神集島
唐津湾沖の神集島(かしわじま)は、はっきり隆起地形を示す、まっ平らな島です。
遣新羅使人の、日本最後の停泊地でもありますよね。
蒙古碇石、鬼塚古墳群など貴重な文化財が点在し、キャンプ場、民宿なども整備されています。
この島の近くには、大陸との交易をしていた水没船の陶器などが沈んでいるそうね。
唐津といえば唐津焼など、有名ですよね。
沈んでいるのは唐船、つまり中国の船で中国の陶磁器が多いそうですけど。
中国の陶磁器、ですか。
神集島の名前は、 「柏」の木に由来するともいわれるのです。
この島は、万葉の昔から盛んに和歌の題材ともなった「狗島亭」で、中国、朝鮮へ渡る航路の最良の風待ちの港でもあったのです。
また、神宮皇后が、朝鮮に出兵した折りに神々を集めて海上の安全を祈ったことに由来するとも言い伝えられています。
けれども、この島は、その変った形から昔から、神様たちの集会場と言われていたとも伝えられており、古くからなんらか祭事にかかわっていた可能性があるのです。
対岸の唐津は「からの国」つまり中国へ向けて船を出す港(津)という意味で、古くから大陸との交通の拠点として栄えたのです。
伊能忠敬が地図作りに立ち寄った時、石垣は神宮皇后の時に作られたという説を聞き、一応そう記録には書き記しています。
余所から運んだ石を、人が抱えて積み上げたとしか思えないこの石垣は、大きな謎です。
また近くには、加部島という小さな島があります。
この加部島には、式内社の田島神社があるでしょ。
こういう神社系の弁天では御祭神は当然市杵嶋姫神、あるいはその姉妹の湍津姫神・田心姫神を併せた宗像三女神になっています。
神集島に立ち寄ったとされる神宮皇后も、応神天皇、玉依姫命または仲哀天皇と、八幡神社には三柱の神として祀られる神ね。
ときとして墨江三前神、保食神(倉稲魂命)を加えて五柱の神、または、五柱の神を加えて七柱の神として祀られる事もあります。
これを考えると、この地域がかなり意味深な場所であると言えるかも。
距離が離れていると言っても、同じ九州北部の水域ね。
神の島とされる沖ノ島は、朝鮮半島と九州のちょうどまん中にあり、古墳時代になると神を祀る祭りがおこなわれる場所であったのです。
このあたりは、百済や新羅から倭国へ大陸の貴重な物資を運ぶための重要な航路となっていたのです。
そこで倭王権は、航海の安全と国家鎮護のためにここを神聖な場所として、お祭りをおこなったのです。
沖ノ島の海底にある遺跡状の地形は、地上の祭司場によく似ていると、指摘されています。
神集島は、名前などに神が絡んでますよね。
地上の祭司場とまったく無関係とは、ちょっと考えにくい気がします。
沖縄では、与那国島のほかに、慶良間島、喜界島、粟国島、そのほかにも、東京湾、十三湖、足摺岬など、日本各地に未発見も含めて多くの水没遺跡があるとも、言われていますよね。
これらは今後の調査が、どう結論を出そうとも、興味深い結果が出る事だけは、期待できると思うのです。
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