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2009年7月

試す者としての悪魔(akuma)?

悪魔(akuma)をややこしくしている原因の一つは、悪魔(akuma)の多様さにあります。

 さまざまな民族の神が、貶められた存在としての邪神も悪魔(akuma)には混ざっているよね。

ここでは、聖書やコーランの悪魔(akuma)を考えて見たいです。

 今、悪魔(akuma)と言えば聖書やコーラン関係を指すからですか。

聖書の悪魔(akuma)がサタンと混同される最大の根拠は、イエスの試しにあると言えるかも。

 そうそう、イエスは悪魔(akuma)に試されますよねえ。

 そして最後に「サタンよ立ち去れ」と、言い放ち試しは終わりますね。

でも、変でしょ。

悪魔(akuma)とサタンが同じなら、イエスは、どうしてサタンを倒しにいかず試されに行くのでしょうね。

 そうですね。

 まるで、練習試合みたいに悪魔(akuma)と会いに行くのですもの。

でしょ。

サッカー国際大会の代表選手同士、本戦前の練習試合や交流試合をします。
それと、同じような感じさえ受けるでしょ。

 今回も、悪魔(akuma)とサタンですか。

悪魔(akuma)そのものについて、改めて考えてみたいのです。

 また、厄介なネタを…。

聖書では、悪魔(akuma)としか記されないです。
ところがコーランでは、イブリース(Iblis)と言う名称を明かされています。

 アッラーとイブリース。
 
 アダムとイブに、奇妙に似てますね。

 そう言えば、イブの方から蛇の誘いに乗ってるし…。

陽のアダムやアッラーと、陰のイブやイブリースと言う対比、くらいに見ておいてくださいな。

 陰陽が、ここでも大事な原理原則。
 
『ヨハネの黙示録』には、奈落の王アバドン(Abaddon)が登場します。
ヘブル語で、「破壊」「奈落の底」「滅ぼす者」を意味します。

 コーランでも、アッラーが罪人に対しイブリースに渡すと諭す箇所がありますね。

 イブリース、アバドン、転化したとしか思えないくらい音が似てますね。

明らかに、陽のアッラーに対する陰の存在として、イブリースもアバドンも位置づけられていますよね。

 じゃ、コーランのイブリース、聖書のアバドン、同じと見て良いの。

名前と位置づけが近いです。
区別する理由は、ないですよね。

 仏教で言う、閻魔。
 イブリース、アバドンと並べると位置づけと音が似ていますね。

 特にアバドン、位置づけが似過ぎ…。

起源を、共有している可能性はありえますよね。

 語源も、でしょ。

ありえますよね。

 だから、悪魔(akuma)は神の一員と言い続ける訳ね。

悪魔(akuma)は神の一員だからこそ、イエスは安心して試されたのかも。

 試されることは、神の神々しさを強調することになるんですよね。
 試しがなければ、有り難味も薄れましょう。

試しこそ、さまざまな気づきをくれる神のお諭しと言えるかも。

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自助努力ってなに?

自助努力論なんて、政治の責任放棄ではないでしょうか。

 なんで。

 努力しなければ、先にも進めないし、上にも上がれないはずでしょう。

建前としては、仰るとおりです。

 現在、無産階級のワタクシが発言してもね。
 ちょいと説得力ないんですが・・・。

 「あんまり国に期待しない」努力は、した方が良いと思います。

自助努力論者や自己責任論者が、声高に叫んでいる実態をみれば確かに政治をあてにしたくない気持ちは分かるのです。

 一見もっともらしいですよ。
 彼らの意見は。

自助努力を強調すると、政府は、何の為に要るかと言う疑問に突き当たるでしょ。

  本当ねえ・・・何のために要るんだろう?

自助努力や自己責任は、当たり前すぎですよね。

 それで足りない部分があるから、政府が要るのでしょ。

自助努力論者や自己責任論者も、いざとなったら「社会的影響」を口実に、公的資金を要求するのは見え見えです。

頑張ってきたのに、誰もが認める才能があるのに、進学を断念する人が出るのは、なぜですか。

 それは、お金が無いからでしょ。

 お金が無いなら、稼げば良いのでは。

その子が、中学生でもですか。

 親が頑張らないと。

一方の親は、頑張っていたら無理が祟って病気だったら。

 それでも、もう一方の親が居るでしょ。

勤め先の経営不振で解雇され、子どもと配偶者の世話が出来る短時間のアルバイトで低収入だったら。

 定時制や通信制だって、あるでしょう。

中学校卒業でできる仕事なんて、今どきの先進国にどれだけありますか。

 奨学金だって。

借金でしょ。
卒業後、働いて返す。

 もっと、進学支援が充実しないとねえ。

 高等学校卒業でできる仕事なんて、今どきの先進国にどれだけありますか。

 あ、これさっきのあなたの言い分と大差ない。

努力しなければ、先にも進めないし、上にも上がれないはずでしょう。

 国民だけじゃなく、政治も努力しないとだめでしょう。
 
 あ、これもさっきのあなたの言い分と大差ない。

政治と国民、どっちも自助努力がいるって事ですねえ。

 国民がそういう政治を実現する、自助努力をしないとだめでしょ。

結局、国民に自助努力を求めますか。

 努力する政治家を選ぶ努力を、国民がしないからダメなんだと思うよ。
 まずは選挙にいこうよ。

 まず、ちゃんと選ぶ。

まさに、求めよされば与えられん、ですね。

追記

こんなツィートがありました。

自己責任論者がすべてこんなと思いたくないが、悲しいかなこれが現実です。

2009年、田母神俊雄は年収が1億円に迫ると述べた。

2013年1月9日、田母神は県外避難を望む福島県民に「人の支援を得て避難することが当然という風潮はおかしい」「甘えるな」と述べた。

翌年、都知事選に立候補した田母神は「皆様方の資金協力をお願いできれば幸いです」とカンパを募った。

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やっぱり気になる二人の美人。

開港当時の横浜。

一人の娘が居ました。
名を“はな”といいました。

古物商の娘であった彼女に、フランス人軍人は一目ぼれ。

娘に是非とせがみ、髪を結うところを見せてもらいます。

肩まで伸びる黒髪は優しくなびき、若きフランス軍人の心にも巻きついたのかも。

素のままの彼女を、名前のように花そのもの、と称えたのです。

はなは、見よう見まねで西洋風の巻き髮を結い上げました。

はなの西洋風の髪型は、フランスの青年ばかりか、近隣の娘たちの心もとらえたようですね。

禁断のはなの恋物語、顛末は横浜で調べてみてくださいな。

 また、それいう。

一つ目に注目したいのは、髪型です。

はなが見よう見まねで結った西洋風巻き髪は、由来をどこに求められるでしょうね。

 古代以前のヨーロッパでは、ないの。

西洋風に結い上げた巻き髪は、起源をギリシャ彫刻に求めたら間違えでしょうかね。

 古代文化以前のヨーロッパ、どんな髪型だったのかなあ。
 束ねるだけとか。

ありかも。

 つまり、ヨーロッパの巻き髪は、古代やルネッサンスに遡るだろうと。

一方、日本髪も、結い上げた巻き髪といえませんか。

 いえますね。

巻き髪を結い上げて、飾り付けるのはギリシャと日本に共通なようですね。

 はなは、ギリシャ風に結い上げた髪が似合った娘。

 フランスの若者の心は、はなの美しさを絶賛してますね。

二つ目の注目は、はなの顔。

 フランスの若者をとりこにした、はなの顔。

 自分にないところに惹かれるというのも、ありますよ。

だいたいは、似た者同士で惹かれ合うのでは。

 そうね。

 ということは、“はな”はヨーロッパ風の顔?

