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2009年6月

恐竜はミルクを出すか。 どこへ向かうか、恐竜研究。その3

鳥のいくつかの種では哺乳動物のように、こどもは特別な分泌物を親から与えられて育つのです。

 特別な分泌物って、ミルクのことでしょ。
 でも鳥のこどもは、哺乳動物とは異なって、母親だけではなく父親からも、もらうのでしょう。

 鳩がひな鳥に餌をやるハト乳なんかは、代表的な例ですよね。

ハト乳のように鳥が出すミルクは、「Crop milk」とよばれるのです。

 鳩以外にも、フラミンゴ、インコ、オウムも出しますよね。

 Cropは、嗉嚢(そのう)のことでしょ。
 Crop milkって、嗉嚢ミルクってことね。

 嗉嚢は、胃の一部ですよね。

嗉嚢は、食道の一部が変化したと解釈されるのですね。
鳥の胃は、嗉嚢と腺胃と筋胃の3部位に分かれていて、食べたものは嗉嚢に貯蔵されるのです。

鳥の消化器系について、おさらいしておきますね。

口は、唾液は分泌しますが、歯がないです。
消化能力にはあまり影響を与えず、水分添加が主な働きと言われるのです。

 じゃあ、雛に与える前に口の中でも多少食べやすくなるのね。

口から胃までをつなぐのは、食道です。

 これは、私たちと同じね。

途中に、嗉嚢が、ありますけど。
嗉嚢は、「餌袋」とも呼ばれる食道が袋状になった部分です。
単なる餌の滞留袋であって、消化吸収にかかわる作用はしないとされるけど、穀類をふやかす作用をしているとも言われるのです。
湿気と温度が微生物の繁殖を誘発しやすく、炎症を起こしやすい器官です。

 ここから、鳩などの嗉嚢ミルクが出るのね。

嗉嚢は、鳥類のうちでも特に、穀物や生肉を多食する種類に見られるそうですよ。

 果肉を好む鳥には、嗉嚢は余り発達してないのね。

そうなのかも。

鳥の胃は、腺胃と筋胃にわかれ、前胃と後胃とも呼ばれるのです。
腺胃は、酸とペプシンからなる胃液を分泌して、餌と混合して後胃に送ます。
吐き戻しする餌は、腺胃で作られ、吐き戻されるのです。

 吐き戻しの餌は、前胃から酸とペプシンと一緒に雛に与えられてるのね。

後胃は、「筋胃」「砂嚢」「砂肝」などとも呼ばれるのです。

 砂肝って、胃の一部だったの。

筋胃の名の通り強い筋肉で囲まれ、ここで化学的な消化が行われるのです。
ここにはケラチン質の堅い部分があって、粒餌をすりつぶすのです。

 粒餌って、穀物の実や、そのひき割りを原料とした鳥の餌ね。

堅い穀物餌は、筋胃には貯えられているグリット(grid)を利用して粉砕します。

 グリッドとは、鉱物質のものですよね。

 胃石のことでしょ。

 銃から出た鉛球を呑んで、鉛中毒になる鳥がいるって聞いた。

 道端で何もないところついばんでるのって、石呑んでるのね。

特に小鳥は硬いものを磨りつぶすことができるように、グリッドを停滞させて強力な筋胃を持っています。
 
 それで軟らかいものばかり食べると、胃の機能が障害をおこすのか。

筋胃は、穀食鳥では非常に強力だけど、果食鳥ではあまり発達していないのです。

 それって、嗉嚢ミルクの代表がハトミルクと思われてきたことと関連ありそうね。

 胃石のある恐竜化石も出たでしょ。
 ミルク出してたのかなあ。

出してたかも。

 こどもの未熟な胃には、吐き戻しても堅い食事は無理でしょ。

小腸には、膵臓が生産した膵液と肝臓が生産した胆汁が分泌されるのです。

膵液と胆汁を利用して、小腸で化学的消化と吸収が行われるのです。
インコ類では、胆嚢がない種類もあります。
膵臓は、ループ状の十二指腸に挟まれた形になってるのです。
肝臓は2葉あり、ヒト同様最大の臓器です。
 
 十二指腸、鳥にもあるのねえ。
 肝臓が2葉になってるあたりも、ヒトと同じ。

 そういえば、骨も鳥類と哺乳類と恐竜は構造が似てるのでしょ。

鳥の大腸は非常に短いけど、排泄物を貯えて重量が増加することを避けるためです。
消化吸収を終えた残留物は、ただちに糞として排泄されるのです。

 上を見て鳥がいたら、注意しないと糞が来るのはそのため…。

嗉嚢ミルクは、鳥の嗉嚢の粘膜上皮細胞が膨張して破裂し、栄養分を作りこれを逆流させているのです。

 雛を養育している鳥は、嗉嚢ミルクを出しますよね。

 哺乳類の母乳が、血液から作られるのと違うのね。

哺乳類は、母乳を飲ますことで子を育てるところからついた名前ですね。
猫や犬やヒトのような有胎盤類と、カモノハシやハリモグラの単孔類と、カンガルーやコアラのような有袋類とで、構成されるのです。

種全てが哺乳行動をおこなうのは、哺乳類だけです。
 
 鳥のミルクって、全部の鳥で出るわけじゃないのね。

母乳は、乳腺から分泌され子に与えられるのです。
乳腺は、汗のでる汗腺が発達したものです。

汗の成分は主に水分と脂肪などの油成分で構成されるが、母乳はさらに蛋白質を含んでるのです。
蛋白質は、肝臓で作られたものです。

 肝臓の構造とかDNAは、男女間で違いはないのでしょ。

ホルモンの働きの違いにより、女性のみ母乳を生成することが出来ます。

ハトミルクに代表される嗉嚢ミルクは、非常に栄養価が高いです。

ある研究によると、ハトミルクに代表される嗉嚢ミルクを含んでいる飼料を与えられた雛は、嗉嚢ミルク無しの雛より16パーセント重かったという実験結果だったそうですよ。

嗉嚢ミルクは、牛または人間のミルクより、多くの蛋白質と脂肪を含みます。

嗉嚢ミルクは、孵化のあと2週間以上、両方の親が雛に与えます。

 雛は数日間、嗉嚢ミルクだけで育つのね。

 鳩や、フラミンゴ、インコ、オウム…。

ええ、鳩や、フラミンゴ、インコ、オウムなどの雛は、昆虫をもらわないようです。

代わりに鳩乳に代表される嗉嚢ミルクで、成長に必要な蛋白質を得るのです。

 ペンギンの子育てで、良く見るペンギンミルクって違うの。

ペンギンミルクは、胃の内壁が剥がれて、 胃液と胃粘膜が混ざった物です。
白いので、ミルクといわれます。
オスは生まれてすぐ餌をねだるヒナに、数ヶ月前に食べて溜めておいた胃の残留物を与えます。

