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2009年9月

孫悟空はどこの出身?

孫悟空(Sūn Wùkōng)は、西遊記に登場する妖仙です。
今も崇拝される仏教や道教の神でもあります。
別名は孫行者。

香港や、台湾や東南アジアでは一般に齊天大聖(せいてんたいせい)と呼ばれ、信仰されています。

西遊記の雑劇などの書作品での通称は、猴行者、あるいは通天大聖などさまざまな名前で呼ばれています。
その後、孫行者の名に落ち着きました。

孫悟空は諱で、避諱により、当時の中国では一般には使用されないそうです。

 悟空の名は唐代に実在した、仏教の僧侶である731年生まれの悟空からとったという説もあるね。
 インドに行ったあたり、まさに悟空のモデルに相応しいけど、没年については、不明だそうで。

西遊記の舞台となる世界は、仏教の四天王の統治する世界に対応しています。

世界は、「東勝神州(とうしょうしんしゅう)」「西午賀州(せいごがしゅう)」「南贍部州(なんせんぶしゅう)」「北倶蘆州(ほくぐろしゅう)」の四大陸に分かれているとされます。

中国は、作中では唐の名で登場し南贍部州にあるとされています。
三蔵一行の目的地である天竺(てんじく)は、西午賀州にあるとされます。
中国からすると、文字通り「西方浄土」ということになります。

 そうなると、北倶蘆州はロシア、西午賀州は南アジア、東勝神州は日本の方角に、ほぼ当たるのかしら。

南アジアとは、インド、スリランカ、ネパール、パキスタン、バングラデシュ、ブータン、モルジブの各国を含む地域ですね。

 天竺とは、インドの旧名でしょ。

 西午賀州、つまり唐の西。

 でも、唐の主要部は今の中国の東部。

 だから、天竺が唐の西と言う認識だったのかしら。

天竺という名称を用いることが一般的となったのは、唐の時代だそうですね。

唐は、618年から907年。

 ちょうど、西遊記の時代ね。

昔の呼称なので、正確に今のインドのあたりに対応するわけではないからです。
 
 漠然と、南アジアの方を指す名前でもあったのかしら。

孫悟空の出身地である花果山は、東勝神州の近海に設定されています。

 え。

 孫悟空、日本出身なの。

韓国からは、韓国出身説を出す人がいるようですね。

 でも、中国の物語。

孫悟空の出身が、中国とは限らないですからね。

 1677年に書かれた朝鮮の書『朴通事諺解』には、現存する最古とされる元代の西遊記のあらすじを収録してあるの。
 孫悟空の「悟」が「吾」になっていて、孫吾空として登場するのですって。

 元は、元朝ともいい、1271年から1635年まで存続したモンゴル人王朝でしょ。

孫悟空のモデルとなった猿は、ハヌマンラングールという説が興味深いですね。

 ハヌマンラングールは、中華人民共和国にもいるのね。
 インド、スリランカ、パキスタン、バングラデシュ、ネパールといった南アジアの国だけじゃなくって。

 だったら、孫悟空も中国出身では。
 
インドの有名な叙事詩ラーマーヤナの猿の神として登場するハヌマーンのモデルは、ハヌマンラングールとされています。
ハヌマンラングールは、インドのヒンドゥー教寺院ではハヌマーン神の使いとして手厚く扱われ、参詣者から餌などを与えられています。

 昔から餌やりが当たり前になっているからかしら、ハヌマンラングールとのトラブル聞かないね。

ハヌマーン神も、黄金の肌と真紅の顔面そして長い尾っぽを持つ姿として描かれているそうですよ。
ハヌマーンには、孫悟空と同様に、超常的な神通力を使用し、空を飛んだり、体の大きさを変えたりしたという、言い伝えがあります。

場面によって猿軍団を率いるというから、この点からも分身の術を使った孫悟空といえそうです。

 ハヌマーンは、山を持ち上げるなどの行為を行ったとされますね。

猿妖である孫悟空が西遊記の中で三蔵法師を護衛して活躍する姿とよく似た話は、ラーマーヤナの物語中にあるそうです。
猿神がヴィシュヌの化身とされるラーマを助ける場面に、多く見受けられるといいます。

 ヴィシュヌは、ヒンドゥー教の神でしょ。
 古代インドで発達した文字であるデーヴァナーガリーでは、विष्णु(Vishnu)と記される。

三神一体論では、3つの最高神の1つで世界を維持する役目があるとされるのです。

三神一体論は、1人の神が次の3つの役割に応じて、3人の神として現れるという考えです。

創造のブラフマー、繁栄のヴィシュヌ、破壊のシヴァが三神。

 キリスト教でいう絶対三神と、似てますねえ。

創造のブラフマーは御子のヤハウエすなわちイエス、繁栄のヴィシュヌと御父エロヒム、破壊のシヴァに聖霊ルーハ。

奇妙な類似は見えます。

 マカク属のアカゲザルが、孫悟空の生態のモデルではという説もあるね。
 
 水泳を好むアカゲザルの生態など、作品に反映されたのではと。

 ハヌマーン神モデル説、キンシコウがモデルという説より説得力あるよね。

キンシコウ説は、色から来た勘違いだったそうですね。

 孫悟空インド出身説、インドから出ないのかしら。
 韓国説より、はるかに説得力あると思うけど。

天の太陽神に対する地の太陽神ラーと、太陽神崇拝者としての猿とみると面白いですね。

 孫悟空は、岩から生まれたことは有名ね。

 岩から生まれる太陽神とされた、ミトラ神がだぶって見えます。
 ミトラ神には、蛇を巻きつけた若者像もあるね。
 蛇を尻尾と見れば、猿と言えなくもないね。

岩と言えば、日本では天照の岩戸隠れ。
猿には、猿田彦…。

 天照は、もとは天照国照彦という男性神。
 ミトラ神とだぶりますね。

天照国照彦とミトラ神、関連は気になります。

 ただ、孫悟空には卵から生まれる話もあったけど…。

卵と言えば、鳥、爬虫類、両生類、昆虫、魚ですね。

 鳥と太陽神とされた神と言えば、エジプトの太陽の船。

 鳥になぞらえられた聖霊が降りてきた、イエス。

爬虫類だと、やはりイエスと蛇ですね。

 モーゼの掲げた杖の青銅の蛇は、十字架のイエスの予形とされているよね。

 魚は、イエスの象徴。

 直接の関係が見えないのは、昆虫と両生類…。

 あ、そうだ。
 インドと日本って言えば、マン島のマンクスがフェニキア人に連れてこられた話にどっちも出ますね。

今回、猫の話ではないですけど…。

 太陽神で猫と言えば、エジプトのラー。

ラーとの関連で言えば、アッラー。
アッラーといえば、キリスト教のイエス。

イエスにも、死と復活の舞台となった墓は岩戸そっくりですよ。

 ところで、なんで孫悟空からイエスに話が行っちゃったかなあ。

 孫悟空と岩からか…。

天界の厩舎の管理人である弼馬温(ピーマーウェン)日本語音は「ひつぱおん」、身分が低いと知った悟空は一週間で脱走していますね。
厩の管理人となったのは、弼馬温と同音の避馬瘟という猿はウマを守るとの伝承がインドから中国に伝わったからです。

 日本の猿回しも、馬小屋から始まってますね。
 
 馬は十二支の午で、午の方角が火に配当され、猿が十二支の申、申の方角は金に配当され金生水で火除けになるとされたとか。

 その後、弼馬温は悟空を罵倒する言葉としてよく使われているそうで。

 馬で有名人は、イエスかしら。

 日本だと、馬宿の皇子とされた聖徳太子。

蟠桃園という、天界で供される桃を栽培する果樹園の管理もしてますね。
蟠桃をはじめ、数種類の桃が作られています。
いずれも仙桃、つまり食べることで不老長生を得ることのできる神聖な桃です。

