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神社に鳥はいるか。

神輿は、英語で"portable Shinto shrine(携帯神道寺院)"と説明されます。

 wikiのフランス語版では"shintoïstes une châsse portable(神道の移動聖地)"とか、" palanquin divin(神の駕籠)"とか、説明してますけど。

ところで、神輿の上に鳳凰と呼ばれる神聖な鳥が乗ってますよね。

 鳳凰(Fènghuáng)の鳳は雄、凰は雌を指し、羽ある生物の王であるとされますね。

 孔雀に似ている中国の伝説の鳥でしょ。
 霊泉を飲み、竹の実を食物とし、梧桐の木にしか止まらないという。

 背丈が4~5尺、前は麟、後は鹿、頸は蛇、背は亀、頷は燕、嘴は鶏だとされますね。
 五色絢爛な色彩で、声は五音を発するとされる。
 
聖天子の出現を待ってこの世に現れるといわれる、瑞獣の一つですね。
鳥なので瑞鳥といわれるけど、『礼記』では麒麟・霊亀・応龍とともに「四霊」と総称されています。

 古くは風を司るとされたでしょ。
 後には五行説の流行により、四神のひとつ朱雀と同一視されるでしょ。
 
四神は、東の青竜・南の朱雀・西の白虎・北の玄武で、五行説では中央に黄竜を加えます。
 
 漢代の緯書には、陰陽では南が火に配当されるので鳳凰を火精としているものがあるでしょ。
 ちなみに北は水、東は木、西は金にそれぞれ配当されますよね。

 今度は何が気になるの。

神輿が、移動神道寺院とか、神道の移動聖地とか、説明されるとしたら神職に当たる存在があってもおかしくないのです。

 神社のミニチュアが神輿としたら、そうですねえ。

そこで気になるのは、神道の神職が裾に房のついた衣を着ていることです。

 そういえば、ユダヤ教の神職も裾に房のついた衣を着ているでしょ。

民数記第15章37節から41節に、こうあります。

15章37節 主はモーセに言われた。

15章38節 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。代々にわたって、衣服の四隅に房を縫い付け、その房に青いひもを付けさせなさい。

15章39節 それはあなたたちの房となり、あなたたちがそれを見るとき、主のすべての命令を思い起こして守り、あなたたちが自分の心と目の欲に従って、みだらな行いをしないためである。

15章40節 あなたたちは、わたしのすべての命令を思い起こして守り、あなたたちの神に属する聖なる者となりなさい。

15章41節 わたしは、あなたたちの神となるために、あなたたちをエジプトの国から導き出したあなたたちの神、主である。わたしはあなたたちの神、主である。

 神職の裾に房のついた衣を着ているのが、共通。
 日ユ同祖論では、口実の一つにもなってますよね。

なんで、房がついていると思いますか。

 さあ。

鳥を意識している可能性は、ないでしょうか。

 そういえば、鳥をあしらった衣装で行われる祭りは意外とありますね。

神社にも鳥居が、ありますよね。

 元は、二本の柱を立てただけでしょ。

もしも、天と地をつなぐ存在が柱に象徴されたならどうです。

 鳥も、天と地を行き来しますね。

 天使も翼を持った姿で表されるけど、聖書を見ると翼はないですよ。

翼は天使の象徴のように扱われるのは、飛ぶからだけではないと思えないですか。

 天と地を結ぶ存在としての天使が、鳥に見立てられたので翼を持った姿で表されたのでしょうか。

神道では、神主も巫女も、衣の裾に房がありますよね。

 これは、天と地を結ぶ存在としての鳥を意識しているのでしょうか。

鳥居といいながら、神社の中に鳥は、いるでしょうか。

 住み着いている鳥はいても、意識して飼われている鳥はいませんね。

 神道で鳥といえば、八咫烏(yatagarasu)ぐらいしか思いつきません。
 単なる烏ではなく、太陽の化身と考えられる存在でしょ。

 最高神とされる太陽神の場所である神社だけど、旗印として八咫烏を描くのは熊野の神社くらい…。

 そうなると、神社にいる鳥は、神職ですか。

伊勢神宮では祭主を最上位にして、その下に大宮司、小宮司、禰宜、権禰宜、宮掌と続きます。
比較的大きな神社では、宮司、権宮司、禰宜、権禰宜の四者か、宮司、禰宜、権禰宜の三者となります。
小規模な神社では、宮司もしくは禰宜だけの場合も多数あるようです。

なお、「舞女、巫女」は、意外かもしれないけど、正式には神職ではないです。

 そういえば、アルバイトでやっている巫女の話題みたことありますね。

 神主とか、禰宜で、アルバイトは聞いたことない。

ただ、彼らの衣装には裾に房をつける共通点はあります。

神職や巫女が、鳥に見立てられている可能性はあります。

 神と人、天と地を繋ぐ存在としての鳥ですか。

 そういえば、神職や巫女は袖が長い衣装を意識して身につけていますね。

 神社は、鳥に見立てられた神職や巫女のいる場所なんでしょうか。
 それを示す印として、鳥居を立てるのでしょうかね。

そうかも。

 エジプトの神殿に立っていたオベリスク、古代イスラエルの神殿に立っていたヤキンとポアズ、神社の鳥居。

 これ皆、神職が鳥に見立てられていたことの証かしら。

それぞれの宗教で、鳥は結構重要な位置を占めているのです。

古代エジプトのホルス、聖書では聖霊の象徴、という具合ですね。

 となると、神輿の鳳凰は神職と巫女の代わりに乗ってる。

そう見ても面白いですね。

 じゃ、神輿が連想できるアークにも翼のあるケルビムが向かい合ってるでしょ。

 あれも、神職と関係ありますかね。

考えてみるのも、面白いですね。

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