ペンギンミルクは、胃の蓄えがなくなった後に出るもので、ハトなどのミルクとは違うのです。

 そうなの。

 でも、骨の微細構造が鳥と哺乳類と恐竜が似ているでしょ。

 子育てでも、恐竜と鳥が似ていて、胃石まで共通なんて。

マイアサウラ (Maiasaura)ですね。

 マイアサウラという学名は、「良い母親トカゲ」という意味でしょ。

体長は8から9mの、白亜紀後期の北米に生息していた鳥脚類の恐竜ですね。
恐竜の中では初めて、子育てを本格的に行なっていたという証拠があったのですよね。

 マイアサウラって、羽毛で知られるデイノニクス(Deinonychus)とともに恐竜恒温動物説を支持するものとなった。
 デイノニクスは“怖ろしい鉤爪”の意味でしょ。

 やっぱり恐竜も、ミルクだすのいるよね。

化石には、なかなか残らないけど、もしわかったら面白いですね。

 マイアサウラは、自分で卵を温めたと思われていなかったでしょ。

「良い母親トカゲ」の名前のように、体毛は無いと見られてきたからです。

体毛のある恐竜がどんどん見つかる以上、抱卵するマイアサウラは近いうちに常識になると思いますよ。

追記

面白い情報がありました。

きちんと立体構造を保ったままの軟組織が確認できる、恐竜化石が出土しているそうです。

皮膚の鱗模様がくっきり、クチバシのケラチンもしっかり、わかる状態といいます。
放射線を利用した透視写真では、腸や肝臓、胃、嗉嚢まで写っているのですって。

出土場所や、恐竜の名前まで、その記事にはないので、さらに情報を集める必要はありますけど。

恐竜はミルクを出していた、そう言い切れるところまで、また少し近づきました。

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胃石のある恐竜はどこに分類すべきか。 どこへ向かうか、恐竜研究。その2

時事通信社の2006月21日配信記事に、こんなのありました。

堅い実食べる小型恐竜の化石

 中国内モンゴル自治区のゴビ砂漠から、約1億1000万年前(白亜紀半ば)の小型草食恐竜の化石が見つかり、新種に分類したと、米シカゴ大と中国科学院の研究チームが21日までに英王立協会紀要の電子版に発表した。
頭骨が現代のオウム・インコ類に似ているプシッタコサウルス属の1種で、堅い木の実や種を食べていた特徴がはっきりしているという。

 「ゴビエンシス」と名付けられたこの新種は、体の長さが90センチ程度だが、大量の胃石が見つかった。
胃石は、胃の中で食物をすりつぶして消化するためにのみ込んだ石。
体格の割に数が多いのは、堅い木の実などを消化するためだったと考えられる。
あごの骨格や、推定される筋肉の付き方も、堅い食物に適応していたという。 

「プシッタコサウルス・ゴビエンシス」(Psittacosaurus gobiensis)と名付けられたこの恐竜は、あきらかに、鳥の特徴を示す化石といえますよね。

 「ゴビ砂漠のオウム恐竜」という意味の、学名でしょ。
 大量の胃石、ですものねえ。
 もはや、恐竜が爬虫類であったという解釈を捨てる時でしょうかね。

足跡を始めてみた人は、巨大な鳥という印象だったといいます。

 最初の素直な感想は、意外とあってることは多いでしょ。

もっとも、哺乳類にも卵で生むカモノハシがいて、鳥類にピジョンミルクで知られる鳩だけじゃなくフラミンゴミルクを雛に与えるフラミンゴもいます。

 オウム、インコ類のパロットミルクも、お忘れなく。
 哺乳して飛ぶ、コウモリだっていますよ。

 コウモリ、鳩、フラミンゴ、オウム、インコなどを飛んで授乳する種として分類しなおすってだめかしら。

カモノハシは、どうします。

 あ、そうでしたね。
 カモノハシ、鳩、フラミンゴ、オウム、インコなどを卵で生んで授乳する種として分類しないと。

 爬虫類と哺乳類の境で分類が揺れている種も存在するのでしょ。

哺乳類型爬虫類に分類される、種の事でしょ。

 ええ、最前線の研究ではかなり揺れてるって聞いた覚えですよ。

そういうことは、あるでしょうねえ。

恐竜の骨には、鳥類や哺乳類の骨の微細構造と似たところがあるとも指摘されます。

 巨大恐竜には、地球の重力からみて本当に立てたか疑問とされる体重の種もあるでしょ。
 爬虫類の足の付き方じゃなおさら、立てないでしょう。

鳥と恐竜の境もますます曖昧になる以上、恐竜は色鮮やかな毛で覆われた姿を常識とすべきところまできていると言えますね。

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キジムナー。

キジムナーは沖縄の代表的な妖怪で、沖縄の喜如嘉(きじむか)に多いともされ、観光旅行地である琉球村のマスコットキャラにもなっているのです。

 ウスクまたはガジュマルの、古木の妖精でしょ。
 
海辺とか川辺に現れ、南方の妖怪らしく、牛や馬に悪戯して飛び跳ねさせるなど、たわいのない悪戯をするのです。

 まるで、河童ね。

夜、提灯の火を取って逃げることがあるが、出かける前に提灯をまたいでおけばこれを防げるのです。

ガジュマルはガジマルとも言い、桑科の常緑高木。
熱帯アジアに分布する熱帯を象徴するような木で、多数に分かれた幹から更に気根を生じて繁殖するのです。

ウスクはウシクともよばれる桑科の木で、海岸地帯の岩場に多く見られ大きく成長するのです。

 和名を、アコウと言うのでしょ。
 幹や実に傷をつけると、白いミルクみたいな樹液がでる。

大きさは子供か赤ん坊くらいで、全身が毛でおおわれ、大抵子供の姿で、ぼさぼさの赤毛の少年だけど、顔には老人のように皺があるのです。
袖無しの短い着物を着ているのです。「キジムン」、「セーマ」、「セーマグ」、「ブナガイ」、「ミチバタ」、「ブナガヤー」等、呼び名は多様。