 桃といえば、黄泉の国から逃げたイザナギがイザナミに投げているね。
 仙桃だから、かしら。

連想って、面白いですね。

 孫悟空と言えば、觔斗雲(きんとうん)ね。

孫悟空は、花果山の島に住む猿たちの王として美猴王(びこうおう)を名乗っていました。
ある時、限りある命にはかなさを感じるのです。

それで、不老不死の術を求めて、西午賀洲に住む須菩提(しゅぼだい)祖師という仙人のもとに弟子入りします。
孫悟空の名前と、觔斗雲(きんとうん)の術をはじめとする72変化の術を習得したのですね。

 物語じゃ仙人とされた須菩提は、サンスクリットでसुभूति(Subhuuti)でしょ。
 釈迦十大弟子の一人で、解空第一とか、無諍第一、または、被供養第一とも称される。

 不老不死の術を求めて、まるで徐福…。

聖書で雲と言えば、ヤハウエの臨在によく登場しますねえ。

 ヤハウエが受肉して、イエスでしょ。

 また、イエス…。
 なんで。

なんででしょ。

 徐福でまた、日本に繋がっちゃう。

 孫悟空から神武を手引きした猿田彦も、連想できたけど…。

 徐福って、神武説あるよね。

孫悟空と、天照と、徐福と、神武と、猿田彦…。
確かに日本、ですねえ。

 そこに、ミトラ神やイエスや、猫神ラーまで…。

インドからは、ラーマを通じてヴィシュヌですか。

 孫悟空日本出身説、立ったりして…。

誰か、すでに言ってるかも。

 検索してみました。

 山田久延彦さんって方が本出してました。

 世の中、ホントすごい人がいらっしゃいますね。

 古い本なのでamazonでは品切れです。

 探したら、電子化されたのがありました。
 http://www.papy.co.jp/act/books/1-440/

「孫悟空は日本人だった」
  著: 山田久延彦
  発行: 扶桑社

 目次で、内容がわかりますよ。

すごい仮説の数々ですねえ。

1 プロローグ「西遊記のストーリー成立の謎」

2 日本に伝わる万古伝説

3 日本で生まれた孫悟空
   [古事記と孫悟空]
   [西遊記に記された天地創造]
   [孫悟空はなぜ石から生まれたか]
   [円石地蔵と石尊神社]
   [石尊神社にいた孫悟空]
   [水廉洞は「みすずかる」信濃の国]

4 普光王と呼ばれた日本の孫悟空
   [日本にいた美猴一族]
   [「美猴王」は「普光王」]
   [日本からインドに渡った孫悟空]
   [須菩提は須佐の男の命]
   [閻浮提はエデンの園]
   [混世大魔王は猿田彦の命]
   [竜王の傲広は大海(わだ)津美の神]
   [閻魔大王は人類の災難の歴史の象徴]

5 孫悟空の天界大あばれは事実を伝えるもの
   [玉帝は天の忍穂耳の命、西王母は天照大御神]
   [太白金星は思い金の神]
   [托塔天王は天津国玉の神]
   [五行山の下に地下都市を建設した孫悟空]

6 孫悟空は大山咋の神
   [中国神話の中にある孫悟空の原型]
   [美女神・嫦娥を妻にした孫悟空と石尊神社の裏山にある嫦娥岳]
   [日本神代史の謎の宝庫=山梨県白州町]
   [日吉神社の神・大山咋の神が孫悟空]
   [大山咋の神の生い立ち]
   [豊臣秀吉と孫悟空]
   [トヨタ自工の守護神・猿投大明神は孫悟空]

7 孫悟空と玄奘三蔵の西域冒険旅行の意味するもの
   [インドに仏典を求めた理由]
   [孫悟空と玄奘三蔵との出会い]
   [白衣の秀才として描かれている孫悟空]
   [孫悟空一行に加わった白龍馬と駒が岳]
   [西域取経旅行の真偽]

8 日本に実在した蓬莱国
   [蓬莱仙境は若狭湾の常神岬]
   [豊橋山地の東栄町は東華大帝君の仙境]
   [瀛州海島は遠州大東(静岡県掛川市大東町)]
   [落伽山はナスカ山、普陀落(ふだらく)岩はパカリク洞]
   [釈迦如来=ゴウタマ・シダルタは日本神話の神の子孫]

9 般若心経と統一場の理論
   [仏教の伝来の経緯]
   [孫悟空と般若心経との出会い]
   [般若心経の現代語訳への挑戦]
   [現代語訳般若心経]
   [統一場の理論の相似象として説かれた人生訓]
   [般若心経の生い立ち]

10 仏典・倶舎論に述べられた天界情報
   [孫悟空のストーリーに描かれた天界の構造]
   [天津国巡り州(あまつくにまぐりこく)は静止地球衛星]
   [仏典・倶舎論に描かれた宇宙観]
   [地球の地理構造]
   [天国には28の宇宙ステーション(パラ・ダイス)があった]
   [兜卒天は稜威雄走神(いつのおばしりの神)]
   [兜卒天から天降る弥勒菩薩]

11 孫悟空と地下都市伝説(中国の地下都市伝説、福地と洞天)
   [天降った五行山]
   [西遊記に出て来る洞天は地下都市]
   [中国神話に伝わる地下理想郷]

12 ヒットラーの捜し求めた謎の地下理想郷
   [地下王国伝説を信奉したヨーロッパの神秘主義者達]
   [孫悟空の金箍棒はブリル・ロッド]
   [アガルタ探検隊の持ち帰った情報]

13 日本に帰ってきた孫悟空
   [行者と呼ばれた孫悟空]
   [大峰山に舞い戻った孫悟空]
   [孫悟空の妻・嫦娥は弁財天]
   [役行者の生い立と一生]

14 チベットに帰った孫悟空・役の行者
   [ラマ教の開祖は美猴族か]
   [チベットの怪神「シェブラ」になった役の行者]
   [チベット人の祖先は猿だった]

15 孫悟空の世界戦略
   [祖先が地下王国から出てきたことを伝える蒙古開闢神話]
   [ジンギスカンは孫悟空]
   [明治維新に関わった孫悟空]
   [石尊と自由魔尊の対立]

16 エピローグ「長野戸隠は地下文明国への入口」

付録 超古代桑田王朝の孫悟空
   [ギリシャ神話の孫悟空と富士文書]
   [日本に成立した富士高天原王朝]
   [京都府亀岡に都を置いた神農氏韓農立比古(国常立命)王朝]
   [大本教の開祖・出口なおに降示した国常立神の神示]
   [古代亀岡王朝の調査]

長くなっちゃいましたね。

これ、凄いですねえ。

そのうち飛鳥昭雄と三神たけるが、新たな情報と解釈を加えて孫悟空の本を出しそうな気がします。

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海から見た古代エジプト。

クレオパトラ(ギリシャ語で Κλεοπάτραローマ字だとKleopatra,英語ではCleopatra)はクレオパトラーとも読まれますね。
ギリシャ語で、「父の栄光」を意味しますね。
古代ギリシャやプトレマイオス朝エジプトでは、伝統的な女性の名前です。

