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洗礼の先例?

イエスが洗礼を受けた時、イエスの頭上に聖霊が舞い降りたのです。

 キリスト教の本格的な洗礼は、いまでも水に全身浸かってやっていますよね。

 洗礼の瞬間を描いた絵で、白い鳥に見立てられたのが、聖霊ですよね。

 神による洗礼は、聖霊によると言いますよね。

ええ、バプテスマのヨハネは、私の後から来る人は「聖霊と火による洗礼」を授けると言ったのです。

ではなぜ、聖霊でなく、水で洗礼、あるいは清めを施しても良いと思うでしょ。

 穢れを、洗い流せるからでしょうかねえ。

 神社にお参りするのに、本来は水で全身をあらう禊もありますし…。
 やっぱり、共通項が多いんですねえ・・・。
 不思議だなあ。

確かに、水で清めるのは同じですね。

 水は、実にいろいろ溶かし込めるし、洗うのには必ず使いますよね。

 油汚れ以外は、ほとんど落とせます。

 昔は、今のような頑固な油汚れを洗うこと、なんてなかったし。

もちろん、それもあるでしょうねえ。

 それもって、ほかにあるのでしょうか。

再び、誕生を体験する事が大切だとしたら、どうでしょ。

 洗礼って、生まれ直しなのですか。

 まるで、寺の胎内くぐり。

ええ、胎内くぐりも一種の清めと言えるでしょうねえ。

 じゃあ、洗礼って胎内くぐりと同じ事なのですか。

胎内くぐりは、母体をもう一度くぐる事に見立てられているのでしょうねえ。

 洗礼や清めの水は、羊水に当たるの。

そうなるでしょうねえ。

洗礼や清めの水は、羊水と言って良いでしょうねえ。

洗礼や清めも胎内くぐりも、死と再生の儀式なのでしょうねえ。

 死と再生の儀式、どう言う事なの。

原罪の子として生きてくるのは、肯定に当たるでしょうねえ。
いったん死ぬのは、否定に当たるでしょうねえ。

 洗礼や清めの水を浴びる事や、胎内くぐりに入る事が、いったん死ぬ事でしょうか。
 
 洗礼や清めの水を浴びる事は、羊水に戻る、つまり隠れって事ね。

 隠れは、死の別名…。

無原罪の子として、穢れなき処女の体内より、誕生するのは肯定に当たるでしょうねえ。

 清めの水や、胎内くぐりが、穢れなき処女に見立てられているわけ。

そうなのかも。

弁証法的な生の昇華が、洗礼によって行われると言って良いのかも。

陰極まりて陽となる、まさにその転換点が、死と再生の清め。
神の子の本性が、顕となる。
陽極まりて陰となる、まさにその転換点が、再生と死の清め。
罪の子の本性が、滅となる。

 羊水とは、神の子羊が宿る水であると。

そう言うつもりかも、知れないです。

 そう言えば、神社の茅の輪くぐりも、寺の胎内くぐりに似てますね。

 あれも、清めとして行われるのは同じね。

 つまり、見た目だけじゃなく、意味も同じ。

同じ目的の、儀式でしょうねえ。

胎内くぐりも、茅の輪くぐりも、水を使わないですけど。

けれども、寺や神社の境内と言う聖なる場所です。

 胎内くぐりと同じ、形式化された清めなのね。

ええ、茅の輪くぐりは、胎内くぐりと同じと言って良いでしょうねえ。

 聖なる場所は、生なる場所にして、性なる場所。

 これ、漢字文化圏じゃないと通じない洒落でしょ。

でも、似た音を使うと言う事は、感じも似てると昔の人も思ったのでしょうねえ。

 漢字の感じ、この洒落は漢字文化でないとわかりませんって。

穢れと清浄、清浄と穢れ、相向かい合い、相分かたれる。
相対する事柄が結びつく結節点が、清めなのでしょうねえ。

 九州のトンカラリン遺跡を吉村作治教授は、生まれ直しの儀式の場として作られたと見ていますね。

 ギゼーの大ピラミッドと、共通する構造が認められると指摘していますよ。

太陽神を頂点に、動物神を含む八百万の神々の世界を持っている日本や古代エジプトと、ユダヤ教やキリスト教が似た発想があるのは面白いですよね。

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コメント

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

投稿: ビジネスマナー | 2012年4月18日 (水) 15時25分

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