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選挙に行かないのは、政治不信か。

政治不信の表れとされる、低い投票率。

しかし、民主主義の仕組みから言えば、この解釈はおかしいとなるように見えるのです。

 なんで?
 
 白けてるから、投票しない人が多いはずでしょ。

当人たちは、そう言うのです。

 当然じゃないの。

民主主義とは、主権者である国民や住民が参加することを前提にして、始めて成り立つのではないでしょうか。
 
 歴史をたどれば、確かにそうね。

税金の使い道に、要求を言いたい、文句を言いたい、それが民主主義の原点でしょ。

 近代民主主義は、そうね。
 でも、古代ギリシャはどうでした。

国民皆兵状態になったとき、古代ギリシャは民主制に転換したのではなかったでしょうか。

 全市民の結束が必要になったので、みんなの声を反映させる必要が出たのでしょ。

不満や異論、疑問が表面化しないまま戦えば、どうなるかです。

 足並みが乱れますね。

 近代軍のように、上官には絶対服従の思想が徹底すれば別でしょうけど。

批判、不満、異論、疑問などは、もしあれば徹底的に反論したり説明したりしないとならない。
説得と納得と合意が、みんなのものにならないと造反や反乱が起きてしまうのです。

そして、足並みの乱れは敵国に付け入られて亡国の原因にさえなるでしょうね。

 沈黙は、同意と看做されると。

その通り。

だれも声を上げないのは、批判、不満、異論、疑問がない証拠、指導者にみんなが満足している証拠、みんなが結束している証拠なのです。

敵は、離反工作をしようがないということでしょ。

 選挙に参加しないとは、白紙委任状を出すに等しいと。

当たり前です。
意見はあれば言わないと、意見がないと看做されるのではないでしょうか。

 つまり、異論ありません、同意します。

選挙に参加するとは、投票するか、投票されるか、どちらかしかないでしょ。

 参加しないとは、白紙委任、丸投げに等しいですよねえ。

かつて中国では、政治は水や空気のように国民に存在を意識させないのが理想とされたと言います。

 君主は、国民に存在を意識させてはならない。
 なぜなら、意識されるとは問題があるということだからですね。

問題がなければ不満もない、当然意見も出ない、反乱の兆しもないというわけです。

 だから、低い投票率は政治不満の現われと見るのは、理論上はおかしいというわけですか。
 
 低い投票率は、政治満足の現われと見るのが、理論上正しい。

変でしょ。

 満足・・というより無気力。

まあ、確かに気力がある位なら、本気で今の政治を信じられるようにしようと、決起するかも。

けれど、歴史的に見れば、満足してるとなるでしょ。

 その通りなのです。

 日本は、戦後国民を自分で考えることのできない人間に育てたのです。
 素晴らしい教育効果ですねえ。
 だから、こんなあたり前のことが分からずにいるのでしょ。

 井戸端会議や居酒屋で、政治批判はするけれどねえ。
 投票はしない、というのでは。
 
 近代国家の市民としての、資格はないですよね。

一票を失うのはあっと言う間でも、一票を獲得するのは容易ではないです。

 自分の一票なんかたいしたことない、なんて大間違えだと。

候補も支持者も、一票に泣き、一票に笑う、それが選挙なのです。

候補者の、誰が泣き、誰が笑うかで、今後の国や地域の政治、そして自分の生活や仕事に大きな影響が出るのが、選挙なのです。

投票率によって、当選に必要な票数は左右されます。

組織票や基礎票に支えられて立候補しても、さらに一般有権者の支持がなければ落選です。

 投票率が低いほど特定勢力に政治が牛耳られる可能性は高くなり、投票率が高いほど特定勢力の力を低く抑えられる可能性が高くなる。

 マスメディアは、ここを突かない、というより突けないのですよね。

視聴率が落ちたら番組は売れない、売り上げが落ちたら広告は取れない、迎合すると広告が取れるから、言えないのでしょうね。

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