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2009年5月

下田八幡神社例大祭ってこんなまつり。

奇妙な祭りって、結構各地にあるようです。

今回紹介するのは、下田八幡神社例大祭です。

 下田八幡神社例大祭は、太鼓祭とも呼ばれますよね。

八月十四、十五日の二日にわたって行われる、太鼓が、文字通り中心の祭りです。

この祭りは、江戸時代第二代下田奉公今村伝四郎正長公が、様式を創めて制定したと言います。

今村公が就任した当時、下田の民は長い戦乱と度重なる災害で疲弊していました。

 織田信長、豊臣秀吉と天下統一を進めて来たと言っても、戦乱自体は収まっていたわけじゃなかったのね。

そこで、下田の民が元気になり、熱く燃え一丸となれるものをと始めたそうです。

大阪夏の陣に大勝した徳川方の軍勢が、大阪城に入城した際の陣太鼓をまねたとされるのです。

 堂々と入城する徳川の威風を宣揚する陣太鼓、確かに元気は出そうですね。

八月十四、十五日の二日にわたって、道具、神輿などの後ろから各町から太鼓台が繰り出し、町内を隅みなく練り歩くのです。

 四百年近く過ぎた現在でも、下田の人達はこの祭りで熱くなるのでしょうね。

 ところで、神輿や太鼓台は想像付くけど、道具って何。

道具とは、二メートル程の棒に榊、矛、四神のいずれかをつけたもので、11基の道具が出るのです。

もちろん、それぞれの道具には木枠の台が付いています。
木枠は、横棒を取り付けられています。

具体的には、榊が二基、矛は五基、残りの四基が四神です。

 陰陽五行、そのものですね。

そして、11基の道具を榊、矛、四神の順で連結してアーチ橋の形をつくるのです。
このアーチ橋を、「太鼓橋」と言います。

太鼓橋を何時にどこで上げるかは、巡路図にも表示されているそうです。
巡路図や、車の交通規制の案内などは、下田市観光協会のほうで用意されているようです。
 
 太鼓祭の目玉なのですね。

 上げるって、どうするのですか。

太鼓橋は、それぞれの場所で木組みの台の横棒を紐で縛って組み立てるのですよ。
上げるのは、一分ほどですね。
力の入れ加減が不均一であったりすると、道具はたちまち傾き、横崩れを起こしてしまうからです。

 組み立てて上げる度に、盛り上がるでしょうね。

ええ、一列に組んでから一気にアーチ橋の形に上げると言うから大変でしょうね。

 地面で、組み立てるのではないの。

持ち上げた状態で、リズムを取りながら作業するそうです。

 両端からリズムを合わせて、立て直して行くって言うのは簡単ですけど。

 大変でしょ。

でしょうねえ。
やってる方は。

太鼓台は、全町で二十台あり、昼間は人形飾りを乗せ、夜は色鮮やかな提灯を飾り、笛、太鼓の技を披露するです。
年によっては、全部出るわけじゃないそうですが。

 結構派手と言うか、華やかと言うか。

ほぼ実物大の模型は、下田開国博物館で年中展示されています。
気になる方は、そこで大きさを実感してくださいね。

 へ~!?

それぐらいってですか。

榊が二基、矛は五基、残りの四基が四神。

四神(しじん)は、四獣(しじゅう)、四象(ししよう)、四霊(しれい)とも言いますよ。

 中国・朝鮮・日本で伝統的に、天の四方の、方角を司る霊獣ですよね。

東の青竜・南の朱雀・西の白虎・北の玄武。
五行説にも、中央に黄竜を加え数を合わせた上で取り入れられています。

 となると、おそらく二基の榊が陰陽、五基の矛が五行ですね。

 高天原の神々の臨在とも、取れるけど。

雷雲と見れば、聖書のヤハウエの臨在とも解釈されちゃいそうですね。

 秦氏の、勢力下にあった土地だし。

その秦氏にユダヤ人キリスト教徒説があることと合わせると、こういう解釈が可能な祭があることは面白いですね。

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これで、通じますか。

女性には、軽い便秘に悩む人多いのでしょ。

 いますねえ。
 
 ベンツより便通の方にあこがれるのよ、なんて言う人。

中には、病気でなってる場合もあるそうだから、そんな時は治療してくださいね。

 そうなんだ…。

目を瞑って、ちゃんと立てますか。
バランスが取れていれば、立てるはずです。

 目をつぶって立つと、必ずぐらつきます。
 バランスとれていないんですね・・・。
 どうすれば、とれるようになるのかなあ・・・。
 背筋強化かなあ。

軽い便秘と、多分、軽い眩暈や耳奥の違和感もあるのではありませんか。

 何でわかるの?
 そのとおりです。

 それって、便秘と関係ありなの。

大有りです。

背骨の歪みが、便秘の原因である事は多いです。

バッグ片方で持つ癖とか、足を組む向きが偏ってるとか、横座りで足を出す向きが決まってるとか、あるのでしょ。

 あるある。

 そういわれば、いつも片方の肩にバッグさげてるよ。

 片足組んで、座っているからなあ。
 そうとう、歪んでいるんだろうな。

バレエで、こんな注意される事があるそうです。

上に引き上げて、しっかり骨盤が立った姿勢じゃないからよ!

これは、背筋のラインが知らず知らずのうちに歪んでいるからですね。

 背筋か!
 なるほどそれは盲点でした!

