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2009年3月

猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが。

小唄(こうた)の中に「猫じゃ猫じゃ」というのがあります。

小唄って知ってるでしょうか。

幕末の頃に成立した邦楽の一種目で、短詩型の小曲を、三味線の爪弾きで伴奏される小歌曲です。
爪弾きとは、三味線の撥(ばち)をもちいずに、人指し指の爪の端の肉を糸にあててひく奏法で、やわらかい音がします。
端唄(はうた)を母体に生まれたけれど、端唄よりも速度がはやいです。
端唄もまた、三味線音楽のひとつで、幕末に江戸で流行した小編歌謡を中心に演奏するものです。

猫じゃ猫じゃとおっしゃいますが
猫が 猫が下駄はいて
絞りの浴衣で来るものか
オッチョコチョイノチョイ

下戸じゃ下戸じゃとおっしゃいますが
下戸が 下戸が一升樽かついで
前後も知らずに酔うものか
オッチョコチョイノチョイ

一番の歌詞は、夜陰にまみれてこそこそと隠れていた人がうっかり物音を立ててばれそうになり、猫の鳴きまねをするさまをからかったと、今では解釈されることが多いようです。

 ま、何で隠れるかは人さまざまでしょうね。

でも、江戸時代だから下駄なのはわかるのです。

 だけど、なんで絞りの浴衣でしょ。

江戸時代は絞りの浴衣といえば、藍染の紺と絞りの白のシンプルなものだったです。
浴衣といえば連想される季節は夏、場面は祭りではないかです。

 夜陰にまみれて、こそこそとなれば時間はすでに祭りの後でしょうね。

で、ばれたどじなやつは後の祭りと洒落こまれたとも想像されますねえ。
 
 江戸っ子は、しゃれが好きですもの。

二番の歌詞は、もう飲めんもう飲めんと言いながらしこたま飲んで足元ふらふらな飲兵衛を、“飲めん飲めんってあんたは下戸か”とからかっているとも取れますね。

面白いので、ついつい口ずさんでいたのです。

すると単なるざれ歌に見えた小唄が、とんでもない秘密を秘めているように見えてきたのです。
小唄の樽を樽神輿だとしたら、辻褄が合って来ると思えてきたのです。
小唄は猫と下戸を引っ掛けて、面白おかしくするために樽を担がせているように見せかけていたのです。

そんなこと思っていたら、こんな童歌があったです。

猫じゃ 猫じゃとおっしゃいますが
猫が下駄はき 杖ついて
しぼりの浴衣でくるものか
おっちょこちょいの ちょい ちょい ちょい

童歌から杖をつなぐと、さらにはっきりしてきます。

猫たちが下駄はいて絞りの浴衣で、樽神輿を担いでいたのです。
そばには、下駄はき杖ついて絞りの浴衣の猫がいます。
そして猫たちは、掛け声をかけているのです。

 そうして、打ち上げに振舞われるのはねえ。
 やはり、マタタビ酒という事になるのでしょうかね?

 若しくは、榊の替わりにマタタビの枝で、玉串が作られているに相違ありません。

猫の神輿だったら、そうかも知れませんね。

 やっぱり樽神輿は、猫がらみだったということですね。

猫からみの、可能性は多いにありますね。

 ジブリの映画みたいのねえ。
 想像しちゃった。

 可愛いの。

アニメでみたいに、でしょ。

 猫ちゃんって、妙に色っぽいと思うのは私だけでしょうか。

猫って、“かわいい!”のほかにも“色っぽい♪”って言われること多いのは確かでしょうね。

 小唄や端唄で、良い気分になっているもののねえ。
 三味線って、猫の皮で出来てるんじゃなかったっけ?

普通の大きさのものはまず、そうらしいですね。
大きいのは、犬のもあるとは聞いてます。

 この猫、正体は何でしょ。

酒樽の酒は、部首が酉です。
左の三と合わせて三本足の鳥とみると、樽の丸は三本足の鳥がいる太陽かも知れないのです。
太陽神に仕えるのが、神社の神職です。

神職には、さまざまに呼ばれる人々がいます。
でも、神職の子孫には、禰宜の子孫を指す禰子という呼び名しかないです。

 すごい発見なのです! 
 すごいのです! 

 言葉のまま受け止めて、浴衣着ている猫がお神輿かついでいたりする姿を想像すると、なんともホンワカしますが。
 
 それから「下戸」を「げこ」、「禰宜」を「ねぎ」と読むとは知りませんでした。
 
 ということは、「禰子」は「ねこ」と読んで良いのでしょうか。
 
 「禰子」は「ねこ」と読んで、良いのです。

 今日は一つ賢くなりました。
 小唄って面白いのね。

つまり、神職のさまざまな呼び名は禰宜の職階と見ることができるです。
本来神職は世襲だった以上、禰子の子孫が禰宜とも言えるってわけです。

おそらく、この猫は禰子の空耳と思われるです。

となると、樽神輿の登場は幕末の頃、「ねこじゃねこじゃ」と騒ぐ“ねこ”たちに担がれての笑撃的なものだったのかも。

 友人から貰った京都土産の手ぬぐいに、忍び足をした猫の絵に「ねこじゃねこじゃとおっしゃいますが」と描いてありました。
 猫たちが下駄はいて絞りの浴衣で、樽神輿を担いでいたのです。
 
 たった今、意味がわかりました。

それは、よかったです。

追記。

樽神輿については、こちらで触れましたので良かったらどうぞ。

樽神輿
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-1414.html

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柔道の起源を考える。

「柔道(じゅうどう)」は、正式名称を「日本伝講道館柔道」と言います。
講道館の名は、柔道創始者である嘉納治五郎が東京下谷の永昌寺に創設した講道館にちなみます。
柔道は、格闘技、スポーツ、武術にも分類されます。

基本理念は、「精力善用」「自他共栄」、真髄は、「柔能く剛を制し、剛能く柔を断つ」とされます。
道の一言に示されるように、精神鍛錬を目的とし、単なる勝利至上主義ではないです。

柔道そのものは、明治15年(1882年)に嘉納治五郎によって創始された意外と最近成立した武道です。
しかし、起源をさかのぼると、正式名称に「日本伝」と称するくらいでかなり古いです。

柔道の元となった、「柔術(じゅうじゅつ)」は、徒手武術全般を指します。
柔術は、日本古来の徒手武術です。

一方韓国は、柔道をYudoの名で海外で普及活動を行っています。
Yudoは、「ユド」と発音し、柔道の朝鮮語音です。

 韓国は、秀吉の朝鮮出兵後が日本の柔術の始めと言ってるようですが。

全米ユド協会(United States Yudo Association)はその公式ホームページにおいて、柔道の起源を朝鮮半島にあるとし、「豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本に伝わりその後朝鮮半島では柔道は廃れ、20世紀になって日本から再輸入された」と主張しています。

 秀吉の一回目の朝鮮出兵は、日本の文禄元年、明や朝鮮の万暦20年、つまり1592年の3月12日でしたよね。

 ちなみに二回目は、日本は慶長2年、明や朝鮮は万暦26年、西暦でいえば1597年の2月。

12世紀以降の武家社会の中で、武芸十八般と言われた武士の合戦時の技芸である武芸が成立します。

武芸十八般に柔術は含まれるとして、柔道韓国起源説に対して全柔連教育普及委員長、講道館資料館部長は否定コメントを出しています。

 朝鮮出兵よりも、前ですね。

 全く何もないところから、柔術が始まったとは考えられませんが。

ええ、そうですね。

 日本の徒手武術は、古代からあった相撲の技を取り入れて成立したと見る方が自然では。

 でも、相撲にも韓国は自国が起源と言ってますねえ。

相撲の起源は、メソポタミアと言う説もありますよ。

 そう言えば、相撲にそっくりな出土品が見つかっていますね。

日ユ同祖論は、相撲を国技とする事を論拠の一つに挙げています。

 韓国人はメソポタミアから来たと証拠を示すか、メソポタミア以前に相撲の朝鮮から出た証拠を示さないといけませんね。

1690年に来日したドイツ人エンゲルベルト・ケンペルは著書「日本誌」で、日本神話の高天原はバビロニアにあったと主張したと言います。
日本スメル起源説も含め一連の日本中東起源説は、ここに始まると言って良いでしょう。

