だそうです。

 神社もある程度の規模になると、職員も何人かいることになりますよね。

なかでも、神に直接仕える役職が神職で、何人かの神職が奉仕する神社では、神社の代表者を宮司(ぐうじ)、その補佐にあたるのが禰宜(ねぎ)、その下が権禰宜(ごんねぎ)と言うのです。
また、大きな神社では宮司と禰宜の間に権宮司(ごんぐうじ)、権禰宜の下に出仕(しゅつし) が置かれるのです。
「主典(しゅてん)」や「出仕(しゅっし)」は、正式に神職として任命されるまでの期間、奉仕する人達だそうです。
これらの役職は神職と呼ばれるのです。
ただし、伊勢神宮の場合は特殊な存在であるため、職階は祭主・大宮司・少宮司・禰宜・権禰宜・宮掌となっているそうです。

 現在は「神官」という言い方は、あまり用いられていないようですね。

このほかの職員として、巫女や、掃除や営繕などを行う人々が働いているのです。

 氏子のまとめ役である氏子総代は、職員ではないけど。
 神社の運営に、無くてはならない存在ですよ。

禰宜の子孫を、禰子(ねこ)と言います。
いろいろな職階がありえるのですが、「主典」や「出仕」がいる大きな神社を除けば禰宜から始まるわけです。
神職の子孫即ち禰子と、見て良いのではないでしょうかねえ。
 
 古代に遡れば遡るほど、禰子から神職が出ているはずね。

各地にある猫の名がつく山は彼らの修行に係わっていた場所ではないかと、私は見るのです。
つまり猫=禰子というわけです。

十二支に猫がいないのも、黄道十二宮に猫がいないのも、古代エジプト王国では 太陽神の化身とされたことと関係あるのかもしれないですね。
太陽は夜になると 毎日地底の国を旅するのです。

しかし地底の国には闇の大蛇アペピ・アポフィスが棲み、毎晩のように太陽を呑み込もうと狙ってるのです。
太陽が呑み込まれたら、地上は永遠の暗闇世界となってしまうのです。
そこで毎晩、太陽神ラーは猫の姿となりアペプと戦い、大蛇を刀でバラバラにしました。
また、古代エジプトでは猫の事を鳴き声にちなんで“マウ”と呼ぶのです。
マウとは「見る」と言う意味で、“何でも見通すラー神の片目”であるラーの娘、猫の頭をしたバステトがいるのです。

 猫の目は、夜道を歩く太陽神の目とみる説もありますね。

ともかく猫のおかげで毎日、太陽が地上に蘇り朝が訪れるのです。

 猫は、毎晩地底で大蛇と闘っているから、昼は眠いのね。
 おひさまが出たのに安心して、 日向ぼっこして眠るのね。

そこで人々は偉大なる太陽神ラーをあがめ奉り、そしてラーの化身の猫も大事にしたのです。
エジプトの遺跡からは 猫の像や猫をかたどった装飾品などが数多く発見され、もちろん猫のミイラもあるのです。

 そうかあ。
 我が家の猫も、時々夜中に一人(一匹)で大暴れしてます。
 あれは闘っているのですね!!
 ありがとう。
 おかげで今日も、太陽が拝めるよ。

 ところで、この蛇と戦う猫の話は、高畠町の猫の宮の縁起のもとでしょうか。

エジプトの蛇と戦う話に、犬は出ないですけどねえ。
ただ、犬は冥界つまり地底の管理者と見れば、犬の宮の縁起との関係も見えてきそうです。

犬の戦った相手の狸は、悪としての蛇と同列ということなのでしょうかねえ。
そして、この悪の化身としての蛇と戦う猫は、当然禰子なはず…。

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岩佐又兵衛とギリシャ美人?