土方歳三の、洋装写真知っていますか。

 土方歳三、かっこいいじゃない。
 
陸奥宗光は、外務大臣として不平等条約の改正、いわゆる条約改正に辣腕を振いました。
でも、私の気になるのは婦人の陸奥亮子ですよ。

 凄い美人!

 これじゃ、だれだって気になりますよ!

 まさに、外交の陰に美女あり、ですねえ。

陸奥亮子は、その美貌と聡明さによって、「ワシントン社交界の華」と呼ばれましたよね。

江戸で生まれた陸奥亮子は、没落士族の旗本であった金田蔀の長女でした。

 金田姓は、金姓からの変更が多いという声もありますが。

 陸奥亮子の出自である金田姓を調べると、面白いかもね。

わかった範囲で見ると、金田姓は千葉や長野につながっているようです。

 千葉一体も、秦氏の勢力下だったね。

 長野も、諏訪とか謎だらけ。
 諏訪も秦氏とのかんけい、ありますよね。

それにつけても、古物商の娘。
気になりますねえ。

 そっちか。

わるい?

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どういう意味で、イエスは人の子だったのか?

イエスは、なぜ、人の子と仰ったと思いますか。

 実際、人の子だったのでしょ。

 受肉と言う点では、一般の我々も実は受肉なのではないでしょうか。

なるほど。

神によって、母として選ばれたマリアは受胎されてますね。

 処女として、生命を宿した訳でしょ。

 神は、仰いましたよね。

 あなたは土から生まれたから、土に帰る。
 あなたは塵から生まれたから、塵に帰る。

 つまり、マリアの受肉と神の息を受け取った事は、等しいと見て良い。

アダムは、土から生まれたと聖書は伝えますからね。
 
 ええ。

受肉は、生命の樹の第一段階と見て良いと言いたいのですね。

 生命の樹と、門松はそっくりでしょ。

門松の真ん中の竹は、四つの節で五段です。

 そして、左右は三つの節で四段。
 あわせて、十個の節ですね。

そうですね。

 でも、五段目は地面に接するでしょ。

 天に属するのは、残り四段階で三つの節。

 その第一の節に当たるのが、誕生と見ました。

ヨーロッパで、地面に接する階はGroundと言いますよね。
気になりませんか。

 Groundは階数に数えず、その次から一階、二階と数えますね。

 子どもも、生後一年は月齢で数え、一年たって、始めて一歳児と年齢で呼ばれる。

 関係、あるのかしら。

ありそうですねえ。
 
 そう言えば、高床式なら、階段を上がって始めて建物に入る。

 生命の樹も、同じように考えた…。

そんなところかも、知れませんね。
 
イエスは、十字架の死を受け入れ、復活されました。
これで、生命の樹の第二段階。

 イエスは、この段階で復活体を手に入れられたのかな。

復活したから、復活体でしょ。

 そのまんまでしょうが。

イエスは生きたまま、昇天なさいました。
これで、生命の樹の第三段階と見たいのですね。

 これではじめて、はれて至高の三角の一員になられたのではないでしょうか。

 至高の三角と呼ばれるのは、生命の樹の一番上の部分です。

真ん中の柱の一段高い点と、左右の柱の天辺を結ぶ三角ですね。

 昇天なされるまで、地上において「人の子」として預言者を勤められたとみたら、どうでしょ?

つまり、神と子と聖霊は、生命の樹の三段階ではないかと。
 
 光のエネルギーは、光速の自乗ですね。

これは、正四角形の式と同じですね。

 数学の基礎理論の一つに、確率論がありますよね。

正四角形の縦と横の掛け算を 可能性と現実性の掛け算をも意味すると、私は以前指摘しました。

 父と子と聖霊もまた、生命の樹の三段階にも対応するとしたらどうでしょう。
 可能性と現実性の掛け算で四角形をなすので、地は四角。

天人地を表すとされる、丸三角四角ですね。

 人の三角は、父と子と聖霊の三角なのかしら。

我々に似せて人を作ろう、と創世記にありますよ。

 神の国はあなた方のうちにある、これはイエスの言葉ですね。

天の丸は、完全の象徴の丸なのでしょうかね。

 これで、丸く収まった。

言われちゃいました。

 言っちゃいました。

 復活体になられたのは、モーセやエリヤも、そうでしょうか。

モーセ以後最大の預言者とみなされ、モーセと同じように死の記述が無いエリヤですね。

 もちろん、そうです。

 聖霊による清めも、産まれ直しと等しい訳でしょ。

おそらく、モーセもエリアも復活体になられたでしょ。
 
 モーセやエリヤは被昇天の段階では、まだ生命の樹の第二段階なんでしょうか。

だって、実際の死をまだ体験して無いでしょ。

 じゃ、どの時点で体験なさるのでしょ。

神様が、ご存知です。

 アッラー!

言われちゃいました。

 言っちゃいました。

生命の樹は、聖書の思想でも難問に入るから、よくわからないでも驚かないですよ。

 われわれの居る世界、生きたり死んだりする方が特殊なんでしょうね・・・。
 わざわざ受肉することも。

生きたり死んだりは、特殊ではないのです。

魂は、肉体の死と復活を体験しながら多くを学び、この世の全てを知る神の境地へと昇っていくというのが生命の樹の思想なようですね。

 魂には、肉体のような死が無いのかしら。

代わりに魂には、神に逆らったと看做されると神に退けられる滅びが、あるようですね。

 退けられる滅びが、裁きの悪魔による地獄行きに当たるのかな。

零から出直せという、諭しなのかも。

永遠の魂と言っても、前世とか来世ではなく、神に与えられた魂と体で永遠の修行をすると言う事らしいです。

それは、生命の樹は永遠の過去から永遠の未来に、何段も何段も、連なっているとされる処から想像できるのです。

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月のかさぶた?

