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旧約の編纂はどんな時代だったのか?

ユダヤ教において、聖書とは、紀元前4世紀までに書かれたヘブライ語およびアラム語の文書群です。
 
 キリスト教でいう旧約聖書と、思って良いですか。

内容は同じです。

創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記を、モーセ五書と言い律法と呼ばれることも多いです。
律法と呼ばれる文書を核に、神からの啓示を記した預言書および歴史書、諸書と呼ばれる詩や知恵文学を加えたものをさします。

 コーランで啓典に含まれるのは、神からの啓示を記した預言書があるからかな。

聖典、つまり旧約も新約も、基本として神からの啓示と看做しているからかも。

正典とされる書物の範囲は、固定されていなかったのです。
慣例で、これらを含むと言うのは、一応あったようです。

現在正典とされるものの範囲は、1世紀末のヤムニア会議で確定されたと言われてきました。
ヤムニア会議のヤムニアは、ヤブネのギリシャ語名で現在のイスラエル南西部ですね。

ヤブネにユダヤ教の研究学校を設けたのは、エルサレムの陥落から逃れたユダヤ教の指導者たちです。
もちろん、ローマ帝国当局の許可を得ていました。

 ヤムニア会議とは、いわゆる現代的な意味での会議ではなかったそうですね。
 聖書の正典を選択していったプロセスを、指していると言いますよ。

 ヤムニア会議は、ローマ帝国統治下、それも第一次ユダヤ戦争後に行われたので、聖書は当然時代の制約を受けることになるでしょうね。

 ユダヤ教の伝統と先祖からの文化的遺産を絶やすまいと、聖典を整理しようとしたユダヤ教の指導者たちの一連の取り組みだったのでしょ。

 ユダヤ教学校によった学者たちが長い時間をかけて議論し、旧約の範囲が定まったわけですよね。

ヤムニア会議の時代、すでにキリスト教はユダヤ教の一分派という枠を超えて、地中海世界へ飛躍しようとしてました。

ヤムニア会議で編纂されたと言う説について、『原典聖書研究』というブログで訊いてみました。
現職の聖職者の方がなさっている、聖書を原典に当たって調べようというブログです。

すると、こういうコメントがきました。

「旧約の編纂が第一次ユダヤ戦争となんらかの関係があるとは思えません。
はっきりと分かる事は旧約聖書が紀元前3世紀の後半あたりにエジプトのアレキサンドリヤでヘブル語からギリシャ語に訳出されているというのは動かし難いと思います。

そのなかに箴言も含まれますのでおそらく組織的なバビロン捕囚からの帰還が完了する紀元前430年には70人訳とほぼ完璧に一致する旧約聖書ヘブル語原典が存在したと言う以外に合理的な説明は存在しません。
その事は1947年の死海写本(紀元前の写本)の発見でも旧約聖書の完成が紀元前430年以前という証拠が出てしまいました。
その点も考慮出来ていない「ヤムニヤ会議で旧約聖書が決定された」と言う想像上の架空の学説は過去の遺物です。
箴言の時代背景はバビロン圧政下のヘブル人の誰かが記した言葉として解釈を進めるのが基本かと存じます。」

訊いてみるものですねえ。

 想像上の架空の…って、強烈な否定ですねえ。

死海写本の発見で旧約聖書の正立年代が決まったというのは、初耳でしたね。

 ええ、さすが聖職者のコメント、勉強になりますね。

 神殿の建て方を記した出エジプト記なんかも、必要になるわけね。
 捕囚から帰還して神殿まで建てたし、当然神殿では儀式をするでしょ。

 バビロン捕囚から帰還した時代には聖文が集められて、新たな編纂がされていたってことは…。
 バビロンにいたユダヤ人たちの多くは、ヘブル語を話せなくなっていたでしょうから…。
 ヘブル語だけではなくアラム語でも、書かれた可能性はありますよね。

