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「いただきます」と「ごちそうさま」は誰に言ってる?

日本人は、食事のときよくこう言いますね。

「いただきます」「ごちそうさま」

 う~ん、なにげなく言っていますけどね。

これに対して、最近はこんな意見を言う人がいたそうですよ。

給食の時間に、うちの子には『いただきます』と言わせないでほしいと。

この人は、給食費をちゃんと払っているんだから、言わなくて良いではないかと、考えているらしいです。

 この人の家では、子どもに「いただきます」「ごちそうさま」を、どう教えているか、気になるね。

よそのお宅で食事をご馳走になるとき、どう言わせる気なのかです。

なかには、言いたいか言いたくないか好きにしたら良い、などという声まで出てるそうです。

 確かに、外食でいちいち、言ってる人いませんよね。
 言うべきと主張する人で、外食でもしてるって人、どのくらいいるかなあ。

時と場合によって、言わないこともありますよね。
でも、家にいて家族で食卓を囲んだとき、それも子どものいる家庭は、たいてい言うでしょ。

 そういえば。

キリスト教世界には、神に感謝してから食べる習慣のある家って、あるのかです。
ユダヤ教や、イスラム教は、どうなのかです。
 
 ユダヤ教は、どうでしょ。
 アラビア語圏には、受動的な言い方、つまり神に感謝、見たいな言い方はあるようですが。

「いただきます」「ごちそうさま」の一般的な解釈としては、こうなるみたいですね。

 あなたの命を、私の命としていただきます。
 つまり、食材になってくれた命に感謝したい、という気持ちを表す。

ほかにも、こういう意味を加えて解釈したりするでしょうね。

 大事な来客をもてなすために、馬に乗るなどして遠方にまで奔走して食材を調達した人達への感謝を表す。
 つまり、あなた達のおかげでこの食事が出来ることに感謝したい、という気持ちを表す。

これらの気持ちを忘れないで、日々の食事をすること自体は、良い事だと私は思うです。

 そうそう、あまりにも謙虚や謙遜、謙譲の気持ちって忘れていますもの。

 でもねえ、下手にすると、付け込まれたり、相手が傲慢になったり…。

 特に、文化の異なる外国との関係で、相手に誤解されて見下されてしまう恐れさえあったり…。

ええ、中南米古代文化など、あまりにお人よしに欧州人に応対した挙句の果てに王は殺されたし。

 でも、中国は逆に自国の文化と文明に奢り高ぶって、侵略と植民地化の餌食にされていった。

実際、中国は世界に誇れる技術を多く開発したからです。
当時の欧州など、比べ物にならないくらい。

でも、それは支配者のためだけの技術に留まってしまい、近代化には生かされなかったのです。

 その間に、欧州は技術の進歩が生産の発展を促し、生産の発展が技術の進歩を促し、経済と社会が発展、中国はすっかり後れを取ってしまった。
 でも、欧州は技術と経済の急速な発展に、精神文化の発展が追いつかないまま近代に突入してしまう。

欧州の植民地化の野蛮性は、技術と精神の落差が生んだ悲劇でもあったかです。

 そうかも…。

 日本が、植民地化競争に乗り出したのも、欧米に見下されないためにはそうするしかなかったからかなあ。  

日本は、そういう事態は避けたかったのかもです。

 自分のまねをしないものは容赦なく見下す、それが世界政治の現実とオットー・フォン・ビスマルクが諭してくれたんですよね。
 実際そうしたら、欧州の態度は180度転換した。

残念ながら、そうだったです。

脱線したでしょうね。

イスラム圏の人とかは、こんな疑問を持つようです。
 
「日本人が食事のときに『いただきます』と『ごちそうさま』と言うのは、神に対して言っているのか」

 イスラムに限らず、キリスト教徒もそう思うかもしれませんね。

 確かにキリスト教徒からみれば、神に対してとしかみえないでしょうね

 やっぱり、この食べ物を与えてくださったものと言う事でしょうか。

 キリスト教の神と、同じかどうかはともかく…。
 やっぱり、より大いなる存在に対する感謝なのでしょうね。

じゃ、考えて見ましょうか。

本来「いただきます」「ごちそうさま」は、上位の存在からいただいたことへの謙りの言葉です。
「頂(いただき)」とは、山や頭の一番高いところを言います。
そこから、「いただく」は頭上に載せる意味を表した語になるのです。

中世以降になると、「いただく」とか「もらう」は、謙譲の意味を持つようになっていくのです。

 上位の者から物を貰う際に、頭上に載せるような動作をしたことからですか。

そうでしょうね。

やがて、上位の者からもらった物や神仏に供えた物を飲食する際にも、頭上に載せるような動作をし食事する習慣が出来てきました。

そして、飲食をする意味の謙譲用法が生まれ、食事を始める際の挨拶として「いただきます」と言うようになったそうです。

 この上位とは、誰でしょうねえ。

文字通りの目上は、もちろんですよね。

 一家揃って、言いますよね。

 家父長から、こどもまで。

つまり、稼いで来て一家を養ってくれる親には言ってないわけですね。

 でも、作った本人である母親とかも言いますよね。

全部の食材を自前で賄っても、言うでしょうねえ。

 じゃあ、やっぱりあなたの命に感謝と言う事…。

 でも、魚や米が目上かと言うとちょっと変。

そうなると、この目上は神かです。

 でも、そうなると神に感謝して食事をするキリスト教と似てきますね。

またしても、聖書に辿り着いてしまったです。

 やっぱり、神様に言っているのでしょうね。
 自分たちが食べる前に、神棚や仏壇にお供えするでしょ。
 それから「いただきます」ですよね。

 食べるということは、生きるということ。
 食べる前に生かされていることに感謝するのでしょうね。

 究極は神様だけど、生かされていることに感謝だから…。

感謝する相手は、さまざまでしょうね。

 その食材そのもの、それを作ったりとったりしてくれた人、それを料理してくれた人にも。
 同時に、ご先祖様にも感謝するんでしょうね。

 食べることは、生きることの基本だから。
 自分を生かしてくれているすべての事物に、感謝するんじゃないかなぁ。

たいていの言葉は主語や目的語などが省けないので、それが何かを知りたいのかも。

 何か対象物が決まってないと、気が済まないのでしょうかね・・・。

特に何者に対して言いたいかはっきりさせないと、訳しようがないのは確かですよね。

聖書やコーランの文化圏では、神への感謝と受け取る解釈が一般的なので、日本にも似た感覚があるのかと思うのかも。

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