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幼子のように神を思うとは。素直とは?その2

幼子と動物の判断に、共通するものってあると思いませんか。

 そうねえ。

それは、いま自分が生きるために選んで良いことといけないこと、それがいま自分が何をすべきかを選ぶ基準ということです。
幼子であればあるほど、しつけは、自分に得になる、自分にとって有利に働くようにもっていける、そういう行動パターンを身につけさせる事になるでしょうね。
これは、すべての動物にいえることではないのでしょうか。

 それがはっきりとわかる、良い例がありますか。

そのひとつは、シャチのショーなのです。

動物園や水族館で、ショーを演じているシャチは小魚を主食とする文化の群れから来ているのです。
まちがっても、アシカや、オタリア、ペンギン、という顔ぶれを主食とする文化の群れからつれてきてはいけないのです。
それは、人間を味方にすると食いっぱぐれのない、安心できるところに住めるという文化を学びやすいのは、どっちかということです。

ほかの例としては、人の子でも、愛されて育ったか、愛を知らずに育ったか、ということがあるでしょう。
もちろん、一般的にいえば、愛を知って育った子の方が、新しい環境になじみやすいです。
ただ、愛を知らなかった子も、愛を知れば驚くほど変わる可能性はあり、幼子であればあるほど変わりやすいといえるでしょうね。

そこで、幼子も動物たちも、人の作った世界で生き残るすべを身に着けないとならないです。
人は何を考え、自分にどう振舞うことを求めているか、それをすばやく知り、すばやく応えること、これが賢く生き延びる道ということになるでしょうね。

「幼子のように神の国を受け入れる者でなければ、けっしてそこに入ることは出来ない」
イエスは、こういっておられます。

これ、つまりはこう言い換えてもよいのではないでしょうか。
神を味方にすると食いっぱぐれのない、安心できるところに住めるという、そう判断すると得になると悟ったほうがいいということです。
神は何を考え、自分にどう振舞うことを求めているか、それをすばやく知り、すばやく応えること、これが賢く生き延びる道ということになるということでもあるでしょうね。

そうなるとです。

幼子はもちろん、ネコやイヌなんかは、神の国に無条件に入れるってことでしょうか。

人も、良い意味で、ネコ目線、イヌ目線になったほうが神のおめがねにかなうってことでしょうか。

どうでしょう。

そういえば、イエスは「よき羊飼い」とよばれていますよね。

 一応、愛されて育ってよかった。

 その論理で行くと、水子も、神の国に無条件に入れそうですね。
 わたしの兄弟姉妹となるはずだった、流産した子達が、この世とあの世の間で迷わずにいて、神の国に召されているのなら、本当に喜ばしいです。

そうなるかも知れませんね。

 良い話を聞かせてくれて、ありがとうございます。
 その子らの状態が心にずっと引っかかっていたのですが、心が安寧になりました。
 本当にありがとう。

 今度、墓参りするときに、そのことを心しながら、頭を垂れてきます。

気持ち、落ち着きましたか。

 大人になるにつれて、色う欲も出てくるし、 面子も守りたくなるし、義理もあるしで、 そのとおりに生きていくのは難しいですからね。

人はなまじ知恵や知識をたくわえてしまうので、それに頼ろうとして、かえってドジを踏んじゃうのかも。

 今日のお話、すうっと、心に響きます。
 子供の頃から私は、どうやって暮らせば、どういう方法を選べば、自分が生き易いか、協調をたもてるか。
 そんなことを考えていたような気がします。

 おかしな子供でしたねえ。

そんなことないでしょ。

 これは母からではなく、亡くなったおばあちゃんからの教えというか…。
 童話や寓話を寝物語に聞き、たとえ話をよくしてくれていたの。
 そのせいなのかなって思えて、仕方ないのですが。

 その話を聞いている側には、必ず猫がくっついていました。

従うほうがいい相手をちゃんと見定め、その相手にいかに上手にそうか、自分の弱さを知るものは、生まれながらにわかってるっていうことでしょうかね。

さすが、猫…。

 大人の観点で物を考える方が、間違っていたりしますよね。
 大方のこと。
 子供の観点の方が、どれだけ正しいか知れません。

たしかに、大人って事実のほうより都合を優先しちゃいますね。

 先日京都で涅槃図を見てきましたが…。
 入滅するお釈迦様の一番近くの周りにいる神様やお弟子さん達は、それぞれ嘆き悲しんで身をよじらせているんです。

 その下にいる動物たちもお釈迦様の方を向いてその死を嘆いているのですが…。
 一番下の方にいる犬や猫、鹿やイタチは静かに目を閉じているのです。

 最後の経は、法華経といわれているけどねえ。
 実は入滅寸前に、お釈迦様は本当に最後のお経を唱えているそうです。

 目の前の死を嘆き悲しむのでなく、その教えを静かに聞こうとしているのは、一番遠くにいる動物たちのように見えました。

 心を無にして入ってくるものを自然に全部受け止められるのは、そうした者たちなんでしょうね。
 
 時に、ネコ目線になることって…。
 いいことだと思います。

受け止め方はそれぞれですね。

素直に現実を受け止められる、そういう心になれることは大切です。

でも、自分の心もまた現実です。

いかり、とまどい、かなしみ、そんなときは乱れた心も無理せずに受け入れ、心の静まるのを待つしかないです。

今を前向きに見る心になれること、難しいけど一歩一歩、たとえ少しずつでもそうなりたいものです。

困ったとき、苦しいとき、祈って心を落ち着かせたほうが良いでしょうね。
困ったときの神頼み、たとえ困ったときだけであっても、祈るのは良いことと思いますよ。

落ち着けたら、感謝の祈りをささげる、これしかできないちっぽけな自分を意地を張らずに受け入れる、これさえ忘れなければ良いのではないのでしょうか。

それしかやりようも、いいようも、今の私にはないです。
 
 深い話題ですねえ。

 人間は、大人になっていくにつれて、本当は必要ないものや不要なものを手放せなくなる性質があるらしいですよ。

 ワナに掴まったオランウータン状態ですねえ。
 霊長類より、猫の方が神の国に入りやすいのでしょう。

 私は毎日16匹の猫たちに、鍛えられてるらしいです。

そういえば、エジプトや日本で動物神信仰ありますねえ。

 犬や猫は善悪の判断ができないので、無条件で天の国に入れそうな気がします。

 人間はたいへんですよね。
 天の一番高い所に行く可能性もあるし、地獄の底に行く可能性もあります。
 私も地獄行きにならないように、がんばりたいと思います。

 神様は、私達人間を愛してあわれんでくださいます。
 悪魔は、人間にちょこっと餌を与えておいて必ず裏切ります。
 ここらへんを悟って、日う生きていかねばなりません。

ついていると思えるときほど、謙虚さと感謝の気持ちを忘れたくないですね。

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