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情けについて考えてみました。

情けってなに?

ずーっと、思い続けていて今でも答えは出ていないです。

でも、最近感じてきたことがひとつだけあります。

それは、情けとは相手から心の底からの笑顔を引き出すために自分のできることをすることではないかということです。

 自分には何もない、何もできない、なんて思わないこと、そして、相手にも思わせないこと。

これが、情けの本質ではないかと…。

 晴れた空は、すがすがしい気持ちをくれる。

 曇った空は、少し休めといってくれる。

 雨の空は、泣いたっていいよと慰めてくれる。

 風は、喜怒哀楽はあたりまえといってくれる。

だから、人はふと空を眺めたくなるのではないのでしょうか。

 何もいわずに、すべてを受け止め、それで良いじゃないかといってくれる。

でも、空は何もしていないです。

生き物は癒してくれると、人はいいます。

でも、何もしてないです。

それなのに、いつの間にか笑顔をくれます。

居心地のよさを与えてくれます。

 情けは人のためならず。

そう、結局情けとは自分の居心地のよさのために周りから、心のそこからの笑顔を引き出すことではないのでしょうか。

 相手が何を心のそこで欲しているか、それに応えてこそ情け。

 情けとは甘やかしではなく、思いやること。

相手の持っている力を引き出す手助けをしてこそ、情けではないのでしょうか。

 なるほど、はっとしました。
 そうですね。
 同感です。

 自分ができうる限り、相手の気持ちに近くなれたら…。
 難しいけど、伝わるような気がしますね。

 気持ちの一生懸命さって、感じますものね。
 猫は何もしてくれないけど、心が落ち着きます。
 笑顔になれます。

 だから、どんな形でもそんな気持ちにさせてくれるのかしら。
 私の周りの人たちは、何かをしてくれているわけじゃないけど…。

 通じるやさしい気持ちを心のどこかに、いつも持っているからなんだろうなって思います。
 
 言葉があれば言葉、力があれば力、知恵があれば知恵、笑顔があれば笑顔、お金があればお金。

 無理をせず、自分ができることで相手の心からの笑顔を引き出すことこそ情け。

でも、じゃ、自分は何ができるか。

本当に相手が理解できるか。
別の宿題を、しょってしまった自分に気づき、思わず遠い目になってしまった自分がいます…。

 これは難しい・・・ 。

 宿題から逃げるわけじゃないけど、「本当に理解しよう、理解したい」という気持ちが相手に届けば、こで「少し何かできたこと」になるんじゃないかなあ。

共感の声が聞こえて、ちょっとほっとしました。

ありがたいです…。

 心通い合う優しさこそ、情けの軸になるってことでしょうか…。

 遠くを慮るか…かなたにいる友を。

 友あり遠方より来る…。

でも、、交通の便の割には今でもけっこう遠いのでしょうね。

 情けって、考えてみれば深い意味があるんですね。
 「情けない」っていうことばも、何気なく使っているけれど…。
 よく考えてみると、色々語れるのね。

何気ない一言も、思いを語りだすと結構な行数になるって改めて感じますね。

まだまだ奥があるのではないでしょうか。

情けとは、立心偏に青と書きます。
悲しみや喜びや怒りや嬉しさや、いろんな気持ちが混ざって流す涙に濡れたみずみずしい心、といいたいのかも、という感慨に浸ってしまいました。

 わたくしも、おっしゃる通りだと思います!
 言葉上の行き違いがあったとしても、それは気持ちとは関係無い。
 理解しよう、歩み寄ろうとする人の言葉を超えた気持ちの方が大切ですよね?

 神は「あなたが歩み寄りさえすれば、いつも傍に居る」ということですよね。

気持ちは痛いほど、切ないほど、わかります。

情けの心が、生きるも死ぬも、やはり、素直な心が鍵ではないのでしょうか…。

情けの本当にほしい、情けの本当に必要、そういう立場の人は、どういう心の状態なのでしょうか?

その心に届くには、どう接すれば良いのでしょうか。

 心の扉を開くには、本気の愛のある言葉、愛のこもった言葉でないと、かなわないのではないでしょうか。

「愛」は、「相」にも、「間」にも、「合い」にも、「逢い」にも、音が通じます。

 相手との間で、気持ちが合ってこそ、心のそこから出逢える、それが愛というメッセージが、ここにはこめられている、そんな気がします。

 みなさんの心温まるコメントにも、「情」を感じます。

 「心よ、届いてほしい」

 偽りのない気持ちがそこにあれば、いつかは願いがかなう。

 その祈るような気持ちが本物であれば、神のお力添えは必ずある。

 ここまできて、はじめて情けの心が届く、そんな気がします。

もしも、一度で届かなくても、何度もすれ違っても、あきらめない心、それが大切なのでしょうね。

神は愛のあるお方です。

けれども、また、試みられるお方です。

 神の助けがほしければ、本気が大切ということでしょうか。

そういえば、昔からあるお百度参りも、願いが本気であると神に伝えるものですね。

ポチッとよろしく!

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