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九州ピラミッド地帯?

戸畑祇園大山笠って、知ってますか。

 北九州市の戸畑で、行われる行事でしょ。

 祇園って呼ばれる祭り、けっこうあちこちにあるようですね。

戸畑祇園大山笠は、国重要無形民族文化財に、昭和55年1月28日指定されたのです。

戸畑区一帯で毎年7月、第4土曜日をはさむ前後3日間行われるのです。

土曜日の夜は、戸畑区役所横の広場で提灯山笠競演会が開かれるのです。

 見に行くなら、西鉄バス、浅生通り下車が近いそうですね。

今から200年ほど前の事です。
現在の戸畑区は当時、鳥旗村と呼ばれていたのです。

 戸畑、鳥旗、どっちも音が似てますね。
 それと、畑と旗でしょ。

 そう言えば、あの辺りも秦氏の勢力がありませんでしたか。

そうです。

秦氏ゆかりの地の、一つですね。

鳥旗村で悪病が広がり、村びとは非常に苦しみ土地の祭神須賀大神に悪疫退散を祈願したところ直ちに平癒したのです。
それで、翌年村びとは山笠を作り盛大に解願行事をおこなったのです。

これが戸畑祇園大山笠行事の始まりです。

 京都の祇園祭は、千百年の伝統を有する八坂神社の祭礼ですよね。
 京都の祇園祭も、病気に関係して始まってますね。

 そう言えば、平安京も秦氏に関係の深い都ですねえ。

 祇園祭と秦氏、探るのも面白いかも。

京都の祇園祭は古くは、祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれたのです。

西暦869年、つまり貞観11年に京の都をはじめ、日本各地に疫病が流行した時だったのです。
「これは祇園牛頭天王の祟りである」として、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数である66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祭り、さらに神輿をも送って、災厄の除去を祈ったのです。

 それが、京都の祇園祭の始まりでしたね。

戸畑祇園大山笠ほど昼と夜の山笠の様相が、一変する山笠もめずらしいです。

 どう変わるのですか。

昼間は、幟大山笠です。

12本の幟が立てられるのです。
 
 京都の祇園祭で、当時の国の数である66ヶ国にちなんで66本の鉾を立てた事に対応していそうですね。
 でも、幟12本って、いったいなんのつもりですかねえ…。

 まさか、イスラエル12支族だったりして。

十二支かも、知れないですけど。

夜になると、提灯をピラミッド型に飾り、提灯大山笠へと変身します。

 ここは、京都の祇園祭で、さらに神輿を送った事に当たりそうね。
 だけど、提灯をピラミッド型にするのは、なんででしょ。

 出エジプトで見た、ピラミッドなんてのは。

 光るのは、弟子の前で光って見せたイエスとかね。

ピラミッドに似てるのは神奈備山、光るのは太陽神とも見えますね。

昼の幟大山笠を解体し、高さ約10m、12段、309個の提灯をピラミッド型に飾るです。
鉢巻き、白ハッピ姿の若者数十人がかつぎ、ヨイトサ、ヨイトサの掛け声で抜きつ抜かれつの光の絵巻きをくり広げるのです。

 大小8体と聞きます。
 小は、どんな感じでしょう。

さあ、見た事ないから詳しくは知らないです。

「ヨイトサ、ヨイトサ」の掛け声で、幾台もの光のピラミッドが、抜きつ抜かれつの共演を繰り広げる様子は、見ものだそうですよ。

 現地の人には、最上の悦楽という声も、あるそうですねえ。

 戸畑祇園大山笠行事の最大の特色は、姿を一変させるという趣向なのよね。

昼間の幟大山笠が、夜になると提灯大山笠に変身。
面白い事、考えるもんですね。

 飛幡八幡宮には、2つの山笠、菅原神社、中原八幡宮のそれぞれにも山笠があり、それぞれの地区でも運行されるそうですよ。

八幡とくれば、やはり秦氏が絡む祭りなのですね。

山口県下関市彦島の弟子待山の調査で、面白い記事を見つけました。
彦島ピラミッドの巨石
http://www.gainendesign.com/taizan/nippon/hiko002.html

頂上東側で確認された階段状構造。
写真ではかなり古そうな石積である。
この構造が頂上周囲に四方確認されれば、「階段状構造」のピラミッドとなる可能性がある。
彦島シリーズ第1集で言及した北九州地区の彦島関連の山の中で皿倉山(権現山)があるが、皿倉山頂上付近は戦前列石構造があったとの記録があるので、彦島のそれも階段状の 列石構造(北九州には神籠石;こうご石が多くある)の可能性がある。
是非とも今後のさらなる調査を期待したい。