 そう言えば、ファッションモデルのキャットウォークの基本は、頭を上から吊るされた感じと言いますね。

 つまり、歩くヤジロベイ状態って事ですね。

心当たりありますか。

 あたしも、体歪んでるな。
 足組むのもバッグかけるのも、全部同じ方向だもん…。
 もう3日も出てないよ。

おそらく、噛み合わせも気が付かないうちに少々悪くなっているかも。

 私は、顎関節症をやったことがあるのですが。
 口が開かないと、体全体の調子が悪かったです。

確かめるのは簡単です。

割り箸を三本用意してみてください。

二本は奥歯の奥までグッと押し、残り一本をくわえた箸に乗せてみてみてください。

うまく乗りますか。

 割り箸三本、早速試してみましたが…。
 なんとか、上手く乗りました。
 ただ、まっすくじゃないですね・・・。

噛み合わせを治すと、背筋が治る場合もありますよ。

 噛み合せが悪いと、口も思いっきり開かないですよね。

コメカミから顎にかけて、そっと撫でてみてみてください。
顔全体のこわばりも、あわせてとっていけば、もっと口が開くようにないですよ。
それと、鮭の産卵でオスとメスが並んで大きな口開けてるの見た事ないですか。

 ありますね。

 大きく口開けてる。

たっぷり放精と放卵するのに、効き目があるのです。

 力んでないの。

むしろ顎の辺りから、口を大きく開けようとしてるのです。

溜まっている精子や卵子が、自然と体内から流れ出るようにするためです。

 お尻の悩みが、口と関係あるとは・・・。

背筋の歪みと、噛み合せの悪さと、便秘と、意外な関係があるようです。

奥歯から、猫のように大胆に大きく開いて、欠伸してみたくないですか。
口の周りから顔全体のこわばりをとっていけば、可能になりますよ。

そして、体の余計な力が入るところも、軽く撫でてほぐしてみてください。

猫の毛繕いは、柔軟マッサージでもありますよ。

 マッサージは、とても気持ち良いです。
 
 背骨の歪み、骨盤のずれは整体などでちょっと矯正すると体調が良くなる、と聞きますね。
 撫で撫でぐらいでも、効果あるのかな。

 これは、続ける価値がありますね。
 いつも、緊張して頭痛がするから…。
 これで緊張をほぐすのが、良いですね。

それで、伸びをしてみてみてください。

 最近、夜ストレッチをしているのですが。
 伸びも、取り入れて見ます。

すっと、背筋の伸びる感覚を感じれば、しめたもんです。

 そうね。

お通じの改善、軽い眩暈や耳の違和感も和らぐはずですよ。

背骨の歪みでなっている便秘は、背筋をそっと背骨に沿って撫でると勢い良く出る事があるのです。
歪みが、一瞬治るからなのです。

 毎日やれば、背骨の歪みとれるかしら。

やってみてくださいな。

 さっそく、背筋撫でてみます。

試しに、こめかみの辺りを軽くマッサージして見て。
いつもより楽に、口が大きく開くはずです。

 口の周りのこわばりもとれば、もっと良いかしら。

もちろんです。
 
 顎の下も、すっきりしたりして…。

顎の下まで丹念にマッサージしていれば、すっきりなるでしょね。

 やってみよ。

表情を和らげるためには、顔全体のマッサージをした方が良いかも。

笑顔になれると、その分、体の自由度も高まる気はしますよ。

 身も心も、解放されると。

そっと撫でる事で、意外なほど体を縛っている力が抜けて、体内の治癒力が伸び伸びと活動するのかも。

 他に注意点はないの。

おトイレの前に、しっかり奥歯まで歯ブラシを当てて歯を磨いてみてくださいな。
意外と奥まで、ブラシが届くものですから。

 どうなるの。

お通じが、いつもより楽に出ると思いますよ。

 そんなもんかしら。

口が顎の辺りから楽に開くようになると、耳の奥もすっと通る感覚があると思いますよ。

この感覚を覚えるようになると、お通じも楽になってくるはずです。

試してみてくださいな。

 背筋も、すっと伸びやすくなるのかも。

 おお!色々参考になることばかりでした!
 さっそく実践してみます。

どうぞ、どうぞ。

 ほう!これは早速実践してみなくっちゃ。

 さっそく、背筋撫で撫でしてみます。
 あとこめかみから、顎の下までのマッサージも。

 背骨の歪み、骨盤のずれは整体などでちょっと矯正すると体調が良くなる、と聞きますね。
 撫で撫でぐらいでも効果あるのかな。

 私は、顎関節症をやったことがあるのですが…。
 口が開かないと、体全体の調子が悪かったです。

演技の表情を和らげるためには、顔全体のマッサージをした方が良いかも。

 笑顔になれると、その分、体の自由度も高まる気はするのよ。

 身も心も、解放されると言うか。

そっと撫でる事で、意外なほど体を縛っている力が抜けて、体内の治癒力が伸び伸びと活動するのかも。

 背筋をそっと背骨に沿って撫でる・・・って。
 毎日やらされてる。
 うちの猫が大好きなの、なるほど納得。

あなたがやりたいだけじゃ、ないの。

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「枯れる」と「涸れる」

「枯れる」と言うと、一般的な意味はこうです。

「涸れる」と、語源が同じなので共通した意味が多いです。

生気を失う。

本来の勢いがなくなる。

乾燥する。

死んでひからびる。

朽ちる。

ところが、「枯れる」と「涸れる」で決定的に違うところがあるのです。

 そう言えば、能力に関係する意味に使用される時なんか...。

「枯れる」には、こういう使い方があるのです。

こういう意味とされるのです。

人物や技術が練れて、深みが増す。
円熟して、落ち着いた深い味わいが出てくる。

「涸れる」には、こういう使い方があるのです。
「詩想が涸れる」
「情熱が涸れる」

こういう意味とされるのです。

感じたり考えたりする力が減って、出なくなる。
必要なものが不足がちになる。

つまり、「涸れる」は意味が一貫しているのに、「枯れる」はそうは見えないところがあるのです。

 でも、変ですねえ。

 どっちも、不足して衰えていく意味なはず。

ただ、字が違うのはそれなりに訳があるのです。

「枯れる」とは、木が古くなること。

「涸れる」とは、水分が固まる、つまり使えない状態になること。

古くなるとは、長い時間生きてきたので円熟し、深みが増すことでもあるわけです。

だから、枯山水には「枯れる」の字が使われるわけです。

 え?

 水が無いからじゃないの。

枯山水では、多くの場合砂が水の変わりに使われるのです。

砂は、石が少ないのではなく、石が小さいことです。

枯山水とは、小さい石を一杯使って、水を表現するのです。

水のもっとも美しい瞬間を、砂で表現するのが枯山水なのです。

 ふうん、一瞬を封じ込めたのが枯山水ねえ。

 じゃ、枯れ節は?