日ユ同祖論を言い出したスコットランド人ノーマン・マクラウドは、韓国にも相撲があるならユダヤ人が伝えたのだと主張するでしょうね。

 日本も韓国も、メソポタミアに遡るとノーマン・マクラウドなら言うだろうと。
 
そうかも知れないですね。

 ノーマン・マクラウドは、韓ユ同祖論も出してますもの。

飛鳥昭雄と三神たけるは、日本人と現在の韓国・朝鮮人は別の起源と言ってるようですけどね。

 同時代の半島にあった国、百済、新羅、高句麗はいずれも日本に亡命してますね。

日本に亡命者がいるという点では、そうですね。
細かい点では、いろいろ説があるので深入りしませんけど。

戦国時代後、江戸時代なると武術の一つとして柔術が発展しました。
幕末までには、百を越える流派が生まれていたとされます。

戦国時代の合戦用に工夫された、「甲冑武術(鎧組討ち)」と江戸時代になってから発展した「素肌武術」に大別されます。
相手を負傷させずに捕らえることを重視する流儀の多さは、他国の武術に類を見ない大きな特徴です。

その異称は数多いです。
柔・和・和術(やわら)・拳法・腰廻・小具足術・活殺術・体術・胎術(たいじゅつ)・座術・挫術・坐術・体座術・体挫術・体坐術・白打・組討・組打・組討術・組打術(くみうち)・鎧組討術・鎧組打術・取捨術・捕手・捕縛、などがあります。

柔術から生みだされた武道として、柔道・合気道などがあります。

柔術は、広く研究され流派が多数存在しました。

 柔術は、古くは、12世紀に遡れると見て良いと。

 12世紀と言えば、平安末期から鎌倉初期にあたりますね。

武家社会の中で、武芸十八般と言われる武士の武術の一つとして江戸時代の柔術である素肌武術が発展しました。
素肌武術としての柔術には、幕末までに、百を越える流派が生まれていたとされます。

嘉納治五郎は柔道を、百を越える流派の中から起倒流・天神真楊流などを元に創始しました。
柔術の技法から、当身技や武器術も含む技法を網羅した武道を目指したものが柔道でありました。

嘉納治五郎は、当身技、固技、絞め技を中心とする天神真楊流柔術、投げ技を中心とする起倒流柔術の技を基礎に、起倒流の稽古体験から「崩し」の原理をより深く研究して整理体系化しました。
「崩し」とは、対戦相手のバランスを崩すことです。
そして、修身法、練体法、勝負法として今までの修行面に加えて人間教育の手段として柔道と名付けました。

しかし、乱取りが競技化したことにより、組み付いた状態での投げ技と寝技に専門化したものとなります。
それで、前期柔道として現代柔道と区別する者もいます。
 
さあ、あなたは柔道の起源をどう見ますか。

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弁才天と山?

以前、どこかの山で山頂に弁才天の祠を見たことがありました。

 仏教のなんとか菩薩が日本の神さんと神仏習合して、弁天さんになったと違いますか。

弁財天とも表記される「べんざいてん」は、「べざいてん」とも読まれ、弁天と略されることもあります

 「才」と「財」を引っ掛けて、縁起担ぎで弁財天とも表されたとか。

仏教では、妙音菩薩(みょうおんぼさつ)と同一視されることがありますね。
妙音菩薩は多くの仏に仕え、智慧とあらゆる三昧を得ているとされます。

弁才天のもとは、ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー(Sarasvatī)です。
「サラスヴァティー」は、聖なる河の名を表わすサンスクリット語で、古代インドの河神でした。
河の流れる音からの連想から音楽神とされ、福徳神、学芸神など幅広い性格を持つとされました。

 音繋がりで、妙音菩薩と混同されたのですか。

学芸神と言う、共通点もありますね。

サラスヴァティーは仏教や神道に取り込まれ、弁才天と呼ばれるようになりました。

山といってもハイキング程度しかしない私の行く山なので、たいした高さではないですけど。

川は多くの場合、山の湧き水を源流とするから、あって当然といえば当然とも見えます。
それで、大して気にも留めていなかったのです。

ところが吉野裕子著『山の神』を見ていたら、日本古代からの山の神“蛇(巳)”と、陰陽道由来の“猪(亥)”があり、十二支では“蛇(巳)”は全陽、“猪(亥)”は全陰とあったのです。

陽とくに全陽は男性、陰とくに全陰は女性、を象徴に持ちます。
それで、本書では“猪(亥)”が女性に当たるので、女房とくに古女房は「山の神」と呼ばれると解釈してたのです。

となると、弁才天は“蛇(巳)”=全陽=天=円と、“猪(亥)”=全陰=地=方の合一となり、、“蛇(巳)”と、“猪(亥)”両者の習合として祭られても不思議ではないですけど。

蛇を伴う女神とくれば、真っ先に思い出すのは弁天様ですね。
それで、弁才天も山と係わり合いがあるかもと検索してみました。

すると、弁財天山や弁才天山、弁天山は九州から、関東、東北に至るまであるではないですか。

しかも、人工的に整備したものまであったのです。
人工的といっても、各地にある浅間神社のような人工的に手を加えられた山ではないですけど。
例えば、和歌山県和歌山市の元々は和歌山城内の領域であった公園にある弁財天山の麓には、神社と半自然・半人工の池があり、弁財天山からはその池に小さな滝が流れています。

弁天の名のつく山には、面白い言い伝えの山もあります。
熊本県の西合志町にある146mの弁天山です。

その一。聖徳太子のせい?

聖徳太子が肥後の国に5ヶ所の池を作らせたうちの一ヶ所と伝えられる大池の土が、 一夜にして丸く盛り上がり、山になって出来たというものです。
なお、今は池はなく、地名にその名を残しているだけだそうです。

その二。大男説

昔、非常に力もちの大男がいて、ある日、この男が、ふごに土をたくさん入れ、肩に担いで運んでいたそうです。
ところが、足を滑らせて転んでしまい、その弾みに、担いでいた天秤棒は折れてしまって運んでいた土はひっくり返ってしまったのです。
その時に出来た土の山が弁天山で、大男が転んだ時に、お尻を突いて大きな穴が出来た場所は、今では大池と言われているそうです。

聖徳太子といえば、仏教を熱心に広めた印象がある一方、大工の神としてもあがめられています。
太子が、法隆寺を建立したことや日本建築で昔から使われてきた建築用万能計算機ともいえる曲尺(かねじゃく)を発明したという伝承があります。
この言い伝えのために中世以降、太子は大工の神様として信仰を集めたと伝えられるのです。

大工仕事の前には土木作業があるし、実際、太子は土木と建築の技術を広めたわけで、大工の神としての聖徳太子は同時に土木の神の顔も想像できるのです。
つまり、聖徳太子説と、大男説は、実は矛盾しないという可能性もありえるのです。

 弁才天の山の由来は、面白いですね。
 大男説なんかは特に。
 しりもちついてできた穴なんて…。

ええ、面白いこと思うものですね。

そこで、ふと思ったのです。

弁天様はアジアから渡ってきた女神で、日本の神としては新参です。

弁天は、音楽・弁舌・学芸の神にして蛇を従える女神です。

となれば、蛇を連れた智恵と智識に富んだ女と言うことでもありますね。

古代日本にいた神に授かった子として蛇をそばに置いた蛇神の巫女は、同じように蛇と一緒の弁天信仰に乗っ取られたのでしょうか。

 泉鏡花の「高野聖」に出てくる美女は、蛇の化身だったと思います。
 僧侶が旅を続ける山の中で体験した、幻想的なお話ですが…。
 
高野聖にでてくる蛇の化身である美女は、道成寺縁起の「安珍清姫」などがヒントではないのでしょうか。
蛇と絡む女の伝承の陰には、古代日本の蛇巫女がいると思われます。
蛇巫子の像は、いくつかの遺跡から出土しています。