北九州のピラミッド山車との関連はどうか、気になるところです。

彦島シリーズ第1集では、北九州の山として風師(風頭)山、戸ノ上山、足立山(霧ヶ岳)、皿倉山、権現山を彦島のピラミッド型の弟子待山を取り巻くピラミッド型の山として注目しています。

北九州を取り巻く古代ピラミッド文化は、山口県はもとより「九州、四国、中国地方までをも検討範囲」と指摘しているのは面白いです。

ピラミッド型と言えば、大里電照山笠と言うのが、やはりそうです。

電飾されるようになったのは、もちろん戦後ですけど。

太鼓の響きに踊る光で飾られた、大里電照山笠が北九州市の街をねりあるきます。

門司みなと祭とわっしょい百万夏まつりに花を添え、いつの時代も山笠が人の心を熱くします。

「大里電照山笠」で打ち鳴らす大里太鼓は、奉納太鼓として遠く一千年前、戸ノ上神社鎮座の頃から始まったとされています。

明治の中頃、太鼓の名人広光宮司が神殿で奉納する太鼓が人々の好感を呼び、春・秋の大祭が盛んになったのです。
 
昭和の一時期、とぎれていたのです。

昭和46年になって、地元の人々の懐旧の情から、郷土芸能として復活しました。
昭和61年から大里太鼓を乗せ、今日のように華やかに電照されるようになったと言うのです。

 まだ、北九州市界隈にはピラミッド型にこだわったものが、あるかも知れないですね。

このサイトでは「龍の壁」の存在を、弟子待山と言うピラミッドの謎を解く鍵と見ているのでヤマタノオロチ絡みで気になるのです。

そうそう、こんなサイトもあります。

日本のピラミッドと巨石を探る!
泰山の古代遺跡探訪記
http://www.gainendesign.com/taizan/

日本のピラミッド探訪、奥が深いですねえ。

追記

北九州市で、他にもどことなくピラミッド型を連想できる祇園山笠がありました。

黒崎祇園山笠です。

1968年(昭和43年)2月3日に県指定無形民俗文化財に指定されています。

黒崎祇園山笠記念館によると、「黒崎祇園の発祥を記録した最古のものが、八幡祇園原町の八束神社(仲宿神社に合併)の社伝として存在する。円融天皇天禄元年(970年)の夏、初めて祇園祭を行うとある。」そうです。

どのような山笠か、北九州エリアぐるりん観光ナビで見てみると面白いことが記されています。

黒崎祇園山笠

極彩色に飾られた華やかな人形山車が、ぐるぐると回転し始め、 さまざまな色彩が溶け合い、飛び散り、やがて山車の形が変わり、山車全体が舞を舞っているかのように踊り始めます。

黒崎祇園行事は、熊手須賀神社と藤田須賀神社の祭礼として、藩政時代から行われています。

祭に繰り出す山笠は、華やかな人形飾り山笠ですが、祭礼の幕開け行事のお汐井とりには笹山笠が出ます。

この笹山笠は、山笠の原型といわれるもので、黒崎祇園行事の特徴です。

お汐井とりの後、笹山笠は飾り山笠に衣替えし、華麗な祭を繰り広げます。

八幡と言えば、秦氏ゆかりの地や神社に見られる名前です。

秦氏にはユダヤ人キリスト教徒説が根強くあり、ユダヤ人と言えば出エジプトのイスラエルの南王朝の子孫です。

そして、ピラミッド、特にギザの三大ピラミッドは建造当時日の光を反射して輝いていたと見られているのです。

秦氏ゆかりの地に伝わる、光に包まれるピラミッド型の山笠はなんとも不思議な気がするのです。

北九州市には、小石提灯山笠と言うのもあります。

8月中旬小石小学校周辺で見られるそうです。

1953年を最後に姿を消した「小石提灯山笠」が1997年に復活したといいます。

昔は高さ12段にもなる光のピラミッドを、町内を担いで廻っていたそうです。

壮大な光景、見て見たかったですね。

流石は、かつて秦氏の一大勢力圏だった地域です。

もっと面白いものがありそうですね。

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コメント

これは面白いサイトを発見した。
私も、遺伝子やら宗教の興りとかも含めて人類の共通性と地域による変化に強い関心を持っています。
インカ人と縄文人の遺伝子が共通する所が非常に多いとか、ネアンデルタール人は言葉を持っていなかったなどetc。
よく調べられていて感心します。偏見も有ると思いますが、凄く共感させられます。
追伸
漢字にはフリガナを振っていただけると助かる部分が多いです。(汗)

投稿: ハリー | 2009年7月 9日 (木) 11時34分

固有名詞なんか、振り仮名あった方が良いかもしれないですね=^^;=

興味のおもむくままにやってる、迷路みたいなブログですがよかったら楽しんでくださいね。

投稿: cova | 2009年7月 9日 (木) 14時56分

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