枯れ節は荒節に、さらに優良種のカビを付けて日に干すという工程を繰り返したものを言うのです。

荒節は、生の鰹の頭や内臓を取り除き、1時間ほど煮て、煮えた鰹を何度も煙で燻して、水分が抜けて堅くなったものです。

 だったら、乾燥すると言う、本来の意味では。

その手前を荒節じゃなくって、枯れ節と言っても良いはずでしょ。

 あ、そうか。
 
 この場合も、強くて刺激的な香りの荒節に対して、刺激の無いまろやかな香りの枯れ節。

 円熟し、深みが増すという意味の「枯れる」だったのね。

一方で「枯れる」とは、葉を全て落とした状態でもあるのです。

本質だけが、現われた状態という意味もあるのです。

「芸が枯れる」

こう言われたら、無駄を省いて本質が現われた、もっとも見事な瞬間の芸をいつも演技できる境地になった訳ですね。

「枯れた人柄」

こう言われたら、長い年月を経験してきたような、あるいは、長い年月生きてきただけあって、考えに深みや重みが感じられる境地になったと思うほうが良いかも。

もっとも、「枯れる」を一般的な意味で勘違いして使っている人の可能性も、無いとは言えないです。

 どういうつもりで言ってるかよく聴いて確かめてから、相槌を打ったほうが良いかもね。

 でも、動きの一瞬を封じ込めたように思える造形と言えば薬師寺の東塔がありますね。
 「凍れる音楽」と評された、あの美しい形ですよ。

そう。

枯山水は水の流れの一瞬を封じ込め、鰹節は香りを封じ込め、長い時間伝えるものと言えるかも。

 香りは、いつかは飛んで消えてしまいますけど。

ええ。
香りは、どんなに頑張っても形ほどはもたないですけど。

でも、乾燥させることで生のときよりは、格段に長持ちします。
 
 枯山水も、川の流れの音を封じ込めたとも見えますかね。

枯山水も、「凍れる音楽」と言えると。

確かに、水の神である弁才天は音楽の神でもあるのですね。

 こう見てくると、常若みたいね。

常若は、いつも若々しいさま、とか、いつまでも若いさま、ですからねえ。

枯れるは、円熟して深みが増す、こと。

でも、いつも瑞々しい、つまり新鮮で生気があると言う点は共通していそうですね。

 「枯れる」と「常若」、一見結びつきそうも無い言葉が、瑞々しさで繋がってしまうのかあ。

奇妙に思えるけど、そうなってしまったですよね。

 素敵な話ですねぇ。
 涸れないで枯れた人間になりたい、理想です。

 そう言えば、老という文字、日本語では年をとるだけの意味ですよね。
 
そうですね。

 中国語では、年をとっていても、あるいは実際にとっていなくても、経験豊富な、円熟した、という尊敬をこめた意味がこもっています。

 老酒もしかり。
 古いだけではありません。

 年上の尊敬すべき親しい人には、姓の後ろに老をつけます。
 親しみを込めて、呼ぶの。
 例えば、李老とか。

 今回はうっとりしてしまいました。
 
今回は、ですか...。

 いつまでも生き生きも、すてきですがね。
 ニンニク卵黄飲んで無駄に元気より、円熟とか枯れた感じのほうが、老賢者な感じがしてすきですわ。

無駄にって、本人はそれで満足してるのでしょうけど...。

 自由と夢のあるところは、アメリカのよいところで好きですが・・・ 。

 あのいつまでも若いというか、加齢をエネミーと言ってしまえる 感じはどうもなじまないのね。
 私は、よい感じで枯れて いきたいと願うのでした。

なるほど、そういう意味ですか。

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ハワイと日本と御陰様?

「ホ・オポノポノ」と言う言葉、聞いたことがありますか。

「ありがとう」「ごめんなさい」「ゆるしてください」「愛しています」

こう言う意味の、ハワイの言葉だそうです。

「ホ・オポノポノ」と言うのは、ハワイに400年前から伝わっている問題解決の方法だそうです。

ハワイ語で「ホ・オ」は「目標」を 、「ポノポノ」は「完璧」を、意味するそうです。

 「ホ・オ」と言うと、日本語の「方」と音や意味が似ていますね。

ほお、そう言えばそうですねえ。

すなわち、「ホ・オポノポノ」とは、完璧を目標として「修正すること」「誤りを正すこと」と言う意味になるそうです。

 似た言葉は、日本にもありますよね。

「御陰様」ですね。

成功してる人の多くは、「御陰様」の心を実践してきていると言う話は聞いたことあります。

そこを抜きに一時的にうまく行っただけの人との差が、成功者として長続きするかどうかを、左右したようですね。

 そうそう、「御陰様」ですよね。
 その日本語は、なんだかピッタリきますよね。

 なんて言うか。
 相手に使う言葉じゃないかも、知れないですね。

ええ、人に向かって言っているようで、実はそうではない風に見えますね。

「何事のおわしますかは 知らねども かたじけなさに涙こぼるる」

これは、西行法師が伊勢神宮参詣のときに詠んだ詩だそうです。

ハワイ語の「ホ・オポノポノ」や、日本語の「御陰様」の精神は、この詩に凝縮されているようですね。

 え。

 じゃあ、ハワイ語の「ホ・オポノポノ」や、日本語の「御陰様」は、神様に向かって言っている言葉なの。

そう見る方が、自然かもです。

 「御陰様」は言われた方が、貴方に私が何かをしたわけじゃなし、と首を傾げるような間柄でも使うの。  

 神に対する感謝だからと見れば、納得できるね。

 お蔭様って・・・人に言うことありますが
 改めて、お蔭様自体が良い言葉だと気がつきましたわ!
 「わたしはみんなの御蔭で生きているっありがとうっ!」って感じです。