 蛇は、やはり山の神の象徴なのかなと。

三角の山は、しばしば神奈備山とされます。
この三角は、蛇ではないかと言う説は吉野裕子などが出していますね。

二手で琵琶を持つ女神像が一般化したのは、鎌倉時代です。
日本では、七福神の一人として民衆の信仰を集めてきたのはご存知のとおりです。

 二臂で琵琶を奏する姿は、密教で用いる両界曼荼羅のうちの胎蔵界曼荼羅に見えるそうですね。

胎蔵界曼荼羅中の二臂像は、女神ではなく、菩薩の姿だそうです。

 それでは、妙音菩薩と同一視された姿では。

たぶんそうでしょ。

あまり知られていないけど、弁天には八本の手で各種の武具を持つ像もあります。

 八臂像は、『金光明最勝王経』「大弁才天女品(ほん)」によるものでしょ。
 八本の手には、弓、矢、矛、鉄輪、羂索(けんさく、つまり投げ縄)などを持つと説かれますね。

弁天が日本に定着した裏には、蛇巫女たちの信仰との習合もあった可能性は考えられます。
そうでないと、もともと川の神である弁天が小さな築山のようなものを含めて、山に祀られるのは説明がつきにくいです。

 八臂の弁天って、八臂の毘沙門と関係ありますかねえ。

さあ、どうなのでしょ。
確かに、似てますけど。

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水と日本。

日本とイタリア、特に食文化や古代に奇妙な類似が見られます。

 食文化では、たこ焼きや好み焼きやもんじゃ焼きとピザ、饂飩や蕎麦とパスタ。
 
 でも、古代って?

江戸は、当時の世界的にも珍しい「上下水道を完備した先進都市」だったのです。
 
 井戸端会議の言葉の由来にもなった、「街にある井戸」は時代劇でもよく見ますよね。
 
 あの井戸って、地下水を汲み上げているわけでは、ないのですよね。
 よく、誤解されていますけどね。

ちょっと見ると、普通の井戸に見えますけどね。

 出土している木製の水道管も、ありますよね。

工事を行って、地下に水を引いて貯めた「上水道」なのですね。

 なんか、江戸をローマ、日本をローマ帝国、と置き換えたって違和感ない。
 
ええ。

 でも、中国も朝鮮半島も、日本とローマの間にあるはずでしょう。
 それなのに、新羅くらいしかローマの影響が強く見えてないのでは。

似たことは、ヨーロッパでもいえますよね。

 江戸時代の日本が上下水道を整備していたのに対し、ソウルやロンドンやパリが糞尿にまみれた不潔な衛生環境だったでしょ。

例えばソウル。
Isabella Lucy Birdの"Korea and Her Neighbours"が注目されます。
講談社学術文庫に、『朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』 イザベラL. バード著として収録されています。

Isabella L. Bird は、英国人の女性旅行家です。
彼女が初めて朝鮮を訪れたのは1894年、62歳の時で、以後3年余、Bird は4度にわたり朝鮮各地を旅しました。
当時、朝鮮内外には、歴史的事件が続発していました。
本書は、日清戦争、東学党の反乱、閔妃暗殺等の、国際情勢に翻弄される李朝末期の不穏な政情の生々しい記録です。
Bird の眼に映った朝鮮の素顔を、開国間もない朝鮮に色濃く残る伝統的風土民俗 文化等々、忠実に伝える名紀行として名高いです。

Bird が「朝鮮紀行」に書き残した、今から約100年前まで朝鮮を治めていた李朝の末期の姿は凄まじいと言います。

 貨幣制度がほとんどない。
 ソウルは世界有数の汚く悪臭のする都市。
 一般民衆の住む場所は藁葺きのあばら屋で、通りからは泥壁にしか見えない。
 道はとにかく悪い。

一方、日本は、清潔に保たれた都市環境と犯罪の少ない統治をしていました。
それが世界に知れ渡ると、海外からも高く評価されるようになったのです。
 
 ソウルのあった朝鮮半島は、中国の影響が強かったのでしょ。
 中国もまた、似たような状態だったのかな。

中国の北京など、どうだったでしょう。
長安、洛陽、開封、杭州、北京などの大都市は、水系、つまり水の有効利用などを考慮して構築されてきたそうです。
城内に組み入れられた水路は、排水と同時に下水路としても使用されたと考えられると言います。
衛生上、汚水の排水は、特別なものが求められたと言いますけど。
  
 覆いの無い下水道が、漢代の長安あるいは晋代の洛陽に存在した記録が残されているって。

これら覆いの無い水路を豪雨時の排水専用のものとされたのは、1368年から1644まで続いた年明代以後ですと。
明代以降、下水道としては暗渠式のものが設けられ、汚水、塵芥、不浄物が路傍に設けられた穴から投入されたと言うです。

 1368年っていえば、日本は南北朝のころでしょ。
 日本だって、大陸から多くの文化とか技術とか、学んでいるのにね。

カナート、カレーズのような地下水路で結んだ井戸は、アジアにあるはずです。

カナート(qanāt)とは、イランの乾燥地域に見られる地下用水路のことです。
カレーズ(kārez)は、アフガニスタン、パキスタン、ウズベキスタン、新疆などの地下用水路。
フォガラ(foggara)は、北アフリカなどの地下水路です。

 日本を語るのに、また、イラン、つまりかつてのペルシャがまた出てくるの。

ほんと、ペルシャって古代日本に不思議と絡みますねえ。

 そういえば、ペルシャって、古代イスラエルにも妙に絡む。

まるで、カナートの縦穴みたいにひょいひょいと顔出しますよね。

 カナートやカレーズやフォガラは、山麓の扇状地などの地下水を水源としてるのでしょ。

地下に水路を設けて、蒸発を防いだものですね。
 
 長いものは、数十kmに達するのでしょ。

山麓で掘った最初の井戸で水を掘り当てたら、その地点から横穴を伸ばしていきます。

ある程度の間隔をあけて地表から工事用の穴を掘って土を出したり、そこからまた横穴を伸ばすのです。
20mから35mの感覚で、縦穴は垂直に水路に沿って掘られています。

途中に空けた縦穴は、完成後は修理や通風に用いられます。

 縦穴を使って横穴を伸ばしていく方法は、基本的に今でも同じでしょ。

余計な土砂は、必ず出るからです。

水路が地表に出る場所には、耕地や集落のあるオアシスが形成されています。

 水を送る地形や傾斜を巧みに利用する技術は、シルクロードを通って日本に来たのに…。

中国や朝鮮半島で、なぜ生かせなかったかってのは謎ですね。

 私は、水を送るのを専門としております。

 農耕民族であるが故に、水との御縁は濃いのではないでしょうか。
 特に稲作は水を使いますし、今も農家は水は命ですよ。

 都市部には、安定した水供給が必要です。
 それに洪水なども地形上多かったでしょうから、巧みに地形を利用して水と共生しないといけなかったのでしょう。

シルクロードって、失われた十支族が散っていた道でもありますよね。

 ちょっと待って。

 比べたのは、江戸時代とローマでしょ。

でも、巧みに水を使ったことを示す遺跡は古代日本にもあるのです。

水に関わる謎の遺跡である、酒船石とスッポンを模った石を合わせた何らかの儀式を行ったと見られる古代遺跡とかです。

 奈良県明日香村岡にある、いくつかの石造物からなる酒船石遺跡でしょ。
 亀形と小判形石造物というけど、あれ、亀じゃなくてスッポン?

水に関わる遺跡である以上、たんなる亀ではなくスッポンでなくてはいけないと、私は見ます。

 また、スッポンですかあ。

そう、食い付きますか。

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漢民族って、どういう人達?