国立天文台天文データセンター(http://www.adc.nao.ac.jp/)は、以前、国立天文台天文学データ解析計算センターと呼ばれていたようです。

ここからかつて、興味深い論文がでていたと言う情報を得ました。

この研究論文は、月や地球型惑星に多数あるクレーターに関するもので、現在見られる地球型惑星のクレーター形成の過程は、3段階に渡っているそうです。

この論文によると最初は原始惑星生成時、つぎに後期重爆撃期、そしてこれらより新しい時期にできたものだそうです。

解明!月の古いクレーターの起源
副題「小惑星のサイズ分布から探る古いクレーターの歴史」

米国アリゾナ大学月惑星科学科 と国立天文台三鷹の研究チームは、月や地球型惑星の表面にある約40億年前の古いクレーターを作った落下天体群と現在のメインベルト小惑星のサイズ頻度分布が極めて良く一致していることを明らかにしました。

今から約40億年前という時期には地球型惑星上に集中的な天体の落 下が数千万年から数億年にわたり継続していたとされる時期であり、特に「後期重爆撃期」と呼ばれています。後期重爆撃期を発生させた要因、及 びその時期に大量に落下して来た天体が小惑星だったのか彗星だったのか あるいは他の天体だったのか、等については従来から様々な説が乱れ飛び、明確な結論は得られていませんでした。

今回の研究結果は後期重爆撃期の 原因となった天体が彗星ではなく小惑星だったことを強く示すものであると同時に、重爆撃を発生せしめた力学的機構、そして地球型惑星と小惑星 の衝突史に関して幾つもの重要な示唆を与えてくれるものになるはずです。

結果は次のようにまとめられています。

 1・後期重爆撃期に形成されたであろう40億年前の古いクレーターを作った 衝突天体は、広いサイズ領域にわたって『現在のメインベルト小惑星』とほぼ 等しいサイズ分布を持っている。

 2・火星の北半球平原に多く見られるような,後期重爆撃期よりもずっと若くて様々な年齢を持つクレーターを作った衝突天体のサイズ分布は、メインベルト 小惑星ではなく現在の近地球小惑星のそれと良い一致を示す。

『現在のメインベルト小惑星』というのは、火星と木星の間にある無数の小惑星のことです。
月や火星にみられるクレーターは、小惑星帯にある場所の小惑星が衝突してできたものであると、この研究で「公式に」いっていることになります。

ここでちょっと疑問です。

小惑星の形は、あまりに不規則でどうみてもかけらのようです。

 何かが、ぶつかったのでしょうか。

小惑星が衝突しあって、地球などができたという現在の説は知ってます。

でも、木星の巨大な重力のせいでまとまりきれなかったとするなら、一つ一つの小惑星はもっと小さな丸い惑星が作り上げたジグソーパズルのように継ぎ目を持った構造になってるはずです。

 それが証明できない限り、現在の説は仮説でしかない。

いったんある程度まで出来上がった惑星が、何らかの理由で割れたようにも見えます。
形の不規則さの理由の説明としては、何か巨大な物体がぶつかったか、強力な潮汐力で砕けたか、と言う可能性もありえます。

 木星の惑星などが軌道をそれて、ぶつかって壊れたとか。
 なにか大きな天体に軌道を乱されて、潮汐力によって砕けたのか。

もしそうなら、いまもそのようなかく乱要因となる天体が太陽系に入ってきてないか、できてしまうことはないか観測しないと地球だって危ないこともありえるのです。

 それって、危ないじゃないですか。

地球にも、大きな隕石の跡ではないかという地形がありますからね。

 この論文で考察されている、地球型惑星のクレーターですね。

はい。

でも、月の重力分布の謎もこのクレーターと関係あるとしたら、どうですか。

地球の水は、多すぎるから他の天体から来たという説を立てた人も居ますよ。

 その過剰な水は、月から来たといいたいの。

水を多く蓄えた天体は、意外とあるそうです。

 隕石はいくつも降り注いだなら、月に衝撃を与えて内部の水を出させるだけの衝撃もあった。

月の裏は凄いクレーターだらけでしょ。
表はそうでもない。

 月の海には、普通なら内部にあるはずのレアメタルは豊富ですねえ。

 あれって、月のかさぶた。

まあ、かさぶたみたいな物かも。

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自然にもDNA?宇宙は生きている?!その2

科学雑誌Natureの2006年3月16日号に、「銀河系にもあった「DNA」のような二重螺旋(らせん) 」というのが載ったそうです。

 そういえば、自己組織化する宇宙なんていう理論も出ましたねえ。

ええ。
私も話題にしました。
正しくは、「自己組織化する量子宇宙」を扱った理論ですけどね。

 今回のNatureの記事、古いけどあえて触れるのも、それと関係あるの。

意識してないとは、いえないですね。

それで、ちょっと前だけどあえて話題として出しました。

Natureの記事によると赤外線観測でDNAの二重螺旋のように見える星雲が、銀河系の中心付近で見つかったといいます。

発見者のM Morrisたちは、銀河系中心の磁場を調べていました。
銀河系中心の磁場は、興味深い研究領域です。

磁場が分子雲の軌道に影響を与えたり、星の形成を抑えたり、宇宙線を銀河系中心から送り出したりしている可能性があるからです。

天文学では銀河を構成する星々の間に散らばる小さな物質を、ダストと呼びます。
銀河の周辺から中心部まで分布するダストを構成する物質は、さまざまです。
X線が星間ダストを通過する際に、ハローが形成されます。

ハローとは、霧の中のライトの周りに広がる淡い光のようなものです。
このハローの光は、天体から直接届く光にくらべてわずかに遅れて届きます。
ハローのようなものを含めて、熱放射と呼びます。

かれらはダストの熱放射を観測するため、2003年8月に打ち上げられた赤外線宇宙望遠鏡スピッツァー宇宙望遠鏡に搭載した特殊カメラを使ったのです。

スピッツァー望遠鏡は、ハッブル宇宙望遠鏡、チャンドラX線観測衛星、ガンマ線天文台衛星コンプトンに続くNASAの4番目の宇宙望遠鏡です。
各衛星は異なる波長で宇宙を観測するが、スピッツァーは赤外線波長を担当しています。

M Morrisたちは、ダストの熱放射の観測を通じて二重螺旋状になった星雲を見つけたんだそうですよ。
そしてこの観測結果から、二重螺旋の星雲が、銀河面に対して垂直な中心軸のまわりを回転しているという結論を導き出したのです。

 磁場の調査でなんで、熱放射かというと。

熱放射は、熱輻射とも、温度放射とも呼ばれる物体から熱エネルギーが電磁波として放出される現象や、放出される放射線自体をさすからなのです。

そのエネルギーやスペクトル分布は、物体の種類と温度によって決まり、温度が高いほど波長の短い電磁波が多く含まれます。

 生物のDNAでおなじみの二重螺旋が、銀河系にもって…。
 DNAと宇宙って、別なようで繋がってるんだね。
 
 DNAの中にも、もっとミクロな宇宙があって。
 そのどこかに、私たちみたいな生命体がいて…。

 なんてスケールのでかい事を、考えてる間に仕事しなくっちゃ。

磁石の磁場に沿って砂鉄は、磁力線の姿を現します。

 磁場が二重螺旋状になっていて、それにダストが沿って並んでいるということなのでしょうか。

そうかも。

素粒子など基本的な粒子レベルから天体にいたるまで、原子の構造と惑星の軌道のような階層的な構造があるとは、感じていました。

 自然の階層性が、こんなとこまであるんですね。

 銀河の中心を取り巻く二重螺旋……。
 興味深いですね。
 小説のネタに使えそうです。

SFに使えるかも。

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素直と感謝は誰に?素直とは?その3

感謝する心の大切さをいう、人は少なくないです。

 反発する人も、少なくないでしょうね。

なぜ?

反発したくなる心情もわからんではないです。

どうせ、下心があるんだろ?

恩着せがましいやつは嫌い!