完璧な姿で出土することの少ない古代ギリシャ彫刻の中で、珍しく「クニドスのデメテル」はほとん ど完璧に残っています。

ギリシャ東部のクニドスという地方から発掘された、最高神ゼウスの正妻ヘラの姉妹のデメテルという女神を作った像です。

せっかく、顔がちゃんと残っている作品なので、確かめて見てくださいね。

岩佐又兵衛は、天正6年(1578年)から慶安3年6月22日(1650年7月20日)に生きた、江戸時代初期の絵師です。

 聞いたことない名前ですね・・・。
 いや浅い学びだから・・・。

どっちかというと、マイナーな画家かも…。

岩佐又兵衛は、大和絵と水墨画を融合した画風を確立したと評価されます。

岩佐又兵衛の作に描かれる人物について、千葉市美術館の説明にはこうあります
「豊かな頬、長い顎、芝居がかった大仰な仕草や熱っぽい姿の群衆、人物を描く流暢なそれでいて画面に食い込むように強靱な線」

岩佐又兵衛のいくらか誇張気味とはいえ「豊頬長顎」と通称される「豊かな頬、長い顎」こそ、「クニドスのデメテル」の顔の特徴に思えないでしょうか。

たまたまでしょ、でしょうか。

じゃあ、ミロのビーナスの顔、どうです。

「豊かな頬、長い顎」、そう見えないでしょうか。

世界三大美人は、ほとんどの国で「クレオパトラ7世、ヘレネ、楊貴妃」とされます。

ヘレネはギリシア神話に登場する女性、やはり「豊かな頬、長い顎」に描かれるように感じられるです。

岩佐又兵衛は、摂津国河辺郡伊丹(現在の兵庫県伊丹市伊丹)の有岡城主荒木村重の子として生まれた人です。

日本を代表する美人、秋田美人。

この秋田美人の典型顔は、なんとギリシャが生んだ美の典型の一つ、ミロのビーナスの顔だそうです。
東北六県の美人、程度の差こそあれ似た傾向の顔です。

そして、平安美人を特徴付ける「ひき目、かぎ鼻、瓜実顔」もよくよく見れば、秋田美人の特徴でもあります。

「日本海沿岸は一県おきに美人がいる」という通説によるとその各県とは、秋田・新潟・石川・京都・島根です。

 九州も含めれば、福岡もそう言えるかもね。

さて、岩佐又兵衛の生地である兵庫県は京都の隣、島根も鳥取が間に入るとはいえ、ご近所と言って良いかも。
そして、島根は西日本の中の、東日本の飛び地のような土地なのです。

だとすると、島根美人も東北六県の美人と共通する特徴の可能性があります。

つまり、岩佐又兵衛が思い描いた美男美女は、ギリシャ風なのでしょうか。

 岩佐又兵衛は、ちょっと変わった経歴の絵師ですよね。

 父荒木村重は戦国武将としては、最低男の汚名がとどろいていたからねえ。
 息子の岩佐又兵衛は、苦労したんじゃないかなあ。

誕生の翌年、村重は織田信長に反逆を企て、失敗。
落城に際して荒木一族はそのほとんどが斬殺されるが、数え年2歳の又兵衛は乳母に救い出され、石山本願寺に保護されて、母方の「岩佐」姓を名乗るようになる。

そう、Wikipediaにはありますね。

 荒木村重は、信長に謀反を起こしたんだけど…。
 武将のくせして、ひとりだけさっさと逃げたんで評判が悪いの。

 で、描く絵はなぜか平安絵巻を得意としたのですよね。

 クニドスのデメテルを、見てみたの。
 そしたら、ま、岩佐又兵衛描く女性に顔かたちがそっくり。

 彼の理想の平安美人は、ギリシャ美人なのですねえ。

それに、平安絵巻や古墳壁画の下膨れ美人を、リアルに描くと、多少誇張気味とは言え岩佐又兵衛風になると思えるのですけど。

どんなもんでしょ。

 狩野内膳に学んだというのは、確かのようだけどね。
 土佐派や雲谷派の誰に学んだか、はっきりしないのね。

恐らく、それぞれの派に属する無名画家が師匠だったという説もありますね。

 今日、東京国立博物館で岩佐又兵衛の絵を見たの。

 題材は、中国の美人だったけど
 瓜実顔で長い顎が、特徴だったなあ。

 岩佐又兵衛の長い顎は、かなり誇張されているけど。
 別の室にあった歌麿の美人画も長い顎だったよ。

 一方、洛中洛外図の女性はみな下膨れだったね。
 江戸期の岩佐又兵衛や浮世絵の女性は、引き目で顎が長いけどねえ。
 下膨れではないよね。
 その方が、ギリシャ彫刻に似てると言えるのでは。

でも、ギリシャ風の顔かもって、意識して見ると今までと違った感じでしょ。

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選挙に行かないのは、政治不信か。

政治不信の表れとされる、低い投票率。

しかし、民主主義の仕組みから言えば、この解釈はおかしいとなるように見えるのです。

 なんで?
 