現在でもギリシャでは、人気のある女性名だそうですよ。

 歴史上の人物としては、クレオパトラ7世がもっとも有名でしょ。

なぜ7世かというと、王妃や女王にクレオパトラを名乗った人は7人いるからですね。

 クレオパトラ・セレネ1世やクレオパトラ・セレネ(2世)、クレオパトラ・テアも含めたら10人でしょ。

 確かに、人気あるかも。

エジプト沿岸で、水没したクレオパトラ7世ゆかりの地の調査が進んでいますね。

 いろいろ、面白いものがありますよね。
 
 横浜で開催された「海のエジプト展」、見てきました。
 行って良かった!と思える内容でしたよ。

どこが面白かったですか。

 あれが全部、海から出てきたって所が私には驚きでした。

 あんなに大きなモノから、ものすごく小さなモノまで。

 もちろん、最新のテクノロジーがあったからこそ 引き揚げられたわけでしょ。

 ずっと海の底で眠ってたっていうのも、すごいですよね。

新しい発見って、わくわくしますよね。

例えば、神を祭る祠が見つかっていますね。

材質は石で、形はオベリスクの縮小形という感じですね。

直方体の上に四角錐、つまりピラミッド型が乗っていて、両側に開く木製の観音開きの扉がついていたのです。
扉の角は、金属で補強されていました。

 そういえば、神棚もいろいろ屋根に種類はあるけど基本は三角ね。
 
 ピラミッド型も四角錐以外にも、円形などあるけど全体のシルエットは三角でしょ。

 神棚もオベリスクも、四角と三角の組み合わせと言っても良いでしょうね。

相当、単純化すればそういえるかも。

この祠は、神殿の至聖所にあったと見られていますね。

 古代エジプトの神殿には、二本のオベリスクがあったでしょ。

 左を陰、右を陽、そうみれば、内部を陰、外部を陽とする祠と、対応しそうね。

 さらに、オベリスクを陽とみれば、祠は陰でしょ。

確かに、西を死者の世界で陰、東を生者の世界で陽、そうみれば古代エジプトも陰陽思想があったと見えるかも。

さらに、小さな木製の神像を収めた小型の木製祠も見つかっていますね。

 家庭用だったのでしょうか。

もしそうなら、まさに神棚を祀った家が古代エジプトにあったといえるかも。

それに、民衆の生活用品にも日本を連想できるものはあります。

日本のご飯や汁の椀と似た食器、臼や杵に似た石製の擂り鉢と擂り粉木、などがそうです。

 太陽神を頂点とする動物神を含む、三神構造の数多くの神々を祀る事も日本は古代エジプトと共通でしょ。

 さらに、地上の統治者は天の太陽神に対応する地の太陽神とされる事も、日本は古代エジプトと共通でしょ。

蒸した穀物を擂り潰そうとしても、捏ねられていくだけです。

そうやって捏ねた物を焼いて、最初のパンが作られたのかも知れないです。 

 ビールは、そのパンが醗酵して酒が出来たのが始めでしょ。

 米の酒も、糠(ぬか)や胚芽(はいが)などの表層部を取り去った状態の米を蒸して、麹菌や酵母で醗酵させる。

 細かい手間は違っても、米の酒も麦のビールも、基本の製法は似てるようね。

酒の話し、好きですねえ。

 美味しいもの。

日本の餅を見て、過ぎ越しの祭りに作る種入れぬパンを連想する人もいますね。

 それって、古代エジプトよりイスラエルでしょ。

そうですね。

弾力があって、噛めば噛むほどに味が出て…。

 なんだか、話せば話すほど餅を思い出すよ。

これ、エジプトのパンの事なのですって。

発酵パンが発見されたのは、紀元前3000年頃のエジプトだそうです。

始めのころは、小麦粉を水と混ぜすぐ焼いていたようです。

 今でも、そういうパンを焼く文化ありますよね。

ある日たまたま一晩おいた生地を焼いてみたら、空気中のイーストが生地について発酵し、ふっくらと焼けたのが発酵パンの始まりといいます。

つまり、一次醗酵だけしているのがエジプトのパンの特徴です。

 そういえば、台湾に醗酵餅ってあるらしいね。

 ただし、中国語の「餅」とは、日本の餅と違って小麦粉をこねて薄く円盤状に伸ばし、平鍋で焼くか蒸すかした食べ物の総称ですって。

 もし、一次醗酵だけなら台湾の醗酵餅は、エジプトのパンと似た食品という事になるかも。

 いつ頃からあるのか、知りたいですね。

もし、昔からあるならば、エジプトとの関わりが気になりますね。

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ケルトとアイヌ?

ケルトとアイヌには、いくつか似たところがあると言いますよね。

 まず、渦巻き模様でしょ。
 celtic knotと言われる結び目文様と、アイヌの渦巻き文様に類似を指摘する人がいますね。

「熊祭り」は、西洋の古代においても行われてきました。
熊はヨーロッパの最初期の農耕民たる南東ヨーロッパの新石器時代に「産む神」として崇拝され、土偶にかたどられてきました。

 エーゲ海地方では、キリスト教時代になっても「熊の聖母」の祭祀が行われてきたのでしょ。

この熊の聖母とは、ケルトの女神アルティオの事ですね。
アルティオは、ケルト語で「熊」の意味です。

 アルテイオ女神は、しばしば果物のかごや皿を手にした姿で現されますね。

「果物かご」は彼女が豊穣と多産の女神である事、熊を表すアルティオは「熊の守護神」である事を示しています。

 スイスのベルン市など、今でも「熊祭り」を祝う都市として有名ですね。

「熊の女神像」が、スイスのベルン市の近郊ムリから出土したそうです。
女神像の台座には、「女神アルティオにささげる」と記されていました。

「熊祭り」の儀式も、ケルトとアイヌの共通点なのです。

 日本のアイヌの熊祭りを知ると、西洋人は、「自分たちと同祖ではないか」と感じるとか。

間接的で良ければ、もっと挙げる事が出来ます。

アイヌを先住民とする日本と、ケルトを先住民とするイギリスの文化は似ています。

 妖怪と緑茶の日本、妖精と紅茶のイギリス。

また、五芒星や五色の文化、陰陽の影響を窺える思想の共有も挙げられます。

戦いの文化にも、一対一の対戦を好んだなどの類似が見られるようです。

アイヌと古代ゲルマンには、首長選びの基準と言う共通点があるのです。
両者とも、まず第一に器量がよい事、次に勇敢である事、そして雄弁である事が指導者の条件だったそうです。

ケルトと古代ゲルマンは違うと、言うかも知れないのです。

 ケルトは、他の民族との混血を嫌ったらしいね。

アイヌもまた、よほどの事がないと混血しなかったと言う指摘もあるのです。

また、ゲルマンとの混血はガリアではないかと疑問を持つかも。
古代ローマ人は、ローマ側による呼称「ガリア人」 (Gallī)と「ケルト人」(Celtae)をおおむね同義として扱っていました。

 小アジアに移住したガラティア人と呼ばれたケルト人や、ブリテン島の諸部族に対してガリア人は明らかに区別出来ると言う声もあるの。

同時代の人達には、両者の区別が付かなかったのも事実なのです。

それに、アメリカで見つかったアイヌに似た人骨の傍からはフランスやスペインの様式の石器が出ています。
白人系フランス人は、ガリア人を自分たちのルーツあるいは祖先として意識しているそうです。

なぜ、白人に絞るかと言うと、フランスには植民地時代に来た黒人の子孫もいるからです。

 タロットあるいはタローと呼ばれる、カードを使った占いがあるね。

タロットには、ケルト起源説を言う人たちがいるのですよ。
神秘主義者の間では、タロットの起源についてはケルト起源説の他にも、エジプト、ヘブライ、ロマなどさまざまな説があるそうです。

 タロットを通じてケルトとロマを結び付けて良ければ、面白い事になりますね。

もっとも、O型の多いケルト、B型の多いロマと言う違いも無視は出来ません。
ただ、O型は他の血液型に隠れてしまう性質があるので、それほど気にしないでも良いと言える点もあるのです。