木の下でたき火などをすると、木のうえから、子供の声か、サルの声かわからないような、「きゃっ きゃっ」という声がするのです。
そして、人が木の上をみあげていると、人の前に現れます。
その姿形はとてもかわいらしいが、捕まえようとしようものなら、すぐに消えてしまうのです。
顔が赤くおかっぱ頭とも言われます。

夜は火をともなっており、その火は水中でも消えず、触っても熱くないのです。
好物は魚や蟹。大変に魚釣りがうまく、魚は片目だけ食べるともう飽きてしまい、うまくおだてればその漁獲を人間にわけてくれる事もあるのです。
とても強い神通力の持ち主で、世界中を飛び回ることもできるようで、人なつっこく、キジムナーと友達になった人もいるそうです。

 キジムナーは、舐めてはいけないのでしょ。

キジムナーの宿る木に芋を置くと、一週間ほどで友達になれるとも、一度住居とする樹を定めると、それが切り倒されるまでそこから動かないとも言うのです。
だが、キジムナーの嫌いな蛸、屁、熱い鍋蓋を出したり、宿っている木を焼いたり、古木のまたに釘を打っておけば、キジムナーは現れなくなるのです。

12月8日にふかす餅であるムーチーの汁をキジムナーが棲む樹のまたにかけたら、そこから去ったという話もあるのです。
旧暦八月十日は「妖怪日」といって、全ての妖怪が出る日だが、この日にキジムナーはよく火を出すので、「キジムナーの火」を見物に来る人が多いと言うのです。
原因不明の火も「キジムナーの火」と呼ばれ、この火が家の屋根からあがることは死の予兆です。
キジムナーが魚や蟹を捕るときも盛んに火を発して海上を往来すると言うのです。

こう言う話もあるそうです。
「昔、ある男がキジムナーと親しくなった。はじめは毎晩キジムナーが魚を持ってきた。男はいい気になっていたが、キジムナーがあまりに人なつっこかったので男はいやになってきた。そこで、ある夜キジムナーの嫌いなタコを、屋根の上にくくりつけた。それをみたキジムナーは猛烈に怒って、男をたたり殺したと言うことだ。」

男のキジムナーは人間の女を、女のキジムナーは人間の男を襲うとも、キジムナー自身の十二支と一致する人間を襲うとも言われます。
生まれ年がある妖怪というのも、珍しいです。
襲うとはいっても人をとって喰うような凶悪な事はしないで、悪戯程度の事が多いです。
たとえば、夜、熱気とともに入ってきて人の体をおさえつけたりするのです。
但し、何かの拍子に人の魂を奪う事もあるのですので、用心は必要です。

その住居や正体を確かめようとしたり、穿鑿したりしなければ、キジムナーは幸運をもたらしてくれる存在でもあるのです。

 どんなに人なつっこい妖怪でも、なめてかかると痛い目にあうのね。

キジムナーのキジは“木児”、ムナーは“ん”と“あ”かも知れないですね。
 
 でも、それって想像に過ぎないでしょ。

ええ、そうですよ。

陰が“ん”陽が“あ”で、ムナーは亜熱帯的気候の元でなまったのかもと想像しました。

河童には全身毛に覆われたものと、滑っとした肌のものが居るが、キジムナーはこの毛のあるタイプの元かも知れないです。
ただ、毛のある河童の生物的起源はカワウソとも思えるです。

 「セーマ」、「セーマグ」と言うのは、あるいは安倍清明なのでしょうかねえ?

女も男も居て、十二支に関係しているから、陰陽五行説との係わりは深そうですね。
嘴は八咫烏からかも、と言うのは間違ってなかったようです。

 おそらく、このような妖怪が河童の原型の一つでしょうね。

木の精霊と言うことからして、木の人形の天児(あまがつ)や仏教の象徴の沙良双樹が絡んだ、と前にもお話したのは、的外れではなかったようですね。

木のまたに釘というのは、河童が金気を嫌うと言うのに通じる気がするのですね。

 金気が木気を剋すると言う、五行相剋に起源を持つものかしら。

ちなみに、水を司るスッポンが習合したのは、水辺の妖怪と言うこともあります。
金気は水気を生じるとの、五行相生が絡んでくるのかも知れませんね。

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河童。その1

河童の腕って、右を引っ張ると左が短くなると聞いたことないですか。

腕については、一週間立つととか、午の刻(正午)までとか、ある決まった時間のうちでないと、再び取れた腕がつかなくなるという言い伝えはあるようですね。
夜明けまでに返し損なった腕を祀っている祠があったです。
そう言えば「腕を返せーー」ってカッパに追いかけられる話しを、聞いた覚えがある人もあるのではないですか?

 じゃぁ、河童って実在するのですか?

皆さんは、日本最古の「河童の記録」をご存知ですか?

なんと、天皇家の記録とされる「大成経」にあると言う情報を得ました。

こうあるそうです。

推古天皇、二十七年、

夏四月、己亥の朔、壬寅、上に告ぐ。

淡海国司は、使いを以って 之れを言わしむ。

浦生河に物有り。

昼も夜も、頻りに浮き沈む。

其の形は、人の如し。

憂声に甚だに鳴く。

秋、七月、摂津国の浪華浦に、漁夫有り。

況罟を堀江に沈むるに、物有て罟に入る。

其の形児の如くして、魚に非ず。人に非ず。名づける所を知らず。

罟(“く”あるいは“こ”)とは、漁に使う網のことです。

この目撃談、今だったら、確かに河童と言われちゃうかも。
確かに、河童はそれほど大きくないですね。
日本で伝わる河童の大きさは、そのほとんどが子どもくらいの大きさです。

 長野県に旅行に行ったときです。
 街の中を流れる橋のたもとや川の中に、河童の像があったのを思い出しました。

それは、楽しいですね。

 うちの地元にも、河童の像がたくさんある河があります。
 河童の像と握手すると、橋から水が噴き出したり、色んな趣向が凝らしてありました。

凝ってますねえ。

 その子は、かわいい子供の河童の像ですよ!
 でも、最近はセンサーが鈍ってきたのか、なかなか水が出てくれないことが… 。

それは、ちょっと残念…。

 なかなか水が出ない、それもまたご愛嬌ですなぁ・・・。

河童は、昔の記録になるほど、カエルに近い生物に表現されるようですね。
四国の霊峰剣山の南から流れる那賀川に、遠い昔から“ガロ”と言われる妖怪がすんでいると言われてきました。
最近はいわゆる河童のような姿を連想される事が多いけど、年配者は「カエルの親のよう」と言ってるのです。