 白けてるから、投票しない人が多いはずでしょ。

当人たちは、そう言うのです。

 当然じゃないの。

民主主義とは、主権者である国民や住民が参加することを前提にして、始めて成り立つのではないでしょうか。
 
 歴史をたどれば、確かにそうね。

税金の使い道に、要求を言いたい、文句を言いたい、それが民主主義の原点でしょ。

 近代民主主義は、そうね。
 でも、古代ギリシャはどうでした。

国民皆兵状態になったとき、古代ギリシャは民主制に転換したのではなかったでしょうか。

 全市民の結束が必要になったので、みんなの声を反映させる必要が出たのでしょ。

不満や異論、疑問が表面化しないまま戦えば、どうなるかです。

 足並みが乱れますね。

 近代軍のように、上官には絶対服従の思想が徹底すれば別でしょうけど。

批判、不満、異論、疑問などは、もしあれば徹底的に反論したり説明したりしないとならない。
説得と納得と合意が、みんなのものにならないと造反や反乱が起きてしまうのです。

そして、足並みの乱れは敵国に付け入られて亡国の原因にさえなるでしょうね。

 沈黙は、同意と看做されると。

その通り。

だれも声を上げないのは、批判、不満、異論、疑問がない証拠、指導者にみんなが満足している証拠、みんなが結束している証拠なのです。

敵は、離反工作をしようがないということでしょ。

 選挙に参加しないとは、白紙委任状を出すに等しいと。

当たり前です。
意見はあれば言わないと、意見がないと看做されるのではないでしょうか。

 つまり、異論ありません、同意します。

選挙に参加するとは、投票するか、投票されるか、どちらかしかないでしょ。

 参加しないとは、白紙委任、丸投げに等しいですよねえ。

かつて中国では、政治は水や空気のように国民に存在を意識させないのが理想とされたと言います。

 君主は、国民に存在を意識させてはならない。
 なぜなら、意識されるとは問題があるということだからですね。

問題がなければ不満もない、当然意見も出ない、反乱の兆しもないというわけです。

 だから、低い投票率は政治不満の現われと見るのは、理論上はおかしいというわけですか。
 
 低い投票率は、政治満足の現われと見るのが、理論上正しい。

変でしょ。

 満足・・というより無気力。

まあ、確かに気力がある位なら、本気で今の政治を信じられるようにしようと、決起するかも。

けれど、歴史的に見れば、満足してるとなるでしょ。

 その通りなのです。

 日本は、戦後国民を自分で考えることのできない人間に育てたのです。
 素晴らしい教育効果ですねえ。
 だから、こんなあたり前のことが分からずにいるのでしょ。

 井戸端会議や居酒屋で、政治批判はするけれどねえ。
 投票はしない、というのでは。
 
 近代国家の市民としての、資格はないですよね。

一票を失うのはあっと言う間でも、一票を獲得するのは容易ではないです。

 自分の一票なんかたいしたことない、なんて大間違えだと。

候補も支持者も、一票に泣き、一票に笑う、それが選挙なのです。

候補者の、誰が泣き、誰が笑うかで、今後の国や地域の政治、そして自分の生活や仕事に大きな影響が出るのが、選挙なのです。

投票率によって、当選に必要な票数は左右されます。

組織票や基礎票に支えられて立候補しても、さらに一般有権者の支持がなければ落選です。

 投票率が低いほど特定勢力に政治が牛耳られる可能性は高くなり、投票率が高いほど特定勢力の力を低く抑えられる可能性が高くなる。

 マスメディアは、ここを突かない、というより突けないのですよね。

視聴率が落ちたら番組は売れない、売り上げが落ちたら広告は取れない、迎合すると広告が取れるから、言えないのでしょうね。

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