 ロマの影響を受けて生まれたフラメンコは、振り付けの特徴が似た踊りってあるのよね。
 フラダンスや阿波踊り、カチューシャ、ガムランなど、そうでしょ。

ロマ音楽の拍子のとり方も、日本の民謡と似ていますよね。

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声聞

声聞(しょうもん)は、サンスクリットでश्रावक(Zraavaka)と呼ばれます。
仏教において、「教えを聴聞する者」の意です。

 初期経典では、出家・在家ともに用いられ、後になると出家の修行僧だけを意味したのでしょ。

 聖書やコーランで言うと。

修行できるわけだから、預言者ではないですよ。

 じゃ、カッバーラに近い。

声聞は、カッバーラに当たるかも。
神から教えを授かることが、カッバーラなのですから。

『法華経』授記品において、4人の大弟子を総称して四大声聞といいます。

 釈尊から、未来の成仏の記別にあずかった人たちですか。

その4人は、次のとおりです。

摩訶迦葉(まかかしょう)
須菩提(しゅぼだい)
迦旃延(かせんねん)
目連(もくれん)

声聞には、4つの目標であり「向(こう)」と、それに応じた4つの結果「果(か)」があるとされ、これを四向四果といいます。

 四つの段階、どこかで聞いたような。

 生命の樹って、四段階ですよね。

三段階ですよ。

 二段目と三段目の間の、隠れたダートって、段階じゃないの。

最高の三段目に入る前の、大事な通過点と言う意味では段階と言えないこともないけど。

 そうなんだ。
 ちょっと、勘違い。

でも、段階とは似ていそうですね。

四向四果を上から挙げると、次のとおりです。

阿羅漢(あらかん)あるいは応供果(おうく)
阿那含(あなごん)あるいは不還(ふげん)
斯陀含(しだごん)あるいは一来(いちらい)
須陀洹(しゅだおん)あるいは預流(よる)

大乗仏教の立場からは、声聞は、主に四諦を修習し、自己の解脱のみを得ることに専念し、利他の行を欠いた、阿羅漢を目指す修行者であるとされます。

 四諦(したい)は四聖諦とも呼ばれ、サンスクリットで चत्वारि आर्यसत्यानि(catvaari aaryasatyaani)ね。
 仏教用語で、釈迦が悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論をまとめた苦集滅道の4つをいうのでしょ。

聖諦とは「神聖なる真理」という意味で、四諦とは「4つの真理」の意ですね。

4つの真理とは、次のとおりです。

人が生きるということは苦であるという真理
その苦の原因は人間の執着にあるという真理
この苦を滅した境地が悟りであるという真理
その悟りに到達する方法が仏道であるという真理

この際の「道」は八正道とは違い、神道で言う「かんながらの道」にあたると見て良いかも。

八正道(はっしょうどう)のサンスクリットは、आर्याष्टाङ्गो मार्गो(aryaaSTaaGgo-maargo)です。
釈迦が最初の説法において説いたとされ、涅槃に至る修行の基本となります。
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の、8種の徳です。

「八聖道」とも「八支正道」とも言うが、『倶舎論 』では「八聖道支」と記します。
『倶舎論 』は『阿毘達磨倶舎論』の略で、仏教哲学の基本的問題を整理したものです。

 苦集滅道は順に、苦諦・集諦・滅諦・道諦と呼ぶのでしょ。

 四向四果と対応しそうね。

 道諦と阿羅漢あるいは応供果、滅諦と阿那含あるいは不還、集諦と斯陀含あるいは一来、苦諦と須陀洹あるいは預流。

このうち前二者の苦諦・集諦は流転の因果を示し、後二者の滅諦・道諦は悟りの因果を示すそうです。

大乗仏教は、自己の解脱のみを目指すとして、声聞を目指す従来の立場を小乗と呼ぶのです。

 小乗とされた側は、上座部であると反論してますね。

羅漢とも略される阿羅漢の語源は、サンスクリットでअर्हत्(arhat)で、サンスクリット語"arhat"の主格 "arhan" の音写語です。
応供と訳されるのは、仏教において、尊敬や施しを受けるに相応しい聖者のことだからです。

もとは、釈迦の尊称の一つです。

釈迦が生きた時代のインドでは、宗教的に最高の境地に達した聖者のことだったのです。
如来の別号である十号の一つにあげられる、仏そのものを指す呼び名です。

阿那含は、サンスクリットのअनागामिन्(anaagaamin)の音写です。
不還と訳されるのは、もはや人間界にもどることなく、天界以上の階位に上って悟りに至る者のことだからです。

不還向とは,前段の一来果を得た者が、次の不還果を得ようとして残余の修惑三品を断ちつつある位のことです。
部派仏教では、下位の世界に結びつける五つの煩悩である五下分結を断じた者が得る位とされました。

『倶舎論 』では、欲界の修惑である情的煩悩をすべて断ち切ったため、もはや欲界に戻らずに悟りに至るとします。

斯陀含(しだごん)はサンスクリットのसकृद् आगामिन्(sakRd-aagaamin)の音写です。
一来と訳されるのは、一度 (sakRd) 天界に生れ再び人間界に戻ってさとりに入る者のことだからです。

原始仏教では、有身見(うしんけん)・戒禁取見(かいごんじゅけん)・疑の三結を断ち、貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三毒が薄くなった者をさしたです。
『倶舎論』は、一来向は情的煩悩である欲界の修惑(しゅわく)の前三品または四品を断じた者とし、人界の家と天界の家とを往復するから「家家」(けけ)と呼ぶのです。
一方、一来果は欲界の前六品を断じた位です。

須陀洹は、サンスクリットのस्रोत आपन्न(srota-aapanna)の音訳です。
預流と訳されるけど、無漏(むろ)の聖者の流れに入った者であり、四向四果の最初の段階です。

原始仏教では、有身見(うしんけん)・戒禁取見(かいごんじゅけん)・疑の三結を断じた者が得る位でした。
『倶舎論』では、見道において見惑の八十八随眠(ずいめん)煩悩を断った者が得るとしています。

須陀洹の位に達すると退転することがないので預流と呼ばれ、最大でも7回人間界と天界を往来するだけで悟りに達するとされます。

あまり立ち入った説明を始めると仏教講座になっちゃうので、説明しなかった言葉は、こういう仏教用語もあるくらいに思ってください。

 一般にユダヤ教神秘主義と呼ばれるカッバーラは、四段階で成り立っているとされるでしょ。

カッバーラでは、絶対神の四つの創造段階を『流出世界=アツィラー』『創造世界=ベリアー』『形成世界=イェツィラー』『活動世界=アッシャー』と呼ぶのです。

 四つの創造段階といっているなど細かいところを除くと、構図はすごく似てますね。

 声聞は、カッバーラに似てるし。

キリスト教を取り入れて大乗仏教が出来たといわれるけど、仏教自体が意外とユダヤ教と似た思想なのは面白いですね。

 そういえばイッサつまりイエスには、インド、チベットで仏教を調べていたという伝承もあるとか。

ここまで、仏教とユダヤ教が似ているとありえる話に見えますね。

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イザナギ、イザナミとイエス?

