« 神と誓いとしかりと否と。 | トップページ | くさやとカマンベール? »

神武と弥生と徐福はむすびつくか。

神武(jinmu)は実在したと、思いますか。

 神武(jinmu)天皇が日本建国したのは、古事記や日本書記が主張するところによると、今から二千年以上前、つまり弥生時代。

神武(jinmu)即位は弥生時代、架空ではないかといわれてきましたよね。

 神武(jinmu)天皇、つまりカムヤマトイワレヒコの誕生日は庚午年1月1日と推定されますよね。
 西暦でいえば、紀元前711年2月13日にあたるでしょ。

『日本書紀』の日本神話の神武(jinmu)東征によれば、イワレヒコは西国の日向から東方へ遠征したとされるのです。

 確か、弥生人も九州から東方に向かったと見られるでしょ。
 弥生人が日本に着てからたどった道筋は、神武(jinmu)東征を連想させます。

そして数多の苦闘の末に大和・橿原の地に到達、即位し初代天皇の神武(jinmu)天皇となったとされるのです。

 即位の時は辛酉年春正月庚辰朔と記されているので、西暦紀元前660年2月11日と推定されているでしょ。

神武(jinmu)即位が弥生時代というのは、縄文も弥生も見直しが必要になってきた今、馬鹿話とばかりもいえない気がするのです。

 日本の稲作も、縄文からあったでしょ。

狩猟採集が中心だったとも見られるけど、稲作があったのは事実ですね。

 でも、熱帯ジャポニカだったでしょ。

 今は、温帯ジャポニカね。

弥生から始まったのは、温帯ジャポニカの栽培ですね。

 そういえば、弥生の農耕文化は長江の南、江南と呼ばれる地域に近いといわれるの。

弥生時代の遺跡吉野ヶ里から出土した人骨が江南の人骨に似ている、というから文化も来たと見ていいかも。

 佐賀平野の弥生人は、貝紫や茜で染められた薄絹をまとっていたと見られているの。

 佐賀にも、徐福伝説があるのね。

徐福は、紀元前3世紀頃、中国の秦の時代に方士をしてたでしょ。

 でも、日本各地に徐福伝説はあるでしょ。

 徐福の出航地については、現在の山東省から浙江省にかけて諸説あるの。
 中でも江南の浙江省寧波市慈渓市は、有力とされます。

1982年、一人の中国人学者が偶然、現在の中国江蘇州にある徐阜村がかつて、徐福村と呼ばれていたことを知るのです。

 江蘇州は、長江の河口域ね。

ええ、日本との関連が指摘される長江文明に繋がる地域ですね。

 徐福を先祖とする徐姓一門が、名乗り出てるの。
 さらに、2000年の由緒正しい系図を持つ徐氏一門が、今日なお中国全土に健在である事も判明したのね。

学者は重要性に鑑み、研究室の中にプロジェクト・チームを結成して本格的な調査に乗り出したのでしたね。

 勇み足にならないよう、注意したのでしょうね。
 そして、まさしくここが「徐福」の居た村である、という結論を最終的に導き出したのね。

調査結果論文は、日本外務省・国際交流基金の資金援助によって1985年11月北京で出版されました。
「説徐福到黄遵先」として、中日関係史研究会編『中日関係史論文集(第一輯)』の冒頭に報告されたのです。

 徐福は、多くの技能者を率いて出航してるの。

吉野ヶ里と、徐福の技能者集団を結び付けたいのですか。
縄文の三内丸山だって、かなりの水準だったでしょ。

 徐福と神武、微妙に似ているような、似ていないような。

年代は、徐福は紀元前300年から紀元前201年までの間、神武は紀元前660年とされているでしょ。

 300年以上、差がありますね。

年代など、いろいろな点で似ていれば、もっと早くに指摘されていたはずでしょ。

 でも、縄文と弥生は細かい差はありながらも、文化的な連続性はある。

神武即位の年代も、なんらかの思想に基づいて設定された可能性は指摘されてきましたね。

 讖緯(しんい)と呼ばれる、古代中国で行なわれた予言のことでしょ。
 讖緯の説、讖緯思想などと呼ばれていますよね。

讖緯説は、中国の前漢から後漢に流行した思想ですね。

讖と緯とは、元来は別のものでした。

予言書のことを「讖記」などと呼んでいるように、讖とは、未来を予言することを意味しています。

緯とは、儒教の経典に対応する「緯書」と呼ばれる書物群を指しました。

後に 讖と緯は、ともに予言を指す言葉と、それを記した書物として、併せて用いられるようになったようです。

そして、「讖緯」という用語が予言を指すようになったといいます。

 つまり即位の年は、記録にあるからと絶対視できない。

さらに、即位の年代も弥生にかかるので、なおさら架空の天皇とされたのでしたね。

 弥生の文化は、縄文より進んでいたといっても、古墳時代より遅れていたと見られていましたね。

縄文文化の水準が見直されている今では、弥生文化も相当進んでいたと考えるほうがいいでしょうね。

 神武には、神話的な話も多いですよね。

金鵄がやってきたとか、ですよね。

 縄文に古代イスラエルとの類似が、あるでしょ。

 弥生にも、古代イスラエルとの類似が、あるのでは。

江南地方の長江文明に、生命の樹が連想できる出土品があるのです。

長江文明の地で営まれた蜀の名は、火を灯す前の燭台を連想できます。

 メノラーということでしょ。

そうですね。

 弥生も古代イスラエルに、繋がりそうね。

 弥生と関連ありそうな徐福も、古代イスラエル文化を持って出港したのかしら。

 そもそも、徐福は村の名前にさえなっている。

 これって、村は徐福一族ということでしょ。

 「ユダヤ」を指す「ジュウ」と、神を指す「ヘー」で「ジョフク」だったりしませんか。

周辺の情報と絡めて、もっと見ていく必要はあるでしょうね。

 弥生人の王が、神武である可能性はあるでしょ。

そうですね。

 弥生人の王が、徐福である可能性はあるでしょ。

そうですね。

 徐福が、神武である可能性はあるでしょ。

そうきましたか。
否定はできないですね。

 そうなると、縄文と、弥生と、徐福と、神武は、古代イスラエルが共通項なのかしら。

そうきましたか。
否定はできないですね。

 慎重ですねえ。

さらに、情報を集める必要はありますからね。

ポチッとよろしく!

|

« 神と誓いとしかりと否と。 | トップページ | くさやとカマンベール? »

歴史」カテゴリの記事

生命の樹」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 神武と弥生と徐福はむすびつくか。:

« 神と誓いとしかりと否と。 | トップページ | くさやとカマンベール? »