昔の河童の絵がカエルに似ていたことを思うと、ガロの仲間こそが河童の正体だと思うのですけど。。。
ただガロの仲間は、めったに姿を現さない幻とされた生物なので目撃談に尾ひれがついて妖怪にされてしまったようですね。

妖怪としての河童はカエルだけでなく、猿やカワウソやスッポンとも関係があると見られてるのです。
ガロの仲間達の子どものような大きさと仕種から、猿の方に連想が行ってしまったのもわかる気はします。。。

河童は、西日本では猿のよう、、東日本ではスッポンのよう、とされる傾向があるので、人によっては猿とスッポンの合体とも考えてるようです。

けれどその一方では、木の人形が正体と言う伝承まであるので、わたしゃ「河童の川流れ」と言う言葉とあわせて考えてみたいです。
雛人形のルーツは、流し雛や木の人形の天児(あまがつ)布人形の這子(ほうこ)のような「形代(かたしろ)」から生まれた人形(ひとがた)だと言われるのです。

形代は、身代わり信仰の現われで、人間の身代わりに用いられるものです。
三月の上巳の節句に、この形代で体を撫でて、身のけがれや禍いを身代わりの人形です。
形代に移し代わらせて、川や海に流して幼子の無事な成長を祈ったのです。

 さっきの、河童の像と握手すると水の出る橋がある川ですけどね。
 流し雛も、行われてます。
 
 私も、お願い事を書いて流したことがありますよ。
 日本人は、色んなもの崇拝してきましたからね!
 神様がたくさんです。
 でも、そんな気質は素敵だと思うのですが…。
 最近はなくなっちゃった感が…。

形代は、縄文の土偶、弥生の人面土器、古墳時代の人物埴輪などから、古代からあったとも推測されています。
古代では祓以外にも、多分に呪術的な要素も多かったのではないかと言われています。

現在と異なり古代の人々にとって紙は貴重品だったので、形代には素材としては、草木などが使用されていました。
流してしまうから、素材もそれぞれの時代の人たちから見て簡素なものが選ばれるわけですね。
それで、流し雛や木の人形の天児、布人形の這子の二つが習合したとき、木の人形“あまがつ”の方に水に流す話がいってしまい、それが幻の河童と合体していったのではと思うのですよ。

知らないと困るから、一応紹介します。
一般に、天児は案山子に衣裳を着せた形で、這子は縫いぐるみになっています。
もっとも実際は、天児も這子もごっちゃにされて、案山子の形をした這子や、その逆に縫いぐるみの天児もあったのです。
天児は、平安時代には葬送の形代でもあったです。
室町時代になると子供の災いや穢れを負ってくれる身代わりとして流行したのです。
桃の節句に天児を男雛、這子を女雛に見立てて、お雛様と一緒にお祭りするようになったのは江戸時代です。

でも、河童は、まだまだ奥が深いです。

 中国で、「西遊記」の連環画を買ったのね。
 連環画って、マンガ本のようなものなの。
 孫悟空も猪八戒も日本のそれとそっくりなのに比して、沙悟浄だけ違うの。
 普通の人っぽく、もちろん頭にお皿は乗っていない。

 ちょっとあてずっぽうで思ったんだけど・・・
 中国に河童がいないのは、河の形が違うからじゃないかなあ。

沙悟浄も人っぽいということは、「カエルの親のよう」な那賀川のガロみたいな目撃談が中国にもあった可能性はあります。
ただ、さすが中国、日本より大きかったかも。

 そう、河童は日本にしかいないんですね。
 日本原産。
 おそらく沙悟浄は、河に関係のある妖怪なんでしょう。
 日本で絵本にするときに、猿、豚、人ではバランスが悪いので何か動物っぽいもの、河童になったのかなあ。
 河の妖怪といえば河童、それほど日本では河童はポピュラーなんでしょうね。

河童も古い表現はカエルに似ることを思えば、沙悟浄は河童の原型に近い可能性もありえるとの見方も可能ですけど。

 河童は、胡瓜が好物だそうですね。
 雨乞いの時、川に胡瓜を流したとか。
 
 胡瓜の海苔巻きのことをカッパ巻きって、そこから来たそうですね。

 河童ってやっぱり妖怪なのでしょうか…
 いろんな説がありますが、どれも納得したくなりますけど。

神様と妖怪は結構、境はあいまいです。

 日本人は、なんでも神だから?

日常の経験や理解を超えた不思議な存在や現象が、妖怪だからでしょうね。

一方、人間を超えた存在で、人間に対し禍福や賞罰を与え、信仰・崇拝の対象となるものが神です。

人を超えた存在や現象で、崇拝される対象なら、神と言う訳です。

その意味で言えば、河童も崇拝される場合、立派に神と言えるのです。

 ところで、河童の頭のお皿はなんなんでしょうね?
 西日本、東日本問わず、お皿はあるんでしょうか?

皿のある河童は、ある程度時代を下ってからのようです。

 大昔の河童は、皿がなかったんですか。

 私もよく知らないんですが、江戸時代に鳥山石燕や英一蝶などの絵師によって、妖怪がたくさん描かれてるじゃないですか。
 また、その他に地方でも妖怪の絵がたくさん描かれてるみたいなんですが、その中の河童らしきものには、お皿があったりするので、皿が出てきたのは江戸ぐらいからじゃないんでしょうか?正確じゃないかも…?
 高知には、河童のことを猿猴と言うそうなんですが、そいつは皿はないようですね。

 水木しげるの「河童の三平」の河童には、皿があるんですよね。

 水木しげるが作ったとしたら面白いなって思ったんですがそんなわけ無いですよね。
 なんで、皿が乾くとまずいのかは分からないです…。
 私がわかるのは以上です。

 じゃあ、やっぱり甲羅もなくて、ちっこい妖怪という感じだったのかなあ。

そうですね。
カエルに近くなるようですよ。
背丈は、こどもくらい。

 中国は大河が滔々と流れているから、河童じゃなくて龍が現れるんじゃないの。
 日本の川は急流もあるし、淵もあって変化に富んでるしねえ。
 河童みたいなちっこいのが住めるところは沢山あるなあ・・・なんてね。

ちいさいといっても、少年少女くらいの大きさだからこそ河の童(“わらし”とか“わらべ”あるいは“わっぱ”)と言う意味で「河のわっぱ」つまり河童と呼ばれるわけですね。

日本には河童を龍の手下とする言い伝えも、ありますね。

 なるほど、奥が深いなあ。
 河童は面白いね。 

そうですね。

 子供の借りたお化けの本で、一応いちいち地名が出てくるのですが。
 かわやから手を出して尻を触るイタズラ河童の手を お侍が切り落とすのですが、後で取りに来た河童が自分の持ってきた薬を塗るとちゃんと元通りに着くのです。

 それをお侍が貰って、戦場で死にかけになった時使うと蘇ったそうです。

過去に遡るほど、しばしば神は異形となってしまいます。

つまり古代になればなるほど、神も、精霊も、妖精も、妖怪も、超自然的、超越的、ということでは“一緒くた”だったかも知れないということは、充分想像できますねえ。

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九州ピラミッド地帯?