中国の多数派を占めると言われる「漢民族」、じつはかなりあいまいな存在だというのです。

「漢民族とは何者か」
この問いに、答えるのはかなり難しいと言うのですよ。

 長期にわたって古代を大きく引きずり続けた中国はまだ、近代的な意味の「民族」そのものが十分成立していないのかも知れませんね。

まあ、現代に至るまで古代を引きずっていると言う点では、天皇中心の国づくりが古代から続く日本も似たようなものかも。

 日本が民族を意識しだしたのは、明治維新がきっかけと言えるでしょう。

それまでは、土佐だ長洲だ、でしたもの。

 そうそう。

 けれど、アイヌなどの問題を除けば、古代の帰化人や渡来人も含めて日本民族と言えるくらい混ざってませんか。

確かに、単一民族論が出るくらい一体化はしてるかも。

漢民族の問題を考える前に、中国の歴史をおおざっぱに振り返ってみたいです。

その後の中国の歴史の主軸となる黄河文明。
黄河文明が萌芽する遥か前より栄えていた長江文明。

先秦時代と言われる三代、春秋戦国。
三代とは、夏・殷(商)・周。
春秋戦国は、都市国家の盟主どうしの戦いで、最終的に趙、魏、韓の三国が出来た。

秦帝国、秦王政は、他の6つの列強を次々と滅ぼし、紀元前221年には史上はじめての中国統一を成し遂げた。
漢帝国の前身とも言うべき秦が滅びたあと、劉邦と項羽が争った楚漢戦争で、紀元前202年に劉邦が項羽を破り、漢の皇帝となった。

 漢帝国は、統治の実体や社会のあり方は秦と多くの共通点を持ち、言うなれば「秦帝国」の改訂版であったとの評価もありますね。

魏晋南北朝時代、後漢末期の184年には、農民反乱である黄巾の乱がおき、隋が589年に中国を再統一するまで、一時期を除いて中国は分裂を続けた。

隋帝国、江南・華北を結ぶ大運河を建設したり、度重なる遠征を行ったために、民衆の負担が増大したため農民反乱が起き、618年に隋は滅亡した。
唐帝国、618年に成立した唐は基本的に隋の支配システムを受け継いだが、907年、節度使の1人である朱全忠によって滅んだ。

五代十国、唐の滅亡後、各地で節度使があい争った時代。
宋、960年に皇帝となった趙匡胤により、この戦乱は静まったが、1279年広州湾の厓山で元軍に撃滅され滅びた。

モンゴル帝国、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・ハーンが1206年に創設した遊牧国家だが、1368年、紅巾党の首領のひとりであった朱元璋の立てた明によって中国を追われた。
明帝国、明朝とも言い、1368年から1644年にわたって中国を支配した中国の歴代王朝の一つ、大明と号した。
清帝国、清朝とも言い、1636年に満州において建国され、1644年から1912年まで中国を支配した最後の統一王朝。

民族という言葉は、実はかなりあいまいな使い方をされているのです。
大辞林と大辞泉の例を挙げますね。

〔大辞林〕
「われわれ…人」という帰属意識を共有する集団。
従来、共通の出自・言語・宗教・生活様式・居住地などをもつ集団とされることが多かった。
民族は政治的・歴史的に形成され、状況によりその範囲や捉え方などが変化する。
国民の範囲と一致しないことが多く、複数の民族が共存する国家が多い。

〔大辞泉〕
言語・人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団。「騎馬―」「少数―」

一般に、中国の多数派である漢民族と言う場合、「言語・人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団。」 の意味であると思われるのです。

見ればわかるように、「文化的共同体としての民族」と「政治的共同体としての民族」がごっちゃになっているのです。

この「文化的共同体としての民族」は、欧州では“ethnic group”として扱われるようです。

一方、近代国民国家の成立の背景となる「政治的共同体としての民族」は“nation”と呼ばれるようですね。

「文化的共同体としての民族」がもとになって、「政治的共同体としての民族」は生まれてくるのです。

 その「政治的共同体としての民族」は、中国にはまだ十分育っていないと見えると。

その可能性があると見て、今回検討しているのですよ。

歴史を見ればわかるように、中国には古代史のレベルの展開は豊富にあっても、中世史のレベルの展開はきわめて乏しいのです。

この、中世こそが、近代的な意味での民族を成立させるのに欠かせない歴史と言えるのです。

そして、この近代的民族こそ「政治的共同体としての民族」である“nation”なのです。

 古代国家は、“nation”にもとずく国家でないことは、中国史ひとつとっても言えるでしょうね。

 日本は、なんだかんだ言っても、縄文や弥生で括れますからねえ。

そのことも、「漢民族とはなにか」が見えにくくしている原因のひとつかも知れませんね。

つまり漢民族は、「文化集団としての民族=ethnic group」であって、「近代国家の主体としての民族=nation」ではないとこが、中国の近代化を進める中でこれから大きく足かせになるかも知れないというわけです。

この問題で北京政府が無理すると、民族国家を求める動きが激しくなって中国はこれから分裂の可能性が深刻化することが心配されますね。

 そもそも中国はその大きさからしても、ひとつの国家としてまとめるのには無理があると思うのですが。

それで、中華民族と言う言葉をしきりに使いたがっているのかも。

 それに、「漢民族」と言う場合、いつもその対極に「少数民族」の存在があるわけで、言い換えれば少数民族の存在ゆえに全土98%を占める漢民族がやっとその存在意義を認められるのであって、はて、実態となると、ないのかも知れませんね。

 少し違うかも知れないけれど、昔中国の友人が「中国人は12億粒の砂、絶対ひとつにはまとまらない」と自虐的に言っていたけれど、少数民族を除く中国人の民族意識ってどうなんでしょうね。

 漢民族自体、沿岸内陸での格差や、辺境他民族地域への浸出行為からして、存在そのものがethnic groupですら怪しすぎますね。

 単に、People's Republic of Chinaが居所な人々に過ぎないのでは、と、思いつつあります。

砂のような民といえば、アラブの遊牧民もそう言われる気がします。

 あれだけの人数をまとめるには、キチンとした政治とか、高いモラルが必要になるでしょうね。

 数えられてないだけで、中国の山奥や秘境には、もっと人口が多く存在してるかも、なんて思ってました。

連邦になる場合、国家連邦か、連邦国家か、混乱なく変更できるのか、てな課題を抱えてしまうです。

 漢民族は、現地では漢人と言ってるらしいですね。
 漢人をギリシャ語にして、中国語に戻すと漢教徒ともなるかも知れませんね。
 つまり、自らを漢人と思えば漢人になるということでは、ethnic groupと言っても良いのでは。

それ言ったら、日本人もギリシャ語にして、日本語に戻すと日本教徒となりますよ。

 ああ、そうですね。
 ethnic groupがもとになって、nationになるわけですもの。

 話は変わりますが、中国製の食品の安全性や、製品についてのモラルについての報道は、中国について疑問が増えちゃうものが多いなんて今ひとつ、いやですね。

一方で、問題を解決しようとする取り組みもありますけどね。

 土地の広さ、人口の多さで大味になってしまうのでしょうかね?

そういえば、中国も、ロシアも、アメリカも、程度の違いはあってもどこか大雑把なことは、共通してる気はしますね。

アメリカなんかは、ヨーロッパからの移民も、大勢いるはずなのですけど。

 よく言えば、大らかとも表現できますけど。

ものは言いよう、ですよね。

ヨーロッパの国々は、日本とあまり変わらない面積なせいか、確かに繊細さはあるように感じますね。

 中国まとめるって、北京市だけでも広いのにね。
 料理だって、何種類もあるし。
 すごく大変なことですね。

中国は連邦制になるべき、という声もあります。

 それも、仕方がない気はします。

 けど、連邦制の採用は一歩間違えると、クルド問題を抱えるトルコやイラクなどから、よこやりが入る事も考えられるのです。

私は、それが心配なのです。

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街角の怪話?