 でも、感謝し、許しを請うだけじゃなくって、愛の告白…。

 なんだか、キリスト教に似ていますね。

大秦景教流行中国碑に、「阿羅訶」つまり「アロハ」とあります。

「アロハ」は、シリア語で“神”だそうです。

「アロハ」は、ハワイ語では“愛”と言う意味になると言います。

Aloha au ia `oe  アロハ アウ イアー オエ  愛してる、あなたを。

Aloha は、 alo と ha 二つの言葉から構成されているのです。
alo には「前面」、「顔」と言う意味があり、 ha は「呼吸する」、「生命の息吹」と言うような意味になるそうです。
この二つをあわせたAloha は、元来「相手の顔の横で呼吸する」と言う動作を表すけれど、愛を意味するのも面白いです。

アメリカから日本へと、縄文文化が繋がるばかりか、遺伝子型でも繋がると言います。

 ハワイは、途中にある島ですね。

 日本とアメリカが、アラスカ経由でつながっている話は聞いていましたが…。
 ハワイ繋がりも、あるんですね・・・。

共通する精神文化があっても、不思議ではないですよね。

 そう言えば、アメリカにもスメル語の書かれた物とか見つかってますね。

アブラハムが出立したのも、スメルの都であったウルだったです。

 ヨーロッパではスペインのフラメンコ、ハワイのフラメンコ、四国の阿波踊り、沖縄のカチャーシー。

細かい違いを言えばきりが無いけれど、振り付けの特徴は驚くほど似ていますよね。

 伴奏の音楽の特徴も、でしょ。

しかも、アイヌの生活用品には、古代イスラエルに似ていると指摘する人がいます。
アイヌは縄文人の子孫であり、日本の民俗は旧約聖書の時代に似ていると言います。

 ハワイ語の「ホ・オポノポノ」や、日本語の「御陰様」が、キリスト教を連想する意味を持ってるのは偶然じゃないわけ。

そもそも、イエスはユダヤ教を原点に戻そうとしたのですからねえ。

 「御蔭様」は誰に向かって言っているのかなぁと思っていたんですが、神様なんですね。
 ハワイ語の「ホ・オポノポノ」も「御蔭様」と同じく、良い言葉ですね。

日本とアメリカがアラスカ経由でつながって、と言われます。

けど共通する寄生虫は、アラスカ経由では死んでしまうと言われるのです。

一方、南太平洋の島々はアメリカと日本を結ぶ縄文文化の通り道として注目され始めているのです。

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楊貴妃の出身である蜀って何者?

世界三大美女の一人が、楊貴妃です。

後の二人は、世界ではクレオパトラとヘレナとされるのです。

 日本では、ヘレナの位置に小野小町を入れてますけどね。

クレオパトラとヘレナは、ギリシャ美人と言って良いでしょうね。

 クレオパトラも、ギリシャ系でしたね。

 秋田美人の典型がミロのビーナスであれば、小野小町とヘレナはどちらもギリシャ美人になりますかね。

そうなると気になるのが、楊貴妃です。

 楊貴妃は、蜀の出身ですね。

蜀の領土は巴蜀、現在の四川省・湖北省一帯で、都を成都に定めたのです。

蜀は、魏、呉と共に中国三国時代を形成した一国です。
蜀漢とも呼ばれたけれど、実際には、漢が正式な国号です。
漢の国名は、魏の文帝曹丕が、後漢を滅ぼして即位した時に、漢の正統を継ぐとして名乗ったものです。

蜀或いは蜀漢と言う呼称は、後世の人々が、統一王朝であった漢とのという呼称は区別のため便宜上つけたものです。

 三国時代とは、漢の正当な継承者を巡る争いだったのでしょうね。

話を戻しましょ。
それも面白いですけど。

 蜀の字は、目と屈んだ姿と虫ですよね。

 虫を蛇と見れば、とぐろを巻いて頭をもたげた姿にも見えますね。

「虫」は、「蟲」が旧字です。

 虫は、人や獣や鳥以外の、小動物全般を指しましたよね。

ええ、特に昆虫だそうですが。

小動物全般と言う事は爬虫類も含まれているので、「虫」を「蛇」とみなしても良いわけです。

 小動物って、ウサギやフェレット、ハムスター、猫や犬、鳥も入っちゃうのでしたねえ。

ほかには、魚とか…。

 古代人、小さければなんでもかんでも虫って…。
 違いを無視し過ぎ…。

脱線ついでですが…。

エジプト神話には、冥界に関係する神が数多く存在します。

その一人が、蛇神ネヘブカウ(Nehebkau)です。

ネヘブカウは、Nehebkau以外にもNehebu-KauとかNeheb Kaとも綴られてきました。
ネヘブカウは本来、死後のBa(バー)、Ka(カー)の結合を司る存在として説明されてきました。

エジプト神話において、人間は肉体、Ba、Kaの3つの要素から成り立っているとされていたのです。
バーは魂(こん)つまり精神をつかさどる陽の気にあたり、カーは魄(はく)つまり肉体をつかさどる陰の霊気に当たるです。

つまり肉体とは、知性や感性の働きに関係するバーと、体に備わっている一種の活力ともいえるカーの、入れ物とされていたのです。
言い換えると、カーの働きによって、バーは肉体に留まっているとされていたのです。

 ネヘブカウは、命や食物を与える神でしょ。
 その内に強力な毒と癒しの力を合わせ持ち、死者を裁く神々の一人よね。

蛇神ネヘブカウは、「聖なる神権の鍵の言葉」を象徴するホルスの目を差し出すとされるのです。

 蜀の字は、ルーツがこれだったら面白いですね。

「ホルスの目を差し出す蛇神ネヘブカウ」は、まさに蜀の字の格好そのものですものね。

 目と屈んだ姿と虫を模った文字が「蜀」、虫を蛇と見れば、そっくりですよね。

太陽の扶桑樹とされる造形物が、彼らの土地から出てると言います。

 太陽の扶桑樹を生命の樹とみたら、ぴったりねえ。

漢和辞典で調べてみたら、「蜀」は「目が大きく体の曲がった毛虫」だそうです。

もしこの毛虫=蛇だとしたら、まさにネヘブカウにぴったりですね。

 まさか、蜀はエジプトから来たとか。

来た道が、未知ですから、似てるっ言えるだけ…。
悪い?