確かに、なにかのたくらみをもって接して来る者は多いです。

というか、何のたくらみもなしに近づかない者の方が少ないです。

 近づいてきた動機が、問題ですね。

あなたをある方向に、仕向けたいと言う訳ではないでしょうか。

あなたの向きたい方向と異なる方へと誘導されるときは、どうです。

あなたが向こうとしているのは、今向くべき方でしょうか。

 そう向くべき方なら、それを妨げる下心は退けるべきしょうね。

でも、もしそうでないのに気がついてないのをさとしてくれたなら?

気がつかせてくれたことに、感謝した方が良いのではないでしょうか。

では、しようとする方向へと助けてくれることはどうでしょうか。

あなたを利用したいだけなら、どうです。

わたしはあなたの道具ではないと、腹が立つでしょうね。

純粋にあなたを助けたいとしたら、どうです。

ありがたく、受ける方がいいのではないでしょうか。

どちらがあなたによってくるでしょうか。

向くべき方からあなたを退け、あなたを利用しよう者。

向くべきほうにあなたを導き、あなたを助けようとする者。

反発するべきはどちらで、感謝するべきはどちらでしょうか。

 判断は、案外難しいですよね。

答えを簡単にする方法はただ一つ。

あなたが向くべき方を向いていることでしょう。

正しい方かどうか、さとしてくださる方の声に耳を傾けることでしょう。

 この世界に、その方はおられるでしょうか。

おられるとしたら、その方は神でしょうね。

永遠の過去から永遠の未来へ、すべての者を正しく導こうとし続けておられるお方です。

その方に気づけてこそ、真に感謝すべき導きに出会えると言えるでしょうね。

感謝の大切さを言う人たちは、素直な人たちでもあるでしょうね。

え?

素直になるべき神は、だれ?

すべてを知り、すべてを語り、すべてを愛する、無邪気な心のお方、永遠の過去から、永遠の未来に生きておられるお方でしょう。

 自分の周りには、手を差しのべてくれる人がいるのでしょうね。
 普段は気がつかないで過ごすことが多いかもしれません。

 親友、友達、親、仲間。
 そして、私の愛する猫ちゃんたち。

 生きる喜びが、すべてここに繋がっている気がします。
 それも素直に感謝しなければならないのだとね。
 歳を重ねながら、思うことです。

猫や動物たちって、自分に正直ですよね。

 感謝の気持ちは、大切にしたいですね。

感謝の大切さを言う人たちは、素直な人たちでもあるでしょうね。

 そうだと、思います。

 でも、今は素直な人が生きにくい世界って思いませんか。
 おそらく、猫が一番素直ですよ。

 でも、素直に生きたいです!
 人にも、自分にも!

 そのためにも、人を見る目を養わねば…。

それは、いえてますね。

 見返りを求めている優しさなんて、いらない。
 今の世の中は、見返りを求める人が多い。

 まずは、自分自身がどう考えて行動するでしょうかね。
 だから、自分の考えで行動して失敗しても愚痴は言わない。

 人は人、自分は自分。
 人のいう事に耳を傾けても、考えや行動は自分で決めることが大事だと思います。

 なんか、言っている事が分からなくなりました。

 趣旨が外れてしまって、ごめんなさい。

いえいえ、良いのです。

考えて欲しいから、話してるのです。

自分の考えや行動を、自分で決めるのが基本なのは確でしょうか。

見返りを求められても、必ずしも期待に応えられるわけじゃないです。

第一、応えて良い見返りかどうかも問題ですね。

そもそも、応えないからと腹を立てる者さえいるから、始末が悪いです。

ならば、そういうやっかいな者に関わらない方がよいですね。

“類は友を呼ぶ”とはよく言いますよね。

寄られては困る相手に、関わりたくないと思ってもらえる生き方が必要でしょうね。

本当に寄って欲しい相手に寄ってもらえ、絶対寄って欲しくない相手に倦厭される、そういう生き方を求めて探っていきたいのです。

 「人を見る目がある」という能力が、少しは自分の中にあると思っていたのにねえ。
 そうじゃなかったってことがある…。
 
 そういう人が寄ってきたこと自体、自分に問題があったわけだよね。

 根本的に自分の生き方を変えなければいけない転機だったってことなのか…。
 身につまされるお話でした。

 少し救われもしました。
 ありがとうです。

わたしだって、発展途上です。

自分自身への戒めとして、話しているのです。

 今ちょうど愚かな自分を責めていて、タイムリーな話だったので。
 きっとみんな多かれ少なかれ似たようなことを体験しているんだってわかっただけ、少し安心しました。
 
 心に響く言葉をありがとう。

こんなわたしの言葉でも、お役に立てたならうれしいです。。。

 こうゆうのって、猫相手に考えるとね。
 いいかも知れん、と勝手に解釈するワタクシです。

 見返りを期待しない
   ↓
 猫を可愛がるという行為は自分からしたくて
 やっているのでそもそも見返りを期待するのが
 手前勝手であるという自覚
   ↓
 であるからして愛情を注いでもシャーッとやられるのは
 猫側の自由(権利)と心得る
   ↓
 その上で、懐いてくれる猫に喜びと感謝

 かなり、狭い範囲の理解ですけどねっ

無償の愛には、違いないですよね。

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シュリーヤントラと吉祥と。

シュリーヤントラは、ヒンドゥー教で用いられる神聖な図形です。

 シュリーは、吉祥のことね。

ええ、シュリーは吉祥天、ヤントラは図形、目に見えるものと言うことです。

 ヤントラは、仏教のマンダラに相当するものなのね。

シュリーヤントラのスタイルは、男性神シヴァを象徴する上向き三角形と、妃のカーリー女神を象徴する下向き三角形の合成からなるのです。

 シヴァって、破壊と創造の神でしょ。

 カーリー女神は、「黒き者」とも呼ばれる血と酒と殺戮を好む戦いの女神ね。

吉祥天の持ち物の中で本来一番重要なのは、蓮の葉なのです。
日本の吉祥天像では、左手に如意宝珠を持ち右手は施無畏印を結ぶことが多いようです。

吉祥天は一説には、インドの女神マハーデービィであって、三大主神の一人シヴァの妃であるとされています。
ただシヴァの妃の名は普通は、パールヴァティーと呼ばれているのです。

パールヴァティーはシヴァにつくし、優しく恵み深い女神として信仰を集めるのです。
パールヴァティーもまた「山の娘」という名の由来の通り、ヒマラヤを神格化した女神であったとも言われています。
破壊神としてカーリーやドゥルガー、救済・再生主としてはウマーやガウリーなどに姿を変えるとされるのです。
このカリーに化身したパールヴァティーが、ヤントラに描かれているのです。

しかし、こんな説もあるのです。
シヴァ自身が「吉祥」という意味だというのです。

 そういえばシュリーヤントラといいながら、吉祥天に当たる女神がでてこない。
 それで、シヴァが吉祥か。

不思議でしょ。

吉祥天の正体とも、関係を持つのかもしれませんね。

シヴァも四臂で三叉戟・斧を持ち、恩恵を与える印と恐怖を取り除く印を結んでいます。
シヴァの姿で特徴的なものは、額の第三眼です。

シヴァの目は元は、2つしかなかったのです。
ある時妃のパールヴァティがいたづらして後ろから手を回して両目を隠してしまったところ、世界が真っ暗になって、神々は困ってしまいました。