スーパーやコンビニのレジで、しばしば突っ込みいれたくなる返事が来ます。

 おつりがいるときは、「お預かりします」で良いでしょ。

何かを預かれば、何かを返す、当たり前ですよね。

おつりがいれば、おつりを返してくれれば良いのです。

 そう、ですよねえ。

でも、ちょうどを出しても、「お預かりします」と来るのです。
「ちょうど、お預かりします。」
そう言って、お金を受け取ります。

 そう言いますよね。
 なんなんでしょうかね。

 それと、ちょうどの金額じゃないのに…。
 ちょうど○○円をお預かりしましたの、「ちょうど」とかです。

 おつりがいらなければ、何を返すのですかね。

お金を預かれば、お金を返すのが当たり前でしょ。

「レシートのお返しです。」

?!

「ありがとうございます。」

レシート預けた覚えなど、ないです!

 それは、思いますよねぇ。
 
 そう言えば・・・そう言われて、もらってますね。
 「○○円からでよろしいですか?」の、「から」も気になる。

それも、ある程度の年齢でさえ言って来るから「なんで?」って突っ込みたくなりますよね。

 それが、当たり前という感覚になっているんでしょうね。
 
 是正に動いている企業も、あるそうですがね……。
 一度慣れてしまうと、直すのも難しいでしょうね。

でも、なんか変って思ってる人は多いでしょうね。

おたくの店じゃ、レシートでお支払いしても良いのか、思わず訊きたくなりませんか。

 レシートは、何円分で使用できますかって。

 返すと言うのは、借りたり預かったのと同じものを、相手に渡す行為ですもの。
 
 おつりに、お返しと言えるのは、受け取ったお金に対してお金を渡すから、でしょうね。

そうでしょうね。

同額ではないから、厳密には「お渡し」と言うべきかも知れません。

 「お渡しです」、「お渡しします」など、ですか。
 そう、かも知れませんが…。

 そこまで、こだわらなくても…。

まあ、お返しでもこれまで通用してきましたからね。

 今でも、商店ではレシートなしのところが多いですね。

おつりがいるときと、いらないときは返事が違いますね。

 「ちょうど頂きます」とか、「ちょうどですね。ありがとうございます」とか、言ってましたよね。

当然、レシートがない以上、このせりふはないです。

「レシートのお返しです」

そのかわり、季節の会話などがあるのです。

 特に若手に、なんでもかんでも「お預かりします」の傾向が強いのは、スーパーやコンビニばかり行ってるからじゃないの。

 コンビニやスーパーでも、言葉に気を使っている人もいます。

 そういう人に会うとホッとするより先に、珍しい言葉を聴いた驚きの方が強い自分が寂しいです。

たまには、街中の商店に行って会話を楽しめって言いたいですね。

 最近の若者言葉って、ソフトな言い方にするつもりで、言葉としてはむしろおかしくなってるように感じますね。

 もっともっと、気がついたものが声を上げないと、いけないでしょ。

 ちょっと最近気になる言葉は、新聞でも取り上げられてたんですが。
 なになにの方、という「ほう」をやたらと耳にします。
 つい私なんかも使ったりしてる気がしますが。

意味よりも、語感を優先させて、言葉を選んでいるとしか思えないですね。

逆に言えば、それだけ他人との摩擦を避けることに神経を使っているってことでしょうか。

その分、言葉がおかしくなっても、気がつけなくなってるかも。

なのに、言葉を知ってるはずの年配者が注意を意外なほどしない、なぜと思いますね?

ソフトな語感を優先させるため、発音もはっきりしない、発音もかろうじて聞き取れるくらいに小さくする、それじゃあ、高齢者には聞き取りにくいですね。

あいまいな言葉は自分の経験に照らして判断する、それで言葉を知っている年齢の人々はこう感じてるのかも。

「まさか変な言葉使いをしてるってこともあるまい」

これが進めば、会話そのものが危うくなるのではないでしょうか。

 言葉遣い、最近指摘されていますけれど。
 スーパー、コンビニだけでなく、ファミレスやファーストフードも、独特の異様な言葉遣いをしますよね。

「○○になります」とか、でしょ。

 それも、意識して言っているというより、自動的というか、反射的に言っているから。
 なお、異様な感じがする・・・。

 知性、理性より、感性で判断し、行動してるって風ですね。

猫や犬だって、猫や犬なりの知性や理性は働かせていますよね。

こうなると、人というよりヒューマノイドに変質しつつある危機感を覚えますね。

 確かに。
 人工無能(脳)と、大差無くなってきたら、本当にヒュ―マノイドですよね…。

 目の前の応答さえすれば、それで終わり、すなわち、それ以降の会話は無くても良い、ということが、それを加速しているのだと思います。

かなり、怖い展開になっちゃいました。

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日本人の顔を、改めて考える。

何度か、日本女性の顔話題にしてきました。

 でも、ほとんど日本海側でしょ。

ええ、そうだったです。

けど、東北六県という形だけど太平洋側も一応は見ているのですけど。

 ほかの地域はどう。

日本人の顔って、一括りに出来ないと思いますね。

 日本的な顔と言うと、のっぺりした絵巻物の絵の顔を思い浮かべるかもしれないけど。
 存外彫りが深くて、「濃い」顔も多いですしね。

童謡のディユットで知られる安田姉妹の姉、安田祥子の顔まじまじ見たことありますか。

 聞いたことは、ありますよ。
 顔、ですか。
 ヨーロッパ的とは、思いますけど。

歌っているときは気にならないだろうけど、黙って立っているとギリシャ彫刻みたいでしょ。
  
 また、ギリシャ…。
 そう思えばそうね。

 ところで、瞼の一重、二重だけとってもどちらが多いんでしょう?
 半々かしら?

ええ、日本人には 二通りのお顔があるような気がしますね。
 
 彫りの深い、しっかりした顔。
 平安のお姫様のような、細面の顔。

 安田姉妹同様、わたくしと妹はそんな感じです。

 姉妹じゃなく、いつも友達に見られます。

 同じDNAなのに、なんでこうも違うものかなって。

 父親からも、姉妹じゃないみたいだぞって言われますが。
 じゃあ、両親の血も怪しいもんですけど。

 ところで、女ばっかり見てないで男も見てよ。

じゃ、これでどうです。

男自転車ふたり旅「イタリア1200キロを行く」

同じ劇団出身の俳優、蟹江一平と猪野学の2人が、北イタリアの絶景と地元の人々との出会いを求めて、ヨーロッパアルプスのふもとから、1200キロ先の首都ローマを目指す。

これが、番組紹介にあったです。

旅の途中、彼らの一人は偶然、ある漁港で父そっくりの漁師に出会い思わず抱き合うのです。

 日本とイタリア、何か繋がっているのでしょうかね。

 確かに、イタリア映画なんかを見ているとねえ。
 日本人の濃い系統の人にいそうな顔を、ちらほら見ます。

食文化でも、饂飩や蕎麦とパスタ、お好み焼きやたこ焼きとピザ、蛸壺漁、栗、米食など類似点は多いです。
キノコでも、香りを楽しむ松茸とトリュフ、しかもどちらも高級食材として珍重されています。