 なんで、太陽の芙蓉樹を生命の樹とみたら、ぴったりなのかなあ。

生命の樹は三本柱、それぞれの柱は神に対応するのです。

つまり、三神構造と言う事です。

一方エジプトは、三神一組に祭られる神が多いのです。

長江文明出土の太陽の樹である芙蓉樹には、十の枝と十の鳥がつくられているです。

そして、生命の樹も十の節が共通なのです。

つまり、芙蓉樹と生命の樹は基本的に同じものと言えるです。

 まあ、形はともかく芙蓉樹も生命の樹も樹ですねえ。
  
蜀に、日本と関連が指摘される長江文明と同様な芙蓉樹があるならばこんな想像もありかも。

日本の美人は、ギリシャ美人顔が多かったです。

 もし、蜀も日本に繋がるとしたら?

楊貴妃もギリシャ風美人だった、何て事ないでしょうか。

ふくよかな顔、豊かな体つきに表されるのを見るとどうもギリシャ風美人ではなかったかと言う気がするのですけど。

 シルクロードを行き交うイメージが、わいてきたわ。
 良い感じで 混血するとすごい美人になるような気がしてきたり、ヘレニズム文化なんてこと思いだしたなあ。

謎が多い分、想像が自由にやれるから面白いです。

 「蜀」は、考えてみれば奇妙な字を国名に当てているよね。

古代エジプトに似た蛇信仰の民であったと見れば、なるほどと思えるです。

「聖なる神権の鍵の言葉」を象徴するホルスの目を差し出す蛇神ネヘブカウ、だけではないです。

コブラは、下エジプトを守護する土地神である女神ウアジェトを表し、低く赤い王冠「赤冠」(デシェレト)に掲げられているです。

しかし、もっと奇妙な連想も可能です。

火と合わせると「燭」、つまり火を灯した台である「燭台」となりますね。

 「蜀」は、火を灯す前の「燭台」と思っても差し支えないとなるよね。

「燭台」を象徴とする有名な民族と言えば、古代イスラエルでありユダヤではないかです。

古代イスラエルもまた、エジプトに関係した民とすれば、やはりエジプトに繋がってしまう謎の多い民族です。

蛇信仰で見ると、古代エジプト、長江、日本と繋がりますよ。

そして三星堆など長江の遺跡が、蜀に繋がると指摘される以上、やはり「蜀」は蛇と見たいです。

 以前観た、三星堆遺跡展が蘇りました。
 芙蓉樹や、目の飛び出た不思議な仮面・・・。

 今「蜀」という字の、意味や成り立ちを知りました。
 とても、興味深く思えました。

世界史を彩った美女が、日本と繋がって見えてくるのは、不思議な気分ですねえ。

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家紋とルイ・ヴィトンとキリスト教?

モノグラムラインがプリントされたモノグラム・キャンバスは、ルイ・ヴィトンの象徴とさえ言えるでしょうね。
モノグラムラインは、1896年に発表されました。

 2代目のジョルジュ・ヴィトンが、模倣品を防ぐために考案と言われている事はあまりにも有名よね。
 「L」と「V」を重ね合わせた、幾何学文様をキャンバスに使用しているのが特徴ね。
 この二文字は、創業者ルイ・ヴィトンのイニシャルでしょ。

このモノグラムの柄は、日本の伝統的文化である家紋からヒントを得て発案されたとの説があるのです。
知ってましたか。

 花や星を、あしらった文様ね。
 もし本当であれば、日本人として嬉しいですね。

日本がパリ万博に始めて参加したのが、1867年です。
次に参加した1878年には、ジャポニズムが起きていました。

 それで、よく似ている日本の家紋を散らしたモノグラム・キャンバスが生まれたと見られてたのね。

ところが、世界不思議発見で、改めて驚きました。
中世キリスト教美術に、モノグラムラインにそっくりな文様があると言うのです。

 え、どこにあったの。

キリスト教の聖人、特に聖母マリアの衣装にあしらわれた柄ですね。

ちなみにモノグラム (monogram) とは、2つの文字や書記素を組み合わせた記号です。
まれに3つ以上も、あるです。

 単に並べただけのものとは、区別されるのでしょ。
 個人や団体の頭文字で作られ、ロゴタイプとして使われることが多いよね。

キリストのモノグラムである、「ラバルム(Labarum)」が有名ですよね。
ギリシア語「Χριστος」での、最初の文字「ΧΡ」の重ね合わせです。

 エックスとピーを、まるで十字架のイエスのように組み合わせた形でしょ。

実際には、「Χχ(カイ)」と「Ρρ(ロー)」ですけどね。

 じゃ、キリスト教美術にもヒントを得ていた。

整然と文様が並んでいるあたり、そっくりですよ。

 で、それが言いたかったの。
 実はモノグラムラインのモデルは、キリスト教美術だったと。

いいえ。

日本の家紋と中世キリスト教美術に、奇妙な類似があるのは何でって事です。

日本の家紋には、メソポタミア起源説があるのですよ。

 古代オリエントから、家紋が来た…。

 私は常々、家紋は何か日本独自のものじゃない印象を持ってました。
 漠然と根拠もなくメソポタミアとかギリシャとかエジプトとか・・・ 。
 
 なんか、そんなものを感じていたのだけど。
 だから、ちょっぴり嬉しいですね。

それも、家紋にそっくりな文様を散らした装飾があるのですね。

 それじゃまるで、ルイ・ヴィトンのモノグラムラインでしょ。

一方では、西洋にキリスト教と一緒に伝わったのでしょうかね。

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洗礼の先例?