戸畑祇園大山笠って、知ってますか。

 北九州市の戸畑で、行われる行事でしょ。

 祇園って呼ばれる祭り、けっこうあちこちにあるようですね。

戸畑祇園大山笠は、国重要無形民族文化財に、昭和55年1月28日指定されたのです。

戸畑区一帯で毎年7月、第4土曜日をはさむ前後3日間行われるのです。

土曜日の夜は、戸畑区役所横の広場で提灯山笠競演会が開かれるのです。

 見に行くなら、西鉄バス、浅生通り下車が近いそうですね。

今から200年ほど前の事です。
現在の戸畑区は当時、鳥旗村と呼ばれていたのです。

 戸畑、鳥旗、どっちも音が似てますね。
 それと、畑と旗でしょ。

 そう言えば、あの辺りも秦氏の勢力がありませんでしたか。

そうです。

秦氏ゆかりの地の、一つですね。

鳥旗村で悪病が広がり、村びとは非常に苦しみ土地の祭神須賀大神に悪疫退散を祈願したところ直ちに平癒したのです。
それで、翌年村びとは山笠を作り盛大に解願行事をおこなったのです。

これが戸畑祇園大山笠行事の始まりです。

 京都の祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼ですよね。
 京都の祇園祭も、病気に関係して始まってますね。

 そう言えば、平安京も秦氏に関係の深い都ですねえ。

 祇園祭と秦氏、探るのも面白いかも。

京都の祇園祭は古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれたのです。

西暦869年、つまり貞観11年に京の都をはじめ、日本各地に疫病が流行した時だったのです。
「これは祇園牛頭天王の祟りである」として、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数である66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祭り、さらに神輿をも送って、災厄の除去を祈ったのです。

 それが、京都の祇園祭の始まりでしたね。

戸畑祇園大山笠ほど昼と夜の山笠の様相が、一変する山笠もめずらしいです。

 どう変わるのですか。

昼間は、幟大山笠です。

12本の幟が立てられるのです。
 
 京都の祇園祭で、当時の国の数である66ヶ国にちなんで66本の鉾を立てた事に対応していそうですね。
 でも、幟12本って、いったいなんのつもりですかねえ…。

 まさか、イスラエル12支族だったりして。

十二支かも、知れないですけど。

夜になると、提灯をピラミッド型に飾り、提灯大山笠へと変身します。

 ここは、京都の祇園祭で、さらに神輿を送った事に当たりそうね。
 だけど、提灯をピラミッド型にするのは、なんででしょ。

 出エジプトで見た、ピラミッドなんてのは。

 光るのは、弟子の前で光って見せたイエスとかね。

ピラミッドに似てるのは神奈備山、光るのは太陽神とも見えますね。

昼の幟大山笠を解体し、高さ約10m、12段、309個の提灯をピラミッド型に飾るです。
鉢巻き、白ハッピ姿の若者数十人がかつぎ、ヨイトサ、ヨイトサの掛け声で抜きつ抜かれつの光の絵巻きをくり広げるのです。

 大小8体と聞きます。
 小は、どんな感じでしょう。

さあ、見た事ないから詳しくは知らないです。

「ヨイトサ、ヨイトサ」の掛け声で、幾台もの光のピラミッドが、抜きつ抜かれつの共演を繰り広げる様子は、見ものだそうですよ。

 現地の人には、最上の悦楽という声も、あるそうですねえ。

 戸畑祇園大山笠行事の最大の特色は、姿を一変させるという趣向なのよね。

昼間の幟大山笠が、夜になると提灯大山笠に変身。
面白い事、考えるもんですね。

 飛幡八幡宮には、2つの山笠、菅原神社、中原八幡宮のそれぞれにも山笠があり、それぞれの地区でも運行されるそうですよ。

八幡とくれば、やはり秦氏が絡む祭りなのですね。

山口県下関市彦島の弟子待山の調査で、面白い記事を見つけました。
彦島ピラミッドの巨石
http://www.gainendesign.com/taizan/nippon/hiko002.html

頂上東側で確認された階段状構造。
写真ではかなり古そうな石積である。
この構造が頂上周囲に四方確認されれば、「階段状構造」のピラミッドとなる可能性がある。
彦島シリーズ第1集で言及した北九州地区の彦島関連の山の中で皿倉山(権現山)があるが、皿倉山頂上付近は戦前列石構造があったとの記録があるので、彦島のそれも階段状の 列石構造(北九州には神籠石;こうご石が多くある)の可能性がある。
是非とも今後のさらなる調査を期待したい。

北九州のピラミッド山車との関連はどうか、気になるところです。

彦島シリーズ第1集では、北九州の山として風師(風頭)山、戸ノ上山、足立山(霧ヶ岳)、皿倉山、権現山を彦島のピラミッド型の弟子待山を取り巻くピラミッド型の山として注目しています。

北九州を取り巻く古代ピラミッド文化は、山口県はもとより「九州、四国、中国地方までをも検討範囲」と指摘しているのは面白いです。

ピラミッド型と言えば、大里電照山笠と言うのが、やはりそうです。

電飾されるようになったのは、もちろん戦後ですけど。

太鼓の響きに踊る光で飾られた、大里電照山笠が北九州市の街をねりあるきます。

門司みなと祭とわっしょい百万夏まつりに花を添え、いつの時代も山笠が人の心を熱くします。

「大里電照山笠」で打ち鳴らす大里太鼓は、奉納太鼓として遠く一千年前、戸ノ上神社鎮座の頃から始まったとされています。

明治の中頃、太鼓の名人広光宮司が神殿で奉納する太鼓が人々の好感を呼び、春・秋の大祭が盛んになったのです。
 
昭和の一時期、とぎれていたのです。

昭和46年になって、地元の人々の懐旧の情から、郷土芸能として復活しました。
昭和61年から大里太鼓を乗せ、今日のように華やかに電照されるようになったと言うのです。