その時額にもうひとつ目が現れて、そこからまばゆい光が放たれたといわれます。

 まるで、アマテラスの岩戸隠れみたいね。

民衆に人気の高い神には一般にそういう傾向があるが、ジヴァの異名は一説では1000以上あるともいわれます。
マヘーシュヴァラ(大自在天)、マハーデーヴァ(大天)、イシャーナ(伊舎那天)、マハーカーラ(大黒天)、などは有名です。

 マハーデーヴァと、マハーデービィって似てますね。
 マハーデーヴァとは、マハーデービィの男性形ではないのかなあ。

さあ、ヒンズー語に詳しい人に伺って見ないとなんともいえないです。
一般的には、ありがちな変化ですけどね。
 
 仏様や神様にはあまり性別がないのに、吉祥天は女神とハッキリ決まっているよ。
 マハーデーヴァの妃が、マハーデービィというのはなぜでしょ。
 シヴァ自身も、吉祥とされる点と無関係ではないね。

 シヴァ自身が吉祥と言う説があるばかりか、女神と一体の姿でも表現されるのよ。
 女神との和合と言う意味ばかりではなく、女神と一つの体と言う意味でも、一体。
 
ええ、シヴァは、女神と一体で表現されるのですね。

タントラでは、女性原理(ヨーニ)の影に、男性原理(リンガ)が隠れるとされるのです。
それでシヴァは、ヨーニに包まれたリンガの姿としても祀られていますね。

 シヴァの象徴はリンガなので、正に定式通りね。

 アマテラス(女性神)アマテル(男性神)、イザナミ(女性神)イザナギ(男性神)を、思わず連想してしまったなあ。

吉祥天の正体については、いろいろ説があります。
その中でも最も有力なのは、吉祥天は実はマハーシュリーで、三大主神の別の一人ヴィシュヌの妃であるラクシュミーと言う説です。

ラクシュミーは元々幸福の神であり、不幸の神であるアラクシュミーの妹です。
富と豊饒の神、そして家庭の神でもあります。

ただしラクシュミーとアラクシュミーは、同じ神の別の面という説もあります

ラクシュミーについては、仏教の中では、毘沙門天(クペーラ)の妹あるいは妻との説や、鬼子母神の娘という説などもあります。

 カーリー女神と不幸の神であるアラクシュミーって、黒暗天に似てますね。

黒暗天そのものかも。

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また、ちょっと、息抜き。

突然音楽の話ですけど、ショパンには全19曲のワルツがあります。
 
 そのなかに動物の名前で呼ばれるものが二曲ありますよね。

一つは6番目のワルツ、作品64-1で、《小犬のワルツ》として知られます。

もう一つは、4番目のワルツ、作品34-3で、一連の《華麗なる円舞曲》の三曲目で、英語では《CAT WALTZ》、日本では《猫のワルツ》または《小猫のワルツ》として知られます。

 《猫のワルツ》はショパン本人の命名ではなく、あだ名のようですね。

猫が鍵盤を走り回ったところから、着想を得たと言われますね。

実際、無窮動風の速いパッセージ、前打音を伴った軽やかな跳躍が続く旋律が小猫の飛び跳ね、走り回る様子を想起させられます。
 
 無窮動風とは、簡単に言えば途切れることなくテーマが繰り返されることでしょ。

本当に、猫のくるくる飛び回るような感じですよねえ。

あと、猫でワルツといえばフォーレのドリー組曲のなかの第4曲《小猫のワルツ》が有名ですね。

 そうそう、フォーレの《小猫のワルツ》ですけど…。

ある音楽サイトにあった感想によると、この小猫は「ふふん♪私かわいいでしょ♪」って感じがするとありましたね。

 実際、あまりやんちゃな感じしないですよね。

最近ついつい口ずさむのは、NHK“みんなの歌”で2005年暮れ頃からやってた《クロ》です。

 作詞、作曲、そして歌も、遊佐未森ですね。
 
これがながれると、小さく口ずさんではちょっとほろっとしていましたね。

 また、ながさないかなあ…。

ちょっと、良い歌だけど、ちょっとさびしいですからねえ。
どうかしら。

追記

フォーレのドリー組曲のなかの第2曲タイトルが《ミーアーウー》も、気になります。

盤によっては《ニャーオ》と記されてます。

これ、どう見たって猫の声、ですよね。

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妙に似ている英語と日本語 英語VS日本語 その2

日本語と英語って、意味と音が奇妙に似た言葉ってありますよね。

 歩く(Aruku)とWalk、来るの古語の来む(Comu)とCome、説く(Toku)とTalkなんか、そうね。

そうですね。

意味と音が近いってだけなら、もっとありますね。

 凍る(Coru)とCool、法被(Happi)とHappy。
 法被をHappy Coatって紹介すると、音も意味もぴったり来る。

 それに、面白いの。
 Happy clappyで引くと、手拍子をとって聖歌を歌うなど情熱的な礼拝を行うキリスト教会の信者、なんて出る。
 まさに、お手を拝借、みたいねえ。

“かがやく”“はなやぐ”の“やく”“やぐ”も、なんだか匂うかも。

 情熱的はromantic、悲観的はpessimistic、楽観的はoptimistic。

 “tic”と、“やく”や“やぐ”は、使用法も音も、微妙に似てますよね。

オーディオ好きなんかは、コンポーネントステレオとか結構憧れだったりしました。
コンポーネント(Component)の接頭辞Comと、込み(Comi)も音と意味が似ています。

冗句は、英語の“joke”(冗談)の当て字ではなく、「無駄な言葉」という意味の日本語です。

“解毒(gedoku)”は英語で“detox”、出(de)+毒(doku)の転化と見ることも出来るので、冗句同様の例と見ることも出来ます。

接頭辞の“de”も、“出(de)”の意味で解釈可能な場合が多いです。

carefullyの接尾辞“ly”も、”詳しい”“麗しい”などの“しい”と音と用法が似ています。

“冗句”と“joke”、“解毒”と“detox”など、漢語がらみの例も少なくない点は気になります。

なぜなら、これはヘブル語と日本語の比較でも言えたからなのです。
しかも、英語の文法は中国語に近いですし。

探せば、まだまだあると思うけど日本とイギリスは文化も似ています。

 そうそう。

緑茶と紅茶、妖怪と妖精とか…。

 武士道と騎士道なども、そうね。

 ストーンサークルも、あったりするし。

東北とかです。

 沖縄慶良間諸島近海で発見された、ストーンサークル状の遺跡と言われている物もあるでしょ。
  直径、高さ共に、約3メートルもあるそうですよ。

まだ、認知されていないので例に挙げなかったのですけど。

イギリス先住民であるケルトの文化など、陰陽に似た思想もあるようですね。

 陰陽五行の五芒星に似たシンボルとか、ありますよね。

 アメリカで見つかった古代人骨、イギリス人かと思ったらアイヌそっくりだったし。

幕末頃日本に来たヨーロッパ人も、ブリティッシュ、つまりイギリス人に似た顔がいると伝えています。

 ヨーロッパの近代はイギリスから、アジアの近代は日本から、なんてところまで似てるし。

だから、たまに日本とイギリスは同祖なんて声もあがりますよね。

 日本に日ユ同祖論があれば、イギリスにブリティッシュイスラエルがあったりするし。

気になる民族ですよね。

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恐竜も鳥も哺乳類の仲間でも良いか? どこへ向かうか、恐竜研究。その4