紀元前430年には、バビロン捕囚からの帰還が完了しているでしょ。
その頃には、70人訳とほぼ完璧に一致する旧約聖書ヘブル語原典が存在したと見られるわけですから。

 聖書に記されているのは、実は権力者や支配者には大変不都合な事であったわけでしょうか。

当然、バビロンの権力を刺激しないような注意は払ったでしょうね。

 メッセージを隠さないと、聖書は支配者に焼き捨てられる可能性があったと…。

そうでしょうね。
権力者に認められなければ、おおっぴらに編纂出来なかったわけですから。

イエスの十字架には、罪状書きが添えられていたのです。
罪状書きに記されていたのが、これです。

“INRI ”
INRI とは、“IESVS NAZARENVS REX IVDÆORVM”の略です。
もちろん古典ラテン語です。
“イエス ナザレの人 ユダヤの王”
訳せばそうなるです。

イエス自身は、イスラエルの家に使わされたと仰っています。

 つまり、ユダヤどころか全イスラエルの王…。

ただし、神の民を導く“良き羊飼い”としての王でしょうね。

そして、イエスは旧約のヤハウエですよ。

聖書全体を見ても、過去になされた翻訳で、似たような事情はあったようです。

 欽定訳聖書とか…。

そうです。

旧約聖書が受けた歴史的制約を物語る、面白い記事が『原典聖書研究』にありました。

箴言30章1節をヘブル語原典から、翻訳や意訳をした文章が載っていました。

箴言とは、こういう意味です。

戒めの言葉。
教訓の意味をもつ短い言葉。
格言、つまり短い言葉で、人生の真理や処世術などを述べ、教えや戒めとした言葉。

箴言30章1節は、こんな訳になるそうです。

 アグウルの言葉、ヤケの子 それはマサの 戦士が口に出して言う イテイエルに イテイエルに ウカル。 

なお、「戦士」とありますが、原典では「強き男」となっているそうです。

系図など人名の羅列箇所は聖書にしばしば見られ、一般の翻訳ではそのまま日本語の発音に音写されています。

けれど、それらの名前はみな、ヘブル語としての意味を持って付けられていたのです。

 なんらかのメッセージが、名前に託されていると。 

象徴は、万華鏡のようにいろいろと見えるように仕掛けてあるのではないでしょうか。

 神からのメッセージを読者から隠さなければならなかったので、系図に託したと。

ここが、非常に大切な点でしょうね。

例のブログでは、意訳すると、こうなると言うのです。

 年貢を保つ為の息子の言葉を集めた。 戦士が布告した。私と共に神 私と共に神 そして食物。

ここで言う年貢は、誰に納めるかですよね。

ユダヤ教には“10分の 1税”などがあるし、コーランには善行を天に蓄えよと薦める箇所があるのです。

 箴言30章の年貢は、異邦人が搾取する重税では。
 “10分の 1税”は当時の常識では、破格の軽税だったのではないかなあ。

 イスラエル以外の国では、税金は5分の 1が普通でした。  

 バビロン圧政下のヘブル人の誰かが記したと、見られるわけでしょう。
 成立過程から見て、ここで言う年貢は、バビロンに納めるものだったのでは。

仰る可能性も、当然あるとは思いますよ。

 年貢が、良き事に使われていたら良いけどね。
 どんな風に使われたのか、きちんと公開してくれないと。

年貢、今で言えば税金、まともに使って欲しいですよね。

それはそうと、聖書にとっての王は聖書の神なのです。

 世俗の権力の目を欺きつつ、神の声を伝えているのだから…。

そうみれば、年貢の受けては当然、聖書の神であり、主なる神により王として使わされた御方であるイエスと、なるかも。

だとすれば、受け取る王は、主なる神により王として使わされた御方であるイエスではないでしょうか。

 神の道=義に生きることが、“年貢”かも知れないですね。

息子と仰っているのは、御父ではないでしょうか。

 御父、御子、聖霊の御子が、ここで言う“息子”ではないかと。

私と共に神 私と共に神 そして食物。
これが、戦士の布告でないでしょうか。

だとすれば、こうなるでないでしょうか。
“神と共に進め!神と共に進め!主の御言葉にのみ従え!”