 まだ、北九州市界隈にはピラミッド型にこだわったものが、あるかも知れないですね。

このサイトでは「龍の壁」の存在を、弟子待山と言うピラミッドの謎を解く鍵と見ているのでヤマタノオロチ絡みで気になるのです。

そうそう、こんなサイトもあります。

日本のピラミッドと巨石を探る!
泰山の古代遺跡探訪記
http://www.gainendesign.com/taizan/

日本のピラミッド探訪、奥が深いですねえ。

追記

北九州市で、他にもどことなくピラミッド型を連想できる祇園山笠がありました。

黒崎祇園山笠です。

1968年(昭和43年)2月3日に県指定無形民俗文化財に指定されています。

黒崎祇園山笠記念館によると、「黒崎祇園の発祥を記録した最古のものが、八幡祇園原町の八束神社(仲宿神社に合併)の社伝として存在する。円融天皇天禄元年(970年)の夏、初めて祇園祭を行うとある。」そうです。

どのような山笠か、北九州エリアぐるりん観光ナビで見てみると面白いことが記されています。

黒崎祇園山笠

極彩色に飾られた華やかな人形山車が、ぐるぐると回転し始め、 さまざまな色彩が溶け合い、飛び散り、やがて山車の形が変わり、山車全体が舞を舞っているかのように踊り始めます。

黒崎祇園行事は、熊手須賀神社と藤田須賀神社の祭礼として、藩政時代から行われています。

祭に繰り出す山笠は、華やかな人形飾り山笠ですが、祭礼の幕開け行事のお汐井とりには笹山笠が出ます。

この笹山笠は、山笠の原型といわれるもので、黒崎祇園行事の特徴です。

お汐井とりの後、笹山笠は飾り山笠に衣替えし、華麗な祭を繰り広げます。

八幡と言えば、秦氏ゆかりの地や神社に見られる名前です。

秦氏にはユダヤ人キリスト教徒説が根強くあり、ユダヤ人と言えば出エジプトのイスラエルの南王朝の子孫です。

そして、ピラミッド、特にギザの三大ピラミッドは建造当時日の光を反射して輝いていたと見られているのです。

秦氏ゆかりの地に伝わる、光に包まれるピラミッド型の山笠はなんとも不思議な気がするのです。

北九州市には、小石提灯山笠と言うのもあります。

8月中旬小石小学校周辺で見られるそうです。

1953年を最後に姿を消した「小石提灯山笠」が1997年に復活したといいます。

昔は高さ12段にもなる光のピラミッドを、町内を担いで廻っていたそうです。

壮大な光景、見て見たかったですね。

流石は、かつて秦氏の一大勢力圏だった地域です。

もっと面白いものがありそうですね。

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情けについて考えてみました。

情けってなに?

ずーっと、思い続けていて今でも答えは出ていないです。

でも、最近感じてきたことがひとつだけあります。

それは、情けとは相手から心の底からの笑顔を引き出すために自分のできることをすることではないかということです。

 自分には何もない、何もできない、なんて思わないこと、そして、相手にも思わせないこと。

これが、情けの本質ではないかと…。

 晴れた空は、すがすがしい気持ちをくれる。

 曇った空は、少し休めといってくれる。

 雨の空は、泣いたっていいよと慰めてくれる。

 風は、喜怒哀楽はあたりまえといってくれる。

だから、人はふと空を眺めたくなるのではないのでしょうか。

 何もいわずに、すべてを受け止め、それで良いじゃないかといってくれる。

でも、空は何もしていないです。

生き物は癒してくれると、人はいいます。

でも、何もしてないです。

それなのに、いつの間にか笑顔をくれます。

居心地のよさを与えてくれます。

 情けは人のためならず。

そう、結局情けとは自分の居心地のよさのために周りから、心のそこからの笑顔を引き出すことではないのでしょうか。

 相手が何を心のそこで欲しているか、それに応えてこそ情け。

 情けとは甘やかしではなく、思いやること。

相手の持っている力を引き出す手助けをしてこそ、情けではないのでしょうか。

 なるほど、はっとしました。
 そうですね。
 同感です。

 自分ができうる限り、相手の気持ちに近くなれたら…。
 難しいけど、伝わるような気がしますね。

 気持ちの一生懸命さって、感じますものね。
 猫は何もしてくれないけど、心が落ち着きます。
 笑顔になれます。

 だから、どんな形でもそんな気持ちにさせてくれるのかしら。
 私の周りの人たちは、何かをしてくれているわけじゃないけど…。

 通じるやさしい気持ちを心のどこかに、いつも持っているからなんだろうなって思います。
 
 言葉があれば言葉、力があれば力、知恵があれば知恵、笑顔があれば笑顔、お金があればお金。

 無理をせず、自分ができることで相手の心からの笑顔を引き出すことこそ情け。

でも、じゃ、自分は何ができるか。

本当に相手が理解できるか。
別の宿題を、しょってしまった自分に気づき、思わず遠い目になってしまった自分がいます…。

 これは難しい・・・ 。

 宿題から逃げるわけじゃないけど、「本当に理解しよう、理解したい」という気持ちが相手に届けば、こで「少し何かできたこと」になるんじゃないかなあ。

共感の声が聞こえて、ちょっとほっとしました。

ありがたいです…。

 心通い合う優しさこそ、情けの軸になるってことでしょうか…。

 遠くを慮るか…かなたにいる友を。

 友あり遠方より来る…。

でも、、交通の便の割には今でもけっこう遠いのでしょうね。

 情けって、考えてみれば深い意味があるんですね。
 「情けない」っていうことばも、何気なく使っているけれど…。
 よく考えてみると、色々語れるのね。

何気ない一言も、思いを語りだすと結構な行数になるって改めて感じますね。

まだまだ奥があるのではないでしょうか。

情けとは、立心偏に青と書きます。
悲しみや喜びや怒りや嬉しさや、いろんな気持ちが混ざって流す涙に濡れたみずみずしい心、といいたいのかも、という感慨に浸ってしまいました。

 わたくしも、おっしゃる通りだと思います!
 言葉上の行き違いがあったとしても、それは気持ちとは関係無い。
 理解しよう、歩み寄ろうとする人の言葉を超えた気持ちの方が大切ですよね?

 神は「あなたが歩み寄りさえすれば、いつも傍に居る」ということですよね。

気持ちは痛いほど、切ないほど、わかります。

情けの心が、生きるも死ぬも、やはり、素直な心が鍵ではないのでしょうか…。

情けの本当にほしい、情けの本当に必要、そういう立場の人は、どういう心の状態なのでしょうか?