旧約聖書で預言者に対応する、最も一般的なヘブライ語はナービー (נביא, nabi) といわれます。

 これ、まさか禰宜(ネギ)の語源なんてことないの。

アラブ語やペルシャ語に、neko(ネコ)とか、neku(ネキー)という語があって、この二つの語はペルシャ語では、こういう意味らしいです。

敬虔(父母や長上に対する)、敬服、恭敬の態度。
貧しい者に対する惜しまざる施し。慈悲心に富む事。
誠実・正直。他人に対して悪評を下さない事。
善。善行、恩恵。
美しさ、優雅さ。

神職の禰宜や禰子と、こちらの方が音は近いですよ。

 神道って、ユダヤ教とよく比較されるもの。

ヘブル語にも、音が似ていると思われる言葉で「ヌン(נ)ツァ(צ)ヘー(ה)」 と記されるものがあります。
たぶん、「ネキー」見たいな読みなのです。

意味はこうです。

勝つ、勝利する。(音楽で)指揮する。
永遠、不滅なものにする、永久に記念する。
輝き、光輝、栄光。
永遠、永久、不滅。

アラブ語やペルシャ語の、neko(ネコ)とか、neku(ネキー)と似てませんか。

 ナービーは、イザナギやイザナミのナギやナミと、関係ないのかしら。

 イザは、受肉のヤハウエであるイッサ、つまりイエスだったりするとか。

イザナギやイザナミは、イッサつまりイエスの預言者と見たいのでしょうか。

 神社が、古代イスラエルの幕屋に似てるとか。

 賽銭箱があるところは、ユダヤ教の神殿と同じとか。

 鳥居の元の形も、ユダヤ教の神殿のヤキンとポアズを連想できるとか。

 清めの塩が、共通とか。

 神職の衣装の、特に袖の房がそっくりとか。

ナービー (נביא) の語源には、様々な説が提示されています。

 有力なのは?

アッカド語起源で、「与えられた者」もしくは「語る者」を意味したという説だそうです。

 古典ギリシア語だと、プロフェーテース (προφήτης, Prophetes) に対応するとみられるらしいね。

 でも、接頭辞προ- には、「代わりに」のほかに「前に」の意味もあると聞きました。

 「前もって語る人」を、語源的意味とする論者もいるそうですけど。

その場合でも、聖書の文脈では「神の代弁者」の意味で用いられているそうですよ。

プロフェーテースは、もともと「代わりに語る者」をさし、「神の代弁者」の意味で使われるとか。

 ほら。
 ナービー (נביא) も、プロフェーテース (προφήτης)も、「神の代弁者」でしょ。
 
 神職の禰宜もある意味で、「神の代弁者」でしょ。
 アラブ語やペルシャ語の、neko(ネコ)とか、neku(ネキー)なんかより意味が近い。

でも、それは神道がユダヤ教と同一の起源と言うに等しいでしょう。

 じゃ、神道とユダヤ教の数々の類似をどう見るの。

相当、影響を受けている可能性は、認めないわけにいかないですね。

一方で、エジプトとの類似をどう見るかですよね。

 古代イスラエルも、古代エジプトの影響は強いのでは。

だったら、神道はイスラエル経由でエジプトなど中東と繋がるのでしょうか。

 ところで、何でこんなこと考えたの。

皇祖神を祀る伊勢の神宮とイエスの繋がりを、考えたことがありました。

それで、イザナギやイザナミのイザは見直しがいるのではと、今回の議論を試みました。

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毛繕いと欠伸と。 猫欠伸の効用?その3

猫って、大欠伸気持ちよさそうでしょ。

 良い気持ちでしょうね。

 我が家の猫って、大あくびにはとっても特徴があってねえ。
 
 必ず、「あぁ~」って人間の子供みたいな声をだしながらするんですよ。

 もうこれ、おもしろすぎてはまってしまって、欠伸が待ちとおしい私です。

 声なしの欠伸を、みたことないくらいです。

猫って、顔つき体つき、人の子どもに似てますものね。

猫ってどんなときに、欠伸してるって思いますか。

 毛繕いの後なんか、してませんか。

してるようですね。

ほかには?

 起きたと思ったら、眠そうな顔でぼんやりしてしばらくじっとしているのね。
 そのうち大欠伸して、ときには、思いっきり伸びも加えてね。

 それでまた寝ちゃうの。

ところで、猫って寝てる姿見ていて、何か感じてないですか。

 よくもまあ、こんな姿勢で寝られるなって。

 それもねえ。

 ほとんど寝返りも、しなかったりして。

不思議って、考えてないですか。

 なにを。

寝返りしないの、なぜかって。

 そういえば。

待ち伏せしたり、やり過ごしたり、どっちにしても身を隠すのが猫ですよ。

 じっとしてないと、物音を立てちゃいますね。

つまり、眠りを中断しての大欠伸と伸びは、寝返りの代わりって事。

 眠そうなぼんやりした顔で、大欠伸するのは寝返りの代わりなの。

それと伸びでしょうね。

 不自然な格好で寝る分、大欠伸と伸びで背筋を伸ばすのね。

 そんなに、大欠伸と伸びって背筋伸びるの。

ぼんやりした顔って力が抜けてる分、こめかみから大胆に口を開いて大欠伸しやすいのです。

 そういえば、上手なマッサージも力抜けてぼんやりした顔になるねえ。

猫の毛繕いも、毛並みを整えるとか、余計な臭いを取るとか、言われてますよね。

 猫って撫でられるのとか、ブラッシングとか大好きですよね。

でも、猫にしてみれば子猫の時に嘗め回してもらった快感が忘れられずに、やってるだけですよ。

 きっと、お母さんのおっぱい飲んで、お母さんに舐めてもらってね。
 お母さんのお腹で眠った、幸せな記憶があるんでしょうね。

落ち着きたいとか、気分転換したいとか、ただなんとなくとか、その程度の理由でしょうね。
 
 まさに、猫の毛繕いってセルフマッサージなのね。

 これでなかなか、合理的に生きてるのね。

その通りですね。

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猫と女。

猫と女は、不思議と結び付けて語られますよね。

 有名なところでは、猫と魔女。

日本でも、魔女に似た存在として野巫と呼ばれた人たちが居ますよね。

 彼らの傍に猫が居ないけど、祭司の一族は禰子と呼ばれるからねえ。

 野巫自体が、“ねこ”だったりして。

日本でも、猫娘などという、妖怪も居ますね。

ヨーロッパでは、猫と魔女は相互に姿を変えるとされます。
猫娘も、目や耳や尻尾その他猫のパーツが全く見当たらないこともあるとされます。

 妖怪猫娘って、魔術さえ使えば魔女そのものね。
 猫娘は猫の本性さらけだすけど、魔術はないもの。

妙多羅天女というのは別名が、猫多羅天女ですね。

 老婆が、猫のような姿になったのでしょ。
 雷鳴をとどろかせ、大雨を降らせたりしますね。

老婆と猫といえば、火車もあるのですね。

 火車は、火の燃えている車ですよね。
 仏教用語で、生前悪事を犯した亡者を乗せて地獄に運ぶというのけど、正体は猫又とされますね。

 一方で、火車は火車婆(かしゃばば)の略。
 火車婆とは、死後は火車に乗せられる悪心(あくしん)の強い老婆でしょ。
 死体を食いに来るという、想像上の妖怪で、鬼婆(おにばば)とも呼ばれますね。

 同じ逢うなら、猫娘のほうが可愛くて良いかも。
 正体さえ、現さないならね。
 恐ろしい老猫の姿っていうから。

旅人が一夜の宿を乞う家は、実はかつてのイエネコが化けた女たちが住んでいたというのもあるのですね。

 一人の娘が、あなたにお世話になった猫だと素性を告げ、湯船につかるなと忠告するのでしょ。
 風呂に入らず去ろうとすると、女たちは追いかけてきて湯をかけようとした。
 湯がかかったところから、猫の毛が生えたとか。

猫が、女を助ける話もあるけど結末が切ないのが多いですよ。

 仇討ち話は、化け猫になるのが相場ね。

猫が、ですよ。

 ええ、もちろん!