戦士は天使、食物は自らをパンとwineにたとえたイエスと見えませんか。

イエスは、“義に生きるものは幸いである”と仰っているのです。

それで、年貢=神の道=義=善行と解釈して見たいのです。

 イエスは、ユダヤ教徒は認めていないのでは。

イエスは認めていなくても、イエスの預言とされる人物なら旧約にありますよ。

 「神様への奉仕も頑張らずに、程々にしておきなさいよ」
 そう受け取るのが、正しい解釈かと…。

 神様は元々、人間の奉仕や献金は要らないのじゃないかな。
 キリストの贖いによる救いの基本は、善行も人間が行う義も不要ではないかと。

善行も人間が行う義も不要、人間の奉仕や献金は要らない、確かに神は全てを知り全てをお持ちだから、それはその通りと思えます。

しかし、こうあるのはなぜでしょう。

「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」

こうも、ありませんでしたか。

主よ主よと、これ見よがしに私を呼ぶものがいる。
私は言う。
あなた方を知らぬ。

私は、後半を彼の解読からこう見ました。

“神と共に進め!神と共に進め!主の御言葉にのみ従え!”

となれば、前半は“神の道のための御子の言葉を集めた”半ばは、“天使(あるいは預言者)は汝らに告げる”かも。

そして、全部繋げると…こうでしょうか。

“神の道のための御子の言葉を集めた(書を汝らに与えたではないか)。天使(あるいは預言者)は汝らに告げる。神と共に進め!神と共に進め!主の御言葉にのみ従え!”

こんな風にとっても、違和感がないのは確かでしょ。

「食物」と訳された「ウカル」には、年貢の食物を表す意味があります。
ちなみに、「ウカル」は基本の意味は、食べると言う動詞だけど、食べる為の労働=農夫等も表します。

この箴言の場合、バビロン捕囚下に於ける「租税」が「ウカル」の表向きの意味かも。

 それはそうでしょうね。

 ローマと見ても、バビロンと見ても、下手に刺激したらまずいのは同じでしょ。

食料には、「へレム」と言う言葉もあります。
主に、パンを指すそうです。

「へレム」には、戦いの意味もあります。
帝国への従順を疑われる戦いの意味もある「レヘム」は、戦士を連想する強き男の言葉に使ったらまずいでしょう。

表面は帝国への貢を、裏面では神への帰順を、呼びかける二面作戦をとったと見て良いでしょう。

 ここで言う「年貢」は、バビロンへの年貢が表の意味なら、神への忠誠が裏の意味と思えると。
 
アブラハムは、神への従順の証として求められるままにイサクを差し出しました。
神は結果として羊で善しと、してくださいましたが。

それで、帝国への従順の呼びかけを装いつつ、神の元への結束を呼びかけたと見ました。

あってるかどうかは、別として。

今回の話は、たんなる想像ですけど。

 でも、対応するヘブル語探しって、大変そう…。

一つの名前に一日かかることもあるって言うから、頭が下がる努力ですねえ。

そのおかげで、今回の議論も出来るわけですし…。

(追記)

今回の話は、『原典聖書研究』の「年貢を集める言葉」という記事に関して交わした問答を元に再構成しました。

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コメント

クリスチャンではない方だと思いますが、それにしては、とっても良く勉強されてるなあと関心します。さて、以下の文書ですが、

"バビロンにいたユダヤ人たちの多くは、ヘブル語を話せなくなっていたでしょうから…。"

意外や意外、バビロンでは逆にヘブル語が生きた言葉として残っていました。現在のイスラエルが建国された時、ヘブル語を国語にしたかったのですが、旧約聖書内の語彙だけでは生活できなかったそうです。それで、バビロニア地方で使われて続けてきたヘブル語を参考にして、イスラエルのヘブル語を復活させたそうです。

閉鎖された空間の中で、言語は純粋性を保ちながら残っていくようです。

投稿: 牧師さん | 2011年10月28日 (金) 15時46分

>バビロンでは逆にヘブル語が生きた言葉として残っていました。

そうなのですか。

それでは、捕囚のときもヘブル語を話していた可能性はあるのですね。

投稿: cova | 2011年10月28日 (金) 19時11分

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