その心に届くには、どう接すれば良いのでしょうか。

 心の扉を開くには、本気の愛のある言葉、愛のこもった言葉でないと、かなわないのではないでしょうか。

「愛」は、「相」にも、「間」にも、「合い」にも、「逢い」にも、音が通じます。

 相手との間で、気持ちが合ってこそ、心のそこから出逢える、それが愛というメッセージが、ここにはこめられている、そんな気がします。

 みなさんの心温まるコメントにも、「情」を感じます。

 「心よ、届いてほしい」

 偽りのない気持ちがそこにあれば、いつかは願いがかなう。

 その祈るような気持ちが本物であれば、神のお力添えは必ずある。

 ここまできて、はじめて情けの心が届く、そんな気がします。

もしも、一度で届かなくても、何度もすれ違っても、あきらめない心、それが大切なのでしょうね。

神は愛のあるお方です。

けれども、また、試みられるお方です。

 神の助けがほしければ、本気が大切ということでしょうか。

そういえば、昔からあるお百度参りも、願いが本気であると神に伝えるものですね。

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ねぶたとハロウィン? かっちゃく、かっちゃぐとヨーロッパが見える? その2

『 引っかく、爪を立てる 』の意味で、北海道では「かっちゃく」、東北の広い範囲で「かっちゃぐ」と言います。

ところが「かっちゃぐ」は、出雲でも使うそうです。

出雲、つまり島根のお隣の岡山弁では「かなぐる」と言うそうです。

 こんなところも、出雲の辺りは東北に近いのですね。

 岡山の「かなぐる」って、「かっちゃぐ」の転化かも知れませんね。

 関西では言わないのかな?
 わたくしの母は、東北人だから「かっちゃく」って言うのですよ。
 わたくしも使いますがね。
 だいたい猫飼ってないし・・・ほとんど使う機会ないんですけどね。

以前、北海道の七夕で『ろうそくもらい』が行われていると言う話題を取り上げました。

 「ろうそくもらい」は、はるか昔に札幌で一度だけやりました。
 旧暦の七夕に、やるんだよね。
 花火大会もあったりして、東京と違うなぁって驚きました。

 掛け声にも、地域差があるそうですね。

比較的広範な地域で使われるパターンとしては、こんなのがあるようです。

「ローソク出ーせー出ーせーよー 出ーさーないとー かっちゃくぞー おーまーけーにー噛み付くぞー」
「ローソク出ーせー出ーせーよー 出ーさーないとー かっちゃくぞー おーまーけーにー喰い付くぞー」

もっと詳しくは、『ろうそくもらい』で検索してみてください。
いろいろ出ると思います。

「かっちゃく」「かっちゃぐ」の「かっち」は、ヨーロッパ各国語と比較して猫を指すのでは、と言う説を立てました。
北海道の『ろうそくもらい』を見ると、その予想は正しかったように思えます。

 「おーまーけーにー噛み付くぞー」「おーまーけーにー喰い付くぞー」、なるほど猫…。

 でも、何でろうそくと猫でしょ。

今でこそ、石油から採ったパラフィンで作るものが多いです。
でも、昔は天然素材から出来てました。

例えば蜜蝋です。
他にも、ハゼの実や、魚油から作るものもありました。

 魚油の匂うろうそく、猫が好きそうねえ。

良い匂い、だそうですねえ。

ハゼの実のうちで、蝋分は皮にあります。
皮と実を分離して、皮を蒸したりして搾ります。

 ろうそくは手間がかかるから、庶民には贅沢品だったでしょうね。

芯に何度でも塗り重ねて太くする、時間のかかる作業が要りますもの。

庶民は、菜種油などに植物性の芯を浸して明りに出来れば良い方だったかも。

 それで、化け猫が明り取りの油を舐めるなんて言う話があるのですねえ。

 そう言えば、クリーム好きの猫も欲しいのは脂だと聞きました。

 餡子好きの猫も、粒餡より漉し餡が好きな場合が多いのはクリームに近いからかな。

余計な手間を掛けた漉し餡は、クリームの代用だったら面白いですねえ。

 ここで、日本とヨーロッパの比較ですか。
 変なところで似てますね、日本とヨーロッパ。

 それより、ろうそくですが…。

多くの庶民は、囲炉裏端で夜なべしたのでしょうね。

 それで、『ろうそくもらい』なんて風習が、あったのかな。

 でも、他の地域では余り聞きませんね。

『ねぶた』や『ねぷた』、あと『竿灯』なども、もとは七夕の行事だったとの説もあります。

 ねぶたを曳く掛け声として知られる「ラッセ ラッセ ラッセラー」は、「ろうそく出せ 出せ 出せよー」が語源だそうですね。
 「イッペーラーセー」は「いっぱい出ーせー」で、「ヤーヤドー」は「おー いやいやよー」だとか。

光に纏わる行事が、東北各地の七夕で繰り広げられていたのかも知れませんね。

北海道は先住民のアイヌと、本州などから移り住んだ和人の土地です。

本州の古い風習が、北海道に残っている可能性はありますね。

 でも、なんで猫かという謎が残りますよ。

この猫も、禰子だったのでしょうかねえ。

 地方の祭司であった、野巫だったとか。
 それで、禰子が猫に引っ掛けて、からかわれたとか。

面白いけど、裏を取れる情報が欲しいですね。

 そう言えば、『ろうそくもらい』と『ハロウィン』は似ていましたね。

『ろうそくもらい』と『ハロウィン』は、要求どおりしないといたずらすると言う共通点がありますよね。

 そうなると、『ハロウィン』のお菓子は、猫が好きな風味だったのかなあ。

そこはまだ、調べる必要はありますけど。

 『ハロウィン』のカボチャは、気になりますね。

猫とカボチャには、妙な繋がりがありますものね。

さらに注目したいのは、猫がこどもに化ける言い伝えがある事です。

 『ハロウィン』のこどもが猫だとしたら、『ろうそくもらい』との印象はここでも重なりますねえ。

 『ハロウィン』のカボチャもまた猫としたら、『ろうそくもらい』でろうそくを欲しがった猫と重なってきますね。

 由来は、何なのでしょうねぇ。
 ねぷた、ハロウィン…。
 収まりきらない気持ちになります。

またしても、ヨーロッパと日本が繋がってしまいましたね。

追記

『ろうそくもらい』の掛け声は、ここを参考にさせていただきました。
Wikipedia『ローソクもらい』http://ja.wikipedia.org/wiki/ローソクもらい

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「いただきます」と「ごちそうさま」は誰に言ってる?