イエスが洗礼を受けた時、イエスの頭上に聖霊が舞い降りたのです。

 キリスト教の本格的な洗礼は、いまでも水に全身浸かってやっていますよね。

 洗礼の瞬間を描いた絵で、白い鳥に見立てられたのが、聖霊ですよね。

 神による洗礼は、聖霊によると言いますよね。

ええ、バプテスマのヨハネは、私の後から来る人は「聖霊と火による洗礼」を授けると言ったのです。

ではなぜ、聖霊でなく、水で洗礼、あるいは清めを施しても良いと思うでしょ。

 穢れを、洗い流せるからでしょうかねえ。

 神社にお参りするのに、本来は水で全身をあらう禊もありますし…。
 やっぱり、共通項が多いんですねえ・・・。
 不思議だなあ。

確かに、水で清めるのは同じですね。

 水は、実にいろいろ溶かし込めるし、洗うのには必ず使いますよね。

 油汚れ以外は、ほとんど落とせます。

 昔は、今のような頑固な油汚れを洗うこと、なんてなかったし。

もちろん、それもあるでしょうねえ。

 それもって、ほかにあるのでしょうか。

再び、誕生を体験する事が大切だとしたら、どうでしょ。

 洗礼って、生まれ直しなのですか。

 まるで、寺の胎内くぐり。

ええ、胎内くぐりも一種の清めと言えるでしょうねえ。

 じゃあ、洗礼って胎内くぐりと同じ事なのですか。

胎内くぐりは、母体をもう一度くぐる事に見立てられているのでしょうねえ。

 洗礼や清めの水は、羊水に当たるの。

そうなるでしょうねえ。

洗礼や清めの水は、羊水と言って良いでしょうねえ。

洗礼や清めも胎内くぐりも、死と再生の儀式なのでしょうねえ。

 死と再生の儀式、どう言う事なの。

原罪の子として生きてくるのは、肯定に当たるでしょうねえ。
いったん死ぬのは、否定に当たるでしょうねえ。

 洗礼や清めの水を浴びる事や、胎内くぐりに入る事が、いったん死ぬ事でしょうか。
 
 洗礼や清めの水を浴びる事は、羊水に戻る、つまり隠れって事ね。

 隠れは、死の別名…。

無原罪の子として、穢れなき処女の体内より、誕生するのは肯定に当たるでしょうねえ。

 清めの水や、胎内くぐりが、穢れなき処女に見立てられているわけ。

そうなのかも。

弁証法的な生の昇華が、洗礼によって行われると言って良いのかも。

陰極まりて陽となる、まさにその転換点が、死と再生の清め。
神の子の本性が、顕となる。
陽極まりて陰となる、まさにその転換点が、再生と死の清め。
罪の子の本性が、滅となる。

 羊水とは、神の子羊が宿る水であると。

そう言うつもりかも、知れないです。

 そう言えば、神社の茅の輪くぐりも、寺の胎内くぐりに似てますね。

 あれも、清めとして行われるのは同じね。

 つまり、見た目だけじゃなく、意味も同じ。

同じ目的の、儀式でしょうねえ。

胎内くぐりも、茅の輪くぐりも、水を使わないですけど。

けれども、寺や神社の境内と言う聖なる場所です。

 胎内くぐりと同じ、形式化された清めなのね。

ええ、茅の輪くぐりは、胎内くぐりと同じと言って良いでしょうねえ。

 聖なる場所は、生なる場所にして、性なる場所。

 これ、漢字文化圏じゃないと通じない洒落でしょ。

でも、似た音を使うと言う事は、感じも似てると昔の人も思ったのでしょうねえ。

 漢字の感じ、この洒落は漢字文化でないとわかりませんって。

穢れと清浄、清浄と穢れ、相向かい合い、相分かたれる。
相対する事柄が結びつく結節点が、清めなのでしょうねえ。

 九州のトンカラリン遺跡を吉村作治教授は、生まれ直しの儀式の場として作られたと見ていますね。

 ギゼーの大ピラミッドと、共通する構造が認められると指摘していますよ。

太陽神を頂点に、動物神を含む八百万の神々の世界を持っている日本や古代エジプトと、ユダヤ教やキリスト教が似た発想があるのは面白いですよね。

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マルクスとエンゲルスは、サタニストか。 マルクスと聖書? その2

マルクスとエンゲルスには、サタニストのレッテル貼りがしばしばされてしまうのですよね。

 オカルト好きのやることは、さっぱりわかりません。

 なんで、神だのサタンだのが、登場するわけよ。

突っ込みにくいでしょうね。

 そう、確かに突っ込みにくいです・・・。

サタニストのレッテル貼りがされてしまう理由は、簡単ですよ。

マルクスとエンゲルスには、神とキリスト教に対する罵りの言葉が多いからですよ。

 それが原因ですか。

 神とキリスト教に対して、罵ればサタンであると。

神とキリスト教に対立すれば、反キリストでありサタンであると言うのが、彼らの言い分ですよ。

 なるほど…。

しかも、ソ連や東欧の失敗がありますからねえ。

 それ、大きいですね。

けれど、最近になってマルクスの再発見や再評価の動きが見られるのです。

 マルクスの呪いが解けた訳ではないから、ですか。

一方の極に富、他方の極に貧困、この流れは今、世界を飲み込んで激流になろうとしているのです。

 それに対抗して、左翼政権も出てきてるね。
 マルクスやエンゲルスを、必ずしも掲げるわけではないけど。

さらに資本主義は、近代経済学の手法だけでは制御不能とも見える方向に進んでいるように見えるのです。
社会主義的な手法を取り入れることなしには、手の施しようがなくなってきているのです。

