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義経とキリスト教?

鞍馬寺の兜跋毘沙門天像は、刀八とも書かれ、軍陣に望む姿である八本の手全部に刀を持つ姿です。

牛若丸は、様々な叡智と技術、それに格闘術を、天狗から伝授されたと伝えられているのです。
八は、「ヤ」とも読まれるけど、「ヤー」は「ヤハウエ」の略としてしばしば使われるのです。

 毘沙門天の、四天王の中で単独に信仰されるようになるのは、この鞍馬寺の存在が大きいのでしたね。

のちに源九郎判官義経を名乗る牛若丸は、鞍馬寺の山奥で天狗から、兵法を習い「虎の巻」を授かったと言う話を御存知な方も多いですろね。

天狗の「虎の巻」は、ユダヤ教会で使用される「トーラーの巻」の「トーラー」に「虎」の字を当てたものと言う説もあるのです。

 「虎の巻」は、今日でも、奥義書やあんちょこの意味で使われているのよね。

天狗に、古代イスラエル説まで出されるようになってきたのです。
その鞍馬の毘沙門の八本の腕がある姿形まで、何か関連ありかと疑いたくなるのです。

毘沙門天の信仰は、日本3大霊場といわれる次の寺社があるのです。

1.信貴山朝護孫子寺(奈良県)
寅年、寅月、寅の日、寅の刻に毘沙門天が出現したことから寅の日が縁日になったと言います。

2.鞍馬寺(京都)
牛若丸の修行や鞍馬天狗、10月22日の火祭りなどが有名。

3.毘沙門堂(京都)
大宝3年(703年)に奈良に建てられた。
平安遷都のときに京都洛北に移され、最澄が自刻の毘沙門天を安置したといわれているです。
江戸時代に安祥寺の旧跡に移って現在に至っているのです。

ここで気になるのは、奈良県の信貴山朝護孫子寺です。
毘沙門天が出現したのは、寅年、寅月、寅の日、寅の刻であったことから寅の日が縁日になったと言うのです。

毘沙門自体に、寅とのかかわりが深いことを暗示しているようです。

毘沙門天の像の一般的特徴は、頭に鳥形の冠(三面だての宝冠で、その正面に翼を広げた鳥の姿を表す)、身に甲冑、左手に塔(もしくは腰に手を当てる)、右手に宝棒(もしくは戟)を持っているのが普通です。
左手の宝塔は八万四千の法蔵、十二部経の文義を具し、右手の宝棒は悪霊を退散させ財宝をさずけると言うのです。

こう見ると、奇妙に思えるのです。

 「虎」「寅」「鳥」
 音が、似てますねえ。

十二部経の文義を具し、三面だての鳥形の宝冠。

トラとトリ、トーラーを意識している可能性は十分ありえます。

十二は十二支族、三面は三神、頭上の鳥は聖霊…。

 まるでイエス…。

幸福の神である吉祥天を妻とした毘沙門天も、福をもたらす神とした説もあるのです。
軍神的性格から、貧乏神を退散させてくれると言う説まであるのです。

吉祥天はもともと、インドの美と豊穣と幸運を司る女神ラクシュミーだったのです。
なおラクシュミーは、アラクシュミーと言う不幸を司る女神を姉に持つともされます。
ここが、黒暗天と姉妹とされるもとなのです。

ラクシュミーが、ヴィシュヌの妻になる際にこう請願しました。
「私があなたの妻になる条件として姉にも配偶者を付けるように」
そこでヴィシュヌはある聖仙(リシ)とアラクシュミーを結婚させ、晴れてヴィシュヌとラクシュミーは一緒になったと言う神話も一方で残っているのです。
黒暗天もともに引き受けるよう求める起源は、ここにあるようですね。

 黒暗天には、貧乏神と言う説があるのでしたね。

しかし、吉祥天は姉妹である黒暗天と、二人一緒で受け入れる相手でないと、福の神としての仕事をしないはずです。

退散される貧乏神が黒暗天なら、なぜ吉祥天は貧乏神をかばわないのでしょうか。
つまり、黒暗天の正体は貧乏神などではないといっているようなもの。
黒暗天は、みすぼらしく格好が悪いけど、貧乏ななりをしているけど、人の足を引っ張る貧乏神なんかじゃないと言うことなのでしょうか。

 毘沙門天が退散させる貧乏神とは、こうなるのでしょ。

 ねたむもの、うらむもの、さまたげるもの…。

ええ。
毘沙門天が退散する貧乏神とは、転落してサタンとなったルシファーのような存在かもしれないですね。

 イエスは、悪魔に試されたときこう言っているのですよね。

 「サタンよ立ち去れ」

毘沙門天は、インド古代叙事詩「マハーバーラタ」では、宇宙の創造主プラチャーバティの孫とされます。

 ここだけ見ると、確かにイエスを連想したのは間違えないと見えますねえ。

ところが一方で、全世界の富と不老不死の命を与えられ、スリランカにあるランカーの宮殿に住み、空飛ぶ乗り物プシュパカを走らせる暗黒界の悪霊の長だったのです。

ヒンドゥー教では、ヒマラヤから産出された富を自在に扱う神となり、クーベラと呼ばれ、財宝福徳を司る神となるのです。
さらに、後には夜叉・羅刹を支配して国土を守護する武神とされたのです。
だから、正確に言えば、インドの神ではなく、スリランカつまりセイロン島の神ということなのです。

 見方を変えると、スサノヲも連想できますね。

ここに、興味深い話があるのです。

スサノヲは「スサ」ノ「ヲ」であり「スサ」ノ「男」であると、この神を祭る神社は証言するのです。

「スサ」ノ「男」は、「イッサ」という男と言い換えられるかも知れないです。

 「イエス」のアラム語である「イッサ」は、日本で別の神名に変化してると言いたいのでしょ。

さらに、あらぶる神であったころのスサノヲを、旧約のヤハウエに見立てたらどうなるでしょうか。

軍陣に望む姿である八本の手全部に刀を持つ姿である、鞍馬寺の兜跋毘沙門天像は、刀八とも書かれます。

 「八」は「ヤ」であり「ヤー」であれば、「ヤハウエ」。
 「刀八」の「刀」は、「トウ」であり「トーラー」であったなら。

そう、トーラーの神であるヤハウエから、源九郎判官義経を名乗る牛若丸は「トーラー」を授かったとなるのです。

 もし、毘沙門天がイエスに対応するとしたら、源九郎判官義経はキリスト教徒…。

 まさか…。

でも、そう言う論理になってしまいました。

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