 猫が邪悪な蛇から女を救う話もあるけど、たいてい誤解から首を切られちゃうし。

猫ってやっぱり、女と印象重なるのでしょうか。

 猫は猫のままだと愛らしくて弱い存在だから、化けないと力を発揮できないのねえ。
 女も同じね。

 だから猫と女は、同一視されるのかなあ。

 あ、でも女によっては、化けなくても、もともと強いのもいるよね。

 猫が娘の手拭をかぶって、踊る話もあるのよね。

 猫と子どもっていうのも、ありませんでしたか。

そういえば、ありますね。
ちょっと、探して見ましょうか。

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振り返ることも、たまには要りますよね。

今回の話は、郵政民営化議論のやかましかった最中の2005年08月20日に、記した覚書です。

見直し議論が出るということなので、あえて当時のまま提起します。

これらの疑問に、今どんな答が出ているでしょうか。

郵政民営化、答えられた実感のない疑問の数々です。

○公務員減らし?

現在郵政公社職員26万人の給与は、郵政事業の収益から出ています。

銀行がいい加減なことやっていたのに、公的資金たんまりもらったのと正反対に、びた一文もらってないです。

よって、民営化しても国庫出費に何の影響もないです。

○法人税を払ってないって?

郵政公社は利益の五割を国庫に収める義務が、郵政公社法37条に定められています。

民間の法人実効税率約四割より負担が多いです。

そのうえ、固定資産税相当額の2分の1を、所在地の市町村に納付する義務まであって、むしろ一般企業より高負担を強いられているのです。

○郵政民営化で、黒字が出るのでしょうか?

政府自身が郵政民営化準備室の「骨格経営試算」で、完全民営化直前の2016年度「郵便貯金銀行」は600億円の赤字になると出しています。

赤字の原因は3事業を窓口会社・郵便事業会社・郵便貯金銀行・郵便保険会社の4つの民間会社に分割し、民営化後の郵便貯金銀行のサービスは窓口会社に委託されて消費税負担が生じるからです。

政府は消費税率を07年度からさらに上げるつもりだから、赤字が減る見通しは厳しいです。

○通信はメールなどに押されて、公社だとジリ貧って本当でしょうか?

政府の「骨格経営試算」によると17年先の2022年度まで黒字だそうです。

もちろん2016年度も、公社のままなら1383億円の黒字が見込まれています。

メールがどんなに流行っても、ポストカードも廃れていないし、コンピューター化が皮肉にもオフィスの紙需要を押し上げたように、郵政公社もやり方によっては十分やれる可能性があるのでないかです。

○民営化で今よりサービスが良くなるでしょうか?

銀行は都市部でさえ採算が少しでも悪いと見れば、支店や営業所撤退をためらわないです。

完全民営化で600億円の赤字が予想される以上、過疎地はもちろん都市部でも相当数の店舗閉鎖や合併に踏み切るはずです。

もしグローバルサービスを維持しろというなら、税金で損益補填してくれなくちゃいやだと言い出すのは陽の目を見るより明らかです。

国庫への負担が減った分で赤字が圧縮されるのも初めのうち、利用者にもさまざまな負担を求めてくるのは覚悟すべきです。

○郵貯の金はどこに行くでしょう?

郵貯・簡保の資金340兆円を、ハイリスクな投資に回したがっているようですね。

いい加減な経営した挙句公的資金投入、どこかの誰かに売却もありってことです。

アメリカや財界が褒めまくるのも通理です。

法案関係者には消費者金融業界にパーテイ券を買ってもらって、“郵貯のお金はあなた方に回す”と言う意味の発言をしたと突っ込まれる人もいたです。

住宅金融公庫や、奨学金の貸付、中小企業の開発支援などの財源にまわすなどいくらでもこのお金欲しい所はあるはずですね。

○誰のための民営化でしょう?

国民は、税の無駄使いの是正や、年金改革、介護制度の改善、災害対策の充実を早急の課題として求めています。

むしろ、アメリカ政府やアメリカや日本の財界、とくに銀行や保険の業界と指摘されています。

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秋田とスサノヲとヤマタノオロチ?

出雲地方と東北、言葉などで奇妙な繋がりがあるですよね。

実は、これまで触れなかったけど面白い話題もあるのですよ。

 なにですか。

スサノヲのヤマタノオロチ退治です。

 それは、出雲の国の話でしょ。

そうとばかりも、いえないのですよ。

 山形県高畠町に祀られる、犬の宮と猫の宮の伝承ですか。

 スサノヲのヤマタノオロチ退治と、筋書きが不思議なほど似通った構図ね。

もちろん、それもあるのですよ。

 それもと、言いますと。

スサノヲのヤマタノオロチ退治を再現する祭が、秋田にあるのです。

ナマハゲでおなじみの、秋田県鹿角です。

 ヤマタノオロチを連想する、八竜という名前の町名が秋田県にあるよね。

八郎潟の近くの町で、干拓される前の八郎湖の別名が八竜湖だったから そこから付いた名前です。

天王町の八郎湖に面するところに、東湖八坂神社があるのです。
この神社の祭神が、スサノヲなのです。

 どうして、触れなかったの。

建立は、今からおよそ1200年前と伝えられるですね。
素戔嗚尊の神霊を祀り、社が建立されたのです。
 
 794年(延暦13年)に桓武天皇は、平安京を日本の首都定められたでしょ。
 平安城ともいいますね。

坂上田村麻呂将軍が、蝦夷征伐のため奥羽に出向した時だそうですよ。

 なるほど。
 犬の宮と猫の宮の伝承は、構図は似てるけどスサノヲもヤマタノオロチも出ませんね。

いくら、スサノヲのヤマタノオロチ退治を再現する祭でも、移植されたわけです。

 でも、犬の宮と猫の宮の伝承にも蛇は出ますよ。

 八竜湖の八竜など、ヤマタノオロチが連想できます。

八竜の名は、人から龍へと姿を変えられた八郎という名の龍に由来するようです。

 じゃあ、ヤマタノオロチのような姿ではないの。

八郎という名の龍が、放浪の末に棲家として選んだので、この湖は八郎潟とも八郎湖とも呼ばれるのです。

ただし伝説においても、今や八郎はこの湖には滅多に戻らないとされているそうですが。

 もし、龍を蛇と見てよければだけど。

 岡山にトウビョウという、蛇神伝承があるよね。
 ヤチマタと言う言葉も、関連があるでしょ。

 人から龍へと姿を変えられた龍の八郎という名と、ヤチマタとは繋がりあるのかしら。

探ってみる価値は、ありそうですね。
トウビョウは蛇神の憑きものといわれ、その姿は10-15センチメートルほどの長さの蛇です。

 人から龍へと姿を変えられた話と、蛇神の憑きものよ。

なにか、あるですよね。

 野巫との関係って、ないかしら。

長くなるので、改めて考えたいですね。

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分かりあうことの難しさ。The Coveを考える。生態系を考える その2

2009年9月、和歌山県太地町や静岡県伊東市で、イルカ漁廃止、ヨーロッパやアメリカの反捕鯨運動活動家やジャーナリストらがイルカ漁の廃止などを訴えましたね。

 世界的に、話題になりましたよね。

和歌山県太地町のイルカ漁を告発したアメリカのドキュメンタリー映画「入り江」(原題The Cove)が、アメリカなどで公開されて以降、世界的に影響が出ています。

 姉妹都市のオーストラリア・ブルーム市が、和歌山県太地町との提携の停止を決めるなどですね。

 The Coveに出演した活動家リチャード・オバリーさん(68)さんは報道陣に、「ゴンドウクジラは汚染されているというデータがあり、健康被害が発生する恐れがある」と述べたとか。