前にもちょっと触れたけど、興味深い恐竜化石が、出土しています。
立体構造をきちんと保ったままの軟組織が、確認できるそうです。

 翼竜や魚竜、首長竜等は恐竜に含まれないとされますよね。
 
出土場所や、恐竜の名前まで、その記事にはないので、さらに情報を集める必要はありますけどね。

 軟組織って何。

硬質の骨や歯は、硬組織に分類されます。
軟組織とは、肉体の中の軟質な組織の事です。
皮膚や筋肉、腱、関節周囲の組織、線維組織、脂肪組織、各種臓器、血管、リンパ管、神経などの組織の総称です。

 ええ、まさか。
 そんなところまで、化石になるの。

 地層はそんな長い時間、安定しているとは思えないし。

つまり、意外と短い時間で化石になったとしか思えないですか。

石化した森林のなかには、イタリア中部、テルニ付近にあるドゥナロッバの化石森林って言うのがあります。

 石化したものもあるけど、内部がまだ木質が実際に残っているものもあるのでしょ。

 この恐竜化石も、ドゥナロッバの化石森林の樹木のように中がわかるのね。

皮膚の鱗模様がくっきり、クチバシのケラチンもしっかり、わかる状態というのです。
放射線を利用した透視写真では、腸や肝臓、胃、嗉嚢まで写っているのですって。

 その上、胃石のわかる化石も出た以上、恐竜と鳥はそっくりねえ。

米サイエンス誌に、2007年4月に恐竜のコラーゲンを調べた論文が発表されています。
米モンタナ州で発掘された約6800万年前のティラノサウルス・レックスの化石から、コラーゲンが検出されました。
このアミノ酸配列が、ニワトリのものとよく似ていることが分かったといいます。

 そこまで、似てるの。

最近の研究では、鳥とは遠縁と思われる小型の肉食恐竜の化石からも体毛が発見されています。

 そういえば、ティラノサウルスも子どもについては、体毛が確認されたのでしょ。

ティラノサウルスの小型な仲間であるディロングに、見つかったのです。
それで、ティラノサウルスにも子どもの頃ならあっただろうと見られるのです。

 推論なのね。

ええ、でもこれだけ、恐竜自体が鳥に近いというなら、ティラノサウルスの親子で体毛があっても良いかも。

 確かに…。

実際、鳥と恐竜どっちが先かという論争があります。

 でも、十分な飛行能力のあるコウモリは鳥と哺乳類の間で分類が長い事揺れていたでしょ。
 コウモリは授乳するから、哺乳類に分けられた。

 カモノハシも、体毛があって卵生でクチバシまであるから鳥か、授乳するから哺乳類か、論争があった。
 カモノハシは授乳するから、哺乳類に分けられた。

じゃ、ミルクを出す鳩、フラミンゴ、インコ、オウム、哺乳類で良いのでしょうかねえ。

 鳥…ですねえ。

じゃ、恐竜はどこに分けたら良いでしょ。

 哺乳類、鳥、恐竜、ひとまとめにした分類を作るとか。

それ、面白いですね。

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善悪を知る知恵の樹の実とは。生命の樹 その2

原罪は本当かなど、生命の樹の謎を解くために、いろいろ考えてきました。

 創世記の中に、永遠の生命が与えられる生命の樹と、善悪を知る知恵の樹とあるのはなぜでしょ。

善悪を知る知恵の樹を受け入れてこそ、永遠の生命が与えられる生命の樹を求める資格が得られるのではないでしょうかね。

善悪を知る知恵の樹を食べるとなぜ死ぬか、それは魂が弁証法的発展を遂げる為でしょうね。

 霊と言い換えても、良いのかしら。

良いでしょうね。
 
 否定の否定と言う弁証法の重要な原則を知らないと、この謎はまず解けないのかしら。

陰陽で言えば、生旺墓の一巡を経た新たな生を得る事が否定の否定なのですよね。

 創世記には、主がアダムとイブに警告した事が記されていますよね。
 知恵の樹の実は食べてはならない、食べると死ぬからである、と。

「シュールストレミング」は食べてはならない、あなたはものすごく臭い思いをするからであると、警告された。
それなのに、臭くないから食べてみろとそそのかされて食べてちゃって、やっぱりものすごく臭い思いをしたのと大差ないでしょうね。

 「シュールストレミング」は、世界一臭い缶詰でしょ。

イエスが十字架を必要とした訳も、ご存知でしょう。

 贖罪の子羊は、一面に過ぎないのかな。

生旺墓の一巡を経た新たな生を得る事は、否定の否定なのですよ。

 ヤハウエは受肉し、イエスとなられました。

その段階では、イエスはまだ人の子の段階だったのです。

 受肉って事は、肉体がない霊体であったって事でしょうか。

そう思って良いでしょうね。

 神の息で、アダムが人になったみたいな事かしら。
 ヤハウエが受肉して、イエスになるって。

新たなアダムが、受肉のイエスだったと見ても良いかも知れないです。

 イエスが十字架に架かる必要って、どういうところにあったのかな。
 一段高い霊的存在になる為に、イエスは復活体を得た。

そのために、贖罪の子羊を引き受けられたのでしょうね。

 主の道を歩むなら、誰にでも復活体が授けられると言う奥義もまた、開示されたとか。

そうでしょうね。

 復活体とは、自ら望んでなれる状態ではなく、神の与えてくださる状態ですか。

 どう生きたら、神に復活体を授けていただけるかを、知らないといけない。

 悟るしか、ないのでしょうかねえ。

 どう生きるべきか、どう考えるべきか…。

それを自らの力で悟れる能力が、善悪を知る知恵の樹によって授けられたのでしょうね。

 復活体の為の死を理解して受け入れられるように、善悪を知る知恵の樹の実は食べる必要があった。

弁証法の言う否定の否定は、形式論理の言う否定の否定とは似てるけど違います。

 裏の裏が表となるのは、否定の否定と同じじゃないの。

それは、形式論理で言う否定の否定です。

けっして間違えではないですが、弁証法論理では似た状態に戻るけど同じ状態に戻るのではないのですよ。

 手元の現金を仕入れに使って、仕入れたものを売れば儲かる場合もあるけど、売れなきゃ大損。

 つまり、そういうことですか。

 仕入れる前と、売った後では、手元の現金は増えるか減るかで、同じじゃないような事。

種を播いて、うまく咲けばたくさんの種がとれ、うまく咲かないとまったくとれないときもある、なんて例を挙げる場合もありますね。

 いろいろ、例を挙げられそうですね。

考えてみてくださいね。

裏の裏が表に戻る形式論理の言う否定の否定と違い、弁証法の言う否定の否定は、 螺旋(らせん) 的発展と言われます。

 登山鉄道でよくある、スイッチバックを連想しても良い?