どこの国の料理も「なんとか料理」と呼ぶのに、イタリア料理だけは親しみを込めて「イタ飯」と呼ぶ人が大勢いましたよね。

イタリアと日本は、温泉文化でも繋がっていますね。

地理から言っても、地中海に突き出したイタリア半島、アジア大陸に沿って伸びる日本列島。
気候の面でも、緯度が似ている分、どこか近いものがあります。

 でも、ギリシャ、イタリアとくると、まるでローマ帝国ですねえ。

けれど、ロシア的な顔と言われる人もいます。
 
 日本ってこうしてみると、ほんとにアジアの国なのって感じ。

でも、モンゴル顔もいるのですけど。
 
 世界中の顔が、集結した国って感じねえ。

日本は、どうなってるのでしょうね。

 吹き溜まりなんですかねえ、日本って。
 いろんな文化、人種の・・・。
 モンゴル系の顔、確かにいますからね。

多彩な文化の集積なようでいて、不思議な一貫性があり、不思議な一貫性があるようでいて、多彩な文化の集積という、摩訶不思議な国が日本なのです。

 ローマ帝国とは、シルクロードで繋がっていましたし。
 ペルシアは、正倉院に宝物がありますし。
 想像を絶する繋がりがあっても、不思議ではないですよね。

 全くの余談ですが、東北で謎なのは内陸部の盛岡も実は美人が多いことです。
 秋田のように外国人みたいな顔の人はいませんが、水準では秋田と遜色ないんです。

 ところが両県とも、男性は並みなんですね。
 いつも、男性は得をしてるなあと思って見ていました。

以前偶然見つけたブログの記事に、東北六県の美女を顔写真で比べたものがありました。

うっかりブックマークしなかったら、なぜか再び見つからないですけど。

 どうしてでしょうね。
 たまに、ありますよね。

不思議なくらい、全体を通して程度の差こそあれ、瓜実と横長な目とくっきりした目鼻立ちが特徴的な顔が並んでました。

そこで感じたのは、東北を中心とした東日本の美人顔は秋田美人が一つの典型になっていることだったです。

そして、また別のサイトの記事に秋田美人の典型顔とミロのビーナスの相似が載ってました。
なるほど、そういえば似ていると思って数回にわたって展開した、議論になってきたわけです。

 ついでに申し上げますと、青森も美人が多いです。
 東北でも、北三県は特にレベルが高いです。

 驚いたのは、盛岡の美人の多さでした。
 喋らせると全て台無しになりますので、上手くバランスが取れています。

 秋田美人が「おらほのうちさ行ぐべが。(私の家に行きましょうか。)」って喋るのは、私は好きでした。
 役所か銀行の窓口に行くと、代表選手に当たりますね。

そうそう、私の見たサイトでも、北三県の美人は東北でも特に水準高いと言ってました。

実際そうですね。

 私の知るところ、福島≦山形<宮城<<青森<岩手<秋田(盛岡だけなら盛岡≦秋田)だと思います。
 宮城県民は、他県出身者を除きます。

昔のヒトの写真を見ると、意外に彫りが深くってホントに純正の日本人なの?って 驚くことがありますね。

 特に男性。
 色んなルーツが、あるんでしょうね。

 私ねえ、何故か、外国の人から「日本人なの?」と聞かれることがあります。

 違うアジア系、若しくはどこかの国の混血に 見えるんだとか。
  
 どこなのでしょ。

 でも日本人の友人に言わせると、”どう見ても純正の日本人” なんですよね。
 私自身のルーツも、気になるのでありました。

じゃ、どこに見えるかを聞いてみるのも面白いですね。
 
 アジアのどこに見えるか、ですか。

 純正の日本人顔とは、違うように思いますよ。
 色白の度合いは、西洋人さながらです。

 どこかエキゾチックで、彫りも適度に深く、お美しうございます。
 
 そもそも、純正の日本人顔って?
 自分の顔をしみじみ眺めてみて、よくわからなくなりました。

諸島部の住民など、昔の写真にはどう見ても、東南アジアか南太平洋で撮影したと思いたくなる顔が写ってますよね。

ブリティッシュ顔やバスク顔に、ヨーロッパ人からは見えた人も居ますし。

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矢指浦ってどこ?

九十九里浜は、古名は玉浦または玉の浦と言います。
日本の白砂青松100選と日本の渚百選に、選定されています。

千葉県房総半島東岸にある刑部岬と太東崎の間の、旭市飯岡から一宮町東浪見までの、太平洋に面している約60キロの海岸です。

源頼朝の命で6町(1町は約109メートル)を1里として、1里ごとに矢を立てたところ99本に達したという伝承から「九十九里浜」と言われるようになったとの説が有名です。
その故事に因んで、矢指浦の別称があります。

この言い伝えを、蓮沼村由来分地録は次のように記しています。
「九十九本矢を指し遊ばれ候に付き、九十九里箭挿の浦、黒土の浜とそれより唱え申し候、当村西郷箭挿明神は四十九本目に相当り故、矢を十本相祭小宮を建て、箭挿(やさし)八幡宮と称し奉り候」

他の説は、次のように伝えるのです。
源頼朝公は、丁度、中央にあったこの祠を里人に聞いたところ、日本武尊を祭った社と云われ、大いに喜び、先祖の源義家にならって祭りを行うため残った矢を束ね、幣帛(供物)として矢を神社に奉納し、祭を執行した。

源頼朝が矢を奉納した神社として語られる箭挿八幡宮とは、九十九里浜の中央とされる山武市蓮沼地区の箭挿神社のことです。

掲げられている社額には、「箭挿社」と記されています。
古式蒼然たる額の背記には、元治元年(1864年)3月、北総佐倉の續豊徳の撰文により宮崎重賢が書き、広田彬が彫刻したとあります。
嘉永2年(1849年)に納められた木彫り約八寸の源頼朝公像に、津田氏から奉納されたものです。

 箭挿八幡宮は、八幡から想像できるように、秦氏ゆかりの神社でしょ。

関東一体は、秦氏の一大拠点だったとともに、源氏が拠点を置いた地でもあります。

また、肥田氏の昔からいた土地でもあります。
肥田氏を歴史をさかのぼってみると、古代からかなりなものでありました。
肥田宿禰なる人物が登場、清和源氏土岐氏の流れや、藤原氏などが祖先候補としてあがるのです。

藤原氏は、秦氏と、政治の藤原、経済の秦、と言って良いほどの関係を持ち、二人三脚を組んでいたといっても言い過ぎではないほどです。
ところが、この藤原氏に関東が発祥と言う情報があります。

伊豆の下田に、下田開国博物館があります。
前身を豆州下田郷土資料館といい、資料館の開館には郷土史研究家の肥田喜左衛門が深くかかわっていました。

肥田喜左衛門は先祖の名にちなんだ筆名、本名を実と言います。
肥田実の著述を集めた一冊には、巻末の方に自己紹介を兼ねた回船問屋であった肥田家の歴史を納めているが、その最後の方に興味深い記述があります。

一族の中でも特に彼と近しい人々を紹介した中に、地元の八幡神社の神職として小林という名前を挙げています。
小林姓は、藤原の出として藤原氏ゆかりの談山神社のサイトに記されています。
その小林姓の人物を肥田実は、彼の親戚としか受け取りようのない名前として記しています。

 この秦氏ゆかりの神社で神職を務める小林姓の人物、気になりますね。
 もし肥田氏の親戚であり、もとが藤原の出としたらどうでしょう。
 秦氏はもとは「はだ氏」なので、「ひだ氏」に転化した可能性は高くなりますね。

八幡の語源に「ユダヤ」=「ィエフダー」説があるように、秦氏にも「ユダヤ」=「ィエフダー」語源説があります。
秦氏がもともと「はた氏」ではなく「はだ氏」ならば、肥田氏だって「ユダヤ」=「ィエフダー」語源説があっても良いでしょうね。
ていうか、「はだ」よりも「ひだ」のほうが転化しやすいとさえ、私には感じられるのです。

 肥田氏が清和源氏土岐氏の流としたら、清和源氏土岐氏は、秦氏と肥田氏に挟まれますね。

のちに源九郎判官義経を名乗る牛若丸は、鞍馬寺の山奥で天狗から、兵法を習い「虎の巻」を授かったという話を御存知な方も多いはずです。
牛若丸は、様々な叡智と技術、それに格闘術を、天狗から伝授されたと伝えられています。
このとき牛若丸に兵法を授けたのは鬼一(きいち)法師で、その兵法を記した巻物の名は、「虎の巻」と呼ばれるのです。