日本人は、食事のときよくこう言いますね。

「いただきます」「ごちそうさま」

 う~ん、なにげなく言っていますけどね。

これに対して、最近はこんな意見を言う人がいたそうですよ。

給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしいと。

この人は、給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくて良いではないかと、考えているらしいです。

 この人の家では、子どもに「いただきます」「ごちそうさま」を、どう教えているか、気になるね。

よそのお宅で食事をご馳走になるとき、どう言わせる気なのかです。

なかには、言いたいか言いたくないか好きにしたら良い、などという声まで出てるそうです。

 確かに、外食でいちいち、言ってる人いませんよね。
 言うべきと主張する人で、外食でもしてるって人、どのくらいいるかなあ。

時と場合によって、言わないこともありますよね。
でも、家にいて家族で食卓を囲んだとき、それも子どものいる家庭は、たいてい言うでしょ。

 そういえば。

キリスト教世界には、神に感謝してから食べる習慣のある家って、あるのかです。
ユダヤ教や、イスラム教は、どうなのかです。
 
 ユダヤ教は、どうでしょ。
 アラビア語圏には、受動的な言い方、つまり神に感謝、見たいな言い方はあるようですが。

「いただきます」「ごちそうさま」の一般的な解釈としては、こうなるみたいですね。

 あなたの命を、私の命としていただきます。
 つまり、食材になってくれた命に感謝したい、という気持ちを表す。

ほかにも、こういう意味を加えて解釈したりするでしょうね。

 大事な来客をもてなすために、馬に乗るなどして遠方にまで奔走して食材を調達した人達への感謝を表す。
 つまり、あなた達のおかげでこの食事が出来ることに感謝したい、という気持ちを表す。

これらの気持ちを忘れないで、日々の食事をすること自体は、良い事だと私は思うです。

 そうそう、あまりにも謙虚や謙遜、謙譲の気持ちって忘れていますもの。

 でもねえ、下手にすると、付け込まれたり、相手が傲慢になったり…。

 特に、文化の異なる外国との関係で、相手に誤解されて見下されてしまう恐れさえあったり…。

ええ、中南米古代文化など、あまりにお人よしに欧州人に応対した挙句の果てに王は殺されたし。

 でも、中国は逆に自国の文化と文明に奢り高ぶって、侵略と植民地化の餌食にされていった。

実際、中国は世界に誇れる技術を多く開発したからです。
当時の欧州など、比べ物にならないくらい。

でも、それは支配者のためだけの技術に留まってしまい、近代化には生かされなかったのです。

 その間に、欧州は技術の進歩が生産の発展を促し、生産の発展が技術の進歩を促し、経済と社会が発展、中国はすっかり後れを取ってしまった。
 でも、欧州は技術と経済の急速な発展に、精神文化の発展が追いつかないまま近代に突入してしまう。

欧州の植民地化の野蛮性は、技術と精神の落差が生んだ悲劇でもあったかです。

 そうかも…。

 日本が、植民地化競争に乗り出したのも、欧米に見下されないためにはそうするしかなかったからかなあ。  

日本は、そういう事態は避けたかったのかもです。

 自分のまねをしないものは容赦なく見下す、それが世界政治の現実とオットー・フォン・ビスマルクが諭してくれたんですよね。
 実際そうしたら、欧州の態度は180度転換した。

残念ながら、そうだったです。

脱線したでしょうね。

イスラム圏の人とかは、こんな疑問を持つようです。
 
「日本人が食事のときに『いただきます』と『ごちそうさま』と言うのは、神に対して言っているのか」

 イスラムに限らず、キリスト教徒もそう思うかもしれませんね。

 確かにキリスト教徒からみれば、神に対してとしかみえないでしょうね

 やっぱり、この食べ物を与えてくださったものと言う事でしょうか。

 キリスト教の神と、同じかどうかはともかく…。
 やっぱり、より大いなる存在に対する感謝なのでしょうね。

じゃ、考えて見ましょうか。

本来「いただきます」「ごちそうさま」は、上位の存在からいただいたことへの謙りの言葉です。
「頂(いただき)」とは、山や頭の一番高いところを言います。
そこから、「いただく」は頭上に載せる意味を表した語になるのです。

中世以降になると、「いただく」とか「もらう」は、謙譲の意味を持つようになっていくのです。

 上位の者から物を貰う際に、頭上に載せるような動作をしたことからですか。

そうでしょうね。

やがて、上位の者からもらった物や神仏に供えた物を飲食する際にも、頭上に載せるような動作をし食事する習慣が出来てきました。

そして、飲食をする意味の謙譲用法が生まれ、食事を始める際の挨拶として「いただきます」と言うようになったそうです。

 この上位とは、誰でしょうねえ。

文字通りの目上は、もちろんですよね。

 一家揃って、言いますよね。

 家父長から、こどもまで。

つまり、稼いで来て一家を養ってくれる親には言ってないわけですね。

 でも、作った本人である母親とかも言いますよね。

全部の食材を自前で賄っても、言うでしょうねえ。

 じゃあ、やっぱりあなたの命に感謝と言う事…。

 でも、魚や米が目上かと言うとちょっと変。

そうなると、この目上は神かです。

 でも、そうなると神に感謝して食事をするキリスト教と似てきますね。

またしても、聖書に辿り着いてしまったです。

 やっぱり、神様に言っているのでしょうね。
 自分たちが食べる前に、神棚や仏壇にお供えするでしょ。
 それから「いただきます」ですよね。

 食べるということは、生きるということ。
 食べる前に生かされていることに感謝するのでしょうね。

 究極は神様だけど、生かされていることに感謝だから…。

感謝する相手は、さまざまでしょうね。

 その食材そのもの、それを作ったりとったりしてくれた人、それを料理してくれた人にも。
 同時に、ご先祖様にも感謝するんでしょうね。

 食べることは、生きることの基本だから。
 自分を生かしてくれているすべての事物に、感謝するんじゃないかなぁ。

たいていの言葉は主語や目的語などが省けないので、それが何かを知りたいのかも。

 何か対象物が決まってないと、気が済まないのでしょうかね・・・。

特に何者に対して言いたいかはっきりさせないと、訳しようがないのは確かですよね。

聖書やコーランの文化圏では、神への感謝と受け取る解釈が一般的なので、日本にも似た感覚があるのかと思うのかも。

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