 太地町の三軒一高町長は、「町では先祖代々、クジラを食べてきたが、それで体を壊したという話は聞かない」と冷ややかな反応ですね。

太地町の三原勝利・町議会議長も、「自分たちの価値観を押しつける彼らのやり方は理解できない」と反発していますよね。

 ヨーロッパやアメリカは、自分たちの価値観を非ヨーロッパ世界に押し付けようとするの。
 わたしだって、腹が立ちます。

今回は情報発信で感情に訴える方法で、非暴力なのでシーシェパードなどに比べて対応に戸惑う人は多いですね。

 アジアとヨーロッパやアメリカの文化の差は、どこから来たのかしら。

アジアは、圧倒的な力を持つ自然と折り合いをつけることなしには生存も確保できない環境の中で、妥協と共存の文化を育んできたといえるでしょう。

ヨーロッパは、自然を征服することで自らの生存の場所を確保する必要がある環境の中で、勝利と征服を目標とする文化を育んできたといえるでしょう。

 これでは、水と油ね。

価値観の正反対な文化の衝突です。
しかも圧倒されたと感じなければ、相手の言い分を受け入れない文化の人々を説得しなければならないでしょう。

 絶対的な力を持つ真理と論理で組み伏せない限り、ヨーロッパとアメリカは納得しない。
 
絶対的な力を持つ真理と論理の体現者であったから、キリスト教をヨーロッパとアメリカは受け入れたのでしょうね。

 どういう論理なら、納得するのかしら。

ヨーロッパやアメリカはとかく、全てか無かという論理に流れやすいですからね。

単純明快な論理でいくしか、ないでしょ。

生態系の保護なしに種の保護もない、あなたたちはこの論理を認めるはずだとね。

 頂点を失った生態系は、やがて混乱に陥りますね。

徐々に減るなら、対応できるでしょう。

突然いなくなれば、対応できないでしょう。

 これをわからないで、自然保護運動家を名乗る資格があるでしょうか。

 まったくないですよね。

和歌山県太地町や静岡県伊東市などで続いている鯨やイルカの漁は、古代から行われてきた日本の伝統であり生態系の一部となっているのです。

古くから営まれてきた里山の自然や農地が放置されたら、地域の生態系が崩れるのと同じです。

 ヨーロッパの人たちは、自分たちがアメリカでリョコウバトを乱獲で絶滅させ、鯨を乱獲で危機に追いやり、地中海のクロマグロの乱獲が止められないことを、普遍的と見てるのね。

 まるで、「平家でなければ人ではない」とおごり高ぶった平家と同じですよ。

全てのヨーロッパやアメリカの人が、そうではありませんよ。

そんなことをしていたらヨーロッパやアメリカは危ないと、危機感を持っている人もいるはずです。

 もっとも、今回のようなことをする人は感情に流されて冷静になれない人たちでしょうから。
 論争で負けたら、パニックになるだけでしょ。

 絶句したなら、その事実は世界に発信されてしまうでしょ。

もし絶句したら、反捕鯨を叫んだ彼らの立場がどうなるか、知りたいですね。

 難しいですね、この問題をアメリカ人、ヨーロッパ人にわからせるのは。

 単に、イルカがかわいそうという感情的レベルで反発する人も多いし。

 今回のようなやり方で攻めてくるのも多いし。

 彼らのゼロサム思考を、改善するすべはないんですかねえ・・・・・・。
 
 本当に、アメリカ人って、自分が圧倒されない限り絶対に負けを認めないですからね。

 ノックアウトされてマットに沈まない限り、自論はまげないでしょうねえ。

マタイによる福音書5章37節 には、こうありますね。

あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。
それ以上に出ることは、悪から来るのである。

 どうもヨーロッパやアメリカで、この言葉は、独り歩きしているようですねえ。

実際には、こういう文脈の一節です。

5章33節 また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

5章34節 しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。

5章35節 また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。

5章36節 また自分の頭をさして誓うな。あなたは髪の毛一すじさえ、白くも黒くもすることができない。

5章37節 あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである。

 続きも、あるでしょ。

ええ。

ここは、実践の最も難しいことの一つですよね。

5章38節 『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

5章39節 しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな、もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬も向けてやりなさい。

5章40節 あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着も与えなさい。

5章41節 もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。

5章42節 求めようとする者に与え、借りようとする者を断るな。

5章43節 『隣人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

5章44節 しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

5章45節 こうして、天にいますあなたがたの父と子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

5章46節 あなたがたは自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。

5章47節 兄弟だけにあいさつしたからとて、なんのすくれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。

5章48節 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

こうやって聖句を振り返ってみて、どう思いますか。

 今度の場合は、文化の違いなのであって反捕鯨からみて敵ではあっても、悪ではないでしょ。

イエスを信ずるというつもりなら、なおさら、これらの言葉にも耳を傾けて欲しいですねえ。

 こういう話をするたびに、ヨーロッパの聖書解釈への疑問が、聖書とキリスト教そのものへの疑問に結びつかないことを、切に願いますね。

本当に、そうですね。

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確率がマイナス?

2009年10月号の日経サイエンスに、面白い記事があります。
 
存在確率マイナス1の粒子が、あるというのです。

 通帳がマイナスにならないよう、気をつけなくちゃ。

ここで言うマイナスは、意味が違いますよ。

エネルギーがマイナス、なんですよ。

 焼肉食べて、スタミナつけなくっちゃ。

そういうエネルギーでは、ないですよ。

エネルギーの向き、なんです。

 それだったら、反物質・・・。

存在確率マイナス1の話題は、反物質にはないですよ。

質量もマイナス、だというのです。

 質量と重量って、どう使い分けるの。

地球上では、混同してもあまり問題ないです。

ただ、無重力などを考えると違いを知らないと混乱します。

質量は、物質量のことです。

重量は、物質量を特定の重力の元で測った数値のことです。

 無重力では、無重量になるけど、無質量ではないというわけですよね。

 プラスの重量は、普段気にしてる体重なんかそうですよね。

 この体重は、地球の引力の元で測ってます。

でも、月で測ると軽くなります。

 あ、だから一定の数値になる質量がマイナスといってる。

 引力で測ると、プラスの数値でしょ。

 斥力で測ると、マイナスの数値でしょ。

重力を引力だけ考える、通常の発想では行き詰まりそうですねえ。

 少なくとも、複素数とは関連ありそうね。

あるでしょうねえ。

 プラスの存在確率は実数、マイナスの存在確率は虚数、あわせて複素数なのかな。

プラスを作用と見れば、マイナスは反作用でしょ。

 プラスを引力と見れば、マイナスは斥力で良さそうですね。

 一つの粒子を、引力と斥力から質量などを測るということかしら。

 いったい、どこからこんな発想が出たの。

観察についての理論から出てきた、話なのですよ。

 量子力学では、観察すると位置か運動量か、しか見えないのでしょ。

ところが、もっと詳しい情報が得られる観察法があるというのです。

それが、弱い測定といわれる手法です。

イスラエルのテルアビブ大学名誉教授ヤキール・アハラノフ(Yakir Aharanov)が、言い出しました。
アハラノフはテルアビブ大学のほか、米国のイェシーバー大学、サウスカロライナ大学でも教えているそうです。

1932年イスラエル生まれで、1959年に量子力学の黎明期を築いたボームとともに、後にアハラノフ・ボーム効果と呼ばれる現象が起きることを予言したので有名な人です。
アハラノフ・ボーム効果は、1980年代に日本の外村彰によって実証され、世界的に注目を集めました。