ジグザグな変化も、よくたとえに使われますよ。

聖書に出てくる生きながら昇天なさったとされる方々は、霊による清めである否定の否定によって実質的な復活体となられたのかも知れないですね。

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幼子のように神を思うとは。素直とは?その2

幼子と動物の判断に、共通するものってあると思いませんか。

 そうねえ。

それは、いま自分が生きるために選んで良いことといけないこと、それがいま自分が何をすべきかを選ぶ基準ということです。
幼子であればあるほど、しつけは、自分に得になる、自分にとって有利に働くようにもっていける、そういう行動パターンを身につけさせる事になるでしょうね。
これは、すべての動物にいえることではないのでしょうか。

 それがはっきりとわかる、良い例がありますか。

そのひとつは、シャチのショーなのです。

動物園や水族館で、ショーを演じているシャチは小魚を主食とする文化の群れから来ているのです。
まちがっても、アシカや、オタリア、ペンギン、という顔ぶれを主食とする文化の群れからつれてきてはいけないのです。
それは、人間を味方にすると食いっぱぐれのない、安心できるところに住めるという文化を学びやすいのは、どっちかということです。

ほかの例としては、人の子でも、愛されて育ったか、愛を知らずに育ったか、ということがあるでしょう。
もちろん、一般的にいえば、愛を知って育った子の方が、新しい環境になじみやすいです。
ただ、愛を知らなかった子も、愛を知れば驚くほど変わる可能性はあり、幼子であればあるほど変わりやすいといえるでしょうね。

そこで、幼子も動物たちも、人の作った世界で生き残るすべを身に着けないとならないです。
人は何を考え、自分にどう振舞うことを求めているか、それをすばやく知り、すばやく応えること、これが賢く生き延びる道ということになるでしょうね。

「幼子のように神の国を受け入れる者でなければ、けっしてそこに入ることは出来ない」
イエスは、こういっておられます。

これ、つまりはこう言い換えてもよいのではないでしょうか。
神を味方にすると食いっぱぐれのない、安心できるところに住めるという、そう判断すると得になると悟ったほうがいいということです。
神は何を考え、自分にどう振舞うことを求めているか、それをすばやく知り、すばやく応えること、これが賢く生き延びる道ということになるということでもあるでしょうね。

そうなるとです。

幼子はもちろん、ネコやイヌなんかは、神の国に無条件に入れるってことでしょうか。

人も、良い意味で、ネコ目線、イヌ目線になったほうが神のおめがねにかなうってことでしょうか。

どうでしょう。

そういえば、イエスは「よき羊飼い」とよばれていますよね。

 一応、愛されて育ってよかった。

 その論理で行くと、水子も、神の国に無条件に入れそうですね。
 わたしの兄弟姉妹となるはずだった、流産した子達が、この世とあの世の間で迷わずにいて、神の国に召されているのなら、本当に喜ばしいです。

そうなるかも知れませんね。

 良い話を聞かせてくれて、ありがとうございます。
 その子らの状態が心にずっと引っかかっていたのですが、心が安寧になりました。
 本当にありがとう。

 今度、墓参りするときに、そのことを心しながら、頭を垂れてきます。

気持ち、落ち着きましたか。

 大人になるにつれて、色う欲も出てくるし、 面子も守りたくなるし、義理もあるしで、 そのとおりに生きていくのは難しいですからね。

人はなまじ知恵や知識をたくわえてしまうので、それに頼ろうとして、かえってドジを踏んじゃうのかも。

 今日のお話、すうっと、心に響きます。
 子供の頃から私は、どうやって暮らせば、どういう方法を選べば、自分が生き易いか、協調をたもてるか。
 そんなことを考えていたような気がします。

 おかしな子供でしたねえ。

そんなことないでしょ。

 これは母からではなく、亡くなったおばあちゃんからの教えというか…。
 童話や寓話を寝物語に聞き、たとえ話をよくしてくれていたの。
 そのせいなのかなって思えて、仕方ないのですが。

 その話を聞いている側には、必ず猫がくっついていました。

従うほうがいい相手をちゃんと見定め、その相手にいかに上手にそうか、自分の弱さを知るものは、生まれながらにわかってるっていうことでしょうかね。

さすが、猫…。

 大人の観点で物を考える方が、間違っていたりしますよね。
 大方のこと。
 子供の観点の方が、どれだけ正しいか知れません。

たしかに、大人って事実のほうより都合を優先しちゃいますね。

 先日京都で涅槃図を見てきましたが…。
 入滅するお釈迦様の一番近くの周りにいる神様やお弟子さん達は、それぞれ嘆き悲しんで身をよじらせているんです。

 その下にいる動物たちもお釈迦様の方を向いてその死を嘆いているのですが…。
 一番下の方にいる犬や猫、鹿やイタチは静かに目を閉じているのです。

 最後の経は、法華経といわれているけどねえ。
 実は入滅寸前に、お釈迦様は本当に最後のお経を唱えているそうです。

 目の前の死を嘆き悲しむのでなく、その教えを静かに聞こうとしているのは、一番遠くにいる動物たちのように見えました。

 心を無にして入ってくるものを自然に全部受け止められるのは、そうした者たちなんでしょうね。
 
 時に、ネコ目線になることって…。
 いいことだと思います。

受け止め方はそれぞれですね。

素直に現実を受け止められる、そういう心になれることは大切です。

でも、自分の心もまた現実です。

いかり、とまどい、かなしみ、そんなときは乱れた心も無理せずに受け入れ、心の静まるのを待つしかないです。

今を前向きに見る心になれること、難しいけど一歩一歩、たとえ少しずつでもそうなりたいものです。

困ったとき、苦しいとき、祈って心を落ち着かせたほうが良いでしょうね。
困ったときの神頼み、たとえ困ったときだけであっても、祈るのは良いことと思いますよ。

落ち着けたら、感謝の祈りをささげる、これしかできないちっぽけな自分を意地を張らずに受け入れる、これさえ忘れなければ良いのではないのでしょうか。

それしかやりようも、いいようも、今の私にはないです。
 
 深い話題ですねえ。

 人間は、大人になっていくにつれて、本当は必要ないものや不要なものを手放せなくなる性質があるらしいですよ。

 ワナに掴まったオランウータン状態ですねえ。
 霊長類より、猫の方が神の国に入りやすいのでしょう。

 私は毎日16匹の猫たちに、鍛えられてるらしいです。

そういえば、エジプトや日本で動物神信仰ありますねえ。

 犬や猫は善悪の判断ができないので、無条件で天の国に入れそうな気がします。

 人間はたいへんですよね。
 天の一番高い所に行く可能性もあるし、地獄の底に行く可能性もあります。
 私も地獄行きにならないように、がんばりたいと思います。

 神様は、私達人間を愛してあわれんでくださいます。
 悪魔は、人間にちょこっと餌を与えておいて必ず裏切ります。
 ここらへんを悟って、日う生きていかねばなりません。

ついていると思えるときほど、謙虚さと感謝の気持ちを忘れたくないですね。

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河童巻き。河童。その2

海苔巻きのお寿司に、胡瓜(きゅうり)を巻いて「河童巻き」となずけられたものがあります。
河童が胡瓜を好き、と言う俗説に基づきます。

 何で河童は胡瓜が好きなの?