 もし、マルクスとエンゲルスの思想がサタンの誑かしに過ぎないなら、どうしてこうなるの。

サタニストのレッテル貼りをしてる人には、説明できないでしょうね。

 サタンの誑かしに過ぎないなら、どうして近代経済学者はマルクスの呪いが解けないの。

 マルクスとエンゲルスに、サタニストのレッテル貼りをする事がそもそも馬鹿げている。

当然でしょうね。

悪魔(Akuma)とサタンは違うのです。

道を踏み外して地獄に落ちる者が、サタン。
道を踏み外した者を地獄に落とすのが、悪魔(Akuma)。

 マルクスとエンゲルスの思想には、本性を暴き、地獄に落とす悪魔(Akuma)の顔がある。

悪魔(Akuma)は裁きの神、神仏は救いの神、どちらも神の仲間なのですよ。
サタニズム呼ばわりは、マルクスとエンゲルスを読み違えています。

 なるほど。
 マルクスとエンゲルスは、資本主義が裁かれて社会主義が来ると言ってるねえ。

 時代に逆らう資本主義は、世界を動かす法則によって退けられる。

逆らってはいけない世界を動かす法則は、マルクスとエンゲルスにとっては、神様みたいな存在ですよね。

 だから、マルクスとエンゲルスの思想は、聖書の焼き直しなんて言われるのね。

 ソ連と東欧は、神である世界を動かす法則を読み違えて挫折した…。

日本共産党なんか、ソ連や東欧は逸脱したとまでボロクソに言っていたのですよ。
崩壊に際して、巨悪が去ったとまで喜んでいたのです。

 もちろん失敗からでも、学べる事はあるでしょ。

当然です。

 中国は、どうなりますかねえ。

したたかにやってるように見えるけど、いつか軌道修正の時は来るでしょうねえ。

 民主主義とか、課題が多いからね。

 ところで、最近の蟹工船ブームを喜んでいる日本共産党…。
 どうなのかなあ

政権には、連立でしか就かないと言ってます。

 単独政権、始めから投げてるし…。

本命の相手は、経済民主主義の党であると。

 まるで、吉祥天と黒暗天ね。

黒暗天は、裁きの悪魔(Akuma)ですからね。

仮に民主党は政権交代しても、迷走して墓穴掘る可能性は高いですね。
なんせ、一度破綻している自由民主党と日本社会党と新党さきがけの連立の枠組みを凍結したような党です。

 言ってみれば、政権交代を謳い文句にした選挙互助会政党。
 今後出る政党も、しばらくは五十歩百歩かもね。

長い目で見れば、共産党がクローズアップされる展開がやってきたロシア革命と似た展開はありえますね。

 でも、経済民主主義の党が登場する点が違う。

 なるほど、黒暗天を受け入れたら仕事を引き受ける吉祥天みたいね。

 陽に当たる救いの吉祥天と、陰に当たる裁きの黒暗天…。

 ここでも陰陽ですか!

だって、陰陽五行思想も、唯物弁証法のルーツなのですよ。

 悪魔(Akuma)とサタンの違いとか、ねえ。
 なかなか、わからないですからね。
 なるほど、そういうことか!と合点がいきました。

合点いったのは、悪魔(Akuma)とサタンについて、でしょうか。

 そうですが。

そこだけですか…。

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あえて、問います。

雇用を守れって、どんな事でしょう。

解雇しないでくれと、求める事でしょうか。

 永遠に続く仕事、ばかりではないでしょ。

確かに、例えば日本で言えば、江戸時代にあって今はない仕事はあるでしょうね。

戦後でも、復興を支えてくれた炭鉱は石油の台頭で全て廃止されています。

 それに、永続できる経営はいくらもないですよね。

つまり、解雇したくなくても、解雇せざるを得ない経営者も多いのです。

 自分の先も確保がやっとな人に、解雇せずに頑張ってもらえるだけでも感謝ですねえ。

ただ、仕事をどう切り開くかでしょう。

 経営にとっても、受注確保が出来てこそ、雇用が出来るし続けられますよね。

仕事を減らさないでくれ、発注し続けてくれ。

 でも、期待に応え続けてこそ仕事がある。

 だけど、職場の期待に応え続けたのに、何で私がって言う解雇だってある。

結局、何をすれば今求められている事に応えられるのか、探せるかどうか、でしょう。

 そして、道を本気で求める者に本気で応えようとする社会を、自分たちが作れているかでしょうね。

求めよ、されば開かれん。
求めよ、されば与えられん。

 それが、本当に出来たら、神でしょ!

人でしかない存在、人にしかなれない存在、けれど、だからこそ、人は人に対して神になれると言う事なのでしょう。

 神の国は、あなた方のうちにある…。

なぜか、この言葉が今回の締めってでしょう。

 神に求められるのは、信仰される事じゃない、信頼される事だって言う人も居たりして。

そんなに圧力掛けないで欲しいです!

 でもあなた、神そのものじゃないでしょ。

あ、そうでした…。

 政治の責任を問うのは、簡単ですよね。

でも、そんな政治を選んでしまったのは、結局国民です。

言えば言うだけ、それが自分に跳ね返るだけと思ったら、こんな話になっちゃったです。

 派遣とかは・・・元々切るための職種なんでは?

早い話、人間版看板方式が派遣と言えますよね。

 必要な時だけ、と言えば聞こえは良いけど…。
 簡単に解雇できる使い捨て要員が、派遣ですもん。

でも、安定して雇用があれば、派遣でも暮らしていけるのではないでしょうか。
 
 目先の欲望で経済を歪め不安定にしている私たちの消費のあり方も、改めるべき時も来てるかもねえ。

 これまでに二度の経済危機が、アメリカを発端にしてますよね。

今回も含めて、ですね。

 ええ。
 その点では、経済のあり方は考える価値があるよね。

要は、安易な解雇をするな、安易な解雇をさせるな、と求めるのは、安易な解雇をする経営の側に政治が立っていると言う不信感があると感じますね。

 日本でも欧州でも、雇用の流動化を進めようとする動きに労働側が抵抗するの。
 不安定雇用だけ働くものに押し付け、経営側と株主だけが高配当の恩恵を貪ろうとするんだろうってね。

まして、自家用機で議会に平気で来る経営者、公的資金を受けながらの高額報酬を当然視する企業上層部、これを正せない政治であればなおさらです。

社会と経済の枠組みを、根本から転換すべき時が来ているようですね。

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寿司は肉の代用食?