天狗の正体は、山伏とされます。
そして天狗には、古代イスラエル人が正体という説もあります。

山伏は、額の上部に「兜巾(ときん)」と呼ばれる黒い小さな箱を紐で結んでつけ、ほら貝を吹き鳴らすです。

ユダヤ人は、祈るときに「フィラクテリ-」と呼ばれる黒い小さな箱を、額の上部に紐で結びつけ、「ショーファール」と呼ばれる笛を吹きます。

宗教的な意味を持つ「兜巾」や「フィラクテリ-」のような黒い箱を額につけた上に笛を吹くとこまでそっくりな民族は、全世界を見回しても日本人とユダヤ人しかないです。
牛若丸がもらった「虎の巻」は、ユダヤ教会で使用される「トーラーの巻」なのでしょうか。

 もし、「虎の巻」が「トーラーの巻」としたら。

牛若丸は、古代イスラエルの宗教を信仰していた人物であったといってるに等しいのです。

 そして、牛若丸は源氏ですよね。

源氏は、古代イスラエルの宗教を信仰していた一族であったといってるに等しいのです。

 箭挿八幡宮に源頼朝公が矢を奉納したとは、古代イスラエルの宗教を信仰していた一族がイスラエルの神の社に矢を奉納したということでしょうか。

 日本武尊を祭った社が、秦氏ゆかりの神社でしょ。
 そこに先祖の源義家や、源頼朝が矢を奉納したのはなぜでしょう。

それがイスラエルの神の社であるなら、奉納された矢はヤハウエを意味する“ヤー”なのでしょうか。

要は、箭挿(やさし)八幡宮の矢って何なのって、気になっただけですけれど。

 ふと思ったですけど。

 長い白浜だけど百里はない、百に今一歩届かない、百引く一は九十九なんてしゃれでしょうか。

 それとも、百里ほどではないけど長い白浜、九十九歳を白寿と呼ぶのに引っ掛けて九十九里。

どうでしょうね。

 白浜を翼に見立てて、白鳥となって旅立った日本武尊を祀る祠を作ったのでしょうか。

東が日の出で西が日没だけど、陰陽五行では、青が東で白が西、つまり白鳥となった日本武尊は、祖先神である太陽に向かって飛び立ったと見ても良いでしょうかね。

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お伊勢様とイエス?

伊勢神宮と言われるけれど、正式名称は「神宮」です。

 そう言えば、自分でも「伊勢神宮」と名乗っていますけど…。
 「神宮」は、全国の神宮号を名乗る神社の一般名とも受け取れるからですね。

「神宮」は本来、伊勢神宮のことであり、伊勢神宮と他の神宮を並列にすることはできないはずですけどね。

神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は神宮で、ほかの神宮と区別する場合には伊勢の神宮と呼ぶのです。
神階が無い神宮は、数ある全国の神宮の中で、伊勢神宮・日前神宮・國懸神宮の3宮だけです。

 皇祖神を祀るから、特定の地名が付かないのは判るけど…。

 祀られる神の名前さえ、冠さないなんてねえ…。

丹波国、倭国、紀乃国、吉備国、倭国、大和国、伊賀国、淡海国、美濃国、尾張国、伊勢国の順に移動したからです。
さらに、伊勢国内を移動して、現在の五十鈴川の畔に五十鈴宮という名で鎮座したとされていますね。

イエスが活躍した時代のユダヤ人の言葉は、ヘブル語の一方言とされるアラム語でした。

イエスは、アラム語で発音されるとイッサとも言われるのです。
ISSA のAがEに転化しイッセISSEになり、これがISE(伊勢)になったのではないのかと言うのです。

 ヘブル語ではイエスは、“イエシュア”と発音されましたね。

 発音が変化すれば、“伊勢志摩”と聞こえてもおかしくない。

でも、ここで疑問があるのです。

伊勢の名は、神宮に付いていないので神宮とイエスを結び付けて良いかと言う事です。

 境内の灯篭にある、カゴメ紋はダビデの星だと言う人もいるのです。

神道と関わりの深い、陰陽で見ても上向き三角の陽と下向き三角の陰が合わさった印とも言えるのです。

それで注目したいのが、五十鈴川の名前です。

“ISUZU”と“IESHUA”、あるいは“ISUZU”と“ISSA”、微妙に似ていないでしょうか。

 “ISUZU”と“IEZUS”、もっともイエズス会のラテン名は「Societas Iesu」ですけど。
 似てるって言えば、似てますね。

しかも、イエスは川で洗礼を受けているのです。

神宮は流転の末に、わざわざ川辺です。
それも最初は、水害覚悟の中洲だったと言うのです。

 確かに、洗礼を受けに来たとさえ見えますね。

紀元前69年から70年に在位した垂仁天皇の皇女倭姫命が、天照大御神を鎮座する地を求め旅にでるです。
鎮座場所を探し回る、と言うより一ヶ所におとなしく留まってくれない神社であったので、鎮座場所が定められないと言った方が適切ではないでしょうか。

 そのため、ここにアークが祀られていると主張する人も居ますね。

飛鳥昭雄と三神たけるとか、ですね。

ところで、面白いのは伊勢志摩と言えば熊野三山とされる熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社がある事ですよ。
紀伊半島南部には、「熊野街道」とも呼ばれる、「熊野古道」があるのですよね。
  
 熊野の地と、伊勢や大阪・和歌山、高野及び吉野とを結ぶ古い街道の総称とされますね。

熊と神社、何か連想しないでしょうか。

 アイヌのイヨマンテ、でしょうか。

ええ。
イオマンテが本当だそうだけれど、イヨマンテと発音されることも多いと言うのです。
熊送りとして、行われるのが一般的です。
シマフクロウのイオマンテが行われる地域も、あるのですけど。

 アイヌって言えば、日本先住民である縄文人の子孫でしょ。

アイヌの生活用具は、古代イスラエルに似ていると言う指摘もあるのですよ。

 熊野神社は、熊の神社で、アイヌの神域だったとか…。

アイヌ語で、熊は「キムンカムイ」なので、現代日本語の「クマノカミ」と音が似てるです。
しかも、古代日本語は丸唇で発声されたと考えられるのです。

 つまり、古代日本語を今でも使ってるのがアイヌってこと。

そうかもしれないですね。
今でも、神社がいくつもある伊勢志摩は縄文からの神域だった可能性はあるのです。

 古代イスラエルの習俗に似たアイヌの、熊送りですか。

アイヌのイオマンテも含まれる、飼い熊型熊送りはツングース系のトナカイを飼養する牧畜文化との接触によって派生したとみられるです。
でも、ところによっては西方の騎馬遊牧民文化の影響もみられると考えられているです。

飛鳥昭雄と三神たけるなどは、騎馬遊牧民として北朝十支族が来た可能性を指摘しているです。

 神への動物の捧げ物は、古代イスラエルにもあったけど。

その点から言っても、縄文人の習俗は古代イスラエルに近かったのかも知れないです。

 ようは、自分たちにとって重要である生き物を捧げる必要があるのだから、熊でも良いって事かなあ。

諏訪にも、アブラハムとイサクの故事に似た儀式があるけど牛ではなくて鹿ですからねえ。

 古代イスラエルの祭祀に詳しい人たちが、いたかもしれない地域ね。
 そこに、アークがあるかも知れない伊勢神宮が鎮座の地を定めた。

そこが、イエスにちなむかも知れない地名かも知れないしです。

でも、西日本だからアイヌより琉球では、と言う声も出そうですね。

 アイヌと琉球人、共通の祖先なのはすでに定説だから、昔はもっと似ていたかも知れませんね。
 いまでこそ、琉球は中国に近い文化ですけど。

 皇祖を祀る神社である伊勢神宮に、アークがあるかも知れず。
 鎮座の地に、古代イスラエルの祭祀に詳しい人たちがいるかも知れず。
 その地名が、イエスにちなむかも知れず。