 簡単に言ってね。
 難しいと、いや。

そういう難しいこと、また言いますか。

 言うもん。

1988年に物理学者ヤキール・アハラノフは、風変わりな提案をしました。
物質の量子力学的な状態を壊さずに、その状態を観測することができるといいます。

量子力学によれば、物質は相反する状態を同時に実現しています。

 量子というのは、粒子であるとともに、波でもあるということですね。

1個の光子は、右と左に同時に進みます。

 光子に限らず、量子力学的な粒子はそうなのでしょ。

そのようですね。

 進むのは、上と下だって良いでしょ。

良いでしょうね。

1個の電子は、あちこちに同時に存在し得るとされます。

 まるで、一個の電子で雲みたいになる。

ええ、確率の雲と呼ばれますね。

 いくつもの確率を重ね合わせたので、確率の雲になるの。

それを、量子的な多重状態といいます。

ただし観測した時に見えるのは、複数ある可能性からたった1つだけです。
ほかの姿は、観測の瞬間に消えてしまいます。

 たった一つの可能性が選ばれたから、ほかの可能性は消えるわけね。

 複数のお見合い相手から、一人を選ぶようなことだったりして。

たとえとして、微妙ですねえ。

重ね合わせとして現れる量子的な多重状態を壊さず、確率の重なった状態をすべて見ることは不可能とされてきました。

 確率の雲は、どんな状態なのかわからない。

重ね合わせを普通に観測すると強く影響を与えてしまうので、ヤキール・アハラノフは「強い観測」と呼びました。
普通に観測すると、毎回違う結果がランダムに現れてしまいます。

 それは別に不思議なところのない、ごく普通の物理現象ですか。

物理学の“常識”とされてきました。

それに対してアハラノフは、「弱い測定」をすることを主張しました。
観測対象をごく弱く何度も測定すれば、重ね合わせを壊さずにすべての状態を見ることができるというのです。

 弱い測定を用いれば、重ね合わせの結果として生じる量子現象を見ることができるのですか。

量子力学では、存在確率を波としてとらえ「確率波」と呼んだりします。
例えば、複数の確率波によって粒子1個が作り出す干渉を壊さずに、それをもたらした重ね合わせを見ることができます。

 一つの粒子の確率波が、干渉を起こすのですか。
 
 あ、そうか。

 光の量子である光子が、波の性質を現して干渉を起こすでしょ。
 電子でも、干渉は起きるのでしたね。
 
 一つの粒子が、同時に左右に行ったり、上下に行ったりするからね。

 物質の基本粒子としての量子も、波の性質を現して干渉を起こすのですね。

重ね合わせの結果として生じる量子現象の中から、ある特定の初期状態で始まり、特定の最終結果で終わる場合だけを抜き出します。
ある特定の初期状態で始まり、特定の最終結果で終わる場合の中間の重ね合わせを弱い測定で観測すると、極めて奇妙な現象が見えてくるといいます。

 熱愛情報のある有名人の密会現場を、時間をかけて密かに調べて関係を確かめるようなことだったりして。
 直接聞いたって、とぼけられたり、関係が終わったりしちゃうかもしれないしね。

 無駄足も多いけど、何度も密会を確認すれば熱愛情報は確かだった可能性は高いようなことかしら。

あなたって、そういう微妙なたとえ、好きですねえ。

 興味あるもん。

例えば干渉計の中に飛び込んだ粒子がある場所を通る確率が、「マイナス1」という負の値になる、などです。
こうした不思議な現象を、アハラノフは次々と予言しました。
 
もっとも、アハラノフ自身は「存在確率マイナス1」という言い方を避けたがってますけどね。
干渉計の中をマイナス一個の粒子が通るかのような誤解を、嫌ったのです。

 そして、エネルギーや質量がマイナスになることを、はっきり言って欲しいということね。
 
 干渉計の中に飛び込んだ粒子がある場所を通る確率が、「マイナス1」という負の値になるという言い方も改めたほうが良いかしら。

 干渉計の中に飛び込んだある場所を通る粒子が、存在確率「マイナス1」という負の値になる場合があると。

一つの粒子を、ある状態で存在する確率を調べると、「マイナス1」という負の値になる場合があるということでしょうかねえ。

 作用と反作用が重なり合う状態を、調べるのでしょうか。
 作用と仮定した状態に対して反作用になる状態を、「マイナス1」と呼んだのだったりして。

プラス1に対して反対になるからマイナス1とすれば、作用と反作用が重なり合う状態を調べるとみても良さそうですね。

 やはり、複素数と関係してきそうですね。

そのうち、複素数が議論にでてくるかも。

 これって、陰陽なのかしら。

マイナス1の存在確率とプラス1の存在確率が、陰陽だったら面白いですね。

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馬つながりの養蚕とイエス?

馬でたどって見ると、面白い連鎖が浮かび上がります。

馬=蚕(養蚕)=機=秦=アマテラスとスサノオ=聖徳太子=イエス

 馬と養蚕は、馬頭観音や馬鳴菩薩などで繋がるのでしょ。

ええ。

蚕と馬は、蚕の馬面で繋がると言う説もありますよ。

おしらさまといった養蚕の起源話にも、馬は出てきます。

 養蚕と言えば、機織ですよね。

そして、機織に名を残す有名な一族の名が秦氏ですよ。

 機織と馬と言えば、天照の機屋。

逆剥きの馬、ですね。

 機織女が驚いて、死んでしまうのでしょ。

日本書記には、死んでしまうのは天照自身という言い伝えも、一説として載ってますね。

 スサノオのヤマタノオロチ伝承も、この機屋の出来事がきっかけでしょ。

馬との直接の関係は見えないので、スサノオに深入りしませんけどね。

 馬といえば、厩で生まれた有名人がいますね。

イエス、ですね。

 日本にも、厩戸皇子と呼ばれる聖徳太子がいますよ。

現在はありませんが、奈良県に「馬屋戸」という土地があったそうです。
厩戸は、蘇我氏の地元の「馬屋戸」に由来するのではないかと考えられます。

 蘇我氏の名は「蘇る我」、つまり「復活体」と同じ意味に見えるけど。

「復活体」は、キリスト教教義の奥義と言って良いでしょ。
蘇我氏とキリスト教の関わりは謎なので、深入りしません。

 蘇我三代は、馬子と蝦夷と入鹿で、馬が名前に入ってたでしょ。

そうですね。

その代わり、天照の死が天岩戸とすれば面白い事になります。

飛鳥昭雄と三神たけるなどは、天岩戸とイエスの復活の類似を指摘します。

 天照の岩戸と、イエスが葬られた墓の構造が似ている。

 岩戸を開けた天照に最初に会うのは、裸踊りをしたアメノウズメ。
 復活のイエスに始めにあったマグダラのマリアは、元娼婦とみられている。

 岩戸を開けるタジカラヲと、イエスの墓を開ける天使。

それに、秦氏にも、ユダヤ人原始キリスト教徒説がありますね。

 おしらさまと、天岩戸、似てませんか。

おしらさまでは、馬と一緒に娘が昇天します。

いろいろあるパターンの中に、逆剥きされた馬の皮が娘を包むというのがあります。
これが、天岩戸話の機織女の死と似てますね。

 イエスとミトラス神は、岩から出る太陽神という共通点があるでしょ。
 そこに、天照が加わる訳ね。

しかも、天照を皇祖とする天皇家の菊花紋とそっくりな紋章はオリエントで古代から王家の紋章。

 またも、中東に行っちゃう。

騎馬民族征服王朝説も、こう見ると信憑性ありそうですね。

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