ロール寿司を頬張りながら、ふと思ったのです。

この食感は、全くと言って良いほど肉。

 じゃあ、普通の巻き寿司はなに。

魚、それも、皮付きの魚でしょうね。

日本の食卓では、皮付きの鶏肉のような感覚で、皮付きの魚が皿に盛られます。

そう、巻き寿司は皮付きの鶏肉を頬張る食感と言えますねえ。

 海苔と鳥皮では、海苔の方が少々噛み切りにくいですよね。

ロール寿司になったとたん、欧米人は余り違和感を言わなくなりますねえ。

 鳥皮にしては、多少噛み切りにくい海苔の食感は一転、筋の食感に化けたのでしょうかね。

欧米人にとってロール寿司は、馴染みの深い肉の塊を頬張る感覚なのでしょうか。

 こう思ってみると、奇妙な気分になりますねえ。

日本人は、知らず知らずのうちに、肉を頬張って美味しい美味しいと言っていた、先祖の味の好みを求めていたのでしょうか。

稲荷寿司も、多少発酵が始まった肉のなんとも言えない匂いと歯触りや舌触りを、あの独特な香りと共に味わっていた記憶を、味わっているのでしょうか。

臭みの強い野生の肉も、発酵の好いタイミングで食べると、なんとも言いがたい良い香りに変わりますね。

 肉の美味しいタイミングは、実に難しいですよね。

だから、あの手この手で、食べごろの発酵を肉に与えるのが美味しい肉を安心して食べるために必要となります。

日本の発酵技術は、手に入りにくくなった美味しい肉の味を、いかに再現するか悪戦苦闘してきた歴史が育んで来たのかも知れないです。

口でホロリとほどけていくように、握りでも、巻き寿司でも、追求するようになりますねえ。
それは、魚の食感に慣れてしまった日本人が、魚との相性を米に求めた結果なのでしょうか。

 どおりで、海苔の巻き寿司が、ロール寿司になったとたん、欧米人に合ったのでしょうかね。

崩れにくいように、多少硬めに握った事が欧米の好む肉の食感に近づける結果となったのでしょうか。

やはり日本人のルーツは、欧州と同じ肉食文化だったでしょうか。

 巻き寿司や稲荷寿司が魚や肉の食感だなんて、考えもしなかったです。
 でも、言われてみればなるほどね。
 目から鱗、巻き寿司から魚です!

 確かに、目から鱗ですね!
 よく見ると、ロール寿司は、欧米人には好まれているみたいだし…。
 食感が似ているのか・・・。

茶碗や皿から食べる時より、おむすびの方が食欲が進むのも、似たような事情でしょうか。

箸や匙で食べるより、一口が大きいので、満腹の信号が脳にいくまでに多くのご飯が口に入ってしまう、と言う点もあるとは思います。

しかし、しっかり握られた表面と、ホロリと崩れる中身、この組み合わせが上手なほど美味しい握り方なのは、握り寿司もおむすびも、そっくり同じ。

 やはり、肉を頬張ったあの幸福感がお結びを美味しく感じる理由でしょうか。

こどもは、口一杯の頬張りに幸せを感じるけど、肉を頬張る幸せに原点があるのでしょうかねえ。

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諏訪氏と藤原氏と肥田氏と小林氏と桓武天皇と清和源氏?

郷土史研究家肥田実氏の著述集の最後に、地元にある八幡神社の神職の小林を親類縁者と受け取れる記述があるのです。

それで肥田氏を当たってみるうちに、小林氏を調べる必要を感じたのです。

肥田氏と小林氏、因縁浅からぬ間柄に思えるようになったのです。

小林姓は、音が古林、児林などにも通じるのです。

読み名については、「オバヤシ」と呼ぶ地域もあるのです。
小林姓は全国に多く広まるが、北関東の上野(こうずけ)や甲信越地方の信濃が特に多いです。

上野の小林は桓武平氏の出で、緑野郡小林と多野郡御厨小林を根拠とした秩父氏高山党。
源頼朝の奥州征伐に参加、南北朝の争乱では山名氏の有力武将として活躍、守護代になったものもいるです。

信濃の小林は、伊那郡小林村を名字地とし、諏訪氏の同族として各地に広まったです。
越後では、上杉謙信の侍大将に小林左馬介の名が見え、江戸時代の長岡藩士や米沢の上杉の家臣にもいるです。

ところがここに、面白い指摘があるのです。

藤原氏と縁の深い談山神社は、小林氏を藤原の一族とする一方で肥田氏には触れていないです。

しかし、小林氏を当たっていくと肥田氏に突き当たるのです。

            信濃國諏訪部 諏訪神職家諏訪氏族

                       小林美作守─(略)─土佐─〇─元蔵
                         称:小林              住:菖蒲沢

諏訪明神は、米田城主であった肥田一族の守り神です。

諏訪神社は、主祭神は建御名方神なのに諏訪明神を祀る神社なのです。
ここに、面白い史実があると言うのです。
米田城主であった肥田氏の本当の姓は諏訪氏であり、諏訪大明神に仕える家柄だったことによると言うのです。

諏訪氏は代々、諏訪大社の大祝を務めてきた一族です。
大祝は祭神の神託により、身体に神が宿るとされ代々、正一位の神階を継承しているのです。
その血筋は神氏といい、出雲神話の神、建御中主尊(タテノミナカタヌシ)に始まると言うのです。
異説には桓武天皇を祖とするとも、清和源氏の源満快を祖とするとも称するのです。

いかがです。

諏訪氏を間に挟んで、藤原氏と肥田氏と小林氏と桓武天皇や清和源氏が繋がっていくのです。

            信濃國伊那郡小林村(邑)発祥 

             清和源氏源満快後裔知久氏支流

              知久興阿─行阿─(略)─敦信─又心斎──山城守─河内守─森当─貫仲─某
                                   称:小林                      称:虎岩
                                   居:小林                      居:虎岩
                                   次男

もっと、面白いことがあるのです。

藤原氏の紋と言えば、藤と思うでしょ。

 ええ。

剣方喰の藤原もあり、剣方喰の小林もあるのです。

 そうなのですか。

その剣方喰の小林氏が、肥田氏の親類縁者にあり、その一族から肥田実氏の地元の伊豆で八幡の神職を出している可能性があるのですよ。

そして、八幡は秦氏の氏神です。

 むむむ、また秦氏が出てきましたか・・・。
 興味がつきないですね、秦氏。

ますます肥田氏と秦氏は、繋がっていくように見えるのですよ。

追記

剣片喰の小林氏は祭司の家系と言う情報が得られました。

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