 それって、天皇一族、さらには天皇に率いられる天孫一族が、キリスト教徒だったかも知れずって事に…。

意外な展開に、なっちゃったです。

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春、日本中は染井吉野の開花北上を心待ちする季節です。
 
でも、染井吉野の咲くこの時期は季節の変わり目で、天候は春の中でももっとも不安定です。

 曇るは、降られるは、吹かれるは、寒いは、花見をする側にとっては、何でこの時期にってぼやきますね。

でも、催花雨、花曇り、花冷え、これがあるから染井吉野は一週間も咲けるのです。

これより前でも後でも、染井吉野の開花は三日と持たないです。

この時期だからこそ、葉よりも花が先にでる染井吉野は十日ちかい期間咲ける、これはある意味奇跡といえます。
実はどの植物も、開花はもちろん発芽などあらゆる面で奇跡を示しているのですけれど。

 ソメイヨシノが一週間も咲いているには…。
 温かいだけじゃ、ダメなんですね。

普通は、葉がでて花が咲きます。

染井吉野は、冬の蓄えで咲くので、この雨や寒さがありがたいのです。

日本は、春を新年度とする習慣を持っています。
桜、特に染井吉野は、まさにこの時期咲くのです。

桜の淡い花色は、優しい母の肌に包まれた印象をあたえます。
 
 桜を見るとすごく落ち着く反面、なんだか わくわくするのはこういうことなのか…。
 勉強になりました。

だからこそ、桜は、新生のイメージにあい、いつの間にか梅に代わる春の花とされるようになったのかも。

そして、花色一色に染まる染井吉野はその代表格とされたようにも感じられるでしょう。

 桜が花開くずっと以前、枝を取り巻くように、ピンク色のオーラが見えたのは私だけでしょうか?

オーラ、あってもおかしくない、雰囲気はありますよね。

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選挙に思うこと。

どうしても気になるので、辛口言わせていただきます。

選挙の時、どうしてますか。

 ちゃんと聞いて、ちゃんと選ぶ、基本でしょ。

 いい加減に聞いて、いい加減に選ぶ、そんな有権者では困りますよね。

事実をちゃんとわかる目と、自分の意見や価値観がちゃんと説明できる口と、話をきちんと聞ける耳と、冷静さと思いやりとの釣り合いが取れる心と、もてるようになりたいです。

これ、すべての基本でないでしょうか。

「注意書きはよく読んで、用法・容量を守って正しくお使いください。」

 たいていの薬には、ちゃんと書いています。
 “もし、いい加減に読んで正しく使わないで副作用があっても、当方責任取りません。”ってことでしょ。

選挙公約と違うと言っても、しょうがないです。

 聞いてないと泣き喚いてうそつきと叫んでも、当選者は責任取らないのです。

 常日頃の発言や行動を隠して、選挙では票目当てを言う候補者が多いのは、あなたも知っての通り。

 ろくに政治に注意を払ってこなかった、いい加減なあなたが悪いのですって事ね。

選挙のたびに、こんな声を聞きますよね。

「誰入れたって、たいした違いないよ」

政治の愚痴の定番です。

「声が届いてない」

矛盾してないでしょうか。

あなたは、選挙を何だと思ってるのでしょうか。

「落ちそうなのに入れたって、死に票だろうが」
「あんなの落としたいから、票を集中させよう」

気持ちはわかるです。
でも選挙って何のためにするのです。

「政治に民意を反映させるため」

だったら、自分の気持ちや意見に少しでも近い候補を、選べばいいのではないでしょうか。

「どんな政策が、いいかわかれば選ぶさ」

あなたは、ふだんから政治に不満や不平やグチをいってないっていうのですか。
それを並べてみてほしいです。

そして、私ならこうするのにと、皮肉ってほしいです。
それをまとめれば、あなたの政策ができあがるです。
それと比べてみればいいだけです。

みんなが自分の意見や気持ちに正直に投票すれば、どうなります。
投票率が大幅に上がったら、どうなります。

あっという間に政治は変わるのではないのでしょうか。
だって、ひとりひとりの望んでいない政治をやる人は選ばれていないです。

自分の気持ち、大切にしてほしいと願うなら、まずあなたが自分の気持ちを大切にしたらどうです。
自分の気持ちも大切にできないものに、誰かの気持ちを大切になんか、ほんとうにできるのでしょうか。

 難しいところですね。
 ただ、自己犠牲で奉仕している人々は、どうなんだろ、とは思います。

じゃ、私自身は、自分の気持ちにどれだけ正直に生きているか、ちょっと不安になります。
正直になるためには、正直になっても誰にも後ろ指さされない気持ちじゃないといけないからです。

でも、いつもそんな気持ちになれるなら、それこそ神か仏の領域です。
まだまだ、届いてないから、自分の気持ちにうそをついても、なんていいたくないけど。
こんな不謹慎な自分を、許してほしい、みまもってほしい、みちびいてほしい、そんな虫のいい祈りをしている情けない私がここにいます。

 えらい謙虚ですね。

高慢や傲慢になったら、目の前にある事実は願望に蹴散らされるでしょうね。

 自分の気持ちを大切に・・・・してないなあ。
 まず、自らを省みてですね。

自分の気持ちを伝えようとしないで、「私の気持ちわかってない」といわれても、いわれるほうは困るってのはあるでしょうね。

面と向かっていれば、しぐさや表情で伝わる、でもそうでなければ言葉でないと伝わらない、ってことなのですけれど。

 「最後の最後のお願いに!!!!」
 
 本人不在…居てもだけど、宣伝カーがいくら回っても、拡声器でいくらがなっても、アンタの票は増えないでしょう、と…。
 毎度の事ながら、溜息をつきたくなります。

 あんまり国民、県民として真面目な方ではありませんが。
 選挙権は、権利ではなく義務であるということくらいは、理解しております。

 職場でも、昨日は一言も「選挙」の話が出ない。
 
 無関心、放棄はいけませんです。

 相変わらずの投票率の低さにがっかりします。
 騒ぎが何時も空回り。
 
 選挙の後は、いつも空しい気持ちになるのは私だけ?

 夜になっても近所迷惑も顧みずに選挙カーで騒音を撒き散らしている候補者には絶対に入れないもん。

 低い投票率・・。
 「たった40パーセントたらずの人たちで政治家が選ばれています!あなたはそんな政治でOKなのですか?」
 と訊いて下さい。

 わたくしは、投票した人だけが文句言えると思ってます。

欧米に比べて、自由度の少ない選挙も、街頭宣伝がやかましくなってしまう理由とは聞きます。

たとえば、選挙の最中に街中で掲示板以外に張ってある知事選や市区町村長選のポスター見たことあるでしょうか。

「知事には現職」なんて書いてあるのですよ。

外国では、玄関先ドアを開けたまま三分とか、ルールを作って戸別訪問を認めるとか、選挙期間が今の日本より長いとかで、選挙といってもかなり静からしいです。

今の日本はべからずだらけで、外国の基準からすると、どうやって選挙するのってあきれられるもんだそうです。

街頭宣伝をやってるのはたいてい、しがらみのない人たちで、しがらみのある人はもっぱら企業団体や町会や商店街など組織回りをして票集めをしているようです。

 自分の意思表示として、真っ先に前日投票、つまり選挙に行けない人のため市役所で投票することをしてきました。

ありのままを受け止め、どうするかを考えてこそ、道が見えてくる、そう思えば謙虚にならざるを得ないですよね。

 なんか人間も、勝手です。
 
 選挙権が与えられなかった頃は、「選挙権をよこせー!」って運動してまで叫んでたのに。

 戦後手に入れてみたら、選挙に行かないどころか見向きもしません。
 
 「選挙?どうせなんにもかわらんよ。体力の無駄遣い。」
 
 これで国や地元がだめになった場合、国民や住民も「知りませんでした」、「政治家が悪い」じゃすまされないでしょう。

 国民も、きちっと自分の持ってる一票を大事にしてもらいたいです。

 ちなみに私の家族は、地元に一番お金を持ってきてくれる人に入れてるみたいで、非常になさけないです。

 地方はまだまだ、経済面のおくれが大きいからなあ。
 おまけに、政治も遅れてるから…。

都市部も、地域に一歩入れば中世を案外引きずっていますけど。

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