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試す者としての悪魔(akuma)?

悪魔(akuma)をややこしくしている原因の一つは、悪魔(akuma)の多様さにあります。

 さまざまな民族の神が、貶められた存在としての邪神も悪魔(akuma)には混ざっているよね。

ここでは、聖書やコーランの悪魔(akuma)を考えて見たいです。

 今、悪魔(akuma)と言えば聖書やコーラン関係を指すからですか。

聖書の悪魔(akuma)がサタンと混同される最大の根拠は、イエスの試しにあると言えるかも。

 そうそう、イエスは悪魔(akuma)に試されますよねえ。

 そして最後に「サタンよ立ち去れ」と、言い放ち試しは終わりますね。

でも、変でしょ。

悪魔(akuma)とサタンが同じなら、イエスは、どうしてサタンを倒しにいかず試されに行くのでしょうね。

 そうですね。

 まるで、練習試合みたいに悪魔(akuma)と会いに行くのですもの。

でしょ。

サッカー国際大会の代表選手同士、本戦前の練習試合や交流試合をします。
それと、同じような感じさえ受けるでしょ。

 今回も、悪魔(akuma)とサタンですか。

悪魔(akuma)そのものについて、改めて考えてみたいのです。

 また、厄介なネタを…。

聖書では、悪魔(akuma)としか記されないです。
ところがコーランでは、イブリース(Iblis)と言う名称を明かされています。

 アッラーとイブリース。
 
 アダムとイブに、奇妙に似てますね。

 そう言えば、イブの方から蛇の誘いに乗ってるし…。

陽のアダムやアッラーと、陰のイブやイブリースと言う対比、くらいに見ておいてくださいな。

 陰陽が、ここでも大事な原理原則。
 
『ヨハネの黙示録』には、奈落の王アバドン(Abaddon)が登場します。
ヘブル語で、「破壊」「奈落の底」「滅ぼす者」を意味します。

 コーランでも、アッラーが罪人に対しイブリースに渡すと諭す箇所がありますね。

 イブリース、アバドン、転化したとしか思えないくらい音が似てますね。

明らかに、陽のアッラーに対する陰の存在として、イブリースもアバドンも位置づけられていますよね。

 じゃ、コーランのイブリース、聖書のアバドン、同じと見て良いの。

名前と位置づけが近いです。
区別する理由は、ないですよね。

 仏教で言う、閻魔。
 イブリース、アバドンと並べると位置づけと音が似ていますね。

 特にアバドン、位置づけが似過ぎ…。

起源を、共有している可能性はありえますよね。

 語源も、でしょ。

ありえますよね。

 だから、悪魔(akuma)は神の一員と言い続ける訳ね。

悪魔(akuma)は神の一員だからこそ、イエスは安心して試されたのかも。

 試されることは、神の神々しさを強調することになるんですよね。
 試しがなければ、有り難味も薄れましょう。

試しこそ、さまざまな気づきをくれる神のお諭しと言えるかも。

ポチッとよろしく!

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コメント

なんたる不覚!
ってか、covaさん、こんなところに
ブログお持ちとは存じませんで
失礼いたしました~~~

悪魔ですか。
陰と陽。
太陽の光によって生命を吹き込まれた星に
生きるものは
世界のどこにいても同じ概念をもつのでしょうね。
光は恵みを。
闇は試練を。

時に、光が辛く思え
暗闇に安らぎを見出すこともあるのは
神と悪魔の源流をたどれば
同じところに行きつくからなのかもしれませんね。
って、脱線かな。

投稿: しまねこ | 2009年8月 1日 (土) 17時15分

いえいえ。

ヨーロッパでは、古代から悪魔とされた神々は崇拝されてきました。

日本でも、なまはげの仲間たちはヨーロッパの悪魔たちと同様な存在として、親しまれてきました。

サタンと悪魔を混同し続ける人は、神とサタンの区別さえ、見失うことになっています。

その混同を正したいというのも、ブログ立ち上げの目的の一つです。

投稿: cova | 2009年8月 2日 (日) 08時30分

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