意外と思われるかもしれないけど、胡瓜は牛乳より柔らかいのです。
これは、体積中の水分量を比べるとそうなっちゃうのです。

 つまり、胡瓜はまるごと食べられる水筒ってわけですね。

でも、どうも理由はそれだけではない、っていうより別にありそうです。

俗に木瓜(ぼけ)の花や、胡瓜の切り口の図案化といわれる紋とされている、木瓜(もっこう)から来ているとわたしは見ます。
この木瓜紋と言う呼び名は、日唐貿易の際、唐から輸入された御簾(みす)や御帳(みちょう)の周囲にめぐらした絹布の帽額(もこう)に付けられていた文様であったところから出たのです。
帽額は、帷(かたびら)のように表面に襞をとりながら掛ける、御簾の上部、上長押(うえなげし)などで横に長く引きまわされている一幅の布で、額(ひたい)の部分に当たる横幕のことです。

帽額に付けられたところから、帽額くわ紋(もこうかもん)で略してモコウと呼ばれていて、 この横幕に付けられていた文様が「窼(カ)紋」です。
「窼(カ)紋」とは、本来は「窼(カ)」と呼ばれる鳥の巣を象ったものといわれます。
「窼(カ)」とは地上に巣を作る鳥の巣で、樹上に作られたものを巣と書き表しました。
奈良朝期モダンな文様として衣服や輿車に用いられているのが、絵巻物などに見うけられます。

河童の正体の一つは、厄除けの人形(ひとがた)である案山子のような姿をした天児(あまがつ)が、両腕のつながった木の人形と言う言い伝えから想像できます。
河童は、おそらく沙良双樹(さらそうじゅ、または、しゃらそうじゅ)のような霊的な樹を加工して作られた天児が宗教的ルーツです。
それに、木瓜自体も「きうり」とも読めます。

木工=もっこう=木瓜=きうり=胡瓜

そう、河童は胡瓜が好きなのは、河童が木工の人形だと言っているのです。
それも、樹から出来ているばかりか、生きている人形が、河童だというのです。
これは余談ですけど、生きている、つまり生命を持っている樹とくれば、生命の樹と言い換えても良いかも知れないです。

 生命の樹といえば、カッバーラ。
 河童の語源だったりして。

飛鳥昭雄や三神たけるは、カッバーラが河童の語源といってますね。
 
河童の正体に厄除けの人形(ひとがた)である天児を想定した理由の一つが実は、「胡瓜封じ」や「胡瓜祭」です。
「胡瓜封じ」は、弘法大師が唐から伝えられた秘法で、免疫を胡瓜に封じて、不動尊に祈願すると疫病除けになると、大師が説いた事が始まりとされているのです。

弘法大師は一切衆生の病苦、悪業の根を断ち切って、病苦を和らげ、業病、難病からのがれ、丈夫で長生きし、安楽に往生できるようにとその願を込め不動尊を祀りはじめました。
そして、胡瓜封じの秘法を残したのです。
これは、薬では治せない病気を治してしまうとされているのです。

胡瓜封じを行うには、まずお寺で胡瓜をいただいて、お加持が済んだら胡瓜をいただきます。
いただけるのは、一人一本なようですね。
胡瓜に護符を埋め、加持をしてもらった胡瓜を家に持ち帰り、自分の悪いところを三日間その胡瓜でご真言を唱えながら撫でます。
そして、4日目の朝に疫を移しとった胡瓜を、川に流すか、人の踏まない清浄な土に埋めるかして悪いものを祓うのです。

ま、それはともかく天児などが河童の両腕が繋がっていると言われるモデルの可能性は高いと思えるのです。
天児を連想したわけは、実はもう一つあるのです。
河童のモデルになった生き物がカエルに似た両生類とすれば、水に全身をつけて禊をしたり、相撲をとったりしてるように見えるのです。

相撲も、本来は神前に奉納された行事です。
つまり河童自体が意外と宗教的性格を帯びた、妖怪だと言うことです。

皿についても、思い当たることがあります。
ちょっと話は前後するけど、仏教の象徴の中に、紗羅双樹があります
紗羅双樹は、「二本で一本・一本で二本」の樹で、天児の腕そっくりです。
この紗羅が、皿の元かも知れないです。
その上、水に関係ある聖なる獣とされる生き物にスッポンがいます。
このスッポンから甲羅を、それからしばしば描かれる嘴も、受け継いだのかも。
これは、どこまでも私の意見ですけど…。
でも、カエルに似た生き物から、皿のある姿に、そして甲羅のある現在の河童へとイメージが展開したのは確かなようです。

カエルの親のような生き物が、河童の生物学的正体とすれば、一方では河童にも、社会的な正体もあると思うのです。
すなわち、社会の片隅に生きる人々もまた、河童の姿に投影されていると見えます。
これはまだまだ、歴史の霞に覆われています。

 面白いですね。

面白がってくれて、ありがとう。

 河童て、天狗の変り種と思ってました。

河童と天狗の関連は、疑ってます。
情報を探してるのですけどねえ。

 河童と天狗の関連も、期待してます。

 カエルも河童も胡瓜も、緑ですねぇ・・・。
 天狗は・・・ありゃ…?

河童の起源にまつわる話のなかに、天狗との接点はあるのかも。

 河童巻き一つでも、こんな歴史的背景があるなんて… 。

 ちなみにあたしは河童巻きはマヨネーズとポン酢を混ぜたものにつけて食べるのがお好みです。
 それが、美味しいのなんのって、美味しいの!

ま、これが正解かどうかはともかく、いろんな情報から連想は膨らんだのはたしかですね。

 仮説って、こうやってたてていくんですね。
 すごいです!! 

 その柔軟な考えは、やっぱり引き出しをたくさんもっていなければ出来ない技ですよね。

 特に胡瓜封じのお話は、とても興味深いです。

 胡瓜って殺菌作用があるんでしたっけ? 
 女性の場合って私だけ?
 美白効果もあったりするので、お顔にペタペタ貼ってパックなんてしたりしますよね。
 
 魔よけと殺菌作用と、結びついてしまった私です。

 やだ、恥ずかしい…。

ヒマラヤ山麓周辺原産といわれる胡瓜は、 ビタミンBとCが豊富で、カリウム、カルシウムなども含みますよ。
成分の約95%が水分で、体の熱をとったり、利尿作用もあります。

効能としては、浄血作用、利尿、むくみ、消炎などです。
日焼け後の炎症の場合、輪切りにしたものを湿布すると効果的ですね。

この浄血や利尿作用は、体内の浄化につながるので、魔除けを連想されることはありえるかも。

美容効果としては、胡瓜の養分には肌の健康を保つ効力があるとして知られます。
その含水性、収斂性、栄養分には驚くべき美肌効果が認められ、しかも、冷却性もあるので、特に日焼け後のお肌のほてりや乾燥したお肌に効果的だそうですよ。

その他にも胡瓜には、保湿作用や美白効果があります。
お肌に水分を与え、皮膚の表面の熱を吸収してくれるので、日焼け後の肌やニキビの鎮静に特に効果的だそうです。

 胡瓜を買いこんで、体内浄化で魔よけをしようかしら。
 横道にそれてしまって、ごめんなさい。

鮮度には、注意してくださいね。

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